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2016年11月の4件の投稿

2016年11月27日 (日)

■マンガを持て、そして山へ行こう。~3度目の飯能へ疲れに行こう~ -更新第1096回-

皆さんおはようございます。
あなたの夢のとびら、オイサンです(てきとう。

飯能に来てしまいました(書きながら今いる)。

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特に大きな理由や目的はありません。
出掛ける前々日の晩は「また小諸に行くか」と思っていたのに、
その翌日、つまり金曜の朝には「うむ、飯能にしよう」になっていた。
特段、『ヤマノススメ』でどうこうしようとかいうつもりがあるワケでもなく
ただブラブラと。

  ちなみに、最初に飯能にお邪魔したのも11月の最後の土曜日だったご様子。
  全く同じタイミングでびっくりした。
  時期的になにか感ずるところがあるんだろうか、飯能に。
  初冬になると飯能物質ハンノミンでも出すとか?

   ▼ここがあたしのB.C(ベースキャンプ)~オッサン、飯能へ行く
    (前篇)  /  (後篇) 

  尚、2度目の訪問はトシが明けて2月の頃だったように思う。

   ▼星空のメッセージ~笑顔をさがして。
    http://ikas2nd-special.cocolog-nifty.com/ybsk/2015/03/-973--9be3.html


ブラブラのルートが、上記の1度目・2度目のコース……、

 ・飯能駅南東側の、入間川沿いにあけぼの子どもの森公園まで歩くパート
 ・飯能駅西側の、吾妻峡+多峯主(とうのす)山+天覧山


……を合体させたものを1日で回るものだったので、
結果、ワリとスパルタンなことに。またか。

  04時半頃 起床
  05時半頃 出発
  07時過ぎ 飯能に到着
  08時半頃 朝ゴハン+宿に荷物を置いて出発
   :
   :
  16時半頃 全行程終了、帰宿

という、ほぼ歩き通しの8時間。レンジャー部隊の訓練か。
当然昼に休憩ははさみ、常時フルスピードというワケでもない。
それでも歩いてる最中は元気だったが、宿に帰った途端ガクガクになった。
やべえ。
しかし飯能、チョイ町+田舎の、相変わらずバランスのあまりよくない具合の中、
自然の風景は綺麗だったのでその辺中心に書き留めておこうと思う。
……飯能なー。
なんていうか、「埼玉」という都下ブランドが、
ひとえに実に悪い方向に作用しているように見えるな。
「都会なんでしょ?」みたいなさ。全然便利良くないんだけどね。

そのせいで、ひと気を嫌う田舎好きする人も来ないし、町を好む人も来ない、
みたいな扱いになっている気がする。







 ▼東飯能・立ち食いそば『奥武蔵』

7時過ぎ、東飯能の駅に降りる。
朝ゴハンを軽くしか食べてないのでどうしようか迷ってたところ、
駅目の前の「奥武蔵」という立ち食いそば屋が開いていた。
鬼のように渋い店構えにも引かれて入ってみた。朝定食、530円。
「シャケとアジがあるよ」とのことだったのでアジをチョイス。
立ち食いなのに全席イスあり。ステーキ屋でさえ椅子をおかない近年にあってはかなりロックだ。
飯能駅まで歩く。

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 ▼飯能駅・観光案内『ぷらっと飯能』

宿に荷物を預けるついでに、駅の観光案内所に立ち寄る。
以前来た時よりも、聖地化に力を注いでいるご様子。感心だが、現金なことだ。
フツーに周辺地図だけもらって立ち去るつもりだったが、
欲が出て「写真撮らせてもらっていいか」と尋ねたところ一発で
「『ヤマノススメ』ファンの方ですか?」と見抜かれる。
ファンって言わないで!! なんか恥ずかしいから!!
もっと
「……ああ……はい、ご自由に(うわっオタクだ気持ち悪っ。あんまり話さんとこ)」
って接して!!

  ▼ぷらっと飯能
   http://hanno-tourism.com/about/annaijyo/01annaijyo_plat.html

尚、前回来たときは品薄で貰えなかった『ヤマノススメ』版観光案内も
今現在は潤沢に増産しているようで、何も言わなくてもスッと貰えてしまいました。
「ここなの飯能大冒険」版も一緒に。
ムウ、訓練されておる。
ダメですよ、あんまりオタクを甘やかしちゃあ。連中、すぐに図に乗るんだから。
人に褒められたり親切にされることに慣れてないんだから。

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 ▼あけぼの子どもの森公園に向かう

と、せっかく「ここなの飯能大冒険」版案内図をもらえたので、
なるたけエンジェルここなの足跡を忠実にたどりつつ、あけぼの子どもの森公園へ向かってみる。
前来たときは本当にてきとうだったからな。
写真は、川べりに広がる矢颪(やおろし)凝灰岩層の地形。
白くズルズルした泥の様な土が靴にまとわりついて、滑るし歩きづらい。
ここなちゃんもここで白濁まみれになったのかと思うとフキフキしてあげたくなります。 ← 図に乗ったオタク

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 ▼あけぼの子どもの森公園 新企画、頓挫

駅からあけぼの子どもの森公園までは6㎞弱。1時間ほどで到着。
前回既に来たところだから特段の驚きはない。
メインのキノコの家が、今内部改装中で入れなかった。
1月まで?のヨテイっぽい。
行くつもりの人はご注意。

  ▼あけぼの子どもの森公園内の建物「きのこの家」空調設備改修工事のお知らせ
  [ 飯能市 ]


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しかしまあ、もとからこんな素っ頓狂な見た目の家をさらに改装だなんて、
依頼された匠も頭が痛いでしょうな。
「これ以上、どう劇的アフターにすれば……!!」なんつって(そういう趣旨の改装ではない)
いっその事、全然普通の和風建築にするとか、
建売2×4の、安っぽいプラモみたいな家を建てて見に訪れた人を驚かせるとか
すれば良いのではないだろうか。かなりシュールな絵面だが。
オイサンは娘ちゃんに立ってもらって撮影。
青い水遊び小屋? には前回入れなかったので入ってみたら、なかなか面白い写真が撮れた。
雪がちらほら残っている。

しかし場所の雰囲気がら、ここなちゃんよりも、継続高校のお三方が現れそうな雰囲気である。
写真は道中見かけた、
地面に埋もれて敵チームを待ち伏せするカール自走砲のようなもの(うそを書くな)。

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デ、今回こちらを訪れた主な目的は……ここから阿須山に登るハイキングコースなのだけど……
落石があったとかで通行止めになっていた。
ぬおー。

  ▼あけぼの子どもの森公園内から桜山展望台へ向かう園路の一部通行止めについて
  [ 飯能市 ]  

今回唯一の新企画がさっそくポシャってしまい、こんどこそ新鮮味の全くない
飯能おさんぽ会になってしまった。マいいけど。
新しいことが何もない方が落ち着いて回れたりもするからね。
そんなこんなで、小一時間ばかり園内にとどまってぷらぷら写真を撮って遊んだ。
当たり前だけど、小さなお子様連れのご夫婦が多いね。

池の畔で三脚立ててピクリとも動かないガチの写真撮りと、
犬畜生を連れて嬉しそうに犬コロの写真を撮り続けてるご夫婦なんかもあった。
人生いろいろだ。 ← よけいな勘繰り

そういえば、ここで掃除のオジサンが話しているのを聞いて、
メタセコイアのことをアケボノスギということを知った。

あと、昨晩だろうか、公園入口の自販機が壊されたご様子で、
パトカー2台に大勢のおまわりさんが駆けつけ若干物々しい雰囲気も。
ムーミン谷の入口に人間のお巡りさんがたむろしてるのもなかなかシュールな画であった。


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 ▼cafe『Hotpot』

公園のお隣、カインズホーム裏手にあるカフェ、Hotpotさんでお昼ゴハン。
外見えは一見こぢんまりとした、サブカルこじらせクソアートヒゲ親父がやってそうな店構えだが
(偏見が激しい)、
中に入ってみると、これがなかなかどうして、
どちらかというとファンシー乙女マインドをこじらせた北欧にイメージだけで憧れた老女が
一人でやってそうな内装だった(いちいち偏見が酷い)。
いや、いい雰囲気ですよ。ホントに。オイサンの良心がねじ切れてるだけです。

  ▼カフェ&レストラン Hotpot
  https://tabelog.com/saitama/A1106/A110602/11014874/


ハンバーグランチ美味しかった。しかしここは雑炊にするべきだったか。
居心地が大変良かったので、セットのコーヒーが運ばれてくるまでの間にウトウトしてしまった。
なかなか繁盛しているご様子なので、こちらも来られる方は早めにした方が良いと思われる。
オイサン、開店11時に入って12時前には出たのに、お店を出るときにはほぼ満席だった。

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 ▼吾妻峡

お店でウトウト出来たので体力回復。
ここからもと来た道に沿って入間川をさかのぼり、紅葉の名地・吾妻峡へ。
そこからさらに東にわたって、多峯主(とうのす)山、天覧山と、前回とは逆ルートでめぐります。
……散々歩いた後に山登り2連戦という、
まるで最後に水泳があるトライアスロンのごときスパルタン構成。

