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2017年2月 8日 (水)

■帰港~喪失の港にて~劇場アニメ『#この世界の片隅に』・感想(後)~ -更新第1108回-

……と、前篇から続いてきたものの、
別にここからは大したことは書きません。


オイサンです。


劇中ですずさんが2回だけ口にする「あせったあ」がすごく好きです。
他は広島弁ガチガチで、すっかり知らない土地の人だけど、
ここだけは言葉もイントネーションも自分の知ってる言葉と違いがなくて、
急に知ってる人、身近な人になった感じがしていい。
抱きしめたい(突然何を言い出すんだ)。



■好き好きすずさん! スキスキ周作さん!

デ、ここからはオイサンが特に気に入った場面についていくつか萌えて各論とし、
シメたいと思います。
色々省いて、見た人にしか分からないような書き方をするところもあるけど
勘忍してつかあさい。


 ▼画と音

映像の素晴らしさについては……正直、何も言えない。
終わってみて気付いたのだが、さまざまな表現や出来栄えが、
当たり前のレベルで「自然・当然」であったのでしょう、
素晴らしさを意識することが出来ないレベルでスムーズに流れている。
イヤミや引っかかりがまったくなかった。これはスゴいことだと思う。

何やらものすごいレベルで調査されたらしい、史実や当時の実在の地形とのリンクについては、
歴史に詳しいワケでも、当時の様子を知るワケでもないオイサンは
そのすごさ・正しさを量ることは出来ないので、なんとも評しようもない。
ただ、その結実であれ、架空であれ、
舞台となる世界は少しだけその端々を知っているような、少し懐かしいような、
自分たちが暮らす今の世界との確実な地続き感に満ちており、
すずさんたちが実在の人物であると錯覚を起こすほどで、
彼女の抱く様々な感情が自分の中にもあるこれと同じ心の感触だと
確かに感じるための十分以上の手助けになっていたと思う。

それと、感じたのは、広島と言えば終戦の象徴のように語られることが多いことから
「夏」という印象だったのだけど、この映画の中では冬の情景が大変印象に残った。
暑さよりも寒さ、土間やかまどの石の、冷気をたっぷり吸いこんだひんやりと頑固な感触が伝わってきた。
戦争映画というと、燃え盛る炎と、豪の中のじっとりと閉じ込められた空気ばかりの印象だったから、
この印象の違いも、長い上映時間(2時間20分くらいある)でも強いストレスなく
集中して見通すことが出来た一因だったろう。


 ▼「執拗」であること

これは原作由来の成分ではあるけれど。
伝える、ということに対して、執拗な作品であったと思う。
何の話かといえば……すずさんの右手をも吹き飛ばした、その物語についてだ。
そこそこの物語であれば、晴美さんの命を奪うにとどまるだろうと思う。
けれど、この物語の作り手たちは……それだけではまだ、
「他人事」だと心で処理してしまう受け手がいることを知っていたのだろう。
彼らの情熱は苛烈だ。
どちらが先だったかはわからない。
右手か、晴美さんか。
しかしいずれにせよ、彼らは……受け手にその痛みを届かせるために、
すずさんの右手を吹き飛ばした。
受け手の、「自ら」の体の一部を引きちぎることで、受け手全員を完全に巻き込んで見せた。
「喪失」を、より完全にするためだ。
それが彼らにとってそのような史実であったのかもわからない、
しかし、これを表現に対して執拗、と言わずして何といおう?
見習わなければならない……。


 ▼小さき人たちと世界の不均衡について

全編に渡って素晴らい映画だったんだけど、数か所だけ、言葉で引っかかりを感じた箇所があった。
それは、本編の中で3回だけ使われる「世界」って単語だった。
まあ些細なことなんだけど……。

  厳密には5回出てくるんだけど、うち1回はすずさんのお義父さんが口ずさむ歌の歌詞で、
  もう1回は、別で言われたときの回想なので3回とカウントした。

どうってことない、水原さんがすずさんに言う
「お前だけはこの世界で普通でおってくれ」っていうのと、
もう一つは周作さんがすずさんに、もう一回はすずさん自身が、
それぞれ居場所について語るときに出てくるのだけど……。
なんていうか、世界を相手に戦争をしている時代とはいえ、
この規模の日常で暮らしている人たちが……果たして、
自分たちの存在を語ろうとするときに自然と「世界」っていう範囲を意識するものだろうか?
と、彼らが当たり前のように世界の中に自分を置こうとするその意識に、
ちょっとした引っかかりを覚えたのでした。
特に根拠はないんだけどね。

でも、今の今まで足元すらおぼつかないような範囲しか見えないでいた人たちが
突然「世界」って言い出したから、
フッと意識が遠くへ追いやられるような違和感を持ったのは事実。
それをどーこーせいと言うんじゃないけど……
そう思ったよ、ってだけです。

