2017年7月24日 (月)

■四十路のヨソ行きワル巧み~『有頂天家族2』OP・「成るがまま騒ぐまま」に思う~ -更新第1139回-

前回のついでで、『有頂天家族2』のOPの話を。


▼『有頂天家族2』OP 成るがまま騒ぐまま

ランティスのメンドクサイ枠三傑に数えられる、milktubさん。
あまりよく知らないアーティストさんだけど、マ見るからに……って感じはする。
なお三傑の残り2枠は、景山ヒロノブ、遠藤正明らしい。



ワリと古風な価値観で書かれた歌詞だな、とは素直に思う。
また同様に、物語の中で謳われている、「阿呆」であるとか「波風を立てる」であるとかいう、
複雑で味わい深い、粋、小粋な要素を、必ずしも的確に捉えて書かれている歌ではないように思う。

  ♪ 波風立たない人生は ちょっとばっかりつまらない
   ……
  ♪ 心配ばかりじゃやぼったい いてもたってもいられない


とはこの歌の歌うところで、
まあ個人的に賛成しかねる部分も多分に含んでいることも否めないのだけれども、
「人生に波風が立つ」ことを愛おしく思う部分に、惹かれるものを感じたことも事実。

それは、悪サを奨励するとか、退屈だから要らぬ問題に首を突っ込もうとか、
単純にそういうことだけではなくて(結果的にそういう行為に落ち着くことが大半だろうが)、
前回も書いた、「多様なモノを認めて関わっていく」くらいのことだと思ってもらえると良いと思う。
「多様なモノ」の中には、いまの自分とは違う自分、今まで手を出す余裕のなかった姿の自分も含んでいる。
それを認めると、「波風」は自ずと立つからだ。
踏み出し方や手の触れ方で、立つ波風の大きさは自ずと変わってくるからそこには注意が必要だけど。

自分はそもそも、平穏無事、安定・安寧、大きな安らぎを望むタチなのである。
「うっそだあ」という人もおられるかも知れないが、
自分くらいビビりでヘタレの小心者を、私は知らない。
ただし、ビビりでヘタレなだけで、慎重でも勤勉でもなく面倒くさがりなので諦めは早く、
諦めてしまえばビビることにも適当になっていくから、安寧を求めているようには見えないかも知れない。
あと、リスク計算が雑でザルの目が粗い。
なので、ザルをふるう回数は多く時間もかけるのだが、通過を許す砂利の大きさも大きいので、
やはり危険に対する許容量は大きいように、他人からは見えるかもしれない。
しかし自分としては、自分よりザルを多く、長くふるう人間を、殆ど見たことはない。
ビビりでヘタレであるからして、一個でも通らない石が見つかるとそれ以上の検討はやめて
実行を諦めてしまったりもするから、危険だ、やらないと決めたらもう根っからやらない。
まあそんな、ヘタレなジブンであるからして、
こういうリスクを冒して厄介ごとに首を突っ込んでいくメンタリティに惹かれたこと自体、
自分でも驚いてはいて、
今の自分の状態をなにかしら勘違いしてちょっと調子に乗っているに違いない、
という疑いの目を己自身に向けてみている。

問題は、四十を跨いでどうにか本厄を越えたこのタイミングで
この歌が心に響くようになったことだ。
無難に、とにかく安全に安定的に暮らしてこようと思っていたこれまでの人生を、
どこかものさみしく思う心が「波風」を求めるようになっているのだろうかと思うと、
人心とはかくも現金なものか、
のど元過ぎればナントヤラで、自分から厄介ごとをもとめに行くのかと呆れるばかりである。

  ♪ トラブルすらも燃料さ!

なんていう風にはさすがに思えなくて、厄介ごとなんて無いに越したことはないと思うので、
声高に、この歌を自分のための歌だとは言えない。
自分は、絶対に、失敗も怒られもしたくない人間なのである。
こういうところはこの歌の古風過ぎるところだと思う。

しかしなんというか、
人生というのか、運命というのか宿命なのか分からないけれども、
そういう「人ごときには計り知れない大きな流れの様な、それぞれに対して準備されたもの」は、
ひと一人一人のいろんな表情を引き出すために、
波風の立つタイミングを、いきる道程に用意しているのかも知れないなあ、とか思うワケです。
何か節目を迎えると、考え方が、自分としては変わっていないようでも変わっていたりするのではないかと。
これもまた現金な、ご都合主義的な心持ちだけれども。

生きていると、様々な、転機と呼ぶにも足らないような「心変わり」がやってくる。
それは自分の意志だけによらず、環境によるところが大きい。
その環境、すなわち自分を取り巻くモノゴトというのは、
自らの意志で選び取って身辺に並べたモノと、
そうではなく自分の意志に関わらず、生まれたときから、或いはいつの間にか近くにあったモノとがあるが、
いずれにせよ自分という人生の一部ではあるワケで、
この「波風を立てる」という行いの全貌は、
それらが連れ来る変化に如何に真摯にかかわっていくか、というハナシなのだと思う。

  それらの最たるものが、血というか、家というか、親とか家族とか、
  生まれ落ちたときに必ず付きまとう者たちだっていうのが本編では描かれてたと思う。

自分にとっての、最も身近に取り巻くものが何であれ、
それに抗わず従うことが潔いと思う心もあれば、
抗って、今までの自分を守ろうと思う心もまた同じくらい潔い、堂々たる態度であるとも思う。
どっちもアリでしかないのだね、こういうことは。だから歴史があるのであろう。

まあ自分の場合、アタマは固いし人付き合いも好きじゃない、
オマケに多様性に出会っても、さっさと諦めて引いた線の向こう側に隔離してしまうから、
せっかく立った波風に、上手に自分の人生を変えてもらうことは出来ないんだけど。

そんな解釈をして聴いているものだから、歌の最後の

  ♪ いつでも波風立てるよ ズンズン立てるよ
  ♪ いつでも平和を乱すよ ガンガン乱すよ


という歌詞が、ちょっと直接的過ぎて味わいを欠く、
野暮ったく、ドライに過ぎるな、と感じている。面白がってやっているきらいが強すぎる。
それと反して、

  ♪ 大事なものさえ変わらなきゃ 寝ても覚めてもゆかいなり!

の部分のウェットさはとても好きなので、個人的には色々とアンバランスなお歌である。

  ♪ なるがままに騒ぐままに 悪だくみならおまかせだ

そう、悪だくみ。
無論、単にいたずらや、ひとに悪い影響を与えるための企みではない。
自分さえも騙して逃げみちをふさぐ、そんな腹を決めるための装置でもあるだろう、とオイサンは考える。
ニヒヒと歪めた唇の端で、
しまいには自分と人とを愉快な気持ちにさせる、
そんな人生を……この先も送ることが出来ればと、この歌を聴いて願うばかりの42歳である。

ところで悪巧みといえば、四十余年にわたるオイサンの人生の中でも
1、2を争う大きな影響を被った作品、『アマガミ』の正ヒロイン・絢辻さんも、悪だくみが好きな人だった。
こんなシーンがある。
廊下でなにやら、いつもの表情でもの思う絢辻さんに出くわすのである。

  主人公「絢辻さん、何を考えてるの?」
  絢 辻「悪だくみ」
  主人公「ええ!?」

これだけ(続きはあったはずだが、しれっと終わったはずだ)のシーンなのだが。
この先にどんな結末が待ってたっけか。
こう言ったいった後の、彼女のすっきりした立ち絵の微笑みは、
今もなお色褪せないことである。



オイサンでした。


 

| | コメント (0)

2017年7月23日 (日)

■酷評するカド~2017年春・4月期アニメの感想~ -更新第1138回-

もうすっかり夏・7月期のアニメも始まってしまいましたが、
前期の春・4月期アニメの感想を簡単にまとめておこう。

全体的な雰囲気として、この期は総じて小粒だった印象。
とにかくアレは毎週固定して見ようと思うほどの物はなかったし、途中脱落率が高かった。
期の初めにとりあえずチェックに入れたのは、
大体普段と同じ12、3本あったと思うけど、残ったのは3本だけ。
中でも印象に残っているのだけ、とりあえず気持ちをメモしておく。



■『ID-0』
『スクライド』『アクティヴレイド』の谷口悟郎監督。
人の意識をロボットのカラダに転送するMT(マインドトランス)システムが確立された
人類宇宙拡散時代のお話で、
12、3話というサイズに収まるよう、きれいにパッケージングされたお話だったと思う。

その分こぢんまりというか、枠が意識され過ぎて壮大さが感じられなかった。
宇宙を駆け巡るお話なのに、閉塞感ばかりが鼻についた……のだが、
マ基本追われる者の話だし、宇宙での暮らしなんでそんなもんかも知れぬ。
それはそれで、ある程度宇宙時代が近付いた現代としては、リアリティのある話なのかもしれない。
MT技術によって肉体や記憶を失ってなお生き続ける人たちのドラマなので、
意識が内へ内へと向いていく、そこは対比なのかもしれないけど、カタルシスが薄かった。
もっともっと能天気に「うおおおおおお宇宙ヤベエw!」ってなる部分があっても良かったかなー。
『アクティヴレイド』みたいに突き抜けても良かったと思います。
今回は、監督、バカじゃなくお利口に徹した感じ。
綺麗にまとまりはしたけど、飛び抜けた印象は得られなかった、そんな残念さがある。
時代性には大変富んでいたけど、もう少し強いインパクトが欲しかった。
今期の中では面白くはあったけれども、ずっと残っていく感じではないです。
ミクリマヤちゃんが地味にカワイイ。
ビジュアルショックは十分。
OPについてはセンスが最高に良く、今期のベスト。
EDの影山ヒロノブの英語ソングが「巻き舌で気持ち悪い」という意見は何度か見かけたが、
世代的には、スペオペものに影山ヒロノブのバラードEDときたら、
『宇宙船サジタリウス』の「夢光年」が想起されるので(そして恐らくその効果は狙われていると思われる)、
ほぼ無条件のノータイム反射で肯定されてしまうのだった。

▼夢光年




■『有頂天家族2』
1期同様、面白さは群を抜いていた。
ここが面白い、こうだから面白い、と言語化することが非常に難しい、という、
面白さの質としては『この世界の片隅に』と似たところのある作品。

第1期の頃からすでに好きで、面白い、と思っていたのだけども、
世間的にはそれほど評判が芳しかった様にも思えず(DVDの売り上げを見ても……)、
それなのに第2期が動いたのは、発表時、正直ビックリした。
自分も怠慢なもので、面白いと思いながらもそれを殆ど表には出せず、
表に出せるほど自分の感情の分析や言語化もしないまま、1期は終わりを迎えてしまったのだった。

ただ、心の底とか心の天井とか壁面とかにもっちゃりと柔らかく張り付いた
ピンク色の感情の塊は間違いなく「面白いと思っている」部類に属するもので、それは今も変わらない。
今も変わらない、1期からそうだったと思うのは、2期を見始めて確かめることが出来た。
どういうところが、どういう風に自分に面白いのかを以前に比べれば説明できる感じではある。

  それが自分の進歩なのかと言われたら、……正直、素直にYESとは言えない。
  なんかこう、明確な言葉や数値でしか伝達や記録が出来ないことは、
  美点・美徳・有用な能力とは言い難い、と、最近とみに感じるところがあるからだ
  ――勿論、それをすることが悪であったり、何かに比べて劣っている、
    出来ることが出来ない事より劣っているなどというおかしなことを言うつもりはない――
  マそれは今はいいや。閑話休題。

「家」とか「血」とか「名誉」とか「心意気」とか「粋」とか「野暮」とか、
今の日本が猛スピードで失っている「古き良きもの」に重きを置いて扱いつつ傍らで小バカにもしている、
小バカにすることで大切に思わせ、後生大事にしてみせることで小バカにもする、
という、非常に微妙なシーソーの上で右左するようなバランスのとり方、
遊び方、楽しみ方を見せてくれる作品です。
まさに「阿呆となりて波風を立てる」「面白きことは善きことなり」に恥じないスタンス。

……と書くとまた誤解を生みそうですが、
主題歌の『なるがまま、騒ぐがまま』で歌われるような、
単純に「悪ふざけをして世間を騒がせる、平和を乱す」ということを良しとする話では、
決してないな、と感じております。
ここでいう「波風を立てる」というのは、よりかみ砕いて言えば
多様性を認めて持ち込んだ上で、極端にバランスを取る、ということにきわめて近いと思われる。

  (……などと、言葉で詳らかにしていこうというのは野暮以外の何物でもないのだけど)

その多様性が、たとえ自分という個体や、世間の許容を上回る・相反するものでも、
キャパオーバー上等! の広い度量でやっていこうじゃないか、ということだと思うのですね。
キャパというのはオーバーしてナンボ、
それで初めて世間が広がっていくんだよ、という気分の持ちようであるように解釈した。
マその結果、あっちが擦れ、こっちが欠けするんだけども。

物語の構成要素としては、
要素の一つ一つが必ずしもまっすぐな辺や面のある形をしておらず、
円や楕円や球で出来ていたように感じる。

近年の物語づくりにおいては、物語のパーツは四角四面で隙間なく敷き詰められ、
要素と要素は独立していて互いに干渉し合わないようになっているものが多いように思う。
それゆえ整合性はキレイにはまるが、行間や、重複することに因る滲みが生まれにくく、
スッキリはしているけど考えたり解釈したりする余地がない。
本作ではそれらのパーツが円や楕円だものだから、
敷き詰めたところで隙間は出来るわ、重なり合って干渉するわ、
しかも色違いで重なったところは変な色になったりしている。
でも全体としてみると、大変好ましい模様になっている……そんなつくりであるように思う。
重要な「一貫性」は全体像で示されている。

あの、本当に面白いですよ、この作品は。
「目の前で手をワキワキくすぐる動きを見せられるとなんだかくすぐったい気持ちがしてくる」
というような現象を、心に対してずーっとやってくる、そんな感触のある作品です。
他ではなかなかない。



■『アリスと蔵六』
OPが好きでした。
『ふらいんぐうぃっち』の桜美かつしカントクですが、
この人はOPでキャラにクラップさせるのが好きなんですかねw 楽しげで良いですけど。

