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2011年8月25日 (木)

■ゼロから始まるドラマと文化 -更新第704回-

こないだ友達とお茶飲んでて、
『ひだまりスケッチ』の4期が決まった経緯を話している最中に感極まってしまって
めっちょ涙声になってしまったオイサンです。

ままーあのひとないてるー。
アラほんと。キモーイ。



いやー……。



……。





ねえ?





ねえ、って言われてもねえ。
自分でも良くわからないんですけど、泣いちゃうんですよ。
『ひだまり』の話してると、ワリと。
うす気味悪いオッサンですねえ。
聞いてる方も「え、この人なんで泣きそうになってんの」って思ったに違いない。
全くもってお恥ずかしい。


▼ひだまりスケッチOP集

はじめて出会った時には、ここまでトクベツな存在になるとは思わなかった。



■ドラマの終わり、物語のはじまり



先日の岩男潤子さんのライブの前に、
友人と大層おいしいコーヒーを戴きながら生きたクレイアニメを見……
もとい、
何かと小粋なおしゃべりをしておったのですが。



……。



イキナリ脱線しますけど、おいしいコーヒーで思い出したからお話します
(ホントにオイサンはライブ感を大事にするなあ ← モノは言いようだなオイ)。

最近出たばかりの、缶コーヒーBOSSの『ゼロの頂点』ってヤツ。
カロリーとか糖分とかゼロのヤツね。
今まで、缶コーヒーのゼロ系のヤツでいい思いしたことはなかったので
今回も同じだろう、と思ってはいたのですが。



■ゼロの文化



コンビニで買うとスターアライアンス航空機のモデルがオマケについてくるというので、
タイムライン上の飛行機好きがなんか食いつくかな、と思ってオマケ目当てで買ってみました。

 ▼スター アライアンスコレクション [ http://www.suntory.co.jp/index.html ]
 http://www.suntory.co.jp/softdrink/boss/campaign/zero/index.html


  ……しかしこうして思い返すと、
  コーヒーもオマケも、別にオイサン自身が欲しかったワケじゃないんだな。
  アホか俺は。

するとまあ……案の定。
何ッの味もしませんよね。
うっすい泥水に匂いだけつけたみたい。
ビッッッッッックリしますよね。これをコーヒーだと!? みたいな。

以前Rootsのゼロ系を飲んだときも、まーあビックリしたもんで、

 ▼Rootsトリプルフリー
 http://review.kakaku.com/review/S0000525275/

正直、これもほっとんど同じ程度の衝撃を受けるわけですが。
いやー。
なんも残らない。
缶に水入れといたら、缶からなんか染み出しただけじゃないの? というほどで。
錆び水の方が、多分まだ味しますよ。
飲んだことないけど。
最近オイサンは微糖系のもちょっとどうかなと思ってるくらいなので、
さすがにガマンできませんでした。
ホントにアレ、コーヒー入ってるのかなー。
だとしたら、自分の仕事を台無しにされている豆が、気の毒な気が。

オイサンはお酒飲まないので分からないのですが、もしかすると、
昨今のお酒業界。
第三のビールとかでも、同じようなことが起こってるんじゃないかと推測いたします。
フリーとかゼロとかクリアとか、言うでしょう。
あれも、本来のビールとはかけ離れたうっすいモン飲まされてるんじゃないかと。

……いえ、別にね。
今、それが美味しい、ってんならいいんですけど。
蓼食う虫もナントヤラと申しますんでね。

ただその、もともとの端を発したものの味がどんなだったか、ということは知った上で
今のその「自分が美味しいと思うもの」を食べても、
マ罰はあたらんのと違うかなあと思いました。

とさ。

今感じているその味が何から出てる味なのか? を知っておく、
と申しますかね。

その材料が石油でも、人工的な化学物質でも。
「ウマけりゃいい。ゼロだからいい」
ってイケメンも言ってましたしね。
なんか、たっかい所で、しゃくれたアゴで。

  ▼アサヒ スタイルフリー
  http://www.asahibeer.co.jp/stylefree/



オイサン自身が、どれだけ根っこの味を知っているかといわれたら、
それはそれでアヤシイところもありますしね。
けどまあ、解れるところは解っといてもエエのんとちゃうかな、と。