しかしそんな田舎道も、飯能さんは田舎だけあって、素っ頓狂な看板には事欠きませんね。
地獄から来たグッドデザイン賞を総なめに出来そうで退屈しない。
あおいやひなたのセンスも、この中で磨かれたものと言って差し支えない。

  ……つーか、作者のしろ先生からして
  ここでもまれて一流マンガ家の仲間入りを果たされたのであろうから間違いない
  (しろ先生のセンスがトンチキのたまものみたいに言うな)。

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そんな中でも、吾妻峡の美しさはホンモノ。
規模の丁度よさと美しさのバランスがナイスマッチ。
手の届くサイズ感がお気に入り。
オイサンとは逆方向、すなわち山登りを終えた方々が、続々と下って来られる。
まあもう2時ですし、そろそろ山登りはおしまいの時間帯だね。
それにしても美しい水の流れに、オイサンは捕まってしまう。

あああと、そうそう、吾妻峡にたどり着く途中でトイレが我慢できなくなってしまい、
子ども図書館でトイレをお借りしました。

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 ▼多峯主(とうのす)山

吾妻峡を抜けてどれみふぁ橋を渡り(別に音が鳴るわけではないぞ)、
一見ラブホテルみたいな幼稚園をパスすると、すぐに多峯主山の登山道が始まる。
こっからは、マただの山です。標高たかだか270mとは言え、山は山。
その倍程度の生駒山に登ったときに死ぬような思いをしたのを忘れたかオレ、油断するな。

まハイキングコースがしっかり整備されていて、
近隣の方なら犬の散歩にだって来てしまう山だからビビるようなものでもないけど。
ザクザク登れば小一時間とかからず、山頂。
ハイ着いた。
飯能のセクシークイーンの健在ぶりも確認できたし、満足。
さあ次に行こう。

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 ▼天覧山

続きで天覧山。
こっちは200mにも満たないので、ここまで15㎞ほど歩いた負債があるにせよラクショーラクショー……
と思っていたのに実はここからが曲者で、
前日? そんなに雨が降ったのか、地面がドロドロのびちゃびちゃでズルズル。
ひとたび滑れば、そのままどろんこプロレスの世界にスカウト確実なトリックステージに早変わり。
ぬおおおお、自然さんはなぜこうも千変万化なのか!
少しは人類を、優しく包み込んでくれても良いのではないか!?
ぬかるみに足をとられないよう歩くのに大変神経を使ってしまった。

途中、オイサンを追い越していった地元の方と思しきオジサンは、
あまりに泥具合にお散歩中だった愛犬のラブちゃん(そう呼んでいた)を自ら抱きかかえて歩くという
意味の分からない所業に及んでおられた。大変だな犬の散歩も。

  けど、犬に「ラブ」って名前付ける人結構いるよね。
  アレ、元ネタとかあんのかしら。
  ラブ。
  相手は人間のことを、自動エサ出しマシーンくらいにしか思ってないのにね。

   人間「ラブ、おいで、ラブ!」
   ラブ「呼んだ? 自動エサ出しマシーン! エサくれるの? 自動エサ出しマシーン!」
   人間「ははは、ラブはかわいいな! お前は私たちの家族の一員だぞ!」
   ラブ「自動エサ出しマシーン、何言ってるか全然わかんないけど、
      あとでエサ出してね、自動エサ出しマシーン!」


  こんな感じであろう。
  見知らぬ壮年の男の犬の散歩をこき下ろすのはこのくらいにましょう。

多峯主山の山頂から天覧山の山頂までは……1時間はかからないねえ。
ヌカヌカ地面を除けば、何も困ること、辛いことはなかった。
ちなみにどちらの山の山頂も、ひっきりなしに登山客が訪れて、絶えることはなかった。
小さい子を連れたご家族連れも多かった、そんな程度の山です。
しかしそれもまた『ヤマノススメ』という作品の良くできたところで、
ホント、「天覧山に登ることだって登山で、必要以上に危険や辛さに警戒することはないんだ」
と思わせてくれる辺りが大変に優れたガイド役であると、オイサンは思う。

  マとはいえ、山登りは先へ進めばそれなり以上に危ない行為なので、
  そこの境目に立ち入ったときに上手に気が付けるようには、当人がならないといけませんけども。

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……そうそう、辛いことといえば、天覧山を下るときに、
ヒョロメガネの男大学生3人組が『ヤマノススメ』ごっこをしながら
「ひなた~待ってよぉ~」とか甘えた声を上げながら上がってきたのとすれ違った
のが辛かった……かな。
「オッスおらここなちゃん!!」
とでも言ってやれば良かっただろうか?

とまあ、そんな心霊体験をしつつも……
前回来た時も思ったけど、天覧山の紅葉は、本当にきれいだね。
植わっている木々の種類がそうさせるのだろうけど、
赤・黄・緑のバランスが良く、光に透けて淡く輝く色合いがたまらなくいいです。
伊達に天覧の名を冠していないと思う。


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ふもとのコンビニも聖地として有名。
前回来たときより『ヤマノススメ』コーナーが充実しておったように思う。
中学生くらいの女子が熱心に巡礼ノート書いてたのも印象的だった……
JC辺りにもウケてるのかー。
良かった……薄気味悪いオッサンとヒョロメガネ男大学生しかいない世界じゃなくて
本当に良かった……。

……しかしこの後、そんなオイサンのささやかな安堵を叩き潰す出来事が……


 ▼飯能駅前、商店街

ヤロウドモに土産でも買って帰るかってなもんで、
やってきたのは飯能銀座の『夢彩菓すずき』さん。

  ▼夢彩菓すずき
  http://www.yumesaika-suzuki.co.jp/
  こう見えて、明治から100年以上の歴史を誇る老舗。


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『ヤマノススメ』ではあおいちゃんのバイト先です。
店の表には制服の、店の中にはお店のユニフォーム姿のあおいちゃんのPOPが立ってます。
しかしこのPOPがのちのち悲劇を呼ぶことに。

買い物を終えて立ち去ろうとしたとき、
オイサンの前に会計を済ませていたヒョロメガネ男大学生(らしき)人物が、
店員さんにカメラのシャッターを頼んでおる。
なるほど、まあそうじゃないかと思ってはいたが、君もヤマにススム感じか。
店員さんも慣れたもので快く応じておられたが、
その彼のとったポーズは、取憑くように、POPを横からを抱きすくめる姿であった。
お、おおう……。
……そうか、うむ、そうか。
うん。いいんだけどね。お店が良いというなら。
元気があっていいと思います。

帰る道すがら、お腹が減ったので老舗の喫茶店、『コーヒー 苑』さんで
クリームシチューを食べてフィニッシュ。

ここはもう、すっかり古くからある地元の常連さんたちの集会所のようだね。
『ヤマノススメ』一切関係ナシ。
競馬のハナシやら病気のハナシやら、地域どころか個人レベルに根差した話題が飛び交う。
それでも居心地は悪くない(というかオイサンが気にしない)のでゆっくり出来た。
うぬぬ、寒いところから暖かいところへ入ってゴハンまで食べるとねむみがマッハじゃわい。
うつらうつら。
4時起きでノンストップ長時間登山してるから無理ないがのう。
しかしまだ眠るわけにいかぬ。
本屋に寄って、今日発売の『ひだまりスケッチ』の9巻を買うのだ(時事ネタ)。
……というワケで、駅ビルのPePeに寄って購入。風呂で読もう。

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■2日目



2日目は雨予報だったので特に予定はなく、
ちょっとお店を覗いてゴハン食べて帰るだけのつもりだったのだが、
そのお店、駅前の山用品店『山遊人』で、お店のご主人(女性です)に声をかけられた。

  ▼山遊人
  http://san-yu-jin.com/

なんだ、このお店も聖地だったのか。
単行本10巻であおいが……あおいと言っても葵ちゃんではないぞ……
あおいがザックを買い替えるときのお店がそうらしい。
「これが私!」と描かれた店主を指さして説明するご本人。そうかよww
今回はどこに行ったのかというハナシから近辺の山やルートの情報を教えてもらったりした。
いつから『ヤマノススメ』関連の活動をされてるのか知らないけど、
『ヤマノススメ』から山や飯能に興味持つ人が増えてきて、
そのまま飯能が好きになる人が多くてうれしい……と、
ム?
前にもどこかで聞いたような話を嬉しそうにしてくれた。
そうかそうか。
2年前に来たときはまだまだそこまで、町で盛り上がってる感じはしなかったけど、
今ではすっかり愛されているのだな。結構結構。



……の割には。



あっちこっちで置いてる公式らしきグッズの版権絵プリントが解像度低いのは改善されてないけどな!
もう少しクオリティを上げてくれんか……。ザラザラなんスよ、絵が。
等身大POPとか。

ここでは手ぬぐいと、フツーにインナー手袋を買った。通勤用に丁度いいんじゃよ。
すると「これは非売品なのですが」と、「三期熱烈希望!!」と書いたステッカーをくれた。
この手ぬぐいは良いな。