お話の方は……イマイチ。フツー。
蔵六のキャラクターが良かったのと、
ヒロインとタッグを組む相方がイケメンやもう一人の美少女とかでなくがんこじじいになった
というくらいで、あとはフツー。
「人の形と精神機能を持った人間ではないものが、人間の心などのあり方にふれて
 人間らしさを獲得していく」
という図式は特に目新しい物ではなかったし、敵方のキャラクターやその哲学・精神性、
異能の力やバトル表現などにも大きな驚きはなかった。
こぢんまりと手堅くまとまっていた感じ。
目の覚めるような鮮やかさは感じられなかったなあ。
ときどき、蔵六の古めかしいけれども的を射た説教が心に響いた、というくらい。
これで、どちらかというと蔵六の方にも大きな変革がもたらされるようなことがあれば
すごい物・面白い、新鮮なものに出来るな、と見ていて思った。
けど多分、このお話、最後の最後は蔵六はフツーに幸せに死んで、
蔵六の人間臭すぎる人間の部分を、それを「学んで」得た人間ではないサナが引き継いで生きる、
みたいな終わり方をするではなかろうかな、と予測する。
まあサナは設定上人間ではないとはいえ、外見えはただの可愛いスーパー超能力女子でしかないので、
あんまり意味はないですね。
色々と、商業上の理由で味付けを失敗している作品だなと思った。



■『正解するカド』
いやあ……惜しかった。大変惜しかった。
なぜあそこまでイイ感じで運んで来ておきながら、
突然私が神だそうはさせるか私は人間を愛しているバトルモノにしてしまったんだろう……。
まるで、最後で必ず一回徳井が狂うチュートリアルの漫才みたいじゃないか。
そこまでのもの凄く面白い、問い立てと葛藤のくだりが主題だ! と思わせておいて、
全然しょうもないありきたりな展開の方が本体でした! っていうのは一体、
どんなサディストもしくはマゾヒストの展開なのか。
いやあー……しょうもなかった。
考えうる一番しょうもない方向に舵を切って終わらせるという、
ある意味で大英断、逆ウルトラCを決めた感じだった。
内村航平が演技のシメに逆上がりをするとか、そんな感じ。ビックリするわ。
そしてあの終わり方をさせるにしても、人類に残される一番の課題は

「自分たち人間が(のみならず自分たちの住まう宇宙という世界全体が)
 神などよりも自分たちにより近しい、意志ある者によって、
 なんらかの目的を持って、手段・道具として生み出されたモノであることが
 明らかになってしまった」

ことだと思うのだけど、そんなこと全然扱われずにスッと終わっちゃったのも、
より大きなショックでした。
まザシュニナさんの言ったことも、証拠が提示されたワケでも何でもないので事実かどうかはわからないが。
だって……ねえ?
「人はどこからきてどこへ行き、何のために生きるのか」
という重大な問題に、
よそからきた寺島拓馬によってペロッと解答が示されちゃったんだもの。
それこそ、人類全体の、この先どう生きるのかということにかかわる
大事件だと思うんだけど。
まあその辺の事実は、真道さんにのみ語られて他の人類には伝えられなかったのかな……。
重たすぎるもんな……。

こういう『PSYCHO+』みたいな、何が起こるか分からないお話、
面白く、美しく、価値のある終わり方をさせるのは難しいと思うけど、
せっかく面白いことを面白く描くチャンスをえたのだからしっかりと活かしてもらいたいと、
切に願う次第。

……アレだね。
自らが面白いと思えるものの面白さを極大化して描くことに成功して経済的にも成功を見せることで、
その面白さにフォロワーが生まれて時代の潮流を作ることが出来る、
つまり、自分の信じた面白さによって時代の思想や展望の方向性に影響を与えることが出来るというのは
ものすごい快感であると思うのだけども。
この作品は、その一つのチャンスを持っていたと思うのに……。
その難しさに、正しい解を示してもらいたかった。
お前が不正解でどうする。



■『フレームアームズ・ガール』
「アーム」の方に複数形のsが付くのか、
それとも「ガール」の方に付くのかしょっちゅう分からなくなることでお馴染みの本作
(馴染むそんなモン)。

えー、正直申しますと、本編は2話と3話、あとなんか前半の一話くらい……? を、
チラッチラッと見ただけなので、お話の中身のことはお話し出来ません。
しいて言うなら、あすみんの出てた似たようなお人形さんアニメとヨソのなんかを足したみたいなアレだな、
と思ったくらいです。

ここで取り上げたいのは……OPのお歌。
今をときめく超人気声優であるところの、ソンセンナシコロモさんこと、村川梨衣さんの歌う
「Tiny Tiny」の方であります。
……えー、こっから先、全然ホメないので、それを読んで腹が立つ人は……マいいや。
好きにすればいいよ。

なんていうか、こう……
「フレッシュな人が、こんな古臭いありきたりな歌を、なんのひねりもなく歌ってて……大丈夫か?!」
という……ゴメンなさいね、大変失礼な怒りと驚きがフツフツとこみ上げてきたという……。
そう、心配になりつつ腹が立って、端的に言うと、この歌をキライになったんです。
こんなコト初めてかも知れない。
「あー、この歌嫌いだわー」って思ってしまった。
結構……5、6回は繰り返し聞きましたけど、「あー、うーん……やっぱなー」と。

コレをですね、GLAYさんが歌っておられたら、別にビックリもしないんですよ、多分。
「ああ、伝統芸能ね」って思うから。「さすがだ!」ってなモンですよ。
こんなオールドファッション通り越して、マンネリな思いをストレートに歌にして臆面もない、
ベテランの味だ! って感心するくらい。すごかったですもん、『クロムクロ』のOPとか。
「これかよ!!」って思ったもんね。
すごかった。

  見ました? 『クロムクロ』。見た方がイイよ、面白いから。
  イヤ中身は本当に面白いですよ、特に17、8話以降辺りから(遅いな)。
  閑話休題。

▼クロムクロ OP



でも、ホレ、今回はそんな大ベテランじゃなくて若いコちゃんがせっかく歌うんだから、
もうちょっとお化粧させてやんなさいよ、オシャレさせてやんなさいよ! って思うのよ。
まっすぐ過ぎるし、まるで痩せぎすの足軽が、Tシャツ一枚で野っ原に立ってるようじゃないか。

まっすぐな所がイイとか、そういう問題ではない。
棒切れ一本で万の軍勢と戦えるのは、それは宮本武蔵だからですよ。
剣道を始めて間もないお嬢さんが、
「そうか、剣を振るってこういう事か、突き詰めればこうなっていくはずだ!」
っていう事にいくら気が付いたからと言って、いま棒っ子一本で敵陣に突っ込んだら死ぬわけです。
敵に辿り着く前に、弓に射られてハチの巣です。
ハチの巣にしてもらえるならまだいい、一矢目で首を射貫かれておしまいですよ。
剣を振って振って振り続けて、型を身に付けて、実践も経験して、
棒を握る手の方に血も汗も返り血も全部しみ込んで、ようやくその棒は戦うための武器になるんです。

それを……なんだね君たちは。
年端も行かない娘に棒一本持たせて達人だと持て囃して。
地力はあるのだろうと思うから、ナンボかは戦えましょうよ。
刀を打つ時間や惜しかったのか、なかったのか。
鎧を設える手間やお金がなかったのか、知りませんけれども。

まあ……ねえ。
ムラカワさんも27才ですか、
多分この歌の歌詞みたいなことに実感を持って気付き始める頃で、
それをまっすぐなことばで歌いたい歌わせたいって気持ちもワカランでもないけど。
……うーん……。
なんていうか、「保(も)ってない」。
その気持ちでは、歌と、歌い手自身とが、保(も)ってないですよ。
気持ちは分かるし疑うわけではない、けど、コンテンツとして支え切れていない、
支え切れるだけの武装が出来てない……そんな風に感じました。

本当に個人的な感想でしかないんですけど、
それを作品として聴かされて、大層イヤな気持ちになる、という……
自分の歴史の中でも珍しい体験をしたので……書き留めたまで。
ムラカワさん個人には何の問題も罪もない話。
曲調自体は決して嫌いじゃないし、ムラカワさんの声も全然だめじゃないし、
なんならムラカワさん自身のことは好きだし、
歌い方だって全然ヘタじゃない、むしろうまいと思うくらい。
気持ちに疑いがあるわけでもないにょ。
気持ちを支えて実感を生み出すだけの、しみこんだ時間が足りない、ということでした。
この曲がOPでなければ、本編ももう少しは見たかも知れない。



■『武装少女マキャヴェリズム』
「いいクソアニメがない!!」
……とTwitterで叫んでたら複数人に勧められたという、なんとなく気の毒な作品。

  あ、クソアニメとしてじゃなく、
  フツーに楽しんでいる人たちもTLに散見されましたですよ(当たり前だ)。

デ実際のところどうだったかと言えば、クソアニメではなかった。
そして、個人的には特に面白いとももなかった。

ハナから、ヘタウマであることや、ユルいこと・脱力ものであること、バカアニメとかを標榜して
狙って作られるものは、クソアニメになりえないのですよ、まずは。
『手さぐれ!』とか『てーきゅう』とかですね。
こういうのは、別にクソアニメじゃない。ただの「そういうコンセプトの作品」です。
それらが面白いか面白くないかは、別な部分に依るでしょう。
そして『マキャヴェリズム』はそこには分類されない。
とても真面目な方向に向けて、しっかりと作られておりますからね。

クソアニメというのは、
『スクールガールストライカーズ』とか『絶対防衛レヴィアタン』とか
『インフィニットストラトス』とかのような……
頭が良くて器用でもある、力のある人が、
色んなオトナの言う事をきいて四方にいい顔をしつつ、潤沢な資金をしっかり活用して作ったら、

  「……アレ? おかしいな。
   新しい工夫や野心を盛り込んだ、力の入った作品にしようとしていたつもりなのに
   左手の手クセだけで書いたみたいな要素しか残らなかったぞ?」

みたいな作品のことを言います。
……言うんだと思います、多分。
オイサンの中では、今のところそれが近いです。

なんかその、『マキャヴェリズム』というこの作品、
理屈をつけて自分の考えた面白さの正当性を解こうと一生懸命努力しているこの作品もまた、
クソアニメではなかったです。

大体このアニメ、あんまり絵に動きも説得力も見出し難く、
言葉で色々説明するので紙芝居見てる感覚に近かった気がする。
あんなに言葉で説明しなければならないのだったら、いっそ紙芝居にしてしまえば斬新だったかもしれない。
原作はマンガなのかラノベなのか把握してないけど、どうやってるんだろ。
もう少しバカっぽく、イキオイに任せても良いのではないか。

▼OP曲 Shocking Blue

カッコイイ曲。



■『サクラダリセット』
カントクが、『のんのんびより』川面監督だったので見てみたけど、やっぱりダメだった。
話がーとか、ドラマがーとかじゃなく、ご都合異能ミステリーだったので、
単純に肌に合わなかった、ということです。
ハルキ花澤は可愛かったので、もっと見ていたかった。
「赤いチェックのミニスカート」のくだりのハルキがとてもかわいかったので見てみたけど……
アカンかった。
インターミッション的なハルキさん日常回が個人的神回でした。



■『サクラクエスト』
2クール目に突入したのでびっくりしている。
1クール目前半はどうすんだコレと思って見ていたが、中盤以降、ちょっとマシに。
こういったらなんだけど、PAworksが新人研修向けに、
「PAWorksとはこういうものだ、やってみろ!」って作らせた、みたいな話に見えていたけど、
2クール目に入って、急に真面目に、村おこし・町おこし、地方の抱える問題みたいなところに
真面目にフォーカスし始めて、説教臭さはあるけど面白くはなってきた。
相変わらずのスロースターターぶりである。
悪いことではないのだけど、もっとこう……満遍なく散らすというか、
都合よく前から整理してお話を並べるのではなくて、不規則に配置することは出来ないものだろうか。
あと『グラスリップ』のBOXを早く出して下さい(関係ないだろ)。



……。



大体こんな感じだろうか。
7月クールも始まって一か月近く経とうとしてる中で前期アニメの感想書くのもナンだけども。
あと、『有頂天家族2』のOPについては
個人的な気分も含めて書き残したいことがあるので別記事で続けて書こうと思う。
オイサンでした。


 

| | コメント (0)

2017年7月12日 (水)

■ご注文はうさぎ丼、千夜ダクで。 -更新第1136回-

先日、毎朝朝ゴハンを食べている某超有名牛丼チェーンに、
オイサンうっかりしちゃって小銭入れを置き忘れちゃったんですよ。
エエ。
小銭入れ。
おうちのカギとか、パスモとか入ったやつですよ。
ねえ。

そしたらもう、受け取りに行かないと。
あ、あったんですよ。お店に。
置き忘れちゃっただけで、10分くらいして気が付いて、すぐ電話したから、出てきたんです。
お店にあった。見つかった。
それはまあ良かった。
だからオシゴトの帰りに受け取りに行かないとっていうんで、
お店には電話をして、その日はオシゴトの後に英語研修なんかあったモンですから、
ちょっと遅くなっちゃって。
受け取りに寄れるのは21時くらいですかねー、なんつって。
連絡してね。

それで、夜ですよ。
英語の研修も終わりまして、じゃあ受け取りに行くかー、なんつって、
エッチラオッチラ、歩いて……15分くらいですかね?
朝からひと駅ふた駅歩くシゴトバまでの道のりの途中にあるもんですから、
そこそこかかる。
マ自分は歩き慣れたモンですからそう遠いとも感じませんが、
普通に東京で通勤してる人は、遠いねーって思うでしょうね。15分っつったら。

サテまあその15分を歩いてお店に着きまして、
朝の時間帯には見たことのない、多分夜シフトのバイトのお兄ちゃんなのでしょう、
いらっしゃいませー、なんつって呑気に、
イヤ呑気にってこったあないな、オシゴトですからね、彼らはアレが。
そのお兄ちゃんに、カクカクシカジカ、朝忘れ物して電話した者ですけどっつって、
事情を説明しましたらまあ、教育とマニュアルがしっかりしたモンで、
スッと忘れ物が出てきた。
そうするとまあ、聞かれるワケですよ、


  「いくらくらい入ってました?」


って。
そりゃそうでしょうね?
ガワは無事に届いたものの、中身がスッポリ抜かれてた、なんてケースも、まあまあ、
世知辛い世の中あるでしょう。
あちらさんもその辺はキチンと把握をして、
何か問題があればお巡りさんにご報告なされたりするんですかね、
それは分かりませんけれども、
中身は確認なさった、ということでしょう。それはもう致し方ありません。

それでオイサンも、記憶の限り、細かいところはチョイチョイと置いといて、
えー、大体XXXX円くらいですかねーと申し上げましたところ、
お店の方も遺失物帳票みたいなのと照らし合わせをなさって、
チラッと見えたんですけど、オイサンの言った内容と、何ケタかあるうちの、
百の位までは合っていた。

ああじゃあ大丈夫ですねー、ここにサインいただけますかー? とおっしゃるので、
こちらだってまあそれなら安心するじゃないですか、
ハイハイーなんつってサラサラッと名前を書いて、
お手続きはそれで無事終了。
アッサリしたもんですよ。
それでお店を出ました。
中身も減っていなかったようだしメデタシメデタシってなもんで。

しかしまあ、一応、鍵やらパスモやらありますんでね、
一応ジブンの目でも中身を確認しておこうか、
他に大事なモンは入ってなかったはずだしー、
って駅への道を歩きながら、カードなんかも入る二つ折りの小銭入れをパカッと開



Atrdsc_0832




うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいええええええええええええええええええええええええええええええええええええお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



見られたああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ次行ったら絶対「ご注文はウサギですかあwww???」って聞かれるうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう絶対へんなあだ名つけられてるうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



……マいいか別に。



あだ名つけるなら、チノちゃんって呼んでね?

