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2017年7月24日 (月)

■四十路のヨソ行きワル巧み~『有頂天家族2』OP・「成るがまま騒ぐまま」に思う~ -更新第1139回-

前回のついでで、『有頂天家族2』のOPの話を。


▼『有頂天家族2』OP 成るがまま騒ぐまま

ランティスのメンドクサイ枠三傑に数えられる、milktubさん。
あまりよく知らないアーティストさんだけど、マ見るからに……って感じはする。
なお三傑の残り2枠は、景山ヒロノブ、遠藤正明らしい。



ワリと古風な価値観で書かれた歌詞だな、とは素直に思う。
また同様に、物語の中で謳われている、「阿呆」であるとか「波風を立てる」であるとかいう、
複雑で味わい深い、粋、小粋な要素を、必ずしも的確に捉えて書かれている歌ではないように思う。

  ♪ 波風立たない人生は ちょっとばっかりつまらない
   ……
  ♪ 心配ばかりじゃやぼったい いてもたってもいられない


とはこの歌の歌うところで、
まあ個人的に賛成しかねる部分も多分に含んでいることも否めないのだけれども、
「人生に波風が立つ」ことを愛おしく思う部分に、惹かれるものを感じたことも事実。

それは、悪サを奨励するとか、退屈だから要らぬ問題に首を突っ込もうとか、
単純にそういうことだけではなくて(結果的にそういう行為に落ち着くことが大半だろうが)、
前回も書いた、「多様なモノを認めて関わっていく」くらいのことだと思ってもらえると良いと思う。
「多様なモノ」の中には、いまの自分とは違う自分、今まで手を出す余裕のなかった姿の自分も含んでいる。
それを認めると、「波風」は自ずと立つからだ。
踏み出し方や手の触れ方で、立つ波風の大きさは自ずと変わってくるからそこには注意が必要だけど。

自分はそもそも、平穏無事、安定・安寧、大きな安らぎを望むタチなのである。
「うっそだあ」という人もおられるかも知れないが、
自分くらいビビりでヘタレの小心者を、私は知らない。
ただし、ビビりでヘタレなだけで、慎重でも勤勉でもなく面倒くさがりなので諦めは早く、
諦めてしまえばビビることにも適当になっていくから、安寧を求めているようには見えないかも知れない。
あと、リスク計算が雑でザルの目が粗い。
なので、ザルをふるう回数は多く時間もかけるのだが、通過を許す砂利の大きさも大きいので、
やはり危険に対する許容量は大きいように、他人からは見えるかもしれない。
しかし自分としては、自分よりザルを多く、長くふるう人間を、殆ど見たことはない。
ビビりでヘタレであるからして、一個でも通らない石が見つかるとそれ以上の検討はやめて
実行を諦めてしまったりもするから、危険だ、やらないと決めたらもう根っからやらない。
まあそんな、ヘタレなジブンであるからして、
こういうリスクを冒して厄介ごとに首を突っ込んでいくメンタリティに惹かれたこと自体、
自分でも驚いてはいて、
今の自分の状態をなにかしら勘違いしてちょっと調子に乗っているに違いない、
という疑いの目を己自身に向けてみている。

問題は、四十を跨いでどうにか本厄を越えたこのタイミングで
この歌が心に響くようになったことだ。
無難に、とにかく安全に安定的に暮らしてこようと思っていたこれまでの人生を、
どこかものさみしく思う心が「波風」を求めるようになっているのだろうかと思うと、
人心とはかくも現金なものか、
のど元過ぎればナントヤラで、自分から厄介ごとをもとめに行くのかと呆れるばかりである。

  ♪ トラブルすらも燃料さ!

なんていう風にはさすがに思えなくて、厄介ごとなんて無いに越したことはないと思うので、
声高に、この歌を自分のための歌だとは言えない。
自分は、絶対に、失敗も怒られもしたくない人間なのである。
こういうところはこの歌の古風過ぎるところだと思う。

しかしなんというか、
人生というのか、運命というのか宿命なのか分からないけれども、
そういう「人ごときには計り知れない大きな流れの様な、それぞれに対して準備されたもの」は、
ひと一人一人のいろんな表情を引き出すために、
波風の立つタイミングを、いきる道程に用意しているのかも知れないなあ、とか思うワケです。
何か節目を迎えると、考え方が、自分としては変わっていないようでも変わっていたりするのではないかと。
これもまた現金な、ご都合主義的な心持ちだけれども。

生きていると、様々な、転機と呼ぶにも足らないような「心変わり」がやってくる。
それは自分の意志だけによらず、環境によるところが大きい。
その環境、すなわち自分を取り巻くモノゴトというのは、
自らの意志で選び取って身辺に並べたモノと、
そうではなく自分の意志に関わらず、生まれたときから、或いはいつの間にか近くにあったモノとがあるが、
いずれにせよ自分という人生の一部ではあるワケで、
この「波風を立てる」という行いの全貌は、
それらが連れ来る変化に如何に真摯にかかわっていくか、というハナシなのだと思う。

  それらの最たるものが、血というか、家というか、親とか家族とか、
  生まれ落ちたときに必ず付きまとう者たちだっていうのが本編では描かれてたと思う。

自分にとっての、最も身近に取り巻くものが何であれ、
それに抗わず従うことが潔いと思う心もあれば、
抗って、今までの自分を守ろうと思う心もまた同じくらい潔い、堂々たる態度であるとも思う。
どっちもアリでしかないのだね、こういうことは。だから歴史があるのであろう。

まあ自分の場合、アタマは固いし人付き合いも好きじゃない、
オマケに多様性に出会っても、さっさと諦めて引いた線の向こう側に隔離してしまうから、
せっかく立った波風に、上手に自分の人生を変えてもらうことは出来ないんだけど。

そんな解釈をして聴いているものだから、歌の最後の

  ♪ いつでも波風立てるよ ズンズン立てるよ
  ♪ いつでも平和を乱すよ ガンガン乱すよ


という歌詞が、ちょっと直接的過ぎて味わいを欠く、
野暮ったく、ドライに過ぎるな、と感じている。面白がってやっているきらいが強すぎる。
それと反して、

  ♪ 大事なものさえ変わらなきゃ 寝ても覚めてもゆかいなり!