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 ▼珈琲館

2日目の昼ゴハンは、上記の『コーヒー 苑』の通りの向かい側にある『珈琲館』で。
チェーン店だが、ここは『ヤマノススメ』推しでグッズやらも売っている。
店長の趣味だろうか。特に何も買わなかったが。
フツーに焼きサンド食ってアイスコーヒー飲んで、おしまい。

前はここでマグカップとLEDライトを買ったのだった。どちらもまだ家で健在。
LEDライトの方は、摩擦でここなちゃんのプリントが消えてしまって
ただのLEDライトになっているが……灯りは点く(それはキャラグッズとして健在と言えるのか?)。


 ▼謎のバス車庫

飯能駅から東飯能へ向かう途中、バスの車庫があって、
そこに『ヤマノススメ』ラッピングバスが数台まとめて停まっていた。
おお、なんという偶然……ていうか、コレはあまり有難味がないなw
お蔭で何種類も絵柄をいっぺんに収められたけど。いいのかコレは。

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■Closing



以上で、飯能訪問3回目、ぶらり飯能タンノー散歩はおしまい。
ホントは4回目なんだけど、3回目は秩父のついでに寄っただけなのでノーカンにしておく。
思ったよりも満喫したような……気がする。
予想と何が違ったのかわからないが、随分楽しかった。

しかしやはり、徒歩20㎞・8時間連続活動は老いた体にそこそこ堪えたようで、
1日目宿に着いてからは、体がグネグネとぐったりしてしまって
宿でしたいと思っていたことに手がつかなかった。ちょっとゲームが出来たくらい。
無念。


 ▼「疲れ」の面白さ

しかしこの、なんだろうね、「疲れ」というものの正体は、いったい何なのであろうか?
栄養を摂り、風呂で体も温め睡眠をとっても、疲れというやつは残る。
癒すだけの材料は揃え手続きも踏んでいるのに、それでも尚、消し去ることは出来ない。
なんだかそれが理不尽なようにも思えてくるのだった。
筋肉だとか、内臓だとか、そういうものの使用負債であることは勿論なのだけど……
今回のように、極端にダメージを与えるようなことをしたわけではない、
ただ緩やかに延々と使い続けたときに、
それらよりももっと奥深い、芯の部分に刻み込まれ、滲み出す「疲れ」は……
筋肉や内臓ではない部分から感じているような気がする。
骨とか、違う部品の細胞の隙間が熱を持っているような感じがする……。

別に、「だからなんだ」って話ではないのだけど、
今日、歩き終えてベッドで横になりながら、ハッキリした意識の中で
ただジンジンと熱を抱いて動こうとしない体のことを思っていたら、
「疲れってなんだろう」という疑問が湧いてきたので書いておいた。
「疲れってなんだろう」と、当たり前のことを考えている自分も面白かったし、
分かっているようで分かっていない、
誰もが体で理解しているからこの上もなく具体的なようで、
それなのに根本は理解されていないという意味で抽象的な「疲れ」というものに、
このとき初めて向き合った気がして楽しかったので、書いておこうと思った次第。
これも一つの収穫だ。


 ▼マンガを持って、山に登ろう。

こうして聖地巡りなんかを楽しんでいて、
地元のフツーのアニメに興味なんかなさそうだった(何なら今でもなさそうな)人たちが
アニメのキャラクターのことを知っていたり、グッズやPOPを取り扱っていたりするところを見ると、
長年、白眼視されたり、
迫害を受けてきた(刺激的な物言いではあるが決して言い過ぎではないと思う)者としては、
嬉しい限りだ。

  ……あのね、何が嬉しいって、別に、自分が暮らしやすくなったこととか、
  ヒドイ扱いを受けなくなったってことじゃないのさ。
  グッズを買いやすいとか、町なかでキャラや世界を見かけられることでもないのよ。
  そんなのは自分が我慢したり、苦労したりすればなんとでもなる。
  「アニメや漫画やゲームが面白い」ことが、
  他の映画やらドラマやらスポーツやらがそうであるのと同じように、
  フツーの人でも理解できるようになって、楽しめるようになったことが良かったなあと思うのよ。
  「こんなに面白いものが、なんで皆分かんないんだろうか? 
   分かんないハズないのに、他と同じなのに」
  と、ずっと思ってたんだから。
  とはいえ、オイサンにもわからない面白さはあるから自分の領域のことばかり言えないけども。


しかし、「住みやすい世の中になってきたなあ」と思うのと同時に、同じくらい
「な、なんだかおかしな世の中になってきてしまった……」とも思うのだけれども。
けど、アレだね。
オイサンなんかは昔からそうだけど、アニメ・マンガ・ゲームっていう媒体が、
それらが物語る世界に興味を持つためのゲートウェイとして
しっかり機能し始めたというのは、非常に健全なことだと思いますね。

ただのサッカー少年を『キャプ翼』がサッカー選手に育てたように、
マンガを読んで、アニメを見て、旅行してもいいし、山を登ってもいいし、
ギター弾いても自転車乗ってもバイク乗ってもいいし、
化学の世界、星の世界、栄養や医療の世界に興味を持ったっていいわけで、
そこにある覗きこまなければ知りえないドラマとかロマンとか、あるワケで、
学ぶために、そして無闇な勢いで背中を押されるためには、恰好の材料だと思うのですがね。


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「書を捨てよ、町へ出よう」と昔の偉い人は言ったというが、
……そんでその原版をオイサンは読んでないから裏があるならそれは分かんないので
  言葉の意味そのままにとるが……
書は読んで、その手にずっと携えたまま、町へ出ればいいと思うよ。
FEEL×ALIVE!



オイサンでした。



……あと、同じ手放すにしても捨てずにブックオフへ持っていけば、
イザと言うとき町で遊ぶ足しになるよ。
あーお金欲しい。



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2016年11月20日 (日)

■おんじが絵筆を握ったら。~宮崎駿とCG、押井守と実写の関係~ -更新第1095回-


ちょっと前……番組改編期の頃だったろうから、多分10月のアタマだと思う。

それまで朝ゴハンを食べるのに使っていた松屋がつぶれてしまい、
以来同じ通りにある吉野家で朝を食べるようにしているのだが、
その店舗にはテレビがあって、その日はNHKがかかっていた。

  かかっているチャンネルは日によってまちまちだ。
  その日のバイト氏の趣味によるのであろうか。

朝のNHKと言えば、オイサンが子どもの時分から連続テレビ小説と相場が決まっている。
8時を回って画面が変わるのを見て、
また唐沢寿明が死んだのなんだのの続きかと思っていたらどうもその番組は終わったらしく、
思っていたのとちがう雰囲気のドラマが始まった。

まハナシの中身は殆ど把握してないのでどうでも良い。
ドラマの初回らしく、初々しい出会いのシーンが描かれる回だったのだが、
桜吹雪の中、若い男性が美しい女性に見惚れるシーンがあった。ベタな画である。

ただ、その画作りが……コントラスト高めで肌理のない、
清潔感はあれど、なんとも生命感のない……雑味や汚れといったものを意識的に排除した、
もうハッキリ言ってしまえばCGみたいな画だったのが気になったのである。

生身の俳優さんを使っているのに、
肌の凹凸やクスミは徹底して排されツヤッツヤのペッタペタで、
背景もすっかり暈してトバしてしまい、奥行きもない、平面的な画だった。

  恐らくそれは意図的で、
  どうも最近見ていると、そのドラマの舞台は戦後間もない頃らしく
  煤けてうす汚れた場面ばかりだから、
  そこからヒロインの美しさ・特殊さを一際浮き立たせるために、
  その場面は光と清潔感だけで構成させたのだろう。
  多分。

デまあ、意図を理解しながらも、それを見て、
オイサンは「こりゃもうCGでも良かったな」と思ったのだが、
そこでハタと、10年以上前に押井守監督の本で読んだ、
「デジタルの地平で、すべての映画はアニメになる」
という言葉を思い出した。

 


オイサンはワリカシその言葉を見た瞬間に言わんとするところがピンときて納得したものだが、
表紙を見たシゴトバの後輩(その言葉は本のタイトルにもなっておった)は小首をかしげて半笑いであった。
まあ、12、3年も前の話である、
アニメ
――その言葉本来が指そうとする「アニメ」の意味とは若干ずれるが――も、
昔ほどの差別対象でなくなりつつあったとはいえ今現在ほどの地位を獲得していなかった頃だし、
CG映画にしても、『ジュラシック・パーク』からまだ10年、
『アバター』もまだ公開されていないというくらいだからピンとこないのも無理はない。

もう一度繰り返すが、
「デジタルの地平で、すべての映画はアニメになる」、
この言葉の意味するところは、
「実写で撮ろうが、デジタルで撮って加工すれば色も変えられるし映りこんだ余計な物も消せる、
 なんなら天気だって変えられてしまう、
 作家の都合ですべてを作り、コントロール出来てしまう、
 それはもう実写を素材にしたアニメーション制作でしかない」
というくらいのことだ(、と、オイサンは浅いところで理解している)。
デジタル技法が発展していけばその様になってしまう、ということだ。

  良し悪しはあるにせよ、である。

でオイサンは、NHKの朝の連ドラのワンシーンを見て、まさしくそうなってしまった例だなーと、
押井カントクの10年前のことばを反芻したワケである。



■ハヤオ~絵描きの矜持

そして、時は流れて、先日のNHKスペシャルを見た。
ドワンゴ・川上会長が、宮崎駿にえらい怒られたシーンばかりが有名になってしまった、あの番組である。
宮崎駿・現役復帰スペシャルである。
そもそもの主旨は違ったが、結果的にそうなったと思う。
ナイジェル・マンセルかお前は!

