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2016年10月の2件の投稿

2016年10月28日 (金)

■新潟は水の気配~十日町・湯沢スペシャル2016~ -更新第1092回-

10月頭の3連休、9日と10日を使って、いつもの隊長と愉快な騎士団で新潟へ行って来た。
謎の美人林と棚田を見るのがメインイベントで、
あとはいつものダラダラウキウキジャーニー(何を言っているんだ)。


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マおかしなことはまたいくつも起こったのだけど、
忘れないうちにちょっとだけ。


▼十日町・湯沢 美人林・星峠の棚田・清津峡・榛名湖 地図




■1日目

行きはほぼノー渋滞でさっくり。

関越トンネル前の谷川岳PAで水を汲む。
アラフォーのボスからのミッションだ、野郎ども気合いを入れて運べ。
エイホウエイホウ。

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オイサンも、自分用に500mlだけペットボトルに汲んで飲んだけど、美味しかったですよ。


労働の後はトンネルを抜けて塩沢石打でお昼ゴハン。
定食をおかわりする(つまり2人前食う)エースの健啖ぶりに肝をつぶし、
高速を降りて美人林方面へ。ここからはアラフォーお望みの酷道だ。


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 ▼星峠の棚田・美人林

やべえ傾斜とR、あと案内看板は出てるのになぜか間違いやすい道を抜けて、
先ずは星峠の棚田へ。


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謎の小型使徒。

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着いたー。

と思った瞬間、雨がダーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!


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本当に、クルマ停めて、写真一枚撮るのがやっとのタイミングで、
遠くの方から、何か「サーーーーーーーーーーーーー……」っていう音が近づいてくるな、
風で林の揺れる音かな、と思っていたら大粒の雨だった。
先に降りて、さっさと近場のポイントからカメラを構えたオイサンと隊長は
なんとか降雨前に撮れたけど、

一段山の上の展望台を目指したよつさんと、
ジェントル号の写真なんかを撮ってたテラジさんは撮れずw
大粒で結構な勢いだったのでそのまま車に閉じ込められてしまい、
待ってもやまなそう、と判断してそのまま引き返す。トホホ。

次のポイント、美人林。
棚田から30分ほどのポイント。雨は小やみに。
名前の通りただの林なので雨の影響はモロに受けるが、まあなんとかしのげる程度。

しかし雨に遭っても幽玄な美しさ。晴れればまた違う美しさであろう。
蛙を見つけて大はしゃぎのよつさん、
何故かテンション上がって、一人でザクザク奥地へ向かって行ってしまう隊長、
ビニール傘を使った新しい撮影法を編み出すアラフォーと、三者三様の美人林模様。
オイサンは、以前書いた『ヤマノススメ』ここなちゃんのSSで登場させた
ブナ林のイメージそのままであることに驚いていた。
こんなこともあるのだな。

水に濡れたブナの木肌は不気味につややかである。


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※※※※  ↓ ケロ画像注意 ↓  ※※※※




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かわいい。


無渋滞と雨のせいで、珍しく宿に着く時間が予定より早まりそうだということで、
湯沢の駅前、お土産物センターでお買い物。
駐車場へいかにして進入するかがサッパリわからず、いい感じに時間を浪費した。



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写真は新潟でしか使われていない古代文字(うそ)


皆、日本酒やらお菓子屋ら買い込み、今宵の酒盛りの準備に余念がない。
ハッピネスがここにある。

それでもお宿へは早めに到着。
新潟の米と豆がふんだんに実力を発揮するバイキングをたらふく食った後は、
ゲームコーナーで大賑わい。

 ▼湯沢の罠・恐怖のマシントラブル

往年の『セガラリー』2P大型対戦台を発見するも、
2P側はギアが2速・3速に入らず(致命傷)、1P側はアクセルが効かない(即死)仕様で、
アラフォー安定の大爆死。
「ここには、UFOキャッチャーと『メタスラ』、あと何らかの脱衣麻雀があるに違いない」
とか完璧に言い当てて調子に乗ってるからロケーションの神が罰をお当てになったのだ。
ロケーションの神とは鈴木裕のことではない。

よつさんは『ファイナルロマンス4』でクソ麻雀を、
隊長は『SNKvsカプコン』を(『カプコンvs~』と『SNKvs~』があったことを忘れていた)、
オイサンは『蒼穹紅蓮隊』を、それぞれタンノーした。
おっぱいおっぱい。
併設のビリヤード場で、KOOLにビリヤードを楽しんでいた母子(姉弟?)よ、
騒がしくしてすまない。

尚、となりにあった卓球場は家族連れやらに大人気で使う隙がなかった。
ムウ、この卓上のマッケンローと呼ばれた私の腕前が見せられず残念だ。


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部屋では、今回何故か話題に上がることの多かった『Reゼロ』の上映会。
レムたんがいかにエロ素晴らしいかについて、二人の先生(隊長とよつさん)のもとで深く学んだ。
皆、昼間買ってきた日本酒でへべれけだ。
お部屋はオーシャンビュー。

風呂は、露店でこそなかったものの十分広く綺麗で、大変満足なお宿でした。



■2日目

6時半に目覚める。
昨夜、「6時半に起きる」と皆で心に誓った筈なのに、テラジさんが一瞬起きたくらいで誰も起きてこぬ。
うらぎったな!