の部分のウェットさはとても好きなので、個人的には色々とアンバランスなお歌である。

  ♪ なるがままに騒ぐままに 悪だくみならおまかせだ

そう、悪だくみ。
無論、単にいたずらや、ひとに悪い影響を与えるための企みではない。
自分さえも騙して逃げみちをふさぐ、そんな腹を決めるための装置でもあるだろう、とオイサンは考える。
ニヒヒと歪めた唇の端で、
しまいには自分と人とを愉快な気持ちにさせる、
そんな人生を……この先も送ることが出来ればと、この歌を聴いて願うばかりの42歳である。

ところで悪巧みといえば、四十余年にわたるオイサンの人生の中でも
1、2を争う大きな影響を被った作品、『アマガミ』の正ヒロイン・絢辻さんも、悪だくみが好きな人だった。
こんなシーンがある。
廊下でなにやら、いつもの表情でもの思う絢辻さんに出くわすのである。

  主人公「絢辻さん、何を考えてるの?」
  絢 辻「悪だくみ」
  主人公「ええ!?」

これだけ(続きはあったはずだが、しれっと終わったはずだ)のシーンなのだが。
この先にどんな結末が待ってたっけか。
こう言ったいった後の、彼女のすっきりした立ち絵の微笑みは、
今もなお色褪せないことである。



オイサンでした。


 

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2017年7月23日 (日)

■酷評するカド~2017年春・4月期アニメの感想~ -更新第1138回-

もうすっかり夏・7月期のアニメも始まってしまいましたが、
前期の春・4月期アニメの感想を簡単にまとめておこう。

全体的な雰囲気として、この期は総じて小粒だった印象。
とにかくアレは毎週固定して見ようと思うほどの物はなかったし、途中脱落率が高かった。
期の初めにとりあえずチェックに入れたのは、
大体普段と同じ12、3本あったと思うけど、残ったのは3本だけ。
中でも印象に残っているのだけ、とりあえず気持ちをメモしておく。



■『ID-0』
『スクライド』『アクティヴレイド』の谷口悟郎監督。
人の意識をロボットのカラダに転送するMT(マインドトランス)システムが確立された
人類宇宙拡散時代のお話で、
12、3話というサイズに収まるよう、きれいにパッケージングされたお話だったと思う。

その分こぢんまりというか、枠が意識され過ぎて壮大さが感じられなかった。
宇宙を駆け巡るお話なのに、閉塞感ばかりが鼻についた……のだが、
マ基本追われる者の話だし、宇宙での暮らしなんでそんなもんかも知れぬ。
それはそれで、ある程度宇宙時代が近付いた現代としては、リアリティのある話なのかもしれない。
MT技術によって肉体や記憶を失ってなお生き続ける人たちのドラマなので、
意識が内へ内へと向いていく、そこは対比なのかもしれないけど、カタルシスが薄かった。
もっともっと能天気に「うおおおおおお宇宙ヤベエw!」ってなる部分があっても良かったかなー。
『アクティヴレイド』みたいに突き抜けても良かったと思います。
今回は、監督、バカじゃなくお利口に徹した感じ。
綺麗にまとまりはしたけど、飛び抜けた印象は得られなかった、そんな残念さがある。
時代性には大変富んでいたけど、もう少し強いインパクトが欲しかった。
今期の中では面白くはあったけれども、ずっと残っていく感じではないです。
ミクリマヤちゃんが地味にカワイイ。
ビジュアルショックは十分。
OPについてはセンスが最高に良く、今期のベスト。
EDの影山ヒロノブの英語ソングが「巻き舌で気持ち悪い」という意見は何度か見かけたが、
世代的には、スペオペものに影山ヒロノブのバラードEDときたら、
『宇宙船サジタリウス』の「夢光年」が想起されるので(そして恐らくその効果は狙われていると思われる)、
ほぼ無条件のノータイム反射で肯定されてしまうのだった。

▼夢光年




■『有頂天家族2』
1期同様、面白さは群を抜いていた。
ここが面白い、こうだから面白い、と言語化することが非常に難しい、という、
面白さの質としては『この世界の片隅に』と似たところのある作品。

第1期の頃からすでに好きで、面白い、と思っていたのだけども、
世間的にはそれほど評判が芳しかった様にも思えず(DVDの売り上げを見ても……)、
それなのに第2期が動いたのは、発表時、正直ビックリした。
自分も怠慢なもので、面白いと思いながらもそれを殆ど表には出せず、
表に出せるほど自分の感情の分析や言語化もしないまま、1期は終わりを迎えてしまったのだった。

ただ、心の底とか心の天井とか壁面とかにもっちゃりと柔らかく張り付いた
ピンク色の感情の塊は間違いなく「面白いと思っている」部類に属するもので、それは今も変わらない。
今も変わらない、1期からそうだったと思うのは、2期を見始めて確かめることが出来た。
どういうところが、どういう風に自分に面白いのかを以前に比べれば説明できる感じではある。

  それが自分の進歩なのかと言われたら、……正直、素直にYESとは言えない。
  なんかこう、明確な言葉や数値でしか伝達や記録が出来ないことは、
  美点・美徳・有用な能力とは言い難い、と、最近とみに感じるところがあるからだ
  ――勿論、それをすることが悪であったり、何かに比べて劣っている、
    出来ることが出来ない事より劣っているなどというおかしなことを言うつもりはない――
  マそれは今はいいや。閑話休題。

「家」とか「血」とか「名誉」とか「心意気」とか「粋」とか「野暮」とか、
今の日本が猛スピードで失っている「古き良きもの」に重きを置いて扱いつつ傍らで小バカにもしている、
小バカにすることで大切に思わせ、後生大事にしてみせることで小バカにもする、
という、非常に微妙なシーソーの上で右左するようなバランスのとり方、
遊び方、楽しみ方を見せてくれる作品です。
まさに「阿呆となりて波風を立てる」「面白きことは善きことなり」に恥じないスタンス。

……と書くとまた誤解を生みそうですが、
主題歌の『なるがまま、騒ぐがまま』で歌われるような、
単純に「悪ふざけをして世間を騒がせる、平和を乱す」ということを良しとする話では、
決してないな、と感じております。
ここでいう「波風を立てる」というのは、よりかみ砕いて言えば
多様性を認めて持ち込んだ上で、極端にバランスを取る、ということにきわめて近いと思われる。

  (……などと、言葉で詳らかにしていこうというのは野暮以外の何物でもないのだけど)

その多様性が、たとえ自分という個体や、世間の許容を上回る・相反するものでも、
キャパオーバー上等! の広い度量でやっていこうじゃないか、ということだと思うのですね。
キャパというのはオーバーしてナンボ、
それで初めて世間が広がっていくんだよ、という気分の持ちようであるように解釈した。
マその結果、あっちが擦れ、こっちが欠けするんだけども。

物語の構成要素としては、
要素の一つ一つが必ずしもまっすぐな辺や面のある形をしておらず、
円や楕円や球で出来ていたように感じる。

近年の物語づくりにおいては、物語のパーツは四角四面で隙間なく敷き詰められ、
要素と要素は独立していて互いに干渉し合わないようになっているものが多いように思う。
それゆえ整合性はキレイにはまるが、行間や、重複することに因る滲みが生まれにくく、
スッキリはしているけど考えたり解釈したりする余地がない。
本作ではそれらのパーツが円や楕円だものだから、
敷き詰めたところで隙間は出来るわ、重なり合って干渉するわ、
しかも色違いで重なったところは変な色になったりしている。
でも全体としてみると、大変好ましい模様になっている……そんなつくりであるように思う。
重要な「一貫性」は全体像で示されている。

あの、本当に面白いですよ、この作品は。
「目の前で手をワキワキくすぐる動きを見せられるとなんだかくすぐったい気持ちがしてくる」
というような現象を、心に対してずーっとやってくる、そんな感触のある作品です。
他ではなかなかない。



■『アリスと蔵六』
OPが好きでした。
『ふらいんぐうぃっち』の桜美かつしカントクですが、
この人はOPでキャラにクラップさせるのが好きなんですかねw 楽しげで良いですけど。

