« ■ゆかりの気分 -更新第613.9回- | トップページ | ■月のモノ~『アマガミSS』マンスリーイベント絢辻さん編に行ってきたでゴザルの巻 -更新第615回- »

2010年12月16日 (木)

■ファイティングポーズ法、制定ッ! -更新第614回-

件の条例改正案が可決されてしまった、ということで。
オイサンも思うところが全然ないわけではないので、
書くだけ書いておこうかなあという所存。


  とは言え、件の条例が実際どんなもんであるのかということは
  まとめのサイトをざらっと見た程度で、
  あんまり正しく把握は出来ておりませんので、
  細かい所に突っ込まれても困る。
  困る、と言われても困る、と真面目にお考えの人には怒られるんだろうけども。



■先ず、そうは言ってもね。



ぶっちゃけた話、法的に(厳密には法律ではないんだろうけど)、政治が、
っていう点の是非は、疑問というか、
アンタらにはちゃんとやるのは無理でしょと思います
(それすらも立場が生んだ偏見の視点が入ってないとは言いませんけど)。


  ただ、オイサンの思うところとしては。


今現在の、いわゆるお子さんがスッと見たり買ったり出来てしまう、
マンガにしろ雑誌にしろアニメにしろラノベにしろ、娯楽作品群は、
オイサンら自身が少年時代に摂取したものに比べると(あくまでも比較論にしか出来ないけど)
……やっぱりね。
随分過激で、ロコツで、直接的になってるなあとは思いますよ。
それを認めない同年代の人間は、多分いないと思います。

オイサンはそのエスカレート具合に関して、
「どっかで何かしらのブレーキがかかんなくて、コレいいのかな?」
と……別段自分が何の行動を起こすでもないですけど、
薄ボンヤリと感じてはおりました。

それが規制なのか、自重なのかは分かりませんが、
節度はいるよなあというのは明らかで、
オイサンの目から見てここ数年、節度のゲージは降り切れてたんじゃないかなと思います。

ただしオイサンがそう感じる根拠というのは、
所詮「自分たちが育った時代との比較論」でしかないので、
それが正しいのか? 正義なのか? と問われたら、
胸を張って「そうだよ!」とは……よう突っぱねたりは出来ません。

  大体がしてオイサンなんてのは、自分が立派な大人であると
  胸を張れないオーソリティーみたいなもんですからね
  (つまらんオーソリティーもあったもんだな)。

ただ言えるのは、実績・実例として、
オイサンらはそういう今ほどゲージの上がっていないものを摂取して育ってきていても
それなりのステップは踏めてきているので、
今ほどの刺激がセーショーネンの育成に必要なのかと言われれば、
要らんでしょとは思いますよ。

  コレマタ、必要/不必要で論ずる話でもないと思うけどさ。
  娯楽だからね。

ですんで、あとは「表現としての娯楽として」それが必要かどうか、
ってことにかかってくると思うんですよね。

なんで過激な描写が必要なのよって話になると、
多分その大半は、お商売に関わる理由だと思いますよね。

例えば、子供が減ってるから、ってのは一因としてあるでしょうよ。
子供市場だけでは実入りが足りないから、
オトナでも手に取ってしまうくらいの過激さも加味しておかないと
回収できない、なんていう計算はあるんじゃないでしょうかね。

他にも、昔みたいに、マンガ雑誌の競合がマンガ雑誌だけじゃなくて、
Webを回れば、あって無きが如きの規制の上に、もっと過激な映像を回収してまわれるわけで、
ほならお金を払わないといけない雑誌やメディアなんかは
それに対抗できるだけの過激さを有していないと
お商売にはならんでしょう。

  ……ということを考えると、
  間接的には何をどうすれば彼らの望む「ケンゼンカ」が
  進んだりもするのか、なんていう方向性も見えてくる気はいたしますな。

  まずは子供を増やせるようにしろ、
  Webをなんとかしろ、とかですね。

やっぱりね、『アマガミPreciousDiary』読もうと思って
初めてヤングアニマルを買ってみましたけど、
まあ……ほぼエロ本じゃないの、って思いましたものね。
チャンピオンREDとかもね
(↑オッサン詳しいな ← ヘッ、まあよ! ← 褒めてない)。



■またホラ、ケンゼンとか言うから。



次に、じゃあオイサンらの時代のものが「ケンゼン」で、
今のものが「ケンゼン」じゃないのかと言われたら
そんなことは正直誰にもわからないワケで、
そもそもオッパイが出てたらケンゼンじゃないのかとか、
オッパイが出てさえいれば全日本人男性・男子が
ノベツマクナシにマックスボルテージにお達しになるのかと言えば
そんな単純バカタレなお話はないワケで。