朝ジョグの準備はしてきたが、アラフォーが「寒いぞ辛いぞ」とあまりに脅すので
今回は遠慮する構えだったのだけれど、
窓から見えた山の色合いがあまりに美しかったので散歩がてらに外に出た。

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スキー場が併設された宿なので、他にはない面白い風景もチラホラ。
普通にひなびた道もいい雰囲気。


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朝ゴハンも当然バイキング。
終了間際、白ご飯のおヒツが底をつき、補充されるのをエースと二人心待ちにしていた
(ウェイターさんに聞いたら「すぐ持ってまいります」とのことだった)が、
待てど暮らせど援軍が到着しない。
これはもう諦めようか、と思ったところに二人の女神が舞い降りて、
ウェイターに「白ご飯はまだか」と食い下がる。

バイキング終了間際10分ほどで援軍到着。ほとんどロスタイム。
いやあ良かった良かった、と二人の女神がおかわりをよそう後ろに並んで待っていたのだが、
うち一人が「輝きが違うぜ……」と、ボソリ呟くのを聞いた。
女神かと思ったら、ただの食い意地がはったオッサンだった。

  いや、本当に可愛らしいお嬢さん二人だったんですよ。

宿を出、本日のメインスポット清津峡へ。
道は昨日とほとんど同じ、美人林方面。
昨日ビビったワインディングスノーシェード道を今日も行く。


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道はグイグイ山奥へ。
秘境の様な集落を抜けて、清津峡へ辿り着く。本当に辺境だな……。

 ▼清津峡

清津峡、写真で見て、もっと水辺の近いところまで降りて行けるのかと思っていたけどそうではなかった。
岩山に掘られた観光トンネルの中を、少し歩くと展望スポット、また100m歩くと展望スポット、
みたいな感じで進んでいく。
以前はトンネルはなく、登山道・遊歩道に沿って渓流の傍を歩いて観光出来たようだが、
落石死亡事故が起こってしまったらしい。
うーむ……。
山に登ってやられるのは本人の責任でどうしようもないところがあるが、
こういう場所だと……やはり問題視されるのか?
自然と親しむ場所なんだから、大して変わりない気もするが……。
南木曽の渓流も、何かあったらこんな風になっちゃうのだろうか?

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しかしそれでも圧巻の美しさだった。
特にこの2つ目の展望ポイントの岩壁は、まるで夜空に星が流れるようで。
ラストのパノラマは絶景だったし言うことナシ。

しかしそのラストポイントに常駐している説明員のオッサンは、
近場の観光ボランティアか何かの様で、説明がヘタクソwww
我々は直接の被害に遭わずに済んだが、となりで捕まって説明聞かされてるカップルは気の毒だった。
聴いてることにこたえてくれず、しゃべりたいことだけしゃべる感じw
もう少し練習してくれw


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尚このトンネルは有料で、今年完成20年だか25年だかの開通記念イベントをやっていて、
入場券に「温泉街の所定のお店で100円引き券」が付いていた。
またこの割り引き券が、「XXX円以上お買い上げで使えます!」みたいな縛りが何もないモンだから……
ホラ、よつさんたら、120円の笹団子買って出しちゃうから、20円で買えちゃったじゃん!!
だいじょうぶか……。
しかしこの、祭りと言えば赤白幕と提灯!という昭和スメルバリバリの雰囲気、とても好きでした。

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雪深い土地で、10年ほど前にも雪崩でガッツリやられたようですな。

 ▼Side By Side~丑の刻~榛名湖


ラストのスポットは、榛名湖。
艦これ榛名ちゃんが大好きな隊長の希望で、急きょ行くことになった。

  ~昨晩~

  アラフォー「明日行くとこ、ほとんど何も決まってないんだけど
        どっか行きたいトコある?」
  隊  長 「榛名山。榛名湖みたい」
  アラフォー「よっしゃ」

そんな感じ。
オイサンは榛名がどんなキャラクターか知らないけど、
マあんまりGoogle先生とかで「榛名 おっぱい」で画像検索したりしない方が良い感じの子みたいです。
おっぱいおっぱい。


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途中通過した、伊香保の温泉郷は結構な賑わいだった。
山の温泉街は、景色が立体的で、
以前行った北海道の、層雲峡とか旭岳なんかは密度が薄いからだだっ広い感しかないけど。
ここ伊香保くらい密度があると、『ドラクエ』の街みたいで面白い。

道中現れたメロディライン(曲目は「静かな湖畔」)にテラジさんが渾身の速度調整で挑み
見事に奏で切るも、「よくわかんないね」と隊長に一蹴されるアクシデントを乗り越え、
榛名湖到着。はるなるな。

榛名湖、がっつり観光地化されておりなかなかのニギワイ。
駐車スペースを確保するのも一苦労で、
ジェントル号には申し訳ないがずぶずぶな泥砂利の上に停めさせてもらう。

馬車が走っていたりゴーカート場があったり、
間近にそびえる榛名富士へはロープウェーイでウェーイ出来たりとイタレリツクセリ。
たまにはこういうのも悪くないな。


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無論、こういう顔出しパネルも抜け目なく完備されておる。
これを見ると必ずやらなければならないのが騎士団のルールでありたしなみである。
山の上なので、木々はうっすら秋の装い。