お話の方は……イマイチ。フツー。
蔵六のキャラクターが良かったのと、
ヒロインとタッグを組む相方がイケメンやもう一人の美少女とかでなくがんこじじいになった
というくらいで、あとはフツー。
「人の形と精神機能を持った人間ではないものが、人間の心などのあり方にふれて
 人間らしさを獲得していく」
という図式は特に目新しい物ではなかったし、敵方のキャラクターやその哲学・精神性、
異能の力やバトル表現などにも大きな驚きはなかった。
こぢんまりと手堅くまとまっていた感じ。
目の覚めるような鮮やかさは感じられなかったなあ。
ときどき、蔵六の古めかしいけれども的を射た説教が心に響いた、というくらい。
これで、どちらかというと蔵六の方にも大きな変革がもたらされるようなことがあれば
すごい物・面白い、新鮮なものに出来るな、と見ていて思った。
けど多分、このお話、最後の最後は蔵六はフツーに幸せに死んで、
蔵六の人間臭すぎる人間の部分を、それを「学んで」得た人間ではないサナが引き継いで生きる、
みたいな終わり方をするではなかろうかな、と予測する。
まあサナは設定上人間ではないとはいえ、外見えはただの可愛いスーパー超能力女子でしかないので、
あんまり意味はないですね。
色々と、商業上の理由で味付けを失敗している作品だなと思った。



■『正解するカド』
いやあ……惜しかった。大変惜しかった。
なぜあそこまでイイ感じで運んで来ておきながら、
突然私が神だそうはさせるか私は人間を愛しているバトルモノにしてしまったんだろう……。
まるで、最後で必ず一回徳井が狂うチュートリアルの漫才みたいじゃないか。
そこまでのもの凄く面白い、問い立てと葛藤のくだりが主題だ! と思わせておいて、
全然しょうもないありきたりな展開の方が本体でした! っていうのは一体、
どんなサディストもしくはマゾヒストの展開なのか。
いやあー……しょうもなかった。
考えうる一番しょうもない方向に舵を切って終わらせるという、
ある意味で大英断、逆ウルトラCを決めた感じだった。
内村航平が演技のシメに逆上がりをするとか、そんな感じ。ビックリするわ。
そしてあの終わり方をさせるにしても、人類に残される一番の課題は

「自分たち人間が(のみならず自分たちの住まう宇宙という世界全体が)
 神などよりも自分たちにより近しい、意志ある者によって、
 なんらかの目的を持って、手段・道具として生み出されたモノであることが
 明らかになってしまった」

ことだと思うのだけど、そんなこと全然扱われずにスッと終わっちゃったのも、
より大きなショックでした。
まザシュニナさんの言ったことも、証拠が提示されたワケでも何でもないので事実かどうかはわからないが。
だって……ねえ?
「人はどこからきてどこへ行き、何のために生きるのか」
という重大な問題に、
よそからきた寺島拓馬によってペロッと解答が示されちゃったんだもの。
それこそ、人類全体の、この先どう生きるのかということにかかわる
大事件だと思うんだけど。
まあその辺の事実は、真道さんにのみ語られて他の人類には伝えられなかったのかな……。
重たすぎるもんな……。

こういう『PSYCHO+』みたいな、何が起こるか分からないお話、
面白く、美しく、価値のある終わり方をさせるのは難しいと思うけど、
せっかく面白いことを面白く描くチャンスをえたのだからしっかりと活かしてもらいたいと、
切に願う次第。

……アレだね。
自らが面白いと思えるものの面白さを極大化して描くことに成功して経済的にも成功を見せることで、
その面白さにフォロワーが生まれて時代の潮流を作ることが出来る、
つまり、自分の信じた面白さによって時代の思想や展望の方向性に影響を与えることが出来るというのは
ものすごい快感であると思うのだけども。
この作品は、その一つのチャンスを持っていたと思うのに……。
その難しさに、正しい解を示してもらいたかった。
お前が不正解でどうする。



■『フレームアームズ・ガール』
「アーム」の方に複数形のsが付くのか、
それとも「ガール」の方に付くのかしょっちゅう分からなくなることでお馴染みの本作
(馴染むそんなモン)。

えー、正直申しますと、本編は2話と3話、あとなんか前半の一話くらい……? を、
チラッチラッと見ただけなので、お話の中身のことはお話し出来ません。
しいて言うなら、あすみんの出てた似たようなお人形さんアニメとヨソのなんかを足したみたいなアレだな、
と思ったくらいです。

ここで取り上げたいのは……OPのお歌。
今をときめく超人気声優であるところの、ソンセンナシコロモさんこと、村川梨衣さんの歌う
「Tiny Tiny」の方であります。
……えー、こっから先、全然ホメないので、それを読んで腹が立つ人は……マいいや。
好きにすればいいよ。

なんていうか、こう……
「フレッシュな人が、こんな古臭いありきたりな歌を、なんのひねりもなく歌ってて……大丈夫か?!」
という……ゴメンなさいね、大変失礼な怒りと驚きがフツフツとこみ上げてきたという……。
そう、心配になりつつ腹が立って、端的に言うと、この歌をキライになったんです。
こんなコト初めてかも知れない。
「あー、この歌嫌いだわー」って思ってしまった。
結構……5、6回は繰り返し聞きましたけど、「あー、うーん……やっぱなー」と。

コレをですね、GLAYさんが歌っておられたら、別にビックリもしないんですよ、多分。
「ああ、伝統芸能ね」って思うから。「さすがだ!」ってなモンですよ。
こんなオールドファッション通り越して、マンネリな思いをストレートに歌にして臆面もない、
ベテランの味だ! って感心するくらい。すごかったですもん、『クロムクロ』のOPとか。
「これかよ!!」って思ったもんね。
すごかった。

  見ました? 『クロムクロ』。見た方がイイよ、面白いから。
  イヤ中身は本当に面白いですよ、特に17、8話以降辺りから(遅いな)。
  閑話休題。

▼クロムクロ OP



でも、ホレ、今回はそんな大ベテランじゃなくて若いコちゃんがせっかく歌うんだから、
もうちょっとお化粧させてやんなさいよ、オシャレさせてやんなさいよ! って思うのよ。
まっすぐ過ぎるし、まるで痩せぎすの足軽が、Tシャツ一枚で野っ原に立ってるようじゃないか。

まっすぐな所がイイとか、そういう問題ではない。
棒切れ一本で万の軍勢と戦えるのは、それは宮本武蔵だからですよ。
剣道を始めて間もないお嬢さんが、
「そうか、剣を振るってこういう事か、突き詰めればこうなっていくはずだ!」
っていう事にいくら気が付いたからと言って、いま棒っ子一本で敵陣に突っ込んだら死ぬわけです。
敵に辿り着く前に、弓に射られてハチの巣です。
ハチの巣にしてもらえるならまだいい、一矢目で首を射貫かれておしまいですよ。
剣を振って振って振り続けて、型を身に付けて、実践も経験して、
棒を握る手の方に血も汗も返り血も全部しみ込んで、ようやくその棒は戦うための武器になるんです。

それを……なんだね君たちは。
年端も行かない娘に棒一本持たせて達人だと持て囃して。
地力はあるのだろうと思うから、ナンボかは戦えましょうよ。
刀を打つ時間や惜しかったのか、なかったのか。
鎧を設える手間やお金がなかったのか、知りませんけれども。