推しはリゼ、シャロ、マヤです。
コラボするときは……わかるな?

オイサンでした。


 

| | コメント (0)

2017年5月27日 (土)

甲州の3賢者と、ナインボール・ワンダーランド~2017年のゴールデン・ウィーク・その3~ -更新第1126回-

2017年のゴールデンウィーク日記の続き、いよいよ最終章。
つって、別に他人が読んでも面白いこと何もないけど。
5月4日から、5月7日まで、人類が滅亡するまでの最後の4日間を描く感動巨編。


  ~~あらすじ~~


主に、新宿都庁に向けて北朝鮮からミサイルが飛んできて、
オイサンが疲労で一人で滅亡します。



■■■ 05/04(木・祝) ■■■



  サテここからはGWもいよいよ後半戦。
  しかし祝日2日を含めたこの最後の4連休にはコレといった大きな予定は入れなかった。
  6日の土曜日に、夜から新宿で朗読劇を聴きに行く、というのが一つあったくらいだ。
  それ以外はのんびりと、普段の土日をこねて引き延ばしたような時間を過ごした。

前日、帰るなり倒れるように寝てしまったので4時過ぎに目を覚ます。
この日は、ハッキリとした予定にははしていなかったものの、
近頃あまり行っていないネオ百合丘のオサレ喫茶でスコーンを食べようという心づもりにはしていた。

その店は木~土曜日にしか開いておらず土曜日はいつもそこそこ人が入るので、
ゆっくりしようと思って朝イチから入ったところ、
この日は連休中で皆遠くまで出払ってしまっていたのか、訪う人も少なかった。
かなりゆっくりしていたのだけど、オイサン以外にやってきたお客は一組だけだったのではなかったか。
独りだけ気合が入り過ぎて開店と同時に入ってしまった人みたいで若干はずかしい。
緑に囲まれた窓辺の席で、木漏れ日を眺めながら大変心安い時間をすごした。

Dsc03093

Dsc03101


あんまり天気がいいものだから
店を出てからも近くの公園でなんてことのない木や影の写真ばかり撮ってしまった。
ホント何もない時間のようで、やっているときはフと我に返り

  「せっかくの長い休みを、こんな時間の使い方してて良かったろうか……」

と思ったりもしたのだが、今こうして振り返ってみるとそれはやはり良い時間、
普段は出来ないことだったなと思えるので、間違っていなかったのだろう。
普段出来ないワケではないけど、その前後に、大きなゆとりの時間が控えている
あの状態の心の在りようというのは、やはり得難いものだ。

帰りもブラリと店を覗いたあとは、そこから二駅、柿生、鶴川と歩いて帰った。
あまり写真ばかり撮る気はなかったのだが、
途中どうしても大きな木やら、キレイな影やらを見かけると我慢ができず
カメラを取り出してしまうのだった。
マ撮ったからと言って、これといった写真になりはしないのだが。

  しかし自分が大きな木にやたらと気を惹かれてしまうのは、
  いまだに『ときめきメモリアル』の暗示が抜けないからなのではないか、と
  柿生と鶴川の道沿いに張り出した、大きなケヤキを見て思う。

 Dsc03115 Dsc03128


この道は、ツイッターに一番がっつりとはまってた時期によく歩いていた道なので、
この場所であんなツイートしたな、みたいな記憶がそこかしこで蘇る。
たかがSNSだが、長くやってると、ボチボチそういう「思い出」のようなものも付きまとうようになるな。

Dsc03135


結局、10時半頃に家を出て、帰り着いたのは17時近かったのではなかったろうか。
うち2時間ほどはお茶していたが、あとはずっと歩いてたんだな。
夜は、昨日、忍野八海の名泉そば製麺所で買ってきた太うどんを茹でたのだが……
自分の買って帰った太うどんは、店で出たそばや細うどんと違い
15~20分も茹でなければならないなかなかの高難度ミッションであり
普段うどんなんか家で茹でないもんだから量も間違えて、わりと大変な事態となった。
そばや細うどんは、一人前ずつキレイに別れて箱に収まっていたようだったのに、
太うどんは、なんかもうゴチャッと! ……箱に突っ込んであったんで、
一人前がどのくらいか分かりづらかったんである。
しかしそれでも美味いのだから大したもんである。

好天と緑に包まれた、なんとも幸せな一日。



■■■ 5/5(金・祝) ■■■



子どもの日。オッサンだけど子どもなので、この日はオイサンの日です。
正直、この日は何をしたのか殆ど記憶にない。
どうやら朝ジョグをし、あとは近所の喫茶をハシゴしつつ本を読んでいたようだ。

2軒目を出るときマスターが出口まで追いかけてきて、
「日曜は臨時で休みなので」
と教えてくれたのが印象に残っている。
以前はよく食べていたのだが、最近見かけなくなっていた美味しい納豆(だが高い)が
売られているのを見つけた。

あとは、PCにたまったの写真を整理したくらいだろうか。
HDDの空き容量が、現在十数GBしか開かないのですぐ一杯になってしまうのだった。



■■■ 5/6(土) ■■■



ここからは普通の土日になる。祝日は死んだ!
今日は新宿の、紀伊国屋サザンシアターで
「声の優れた俳優によるドラマリーディング 日本文学名作選 第四弾 三四郎/門」を聞きに行く。
開演は19時からなので遅くから行ってもいいのだが、
母の日の贈り物を見たりする都合もあって早めに家を出、途中カフェで書き物をしたりしつつ、新宿へ向かう。

……が、母の日案件については隣駅でさっそくカタが付いてしまい、
12時過ぎには新宿に着いた。
マその先どのあたりに潜伏するかも考えてはあったのだけど、
チョット色気を出して、都庁の展望台まで上がってみようだとか、
探偵・神宮司三郎のデビュー作でおなじみ、新宿中央公園を覗いてみようだとか、
余計なことをしているうちに考えていた場所へ行くことは出来なくなってしまった。
マそれは大した場所じゃないからいいんだけど、
ずっと新宿近辺にいたせいでどえらく消耗した……。

電車を降り、南口から外へ出てみて、人が少ないことに大変驚いた。
実際は出口へ向かう途中、改札を抜けた辺りで、既に人の少なさを感じていたが、
こんなに人のいない新宿は初めてだ。
人がいない、と言ってもあくまでも平日の新宿との比較にすぎず、
魚津や甲府に比べれば全然ひとはいるのだが、
それにしても歩きやすい。
GW中は都心から人が出払っていて人口密度が下がっていると聞いていたが、ここまでだったのか。
そら初日は高速中が真っ赤になるわ。


 ■都庁の展望台


都庁の展望台で思ったのだが、
お隣の半島や大陸からの来訪者が多い場所では積極的に日本語を発していかないと
違うアジアの言葉で案内されてしまうことが多い。
どうやら自分は「勝手が分からなくてキョロキョロしてる人」みたいに見えるようだ。
時々チャイニーズで案内されそうになる。

都庁の展望フロアへは過去にも一度来たことがあり、
そのときは曇りがちだったのであまり良い印象がなかった。
今日は晴れているから印象も変わるだろう! と勢い込んで乗りこんでみた、のだが。
……天気が良くて、遠くまで見えても、あんまり面白いモンでもなかった。
なんだろうな、あのつまらなさ、不毛さは。

確かに遠くまでは見られるのだけども、
ふーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん、
って感じなのだった。外から眺めてる方が面白いぞ、都庁。都政と同じだな。 ← あっ

日本語や文化に達者なワカモノ外人さん(30歳くらいのオトコ)が一人いて、
どういう立場にある者同士なのかわからないけど、ガイドっぽいおじいさんに

「日本人は働き者だとか、礼儀正しいとか、
 そういう情報はほかでもたくさん聞けるので今ここで改めて聞いても新鮮味はなくて、
 それよりも現代において日常的にどういう暮らしや遊びをしているのかとか、
 例えば日本人は成人男性でもスマホやコンソールで普通にゲームをする、
 フランス人のオトコはまずもってそういうゲームは遊ばない、
 先日羽田で、もう60歳くらいのオジイチャンがスマホでゲームをしているの見て僕は大変驚いた、
 もっとそういう、今の生の話をしてもらった方がきっと面白いと思う」


みたいな、説教だかアドバイスだかをしてて、そっちの話の方がものすごく面白く、
思いきり聞き耳をたててしまった。横から話しかけてしまおうかと思ったくらいだ。

尚、都庁の展望フロアは地上200mチョイ、サンシャインは240mほどらしい。
先日見た昇仙峡の覚円峰は180mでそのどちらよりも小さいのだが、
なんか、もっともっと覚円峰の方が小さい気がしていたので、
あ、意外に大きいのだなと感心した。
まあ周りにも大きな岩があるとか、視界が開けていないだとか、
環境が印象を左右していることもあるのだろう。

展望台の窓から外を眺めていたら、
「もしキタチョーセンさんが日本めがけてミッサイルをブッパなさるとしたら、
 ……ヤッコサンがガチにクレイジーで、かつ的確に狙いを定められる実力があれば、
   という前提つきだが……
 ここって真っ先に狙われそうなランドマークだよな」

Dsc03193


という、なかなかポップ&エキサイティングな想像が浮かび上がり、
怖くなってきたんで早々に退散することにした。
しばらくベンチにとどまって書き物くらいしてても良かったのだが、
なんか気分良くないんだよあそこ。
空気がよどんでるというか、いかにも閉じ込められてる感がある。閉塞感がある。

都庁の展望台、地上45階で、上がるだけならタダです。
北と南、両方のタワーにあります(直接行き来は出来ない)。


 ■新宿中央公園殺人事件(しんでない)


都庁を出、ちょっと考えてお隣の新宿中央公園を一回りしてみることにした。
DECOファンの聖地、探偵・神宮司三郎さんのお膝元である。若い奴はわかんねえだろう。
しかし三郎さんがデビューした1987年当時はいざ知らず、
禁煙・分煙の進んだ平成の世では(その平成も終わろうとしているが)
ヘビースモーカーの三郎さんもタバコを吸う場所に、さぞお困りであろう。
いまあの公園の中で、タバコ吸う場所とかあんのかな?
多分87年当時だったら、どこでも吸えて、吸い殻だらけだったんじゃないかしら。
イヤそれは想像にすぎませんが。
……などと、87年当時の新宿中央公園の姿に思いを馳せるオッサンであった。

 あとどうでもいいけど、今調べて見たら、
 神宮司三郎さん、新宿中央公園殺人事件当時は29歳だったんだな……ワカゾウやないか。

  ▼探偵 神宮寺三郎シリーズ
  https://goo.gl/EUHp07


その公園でしばらく写真を撮り、ベンチに座って書き物をしたりしていたのだが、
腹がいななきおってな。


無性にラーメンが食べたくなったので近場を検索して見つかったラーメン屋に行ってみた。
普段はこういうことはそうそうしないのだが。
ラーメンくま神。
公園から、歩いて5分もしない住宅街の中に見つかった。
オイサンが入った時、お客はカウンターに1人のみ。この人の少なさも、GW中だからだろうか?
濃いめのとんこつ醤油ラーメンをすすりながら尋ねてみたが、
休日はそもそもそんなに多くないのだそうな。
公園から流れてくる客もそんなにいないと、タレ目が色っぽいガチムチ兄さんが教えてくれた。
そんなもんか。
しかしこの、とんこつ醤油ラーメンというのはウマイマズイ言う以前に、
塩と脂が人体を本能的に喜ばせてしまうので純粋に味を判定するのは難しい、と改めて思う。
満足感はあったが味はわからなかった。

Dsc_0538


なお帰り道、近くのマンションのベランダに、
スラリと良いガタイの白人さんが2人、
     半裸にバスタオルで過剰にくつろいでおられた
ので、
オオもしかするとあれが噂に名高い、と思ったのだが
あまり なかまに なりたそうに そちらを みて いたら
なかまにされてしまいそうなのでそそくさと再び公園へと退散したのだった。

あと、いま書いてて気付いたのだが、
チョーセンミサイルを避けて都庁を逃げてきたのに、
そのすぐ隣の公園にいつまでも留まっておったのでは結局やられるのではないか俺よ。


 ■新宿の高いコーヒー屋に潜むオタク(オイサン以外)


しばらく公園でストレッチしたり写真を撮ったりなどしていたが、お芝居までまだ4時間ほどあった。
さすがにずっとこのまま新宿中央公園にいては顔が寺田克也デザインになってしまう(エエやないか)。
一時、どこか店屋に退避することにした。
前もって、めぼしい店に印をつけて来はしたものの、
土曜の新宿ではさすがに人がいっぱいで、店になど入れたものでないであろう……
と来る前は思ってたのだが、今日のこの様子なら大丈夫そうだ。

……。

休み。
あ、あほぉーーーーーーッ!!