ゴーカートやろうぜ! と今回やたらアクティビティに積極的なよつさん
(重たいオシゴトから解放されてテンションマックスっていうか、通常営業だとこうなのでしょう)に促されるも、
ゴーカート大人気過ぎて断念。
特に何をするでもなく、顔出しパネルで写真だけ撮って帰る私たち。
隊長もご満悦なご様子だし、ミッション成功である。


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ところでこの榛名山は、超有名世界最速豆腐屋ドリフトマンガの聖地であるらしく、
白黒パンダカラーのハチロク(ハチロクにも色々あるらしいのだがオイサンはよく知らん)が、
なんやかんやとぞろぞろゾロゾロ、来るわ来るわでハチロクの大名行列。
皆さん、お名前の頭文字はDなんだろうか。


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これが、恐らく日本で一番有名な「溝」。


まあハチロクに限らず、峠の走り屋さんたちの憧れの土地でもあるご様子で、
往年のタイトーのレースゲーム『サイドバイサイド』にもコースとして収録されており、
隊長はそれで走ったこともおありだったようですな。


 ▼サイドバイサイド2 弩級(榛名山モデルのコースらしい)
 


さすがのテラジさんはその辺にお詳しく、
ジェントル号のステアリングを握りながら
「ここからスタートで」「ここでゴールです」とコース案内をしてくださる。
ここでもプチ聖地巡礼だw
実際走ったら何分くらいだったか、15分とか20分とかかかる道のりを、
ゲームでは3分4分で駆け降りるんだそうで「気が狂ってるw」と嬉しそうなお二人でした。

『アウトモデリスタ』にも収録されていた気がしたが間違いだった。

デそんな峠MAXな場所なので、色んな形、色んな色のお車が次から次へとやってくる。
これは、見ていて大変楽しかった。
昨今、街を走っているお車はファミリー向けワンボックスがほとんどで、
昔みたいに一風変わった車やスタイリッシュなお車が、入り乱れているところを見ることは、
少なくとも都会では、割合が減った。
たっかい外車とか、そんなんがチラホラいるくらいなモンでね。

そういう失われた昭和の風景みたいなものが垣間見られて、オッチャンちょっと楽しかったよ。

 ▼遅めのお昼ゴハン・食の駅

お昼は、来るときに通った伊香保にあった「食の駅」なる道の駅的なスポットにて。
カレーうどんが有名なお店があるっぽい。下調べナシでズバッと入る。
お土産屋さんも一緒になっているのね。
きざみしょうがが売られていたので買ってしまった。おいしいんですよ。

遅い時間だったせいかカレーうどん屋さんにもすんなり入れましたが、
どうもワリカシ人気のお店っぽい。
ゴハンは売り切れでした……よつさんと二人がっかりする。アラフォーもがっかりしていたかも。

「ガラマーチャカレーうどん」なんていう聞いたことのないのがあったので
オイサンはそれを頼んでみたのだけども。
……か、辛かった……。


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オッサン4人、いちゃいちゃしながらそれぞれのカレーうどんをちょっとずつ交換して
キャッキャデュフフしながら食べてたんだけど……
オイサンのを口にした3人からは
「辛い!」「あー辛い!辛い!」「辛いっすねえ!!」
としか感想が出てこなくてなんだか損した気分だ……。
イヤ美味しかったんだけどね。美味しかったよ、掛け値なしに。



■Closing



以上で、今回の旅の、イベントらしいイベントはおしまい。
実はこのあと、結構な渋滞にハマるという、ある意味で我々にとってのクライマックス、
欠かすべからざる一大イベントに突入するわけですが、
第三者にとっては面白くもなんともない部分なので涙を呑んで割愛します。
当人にしてみたってオモロイこといっこもないわアホ。
いや、あとになってみればあれはあれで面白いものですけれどもねw
旅の大事なスパイスですよ、ええ。

オイサンなんかは渋滞にとっつかまっても、
それがいつの旅のことで、どこでどのように捕まったかなんてほとんど覚えてないのだけど、
ハンドルを握る当のテラジさんやよつさんなんかは毎度克明に覚えておられ、
感心してしまいます。
「いついつの旅行でドコソコに行った時の帰りに、この辺りで渋滞につかまって何時間待った」
とか、クルマを運転される人はすごいな。

普段あまり飲みなれない隊長が、昨夜お酒を飲んだせいで、
ちょっと具合悪そうにしてたのが気の毒でした……。
途中から水をガッツリ飲んで復活してたけど、
そしたらそしたで、トイレが近くなってキツそうだった。
渋滞中にトイレが近くなっちゃイカンということで、水を飲むのを抑えてたのだそうな。
その辺気が回るところが偉いな。

まあまあ、そんなことで。
よつさんと隊長が眠りに落ちてしまった車内で、アラフォーと二人
「がんばルビィ!」がなんとなくツボにはまってきてしまい、
「ハイがーんばーるビィ!」と声を揃えて鼓舞し合うことで乗り切った渋滞。

ラスト、石川のPAに寄ったとき、『ラブライブサンシャイン』のガチャガチャがあったので、
ロクに見てもないのにとりあえず回してみたのも良い思い出よ(そうか?)