まあ……ねえ。
ムラカワさんも27才ですか、
多分この歌の歌詞みたいなことに実感を持って気付き始める頃で、
それをまっすぐなことばで歌いたい歌わせたいって気持ちもワカランでもないけど。
……うーん……。
なんていうか、「保(も)ってない」。
その気持ちでは、歌と、歌い手自身とが、保(も)ってないですよ。
気持ちは分かるし疑うわけではない、けど、コンテンツとして支え切れていない、
支え切れるだけの武装が出来てない……そんな風に感じました。

本当に個人的な感想でしかないんですけど、
それを作品として聴かされて、大層イヤな気持ちになる、という……
自分の歴史の中でも珍しい体験をしたので……書き留めたまで。
ムラカワさん個人には何の問題も罪もない話。
曲調自体は決して嫌いじゃないし、ムラカワさんの声も全然だめじゃないし、
なんならムラカワさん自身のことは好きだし、
歌い方だって全然ヘタじゃない、むしろうまいと思うくらい。
気持ちに疑いがあるわけでもないにょ。
気持ちを支えて実感を生み出すだけの、しみこんだ時間が足りない、ということでした。
この曲がOPでなければ、本編ももう少しは見たかも知れない。



■『武装少女マキャヴェリズム』
「いいクソアニメがない!!」
……とTwitterで叫んでたら複数人に勧められたという、なんとなく気の毒な作品。

  あ、クソアニメとしてじゃなく、
  フツーに楽しんでいる人たちもTLに散見されましたですよ(当たり前だ)。

デ実際のところどうだったかと言えば、クソアニメではなかった。
そして、個人的には特に面白いとももなかった。

ハナから、ヘタウマであることや、ユルいこと・脱力ものであること、バカアニメとかを標榜して
狙って作られるものは、クソアニメになりえないのですよ、まずは。
『手さぐれ!』とか『てーきゅう』とかですね。
こういうのは、別にクソアニメじゃない。ただの「そういうコンセプトの作品」です。
それらが面白いか面白くないかは、別な部分に依るでしょう。
そして『マキャヴェリズム』はそこには分類されない。
とても真面目な方向に向けて、しっかりと作られておりますからね。

クソアニメというのは、
『スクールガールストライカーズ』とか『絶対防衛レヴィアタン』とか
『インフィニットストラトス』とかのような……
頭が良くて器用でもある、力のある人が、
色んなオトナの言う事をきいて四方にいい顔をしつつ、潤沢な資金をしっかり活用して作ったら、

  「……アレ? おかしいな。
   新しい工夫や野心を盛り込んだ、力の入った作品にしようとしていたつもりなのに
   左手の手クセだけで書いたみたいな要素しか残らなかったぞ?」

みたいな作品のことを言います。
……言うんだと思います、多分。
オイサンの中では、今のところそれが近いです。

なんかその、『マキャヴェリズム』というこの作品、
理屈をつけて自分の考えた面白さの正当性を解こうと一生懸命努力しているこの作品もまた、
クソアニメではなかったです。

大体このアニメ、あんまり絵に動きも説得力も見出し難く、
言葉で色々説明するので紙芝居見てる感覚に近かった気がする。
あんなに言葉で説明しなければならないのだったら、いっそ紙芝居にしてしまえば斬新だったかもしれない。
原作はマンガなのかラノベなのか把握してないけど、どうやってるんだろ。
もう少しバカっぽく、イキオイに任せても良いのではないか。

▼OP曲 Shocking Blue

カッコイイ曲。



■『サクラダリセット』
カントクが、『のんのんびより』川面監督だったので見てみたけど、やっぱりダメだった。
話がーとか、ドラマがーとかじゃなく、ご都合異能ミステリーだったので、
単純に肌に合わなかった、ということです。
ハルキ花澤は可愛かったので、もっと見ていたかった。
「赤いチェックのミニスカート」のくだりのハルキがとてもかわいかったので見てみたけど……
アカンかった。
インターミッション的なハルキさん日常回が個人的神回でした。



■『サクラクエスト』
2クール目に突入したのでびっくりしている。
1クール目前半はどうすんだコレと思って見ていたが、中盤以降、ちょっとマシに。
こういったらなんだけど、PAworksが新人研修向けに、
「PAWorksとはこういうものだ、やってみろ!」って作らせた、みたいな話に見えていたけど、
2クール目に入って、急に真面目に、村おこし・町おこし、地方の抱える問題みたいなところに
真面目にフォーカスし始めて、説教臭さはあるけど面白くはなってきた。
相変わらずのスロースターターぶりである。
悪いことではないのだけど、もっとこう……満遍なく散らすというか、
都合よく前から整理してお話を並べるのではなくて、不規則に配置することは出来ないものだろうか。
あと『グラスリップ』のBOXを早く出して下さい(関係ないだろ)。



……。



大体こんな感じだろうか。
7月クールも始まって一か月近く経とうとしてる中で前期アニメの感想書くのもナンだけども。
あと、『有頂天家族2』のOPについては
個人的な気分も含めて書き残したいことがあるので別記事で続けて書こうと思う。
オイサンでした。


 

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2017年7月13日 (木)

■おなかにTポイントカードがいます。 -更新第1137回-

先日、父の日の贈り物を求めに、
某有名デパートの某有名国産タオルブランドの店で買い物をした時のことである。
品物を選び、実家へ送るための伝票も書き終えてさあお会計となった段で、

  店員さん「某有名デパートカードをお持ちですか?」
  オイサン「いえ、持ってないです」
  店員さん「当店のポイントカードはお持ちでないですか?」
  オイサン「ないっす」
  店員さん「Tポインt……」
  オイサン「我不所持」


うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!
面倒くさい!!
色々提携とか導入とかし過ぎだろ!
一個にしろ!!
一個に!
一個にしろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!

カルチュア・コンビニエンス・クラブは悪い文明!!
滅ぼせええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!

お前はなんだ! アレか! 全部持ってたら全部にポイントが付くのか!
そのうち100円のお買い物で5000兆円相当のポイントが付加されることによって
実体に比してうつろな情報的質量が過大に発生することで
情報重力に偏重が生じて情報空間に情報的特異点、すなわち情報のブラックホールが発生するぞ逃げろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ間に合わない!もうダメだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!


……ということで、カードについて聞くのは、
一店舗あたり一回にするか、
もう貼り紙しといて客が自分から言ってこなかったらガン無視でいいと思います鬱陶し過ぎる。
そしたら後から文句言ってくる客がーとか言うんでしょ分かってるようるせえバーカ。
そんなポイントカードくそ虫は客じゃなくて人間でもなくてポイントカードの奴隷だから
5000兆ポイントくらいくれてやれ。
そんで5000兆の5000兆倍のポイントで情報的ブラックホール一つと交換してやれ。

そして店員さんはオイサンがあまりにポイントカードに興味がないモンだから、
最後には恐る恐る


  店員さん「あの、いまお買い上げいただいた方には
         こういうクリアファイルを差し上げてるんですが……
         要らない……です……よね?」



Dsc_0786


なにおう、貴様ッ!!?
コレだけ言ってもまだわからんのかッ!!
可愛いじゃないかもらうに決まってるだろ!!!

