2024年8月14日 (水)

☆≡≡更新情報≡≡☆

■ オキモチ ■
一瞬あったかくなったと思ったら、また地獄の様に寒くなってきましたね。
クックック……かんたんに春になどさせぬ……させぬぞ!!

Dsc01244


※ 「絢辻さんSSリンク集」 のお気に入り登録について ※

  リンク先がおかしくなってる場合があります。詳しくは↑の記事をご覧下さい。

 ◎『アマガミ』 絢辻さん SS リンク目次
 ◎『アマガミ』 絢辻さんシナリオ解読企画 「手帳の中のダイヤモンド」目次


■創作・SS====================================================

 ▼沢の踏み跡
   『ヤマノススメ』より。 「お漬け物の家」(↓)の続き、みたいなもの。
  仲の良いお漬け物屋さんが店をたたむ。そんな話を聞いたここなちゃん。

 ▼お漬け物の家
   前篇 / 後篇 / あとがき
   『ヤマノススメ』より。ルリビタキを見たいここなちゃん、お漬け物お弁当で発進!

 ▼あやとりのソラ、夏海のストーン・ヘンジ
   (1) / (2) / (3) / (4)
   『のんのんびより』より、ひとり帰りのバスに乗りそびれた夏海が見つけたものは?

 『GJ部』SS・コタツじかけのオみかん~みかんのすじは俺のすじ~
   その(1)その(2)その(3) Interval
   ある年のお正月、うるさい家を抜け出して、こっそり部室に潜伏に来た真央。

 稜・線・鼎・話 ~『アマガミ』SS・絢辻さん・薫・中多さん~
   前編 / 後編
    『アマガミ』より、輝日東高校・放課後の美術室で出会った三人。

 ▼a white day~ミューズの座布団
  『ひだまりスケッチ』から、なずなと宮子、ある日曜の一幕。
  その一 / その二 / その三 / その四 / その五 / その六


■日記 / 旅 =====================================================

 ◎ヘヴン化☆こみゅにけぃしょん~此方と彼方のドキドキ・シュヴァルツシルト~
  バレンタインの彼岸にて。

 ◎記念日に平気でいんちきをする男の11年 -更新第1111.11回-
  このブログも11年目に突入しました。しかも1111回更新。

 ◎SEGAの新ハード『7つ星』について -更新第1111.01回-
  セガは倒れたままなのか!? ……いや、ウソタイトルで、NASAの話です。
 
 
■感想とか、ご意見とか。========================================

 ●すてきなRestart~『けものフレンズ』OP ようこそジャパリパークへ!感想~
  『けものフレンズ』に脳を溶かされるまでの手引き

 ●頭文字H~イニシャル・エッチ 花と性愛の頃~アニメ『セイレン』感想
  記事こきおろした途端、なんか見方がかわる現象に名前を付けて欲しい。

 ●帰港~喪失の港にて~劇場アニメ『#この世界の片隅に』・感想
    前篇 / 後篇
   映画『この世界の片隅に』の感想。イヤ、昨年から『ゴジラ』やら『君の名は』やら
   邦画は豊作ラッシュでしたが、真打ちが来た感がある。本当に素晴らしい映画でした。

 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年3月19日 (日)

■花よりも花の如く、光陰よりも矢の如く。そして…… -更新第1117回-

オシゴト帰りに新宿エキナカの本屋さんに寄ったら、
『花よりも花の如く』の最新刊が出ていた。
16巻。


  

  こっちで試し読みもできるっぽい。
  http://www.s-book.net/plsql/slib_detail?isbn=9784592210061


『花よりも花の如く』は、現代に生きる若き能楽師・榊原憲人が、
能の世界を通じて、人の世の悲喜こもごもを味わいながら、
能楽師として、人間の男として、なんとなくいい塩梅になっていく物語です。

  「成長」とか言わないぞ。そんな安っぽいモンじゃないんだ。

デまあ話の中身はいいんですが(いいのか)、
その新刊の帯に「成田美名子先生、画業40周年!」とアオられている。
1977年デビューというから……
なんと、オイサンの生まれる前から原稿用紙と格闘していらっしゃる計算になります!

  ……すみません、いまシレッとウソを書きました。
  オイサン生誕の2年後からですね。オイサン暦2年からですね。
  O.C(オイサン・センチュリー)2年。
  なんでウソついたんだ!(ドン!!