久々にガッツリ降られた旅だったけど、
マ、そういう旅もあらあな。


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花咲く旅に。

オイサンでした。



 

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2016年10月22日 (土)

■亀の名は。~映画『レッドタートル』感想 -更新第1091回-

ドトールのプリペイドポイントカードに5000円チャージした途端、
「どうやら俺は、最近だとサンマルクのコーヒーの方が味的に好みらしい」
ということに気付くクラスタ。

どもです、相模原に吹く一陣の秋風、オイサンです。
いつの間にやら金木犀の香りも失せて、涼しい通り越して寒さの域に入りつつありますな。

サテ、秋といえば芸術の秋。
継続高校のアキちゃんも捨てがたいですが。
オイサンは継続ではミッコが一押しですね。
お腹を空かせた彼女の、あの素晴らしい歯並びでかみつかれたいですね。ガブっと。
こう、二の腕のあたりをガブっとやられたい。
歯形にしっかり血が滲んでいてててててtちがう、そんな話じゃない。

その芸術の秋に、いま日本映画界を騒がせている最もホットな話題のアニメ超大作、といえば……?
そうだね、ジブリの最新作『レッドタートル』だね。
やっぱりアナタ、日本人はジブリですよ。


▼予告編



というわけで、見てまいりました『レッドタートル』。
巷で本当に話題の『君の名は』と『聲の形』はひとまず置いといて。



■『レッドタートル ある島の物語』

『レッドタートル』、ジブリ作品だというのに何やら客入りも散々なご様子で、
オイサンの見た劇場の回でも、鑑賞者はオイサン含めて7人と、
非常に落ち着いた鑑賞をするのに足る素晴らしい環境でした。
重畳重畳。

  大体朝の8時45分からの回しか設定されておらず、
  その回が終わったら次からそのスクリーンではなんか違うのが上映される、
  というローテーション組まれてる時点でかなりの冷遇というか、消化試合というか。
  こういう配給というのは、アレですかね、
  「何月何日から何月何日まで上映しなければならない」みたいな契約なんですかね。
  その「上映はした」っていう証拠づくりみたいなシフトなのかなと思いましたが。
  日数と上映回数の契約なのかなー。
  分かんねえけど。

マ話題の『レッドタートル』そんな状況でして、
ネタバレしたところで怒り出す人も誰もいなさそうなので(鈴木敏夫も多分怒らないだろう)、
ネタバレありでがっつり書いていこうと思います。

どうせ見に行かないだろ? お前ら。
コレ見に行くくらいったら、もう一回『君の名は。』か『シン・ゴジラ』か『聲の形』見に行くよな。



■あらすじ

まずはあらすじのご紹介。ていうか、100%ネタバレなのでしっかり読んでください。


 ▼第1部 流れつくオッサン


名もなき壮年の、棒人間みたいな顔のオッサンが、嵐の海を突然漂流しているところから始まる。
オッサン、気が付くと島に流れ着いていた。あっちゃこっちゃ走り回って探索してみるが、
無人島っぽい。そんなに大きくもないご様子だが、
具体的な島と人とのスケール比は示されないので分からない。
しかしオッサンはこのあと死ぬまでこの島で暮らすことになるので、
恐らく末期を迎えるまでには、島のあらゆる場所を制覇していたことではあろうと思われる。

  イキナリネタバレ。
  そう、このオッサンは、島から抜け出せることなく、一生を終えてこの映画は幕を閉じます。

オッサン、島からの脱出を企てる。
島の藪から木材(竹のように見える)を探してきてイカダを組み立て海へ出ようと試みるも、
島からある程度漕ぎ出した辺りで何者に水面下から突き上げられて、イカダは分解、轟沈。
同じ理由で、2度にわたって失敗。
尚、オッサンは最後まで島に家を建てたりはしません。
食べ物は木の実とか、魚とか貝とかを食ってるらしい。
火を使うシーンも、ラスト近くにちょっとあるだけ。


 ▼第2部 オッサン亀にキレ、ついカッとなって亀と子供を作る。


3度目の脱出トライで、イカダ轟沈の原因を作っていたらしい赤い亀とようやくご対面。
こいつが体当たりしてきてやがったのか! みたいな感じ。
この赤い亀が何故そのような行動に出たのかは不明。

イカダ3号も破壊され、再び島に戻されたオッサン、
亀が陸に、恐らくは産卵のために上がってくるのを見つけると、
脱出を邪魔されたことに逆上し、棒を持って襲い掛かる。
亀を散々打ち据えた後、ひっくり返して放置。亀、乾いてあえなく死亡(したと思われる)。

   あ、ここで大事なことをヒトツ。
   この映画、セリフは一切ありません。
   ナレーションなどもなく、言葉は一切ありません。
   日本語、外国語含めた人語、その他動物の言葉なんかも一切。
   画と音楽、あとはうめき声とか叫び声だけです。

オッサン、亀を死なせるまでしてしまったことを大いに悔いるが、時すでに遅し。
……かと思いきや、裏返った亀の甲羅の腹側に亀裂が走り、
気が付いてみると亀の中の人(=亀)が赤いウェーブヘアの美しい女性になっている。
亀は死んだっぽかったのに、女性にはまだ息があった。
亀への贖罪か、あるいは、女性に普通に惹かれたのか、
……まあ普通に考えれば、孤独から解放されることへの希望なのだろうけど……
オッサンは、目を覚まさない亀女の介助に奔走。
水を運んだり、日照りを避けるための庇を作ったりする
(しかしそこまでするのに、最後まで自分の家のようなものは作らない。なぜなんだ)。