しかしそのすぐ近くにコーヒー屋が見つかったのでそちらに緊急避難した。
あ、あぶなかった……。
デ、滑り込んだ「但馬屋珈琲」。
あほみたいに高かった……。
あ、あほぉーーーーーーッ!!
さすが新宿駅前。ころすきか。
真面目なコーヒー屋が高いのは承知しているが、ワリとフツーの珈琲が700円台から。
ちょっと面白そうなのを狙うと900円、1000円あっという間。
にしても高すぎるだろ。
何が入っているんだ(コーヒーです)。

  横浜家系ラーメンの値段は、主に
   ・店員のおそろいの黒いTシャツ代
   ・そこにプリントしてあるラーメンポエムの考案費と印刷費用
   ・ねじり鉢巻き代
   ・独特の掛け声が一声いくらか
   ・過酷な湯切りアクションによって負荷がかかる肘のメンテナンス費用
  が含まれていてそれだけで750円、そこから上がラーメン代になるのは有名な話だが
  (それより安い店は、肘が頑丈か、声が小さい分)、
  ここのコーヒーにはどうも、上下そろいのタキシード調制服と蝶ネクタイで
  690円かかっている気がする。

席に着くと、2つとなりにスーツ姿の2人組の兄ちゃんを相手に、
カジュアルないでたちのチャラい兄ちゃんが講釈を垂れている。
『あの花』がどうとか、アニメチックな話をしてたからちょっと聞いていたんだが、
なんだかその後、あまりのチャラさに気が狂いそうな話をし始めたのでシャットアウトした。

そしてまた、後から入ってきた女子2人が隣の席に座り、
声優さんがうんぬんカンヌンと話し始めたのでこれまたビックリする。
こちらのご婦人方は話しぶりからもしかすると、そういうエンターテインメント関連で
オシゴト的に声優さんと関わっておられるのではないかな、と思わせる内容だった。

5時半頃まで潜伏し、本日のメインイベント会場へ向かった。


  ■「声の優れた俳優によるドラマリーディング
              日本文学名作選 第四弾 三四郎/門」



紀伊国屋サザンシアターで本日のメインイベントの朗読劇の鑑賞。

このシリーズを聞きに来るのは2回目。
1回目は、同じく漱石作の「それから」だった。
そのときはあすみんが出てたので聞きに来たのだが、
今回は、先日の舞台『ペルソナ3』に風花役で出ていた田上真里菜さんを見に来た。
というか、『P3』での田上さんがなんだかやけに眩しく見えるので、
これは果たして自分は田上さんが好きなのか、それとも田上さんの演じる風花が好きなのか、
その見極めに来たのである。

結論としては、後者、であったような気がする。

今回の朗読劇の中での田上さんが良くなかったというワケでは決してなく、
今回も今回で魅力も存在感もとてもあったのだが、
オイサンの惹き付けられる重要なファクターであったらしい「愛らしさ」は
演じるキャラクターの性質上いくらか減殺されており、
やはりそこはキャラクターありきであったかな、と感じられた。

……のだが、終演後のフリートークセッションではコレマタ大変愛らしくていらっしゃったんで、
やっぱご本人は愛らしいな、ウフフ( ← 盛大にキモチワルイ)と思った次第。
うーん、もう一本くらい見に行ってみるか( ← 思うツボ)。
これって、アイドルにハマるオッサンの心理と同じだろうか。
気を付けよう。手遅れ?
しかしなんだな、役者さんを、演じ手の技量ではなくスの魅力を目当てに見に行くってのも、
大概無礼なハナシな気がするな。

朗読劇の内容としては、
オイサンはスーパー不勉強野郎なので「三四郎/門」も「それから」も、
「アイアムアにゃんこ(英題)」も読んだことがないのだが、
今こうして内容に触れてみると、なんとも平易で親しみやすいモンだな、と感心する。
脚本として均してあるのかしらない(多分それはないと思う)が、
難解な言い回しやもって回った象徴化も感じられないし、
ド直球な物語展開で、ただ淡々と必要なことだけが、
シンプルで明瞭且つ鮮やかな日本語でもって彩られていく様は、
さすが古典の名作として長く世に残り続けるだけのことはあるとただただ感心するしかないものだった。
原作を手に取ってしっかり読み込んでみれば、
もっと思うところや読み取れることも増えるのだろうけれども、
こういう略式のスタイルで向き合うだけでもこれだけ伝わってくるのだから素晴らしい。
朗読劇という形式にも、素晴らしくマッチした題材なのではないだろうか。
役者への演出も、前回ほど過剰な感じを受けなかった。
照明・音響はもう心持ち抑え気味になっても良いように思う。
役者さんは回によって持ちまわりだったり、一回こっきりの登場だったりで変わるのだが、
オイサンの見た回の役者さん4人(男×2、女×2)は誰も皆ちょっと優しめの人たちで、
原作にあるのであろう、心もとなさみたいなものがより鮮明に伝わってきた。

劇の終了は、思ったよりも早く20時半頃。
慣れない夜の新宿を暗闇をアスファルト切りつけながら走り抜け、
独りでは解けない愛のパズルを抱いて帰ってきた。
傷ついた夢はまだ取り戻せていない。



■■■ 5/7(日) ■■■



日曜日。
ワリとしっかり書き物の日。
どこか近場に出かけても良かったが、朝はドトール、昼はサンマルク、
夜は近所で一番落ち着いた近所の喫茶とはしごをして、
非常にマッタリコンと終わった一日だった。

夜、北海道で恐竜のかなり完全に近い化石が見つかった話をやっていて、
この話、過去にも見た気がする……と思っていたが、それは丹波竜のハナシだった。

番組を見ていて、特にすごいなと思ったのが、
発掘した化石の一部を専門家(発掘した人も多分専門家だったと思うけど)に見せたところ、
ほんとに様々な仮説と推論を一瞬で巡らせたあと、
「(この化石の)続きはどこですか」
と、ほぼ確信に満ちて言い放った、というエピソードだった。

細部は忘れてしまったが、
発掘された場所と、
その場所がその化石の発掘された年代にどういう地形だったのかということと、
その地形がその後どういう変遷をたどったのかということと、
海流の動きと……などなど、
そういう情報を考え併せた上で「この人はこの続きも発掘して見つけているに違いない」
と思ったからこそ出た言葉で、
それだけのデータベースと正解を導くエンジンを頭の中に入れてある、
ということにびっくりしてしまった。

今の世の中、記憶装置は外側にいっぱいあるわけだけど、
それだけの材料が頭の中に揃っていないと
処理エンジンがいくら優秀でも、インプット無いとアウトプットは出来ないワケで、
あるインプットのかけらが揃っていないことが原因で回り始めることが出来ないエンジンの、
「かけら」がポンと放り込まれた時のために
その他のかけらは頭に揃えて置いておく、ということの重要性がまざまざと見えたなー、と
感心した次第。
面白い番組だった。
部分的にしか見なかったけど。

夜、
最後の喫茶から家に帰るとき、
日が落ちて暗くなり、色の要素をほとんど失った風景の中を歩きながら、
酷く安心している自分に気が付いた。

陽光の溢れる昼もいいが、やはり夜はいい。
情報の減ったヨルの風景はいい。夜景はいらん。あれはただの電気だ。

1月に摩周に行ったとき、2時、3時に星を見に出かけてコンビニでボンヤリしたりもしたけど、
あの時間も素晴らしかった……。
あの時は雲がかかっていて目的の星を見ることは出来なかったが、
この日は月が出ていて、その傍に小さく星が寄り添っていた。
どうも木星だったらしい。

そう、ワリと子供のころ(といっても小学6年くらいだと思う)から
ヨルの道が好きだった。
塾に通わされていて夜道を歩いて帰らねばならなかったんだが、
その頃辺りから夜の中を歩くのが好きになった……ような気がする。
別に悪さをするわけじゃない、
寝静まった町と、ところどころに落ちているあかりが好きなのだろうと思う。


そんなことに改めて気付いた、ゴールデンウィーク最終日だった。

マそんな感じで。
オイサンでした。



 

| | コメント (0)

2017年4月22日 (土)

■春を奉る、花の惑い。~中村博文先生の個展を鑑賞する -更新第1120回-

何度目かの春を抱きしめる。

寒いの暖かいのを乗り越えて、ようやく本当に暖かくなってきた。
っていうか今度はあったかすぎてイヤなんだが。
春が短い。
オイサンなんかは寒いままの方がありがたいので暖かくならない方がいいし、
何なら春独特の浮かれた感じも苦手なので短くてもいいのだが、
世間的にはそういうわけにもいかないだろう。

関東近辺はすっかり桜も見ごろを超え、
夜にはシゴトバで夜桜見物なんていうイベントもあったのだが勿論参加しなかった。
桜もお酒も得意じゃないのだもの。
しかしその桜も風が吹いたり雨が降ったりでどのくらい無事だったやら。

まあそんなことで、
桜があまり得意でないオイサンのこの時期の花と言ったら、
梅、桃、あたりであるが、最近になってそこにハクモクレンが加わった。

そのことを書いたひと月ほど前の日記がそのままになっていたので、
せっかくだから載っけておこう。



■3月25日 花を撮る



なんやら、暖かくなってきてしまったと冬との別れを嘆いてみせた甲斐があったのか、
今日はもう真冬のごとき寒さで、おまけに雨まで重なり、
心構えがないせいもあって正月に行った釧路よりも寒く感じるくらいであった。

寒い寒い。

寒いのはともかく、この雨や風で大きく開いたモクレンも散ってしまうのではないかと
それがちょっと心配である。
今年のモクレンは、まだあまり上手に撮れていないので
まだ散ってもらっては困るのだが。そんな自分勝手な困り方があるか。

花はまあ、撮るのはどれだって難しいが、
……それを言ったら花以外だってなんでも難しいのだが、
とにかくモクレンもご多分に漏れず難しく、
あの独特の浮遊感、みたいなものを写真でしっかり表現するのがなかなかに難しいな、
と感じる。


Dsc01534


あの細い枝のところどころに大きく開くモクレンの花は、
クリスマスツリーの飾り、ぽつぽつともる大きな電気の灯りの様でいて、
木の背いが高いせいもあって、下から見上げると空に浮いているように見える。
しかもみっちりと花をつけるのではなく、疎らな時期は特に、
花と花の合間から空が広く覗いていると、本当に宙を舞うように、
降りてくるのか、舞い上がるところなのかはわからないが、
青い空に象牙色の不思議な乗り物がフワフワと浮いているのではないかと思えてくる。

思い返してみればモクレンの花を気にするようになったのは、
アニメの『ディーふらぐ』のおかげだ。
マおかげって言うほど恩恵があるわけじゃないけども。
『ディーふらぐ』の聖地巡礼で千歳烏山に降り立った時、初めてモクレンの木を撮った。

  厳密には聖地でもなく、キャラの名前の元になってる京王線の駅めぐりであった。
  モクレンを知ると同時に、謎の白いギターを持った見知らむオジサンに、
  「コンビニでラーメン買ってくる間みていてくれ」
  と、その白いギターを預けられたりもしたので、恩恵はプラマイゼロだが。

その時はその木がモクレンだということも知らず、
青空に、象牙色に近いクリーム色が、高く良く映えるものだなあと、
ただ感心しながら撮った覚えがある。
それ以来春先にモクレンが花をつけ始めると、
その浮遊感をどうにか表現しようとしてカメラを構えるのだけど、
なかなかうまくいかないものだ。

そんなに花の名前を知っているわけではないが、
それぞれの花の良いところが最大限に生きるように撮ろうとすると、
これはこれで、きっとやりがいのあるテーマなのだろう。



■花を奉る



花と言えば……と言えるほど繋がりは強くないかも知れないが、
イラストレーター・中村博文先生の個展を見に、秋葉原まで行ってきた。

Atrdsc_0372


中村博文先生と言えば、
個人的には『ソード・ワールド リプレイ』のバブリーズの章がやはり一番親しみ深いが、
他にも『ガンバード』のキャラデザが思い出深い。
一般には『蓬莱学園』なども有名であろう。
最近ではムフフな成人向けマンガ誌の表紙やらをよくお描きになっているらしい。





過去の画集、『姫栗毛』も持っているのだが(どんなタイトルだ)、
先生はオリジナルの絵を描かれるとき花をフィーチャーされる場合が多い。
額縁のように、特定の花で主題を囲ったり、登場人物と花を絡めたり。
その花が美しくまた多彩でなのである。
折々に調べてお描きになるのか、そもそも花に詳しいのか知らないが、
先生独特のあの、金・赤・紫の極彩色の画面に、
至極自然に柔らかな花をちりばめてくるからすさまじい。

あの滑らかなグラデーションに大量の色の洪水は
てっきりデジタルで描かれているものだとばかり思っていたが、
今でもガッツリアナログでお描きになっているようだ。
いやはや、モノスゴイ。

しかし自分は、こういう展覧会に行くと毎回思うのだが、絵を見るのが苦手だ。
難しい。
その世界をキチンと見るのに……鑑賞出来るモードに入るまでにえらく時間がかかる。
今回も、何を考えながら見ればいいのかなんとなくつかめるまで
40分近くかかってしまった。
そしてその頃には疲れ始めているのだから始末に負えない。

音楽はその性質上、全体像に触れようと思ったら時系列を追ってしか聞き切ることが出来ないし、
物語や文章、動画も大体そうだ。

  話の本筋とは少し外れるが、なかでは、文章は特異だと思う。
  前から順に追ってでないと理解できない人もある一方で、
  全体をパッと、文字列を図形的に読み取って理解できてしまう人もある。

しかし絵となると、作品の全体に触れる、すなわち「見る」のは、ある意味、一瞬で終われる。
一目見れば、それで完了だ。
絵描きの目を以て細部や技法にこだわって見るのでなければ、
世界を体に取り込むのに、時間は必要がない。光さえ届く環境であれば、本当に一瞬だ。

キチンと見る、鑑賞のためには何らかの動機や着眼点が必要で、
それを探り出すのに時間がかかってしまうのだった。
パッと見て、好き嫌いを言うだけならホント一瞬で終わる。

  マ音楽だって時間かかるはずなんだけどね。
  ただ、鑑賞と時間が1対1に規定されているから、その時間のうちにどこかで理解が追い付き始める
  (必然的に設定された時間のうちに、着眼点が自然に発生してくる)だけだ。