オイサンでした。
あ、ホットマンのタオルはとても使いやすくていいです。






 

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2017年7月12日 (水)

■ご注文はうさぎ丼、千夜ダクで。 -更新第1136回-

先日、毎朝朝ゴハンを食べている某超有名牛丼チェーンに、
オイサンうっかりしちゃって小銭入れを置き忘れちゃったんですよ。
エエ。
小銭入れ。
おうちのカギとか、パスモとか入ったやつですよ。
ねえ。

そしたらもう、受け取りに行かないと。
あ、あったんですよ。お店に。
置き忘れちゃっただけで、10分くらいして気が付いて、すぐ電話したから、出てきたんです。
お店にあった。見つかった。
それはまあ良かった。
だからオシゴトの帰りに受け取りに行かないとっていうんで、
お店には電話をして、その日はオシゴトの後に英語研修なんかあったモンですから、
ちょっと遅くなっちゃって。
受け取りに寄れるのは21時くらいですかねー、なんつって。
連絡してね。

それで、夜ですよ。
英語の研修も終わりまして、じゃあ受け取りに行くかー、なんつって、
エッチラオッチラ、歩いて……15分くらいですかね?
朝からひと駅ふた駅歩くシゴトバまでの道のりの途中にあるもんですから、
そこそこかかる。
マ自分は歩き慣れたモンですからそう遠いとも感じませんが、
普通に東京で通勤してる人は、遠いねーって思うでしょうね。15分っつったら。

サテまあその15分を歩いてお店に着きまして、
朝の時間帯には見たことのない、多分夜シフトのバイトのお兄ちゃんなのでしょう、
いらっしゃいませー、なんつって呑気に、
イヤ呑気にってこったあないな、オシゴトですからね、彼らはアレが。
そのお兄ちゃんに、カクカクシカジカ、朝忘れ物して電話した者ですけどっつって、
事情を説明しましたらまあ、教育とマニュアルがしっかりしたモンで、
スッと忘れ物が出てきた。
そうするとまあ、聞かれるワケですよ、


  「いくらくらい入ってました?」


って。
そりゃそうでしょうね?
ガワは無事に届いたものの、中身がスッポリ抜かれてた、なんてケースも、まあまあ、
世知辛い世の中あるでしょう。
あちらさんもその辺はキチンと把握をして、
何か問題があればお巡りさんにご報告なされたりするんですかね、
それは分かりませんけれども、
中身は確認なさった、ということでしょう。それはもう致し方ありません。

それでオイサンも、記憶の限り、細かいところはチョイチョイと置いといて、
えー、大体XXXX円くらいですかねーと申し上げましたところ、
お店の方も遺失物帳票みたいなのと照らし合わせをなさって、
チラッと見えたんですけど、オイサンの言った内容と、何ケタかあるうちの、
百の位までは合っていた。

ああじゃあ大丈夫ですねー、ここにサインいただけますかー? とおっしゃるので、
こちらだってまあそれなら安心するじゃないですか、
ハイハイーなんつってサラサラッと名前を書いて、
お手続きはそれで無事終了。
アッサリしたもんですよ。
それでお店を出ました。
中身も減っていなかったようだしメデタシメデタシってなもんで。

しかしまあ、一応、鍵やらパスモやらありますんでね、
一応ジブンの目でも中身を確認しておこうか、
他に大事なモンは入ってなかったはずだしー、
って駅への道を歩きながら、カードなんかも入る二つ折りの小銭入れをパカッと開



Atrdsc_0832




うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいええええええええええええええええええええええええええええええええええええお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



見られたああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ次行ったら絶対「ご注文はウサギですかあwww???」って聞かれるうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう絶対へんなあだ名つけられてるうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



……マいいか別に。



あだ名つけるなら、チノちゃんって呼んでね?

推しはリゼ、シャロ、マヤです。
コラボするときは……わかるな?

オイサンでした。


 

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2017年7月11日 (火)

■些伽巳日記~Sagami-Nikki~マッケンロー VS ファースト・フレディ -更新第1135回-

先日オシゴトから帰ってテレビをつけたらウインブルドンの中継をやっていた。
かつては西奈良のマッケンローと呼ばれたオイサン(呼ばれていない)としては、
近い将来コートであいまみえることになるであろう錦織選手
(近い将来コートであいマミえることにならない)のタマスジ(カタカナで書くな)を見極めようと、
着替えたりする(覗くなよ?)傍らでしばらく流していたのだが、
実況や解説がとても的確でクオリティが高く、上等で上品であったように思いました。
テニス全然知らないけど(西奈良のマッケンローじゃなかったのか)、
見てて聞いてて面白かったですもの。
あーそうなんだー、そういうことなんだー、と。

  しかしお前、マッケンローて。

このところ、深夜にやっているmotoGPのレースもなんとなく録画して見ていたりするのだけど、
アレの実況・解説とは一味もふたあじも、
その、なんていうか……上質。
なんて表現すればいいのかしら。
motoGPのアレはアレで良いものなんだけど、……格が違うというか、目指している質が違うというか。
軽自動車と、上等なクルマ、みたいなことですよ。
つくりと値段と、用途が違う、みたいなことですよ。
イヤ、この際用途は同じなのか? わかんねえけど。
なんだろう、余裕のあるお金持ちが、ゆとりを持って解説をしている、みたいな感じだった。

  ……なんだと? バカヤロウ! 誰も、
  「motoGPのテレビ解説が『貧乏人が切羽詰ってやってるみたい』」
  なんて言ってねえだろうが!!
  曲解するんじゃねえよ、バカヤロウ!

▼PS2 motoGP Opening



  ……いや、ホントそんな風には思ってませんよ? エエ、モチロンですとも、エエ……。
  アレはアレで、知ることも多いし、面白いものだと思って見てますよ。
  がんばれドヴィツィオーゾ!(突然の応援)
  でもウインブルドンの解説が、とてもしっとり落ち着いたものであったことと、
  「……motoGPのとえらく違うな」と、瞬間的に思ったことは本当。
  どちらも世界最高峰クラスの試合なのに。
  マ競技の性質とか、お客さんの嗜好に寄り添っているということだと思います。
  当たり前のことです。

あとテニスって、最近では「チャレンジ」なんていうルールがあるのね。
最初は何のことか分からず見てたけど、
どうやら怪しい判定(ボールが入ったとか入ってないとか、ネットに触ったとか)については、
選手が申請すると、回数制限つきでカメラ判定をしてもらえる制度らしい。
いいじゃないの。
ちゃんとしてるじゃないの。
さすが、紳士のスポルツ。
ていうか紳士のスポルツを自称する競技が、紳士らしいことを導入してるの初めて見たわ。
サッカーや野球も、似たような仕組みを導入すればいいのに。

と思ったら、サッカーの方では入れてるところもあるようで、
しかし精度そのものはあんまり高くないみたいですな。
「人間の審判が間違ったか?」と思われたときに
文句が出にくくするための第3者的装置として使える、程度の精度しか、まだないご様子。
そう思えば、全部を機械にやらせないというのは賢明な判断なのかもしれません。
AIと人間が共存する、根っこの方の良いサンプルを見た気がいたします。
フレンズはみんな、とくいなこと違うから!