……あー、今思い出したけどもう一回あるわ。
周作さんが大和のことを「世界一の軍艦」って紹介するなあ。
マそれもノーカンでいいや。


 ▼すずさんと周作さん、帰りの汽車でけんかする。

  「お二人さん……そりゃあ今せないけんケンカかね?」

狂おしく愛おしいシーン。
駅員にそう呆れさせた、あのシーン。
広島のすずさんの実家での兄・要一の葬式からの帰りの汽車の中で、
すずさんは周作さんに対して
「水原さんと話す時間を作ってくれてありがとう、けど、夫婦ってそんなものですか」
と、腹立ちと不服を露わにするシーン。
ここでの周作さんの、子どもっぽいジェラシーと反論がすごく良いし、
そこから発展するケンカがまた、なんとも愛おしい。
「こんなちいさなことでいちいちいがみ合っていられることの幸せ」が、
とても暖かく描かれている名シーン。
ケンカは進行しているはずなのに、言い争う中身がどんどんけちくさく、なっていくのがまた
なんとも愛おしい……。


 「ほお、怒っとったとは気付かんかった」
 「そりゃ注意力散漫じゃあ! そんな、ほげた(穴のあいた)靴下はいてきて!」
 「すずさんの繕ったのは小さすぎて履けんようなっとったろう!」
 「他のがあったでしょうに!」



って……。おふたりさん! 萌え萌えですw!
そして、呉に着いてから家へ向かう


 「ほらまた方角を間違えよる! うちはあっちじゃ! 灰ヶ峰の方角じゃ!」
 「わかっとりますて!」



っていう後ろ姿なんかもう、あー、こうやって夫婦になってくんだなあ、
こういうしょーもないケンカ、どっかで見たなあ、と……うちの両親を見るようで。
親バカならぬ、子バカですけども。

しかし、水原とすずさんに「話す時間を作ってやった」周作さんは、
深い不安と、後ろめたさにも似た複雑な思いもあったことを思うと胸が苦しくなる。
いつ死んでしまうか分からない、「死に遅れた」と口にする水原への男としてのシンパシーもあり、
すずさんが水原に心惹かれているかもしれないことに思いを馳せ
(察知していた、と言えるほどたしかな思いではきっとなかったにせよ)、
ある種強引に広島へ連れて来てしまったすずさんへの後ろめたさの代償行為でもあり、
またこの先の戦争で水原が死んだとき、永遠に失われる彼への思慕が美しく大きくなり過ぎることを防ぐため
(いっそここで抱かれておけば、現世の思い出にとどめ置ける)、という、
ことここに至っていまだ小狡くある算段もあったのかもしれない。
本当に、あのシーンの周作さんの思いには、慮ってもはかりきれないかなしみがある。
これもまた、戦争という時代が生み出した思いではある。
戦争は色んな人の人生を、ゆがめながらも一方で作ってはいたんだなあと……
怒られるかも知れないけど、思うオイサンです。
奪うことの方が、やはり多かったに違いないけどね。


 ▼マイベストすずさん of the year in 1944

さあ、お待たせいたしました。
個人的マイベストすずさん in 1944 の発表です(ナンダソレ)。
裏の畑で港とお艦を描いていたら憲兵に見つかってしょっぴかれるときのすずさん。
草色の半そでアッパッパ姿の。
このときのすずさんはちょっぴり日焼けして見えて(夏の昼下がりの光の表現かもしれないけど)、
一番健康的に見えて……妙齢の女性の色気を感じました。
色気ムンムンな時期だったと思う……。
多分この時期、周作さんとヤ(自主規制)。
いや、周作さん、帰ったらこんな若奥さんが待ってるんだとしたらそらもう
タマランと思いますよ。すっ、すずさんっ!

  ……って、この映画をそんな目で見てる瞳が世の中にどんだけあるか知らんけど。

まあまあ、品のない冗談はさておき、戦時下にあっても女性的な魅力もきっとあったに違いない、
若い人の熱量っていうのは傍にあるだけで周囲を引き付けるものがあるから、
それなりにお年寄り多ゲな地域でもそういう役割をになっていたのではないか、と思います
(適当にそれっぽいまとめ方をする)。


 ▼大和~東洋一のくろがねの巨砲、凹んだ人妻を奮い立たせる

だから表現の仕方。
イヤ、そんな目でばっかり見てるわけではないですからね……ホントに。

広島への里帰りで深刻な疾病(ネタバレを避ける記述)が発覚し、
呉に帰ってからも密かに気に病んでいたすずさんを元気づけたのが、
あの日本が誇る大戦艦・大和の帰港だった、というシーン。
いやー、やっぱ大和はすげえな! 人妻もイチコロだ(だから言い方)!
オイサンは、今の日本にも大和が必要なんだと思いますよ。エエ。
軍事力がー、という意味ではなくて、
「世界一だ」と胸を張ることの出来て、手に触れることの出来る象徴的な巨大物体がですよ。