別に、パッと見て「ハイ好きー」「ハイ嫌いー」でだっていいのであろうが、
どういう要素がどのように好きなのかを語れないと、……つまんないじゃんw?
そこまで取り込んで落とし込んでおけば自分の引き出しにもなるワケで、
それが真に自分が好きな理由なのかどうかは、まあ定かではないけれども、
何かを作るときの手掛かりには出来る。
どうせ見るならそこまでしておきたい。

会場では、画集やら、複製原画やら、即売会で実際使われたPOPの販売などもやっておられたのだが、
あまり高い物は買わなかった。
画集と、
先生お気に入りのブレンダーがブレンドした紅茶のティーバッグセット(なんなんだ)などがあったので
その辺を買って還元してきた。

Dsc_0373

Dsc01684

Dsc01689


『フリクリ』の、カンチとマミ美とキツルバミ、ニナモの描かれた版権絵があって、
もしその複製版画が売られていたら買っちゃいたいくらいそれは良かったのだけど、
残念ながらそれは売ってもいないし写真も撮れない、
画集にも載っていないというシロモノであった……。
くっそう、一番いい絵が手元に残らないのか。
しかしまあ、だからこそその場に行った価値がある、という言い方も出来るもんだが。




  ──その帰り道に、不思議な体験をした。




と言っても、オカルトな体験ではない。稀有な感覚を味わった、という方が正しかろう。

市ヶ谷と九段下を結ぶ靖国通りの裏手、
市ヶ谷の駅から神田川沿いに7、8分歩くと、ポンポコ大学の高い塔を見上げる三叉路にぶつかる。
正しくは変則の十字路であって三叉路とはいいがたいかも知れないが。
そこで川から外れて細い登りに身を預けると靖国神社のちょうど裏を通る格好になる。

いくつかの、淑やかゲな学校や有名な消費者金融の社屋を見上げるその道は、
東西と概ね平行に走っており、日が昇り、また沈むときには、
その道の走り方と太陽の軌道のずれ具合によって石垣の細かな凹凸が絶妙な角度で浅い影を映し出し、
なんとも些細な美しさを醸し出す。

私は、朝に通勤で通る際にその影の細やかなことを見つけては喜び、
いつか写真に収めたいと思うくらいではあったのだが、
日暮れの影お目にかかったことがなかった。
そんな丁度よい時間に職場を出ることなどないものだから。

だからこの日は夕暮れ時のその影を見ようと思いたち、
シクシク痛む膝をおして、帰りも秋葉原から四谷まで歩くことに決めたのだった。

結果的にはその通りに差し掛かる頃には日が既に傾き過ぎてしまっており
思い描いたような美しい影には出会えなかったのだが、
それとは違う、もっと大きくて、貴重な感覚に見舞われたのだった。

大学の、あれは何十階建てなのだろうか、塔のようなともかく高いキャンパスの向こうへと日が下っていく。
道は駅へ、神田川の流れる方へ下っていく。

朝には、東から上ってくる日を正面から受けて西から東へ歩き、
いまは丁度沈んでいく日を追いかけるように坂を東から西へと下っていく格好なのだが、
そのふたつの様を頭の中で思い描いていると……
太陽ではなく地球が……自分の方が動いている感覚が明らかに意識された。

太陽が逃げるのではなく、回転する球体の上に立った自分の方から、明らかに遠ざかっている。

Dsc01691


いま沈んでいくように見えている太陽は空に静止しており、
自分の立つ地面が、地球が、球体が、西から東へすごい速度で回転し、
足を止めていても、自分が太陽からぐんぐん遠ざかっていく様子が
ハッキリと見えたような気がしたのだった。

その回転による移動の速度によって風を感じないのが不思議なくらいまざまざとした、
客観的な移動の感覚と、太陽が遠のいていく……取り残されて行く、寂しさがあった。
なんとも不可思議な体験であった。

別段マボロシや白昼夢を見たワケでも何でもなく、
カメラを構えて構図を取りながら、
逆に坂を上ってくる人とすれ違い、後ろから下ってくる人をやり過ごし、
ごくごく当たり前なことをしていたのだけれども。

以前酒に酔った夜の帰り道に、
いま自分の立っている場所がただ大気の層に隔てられたそのどん底にいるだけで
確かに宇宙の片隅であり、
その日夜空に瞬いてた星と同じ立場なのであると、
妙にはっきりと迫って見えた見慣れたはずのオリオン座に飲み込まれそうに感じたことがあったが、
それと似ていた。
今日はしらふだったが……。


中村先生の描く花の妖精たちに惑わされ、
知らず知らずのうちにおかしな門でもくぐったのかもしれない。
いっそのこと、もうそちら側から出られないくらいに引きずり込んでくれればよかったのに。


久々に、昼間の秋葉原なんかいったからくたびれちゃったよ。
ブラブラ歩いていたら偶然PLUMショップに行き当たったので入ってみたりしたけども
特に何も買わない、そんな休日であった。

ポテチン。

 
 

| | コメント (0)

2017年4月18日 (火)

■2017年1月期アニメ感想・あたた大紹介!~けものもいるし、亜人も、ドラゴンも、ドMも天使も悪魔もいる、無論のけものもいる~ -更新第1119回-

駅からシゴトバまでのイチョウ並木、
先週はまだボウズだったような気がしたが、今朝気付いてみると
枝にわさわさと青葉が茂っていた。

おのれ春め。

とまあそんな感じで、
4月に入ってもう2週間も経っちゃったけど、
2017年1月期は何かと良いアニメが多く、また激動でもあったので、
感想を書き残しておこうかなと思いますっていうか
書いてたのを載せられずに来たので載せないのも癪だから載せます。



■『けものフレンズ』

昨年の『おそ松さん』に続き、
アニメ業界関係者から「1月期には鬼が棲む」とでも言われかねないほどのダーク過ぎたダークホース。
誰が読めるんだ、こんなモンがいきなり超級のメガヒットになるなんて。

いやオイサンも、柄にもなくリアルタイムで超楽しんでしまったんですけれども。
「流行りものが、流行ってるまさにその時にその感覚を共有できる」って
オイサンにはなかなかレアなケースで、
大波がくる直前の段階で個人的には盛り上がれていたので、
あとはもううしろから来た波に一番高いところまで押し上げてもらってしまった感じで
3ヶ月が過ぎ去った。

ただオイサンの場合、大きく盛り上がれたのは3、4話までで、
巷で言われていたような後半の大盛り上がりの頃には冷静だった。
11話のヒキ、12話のラストバトルを神だなんだと祀り上げるようなテンションには、さすがになれなかった。
4話の「絶滅」発言、6話の宣言に至る辺りでは、もうお話が「分かり易く」なってしまっていたので
落ち着いて見られていたと思う。
周りの人たちが大変楽しそうに見ていたので、そのオコボレには預かることが出来て楽しかった。

伏線の張り方だとか、細部へのこだわりだとかについてはやはり目を瞠るものがあったと思う。
けれども、謎やヒントの散りばめ方や視聴者の突き放し方、ラストバトルへの入りの演出あたりは、
探せばワリといくらでも他でやってる作品が見つかるレベルなのではないだろうか?
その辺りについては、みんな過剰に有難がっているなあ、というか、
他の作品も同じような情熱で見てあげれば、きっと同じくらい面白く見られるぞ? と。

分からなかったのは、そうして盛り上がってからの視聴者のハートを、
最後の最後まで、否、終わっても尚醒めさせず、
引っ張り続けることが出来たのはなぜなのか、そこにどんな仕込があったのか?
ということだ。
「IQが溶ける」と言われていた序盤のやさしくゆるすぎる展開と、
後半徐々に明らかになる謎の、視聴者に解かせる導き方・ヒントの散りばめ方の
ギャップが良かったんだろうか、と思っているが……。

結局「誰もが好意的に」作品を読み解いた結果、
非難のしようがない作品になってしまったわけだけど、
それはどちらかというと作り手の功績というよりは、
受け手の心のありようをの問題だったと思っている。

  マそれだってつまるところ、
  「受け手の心をそっちへ向けた」作り手の功績であることには変わりないのだけど。
  何がそうさせたのか……それがポイントだと思う。
  個人的には1話~3話までの、お話がどこへ向いているかわからない、
  「俺はいま、一体何を見せられているんだ」っていう感覚も異様さが忘れられない。
  まさにその、コツメカワウソちゃんが、
  すべりだいをしては「たーのしーい!」、
  小石遊びをしては「わーい!」
  それをみたサーバルちゃんが「やらせてやらせて!」
  っていう、まさにIQを溶かしていた頃の「分からなさ」が一番の魅力であった……。
  ラストも、バトルで盛り上がってはいたけれど、
  バトルより、かばんちゃんの知恵と、フレンズたちの特性で乗り越えるような仕掛けであったら
  より良かったなあ、と個人的には思うものである。

少人数・低予算ということを考えれば良いクオリティだと思うけれども、
それだって受け手にしてみればシッタコッチャナイ話で、
見ていて「行き届いてないなあ」と思うところは、画的・演出的に多々あった。
それ以上に行き届いている部分が多いから、人の心に響きもしたに違いないけれど。
つくづく「心のアニメ」だったなあと思う。

尚、オイサンの好きなのはサーバルちゃんとライオン、コツメカワウソちゃんです。
トキもアルパカも大好きだけどね。ハシビロちゃんも良いなあ(全部か)。 

  絵     :あたた
  音     :あたたたた
  話     :あたたた
 見せ方    :あたたたた
 たーのしーい!:あたたたた



■『亜人ちゃんは語りたい』

今期のダークホース……というほどでもないか?
「人気原作のアニメ化」という意味では妥当な位置なのかもしれないけど、
にしても、原作の持ち味を大変上手に料理した上で、独自の雰囲気を纏うことに成功しているのではなかろうか……
って、原作読んでないからわかんないんだけど、アニメでないと出せない、
具体的な時間の流し方、時間を利用した場面のコントロールの仕方が妙なる作品であったと感じている。
マンガだと、どうしてもコマで時間が途切れてしまうところをキチンとつなげて表現出来てた、
と思う。
だからちょっと、原作が気になっている。どこまで原作由来の成分だったのか。

この作品はいわゆる「日常系」ではないし(「フツーの人」の物語ではないので)、
バトルやスポーツや恋愛でもない、
日常の中に潜んでいるちょっとした「段差」を丁寧に取り扱うことがテーマの作品で、
なかなかデリケートな位置にあったにもかかわらず、
それを大げさに深刻にしないで、意識を向けさせつつも、しかりつけない、説教臭くしない、という
難しいはずのことをシレッとやっていた。
前半というか、冒頭の数話は見始めるまですごくエネルギーが要った。

  緊張感がすごくて、見終わると「今回も爆弾は爆発しなかった」とホッとする、ということが続いた。
  「この作品では爆弾は爆発しないんだ」と理解するまで時間がかかった。

これは大変な手腕だったなと思うのだが、
カントクなり、原作者なり、主要スタッフの「人柄」の為し得た技だったのではなかろうか。
危ない出っぱりを、色の違う土で均す、みたいなことをやってる作品だったと思う。

「オッサン(高橋先生)が邪魔だ」なんていう感想をどこかでちらっと見たが、
よろしいキミは『きんいろモザイク』でも見ていなさい。
JK友情かんさつようちえんがお似合いだ(暴言)。
まあ『ひだまりスケッチ』も似たようなモンだけどな。

  絵    :あたたた
  音    :あたたた
  話    :あたたたた
 見せ方   :あたたたた
 乳首アタック:あたたたた

 
 
■『小林さんちのメイドラゴン』

『ちゃんデミ』が「日常系の顔をした非日常」だったのに対比するように、
こちらは「非日常の顔をした日常系」。
異文化・異種間といいつつも、結局その辺のヤバいところは全部、
相手(ドラゴン側)がこちら側に合わせるか、とりこまれるか、
不思議な力で全部なかったことに都合よく繋ぎ合わせてくれるという、
おきらくゴクラクアニメーションだった。

  マこっちも原作読んでないので、どこまでが原作由来かワカラヌが。

けど、それがダメってんじゃなくて、こっちはこっちでそれが持ち味。
ヘンな人たちが集まるホームドラマってだけだ。
小林さんが人類を代表して、どセンターで踏ん張ってるから成り立ってるけど、
小林さんを差っ引いたらただの『ガヴリール』になるというバランス。

ホームが失われた現代のホームドラマを、非常にすっきりと、リアルに描き出してくれたんだと思う。
ホームを構成するために、異文化・異種間を引っ張ってきて繋ぎ合わせる、という

昔のホームは「異」であることが前提ではなく、
誰もが「同」だと思っている(思い込み、信じ込んでいる)ところに実は「異」がどっさり潜んでいることに
ドラマがあったのだけれど、今はそのホームがそもそも形成されない。
ホームのない、ロンリーでアローンな小林さんは、
人が皆「異」であることを前提認識として持っている(そして諦めている)ところから始まって、
「異」が前提のホームを構成するところから始まる、まさしく「異」色のホームドラマ、だったのだけど。

しかしまあ、あんまりうまく機能はしてなかった様には思いますねw
強いていうなら舞台装置として機能していたのは、
カンナちゃんと、ファフニールさんがかろうじて緊張感を保持していたくらいで、
トール、ルコアさん、あともう一人(名前忘れた)はすっかりなあなあで、だった。
トールはヒロインだからいい(まだ何にでもなれる)けど、
ルコアさんはぷるんぷるん要員でしかなかったし、最後発の眼鏡は脂肪と糖にやられただけだった。
何しに出てきたんだw

カンナちゃんはドラゴンとしてよりも、ただ「子ども」として小林さんには異質だったし、
ファフくんは馴染みながらも人間への憎悪は維持してた
(憎悪を執行しないでいるためにどう付き合うか、は学んでしまっていたけど)。

皆それぞれの違和感を与えられながらこちらの世界にやってきていた筈なのに、
結局それを表明しきれず、大抵はこちらの文明に取り込まれていって終わってしまったのが
『ちゃんデミ』との違いだった。