ところで、『ロックマンゼロ』は何がゼロなんでしょうね?
教えて神戸の大学生。
あと『ドリクラゼロ』も。

  あ、『ドリクラ』の方はね、多分「節操」と「布面積」がゼロなんだと思います。
  セッちゃん・遥華さんあたりもゼロですね(なにが?)。

どうでもいいけど、
こんだけ商品disり倒した記事から商品ページにリンク張ったりして、
オイサンもいい性格してるな。



■ドラマの終わり、物語のはじまり(仕切り直し)



さて本題に戻りましょう。

その友人からオイサンは、OVAの『銀河英雄伝説』を借りております。
全110話でしたか。
あと劇場版も何本か。
外伝? もあるらしいのですが、それはなかったかな? 確かめてませんが。
今それの50何話目かで、ようやくの折り返し地点。

▼銀河英雄伝説

なんでファミコン版やねん


お借りしたのが昨年の春でして、
「……まあ、週に二話ずつ見ていけば一年で見終えるな」
と、それにしたってワリカシ遠大な計画を立てておったのですが、
秋頃の多忙さと『アマガミSS』に阻まれてスピードダウンしてしまい、一旦頓挫。
最近になって再開し、ようやくここまでこぎつけました。

あの、誤解のなきよう申し上げておきますが、
面白くないわけでは全くない。
面白い。
相当面白い。
なんちゅうか、飽きないし、疲れない。興味が損なわれることもない。
一度見始めると、3話くらいはスルスルっと入ってしまいます。
ただ、強烈な引きが延々続くわけでも決してないので、
一回途切れてしまうと復帰するのも難しくて、
復帰に何度か失敗した結果、オイサン、ひとつの話を五回くらい見てしまいましたもの。
友人には「よく帰ってこられましたね」とヘンな感心をされました。

今オイサンはお話のちょうど大きな境目、第二部のおしまいにおりまして。
ここで、物語の二人の主人公、
ラインハルト(帝国・専制側の立場の人)と、
ヤン・ウェンリー(同盟・民主政治側の立場の人)との戦いに一応の決着がつきます。

  ……とはいっても、「帝国と同盟の戦争」が帝国の勝ちで終わっただけで、
  二人の個人的な決着はまだついてないと思いますが。
  いや、それもついたのかな。
  ヤンが勝って、ラインハルトが敗けた。
  勝負に勝って試合に負ける、或いはその逆、というやつです。

デ。
オイサンはまだ先は見てないのですが、
どうやらこのあとヤンの方が死にます。
死に方は知りません。が、当の友人が言ってたので間違いないでしょう。



……でー……。



オイサン的には、
「ん、戦争も終わって決着もついちゃって、
 おまけにヤンも死んじゃうときたら、この話、あと50話もナニやんだろう?」
と思っており、その疑問を友人にぶつけてみたのですが。



彼曰く、「こっからが本当の『銀英伝』だ(と考えている)」と。



以下は彼の言葉そのままではない、
彼にはちょろっとだけヒントを語ってもらいそれをオイサンが勝手に解釈・妄想した格好になりますが、
それはつまり、

「『銀英伝』がテーマとするところの、
 『より理想的な「人々の社会」のあり方とはどのようなものか?』ということが、
 帝政と民主制、相反する二つの社会制度が
 (恐らく)その両方の要素を持つ(もしくは望む)ラインハルトという
 一人の人物の元に統合されることで、これから混沌の度合いを深めながらも模索されていく」

ということ……なのかな? と。
受け止めた次第でございます。
もし全然違ってたら影でクスクス笑って下さい。 < 既に筋を知っている方々

  ……放映中の作品は好き勝手言っても作り手しか先を知らないからいいけど、
  完結済みの作品の、先を知らないで語るのはコワイなあ(汗。

  相反する、と書いたのは、
  「それぞれの制度の中における民衆・大衆の立場や態度が」
  という意味です念のため。

それを聞かされて、オイサンすとんと腑に落ちまして。
ああなるほど。なら確かに、こっから先が本題だと。
こりゃ見なけりゃ損をすると思いました。
先が実に楽しみ。

デそれと同時に、……なんというか、
それでもある意味お話の一番盛り上がるところは終わってしまったんじゃないかなと、
そんな風にも思ってはいます。

つまり、
ドラマ(物語の劇性)は終わった。
けれど、テーマ(物語の主題)は終わらず、これから深まる。
これはなかなか贅沢な構成だなー、と、勝手に想像をたくましく、
これからのすっかり未知なる展開に、心躍らせておるのでした。