しかし40周年とはなかなかスゴイいキャリアですが、
お生まれは1960年と言いますから、17歳からマンガ描いてんのか……。スゴイな。
花とゆめコミックスの単行本なんで、ガッチガチの少女マンガでありまして、
作風も、昨今の、少年・少女の垣根がかなり取っ払われた感じになる以前からのものでありますが、
まオイサンは小学校低学年の頃から『パタリロ!』なんていう
当時の少女マンガの中でもかなりアグレッシブなものを読んでおりましたし、
それ以降もナンヤカンヤ触れて負ったのでそこらへんに抵抗感はない。

  『ぼくの地球を守って』とか『動物のお医者さん』とか『ここはグリーン・ウッド』とか、
  まメジャーどころばかりですが、ガッツリと読んできました。

    


成田作品に触れたのは、大学1年か2年の頃、当時活動してた演劇部の女子のお友だちから、
「これ面白いよ!」と借りた『CIPHER(サイファ)』が最初だった。

  『CIPHER(サイファ)』は、N.Yに暮らす双子のアクター、
  ジェイク・ラングとロイ・ラング(=サイファ)がある確執から袂を分かって暮らすようになり、
  それまで一心同体のように生きてきた二人がそれぞれの道を歩むようになっていく、
  というお話。今読んでも最高に面白いです。


  

オイサンも当時はクソみたいな男子大学生らしく、
そのマンガを貸してくれたコを憎からず想っておったりしたものですから喜んで読んだのですが、
コレがまあなんというか、非常に不思議な面白さでした。
先が気になって仕方がない!!
……という類の、面白さではない。
引き込まれるとか、そういうんではないけれども、
……なんかこう、人物が常に自分のそばに寄り添っているような、
向こうの世界にいるままこちらにもいる、みたいな面白さでした。
フィクションならではの刺激的な面白さよりも、
「ちょっと上質な現実」とでも呼ぶべき、
あらゆる感情を丁寧に丁寧にブラッシングしてあるような肌触りの良さが際立つ感覚がある。

その後も、『ALEXANDRITE』(アレクサンドライト・『CIPHER』のスピンオフ的な続編)や、
完全新作の『NATURAL』も成田先生の作品として読み続けてきたのだけれども、
やはりどれも強い引きや動機を生む作品ではなかったので、
なぜ連綿と読み続けてきたのか、途中でやめなかったのか? は、
今にして思えば少し不思議ではある。

しっとりとじんわりと、とても面白いのにストレスがなく、
読めば確実に、何か一つの真実に触れることが出来るという確信が、
どこかにあったのだろう。
思えばそれは、ゆうきまさみ先生の作品と似た感触である。

オイサンが成田先生作品に触れたのが恐らく大学1年か2年、18、9歳の頃で、
1995年前後のはずだから、約22年。
こんなオイサンでも、先生の画業のうち半分にはお付き合いしていることになる。


■ずっと俺のターン

にしても40年、22年か。
オイサンも今年は42になり、両親はともに70を超える。
マそうして考えると……あまり口にしたくはないコトだが、
両親もあと、10年? 一緒にいられるかどうか。
おられれば御の字、
生きているのに特に具体的な不安はないけれども、
たとえ明日突然そうでなくなったとしても、神様に向かって正面切って文句がつけられるような年齢ではなくなってきた。
神様にも「イヤお前そりゃそろそろ年齢だよ」って言われても……グウの音も出ぬ。
そのくらいの年齢かなあ、とボンヤリ考えてはいる。
何もしてはいないけど。

そーなってくると不思議なモンで、
次に自分の番が回ってくるのも案外あっという間だな、なんかをやり切るほどの時間はないな、
……と、思ってしまう。

ここ最近を振り返ってみると、10年なんてあっという間だったなあと思うワケで、
……マその「10年のはやさ」が本当かどうかはあとで考えるとして、
真実だとするならば、
自分に過ぎる10年も、両親に過ぎる10年と同じようにふりかかってくる。
つまり。
オイサンもあっという間に50になる。
50になってしまえば、60もきっとすぐだろう。
そしたらもう、アレですよ。
いま自分が両親に見ているように、いつこの世を退場してもおかしくない年齢までもすぐだ。
そうか、自分もすぐに死んじゃうんだな、と、春の日の、うららかな陽気の散歩の中で思ってしまった。

しかしここでさっきの問題、
「10年は、本当にそんなに早く過ぎ去ったのか?」について考え直してみると、
丁寧に振り返れば……案外、そうでもない。

振り返り方の違いで、随分と印象が違うことが分かってきた。
ある特定の点のことだけを振り返れば確かに昨日のことのようだから、
すっごくあっという間だったように感じる。