と言いつつ、ルコアさんが好きだったんですけど。声が良いよね。
初恋の人(初代大人ミンキーモモ)に似ている気がする。
思えば、今自分が好きな声質の人って、みんなそっちに似ている気がするな。
野中藍さんとか、おみんちゅとか、高い低いじゃなくて、声の表面にケバがなくてぬるっとしている。

しかし『ガヴリール・ドロップアウト』を見てても思ったんだけど、
人間界のダメ娯楽って、そんなに素晴らしいもの、
外の世界から見ても堕落パワーに満ち満ちたものなんだろうか?
人間、というか日本人クリエイターは、娯楽文化のダメパワーを過大評価し過ぎている気がしないでもない。 

  絵       :あたたた
  音       :あたた
  話       :あたた
 見せ方      :あたたた
 ボクっ子ルコアさん:あたたたた

 
 
■『この素晴らしい世界に祝福を2!』

世間は『けものフレンズ』の最終話が神回だと評判で号泣必至、みたいな評価でしたが
オイサン的にはそこまでは響かず、寧ろ泣いてしまったのはこっちだった。

2期は1期に比べてパワーダウンはしていた、と思う。落ち着いた、というか。
荒っぽさ、イキオイ「だけ」の感じ、そういうガッビガビの岩肌全開の崖っぷちっぽさが薄れ、
ところどころ危ないところの角がとられていた。
それを補填する材料として、画が素晴らしかった。
画をここまで壊してメリハリをつけるアニメは初めて見たと思う。

あの顔芸みたいな笑いのとり方、決まったかたちに可愛く画を崩すのではなく、
本当に不定形に絵を溶かしていくやり方は、
作画監督なのか原画マンなのかしらないけど、その辺の上のレベルで絵を見る人たちの手が
ものすごくかかるのではないだろうか。素晴らしかったです。

そして最終回。
いやー……まさか。
まさか、あそこでゴッドブロー、ゴッドレクイエムのメドローアが飛び出すとは思わなかった……
泣いちゃったもの。
アクシズ教教義を背負っての肉弾女神は最高だったし、
なにより、その時点で既にホネになってる主人公!
いねえよw 最終決戦でホネになってるヤツw
ラストバトルの合間合間にも、チョイチョイ白骨化した主人公を抜いていく絶妙のカット芸。
ギャグアニメってすごい、「笑かす」ってすごい!! と心底感動した。
良い勉強をさせてもらいました。

というワケで、
ストーリー前半の伏線がラストバトルで活きまくる(ゴッドブロー)し、
メンバー全員が持ち味を生かして最後の敵に立ち向かうし、
主人公が身を呈して仲間を守るので、『このすば2!』は実質『けものフレンズ』で良いと思う。 

  絵  :あたたた
  音  :あたた
  話  :あたた
 見せ方 :あたたた
 教 義 :あたたたた

 
 
■『幼女戦記』

なんだかんだで最後まで見てしまった。
途中あからさまな総集編が入って力尽きるかと思ったけど、
画のクオリティはほぼ殺さず、最後まで走り切ったのは見事だと思った。
マそもそも力尽きかけるなよ、という話だけど。
総集編前後でOPが全くかからなかったのは、今思えば
総集編で使ってしまった時間をどうにかカバーするための苦肉の策だったのだろうが、
リカバリー案を打ち立て実行した人がすごく有能だったんじゃないだろうか。

アニメ本編とは全然関係ない話してるな。もどそう。

画も音もお話も、たいへん良く出来た作品だったと思います。
「よくまとまっている」だけに突出した面白さは感じなかったけど、
それでもストレスなく、次へ次へと毎週見るのが苦にならない楽しさだった。

「アニメなり」の、結論が、12話見て来た視聴者に対して提示されなかったことは残念だった。
あれだけの差し迫ったキャラクターがギッチギチの論を展開するにも関わらず、
カタルシスが得られないのは、片手落ちな気がする。
ストーリー的には、最後は存在Xが横槍ブッこんでちゃぶ台ひっくり返してくるものだとばかり思っていたけど
そうはならず、
マそんな「品のない」ことをしないが故に神なのだ、とは思うけど、
もう少しなんかこう、あっても良かったなと思う。

悠木碧嬢は……大丈夫だろうか、こんなぶっ壊れたキャラばかり演じていて。
たまにはすごく普通なお母さん役とか、やらせてあげてはどうだろう?
マでも、デグレチャフさんは基本「いい人」だよね。
彼女が良い人だったから、最後まで見られたんだと思う。
楽しませていただきました。 

  絵     :あたたたた
  音     :あたたた
  話     :あたた
 見せ方    :あたたた
 さあ牙を研げ!:あたたたた

 
 
■『ガヴリール・ドロップアウト』

これも、蓋を開けてみれば最後まで見てしまった案件。
1話目を見た時点での期待値は、最終的には越えて行った。
途中で切るだろうな、と思っていたので。

転換点は、ガヴのダメっぷりが当たり前になってしまって後ろに引っこみ、
サブの3人のキャラクターが主軸になって話が回り始めた辺り。
ガヴは「ダメではあるけど、外に出てくればある程度常識人」で、
あとの3人はダメでない分(サターニャさんはダメだけど)、
日常にまで特異な部分を持ち出してきてしまうので、ガヴが突っ込みに回るようになったところで、
急に見応えが出てきた。
ナルホドナー。

大きなストーリーも小さなエピソードもどこかで見たようなものばかりだったけど……
まあ、キャラクターと演出でもったような感じです。
手堅く、こぢんまりと、丁寧にまとまっていたので、来年には忘れている可能性が高い。
フックはないではなかった(主にラフィ)けども、ちょっと小さかったかな……。
EDが素敵だった。 

  絵     :あたた
  音     :あたた
  話     :あた
 見せ方    :あたた
 ヴィーネたそ~:あたたたた

 
 
■『セイレン』

ラストエピソードの4話で……とりあえずなんとかなった……かな? というくらい。
開始時の感想でああは書いたけど、終わってみるとやっぱり
御大は、本当は何がやりたかったのだろう、どういう姿を理想に思い描いていたんだろう?
という疑念がぬぐえない。

『アマガミ』世界からほつれて残った糸を使って、何かちょっとだけ、
その後の輝日東を描きたかった……だけなのだろうか?
それによって輝日東という町がより深く描かれて、生き物として動き出すのだったら意味があると思うけど、
そんな感じでもなかった。

オイサンはちゃんと追いかけてはいないが、
公式サイトの方では主人公やヒロインの行動を時系列に埋めていくタイムテーブルみたいなものが
用意されていたらしい。
なんかそれってもしかして、『アマガミ』はでいうところの行動マップを、
今度は時間軸を自由にエピソードを拾っていく、
みたいなゲームの仕掛けとして考えていた物があったのではないか、とか、
勘ぐってしまうのう。

  絵描きからディレクター、プロデューサーみたいなところへ軸足を移して行った御大は、
  何をやりたかったんだろうか。
  マ作品の世界はどこまでいっても作者の所有物だから、
  やりたいことを描き出すためにトコトンまで使い尽くせばよいと思うけれども。

ところで、いまフッと思いついたんだけど、もしかしてこの監督は、
16:9の画面向けに20数分のアニメを作ることに慣れていない
だけなのかもしれない。

だって、時間(演出)的にも空間(動画)的にも、色んな意味でスカスカなんだもの……。
色んなことが把握・計算出来てないように、やっぱり見えてしまいますですよ。
統一OPの『キミの花』と、ラストエピソード今日子編のエンディングがとても自分好みだったから、
という理由で最後まで見続けることが出来たけど。

単品のアニメーションとしては、
広く人々の心に深く残るものではなかったのではないかなあ、と思いました。
どういうレベルで勝負しようとしていたのか、せめてそこがわかると良かった。
ヒットしなくても、手間暇薄めに作って、見合った回収が出来ればいい、というところなのか。
魂込めたモノだったのか。
やっぱりよく分からない。 

  絵       :あた
  音       :あたたた
  話       :あた
 見せ方      :あたた
 OPの謎ロケーション:あたたたた

 
 
■オマケ

 ▼『弱虫ペダル』

もうほぼ真面目には見てない。
1期というか、一年生編は暑苦しくてもまだ見ていられたが、
2年生編に入ってから、ドラマがもう、暑苦しいというかむさくるしいというか、
押しつけがましく自己陶酔も甚だしくて

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 思い悩んで頑張ってるオレそして仲間を支え支えられ支え合ってるオレ
 やっべえちょうイケてるああああああああああああああ
 おおおおおおおおのだあああああああああああああああああああ!!!!!!!」


っていうノリが、
……原作の方もそうだと思いながら読んでるけど……
アニメになってしまうと、そういうオーダーがつけられてるのか、
もう見ていられるレベルじゃない。誰かちょっと、ここらで止めてやれよ。
いい加減気持ち悪いよ。


 ▼『うらら迷路帖』

これも最終的には殆ど満てなかったんだけど。
毎回アバンで入るお定まりの語りパートのテキストが、
センス無シ無シでうわあってなっていた。
ジャングルくろベエ呼んでこい。こいつらに本場のウララを見せてやれ。
あとOPで、占いのことを謳おうとしているのに、

 ♪ 右へ行こうか左に行こうか? 仲間とだったらどっちでも大正解!

みたいなこと(うろおぼえ)を歌ってるのちょうウケル。
ほな占い要らんやんけ。



マそんな感じでヒトツ。
オイサンでした。

春アニメも楽しみね。


 

| | コメント (0)

2017年4月16日 (日)

■渡りビトの遠いなわばり~SS『けものフレンズ』より~ -更新第1118回-

はいどうも、オイサンです。

……うわー。
1か月近くも更新してなかったか……心肺停止! 心配停止ですよ奥さん!
A・E・D!A・E・D!
ふざけてる場合じゃないですね。
大変申し訳ありませんでした。

特段理由があるワケではないのですけれども……
かなり真面目にSSを書いていた、というのもありますし、
日記的なことは、ないワケではないですが。

日記的なことは、次に載せます。一応書けているので。
それを載せようと思っているうちに大きめのことに手を付けてしまって、
この体たらくです。申し訳ない。

デ載せます、今をときめく超人気アニメ、『けものフレンズ』のSS。

  ■渡りビトの遠いなわばり -カクヨム-
  https://kakuyomu.jp/works/1177354054882973959


どうです、らしくないでしょう? いま大流行のアニメですよ?
ひよったもんですよ、このオッサンも。
まあ、人気取りに走ったワケではないですけども。
珍しく、流行りものがリアルタイムに流行ってるウチに、高いテンションを共有して
楽しむことが出来たし、
面白そうな企画も立ち上がっていたものだから、ちょっとその気になってみたと、
それだけのお話です。

今のウチはまだここにそのまま載せることは出来ないので、
KADOKAWAさんのカクヨムのページから読んでくだせえ。
タイトルからチョイ下の、「1話目から読む」から読めるみたいです。1話目しかねえよ。

しかしまあー……しんどいね! 字数制限!
3000字て。少ないよ。
当初考えてた構成で、一回アタマからお尻まで書いてみたところ、
楽に7000字くらいいってしまって、一番だいじなところだけでも4000字くらいあったので、
こらアカンと思い立ち、超大胆に再構成して、今の↑カタチに押し込めた。
だからこう……全然分からないところとか、あるかもしれないな……。

当初の構成からでしか、オイサン自身は気付いてないけど実は読み取れないところとか。
あるかもしれません。
そーゆーのが見っかったらスミマセン。
それでも最初は3000字台後半の分量があったのを、削って削って、
ゆずってゆずってこの姿になったのですけれども、
まあ……勉強にはなりました。
エエ。
大変に勉強になった。
普段どれだけ雑に書いているか、無意識にただ余計な情報を載せてしまっているか、
意識するいい機会にはなった。

そりゃね、リズムを拵えるためとか、
敢えて意識を遠回りさせるためとか、
そういう冗長さや重複というのは意識してあったりするけれども、
それを言い訳にして要らないところが吟味されずに残っていたり、
気付かずにかっこ悪い二重の意味が残っていたりして、
マア、
大変ハズカシイな、と思うところが、削る過程で多々見つかった。

それと同時に、ここは残したいな、という自ら持ち味と信じる部分が残せなかったりもしたので、
その辺は、モ少しほとぼりの冷める頃に、完全版を用意しておいて
またこちらにも掲載したいなー、なんて、虫のいいことを考えております。

ご感想なんかもね、ございましたら、是非あっちのページでもいいですし、
こっちのコメントでも構わないので、またいただければ
大変ありがたく存じますですよ。

すいませんね、ホントご無沙汰になってしまって。
こちらの方もしっかり書いていきますので、
2017年度も引き続き、ご愛顧のほどをよろしくお願いしたいフレンズのオイサンでございますよ。

ホント、もうちょっと気を抜くとすぐ死んじゃうような世の中ですから。
皆さんもどうぞお気を付けて。

ほどほどに頑張ってまいりましょう。
オイサンでした。

| | コメント (6)

2017年3月19日 (日)

■花よりも花の如く、光陰よりも矢の如く。そして…… -更新第1117回-

オシゴト帰りに新宿エキナカの本屋さんに寄ったら、
『花よりも花の如く』の最新刊が出ていた。
16巻。


  

  こっちで試し読みもできるっぽい。
  http://www.s-book.net/plsql/slib_detail?isbn=9784592210061


『花よりも花の如く』は、現代に生きる若き能楽師・榊原憲人が、
能の世界を通じて、人の世の悲喜こもごもを味わいながら、
能楽師として、人間の男として、なんとなくいい塩梅になっていく物語です。

  「成長」とか言わないぞ。そんな安っぽいモンじゃないんだ。

デまあ話の中身はいいんですが(いいのか)、
その新刊の帯に「成田美名子先生、画業40周年!」とアオられている。
1977年デビューというから……
なんと、オイサンの生まれる前から原稿用紙と格闘していらっしゃる計算になります!

  ……すみません、いまシレッとウソを書きました。
  オイサン生誕の2年後からですね。オイサン暦2年からですね。
  O.C(オイサン・センチュリー)2年。
  なんでウソついたんだ!(ドン!!