やがて目を覚ました亀女とオッサンは和解する。
亀女は、自らの割れた甲羅を海へと押し出し、流してしまう。
それを見たオッサン、作りかけだったオッサンイカダ4号を……ためらいながらも、海へ押し出し、
流してしまう。
海と陸の間でお互い差し向かいに座し、亀女が貝の身を差し出す。
明確な殺意のもとに彼女に暴行を働いた負い目を感じつつそれを受け取って口にし、
その思いが霧散するのを感じるオッサン。
二人、島で共に暮らし、愛し合うようになる。



 ▼第3部 終章~津波と旅立ちと、オッサン人生の終わり



時が流れ、オッサンと亀女の間には子が生まれていた。
ここからしばらくは、3人の幸せな暮らしのパート。
息子は、海の亀と通じ合えるらしい。亀女との子供だからなのか。
島にガラスの瓶が流れつく。
中に何かが入っているわけでもない、フタのついたただの瓶。息子のお気に入りになる。

ある日突然、島を襲う大津波。島、大打撃。
津波が去って、気が付いた息子が島中走り回ってみたところ、
お母ン(=亀女)は見つかったが親父(=オッサン)が見当たらない。
息子、親父は沖に流されたに違いないと踏んで、亀に乗って沖へ。オッサン見つかる。
三人とも無事。ヨカッタヨカッタ。

息子、津波が何かの契機になったのか……島を出たいと思うようになる。
月の夜、一人浜辺を歩く息子の姿を見て、その思いに気付く親父。
息子は結局、亀に乗って島を出ていく。見送るオッサンと亀女。
二人ともボチボチいい歳になっている。髪はもう真っ白だ。

息子が出て行ってどのくらい時が経ったのか……浜辺に横たわり眠るオッサン。
亀女が気付くと、老いて衰え、息絶えていた。
嘆き悲しむ亀女。
亀女、亀の姿に戻り、海へ帰っていく。

fin.



■ざっくり感想

……あらすじは以上。
あらすじっていうかストーリー全容だが。
いかがです。
これをやるのに80分。『キルラキル』だったらアバンで終わる内容です。
この間、言葉は全くなし。

▼『キルラキル』16話 総集編

総集編もアバンで終わる! ……なんて痺れるセリフなんだ……。

ディスっているワケではなく、この容量バランス、じっくり感、情報密度は、
オイサンには非常に丁度良かった。

見ながらでも十分に、画面に表現されるあらゆる事象が何を象徴し、
何を訴えるための材料であるのかを追いついて理解することの出来る分量と速度でありました。
これは恐らく、意図してコントロールされた結果の産物でありましょう。

  上でお話ししたあらすじの、場面も心情も、言葉では一切説明されないものですからね。
  パンフも読んでないし、事前には全く情報を仕入れていない。
  それでも伝わるし理解できるものです。
  これだけでも、この映画の完成度がご理解いただけると思う。

お話の構成も、起承転結、というか……起転結、
序破急でいうと、序急。
振り返ってみると、ものすごく基本に忠実でハッキリしている。
超オーソドックス。

テーマの方も、あらすじをご覧頂いてわかる通り、超プリミティブ。
超普遍的なもの。
人の営みの根源的な部分を、怒りと喜びと悲しみを添えて描き出す。
しかも、上でも書いた通り言葉は一切ナシ。
言語的な意味のある音声はまったくなしなので、
人物の代わりに動物を置いてもある意味成立する
(ただし、人間に感情表現が伝わるように、発し手を人間の形にしてあるので、
動物に置き換える意味もあまりないと思われる)。

だからもう、世界中どこへ持っていっても、多分通じると思われる。
超カルチャーフリー。超グローバル。グローバル艦長。


デ、まず自分のシンプルな感想をひとことで述べると、物足りなかった。


この映画が、「娯楽・エンタテインメント」部門と「アート・芸術」部門、
そのどちらに分類されるかと言われたら、……映画に2種類しかないワケではないけれども、
間違いなく後者の「アート・芸術」部門になると思う。

  この2つのジャンルの境目がどこにあるかの基準をざっくり示すならば、
  「アート・芸術」は、作り手の表現・手段・目的(=意識・主張)が主体であって、
  その主体の能力の範疇で発信され、その範疇から外れる範囲への伝達は考慮されない。
  「娯楽・エンタテインメント」では、作り手が受け手に対して、
  分かり易く噛み砕いた刺激を提供し、受け手の感覚に重きを置いて作られる。
  作り手の意識・主張の枠組みを多少動かしてでも、範囲を少しでも広げようとする傾向にある。

  ……と、オイサンは考える。
  あくまで簡単にで、程度の問題ではあるけれども。
  しかし昨今、個人発信の枠組みが出来上がってきてしまって、
  この線引きもえらく曖昧になりつつあるように思うけれども。

デ、オイサンの感じた物足りなさは、当然、
その「アート作品」としての要素に対する物足りなさであって、
娯楽的な、刺激の強さであるとか、分かり易さ・コストパフォーマンスなどの要素に対するものではない。
この作品の土俵である(とオイサンは思う)アート領域において、
作品がより大きく持つべき、アート的エネルギーへの不足を感じた。