オイサンでした。
 
待ってよー、サーバルちゃーん。


  アハハハハハ・・・・
     ウフフフフフ・・・・
      マテマテーーー・・・・


 

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2017年7月 9日 (日)

■ボギー、調子はどうだい?~映画『勝手にしやがれ』を見る~はじめてのゴダール~ -更新第1134回-

土曜日、本厚木で映画を見てきた。
ジャン・リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』。
1960年の古い映画です。


▼勝手にしやがれ



本厚木の小さな単館でリバイバることをたまたま知り、
『押井言論』の中で押井監督が何度もゴダールの名前を出していたので、
勉強のために見ておくかと思った。ゴダールの名前くらいは知っておったし。
小島監督の話にもしょっちゅう出てくるし。

この作品は、ゴダールのヌーベルバーグの旗手たる地位を確固にした作品で、
つまるところ、当時としては斬新な手法をふんだんに盛り込んで撮られた映画だということだ。
自分は映画小僧でもなんでもない年に何本も見ないマンなので、
そんな歴史的なコトを言われてもふーんってなものだが。
その斬新さを体感するためには、これ以前のさらに古い映画を何本か見ないとならないだろう。
が、前知識を入れておいて、大体なにが新しさなのかを探しながら見ていた。

映画の細かいことはwikipediaでも見てもらえばいいとして、
その新しい手法は、実行するのが特段難しいものでも、思いつき難いものでもないように見えるのだが、
ゴダール以前の映画人たちがどうして思いつかず、取り入れられなかったのかということが
目下の興味だ。

  マそれを知るには、今度は、
  当時の映画の文化的な位置などについて勉強せねばならないだろうけども。
  その辺は知ったところで何かに使えるとも思えないからあんまりやる気はない。

映画の内容自体は分かる部分と分からない部分が半々くらい。
このテの映画になると、こめられるのはメッセージなどという生易しいものではなく、
作り手自身の思想や哲学、人生観、
言うなればエゴ全般が鉛の立方体みたいに非常に不親切にゴトンと置かれてるだけみたいなもんで、
いちいち読み解くなどというまだるっこしいことをしなくても、
何となくは心に染み入ったり、割り込んだり、時にはそれで頭蓋骨をカチ割って
脳みそに置き換わろうとしたり、してくる。
なんともエゴエゴしい、ドヤ感とかいう騒ぎではない「こんにちわ、僕です!」感に満ちている。
腹は減らなかったが歩き方が変わる、くらいのものだった。
十分に面白かった。

一個の作品として、面白いな、と思ったのは、
主人公がどういう人となり(年齢・職業・出自など)なのかがサッパリ分からないまま、
現在地を起点にある時間までのことがトクトクと語られるところだった。
なるほどこういうのもアリなのだな(それは多分新しい手法でも何でもない部分だが)、と
楽しんで見られた。
映画というのは自由なもんだな、と思ったが、
書き物でも多分同じことが起こっているし、やってもいいんだとは思う。
マ都合の良いところだけをうまいこと使えればいい。
要は思い切りだ。
短編を描くときには良いように思う。
ただ自分がやろうと思ったら、
「その前も後も書いた上で真ん中だけ抜いてくる」みたいなことをしないと自分が不安になりそうだ。

音楽は少しうるさメだったが、画面が白黒だったこともあって穏やかに見られた。
主人公が、警官を殺して自分が追われていることも知りながらパリの町でのうのうと暮らし続け、
しかも人を騙したり、車を次々に盗んだりという悪事を繰り返す様子は、
先ずリアリティとしては理解しがたいのだけど、
それとて、舞台である当時のパリの風俗を知らねば到底リアリティなどは語れない。

あとあと気付いたんだが、
この作品は、まだテレビが無いか、一般に普及していない時代の話なのだな。
広報・ニュースの配信手段が、ラジオ、新聞、
街頭のメッセージネオン(アレなんて言うんだっけ……)しか登場していなかった……と思う。
テレビとネットと携帯電話はおろか、
なんなら固定電話だってそうそう自由には使い難いくらいの世相であるようだ。
情報伝達の、即時性も拡散性、秘匿性が現在とは次元が2つ3つ違っていることに気付くのに
かなり時間がかかった。
しかしなるほど、となれば、犯罪者が街に潜むことなどまだまだたやすく、
主人公がそうしていたように、多くの犯罪者は町なかを大手を振って歩いていたのかもしれない。
情報伝達の質によって生じる意識の違いたるや、どうやら想像を絶する差であるようだ。
会ったこともない人は自分のことを知らず、
自分も自分の目に見える範囲のことしか知りえない世界というのは、
正直、自分でもかなり想像しがたくなっている。

そうした情報の即時伝達拡散性の高い・低いによって、
社会の常識やありよう、認識がこうも変わってくるのか!
……ということが、一番の驚きと発見であったように思う。
作品の本質と全然関係ないところで感動してるんじゃない。

作品そのものの話に戻るが、
確かに今の映画でもあまりお見かけしないような手法、
たとえば映像がジャンプしてしまうような編集の仕方であるとか、
役者が完全にカメラ目線でカメラに向かって独白するであるとかも確かに見受けられた。
そういうエキセントリックな場面に行き当たるとハッとしはするのだが、
これらがまるで無かった時代に、評価されたことがすごいなと思う。
監督の死後にとか、一部に評価されたとかでなく、
リアルタイムで公に賞を与えられるほど受け入れられ、評価されたことがすごいなと思うし、
ということは、
新しいものが出てきたことを多くの関係者が喜んだのであって、
進取気鋭の風が業界全体に吹いていた土壌や風潮があったのであろう。
そのことが素晴らしいと思う。

  しかしまた、それならなぜ、コレをやる人が、先に、他に出て来てなかったんだろう???

「実験的な作品として、
 一部ではもてはやされ喜ばれるものの、大多数である伝統派・保守派から邪道・異端扱いされ、
 のちにフォロワーが増え、監督の死後とかに「思えばあの作品が歴史の転換点だった」
 みたいな形で評価される」
というのが、お定まりの……そして自然なパターンだと思ったのだが。

公開直後から名誉ある賞を取り、ヌーベルバーグの旗印とされるほどだった、と聞くと……
当時の映画界の皆さんは、従来の映画に退屈していたのではなかろうか、
という邪推が働いてしまう。


■心情・心象的な感想

話が、技術や歴史的な方向にばかり向いてしまった。

とまあ、以上のようなエキセントリックな面や歴史的な意味での隔絶もあるので、
なんの摩擦もなくすっと映画の世界に入り込むことは出来なかったのだけど、
半世紀以上も前の映画であるにも関わらず、
最後には気分よく、すこし歩き方が変わってしまう程に映画の世界に入り込んでしまった。

当時の……なのかどうかは、コレまた歴史の話なのでワカランけども……
破滅的な男の美学というのか、これもまたペーソスなのか、
男性の根源的なかなしみの如きものが、
上澄みの方は透明感にあふれてスタイリッシュに、
底の方にはズクズクと深い緑色をしてたまっていて、
最後には知らず知らずのうちにその入り口までは連れてこられてしまう、という出来上がりに感嘆。