しかし40周年とはなかなかスゴイいキャリアですが、
お生まれは1960年と言いますから、17歳からマンガ描いてんのか……。スゴイな。
花とゆめコミックスの単行本なんで、ガッチガチの少女マンガでありまして、
作風も、昨今の、少年・少女の垣根がかなり取っ払われた感じになる以前からのものでありますが、
まオイサンは小学校低学年の頃から『パタリロ!』なんていう
当時の少女マンガの中でもかなりアグレッシブなものを読んでおりましたし、
それ以降もナンヤカンヤ触れて負ったのでそこらへんに抵抗感はない。

  『ぼくの地球を守って』とか『動物のお医者さん』とか『ここはグリーン・ウッド』とか、
  まメジャーどころばかりですが、ガッツリと読んできました。

    


成田作品に触れたのは、大学1年か2年の頃、当時活動してた演劇部の女子のお友だちから、
「これ面白いよ!」と借りた『CIPHER(サイファ)』が最初だった。

  『CIPHER(サイファ)』は、N.Yに暮らす双子のアクター、
  ジェイク・ラングとロイ・ラング(=サイファ)がある確執から袂を分かって暮らすようになり、
  それまで一心同体のように生きてきた二人がそれぞれの道を歩むようになっていく、
  というお話。今読んでも最高に面白いです。


  

オイサンも当時はクソみたいな男子大学生らしく、
そのマンガを貸してくれたコを憎からず想っておったりしたものですから喜んで読んだのですが、
コレがまあなんというか、非常に不思議な面白さでした。
先が気になって仕方がない!!
……という類の、面白さではない。
引き込まれるとか、そういうんではないけれども、
……なんかこう、人物が常に自分のそばに寄り添っているような、
向こうの世界にいるままこちらにもいる、みたいな面白さでした。
フィクションならではの刺激的な面白さよりも、
「ちょっと上質な現実」とでも呼ぶべき、
あらゆる感情を丁寧に丁寧にブラッシングしてあるような肌触りの良さが際立つ感覚がある。

その後も、『ALEXANDRITE』(アレクサンドライト・『CIPHER』のスピンオフ的な続編)や、
完全新作の『NATURAL』も成田先生の作品として読み続けてきたのだけれども、
やはりどれも強い引きや動機を生む作品ではなかったので、
なぜ連綿と読み続けてきたのか、途中でやめなかったのか? は、
今にして思えば少し不思議ではある。

しっとりとじんわりと、とても面白いのにストレスがなく、
読めば確実に、何か一つの真実に触れることが出来るという確信が、
どこかにあったのだろう。
思えばそれは、ゆうきまさみ先生の作品と似た感触である。

オイサンが成田先生作品に触れたのが恐らく大学1年か2年、18、9歳の頃で、
1995年前後のはずだから、約22年。
こんなオイサンでも、先生の画業のうち半分にはお付き合いしていることになる。


■ずっと俺のターン

にしても40年、22年か。
オイサンも今年は42になり、両親はともに70を超える。
マそうして考えると……あまり口にしたくはないコトだが、
両親もあと、10年? 一緒にいられるかどうか。
おられれば御の字、
生きているのに特に具体的な不安はないけれども、
たとえ明日突然そうでなくなったとしても、神様に向かって正面切って文句がつけられるような年齢ではなくなってきた。
神様にも「イヤお前そりゃそろそろ年齢だよ」って言われても……グウの音も出ぬ。
そのくらいの年齢かなあ、とボンヤリ考えてはいる。
何もしてはいないけど。

そーなってくると不思議なモンで、
次に自分の番が回ってくるのも案外あっという間だな、なんかをやり切るほどの時間はないな、
……と、思ってしまう。

ここ最近を振り返ってみると、10年なんてあっという間だったなあと思うワケで、
……マその「10年のはやさ」が本当かどうかはあとで考えるとして、
真実だとするならば、
自分に過ぎる10年も、両親に過ぎる10年と同じようにふりかかってくる。
つまり。
オイサンもあっという間に50になる。
50になってしまえば、60もきっとすぐだろう。
そしたらもう、アレですよ。
いま自分が両親に見ているように、いつこの世を退場してもおかしくない年齢までもすぐだ。
そうか、自分もすぐに死んじゃうんだな、と、春の日の、うららかな陽気の散歩の中で思ってしまった。

しかしここでさっきの問題、
「10年は、本当にそんなに早く過ぎ去ったのか?」について考え直してみると、
丁寧に振り返れば……案外、そうでもない。

振り返り方の違いで、随分と印象が違うことが分かってきた。
ある特定の点のことだけを振り返れば確かに昨日のことのようだから、
すっごくあっという間だったように感じる。

『アマガミ』が8年前! と思えば、うそっ! と思うほど早いけど、
『アマガミ』以前には知らなかった人たちとのことや、
『アマガミ』から今まで、どれだけたくさんの場所へ行き、どれだけ自分が変化してきたかを思うと、
そこにはやはり、長い時間、細やかな刻みが存在していたことが感じて取れる。
たくさんのことがあった。
たくさんのことをしてきた。
ブログを始めてからも、まだ11年しか経っていないことを思えば、
10年というのは、やはり案外長かった。
これから先の10年も、きっと色んなことが出来るだろうし、いろんな場所へ行けるだろう。
色んなものも、書けるに違いない。
まあ、自分が頑張らないといけないけど。

  そーいや、忘れてたけど、『アマガミ』も3月19日が発売日だから
  ちょうど8年なのね。



■人の時間、内臓の時間。そして、光の時間

あとそれに、これから先の10年が、これまでの10年と同じ速度で流れるのか?
と言われたら、きっと違うのだろう。
正しくは、時間が均等に流れる……らしいけれども、
自分がその流れを拾う速度と精度が下がっていくから。


物理的に……というか、生理的・病理的に、感覚器の性能がガクンガクンと落ち始め、
同じようにインプットが出来るとは思えない。
そういう兆候は既に出始めている。
それはつまり、主観的には時間のクオリティが下がるのと大体同じだ。
鈍った時間が流れていく、と考えた方がいい。
衰える体の感覚器が、一つのことを拾うにも時間がかかるし、
拾ったものの精度も決して高くない。事実から遠く離れていることも起こりうる。
その隙間を、記憶や経験で埋めようとするから、主観とバイアスに染まった風でしか、
捉えたり考えたりできなくなるのだろう。

  はなから目や耳で物事を考えないで、
  数値で頭にしまい込んであればそんなこともないのだろうけど、
  なかなかそうはいかない……
  そう考えれば案外、目や耳が不自由な人の方が、
  若い時と年を取ったときの衰え方の差が小さかったりするのかもしれない。
  どーなんだろ? イヤ、いま適当に思いついただけだけど。

マその分、年を取るとコレまではまともに見えなかったものも見え始めるから、
これからの時間がただのレッサーバージョンかと言われればそんなこともないけど。
若い頃に見えていたものが見えなくもなるので
±ゼロだとは思うけどね。難しいものだね。

イヤハヤ、
若いうちは正しい・事実に近いインプットが行われるのにインプットされたものを正しく処理することとが出来なくて、
年をとれば今度はようやく正しく処理が出来るようになるのにインプットも回転も悪くなる。
人の言う「全盛期」とは、その両方のバランスが取れている本当に短い時期のことをいうのだろうな……
なんていうことも、ようやくわかるようになってきたワイよ。

自分としては、インプット装置が多少トンチキこいて、
アウトプットするものが公平・公正・均等でないイビツなものでも、
自分にとって、そしてそれを喜んでくれるごく少数の人たちにとって輝かしいものでさえあってくれたらば
十分満足なので、あんまり困らないけども。

ただ、やはり勢いはなくなるね。
エンジンが弱くなる。
人間、大部分はかなり下っ腹で動いてるな、と思わされる。
内臓は随分モノを考えているなあと実感するし、内臓の衰えは実感する。。

アインシュタインさんの考えた相対性理論によれば、
時間の流れの速さは絶対の一定ではなく、
唯一絶対に一定であるのは、光の速度だけ、ということのようである。
すべての基準はそこにある。
時間が流れていることを前提に生きてる私たちからすると分かりにくいと思うが、
つまりその考えに則るなら、

 「光は1秒間に地球を7.5周できる」

のではなく、

 「光が地球を7.5周するのに(停止した状態からみて)かかる時間を1秒とする」

と表現するのが正しい、ということのようだ。
時間の流れているのが前提の世界に光が走っているのではなく、
光が走っていて、かつそれよりも移動が遅い、あるいは静止している連中がいるから、
相対的に時間というものは発生する、という考え方……というか、世界を正しく理解すると、
どうやらそうなるらしい。
だから、光そのものが感じている時間経過はゼロになり、
それから遅れるほどに時間というのは流れていく、ということのようだ。
つまり、じっとしているモノより、
走ったり飛んだり、早く動いているモノの方に時間の経過はより緩やかにもたらされる。

なのでもしかすると、全身の細胞を光速で振動させることが出来れば超長生きできる……
のかなあ? と、バカなオイサンは思っている。

  イヤ、ちょっとコレ、考え方が正しいかは分からんよw?
  文系にも分かるように書かれた本を読んだ限りそんな感じっぽい、と思っただけだ。

勿論、基準が光速だけに、多少早く動いたところで計上される時差なんモンは
所詮誤差にしか過ぎないんだけれど、
それでも、
それでもだ、
誤差にしたって差は差であって、
それによって1秒の何千何万、何百万何千万、何億分の一でも、
自分が時間のくびきから自由になれる。
そう思うと……。
別に長生きをしたいワケではないのだけれど、
「いま流れる時間を少しでも緩やかにしたい」
と、思わないではない。
いまを緩やかに生きたいと願うことと、長生きをしたいと思うことは、決してイコールではないと、
オイサンは思う。

花よりも花の如く、光陰よりも矢の如く、
そして、ゆび先よ。願わくば、心臓よりも心臓の如くあって欲しいと切に願う。
文字を書くにせよ、シャッターを落とすにせよだ。



■Closing

話が、冒頭から随分違ってきたので引き戻そう。

成田先生の作品は、昔から、老人でも若者でも親しめるテーマを扱っていたように思う。
『アレクサンドライト』が若干テーマが若くてリキリキした生命感・躍動感にあふれ、
『NATURAL』も、テーマは普遍的だけど表現の仕方・舞台と人々がヤングで若い人向けの傾向はあるけれど、
どれも、内臓の力が多少落ちても無理なく楽しめる作品群であるように思う。

いまの自分には、過去を基準にした時間の尺度しかないなあと感じるのだ。
昔に比べてどうだこうだ、
昔に比べて何が得られて何が失われる……と。
それはきっと、結婚して子どもがいたりしないので、
未来に対して前向きに何かを測れないから、なのだろう。
「未来、如何様にあれかし」と願う、抽象的な目測が出来ないでいる。
過去に比べて何かが失われた時間に希望を見いだせない。
「(何かが失われはするけれども)こんな輝かしさが得られているであろう、
 得られているに違いない未来の時間のために、アレをしよう、コレをしよう」
と考えられていない。

ひとりでいるということには、どうもそういう効果があるらしい。

そんな目線でいるから、自分の時間の残りの少なさ・流れる速さばかりが目に付くが、
丁寧に測り直してみれば実際はどうやらそれほど少ないわけでも無いようだし、
インプットも、その処理の仕方も、まだまだ色々やりようがあるのだなということが、
なんだか確認できたように思う。
成田作品には、やはり普遍的な何かがある。

大学時代、自分は結局演劇部をやめてしまって、
『CIPHER』を貸してくれた女の子ともすっかり疎遠になってしまうわけだけれども、
そうした大切な時間がブツ切れにちぎれた後にも、
成田美名子作品というなかなかに深い足跡だけはしっかりと残ってしまった。

  演劇部は、なんでやめちゃったんだっけ……? あまり覚えてないな。
  キッカケになったような出来事は確かにあるんだけど、
  それも最後には大きな影響になるようなモノではなかったし、
  どうしてあそこまで凹んでやめるに至ったのか、当時の心境や経緯はよく思い出せない。

……。

どーなんだろ、あれから20年が過ぎた今、
あの子はまだ、成田作品を――『花よりも花の如く』とか――
読んでいるだろうかなあ?

どう思います?(しるかそんなもん)

 
 

| | コメント (0)

2017年2月26日 (日)

■沢の踏み跡~SS・アニメ『ヤマノススメ』より~ -更新第1112回-


      ※2017年3月5日修正

 お漬け物屋のお婆さんは、桶から出したばかりのたくあん漬けを、いつもの通りに良い塩梅のサイズに切ってくれ、一度ナイロンの袋に入れて口を閉じ、それをさらに、しゃりしゃりと手触りの紙で丁寧にくるんでくれる。その包み紙には、「漬け物舗 さわ乃屋」とお婆さんの名からそのままとったという屋号が、落ち着いて品の良い薄藍の地に白抜きで刷られていた。
 包みをお釣りと一緒に受け取りながら、
「もうじき、お店を閉めるのよ」
と聞かされたとき、ここなちゃんはうまい言葉を返すことが出来なかった。
 この駅から少し外れたスーパーの小売店街にも昔はぎっしりとお店が入っていたが、いまでは空いた床が目立ってきた。家具売り場の売れ残りみたいなソファが置かれただけの休憩所や、フードコートの出張スペースとして無理に埋めている場所もある。スーパー全体の全面改装にともない、テナントの入れ替えをするのだそうだ。
 そうなることがなんとなく分かるような気もしたし、やめないでほしいと言えるわけもないから、そうなんですか、としかここなちゃんには言えなかったのである。

 残念だとか、寂しくなるとか、もっと気持ちはあったはずなのにと家で夕飯の支度に手を動かしながら考えて、ご飯のとき母にその話をしたら、
「そうなの? 残念ねえ」
とすんなり言われてしまった。自分には、まだそんな部分も足りないのだなあとおかしな感心をしつつかじった地味な色のたくあんは、少し水けを多く含んで、しんなりしているように感じた。


    *      *      *


 三日が経って、またお漬け物の残りが少なくなってきた。ここなちゃんは、先に家を出た母に
「お買い物、私が行こうか?」
と学校へ出る前に自分からメールをし、学校が終わればそそくさと、よく回る足を、スーパーへ向けた。

 お店はまだあった。改装がまだ先なのは知っていたから当たり前だったのだが、そのことにほっとして、いつもと同じたくあんと蕪を少し多めに、そして安心ついでに白菜の浅漬けと、なすときゅうりの糠漬けも足した。
「そんなに慌てなくても、お店を閉めるのはまだ先よ?」
 ころころ笑うお婆さんに言われ、ここなちゃんは初めて、自分が切羽詰まった顔をしていたらしいと気が付いた。と同時に、お婆さんのその言い方が、店の未来の確かさを物語っていることも、十分に理解できた。