とはいえ……当然、世界レベルのアーティストの手がける物です、
オイサンごときがケチを付けられる物ではなく、
ある一面においてはそれはもう素晴らしい……非の打ちどころのないパフォーマンスを発揮してもいる。
その要素については感動的であったので、そこはそこで、後段でしっかりと褒め称えて行こうと思う。

ともあれ、この時間、セリフナシというスタイル、基本に忠実な構成で
隙無く組み上げられたこの映画、
ジンワリと、しっとりと、浸潤とも呼ぶべき強さと速度と完成度を備えた映画でした。
……けれどもそこをみとめて尚、物足りなかった。



■「超普遍的な命題、時代をあっさり超越し過ぎてしまう」問題

この映画、
「どこから来たのか、どこへ行くのか、いのちは」
というキャッチが示す通り、そしてまた上で書いたあらすじを読んでいただければわかる通り、
描くテーマはものすごく普遍的なものです。
普遍的。言い方を変えれば、超普通。
「文明から離れ余計な部分をこそぎ落としても、
 人間の営みは、どこまでいってもこの慎ましやかな当たり前の範疇に落ち着く」
という。

  ところで本筋とはズレるが、このテのテーマって、
  一通り贅沢文明生活も極まって、やれる贅沢を済ませた文明人にしか言えないことだと思うよね。
  そりゃ、まだそこまで贅沢な暮らしに触れたことのない人たちは、
  やってみてから「ああこれで十分だったんだ」って思いたいよ。
  閑話休題。

デ、問題は、この「普遍的な」テーマ……言ってしまえば「手垢のついてしまった」テーマを、
いま新たに持ち出して「アニメに」定着させ、世に訴えたのには、どんな目的があったのか?
という疑問がちょっとある。

  ……マそもそも、アジアの凡庸なオタクのオッサンの受け取り方や読み解きが合っているのか、
  十分なのか、という問題もありますけれども、
  そこはヒトツ「概ね十分である」という前提に立つとしてですね。

今の最新のアニメーション技術を用いてこのテーマを描くことで、何か新しい価値が生まれるのか
(最新のアニメ技術が用いられているのか? というところも置いとく。手書きなのかしら?)、
いまこの時代に、再びこのテーマを彼の手で提示することに、
彼は何か、新しい意味をこのテーマの中に埋め込んだのか……という、
どの辺にこう、時代を映す鏡としての成分があったのかというと……
オイサンにはちょっと見いだせなかった。

「描き方は素晴らしいけど、なんか普通だね」という感想で、
それは即ち手法・伝え方を褒めているのであって、
メッセージや物語、テーマに対してこの作品が見出す回答を褒めているわけではない。
それは……なんというか、人間の在りようを、新しく一歩前へ進める力を持ったものでは、
いまのところない、と思うのです。

  ただし、あとで述べるけれども、その手法・伝え方は本当に素晴らしい。
  結果的にオイサンは読み取ることが出来、伝わった(と自分では思っているけれども)、
  「なぜあの描き方と情報量で、自分が理解することが出来たのか」
  はよくわからない。そこに素晴らしさがある。

新しい、というか、鮮やかな手法を以て表現を続けることで、
この先人間同士が新しく分かり合えたり、人間ではないものとの通じ合いが可能になったり、
ということは起こっていくかも知れないけれども、
少なくともいま時点、新しい力として、この作品は、
人々の何かに寄与するものではないなあと、僭越ながら感じてしまった。

そういう
「時代に向けた回答を示し、人類の感覚や疑問を一歩前に進ませる、あるいは広げる」
ことは、アートの分野の大切なオシゴトの一つだと思うのですね。

  それは別に表現者が「その様にしよう」と思ってやることではなくて、
  発見した疑問に対して先進的な感覚と個人的な思いでたたきつけたものが、
  結果として世間に受け入れられるものになっていく、
  後から振り返ってみれば、あのおかしな怪しい人が言っていたことは、あの時は意味が分からなかったけれど
  そういうことだったのか! と理解されていく、
  というだけのことだけれども。

  ……なんかまた、「アート」とか言い出すと言葉尻で非常にうさんくさいし
  毛嫌いする人も出てきそうだけども、これまたプリミティブな意味で捉えて頂きたいのだが。

「2=?」というテーマに対して、
すごく綺麗に「1+1」という回答を出してもそれは自明の既定で、
「なんかワケわかんないけど、『1+3でも2になるぜ』っていうのが出来た!」
ということを起こせて、人々の共感を得られるのがアートの分野のすごみだと思うわけで。

上映が始まってすぐ、地味すぎるオッサンのビジュアルと、やたらに描きこまれた動きと自然、
そしてどうやらセリフはないらしいと分かったとき、
「うわあ、こういう類の映画か、大丈夫かな? ジブン最後までもつかな?」
と感じ、見進めたところ
「これはなかなか行けそうだ」
と思うも、終わってみて物足りなかったのは、やはりそこのところの不足だろう。

普遍的な問いを提示して、過去それに触れた先人たちの答えと
(もしくは素人が一生かけて辿り着く答えと)、あまろ変わり映えのしない答えを見せられて、
「ああ、普通だった」
と思ってしまった。

テーマの問いかけそのものも、本作が示している答えも
(作者はこれが最終回答ではない、と言うかもしれないが、少なくとも本作で示されている範囲の回答は)、
目の覚めるようなものではない。
このテーマに新たに触れる若いお客さんには良いかもで、
これに感動してフォロワーになるもよし、
「しみったれたこと言ってんじゃねえぜ、人間ってのはこうじゃねえんだよ!」
とかみついて新たな表現で答えを出すもよし、なのだが……
五十、六十歳の監督が、改めて「主張」として撮るものだろうか?