 ▼『エヴァ』と『まどか』、主題の終焉・物語の終焉

デこの時、この話とは関係なくした話の内容に、
『まどか』はどうだった? という話がありました。

小難しい解釈はともかく、
「すっきり面白く見終えることが出来たかどうか?」
というだけのお話です。
これに関してはオイサンはNO、友人はYES。

  ちなみに友人は、『まどか』の脚本家・虚淵氏の作品はいくらかご存知で、
  その面白さを既に認めている立場。
  オイサンは『まどか』で知り、『まどか』しか知らない立場です。

それともう一つ、『まどか』の話から派生して
(……だった、と思うんだけど? 違ったら突っ込んでね > ご本人w)、
『エヴァンゲリオン』TVシリーズの終幕、アレを是としたか非としたかについて。
これは逆に、オイサンは是で、友人は非。

オイサンは、
『エヴァ』のラスト、あれは
劇性の部分をすっとばして主題だけを(ウラ事情はおいといて)とりあえずイキナリ終わらせたものだと、
まあ、フツーに捉えておりまして。
その様子をTVで見ていて、「ああ、こういうのってありなんだ」と、
その「新しいやり口」(好意的な解釈)にいたく感銘を受けました。

  物語作品の中には
  「テーマを語ることがすべてで背景や筋立てはそれを語るための道具立てに過ぎない、
   だからテーマを受け手にハッキリと伝えて、それさえ締めくくれば、
   それ以外のパーツはその瞬間ゴミになり、パージしてしまっても問題ない」
  という姿勢で語られるものがあるんだ、ということです。
  オキテ破りではある(物語作品全体を見渡せばそんなことはないハズですが)のかも知れませんし、
  商業ベースでやるこっちゃねえのかもしれませんけどね。
  逆にそれを、商業ベースでやったからこそ良かったとも思います。
  怒った人が多かったことはよっく存じ上げてますよw
  その上でもオイサンは、アレは「面白かった」し、「アリ」だと今でも思います。
  メッタメタにメタですけど。

  ついでに言っとくとオイサンは、
  話の終盤になってからゼーレの話が上がって来た時点で、
  話全体の筋はワリとどうでもよくなっていました。
  この話なんかオカシイ、今言うこっちゃないだろう、と。

事情はどうあれ、『エヴァ』は「劇の部分は投げちゃって、テーマだけを終わらせた作品」。

対して『まどか』は、
恐らくテーマも劇性もきっちりと終わらせたものだ、とは、
……アタマでは理解しているのですが、
オイサンの中であれは、テーマなき作品に位置づけられております。

と申しますのも、ぽちぽちとあちこちで虚淵氏のインタビューなんかを拾い読む限り、
あのお話は「絶望にどう立ち向かうか?」が見たくて書かれた物であるご様子で。
その絶望が、あまりにオイサンの、そしてヒロインたちの身の丈に合っていない、
すごく極端な感情で構成されているようにお見受けします。
つまりはその絶望は「お話のために、お話によってお膳立てされた絶望」であって、
彼女ら自身と地続きではないように、思えるのです。
寧ろ彼女たちが「絶望のために生み出された人材」である。
お話を面白くするために、丁寧に組み上げられた感情、で、あるように思えて。

どこかから、ポッと湧いて出たような印象がすごくある。
どのお話もそうであるかもしれませんが、
期間が短いせいか、つくりもの・お人形さんの印象が、あまりに強い。
絶望以外に彼女たちのナマの部分を読み解くファクターが、見当たらないんですね。
厚みが感じられない。
だからその絶望とやらも、ひどく薄っぺらく、オイサンには感じられておりました。

  余談になりますが、恐らく、作り手からはその薄さは分かり辛いとも思います。
  というのは、作り手は、彼女らが生まれてからその絶望に打ち克つまでの物語を
  制作・創作という過程で体験して見て来ているので、
  そこに厚みは見えてしまうのだと思います。
  その厚みのあることを前提に、期間や予算に合わせて、面白いところだけを研ぎ澄ませた結果が
  あの『まどか★マギカ』という作品だったはず……なので、
  多分……それを汲んで、面白がらないといけなかったんだろうなあ、と思ったりもします。
  それを無意識に出来る今の受け手の皆さんはスゴいなあと、逆に思ったりも。
  ええ。
  いたします。