『アマガミ』が8年前! と思えば、うそっ! と思うほど早いけど、
『アマガミ』以前には知らなかった人たちとのことや、
『アマガミ』から今まで、どれだけたくさんの場所へ行き、どれだけ自分が変化してきたかを思うと、
そこにはやはり、長い時間、細やかな刻みが存在していたことが感じて取れる。
たくさんのことがあった。
たくさんのことをしてきた。
ブログを始めてからも、まだ11年しか経っていないことを思えば、
10年というのは、やはり案外長かった。
これから先の10年も、きっと色んなことが出来るだろうし、いろんな場所へ行けるだろう。
色んなものも、書けるに違いない。
まあ、自分が頑張らないといけないけど。

  そーいや、忘れてたけど、『アマガミ』も3月19日が発売日だから
  ちょうど8年なのね。



■人の時間、内臓の時間。そして、光の時間

あとそれに、これから先の10年が、これまでの10年と同じ速度で流れるのか?
と言われたら、きっと違うのだろう。
正しくは、時間が均等に流れる……らしいけれども、
自分がその流れを拾う速度と精度が下がっていくから。


物理的に……というか、生理的・病理的に、感覚器の性能がガクンガクンと落ち始め、
同じようにインプットが出来るとは思えない。
そういう兆候は既に出始めている。
それはつまり、主観的には時間のクオリティが下がるのと大体同じだ。
鈍った時間が流れていく、と考えた方がいい。
衰える体の感覚器が、一つのことを拾うにも時間がかかるし、
拾ったものの精度も決して高くない。事実から遠く離れていることも起こりうる。
その隙間を、記憶や経験で埋めようとするから、主観とバイアスに染まった風でしか、
捉えたり考えたりできなくなるのだろう。

  はなから目や耳で物事を考えないで、
  数値で頭にしまい込んであればそんなこともないのだろうけど、
  なかなかそうはいかない……
  そう考えれば案外、目や耳が不自由な人の方が、
  若い時と年を取ったときの衰え方の差が小さかったりするのかもしれない。
  どーなんだろ? イヤ、いま適当に思いついただけだけど。

マその分、年を取るとコレまではまともに見えなかったものも見え始めるから、
これからの時間がただのレッサーバージョンかと言われればそんなこともないけど。
若い頃に見えていたものが見えなくもなるので
±ゼロだとは思うけどね。難しいものだね。

イヤハヤ、
若いうちは正しい・事実に近いインプットが行われるのにインプットされたものを正しく処理することとが出来なくて、
年をとれば今度はようやく正しく処理が出来るようになるのにインプットも回転も悪くなる。
人の言う「全盛期」とは、その両方のバランスが取れている本当に短い時期のことをいうのだろうな……
なんていうことも、ようやくわかるようになってきたワイよ。

自分としては、インプット装置が多少トンチキこいて、
アウトプットするものが公平・公正・均等でないイビツなものでも、
自分にとって、そしてそれを喜んでくれるごく少数の人たちにとって輝かしいものでさえあってくれたらば
十分満足なので、あんまり困らないけども。

ただ、やはり勢いはなくなるね。
エンジンが弱くなる。
人間、大部分はかなり下っ腹で動いてるな、と思わされる。
内臓は随分モノを考えているなあと実感するし、内臓の衰えは実感する。。

アインシュタインさんの考えた相対性理論によれば、
時間の流れの速さは絶対の一定ではなく、
唯一絶対に一定であるのは、光の速度だけ、ということのようである。
すべての基準はそこにある。
時間が流れていることを前提に生きてる私たちからすると分かりにくいと思うが、
つまりその考えに則るなら、

 「光は1秒間に地球を7.5周できる」

のではなく、

 「光が地球を7.5周するのに(停止した状態からみて)かかる時間を1秒とする」

と表現するのが正しい、ということのようだ。
時間の流れているのが前提の世界に光が走っているのではなく、
光が走っていて、かつそれよりも移動が遅い、あるいは静止している連中がいるから、
相対的に時間というものは発生する、という考え方……というか、世界を正しく理解すると、
どうやらそうなるらしい。
だから、光そのものが感じている時間経過はゼロになり、
それから遅れるほどに時間というのは流れていく、ということのようだ。
つまり、じっとしているモノより、
走ったり飛んだり、早く動いているモノの方に時間の経過はより緩やかにもたらされる。