そのスタイリッシュなことに徐々に惹かれていき、
撮り手の厚いエゴにも触れ、
最後にはかなしみの澱に飲まれる。
軽薄であるが故に渡れるはずだった比重の重い沼を、
やがて自分の比重が上回っていたことに気付かず、沈み込んでいくような感覚。

あの沢田”ザ・スタイリッシュ”研二が
「男がピカピカの気障でいられた」とその時代への憧れを歌ったほどの時代の話である。
そうあるためには、携帯電話やテレビを消し去ることが必要になってくるのだろう。
悪が気安く町に暮らせるような時代であることが、そのための一つの条件であったように思う。
それを超えてしまって人々すべてが同じ情報基盤の上で広くモノゴトを同時的に共有できるようになると、
オスが個としての居場所と心を失い、
メスと卵のために働くだけの存在なるのは、きっとアリや蜂の世界と同じなのであろう。
人間はボチボチ、ようやく、蜂やアリの社会に追いつこうとしているのかも知れない。
これから先は、文字や言葉も必要としない、
分泌物と社会的ニューロンによる伝達の世界が始まるのではないだろうか。


▼沢田研二 勝手にしやがれ



▼沢田研二 カサブランカダンディ

「ボギー、あんたの時代は良かった」という歌詞が出てくるのはこっち。


悪事を働く男がカッコいいとか、だらしのないことが男の本懐であるとか、
そういう浅い部分の話ではなくて、
生き物社会の仕組みとして、男性はいくらか自由であることが望ましいとされている
(そうして「渡り歩く」ことが多様性を生んだり繁殖的に効率がよかったりする)反面、
社会からは自由を抑圧されたり制約されることを求められる、
そんな狭間で押しつぶされたり綱引きしたり、なんでしなきゃなんないんだ、
どっちかに決めてくれよ! っていうね、悲しい叫びみたいなことですよ。

そんな人生をどう納得して閉じていくのか……
そのテーマはきっと、昔よりも難しくなっているんではないですかね。
わかんねえけど。

しかしどうなんだろ、これを撮った当時、ゴダールは20代後半だったというけど、
その年でそういうかなしみに、実感を以て向き合っておられたものだろうか?
マ当時の三十路は、今よりは大人だったかもな……。


■余談~Closing

ゴダールの名前に引っかかったのは、実は最近また『押井言論』を読み返していて、
その中で何度も名前の出てくるヴィム・ヴェンダース監督のことも頭にあったからだった。

で、ヴェンダースについて調べてたら、
奇しくも堀江敏幸センセイの短編『アメリカの晩餐』で引かれていた『アメリカの友人』も、
そういえばヴェンダースによって映画化されていたんだっけと思い出す。
『パリ、テキサス』と一緒に見てみようと思う……が、
中々レンタルでは見つからんな、『パリ、テキサス』。

あと、オイサン、ヴェンダースと誕生日が一緒だった。
わーい(うれしいのか)。
 
 
 

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2017年7月 8日 (土)

■些伽巳日記~Sagami-Nikki~世田谷散歩マン! -更新第1133回-

今日は、今年初めて蝉の声聞いたな。
オイサンです。


何かのラジオで、パーソナリティがガタイのゴツいゲストに、

「あんたのカラダじゃ経堂辺りは走れないからw!
 それに引き替え先週の××くんは小粒w! 世田谷向きww!」


とネタにしていたのを聞いて
……これは勿論アレですよ、
  オシゴトのスケール的な話もひっくるめて皮肉ってる言いっぷりですよw?……
大変ユカイに笑っておりましたところ、
先々週の土曜日、いつもの4紳士の集まりが新宿であったので、
経堂で途中下車し、豪徳寺、梅ヶ丘まで歩いてみた。

  「なぜそんな寄り道をするのか」だって?
  休みの日に、ただ新宿に行って帰るのってなんか癪に障るんだよw
  新宿以外に目的地が欲しいわけです。

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「セタガヤ」とは、関西生まれの関西育ちのオイサンは、言葉やその響きは知っていたものの、
関東に暮らして20年近くになるのにワリと最近まで具体的にどのへんかは
未だにちゃんと把握してなかった。

経堂へは以前一度だけ、小田急の忘れ物を受け取りに来たことがあり
(小田急では何故か、遺失物・忘れ物は最終的に経堂の忘れ物センターに集められるのです。
なぜこんな中途半端な駅に……?)、
その時に印象に残っていた白山陶舎といううつわ屋さんを覗いて、
特になんてことのない道を選びつつ豪徳寺へ向かう。
するとまあ、どうでしょう。なんとも閑静ではありませぬか。
なるほど、休日の午前中! っていう感じする。

細くて不規則に入り組んだ道に、これまた不規則な形の土地と家が並んでいるが、
嫌な密集の仕方じゃなく、いくらかゆとりを感じさせる立ち並び方をしている。
上品な気配がある。
かといって、あからさま豪邸が建っているわけでもない。イヤ、中には豪邸もありますが。
マときどきぶっ壊れた家とかもあるんだけど、全体としては不思議と、荒んだ感じ、
やさぐれた印象を受けなかった。
強いて言うなら、「絵になる」というか、「絵に描いたような」住宅街であって、
ドラマに出てきそうな風なんであった。

  江の島の北の方、ちょっと山の方も似た感じの場所があるのだけど、
  あそこともちょっと違う感じでしたね。
  あっちには……ゆとりが感じられなかったな。

……ていうか、ドラマで見てきた住宅街が、多分こんな雰囲気をお手本にして作られていたのだろう。
この辺でロケをしたりもそこそこされているのではなかろうか。

……マどっちが先なのか分からんけども。
こういう風景が、視聴者のシンパシーを呼ぶからこの辺が代々舞台にされてきたのか、
この辺がドラマにフィーチャーされたから、人々はこの風景にシンパシーを感じるのか……。
ただまあ何となく、「素敵な東京ぐらし」に憧れを抱く人々のモデルのような風景が
ここからジェネレートされている、ということは、田舎者のオイサンにもなんとなく伝わってきた。
ロクにドラマも見て育ってきてないけど。

  ウェイが「素敵な湘南ライフ」に憧れを抱くのと同じだ。
  確かにこれは、千葉にはないものだ(よけいなおせわだ)。

いずれにしても、歩きながら「なるほど世田谷、こういうことか」
とよく分からないナットクをしてしまった。
確かにここは、ガタイの良いマッチョマンは上手く歩けない気がする。道幅的な意味で。

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豪徳寺から梅ヶ丘に向かう分岐のところにコーヒー屋があったので
気まぐれにそこでテイクアウトしてみようとアイスコーヒーを頼んだら、
ヒゲ面コワモテ細マッチョのにーちゃんが
「カフェラテがおすすめなのですが……」と、
店を開くときに1000万借りた金持ちの後輩を
                        殺して埋めた
ような声
(どんな声だ ※著しく偏った個人の感性です)で言うので、おとなしく要求を呑むことにした。
エスプレッソがご自慢なんですねわかります。良いエゴだ。