  どうでもいいけど今自分でタイプしてみて気がついたんですが、
  「マギカ」という言葉の感じさせる邪悪さ・不吉さは、パワーありますね。

  閑話休題。

それは一応テーマではある、とはいえ、
フィクションから出てきたものであるので、そのテーマの根っこも、
やはりフィクションの土壌に生えている。
それってもう、劇の一部と言っていいんじゃないか?
……というのが、オイサンの解釈です。

  もしかすると、当初はもっと地続きの小さな感情に端を発していたものが、
  あの期間・話数にあのスケールのお話を綴じ込めなければならなかった都合上、
  そこに込められる感情も、
  スケールアップすることを余儀なくされてしまったのかもしれません。
  いわばテーマが劇に飲み込まれてしまった状態です。

マこれはオイサンの感触・感覚に過ぎないのでアレですが。

デこの『まどか』と『エヴァ』の話が
上でした『銀英伝』の話と何の関係のある話かをご説明すると、
「あ、この『銀英伝』ってやつは、
 前半でテーマへの導入を劇的に見せ付けてやって、
 後半でテーマの深彫りを徹底的にやる気だな」
という姿から、
『まどか』『エヴァ』という時代を代表する2作品が、
それぞれかたっぽだけを終わらせていったものなのかもな、ということが透けて見え始め
(『エヴァ』に関してはずっとそう思ってきましたが、
『まどか』の煮え切らなさを謎に感じてました)、
それを、たとえ時間がかかっても良い、我々はその両方をこの手中に収めてやろうではないかキルヒアイス!!
……という、
なんかすみません、
えーと、
『銀英伝』への楽しみがすごく増しましたよ、



……。



ていう。



ごめん、それだけだったw



長いわ。



とまあここまで書いておいて、この先の展開が全然違う感じだったら赤っ恥なんですけど、
マそれはそれでね。
今後の自分のことに使い回していけばいい話ですので。


 ▼超余談

デそれを考えながら一個思い当たったのが、もう一つの「この先何やんの?」的作品……
そう、みんな大好き『アマガミSS』の第2期です。
一体何クール作るのかは存じ上げませんけども、せっかくの拾った命です。
永らえた時間をこの際、大事に、ゼイタクに、
この作品にとって大切な何かを語ることに充ててもらえればいいなあと、
そう切望する次第でございます。

……ねえ。

もう十分稼いだんだろ?
だったらさあ、Youたち、好き勝手にやっちゃいなYo。
ぶっ飛んだモンを見せておくれよ。
今更無難な、湯気と怪光線が乱れ飛ぶ程度の変態アニメなんか、
作ったってウケやしないZE?



……。



逆に『銀英伝』の後半で湯気と怪光線が大活躍だったら斜め上だなあ。
それもいいなあ。
別にゲテモノが好きってわけじゃ決してないんですがね。

  ねえ絢辻さ……ゲフン。

えー、絢辻さんが「なんであたしに振るのよ」ってカオで睨んでらっしゃるので、
本日はこの辺で。
オイサンでした。



エー、 ベツニ アヤツジサンガ ゲテモノダトカ イッテナイジャン ナニスネテンノ ?





■オマケ



 ▼日本人
 http://labaq.com/archives/51694147.html

これによって、日本人全体や自分が日本人であることを、
殊更祭り上げることも、悲観することもないと思うけども。
「捨てたもんじゃないよね」ってことでおkかと。

これに驕らず、これに恥じないように、生きてけばいんじゃね。

まだまだ豊かで、貧窮した国ではないし、
もしかしたら今イマ、実は貧窮してるのかもしれないけど、
人の心はそれに追いついていない、逼迫はしていない、
……言い方を変えるとそこまで危機感を感じられていない、ってことなんでしょうな。

なりふり構わず人から何かを奪う態度を「危機感」と呼んでいいかは別として。

どんなときでも高楊枝でいられれば。
そしてその高楊枝を意気に感じて、尊敬したり、見習ったり、力を貸せるような美徳が皆にあればいい。
……と、思いますよ。


 

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