 とにかくでけえ!
 とにかく震える!
 とにかくそこに「在る!!」

というのは、巨大質量は全てを惹きつけるという、大宇宙の真理の一つなのだなあと
しみじみ実感する。
偶像崇拝とかなんとか言われるかも知れないが、
「なんかわかんねえけどデケえなコレどうなってんだ」
っていう圧倒感は、何物にも代えがたい説得力だ。

  『ストライクウィッチーズ』の劇場版でも、終盤、
  デタラメ大和のわんぱくライン川のぼりによって全員が勇気づけられる、という
  バカみたいな(ほめことば)シーンがあったけれども、あれと同じだ。
  あと関係ないけど、
  『アマガミ』の高山御大も『トゥルーラブストーリー2』のことを、
  「あれは戦艦大和ですからw」と評していたなw
  褒めコトバ半分、揶揄半分でw 良い表現だと思う。

あと、オイサンは全編に渡って周作さんのしゃべりが優しくてすごく好きなんだけど、
ここでの「ほれすずさん、大和に『呉へおかえり』ぃ言うてやってくれ」っていう、
周作さんの台詞、すごい好きです。晴美さんの人も、ものすごい上手だよねえ。
みんな名優だけどさ。


 ▼ラスト……の表現

周作さんいうところの「選ばなかった道」である、広島に残っていたらああなっていたであろう、
しかし授かっていたかもしれない子どもを引き受けることによって、
呉と広島というすずさんに有り得た二つの人生が合流する……という表現だと理解すると、
なんとも感慨深く思う。

ただ、もしこれがそのような表現であったとしたなら、
個人的には「広島のすずさんも右半身をやられていた」というのが、ちょっと引っかかった。
広島のすずさんは左半身に傷を負っていて、
まだ絵を描くことは出来、子どもにも恵まれた広島のすずさんから
呉の、画を描くことを失ったすずさんに子どもが託される……とあれば、
表現としては分かり易かったのではないだろうか、と思う。

しかし、
すずさんの人生というのは、あってもその二通りくらいなのだなと思うと
それもまた、切実なようで、鮮やかなようで、
無闇に選択肢ばかりを背負わされる現代に生きる者としては羨ましささえ感じるのです。
が……
空襲のさなか舞い降りた鷺を追いたてるにも
「いまここへ来ちゃいけん! そっちへ逃げえ! 山を越えれば、広島じゃ!」
と叫ぶしか出来なかったすずさん、「ここ」以外は広島しか知らないすずさんに、
やはりどこか、それだけで大きなかなしみを感じずにはおられない。
あのシーンはあのシーンで……
切実に広島へ帰りたかったすずさんの、追い詰められた心を見せられる場面で……
すごく、別のかなしさでも満たれていた。
美しい場面だった……。



■Closing…



……とまあ、そんな感じで。
長々と書いてきてしまったけど、いやあ、これでやっと一息つける気がする。
本当、2週間前の日曜日に見てから、暇さえあれば『この世界の片隅に』のことを考えてしまっていた。

オイサンはシゴトバで英会話の研修を受けているのだけど、
毎週授業の冒頭で、「週末は何をしたんだ?」って聞かれるのよ。英語で。
今週は、「先週と同じ映画をまた見てきた」って言ったら、先生はびっくりしてましたね。
「So Good?(そんなに良かったのか?)
 What was the title?(題名なんだっけ?)」
みたいなこと聞かれたんで、
「『In this Corner of the World』.
 In Japanese,『この世界の片隅に』」
って教えといた。はっはっは。見に行けばいいよ。

色々と拾い損ねている部分、考えの足りないところもあって、
思い返すたびにどんな意味があったのか分からず、悶々と考えてしまっていたけど……
どうにか、これで先ずはひと段落する気がする。

ここ数日は、片淵カントクのTwitterを読んだり、アニメスタイルの連載の過去ログを読んだりしながら、
GoogleMapで呉近辺の地図を眺めてニヤニヤしている危険なおじさんです。
まだ原作には手を付けていないし、
公式アートブックなんかも買おうかどうか、まだ考え中。

いずれにしても、ほかの聖地との兼ね合いもあって、広島には行きたいなあ、と考えている。
大学時代のマブダチも住んでいるし、厳島神社も小学校の修学旅行以来また見たいし、
近くには竹原もあるし、『田中くんはいつもけだるげ』の聖地も広島だし。



最後に。



こうやって、素晴らしい作品について、わからないことや見えていなかったこと、
言葉にできなかったことをじっくり考えてことばにし、まとめていく過程は、
正直苦しくもあるんだけど、とても気持ちの良い時間である。
本当に心地の良い、夢見心地の時間だ。
すずさんのような魅力的な女性に、じっと片思いをして、その思いを綴っているのと同じ気持ちがする。
イヤ、すずさん人妻だけどさ。

きっとこの先も、オイサンはこういう時間を大切にして、
頭のオカシイ片思いを続けていくんだろう。
良い時間でした。
もう一回くらい見に行くと思うけど。

またいつか、素晴らしき物語に出会えることを祈って。
映画って、本当にすばらしいフレンズなんだね。 ← あっ


オイサンでした。


 

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