そこにゃあどうしたって……ねえ。
表現物ですから。
表現の機微ってものがいかんなく関わってくるワケで、
それのケンゼン/フケンゼンを見抜くには、それなりの、
……なんて言うんでしょうねえ。
審美眼って言っていいのか分かりませんけど、
読解力は必要になる。

それを、政治のオエライ先生方なり、彼らの考えだけを汲んだナントカ委員会なり、
利権とかお金とかがガッツリからんだ方々なりがやろうとするから
反発も起こるし、実際やったら、やられる側から見ておかしな判断が目白押しになるわけで。

  それを表現者の側でやれば自重で、
  外側の人間がやれば規制になるっていうだけのことでしてね。

オイサンの気持ちから言えば、読解力という意味でいえば
批評家さんの集団がやるのが一番マシなんじゃないかなあと思います。
別に批評家さんに知り合いがいるわけではないので実際どれだけの目を持っていて
どれだけ公正なのかはよう知りませんが、
立ち位置として、ということと、
前提として、それを職業としているだけの実力がともなっているものとして、
ですけども。

  マ彼らは彼らで、どちらかと言えば芸術家ですから
  まかせっきりには、やはり出来ないでしょうけど。

出版社とかじゃなくて。
結局はみんな食べるためにやってることなので、
基本的に自分の利益が最大になるようにしたいんだろうから、
「分かってる第三者の目」は必要になると思いますよ。

  ……まあそんなモンも所詮は理想論で、
  今の日本で、何のオカネも絡んでない、正義の第三者なんておるわけがないのは明白で
  それを追い求めるのは夢なんですけど、
  それをじゃあ政治なんていうものがやるのは悪夢なわけですから、
  悪夢よりゃ夢の方がいいでしょって話です。

……まあ、かといってね。
表現的な必然性がないと新しいシチュエーションが持ちだせない、
なんて話になると、
レのつくコワイ顔のオバサン議員に
「どうして妹が12人必要なんですか? 11人ではだめなのですか!?」
とか詰め寄られてアワアワしたりしてしまうのでしょう。

  まあ、そん時ゃ可憐を削ればいいとオイサンは思いまおや誰か来たようだ。

妹萌えとか、メイド萌えとか、袴萌えとか、腹パンチ萌えとか、
それを多様性と呼ぶのか! という議論もこれまたあるでしょうけど、
新しいモノや面白いモノ、極まったモノとんがったモノ、
そういうものが出てきにくい状況になるのは、描き手としては望ましくはないでしょう。
いちいちお上にお伺いを立てるほど面倒なことはないですからね。
その辺は、
「悪いことが明らかでないものは、とりあえず泳がせる」
くらいの心の広さは欲しいですよね。
つうか、疑わしきは罰せず、ってのはフツーのことだと思うんですけど。



■じゃあお前はどうしたいんだ、という話。



まあオイサンのモノの言いようなんてのは、
右と見せかけて左、みたいなことの繰り返しなので、
ほなお前はどないしたいねん、ということが見えては来ないと思うんですけど。

あのねえ。

今回の条例可決に全面賛成というワケは無く、やり方や中身には疑問はアリアリですよ。
やっぱり、曖昧に書かれたことに対して、広くもせまくも捉えられるのは理解していますが、
自分の立場から考えれば、不安がまさってしまうことから
ワーストケースで見積もってしまう。
自分たちにとって一番悪い条件に陥った時のことを見てしまうから、
「そっちもっと詰めてよ!」
って言いたくはなります。どうしたってね。

でも一面では、冒頭で書いたみたいに、
今のフツーな売り物が、えらく過激になっとるな、という風に思う気持ちも事実でね。

  ただしその「過激さ」の妥当性だとか、
  シャカイだとか、セイショウネンのケンゼンな育成に及ぼすエーキョーだとか、
  そんなモンが分からん! というのは上で述べた通りで。

ただ、感覚、自分たちの感覚だけに頼っていうなら、
「売る側は、もうちょっと押さえてもいいんじゃない?」
という気持ちがある現時点においては、
「あんまりホンポーにやってっと規制すんぞ、コノヤロウ!」
という態度は、
……危険性はすっごくあるとは思うし、やろうとする側の彼らがホンマにアホで、
  ひたすら悪意で全開でやってきたときには目も当てられないと思いますけど……
抑止力としては有効なんじゃないのかしら、とは思うワケです。