  ……「また古いたとえを」、と突っ込まれそうだが(突っ込む方も絶対オッサンだから何の問題もないが)、
  安永航一郎クラスタにとって「引退 → 復活」といえばナイジェル・マンセルであることは
  異論のないところであろう。

    

  しかしまあ、ハナシの本筋とは外れますけども、川上会長も災難ですなw
  場の主旨と違うところから感情的なパンチで殴られるわけですから、
  マご老人の相手をする際には致し方なく発生する問題ではありますけれども。
  閑話休題。

あの手描きアニメの大鉄人・宮崎駿が、短編とはいえフルCG映画制作に乗り出し、
あまつさえ長編制作を再開しようと言い出す、というのが、番組の追った一連のドキュメントだった。

その中でハヤオは、主に二人の優秀なCGアニメ制作者とやり取りをし、
自分の思い描く毛虫(毛虫が主人公の短編なのである)の動きを伝えて試作を進めていく。
その出だしのところで、ケムシの前足の動きにダメ出しをしつつも、
CG作家の
「ここに、風が吹くパラメータを追加してやれば、
 毛の一本一本が風に吹かれてなびく動きも作り出せます」
というプレゼンを聞き、ハヤオは
「まいったなこりゃ」と言わんばかりの笑みを浮かべる……。

おおおおおおおおおおおおおおお。
なんだなんだ。
それでいいのか。
それでよかったのか、宮崎駿???

オイサンはそこで、驚いて声を上げてしまった。驚いて、本当に声が出た。

「物理」? 「物理シミュレーション」。
なんだ、そんなんで良かったのか、ハヤオ?

イヤ、物理シミュレーションCGがダメだっていうんじゃない。
味気ないとか情緒がないとか、そういうことを言いたいんじゃない。
なんつーか。
その物理というか、世界で実際に起こっている理の動きから、
何かを差っ引いたり、ときには付け足したり、
人間に都合のいいウソを、劇として、個人のエゴと表現のために作り替えて観客を驚かせるのが、
アニメーションの画作り、「画描き」の、「職人」の腕の見せ所であって、
秘伝のレシピ、
人としての本領の発揮なんじゃないのか、ハヤオ?

それはそう、ハヤオという絵描きの矜持のような話として、
「それでいいのか」と思ったのである。

そしてそれはある意味、
この国の手描きアニメの最終防衛ラインの陥落を意味するものだと、
まあ、外野にいるオイサンなんかには見えるのである。

トバしたり、埋めたり、延ばしたり縮めたり、
世界で起こっていることを人間の生理に合わせ劇を演出するのが、
アニメーション……少なくとも、ハヤオという「絵描き」が追ってきたアニメーション、
あるいはアニメーションに求めた(あくまでも彼の個人的な)快楽と感動じゃなかったのか?



……と。



まあ、これは半分以上、「ハヤオはストーリーテラーではなく画描きである」と、
彼や彼の周囲の人間の語りから知って以来、
オイサンがハヤオに対して抱いてきたイメージが見せた幻のようなものなのだが。
まあ、そういうイメージがあってしまったから、ビックリしてしまったのだ。

ピクサーの映画に出てくるCGの怪物は、
200何万本という体毛を全部シミュレーションで動かしているという説明を聞いて、
ほー、と思ってしまった。
ほー。
ハヤオも、それをやりたかったのか……?
じゃあ、じゃあ、なんだろう?
アニメって(無論アニメ=ハヤオではないけど)、究極は、実写を指向するんだろうか………………?
そうじゃない……と、思うんだけどね。

ちょっと、まあ、番組だけからでは読み切れないところもあって、
物理シミュレーション出来るCG装置のパラメータを、
ハヤオがハヤオスペシャルにしてすっかり「自分の絵を描くための道具」にしてしまう、
というセンだって考え得る。
そこんとこの詳細はちょっと番組からでは分からなかったのだけど……
その後、ままならないCGアニメ制作に苦闘することになるハヤオではあるが、
番組冒頭に物理な画を見て笑うハヤオの笑顔に、オイサンは大層、驚きと、
ちょっとした拍子抜けを隠しきれなかったのだった。



■そして、話は押井監督にかえる。

そこで、もう一人の巨匠、押井監督の話に返る。
彼はいま、アニメの仕事のオファーがなく、実写を主戦場にしている(らしい)。
自分で企画を立てることはせず、世の中の要求に応える形で暮らすことにしている(らしい)。
オイサンはちょっと前に『ガルム・ウォーズ』を見てつまんなかった(直球)という感想を書いたが
あれも彼のその成果の一部で、
オイサンはあの作品を見た後、何年かに一度来る「押井守カントク作品見たい熱」にやられ、
『押井言論2012~2015』を読み、
立て続けにDVDを借りてきて
『The Next Generation パトレイバー(TNGパト)』全話、
『宮本武蔵 -双剣に馳せる夢-』、
『東京無国籍少女』、
『28 1/2 妄想の巨人』、

と立て続けに見た。





  これだけのモチベーションを生み出すのだから、
  『ガルム・ウォーズ』も、頭では非常につまんないと思いつつも、
  心にはなんとなく引っかかるものがあったのだろうと思っている。

率直に言えば『TNGパト』以外はあまり面白くなかったワケだが
(その『TNGパト』も、最終話の劇場版長編は面白くなかった)、
……『TNGパト』だって作品そのものが期待した面白さであったかと言えばそうではなく、
監督のスタンスとフィールドを意識して見て初めて
「なるほどこれは」と思えるタイプの代物であった。
マこの際面白い/面白くないはおいといて(ホントは置いといちゃダメだけど)、



……どうだろう、不思議に思わないだろうか?



「実写はアニメに浸食される」と10数年前に看破していながら、
且つ、自分はアニメも出来る立場にありながら
(オファーがなく、また最早モチベーションもないと『押井言論』では再三唱えていたが)、
なぜアニメにしてしまわないで、実写を撮っているのだろうか?

「気を抜けばアニメになってしまう実写」を、
アニメにせずに撮り続けるために、どんな手を使っているのだろうか。
果たして、実写を実写として生かし続けるために、何を手掛かりにして、
どんな撮り方をしてるんだろうか?

……答えは至極シンプルで、
「撮影前に下準備をしない」のだそうな。
撮影プランを、過剰に持たない。

撮影現場へ趣き、その日の現場の状態や役者さんのコンディションを見て、
その日そこにあるもので、企画の当初に思い描いた芯を持った完成形を実現することに努めるのだそうな。
ただし、その「状態」を底上げするためのさらに下層の土台作り
(つまりは映画のコンセプトとそれを支える座組みのようなもの)には、
がっちりと頭も時間もお金もかける、
……というようなことが『押井言論』からは読み取れた。

それは「下準備をしない」と矛盾するようではあるが、たとえるなら、
人間を司る神様が、人間が何をするかは地球の上に放り出して様子を見、
状況を与えるくらいだけど、地球のルールは最初にガッチリ作る、
みたいなことだと思ってもらえれば良いと思う。
そして、撮れたと思ったらさっと切り上げ、編集で成形する。

……ナルホド。
アニメが「コントロールで全部を作り出せてしまう」のなら、
実写が実写であるためには、有りものに強く関わる、
コントロールしえない部分を上手く引き出し、拾い上げることが、
実写の醍醐味だというわけだ。



■Closing

まあ今更改めて、実写がアニメから、アニメが実写から、
それぞれ浸食を受けてるなんてことは考えるまでもないのだけど、
ザ・絵描きのおじいさんが道具を持ち替える場面を目の当たりにして
すっかり驚かされてしまった。

自分でも、ハヤオがCGを使うことの何がそんなに引っかかっているのか
いま一つ分からない。
ただ、
「火が揺らめくところ、水が流れるところを、
 一つ上手く描けると、その日半日くらいは気分よく過ごせるんだよ」
とまで言っていたあのジイサマが、
「物理パラメーターぶち込めば、上手く動きますよ」
という、その一言に納得したことが、ちょっとショックだったのだ。

……なんていうのかなあ。
そこには、「絵描きが道具を持ち替えた」以上の異なりがあるように思えてならない。
たとえば、字書きが、ある一つの風景を、言葉を尽くして延々描写をした挙句に、
その文章の中に重要な一つだけを見つけて他を全部消し、
一文だけを残して完成とすることと、
「この写真載せて『この景色』って言えばいいじゃん」ていうのくらい、違う気がしたのだ。