なのでもしかすると、全身の細胞を光速で振動させることが出来れば超長生きできる……
のかなあ? と、バカなオイサンは思っている。

  イヤ、ちょっとコレ、考え方が正しいかは分からんよw?
  文系にも分かるように書かれた本を読んだ限りそんな感じっぽい、と思っただけだ。

勿論、基準が光速だけに、多少早く動いたところで計上される時差なんモンは
所詮誤差にしか過ぎないんだけれど、
それでも、
それでもだ、
誤差にしたって差は差であって、
それによって1秒の何千何万、何百万何千万、何億分の一でも、
自分が時間のくびきから自由になれる。
そう思うと……。
別に長生きをしたいワケではないのだけれど、
「いま流れる時間を少しでも緩やかにしたい」
と、思わないではない。
いまを緩やかに生きたいと願うことと、長生きをしたいと思うことは、決してイコールではないと、
オイサンは思う。

花よりも花の如く、光陰よりも矢の如く、
そして、ゆび先よ。願わくば、心臓よりも心臓の如くあって欲しいと切に願う。
文字を書くにせよ、シャッターを落とすにせよだ。



■Closing

話が、冒頭から随分違ってきたので引き戻そう。

成田先生の作品は、昔から、老人でも若者でも親しめるテーマを扱っていたように思う。
『アレクサンドライト』が若干テーマが若くてリキリキした生命感・躍動感にあふれ、
『NATURAL』も、テーマは普遍的だけど表現の仕方・舞台と人々がヤングで若い人向けの傾向はあるけれど、
どれも、内臓の力が多少落ちても無理なく楽しめる作品群であるように思う。

いまの自分には、過去を基準にした時間の尺度しかないなあと感じるのだ。
昔に比べてどうだこうだ、
昔に比べて何が得られて何が失われる……と。
それはきっと、結婚して子どもがいたりしないので、
未来に対して前向きに何かを測れないから、なのだろう。
「未来、如何様にあれかし」と願う、抽象的な目測が出来ないでいる。
過去に比べて何かが失われた時間に希望を見いだせない。
「(何かが失われはするけれども)こんな輝かしさが得られているであろう、
 得られているに違いない未来の時間のために、アレをしよう、コレをしよう」
と考えられていない。

ひとりでいるということには、どうもそういう効果があるらしい。

そんな目線でいるから、自分の時間の残りの少なさ・流れる速さばかりが目に付くが、
丁寧に測り直してみれば実際はどうやらそれほど少ないわけでも無いようだし、
インプットも、その処理の仕方も、まだまだ色々やりようがあるのだなということが、
なんだか確認できたように思う。
成田作品には、やはり普遍的な何かがある。

大学時代、自分は結局演劇部をやめてしまって、
『CIPHER』を貸してくれた女の子ともすっかり疎遠になってしまうわけだけれども、
そうした大切な時間がブツ切れにちぎれた後にも、
成田美名子作品というなかなかに深い足跡だけはしっかりと残ってしまった。

  演劇部は、なんでやめちゃったんだっけ……? あまり覚えてないな。
  キッカケになったような出来事は確かにあるんだけど、
  それも最後には大きな影響になるようなモノではなかったし、
  どうしてあそこまで凹んでやめるに至ったのか、当時の心境や経緯はよく思い出せない。

……。

どーなんだろ、あれから20年が過ぎた今、
あの子はまだ、成田作品を――『花よりも花の如く』とか――
読んでいるだろうかなあ?

どう思います?(しるかそんなもん)

 
 

| | コメント (0)

2017年3月16日 (木)

■コンガを打ち狂うことがクリエイティビティだと呼ぶ世界で、スマホは。 -更新第1116回-

携帯電話を、ブラックベリーさんからアンドロイド電話に換えて以来、
それを使って出来ることは増えているのだけど、特に何かを増やしている感じはない。
相変わらずTwitterをし、
ヘンなアプリを探しては試してみたりしてるんだけど……
そこに、もどかしさを感じている。

快適なモノだから、その機械をいじっている時間は増えて、延びているのだけど、
やっている内容は変わっていない。
つまり、いじることに飽きつつはあるのだが、
そうじゃないんじゃないか? 使い方が間違っているんじゃないか?
……と、感じ始めている。

なんかもっとうまい使い方があるんじゃないだろうか。
これだけ性能が高くて多機能なものなんだから、
もっと変な、
もっと楽しい
もっとこう……クリエイティブな使い方があってもいいのではなかろうk……