「おいおい、俺ら、自分らでちょっと抑えていかな危ないんとちゃうか」

と、売り手(描き手ではなくね)に身を固くさせる程度の力としては、
あっても悪くはないと思っています。

  ただしあくまでも、条文がザルであることを、
  取り沙汰する側が良い方に舵取り出来る裁量をもっている、
  ということが前提ですけども。
  ……これまた、理想論だと言われるんでしょうけどね。

  でも、描き手・売り手のベストケースでやりくり出来る条文でやってるうちは
  なアなアにしかならないとも思うんですよね。

政治家さんがそんなにアホかと言われたら、
……アホじゃない、ということは信じたいし、アホでは困るんだけども……
どーも、アホにしか見えない発言をなさるんですなあ。
アレはなんでだろう。
得にならないの分かり切ってると思うんだけど。

  何がイカンて、シンタローさんのあの言いっぷりがイカンと思いますけどね。
  なんでわざわざあんな言い方をせなアカンのか、その理由は良く分からない。

そりゃ不安にはなりますわ。
でも、売る側がその危険性を感じたり、自分からブレーキを踏まない以上、
彼ら政治の人たちがアホでないことを信じて、今回はちょっとお任せするしかない。
ただもう、ホントのホントに、慎重に、誠実に、公正に、やってもらわないと困る。
そんな感じ。
何かに利用したり、くいものにしようとしたり、
そんな人間は一杯出てくるんでしょうけども。
それが怖いなあ。

エロ漫画を読まないから健全、なんて話はもうおかしいのは明らかで、
じゃあ読むのが健全なのかと言われたら、そんなことも絶対ないわけで。
らんぼうに言ってしまえば、
ケンゼンとフケンゼンの境目と、エロ漫画は全然関係ないわけですよね。

ケンゼンさが必要なのは青少年じゃなくてシャカイの方なんじゃないのかね。
いったい、何が過激で、何が過激じゃなくて、
過激な表現がはびこった時に誰かが理不尽に不幸になるのなら
それは最小限に食い止める努力はしたほうがいいでしょってことで。

ホントのホントに、
ある一冊の漫画を少年誌のコーナーからエロ漫画コーナーに移すだけで
誰かが不幸になる率のグラフをどーんと下げられるならそうすりゃいいし、
意味ないんならやめときゃいい。
あとはどっちに置いたら売る側が儲かるかだけ考えて決めりゃいい。

先ずは世の中の不幸量が一番ちいさくなるように、
そのあと、世の中の幸福量が一番大きくなるようにチューンすりゃあいいと思うワケで。

  まあ不幸/幸福のどっちを前に持ってくるかはやり方の問題でしょうけども。
  「何のための規制/自重なのか」がしっかりしていることが
  ケンゼンな世の中なのではないですかね。

すると今度は、
じゃあそのグラフが下がったのは本当にそれだけが要因かなんて話になって
そんなもん絶対的な判断なんかできるわけないじゃんね。
時間は流れてるんだし、人間は生きてるんだから。

今回の「刺激」を足がかりに、炙り出されてくるものはきっと一杯あるでしょうから。
彼らがそれを、いきなりケシズミにするような火力で攻めて来ないことを信じて、
……信じる根拠がないからビビってんだけどさ。
  そこをうまくやってくれよ、とは思うわね……
いい方向にチューニングしていくのが、一番なんじゃないんですかね。
それが出来れば! ……っていう叫びも聞こえてきますけど。

あとは……結局はゾーニングの問題なんだから、
CEROみたいにさ。
イキナリ18禁だけじゃなくて、12・15と、細かく切って上げては欲しいですよね。
さすがに、18歳未満はみんな一緒くた、というワケにはいかないでしょうから。

  しかしそんなことを考えると、
  今度は「小さな書店には、そんなに小分けに場所を用意することも出来ないよなあ」
  とか思ってしまうオイサンもいるんですけどね。
  ホント、色んな余波が出そうです。



マ、そんな感じでツラツラと。
よく分からんまんま、色々書いてゴメンなさい。
でもまあ、こんな感じです、今ンところ。



オイサンでした。


 

|

« ■ゆかりの気分 -更新第613.9回- | トップページ | ■月のモノ~『アマガミSS』マンスリーイベント絢辻さん編に行ってきたでゴザルの巻 -更新第615回- »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/203716/64163463

この記事へのトラックバック一覧です: ■ファイティングポーズ法、制定ッ! -更新第614回-:

« ■ゆかりの気分 -更新第613.9回- | トップページ | ■月のモノ~『アマガミSS』マンスリーイベント絢辻さん編に行ってきたでゴザルの巻 -更新第615回- »