わかんないよ? わかんないんだけどさ。
ハヤオが、道具その先のどこまでを思い描いて、理解して、どんな絵が描ける、
と思って笑ったのかは分からないんだけど。

ある意味で、押井監督がアニメを離れ(望んでではないようだけれども)、
新しい絵の描き方に手ごたえを感じていることは(もともと昔から実写もやる人ではあったから)、
話に面白味があるし、安定感もあった。

……どうなんだろうなあ。

まあ、あの百戦錬磨の妖怪ジジイの心配を、
オイサンなんかがするまでもないのは分かっているんだけど。
CGに詳しいわけでもないから、彼の欲する絵を出せるのか、出せないのかも分からないけど。

要は、道具である。
ハヤオのイマジネーションが、現存の最高技術の想像をどこまで超えて使い込まれるか……
その姿が2021年に見られるのだとしたら、
それはちょっと楽しみであるな。



いまヒトツよくまとまらないけど。
オイサンでした。


 

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2016年11月 8日 (火)

■アラフォーをコルトパイソンで撃つと死ぬ~アニメ『ろんぐらいだぁす!』感想…ではなくひとえに新垣葵ちゃんを賛美する論文~ -更新第1094回-

今期、『ろんぐらいだぁす!』が、とりわけ面白い! ……と、いうワケではない、
なんなら若干面白くないくらいなのだが、
葵ちゃんがいい子なのでついつい見てしまう。


  うん、いや、まあ、お話の方は目新しいことが何一つ起こらない、という
  ある種奇跡めいたカンジなのでそのつもりで見ればいいです。



▼ろんぐらいだぁす! 公式PV



思い返してみるとオイサンは、どうやらこういう系統の見た目のお嬢さんにめっぽう弱いようだ。
メッポウメッポウ! ← メッポウ鳥の鳴き声



Aoi2
あおいちゃん。 ← 「あおいちゃん」じゃねえよ。彼氏か。


量の多い黒髪ロング、チョイつり気味の目とスレンダー気味のボディ、
あと、角の取れた丸みのある声。
メッポウメッポウ!

『夏のあらし!』のあらしさんしかり、『けいおん!』の澪っぺしかり、
絢辻さん……は別格(というかチョイ別枠)だが、
『ジブリール4』の(やったことないけど)2番手っぽいコも見た目すごい好き。

 ▼夏のあらし!
 


▼魔界天使ジブリール4

しかしまあ、色褪せねえOPだな……。


  ……と思って調べて見たらこの子も「葵」ちゃんだった……。

ことさらおっとり!とか、ことさら活発! よりは、ふつーがいいですね。
ふつー。
クールではなく、平熱な感じ。

別に、この型じゃなきゃダメ、ではナイけれども、
この型ならあらかたストライク、というくらいには好きらしい。
好き好き。
なので、この型の女子を募集します(しません)。

『ごちうさ』のリゼさんもかなりコレに近いところにおられますが、髪がちょっと違いますね。
マヤさんも、髪はショートですが、近いですね。どっちも大好きです。
シャロも好きですが(全部やないか)。『ごちうさ』は釣り目率が高いですね。
3人とも好きですが、見た目だけでいえば、
ひと目で脳みそが一瞬硬直してしまった葵ちゃんには及びません。


『ガルンパ』のまほお姉ちゃんは……ちょっと目がキツすぎますね。怖いです。
髪も長くないし。
『ガルンパ』で言えば、サンダースのおケイさんくらいの目がいいですね。
パッチリ釣り目、とでも言いましょうか。
おケイさんはあけっぴろげでいいですね。エッチにも鷹揚っぽくて良いです(何を勝手に)。



……にしても、葵ちゃんはいい子ですね。
いったいなにを考えてるんでしょうね(ほめことば)。



あの、ワケの分からない亜美ちゃんのテンションに、呆れることも敬遠することもなく、
ずっとお付き合いしていられる生来のものと思われるおおらかさが素敵ですね。
きっと家庭環境が良いのでしょうね。
そこそこ以上にお金持ちで、人にも好かれてきたのだと思われますね。
苦労人でもいいかな、と思いますが、
ロード乗ってたりチャリ用ユニフォームもそれなりに揃えていたりするので多分違いますね。

全体的にスポーティな感じなのも好感度が高いですね。
ぱんつっ子の様ですね。スカートは履かないのでしょうか?
是非履いて欲しいですね。ええ、履いて欲しいです(希望)
幼馴染で同じ大学に進んでいるということは、学力は亜美ちゃんと同じくらいなのでしょうか?
信じられませんね(暴言)。

なんていうかこう、自然体な感じがとても好ましいですね。
気をつかったり無理したりしてない、卑屈になることも上を見上げるんでもない、
普通にしてたらこうなんです、っていう感じがもう、キュンキュンきますね。
どこへ行ってもおさまりが良いという才能に恵まれた感じです。いいですね。
デフォルト、ちょっとだけツマんなそうなのもまた、とても可愛いですね。

  「えっ?」みたいなね。
  「えっ?」みたいなのがいいですね。

あんまり自分で、ああしたいこうしたい、っていうコダワリが強すぎないというか、
うーんこんなもんかな、っていう頑張り過ぎない感じが、またたまらなくいいですね。
多分頑張らなくてもそこそこ以上に出来ちゃうんでしょうね。
苦手とかコンプレックスとか、あってもいいけど無くてもいいですね。
無い方がより際立つ気がしますけどね。あっても、極端じゃない方がいいですね。
絵が恐ろしくヘタとか、歌が地獄のように音痴とか、そういうのはイラナイですね。
もうなんでもかんでもソツなくこなして欲しいですね。


そんで、自分より出来る人が現れても「すごいね」ってニッコリ笑ってて欲しいですね。
自分よりダメな子がいても、「大丈夫? 頑張ろうな」って、ニッコリ笑ってて欲しいですね。


ワリとどんなことでも「ああ、うん。そうだな」って呑みこんでくれそうな感じが
心から良いですね。ときめきますね。許されますね。許されます
癒される、とかじゃないですからね。
許される。
葵ちゃんに、オイサンは許されます。
許されます。

このアニメ、葵ちゃんの気持ちに寄り添って見れば全部上手くいく気がしますね。
フツーに自分の気持ちだけで見てると、どうにも亜美ちゃんがもう、
あまりにアホでヘタレでブス過ぎて(暴論過ぎるだろ)心がザワついて仕方がないので、
葵ちゃんの広い心、
もう6兆畳くらいはあるであろう広い心(畳で勘定するメリットはあるのか)に
間借りして見るのが良いように思います。

  ……ああっ!?
  あ、亜美ちゃんをバカにしたせいか、葵ちゃんがちょっとだけ怒っている気がする!!
  ち、ちがうんです、ほめことばなんです!!

オイサンは『うまるちゃん』の切絵ちゃんのような挙動不審のヘンタイ(暴言すぎるだろ)とか、
『ばくおん!』の来夢センパイのような妖怪だか亡霊だかわからない人外オンナとかも大好きですが、
こういう王道の、アオレンジャーみたいな女の子もまあ素晴らしいですね。



……。



とか、色々勝手に思い入れていると、公式が思いもよらない設定を斜め上からブッ込んできて
「し、信じられない!
 こんな設定、俺の好きな葵ちゃんじゃない!
 公式は間違ってる、何もわかってない!!
 裏切られた、許せない!!」


とか、こういうオジサンは平気で言い出しますから気を付けたいところですね。

  万が一、私がそんなことを言い出すようだったら……
  これで(コルトパイソンを手渡しながら)、私を撃ってくれ。
  躊躇しなくていい。





しかしこの……なんでしょうなあ。
葵ちゃんを見ていても思うのだけど、日本は豊かな国だよねえ。(話が飛び始める)
本当にそう思う。
これだけのモノに囲まれて、なに不自由なく……
……自分も含めたご本人たちには当たり前になっているから決してそうは思わないだろうけど、
その辺はもう、「なに不自由なく」の誤差の範囲だと思うんだけども……
なに不自由なく暮らしていくことが出来ている、
豊かできれいな、良い国だと思うよ。
おかしなやつも、バカなやつも多いけどさ……それでも豊かに回れるくらい豊かな国、
なのだと思うよ……。
まだ、いまのところはね……。
少しずつ貧しくもなってきたし、それはこれからどんどん進むと思うケド、
そうして豊かさの水準が下がっていく中で、それぞれが貧しさと折り合いをつけていくという心の豊かさを取り戻して行けば、
次の揺り戻しでまた少し、クラスの上がった豊かさを手に入れてゆけると、思いますね。