  ッキャーーーーーーーーーーー!!
  いやだ!!
  「クリエイティブ」!!
  「クリエイティブ」だって!
  「クリエイティブ」ですってよ奥さん!
  聞いた!? あちらのだんなさん、「クリエイティブ」なんですって!
  まぁーいいわねえ! うちの人も始めないかしら、「クリエイティブ」!!
  うちなんかもうとんとご無沙汰で!
  若いころはあんなに「クリエイティブ」だったのに! 毎晩毎晩!!
  恥ずかしい!
  四十またぎの一般サラリーマンが!
  「クリエイティブ」!!
  いーーーーーーーーやぁーーーーーーーーー!!
  「アバンストラッシュ」!!
  はわー……。
  いやぁー照れた照れた。///  ///

まあ、クリエイティブというか。
なんかこう……もうちょっと、お仕着せの遊びをするばかりではなくて、
自分で何かを作り出す助けになる遊び、いじる余地のある遊びを……ね。
これを使って出来ないかなあって、そのくらいのことなんですけど。

イヤすみませんね、フツーのオッサンがクリエイティブとか言って。
ホントごめんなさい。
いやーもう。
お恥ずかしい。
ダメですよね、オッサンがクリエイティブとか、オリジナリティとか、個性とか言ってちゃ。
クリエイティブ死とか、オリジナリティ死とか、個性死とかするわ。
心のコレステロールが致死値に達するわ。
コロシテロール。
もっとこう、オッサンなんだから、
人の敷いたレールの上を、人のフンドシ締めて、大手を振ってノッシノッシと歩くくらいでないと。
ユニディで売ってるレールですよ。IKEAのやつはダメですよ。
ユニクロかシマムラで売ってるフンドシですよ。GUのはダメですよ。
ねえ。
コモディティ化していこうじゃないですか。
アリモノで済ませていこうじゃないですか。

マそれはどうでもいいや。
そんなことをですね、
あ、そんなことって言うのは「スマホをもっとマシな遊びに使おう」ってハナシの方ですよ、
そんなことをですね、ヌルヌルと液晶に指を這わせながら思っているワケですよ。
おかしなゲームばかり探してる場合でもないな、と。
まあオイサンのAquos everさんなんていうのはハイエンドでもなんでもない普及版ですンで
そんな大した、重たいことが出来るようには出来てませんからアレですけれども。

なんかね。
もどかしい。
感情を形にして残しておけるような、
ねえ。
常に手元にあってサッと使える物なんだから、
頭を使う前にサッと感覚的に操って大事なことを残しておけるような。
そういう使い方が出来ればいいなあ、と思ったりしてるけど。

……カメラを自撮りモードにして、
自分の顔が液晶に映るようにして、
液晶に映った自分の顔をかいてあげたらカユいのがおさまる、
みたいなアプリありませんかね。
何を言ってるんだ?

類語同士を結び付けあった、類語マップみたいなものはないかと思うんですけどね。
視覚的辞書ツールみたいなの。

マそんなことを思って、手始めにこんなものを入れてみた。
最近、ノートに手描きすることも多くて、
そっちの方が使い勝手はいいんじゃないかって気がするな。


 ▼ハルナアウトライン
 https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.blogspot.halnablue.HalnaOutlinerLite&hl=ja

 ▼コンガボンゴ
 https://play.google.com/store/apps/details?id=br.com.rodrigokolb.congasandbongosfree&hl=ja
 延々コンガを打ち続けられるアプリ。


……とはいえ、オイサンのは決してハイエンドではない普及モデルなので、
そんなに重たいことがスイスイできるわけではない(らしい)。
買い替える時も、初めてのアンドロイド電話だからということでハイエンドは志向せず、
画面解像度も抑え目に、という方針で選んだけれども、
さっそくこういう方向に欲が出てくるとは思わなかった。

  とはいえ昨今の「ハイエンド」が何を可能にしているか、
  何を指標にして「ハイエンド」の必要性を判断させているかといえば、
  「3Dグラフィックをぐりぐり動かせる」
  「3Dのゲームをガリガリやるかどうか」
  みたいなところにあったりするので、
  オイサンの考えているようなことと「ハイエンドであること」が、
  直結して相関し合うかと言われれば、あんまりそーでない気はする。

  マそうでなくても、一番の優先事項は「バッテリーのモチ」だったので、
  この機体に落ち着いていたであろうとは思うんだけど。

  しかし「画面がでかい」ことは、オイサンの考える欲の部分を満たすには
  それなりのアドバンテージになる気がする。


しかし……このオモシロ高性能デバイスを、
一番面白く利用している人は……一体どんな使い方をしているだろうか?



 

| | コメント (0)

«■とりきめメモリアル~forever ゆず湯~ -更新第1115回-