テーマに対する時代の後押しを受けた回答を出す、という困難なオシゴトに、
「1の成果を!」とは言わないけれども、0.1とか、0.01とか、そのくらいは欲しかった……
が、
うーむ、そもそもが、
「高畑勲を敬愛する外国人の作風に、鈴木敏夫が惚れて、
 『自分の見たいものを作って欲しい』とお願いすることで始まった作品」
らしいので……時代の新風を、というのは、端から考えられていない注文だったのかもしれない。

  確かに、隣のスクリーンで『君の名は。』を見て、
  「ぶっちゴリゴリ感動したけんね! これが本当のヤック・デカルチャー!」
  って言ってる方々がこれを見たとしても、なかなか……難しいと思う。
  イヤ、別に『マクロスΔ』をdisるワケでもないですけれども(とばっちり)。

テーマのまとまり方はすごいんですよ。
争うこと、憎むこと、顧みること、怒り、喜び、悲しみ、
突然降りかかる理不尽なできごと、そこから立ち直ること、新たに歩き出すこと、
この短時間によくぞここまで、無理なく並べ上げたと、感心する。
そういうことをまとめ直すことが目的だったなら、それはとても成功していると思う。



■周到であるのかどうかさえ勘付かせない、あまりにさりげないしつらえ

しかし上でも少し書いた通り、表現の仕方は本当に素晴らしいと思う。
「明らかに伝わったが、なぜ、いつ、どうやって伝えられたのかはわからない」
というのはショッキングだった。
言葉の存在を完全に消したからこそ出来たことではあるのだろう。
「ここだけは、なんとか言葉で」という予防線があったら、
ここまでの完成度にはならなかったのではないか。

その手段の選択からして、素晴らしい判断だったと称賛の拍手を贈りたい……
というか、こうべを垂れて謝ったり感謝したりしたい。

オイサンはこのアニメの制作・作画手法などについてよくわからないから
そこが大変に片手落ちなのだけれども、
もし、この作品に時代を代表する最新の手法・技法が用いられていて、
そのことによって今回の伝達が可能になっているのであれば、
上で書いた「なぜ、いま、このテーマなのか」の疑問は氷解する。
それは「今でなければ、アニメーションでここまでの精度の伝達が出来なかったから」だということになるので。

ただ、スミマセン、その辺ちょっとわかんないのでパス。
映像は、人も、自然も、大変細やかに高い密度で描かれて情感・質感たっぷりだったんだけど、
その辺に疎いオイサンは「ああ、すごいな」で終わってしまった。
けど冒頭の嵐の海のシーンについては、
「あんな嵐の海に、海上で出くわしたことがあるハズもないのに、
 どうしてああも本物らしく、実感をもって描けるのか」
ということは、大変不思議で驚いた。すげえよなあ。

しかしまあとにかく、言葉もなく、表情も最低限しかない棒人間アニメなのに、
動きと、筋とですべての情感を表現してしまうクオリティには驚きを禁じ得ない。
特に印象的だったのは、
オッサンと亀女の和解するシーンと、
二人の息子が島を出たいと考えて、それを決意するシーン。


 ▼和解のシーン


ついさっきまで(亀だった)自分に殺意を向けるほどだったオッサンに亀女は警戒
(警戒というよりも恐れ・おびえであり、戸惑いのようなもの)し、
オッサンは、甲羅を失った女に、遠くから自分の服を差し出す。

それを身に着け、自分の抜け殻(甲羅)を海に返す亀女。
その亀女を見て、さんざん迷った挙げ句、自分も作りかけだったイカダ4号を海に流すオッサン。
この時点で二人は、それぞれ島を出ること・海に帰ることを捨て、島でともにある意志を示した。
そして、海と陸の中間点(この位置取りも大事だと思う)で、
亀女が差し出す貝の身を、自分が亀女にした行いに後ろめたさを覚えながらも受け取って食べるオッサン。
亀女は、言葉を持たない亀であったがゆえに、オッサンの後悔と傷ついた心を感じ取ったのだろう。

  ただ、そもそも亀がなぜオッサンを島から出すまいとイカダを破壊する行いに出たのかは
  分からない。
  実際にそういう習性を持っているのか、これも何かの表現なのか……。
  ちょっとひねくれたことを考えると、
  この亀も、嘗て島に流れついて孤独のうちに死んだ女の別の姿で、
  自らの孤独を癒すために男を引き留めたのではないか……とか。
  けど、そういうファンタジックに綺麗過ぎる要素は、似つかわしくないように思う。