つまり、



葵ちゃんという天使を、女神を生み育んだ日本という国の豊かさに、
私たち国民はあまねく感謝の意を示すべきでだすね。(おちついてちゃんと喋れ)
そう思いますね。

葵ちゃんが育った葵ちゃんのおうちも、葵ちゃんの部屋も、葵ちゃんを育んだ町も、
葵ちゃんの部屋をいろどる様々なカワイラシーグッズの数々も、
葵ちゃんが勉強で使うペンも、ノートも、クツも鞄も着る物もパソコンもマウスもマウスパッドも、
お部屋に敷かれたカーペットも、ちょっと上等なウォールナットの姿見もそれに映る瞳もまつ毛も、
葵ちゃんが大好きな音楽を聴くときに使うオーディオも白いお耳を包むヘッドホンも、
葵ちゃんのすべすべのおはだもそれを洗うボディソープもつやつやの御髪も
それを梳かす櫛もお気に入りのシャンプーも、
彼女専用のマグカップもくちびるも
玄関マットもスリッパもティッシュカバーもそこからティッシュを引き抜くゆび先も爪も、
もうぜんぶぜんぶ、
全てはこの、日本の国の豊かさが生み出したものです。
全国民はこうべを垂れて、この国を造った八百万の神と先達に感謝するべきである。


  神様ありがとう! 葵ちゃんに会わせてくれて!!(病気か)
  ハイリーハイリーリッチューラスコー♪


……などとまあ、そこまで好きになったコを
どこぞの小汚いアライグマと同列に扱って平気なのはこのオッサンの悪いクセですけれども、
別に1億数千万臣民に土下座させなければならないほど、葵ちゃんのことが好き!
というワケでもないです(オイ)。
こうしててきとうにダカダカと
「好きだ好きだスキスキ大好き!!」と打ち込んでいるウチに
なんだか本当に好きな気がしてくる、というのが、このおじさんの毎度の手口なワケです。
打鍵自己暗示健康法。

しかしその『ろんぐらいだぁす!』、
今期のアニメ業界大人手不況のアオリをモロに喰らってしまい
放映スケジュールが

  1話 → 2話 → また1話!? → 3話 → 4話 → 総集編!?

などという、なんとも素敵なシリーズ構成になってしまっているご様子であり、
な、なんてことだ!!
ステキな葵ちゃんの素敵なシーンが、何回も何回も繰り返し見られてしあわせ!!(ブロウクン

いやー良かった(いいのか)。


……マ正直良かァありませんけど、
下手に平凡に始まって無難にまとまって終わるよりは、
予想外の荒波に磨かれて、結果計り知れないエッジを携えた方が、
オイサン的には好ましい気もします。

だってサー(だってじゃねえわ)、
最近のアニメ、こぢんまりと無難にまとめる手法が確立してしまって……
皆さん、尖ったことをしてこないんですもの。
尖るにしても、計算された尖りというか。どっかでみた尖り方といかさ。
なんだよ、小さくまとまりやがって、みたいな。
もっとこう、
鉄砲水に削られた挙げ句、落雷に遭ったところに
さらに隕石が落ちてきて出来た断崖の岩

みたいな、荒々しい野生の尖りを感じさせて下さいませんでしょ?
『グラスリップ』くらいだよ、そんなの。

だったら……ねえ。
こういう事態に見舞われて、逃げて削って貼り付けたようなものが出来るなら……
それに期待してみたっていいと、オイサンは良く無い期待をしますよ。
ジブンは絶対、そんなのに巻き込まれたくないけど( ← 最低)。



……。



まあまあまあ、大好きでかわいい葵ちゃんをそんなクライシスなメに遭わせたいワケではなく、
静かに平穏に、健やかに大きくなって欲しいワケですけれども、
お嫁にはまだ行かないで欲しいですけれども(お前が決めることではない)、
……いつかはお嫁にいってしまうんでしょうけれども……(想像だけでガチ凹み)、
そんな荒波の中でも、平熱で黒髪でパッチリ釣り目で、
おおらかで心優しい葵ちゃんを静かに見守っていきたいとこのように考えておりますので、
どうか皆様におかれましてはくれぐれも横からイラぬ手出しなどなされませぬよう、
お願い申し上げます。

もうオイサンのなので、君たちは手を出さないように。
オイサンとみんなとの約束だ。

Aoi3_2

ほら葵ちゃんも「そうだぞ!」って言ってますよ。


ではまた。
なんの文章だったんでしょうねコレ。

オイサンでした。


 

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2016年11月 5日 (土)

■イデシ・ツキカモ~三笠の山の、ブラックホールの段~ -更新第1093回-

VRで、SMAPにメンバーの一人として加わり、
残り4か月でどうすれば解散を回避できるか?を、AIの相棒と一緒に立案・実行していく
VR・AIシミュレーションアドベンチャーとかどうだろうか。

オイサンです。

BEST ENDでは12/31に解散撤回ライブの模様が流れます。
ライブinパワーボウル。



■三笠の山にブラックホール



夏に奈良の実家に帰省した時、
友人にクルマを出してもらって三輪明神へお参りしてきた。
参詣と呼べるほど神様への敬意を前面に押し出したものではなかったので、
見物・観光という方が正しみがある。


▼地図 石上神宮~龍王山~三輪山・三輪明神




三輪明神は別名大神(おおみわ)神社とも言って日本でも最古クラスに古い神格であり、
ご神体を持たず、三輪山をご神体とする原始神道の形態をとっている。

  ……と、Wikipedia様はおっしゃっている。アリガタやアリガタや。

実家のある奈良市内から南へ向けて車を走らせると、風景はグイグイ田舎びていく。
車窓に流れる風景を見ていると、やはり田舎だなあと感じる。


Dsc05007




  「うーむ、富山に行った時も、いなかだいなかだと思ったけど、奈良も存分以上に田舎だなw 
   なぜ城端の景色を、俺はあんなにアリガタがったのか?」
  「www」


などと軽口をたたくも、町もさながら、山の容子が結構違っているな、と思った。

まあ富山といえば日本アルプスさん北の玄関口、
ジャパンのド南もいいところな紀伊半島の山と山容が異なるなんて当たり前田のミニ四駆なんだけど、
違う、というのは自然景観についてではなく、山が持っている風格のようなものについてだ。

Dsc05067

Dsc05130
……まあこうしてみると、ただのド田舎の里山だけどな。


奈良の(少なくとも北部の)山は、緑が豊富で高さもそれほどでなくなだらかで、
自然的な意味での厳格さ・険しさはあまり感じないのだけど、
不思議と霊的な神々しさのようなものが立ちのぼっている。
落ち着いている、といえばいいのか、
山自身による寄せ付けなさではなく、人の方からの寄りつけなさ、とでも言うのか。
ありがたみ、畏れおおさ、というやつである。


  ちなみに、ついでに寄った石上神宮のニワトリは噂にたがわぬファンキーな奴でした。
  Dsc05029



触れられはするのだけど、おいそれとは触れがたいものであるような。
踏み入って無礼をはたらけば二度と迷って出てこられないような。
三輪山しかり、道中で遠くから眺めた、龍神山しかり。
霊峰という言葉があるが、厳かな……富士山に感じるのと近いものを持っているように思った。
富山の山は、険しくて荘厳で、如何にも山山しい山たる山だったけど、
あくまで自然の険しさ・厳つさであって、人格めいた神性のようなものは感じなかった。

なんだろね、アレ。

  ……と言っても、オイサン自身は、富士山にはさほどの畏れ多さは感じられない。
  ワリカシ親しみやすい雰囲気を纏っておられるように感ずる。庶民派。

同じ奈良の山でももっと南の山深い方へ行けば、
自然としての畏れ・険しさという風格も自ずと強く表れてくるのだろう。
奈良の南の方へは、あまり赴いたことがない。吉野の桜もよく知らないほどだ。
小学校5年生のときにキャンプで行った曽爾高原と、
数年前、やはり友人に連れて行ってもらった十津川村がせいぜいで、
深く美しき紀伊半島の本当の姿を、オイサンはまだ知らない。

思い込みと言えばそうなのだろうけど、
そうと言われて見てもそう思えない山や土地もあれば、
そうと言われるまでもなく、背筋にゾワゾワ這うものを感じる土地もある。
形や色合いが人に見せる業なのかもしれない。
人を不安定にさせる色や形、音や旋律というのはありますものね。

スピリチュアルがどうとかパワースポットがどうとか……というのと、
同じ話なんだろうかコレ?
そこに行ったから元気が出るとか出ないとか、具体的な効果は感じないし期待もしない、
マ初詣とかでひくおみくじなんかと同じ程度の意味合いだととらえてもらえば良い。

オカルトをオカルトとして信仰するわけではないが、
そういう要素はあれば面白いと思うし、想像力が働けば働くほどビビってしまうし、
存在は確認されないけれども、証明の手だてもなく届いていないだけで、
「こちら側」の未熟さなのかもしれない、とも思う。
信じないけど理解は示すし、面白みとして可能性はとっときたい、くらいだ。
それはブラックホールに「ホール」と名付けてしまうのと類似の興味レベルだ。



■突然ブラックホールの話。

ところでブラックホールとは、オイサンがかじったところでは、どうやら「ホール」、穴ではない。
ものすごいギッチギチの大質量、つまり「ものっすごい重たくて存在感のある『点』」がそこにあり、
光も何もかもみなそれに吸い寄せられてしまう。
そして吸い寄せられたが最後、ギッチギチの点に押し込められて塊の仲間入りしてしまう(?)だけであって、
落っこちたりくぐり抜けたりしたその先に何か広がりの期待される、
空間の伴うものではない。