デその殺人カフェラテ(ひどいあだ名をつけるな)、美味しかったです。
エスプレッソをダブルにすれば良かったな。
けど牛乳は、普通にお店で売ってる低温殺菌牛乳なんすね。
あと、あの分量で500円はちょっと高いとは思う。しかしそれも、ナットクの世田谷プライスなのだろう。
美味しかったは美味しかった。

しかし世田谷、
住宅密集ジグザグみちを歩いてたら突然結構な広さの砂利敷いただけの雑な駐車場が現れ、
その真ん中に井戸の遺構があったりと、
なかなかこころときめく風景も内包しておられる。
確かにこれは、ドラマの発生を予感させるものではある。
なんていうか、小諸の都会版、みたいな趣。

「閑静な住宅街」なんていう冠を与えられていて、
いやいやいや、言うても都会の真ん中でしょ、東京でしょ?
そんな静かなはずないやん、そこそこうるさいんでしょ? て思ってましたが、本当にしずかでやんの。
ブッ殺すぞ(どうした急に)。

そうして梅が丘までトボトボ歩き(どうした元気を出せ)、
駅の北側にあった羽根木公園とやらをひと巡り。
そこで眠っていたツラ構えの良いネコスケをぱちりと撮ってツイッターに上げれば、
ネコ好きのヨ氏から即座に反応が返ってくる。ホントにネコ好きだな!! 隊長もだけど。

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ヨ氏が
「美登里寿司が食いてえ」
などと言うので、なんだそれはと尋ねれば、
どうやら駅前を通ったときゲロみたいに行列していた店がそうだったらしい。
なるほどアレには並びたくないな。安くて美味しいらしいのだけど。

新宿での集まりまではまだ随分時間があったので
梅が丘周辺をぐるっと回って見つけた適当な店でとろろなどを食べ、駅前で古い喫茶にしけこんだ。
するとまあ、本当に古くから親しまれた地元のお店だったご様子で、
結構な年老い系マスターが、若いご夫婦と、でっぷりと風格を身にまとった常連と思しきデb
……巨漢の御仁と談笑しておられる。
子どもが生まれたばかりの若夫婦が、その報告に来ておられたようだ。
ホンマブッ殺すぞ(なんでや)。

マスターの、いちいち歌うような
「いらっしゃ~ぃ♪」「ごっ注文は~?♪」「ありがとうございま~っす♪」
という応対が大変心安いお店でありました。
心がルンルンする。

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というワケでなるほど、
世田谷にはトレンディドラマが憧れた、暮らしの空気があったように思われる。
まあトレンディドラマ見たことのないオイサンにはあまり関係ないけども。
同系統のアニメが参考にしているテンプレな町並みってのも、
日本のどこかに転がっているのだろうか。

しかしどうであろう、住みたいか? と問われたら……まあ、あんまりだな。
幼き自分の原風景とはあまりにかけ離れている。
が、自分の原風景など追い求めていては、
いつまで経っても、自分の今いる風景でさえも借り物以上のものにはならないであろう。

こちらへ出てきて、今年ではや20年。
しかしオイサンにはこの住まいも、この町も、この風景も、
未だ借り物、骨を埋める場所だとは、到底思えずにいるのだった。
覚悟を決めるに足るような、確固たるものが見つからない。


 

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2017年7月 4日 (火)

■心に忍び寄る、まだ見ぬ歌の風景~Englishman in Katharinen~ -更新第1132回-

朝のドトールで、なんだか落ち着いた曲を聞きたくなって、
選んだ曲は、笠原弘子さんのアルバム「Saga」から『マリエンベルグにて』だった。

 ▼カタリーネン広場の午後
 


この時期の姫(と、オイサンは笠原さんのことを高校の頃から呼んでおるのだよ)の曲は、
当時まだベイビーだったオイサン in 1996には、
静かすぎてなかなか胸を張って「ものすごく好きだ!」と言えるものではなかったのだけれども
(と言いながらもちゃんとアルバムは買ってたんだからエラいモノでしょ)、
心にはびっちりと残っていて、
こうして心の引き出しからすんなり呼び出せるくらいには定着しているので
やはり楽曲自体の力の強さというものがあるのでしょう。
そんなに聴き込んだ覚えもないのにね。
マお金はなかったから、今に比べればずっと聴いていたのかもしれないな。

確か、姫が作詞家の松宮恭子さんと一緒に欧州の各国を回ってロケハンし、
曲を作ったアルバムだった……ハズ。
どっかでそんな話を読んだと思うんだけど。妄想かも知れぬ。
その甲斐あって、大変雰囲気のある、パンチの利いたアルバムになっている。

1996年当時、グーグルマップなんていう便利なものもなかったので、
このアルバムの歌に出てくる国々や地名が一体どこら辺にあるかなんて
調べようと思ったこともなかったけれども、
いま聴いてみると
「この『マリエンベルグ』というのは一体どこのことだろう?」
なんて疑問が、さまざまな情報・解答と同時にやってくる。

▼マリエンベルク要塞



マリエンベルグを検索するといくつか出てくるが(マリエンベル「ク」だったりするけど)、
恐らくはマリエンベルグ要塞というのが正解だろう。
うーん……行ってみたくなるなあ。カタリーネン広場とかね。
20年前以上も昔に出た笠原弘子さんのアルバムの足跡をたどる、
聖地巡礼欧州旅行。それはそれで味がある。
最後には日本に帰ってくるしね(アルバム最後の曲は「黄金の国から」)。

  オススメは、「マリエンベルグにて」「エディの国」「黄金の国から」。
  どの曲もすばらしく印象的だけど。

しかしなんだ、20年なんて、あっという間だね。
夢の一夜だ。
笠原さんのライブでも探してみようか。

しかしどうでもいいけど、どうしてこのテのカフェでは
無駄に音楽を流すのだろうかね……。
みな静かに、話すにしても周りに配慮して、
音楽もすっかりやめてしまえばいいのに……。ウルサイよ。
それを思うと、何の音楽も流さない小諸のそば七さんはすごいと思う。
人の少ない時間帯に行くと、静かすぎてドキッとするものね。
御主人はきっと、うるさいのが苦手にちがいない。
他さがしてもなかなかないよね、何の音も流してないお店。
音楽好きだよなー、日本のお店。

  まあそれで、ハッとする曲に出会うこともあるからいいっちゃいいんだけども。
  もう少し静かでもいいと思う。

  ▼Sting - Englishman In New York
  
  どっかのお店で偶然知った曲

あと関係ないけど、視覚的なノイズという意味では、
電車の中の広告も……もっと少なくして欲しい。
1/3か、1/4くらいでいいよ。ゼロがいいけど。
広告ゼロ車輛とか出来ないものかね?

疲れている時にどっちを向いても「意図のある意匠」に囲まれているのってキツいと思うんだけど、
みんな感じないのかなー?
鉄道自殺が多いのってアレのせいも少なからずあると思うんだけどなー。
なんの根拠もないけどw


取り留めのない話でした。
あ、あと笠原さんって、新潟出身だったのね。
そういえば昔、ファーストエッセイの「碧い準宝石」でそんなん読んだような気がするな。
物心つく前に離れたんじゃなかったっけ……。
うろ覚えだから嘘かも知れん。


 
 
 

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