言葉があったらああいう風に上手くはまとめられなかっただろう。
というか、現時点でも実は「上手くまとまってはいない」のではないか、
完全に説明することが、作家の中でも出来てはいないのではないだろうか、と邪推するところはある。
言葉を消してあるからその辺明確にしなくて済んでいるのであって、突っ込んで説明しろと言われたら、
理論で納得し切れていない、それこそ「言葉で説明しきれない」部分がポロポロ顔を覗かせるのではなかろうか。
それがダメだというのではなく、
「言葉を消すことで、言葉に定着させると本当の姿からかけ離れてしまう事象を正確に表現する」表現だと言える。
「なんとなくこういう気分の時はある」という程度に、納得されているものだと感じた。


 ▼息子が島を出ることを思う場面


息子のシーンは輪をかけて素晴らしかった……ため息が出る。

このシーンには、本当になにもないのだ。
息子がただ、夜の浜辺を、海と陸のちょうど境目の汀に沿ってとぼとぼと歩き、
少し離れた、草を敷いただけの粗末なしとねで、息子の気配に目を覚ましたオッサンが、
ハッとした顔でその影を見送る、ただそれだけのシーン。

他に、それらしいヒントはない、
けれどもそれで息子が島から出ることを思っている、ということが不思議と伝わった、
その事実にオイサンはもう、震えるくらい驚いた。

これ以前の場面として、
二人の間に息子が生まれて間もない頃、島に一本の瓶が流れ着くくだりがある。
コルクの蓋のついた、淡いエメラルド色のガラスが厚い瓶で、
一家はそれを、水を汲んだりするのに役立てる。

  そこに小さな予感は埋め込まれている。
  島の外からの文化の漂着は、島しか知らない息子に、
  外の世界があるのだと知らせるほんの小さなほころびなのだが……。

その瓶は津波によって一度失われ、
あるとき息子が、池の底に沈んでいるのを見つけて瓶は一家のもとに返る。
そして、夜の波打ち際の場面。

瓶の漂着には間違いなくこの役割が与えられているのだろうけれど、
正直、津波についてはなぜこの要素が必要なのか、よくわからなかった。
今も正しいのかわからない。
なぜ津波を起こす必要があったのか……
あとから制作陣のインタビューなどを読んだところだと、
自然の脅威と人間の関係のようなものを描くためだ
(そして当然のように3.11との葛藤もあった)と語られていたからそうなのだろうけど、
それと瓶の一次的な喪失、息子の心の契機の関連については語られておらず
本当に結びついているかはわからない、
しかしこうして整理するとそこにしか解はなくて、
あまりに緩やかなつながりによってこの確固たる感情を呼び起こす鮮やかさに、
やはりこうべを垂れるしかないオイサンなのです。

  ……まあ、「亀が急に人間の女になる」のも、サッパリ意味としてはわからないのだけど。
  その辺は寓話っぽさなんでしょうね。



■Closing

とまあ、そんなことで。
これにカタルシスを覚えることは難しい、と思う。
カタルシスがないわけではない。
ただ、この映画が示す「回答」を受けて、堰を切ったような感動を体に迸らせるには、
この問題について、いま深く迷い考えている必要があるわけで……
いまの日本に、それをしている人がどれだけいるか、ということが問題になる、と思う。
多くの人が、意識的にも無意識手にも「分かってるんだよ、だけどさあ」という、
ある意味で通過した問題である、というのが、オイサンの感触だ。

上で書いたように、様々な表現や象徴、言葉に一切頼らずに、しかし鮮やかに必要なことを語り切る姿は本当に美しい。
その表現のやり方に迷ったり、思い悩む人間にとっては、この映画はカタルシスの宝庫だと思うが、
フツーに映画として(娯楽・芸術いずれにしても)楽しむ分には、なかなか……
大きな感動を得るのはキビシイんじゃないだろうか、と思った。
「ああ、またこういう話か」「フム、やはりそうなるよね」という感じだ。
「デその『普遍的な真理』について、何が変わったんだ。何か新しい発見や変化や、意見の提示があるのかい?」
と思ってしまう。
変わらないだろう。だって『普遍的な真理』なんだから。
けれども、時代はいま大きな変化・動きを、再び迎えつつある、とオイサンは最近感じている。
宇宙への進出だとか、人工的な人格(AI)の誕生だとか、遺伝子の開発だとか、現実への認識の変革(VR・AR)だとか……
尊厳死だとか、人同士のコミュニケーションの姿だとか、家族の形の変化だとか。
その中で、「いのちのありよう、始まり方と終わり方、その中での様々な『人間らしさ』の抽出の仕方」だって、
変わってきていいと思うのだが……今回のこの映画では、それは取り扱われず、
旧態依然としたものを、表面を美しくして見せただけだったな、と思った。
時代的な要素が敷衍されることでその普遍性に生じた揺らぎを新たに取り扱うのであれば……
意味は、あるのだと思ったけれども。

すばらしいアニメーションではあったけど、
すばらしい物語作品だったかと言われると、ウーム?となった。
地味だから。
オイサンに「地味だ」って言われるのだから、相当地味なのだと思うケド。

  画的な技術や表現の部分ではワカラヌのでコメントを差し控えさせていただきます。

随分長くなってしまった。
でもさ、こんだけ長く感想を書かせるアニメなんだから、
オイサンの評価が、本当にただ「物足らなかった」だけなのかどうかってことは、
お読みの皆さんには伝わったと思うです。


マそんな感じでヒトツ。
オイサンでした。
 
 
 

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