  ところでその重力ってやつも、ちゃんとした発生するリクツは明らかになっていないらしい。
  「デカいものがあるとそこに空間のひずみが生じてものが引き寄せられる」
  くらいのザックリした事実と仮説くらいしか、web上には見つけられなかった。
  マジかよ。すげえな。
  ごく当たり前に「当然あるもの」として教わってきたけど、
  そんな曖昧なものを自信たっぷりに教えていたのか……。
  いま現在、ブラックホールと重力、どちらともどの程度解明が進んでいるかわからないけど。

自身のことばの感覚では、ホール、すなわち穴とは、
「通過した先にさらに空間を持つ、空間と空間の隔たりに空いた隙間の箇所あるいは通路」
のことを表す感触があり、
いかに強く吸いこむものであっても、そこに空間的に+αの要素がなければ「穴」だとは思わない。
もしブラックホールが「ただ吸い寄せるだけの点(或は面・空間)」であり、
空間と空間をつなぐ空間を形作るものではないのであれば、
それはただの「(ほぼ)無限の行き止まり」であって、
ブラックバキュームポイント、BVPみたいな呼び方が、
より誤解を生まないものである気がする……。


 ▼ここから先は、その名付けに関するオイサンの推測に過ぎないが……。


ブラックホールにモノが吸い寄せられるギリギリの距離のことは「事象の地平面」、
シュバルツシルト面と呼ばれ、そっから先のことは、いまのところ人間には「見えて」ないらしい。
ブラックホールには、光でさえ吸い込まれてしまう、
ゆえに光での観測はかなわず「ブラック」と呼ばれる所以であるが、
ところで光とは、いま現在、人類が知覚している上ではもっとも速いヤーツである。
フツーに考えたら、「光=宇宙で自分以上に速いヤーツがいないヤーツ」なのであれば、
どんだけ吸いつけられようと、彼以上に速い速度で吸いこまれていくわけではない
(彼の前に進む速度の方が、彼を後ろへ引っ張る速度を上回るはず……?)ので
脱出が出来るハズである……
……と、ストレイト=クーガー兄さんなら言うであろう。
オイサンもそう思う。

  そこに、速さ以外のパワフル要素(光の粒子の尻尾をつかんで引っ張るパワーだとか)が
  加味されるならその限りではないけれども。


▼ストレイト=クーガーさん



デその、タイソン・ゲイもウサイン・ボルトも、織田裕二(お前は賑やかしだろ)もビックリの
宇宙最速のヤーツが抜け出せない、
ということは、
前提となってる「光以上に速いヤーツは存在しない」というリクツが……
なんか違っている、或いは、
「事象の地平面」から先のエリアは、そのリクツが通用せずなんか別のリクツが仕切っている
アインシュタイン的治外法権エリアとなっている、
ということになるカンジなのだろう。

いずれにせよ、そこから先がいまの人類にとって
(相対性理論が発表されたのは100年前なので、「いまの」と言っていいか微妙だが)
完全に人外の領域なので、「ブラックホール」に「ホール」と冠せしめた名付け人は、
現時点でのブラックホールの理屈(=穴じゃなくて大質量の点であること)を知らなかったか、
理解した上で、
その先に「『空間が広がっている』『かも知れない可能性』」を残す意味を見越して
「ホール」とまでつけたのではないだろうか? 
……などと憶測してみる。

  この辺の実際のところを、alpha山川氏( ← 宇宙の人 ← ざっくり認識)あたりに
  解説してもらいたいところだ。

マこれは、本当にただの推測というか、妄想なワケだが。
ガイジンさんはその辺……案外油断がならず、
理屈っぽいくせにリリカルというかロマンチストで抜け目のないところがあって、
たとえば、デジタル機器のたかが充電スタンドに
「クレードル(ゆりかご)」とか、平気でつけておいでになる。
その辺の遊び心とか、衒いなくスマートさを捨てて力技に走ることが出来る発想のタガのなさが、
外人さんの強みだなあと、ハタで見ていて思う。
特に意味は練らずにパッとつけただけである可能性もあるからして、
あまりその辺突っ込んでも実りはないかもしれない。

  尚、ブラックホールにブラックホールと名付けたのは
  ジョン=ホイーラーという物理学者さんで、マンハッタン計画で原爆作ったりした。



■「やつ」が単位「ヤーツ」に進化したこと

さらに派生してトコロデな話題になるが。
上で「ヤーツ」を連発していて思ったことがある。
昨今はやっている「ナニナニなヤツ」という言い方についてだが、
正直、これについては、当初あまり感心していなかった。

モノやコト、人などについて、対象を分類まで具体的にせず
「面白いヤツ」「おいしいヤツ」「いい匂いがするヤツ」などと表すアレだ。
一度や二度は耳にされたことがあると思う。
オイサンはこれを「ヤバい」の名詞版、のようなものだと捉えており、
遊び半分で口にする分には一向に構わないが、シゴトバにおいてワカモノがこれを口にする場面がチョイチョイあって、
それはいかがなものか……と思っておったのである。
テレビで芸能人が便利そうに「あー、コレ絶対おいしいヤツだ」などと使っているのも、
いけすかなく思っていた一因ではあろう。

しかし最近、それが一歩進んだ気がしている。
「ヤツ」を、間を伸ばして「ヤーツ」と伸ばして発語・表記してるだけなんだけど、
途端に抵抗感が薄れ始めた。
なんだかちょっと単位めいて、

  1ヤーツ=文脈上に存在したひとくくりのものごと

のような、ある種のワンタイムコンセンサスを獲得しつつあるように感じ始めた。
マそれはただの、語感から派生した感覚の問題なんだけど。

マなんでもかんでも「ヤバい」というのとあまり変わらないわけだが、
正直なところ自分は、「ヤバい」に関しても、最早さほど否定的ではない。

それで通じ合えるなら、あらゆる意味で使い倒せばいい、と思っている。
実際問題、使用者たちが通じ合えているとは感じないけど、
それで不自由しない関係ならそれはそれで十分なのだろうし、
いずれにしても、それは使用者の問題であって道具の問題ではなさそうだ。
なんていうかその……
iPhoneで全部済ますか、ウォークマンとカメラと電話と全部別で持って歩くか、
に近い話である気がする。

オイサンの好むような細やかな表現としては確実に不足なので、
事足りなければそうでない言葉を選べば良いだろう。

そのヘン、問題を広く捉えれば、ある世代や文化的な領域で断絶や不全が生じるので
それを問題視せねばならないかもだが、それは……だって、ねえ?
今だって起こっていることだし、防ぎようもないように思う。
自分たちの言葉遣いがさらに先の世代の人たちにとって
けしからん(褒め言葉ではない意味で)方向へ進んでいるであろうこととさして変わりなく、
自分たちの慣れた時空間の領域にだけ正義があるとも思わないので、
その変化が悪しきものに見えるのは、
それが運用される世界の見え方が自分たちの理解の埒外にある未知の姿をしているから、
なのだろう。


  マせっかく作ったものだし、残すということにも意識を向けられるように発展してきたわけだから、
  残せるもの・引き継げるものはそうしていってもらいたいとは思う。
  また、「ヤバい」の更に奥にあるものについて、知って使うのと知らずに使うのとでは
  質がまったく違ってくるので無論知って使った方が良いに決まってはいるのだが、
  ……けど、あとの世代になっていくほど降り積もるものの量は増えていくわけだから、
  あとの人たちが全部を背負って生きていくのも、それはそれで無理だろう。
  いま自分たちの使っている言葉の陰で切り捨てられていったものがどれほどあるか、
  私は知らない。
  出会ったときに感動することはあるが、それが「必要か」と言われたら、
  いろいろ条件を設けた上でなければ、首を縦には振れまい。
  圧縮できるところは圧縮して担いでいってもらうことに、
  どうしてもなるのだろうなあ。

それに、「ヤバい」を使い続け、使い倒すことで、
ことばで伝わらない部分を目や匂いや雰囲気など、言葉以外のデバイスで伝え合えるように
人間が今後進化・変化していくきっかけになるなら、それは望ましいことでもあるだろう。

オイサン自身は、より細やかで美しい、用意されている様々の語彙を使って
自分の脳に映し出された事象をより克明に、他者の感覚にも出来るだけ近い形で映し出すことに
喜びを覚える――それは、言葉を絵筆として使うのと感覚は似ている――のでそのようにするが、
そのことが価値を失い、認められなくなるのは恐ろしいし、寂しくもあるけれども
(そしてそれを表するのに、やはりオイサン自身も「貧しい」という言葉を使ってしまうけれども)
まあ……しゃあねえっちゃしゃあねえ。
「どうしてですか! 私はまだやれます! まだまだポテンシャルがあるんです!」
と、プロデューサーに泣いてすがる落ち目のアイドルの思いだが。
往々にしてマイノリティの嘆きになど、世間やトレンドはかかずらってはくれない。

それらが不要な時代が来る、ということなんだと思う。
言葉の多様性による伝達が限界を迎え、古いやり方になってきた……
まあ細やかな言葉が好きな者としてそれは残念な変化だけど。

  しかし逆に表現の上でも、
  「ヤバい」を持ち出す以前のお膳立てをしっかりと表した上で「ヤバい」を用いることで、
  「ヤバさ」を克明に受け手の脳内に再現できるのであれば、
  それは優れた表現になっていくのだろう、とも考える。

そもそも、使った言葉が伝わらないものであったなら、
伝わらない「ヤバい」と結果は大して変わらぬワケで、
それなら伝わる「ヤバい」を使った方が結果としては良いんだろう。

それでヨノナカが良くなんのか、という怒りや疑問も、
今の状態を見るにつけ勿論ないワケではないけど、そりゃ良くなるかもしれないし。
……ねえ? ヨノナカが常に良くなる方向へ行く・行ってる・行かねばならぬ……
というのも、ある種の幻想だ。
変化が、絶えず、進化や進歩、成長であれっていうのは、あんま得意じゃない。
毎回確実にあるのは純粋に「変化」のみであって、
それの良かった・悪かったは、後の世代の人たちが、各々の時代の秤で好き勝手に値踏みするもんらしい。

たかが「ヤーツ」ヒトツから、話が無駄に大きくなってきてしまった。
無論願わくは、美しい伝達が面白さの価値を生み出す世界だ。



■そして元の位置に戻す

サテサテ、話がすっかり逸れてしまった。
話は奈良の山と日本アルプスの山、そこに感じる荘厳さの違い、
或いはその出どころの違いの話だ。

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つまるところ、オイサンが山に神性・霊性のようなものを見出す気分と、
「ブラックホールってのは、実は穴じゃなくて、
 自身さえもギッチギチに圧縮してしまうほどモノスゴイ重力の発生点であり、
 何でもかんでも吸い込まれていくから穴みたいに見えるけど実はそうじゃない、
 そこまでは分かってるんだけど、
 まだそっから先は見えてねえし、もしかするとホントに穴かも知れねえし
 分かりやすいし面白えから『ホール』ってつけちゃえ」
っていうような気持ちとが大して変わりなさそうだ、
というハナシだった。

要するに、「理屈はわかってるけど、胸が躍るじゃん?」という感じだ。

7月、アラフォー4人で行った秩父から藤岡の温泉に向かう途中で、
隊長がしれっと、守護霊というか、家系に積もった徳、みたいな話をしてくれて、
なるほどなーととても興味深く聞いたわけだけど、
そういう霊的な話、
……「霊」といっても、幽霊・オバケみたいなあるイミ具象に落とし込まれた
オカルト風味の強い意味での「霊」ではなく、
もう少し抽象的な、「全身全霊」という言葉で使われているような「霊」、
筋肉と分泌物と、電気信号の間に発生するラグのような、
肉体の一部としてのスピリットから派生する霊性であるけれども、
そういう肉体的な生理・病理に根ざした「思想の一部としての霊性」は、
確かに世代を超えて積もっていくものであっても不思議ではない、と思える。

  体を作る部品、生活や環境とつながっているからして。
  それは単純に、豊かな家系・環境に育った者と根っから貧しく育った者では、
  モノゴトの考え方、とらえ方が違う、
  腹が膨れすぎて見る幻と、空腹のあまり見える幻とが同じはずがない、というハナシだけど。

それは概ね思想の蓄積であって、寄り集まって「信仰」になっていくのだと思うが、
そういう人々の思想、念なんてものは、
突き詰めれば電気信号と生体的な化学物質のなせる業に再び帰っていくだろうが、
それらが信仰の対象となるモノに「うつって」いくことも……あるものだろうか?
普通に考えたらねえけど(結論)。

コレマタ、「のりうつる」「とり憑く」という言い方をすると胡散臭いものにしかならないけど、
歯医者や病院の「匂い」のように、とSF的に考えれば、
救いを求めて集まった人間から立ち上るムンムンと切迫したタスケテ分泌物の匂い、
或いは、救われた人間から立ち上るそれらの匂いが、
1000年、2000年と浴び続けたお山に染みついた、ようなことだ。

なにしろ我らが人間様には、
「牛肉を食ったときにしか分泌されないハッピー物質」などという、
使いどころがピンポイントであるにも甚だしいスペシャル機能も備わっているらしいから、
……いのちがピンチの時、あるいはピンチを脱した時にだけ、
誰得の匂い物質が発散される隠し機能があっても罰は当たるまい(バチの問題じゃない)。
少なくとも、脳波なんかは明らかに違う波を示すワケだし。

  なお、その牛肉ハッピートリガーマテリアルの名前は「アナンダマイド」と言うらしいぞ。
  アナンダマイドうめえ!(食うな)
  このアナンダマイドという名前も、
  サンスクリットで「法悦・歓喜」を意味するアーナンダとアミドをくっつけたというんだから
  なかなかポップな化学式である。

発散される謎の匂い物質を浴び続けたお山が、その移り香でもってありがたみを帯びる、
すなわち「人間に共感や安心感、恐怖感を呼び起こさせる」
……なんていう隠し設定も、案外世界にはまだ眠っておったら面白い。

そうなると、奈良の山とアルプスの山、
そこに見出す霊性の差が何で生まれているかと言ったら、
山のサイズと向けられる感情の量のバランス、ということになるのかな。
奈良のお山は、あまり大きくもなく、古くから人の集まる土地だったから、
人の匂い(いろいろ暗喩含みの「匂い」だが)が程よくうつった、という。

だから、もしかしたら
ファブリーズなんか頭から大量にぶっかけてやったら
ありがたみなんてものは一発で吹き飛んでしまう

かもしれない。
誰かがあの山を見ても、
「……なんか最近、ありがたみ減ってない?」
と思うようになったりするのかもしれませんな。ハハハ。
ファブリーズ・悪魔祓い・神憑きおとし万能説。




   
神をも消し去るストレングス!(これリセッシュやないか……)




……さんざん長々書いてきて、貴様これはいったいどういうオチだw



ところで、今まですぐ近くで暮らしておりながら興味のなかった三輪明神なんてところへ
行ってみようと思ったキッカケは、春に行った城端の、帰りに寄った諏訪大社だった。
あそこもエンシェントクラスのレジェンド神社で、
帰ってからそれについて調べていたら、
なんと生家の近くにも同程度の神格を持った場所があるということだったので、
それなら行ってみよう、という気になったのだった。

  マ諏訪大社にも、正直なところ特別何かを感じたワケではありませんで、
  三輪明神もそれは同じだった。立派なお社ですねー、というレベル。
  ただ、行ってみたら、お社よりも山の方に凄みがあった、というオチだ。

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神社を建て、「神」を祀った人たちは、どんな目論見で、何を目的にしたのかはワカラヌ。
純粋な自然への畏れからかもしれないし、
困窮極まり捨て鉢になって、信じてもいないのに目に見えないものにすがろうとしたのかもしれないし、
自然への畏れを利用した人心の掌握とコントロールであったかもしれない。
どれもちょっとずつ本当だろう。
いずれにせよ、どこかにそれを信じて「感情移入した」という、
物語でありドラマ・劇がそこにあったことに価値が生まれている。

  それが茶番であったにせよ、だ。

……人間が、衝動によって動くとき。
それは、真に「0」が「1」になる瞬間であるので、
人々に衝動をもたらすことは、正負問わず大きな価値を生じせしむること、とオイサンは考える。
それによって束ねられたむせかえるような「濃い思考の匂い」が、
ムンムンと今もあの山の上や、シュバルツシルトのその淵に……弓の引き分けの如く、行くも戻るも極まって
蓄積され漂い続けているのだとしたら、
それもまた、神社を建立した人や、ブラックホールを穴だと言いはった御仁の思うつぼなのかも知れぬ。



「お前ら、コレを見て多少どーこーせい」と。



ブラックホールのことを調べていると、
人間が「光を当てて目で見ることをとてもたよりにする」生き物である限り、
永遠に理解できないこともワンサとあるのだろうなあ、
という感想が、やけに刺激的にアタマに残った。

知覚出来ないヤーツをはかる術を、人間は色々、道具を拵えてやってるけどね。
この先また、その知覚や思考そのものの壁を、AIやディープラーニングといった
「人間の手で作られた、人間の近くの埒外にある者たち」によって飛び越えたら、
また一つ、二つ、世界の新しい『規制』が解除されるのでしょう。

  Open the Eyes !

それは案外遠くない気がする。
オイサンが全然元気なうちに、その扉は……ワリカシ大胆に、4、5枚一気に開く気がするよ。


そういう手段を思い付く人間のトンデモナサには、ほんと驚かされる。
半分呆れるくらいに。
けど、それでもなお、人の手から零れ落ち続ける物はきっとあるだろう。
目で見れば、さっぱり遙か宇宙の1000光年先にあるものも、
音や匂いや、デンパやナンヤラカンヤラで距離を測れば実はもう目の前にある、
なんてこともあるのかもしれぬ。



……。



ただ「奈良のお山を見てこんなことを思いました」
っていうだけのことを書こうとしたのに、えらく壮大なお話になってしまった。
なんなんだ。

世界は広く深いぜ。俺はキモイぜ。


オイサンでした。


 

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