「続けることも、まだ出来るんだけどねえ」
 夕刻のスーパーは買い物客で賑わっていたが、小売店街へ足を延ばす客の数は限られている。その客数に合わせたように、お婆さんはのんびりした手足の運びで、クリーム色の大きな糠桶から野菜を取り出しながら話した。
 スーパー側からテナントの入れ替えを考えていると聞かされて、いくらか考えたあとに自分から手を挙げた。体やこころにまだはっきりとした不安は感じてはいないから、何か明らかな理由とか、いま困ったことがあるのかと問われたらなんとも返しようがないと言う。

「ただねえ、色々と、色々なことを思うと、ここらが潮時かなと思ったの」
「色々」

 おうむ返しに呟いて、ここなちゃんはまた「そうなんですか」と、お婆さんの言葉の奥にしまい込まれたほぐし切れない出来事を、そのままの形で胸に収めた。
 桶から体を起こして一度からだを反らす、その腰は確かに少し曲がって見えるし、振る舞いも緩慢ではあるが、山でだって、それよりもっとゆったりしたお年よりを見かけることは珍しくない。だからここなちゃんには、お婆さんが店をたたむことが余計不思議な気がしたし、心配でもあった。

「そうだ。ここなちゃんはお得意様だし、糠床を持って帰る?」
「え? いいの?」
「もちろん。よかったらだけど。じゃあ、ちょっと待っていてね」
 自分でお漬け物を漬ける。試みも考えもしなかったことだが、山での遊びや保存食作りと通ずるものを感じて、深く考える前に返事が口を突いてしまっていた。
 やはり緩やかな足取りで店の奥へ戻っていくお婆さんを見送ると一人になった。小売店街の客足の少なさがしんと小さな肩にしみる。こうして話すうちにも、この店へはおろか、隣の花屋や和菓子屋へもひとりの客の影もない。「だから」なのだろうかと思ったとき、ここなちゃんの脳裏に一つ、よみがえることがあった。

 小学校の授業で、町の歴史を調べたことがある。スーパーができる以前のこの辺りは商店街とも呼べないような小さな店が軒を連ねる区域になっていた。そこに大型の店舗が建てられることになり、元あった商店のいくつかは店をたたんで、残る店は条件を優遇されてこの小売店街に入れることになったのだ。先生に連れられてお店の人の話を聞いたり、班に分かれて図書館で調べものをしたりしたのを、ここなちゃんは憶えていた。テナントとか、優遇とか、当時の自分たちにはわからない言葉ばかりでその意味するところまでは理解出来ずに終わってしまったが、いま改めて見渡すと、花屋も和菓子屋も、客がなくとも慌てる風でもない理由が少しはわかる……。

 奥から戻ったお婆さんの手には、みっちりと、いかにも重さの詰まった風合いの糠の袋が抱えられていた。
「お待たせさま。はい、重たいから気を付けてね」
「ありがとう」
 それを実際受け取ってみると凝縮の程は見た目よりもはるかにまさっていて、力の加減を誤り、前のめりにふらついてしまった。
「わわ」
「あらあら、気を付けてねえ。あのときに比べたら随分大きくなったけど、やっぱり女の子ね」
 お婆さんは笑い、ここなちゃんもばつの悪い笑みで応えながら、あのとき、と言われ――校外学習で、この店を訪れたときのことを心に呼び覚ましていた。


    *      *      *


「どうしてお漬け物屋さんになったの、ですか?」
という幼いここなちゃんの質問は、思い返せば、町の歴史を紐解くという目的から少し外れていたかもしれない。お婆さんもうまい答え方を見つけるまで時間をかけていたように思う。出てきた答えも要領を得ない、なんだか難しいものだった。
 お漬け物を拵えるのが、お婆さんの家の役割だった。周りの家からの評判も良くて、となりや、そのまたとなりの家の集まりからも請われることが多くなった。さらにその評判を聞きつけて、また……と繰り返していくうち、遠方からも求める人たちがやってくるようになったのである。

「それで、いつの間にかお漬け物屋さんになったのよ」

 ここなちゃんを含めた子どもたちは、ええと、とどう捉えて良いやら心で傾げた首を無理やり縦に振り、担任の先生だけが、困ったような顔をしてうんうん浅く頷いていたのをここなちゃんはなんとなく覚えている。漬け物屋という職能者への確かな成り方や心構えは話の中では脇役で、一つかみほどの選択と、当たり前のような責任感がぼんやりとあり、いわば時代の空気に押し出されるように、糠との暮らしが選ばれて残ったという話だった。お婆さんにしてもまだ口にしたくないいいきさつや、言い表し難い事情もあったに違いない。
 それよりも、お婆さんが話し終えた後のやり取りの方を、ここなちゃんはより鮮明に覚えていた。

「ごめんなさいね、あまり参考になることが言って上げられなくて。あなたは、お漬け物屋さんになりたいの?」
「ううん、ちがいます!」

 クラスの友だちが大笑いをし、お婆さんも笑い、先生がここなちゃんをたしなめて頭を下げていた光景、あのときはなぜ笑われてしまったのか分からなかったけれど、いま思い出すと、ここなちゃんは顔から火の出る思いがした。自分が何を言ったのか、手の中でぐっと重みを増した糠床が、肩と背中を引っ張って、まるで自分に手をついて謝れと要求しているようにさえ錯覚する。
 そうして頭が真っ白になってしまった幼いここなちゃんは、逃げ出すように次の質問をしてしまった。

「お、お婆さんは、ずっとお漬け物屋さんなのですか?」

 改めて考えるまでもなく、何を聞きたい問いだったのか、いま思い返すと尚のこと分からない。それまで漬け物屋だけを続けてきたかを問うたのか、或いは、この先もずっとなのかと?
 不可解な質問をどう受け止めたのか、それでもお婆さんは丁寧に、
「そうね、私が元気なうちはそうかしら。子どもも孫もいるけれど……。これは、私のお仕事だもの」
と、そっと、先のことをさりげなく括った。


    *      *      *


「あ、あのときは、本当に……」
 まったく、なんということだろう。あんな幼い日の、過ちとも呼べない素直さの招いた勇み足が、まさかこんなタイミングで再び火を噴くなんて思ってもみなかった。ここなちゃんは自分の無邪気さを呪って頭も下げられずもじもじしていたが、お婆さんはころころと愉快そうに笑って、いいのよ、あれは勿論冗談だもの、とやさしかった。
「だからあのとき、ふたつ目に答えたことも本当。誰かにあとをお願いしても、きっと困ってしまうでしょう?」
 これ以上ないくらいに似合う、袖口がゴムになっている割烹着の腰を一度ぐっと逸らせ、気持ちよさそうにいくつか息を吐いて、やがてまた背中を丸めた。
「残念って言ってくれるひとには申し訳ないけれど、あたしはもう十分」
 最後の言葉の本当の意味は、ここなちゃんにはやっぱりまだ難しい。けれどもそれも無理をして、ハイ、と飲み込み、伏し目がちに頷いた。
 お婆さんはその賢さも見透かして、最後にもう一つ、
「まだしばらくはお店にいるから、上手に漬からなかったら聞きにいらっしゃいね」
と、付け加えることを忘れなかった。


    *      *      *


 そのひと月後、ここなちゃんは山で道を間違えた。
 山が近場で、さほど高くもなかったのが逆に災いした。珍しく母が「職場の人から聞いてきた」と言った湧水を汲むついでのハイキングがてらで行程を組み、遅めの時間に出たものだから、中盤からあとに向かうことになる水場への道で時間を食ってしまうと、もうリカバリーが効かなくなってしまったのだった。そのおかげで、水汲みという目的を果たすのが時間的に精いっぱいになってしまい、山頂を踏むことが出来ずに終わってしまったのである。
 メインの登頂路から一度離れ、水場へ向けて沢の流れに行き当たったとき、踏み跡が残っていたからそちらだと思い込み、安易に沢に沿って登る道を選んだのが間違いだった。それは、以前は確かに水源へと続く旧道だったのだが、いまは落石によって封鎖されており、本当は沢を一旦渡った先から進むのが正解の道筋だったのである。

「印を立てておかないと、また誰か間違っちゃいますよね」

 ようやく沢の分岐まで帰ってきたここなちゃんは、丁寧に、今しがた自分が付けてしまった誤った踏み跡の旧道に横木の通せんぼをかけて呟くと時計に目をやった。往復で二時間近くを失って、ここからまた水を汲みに向かったのちに本来の登山道へ戻っていたのでは、山頂を臨むころには日が傾き始めるだろう。

「今日はもう、仕方ないかな」

 山では、どうしても一人ごちることが多くなる。意を決して、などと大げさな話でもない。今回は水汲みを優先して、山頂はまた来週にでも再挑戦すれば良い。なにせ、塩分を補給するためのお漬け物には事欠かない身分になったのだ。
 あの翌日から、早速、漬物舗・さわ乃屋謹製の糠床でトライし始めたここなちゃん最初のお漬け物の玉砕の仕方は、実に地味なものだった。とりあえずのお試しで、たくあんをひと月かけて漬けたのだが、お茶漬けの種にしてもまだしょっぱ過ぎる有り様の漬かり具合だったのである。その塩気は保存食としては優秀だが食卓での活躍の機会に乏しく、冷蔵庫の中でのんびり寝かされているうちに、今回の登山の機会が訪れたのだった。
 湧水の広場へ向かう道を、道誤りでくたびれた膝を持ち上げてざくざく進む。道は先ほどの旧道より格段に険しかった。ごつごつと岩だらけの沢を左手に見下ろすくらいの角度で登っていく。果たしてこれで本当に水源に辿り着くのか、このまま山頂へ行ってしまうのではないかと不安になるほどだったが、山の道は面白く、沢は小さな滝を何段か経て道の高さに追いついて来、やがて合流した。
 道の最後は、垂直の岩壁が頑として立ちふさがる行き止まりになっていた。手がかり、足がかりはあるから登れないこともないだろうが、普通の登山客があえて進むような代物ではない。その壁の、地面から二メートルほどの高さより上のところどころから水が湧き出し、なぜ形作られたのか分からない、受け皿のように突き出した岩に一旦溜まってからちょろちょろと細く落ちている。
 ここが沢の水源だ。きっとどこか、この山の上か、或いは離れた高山に注いだ雨や雪が押し積もり、逃げ場を失ってここから染み出ているのだろう。ここなちゃんは早速荷物を下ろして五百ミリの小さなボトル二本に水を受け、それが終わると自分もその傍らに腰を下ろした。拭ってもまた汗がこぼれてくるのでまた拭い、汲んだばかりのボトルの水に口を付けて、崖と木々に囲われた空を見ながら時間を計算した。そして膝の上に、山頂で広げるはずだった弁当を広げた。
 旧道では、徐々に心もとなくなる踏み跡に疑念を抱き始めた頃まんまと巨きな石に道を阻まれ、明らかにおかしいと気付いて引き返してきた。それでもまだ、道が道らしい形を残していたから辿ることが出来たのだ。きっと自分のように、定期的に迷い込む者があるのだろう。はじまりにあの道を踏んだ誰かは、やはり先にあるであろう、沢の水源を目指して足跡をつけたのかしら? 分からなかった。それとは違う、彼だけの、彼女だけの目指す場所があったかも知れない。ああして通せんぼをしておけば、さすがにもう迷い込む者も減るだろう。人の通じなくなった道はやがてかたちを失い、最初の目的も、その目的が失われたいきさつも覆われて、余分な憂いからも解放される。

「これは、私のお仕事だもの」

 タッパーに入れたたくあんをポリポリかじると、時代に押しこまれてつけた踏み跡は行くところまで行き着いて、わけもわからないまま誰かに譲ることは出来ない――そう清々と笑った、皺がちな顔が浮かんでくる。どれだけ時間をかけた暮らしだったのだとしても、その道筋の値打ちは自分だけのものなのだと、まさか幼い自身の拒絶が彼女に気付かせたなどとは思いもしなかった。
 ボトルの水は、あっという間に飲み干してしまった。いちいち汲み直すのも面倒で、受け皿の岩から落ちる水を手ですくって直接飲んだ。ひたすらに染み出し、流れ続ける沢の清水は、掌の中でたくさんの光を閉じ込めて柔らかく揺れ、無味という名の味がする。その揺るぎの無さの中では、失敗作だった筈のたくあんもポリポリと十分に美味しい。自分が漬けたものだと思うと、自然と笑顔がこぼれた。
 目を閉じても光の滲んでくる瞼の奥の薄暗闇の中で、ここなちゃんは沢の流れる音を聞き、このあと辿ることになる、下山ルートのことを思い描いていた。




| | コメント (2)

2017年2月19日 (日)

■すてきなRestart~『けものフレンズ』OP ようこそジャパリパークへ!感想~ -更新第1111回-

2月も半ばを過ぎて、少しずつ寒さが和らいできてしまった。
一昨日に吹いたのは春一番だったというし、
あの心身ともにざわつくような陽気には参った。あれに来られると疲れが酷くなる。
今年もいよいよ冬が終わってしまうのかと思うと憂鬱になる。
自分はつくづく冬が、寒い季節が好きなのだなと実感させられる。
とはいえ、この冬は長かったように感じる。
というか、深かった、というべきか。

そんな、寒さが終わろうという頃にもかかわらず、
『けものフレンズ』がアツい。
さばんなちほーだから、ではない。さばくちほーだから、でもない。
「足の裏に毛が生えているから、砂が熱くても大丈夫」という問題でもない。

マ物語の先読みや裏読みは、そういうことがお好きで得意な若手フレンズの皆さんにお任せして、
老人のオイサンは通常営業、
すっかりこころを掴まれてしまった『ようこそジャパリパークへ!』の歌詞について、
思いを深めていきたいと思う。


▼『けものフレンズ』主題歌「ようこそジャパリパークへ




……つっても、「シンプルでいい歌詞ですよね」というくらいのことだけど。
グッと来た歌詞の部分だけ引っこ抜くと、


  ♪  ほらね君も手を繋いで だいぼうけん!
  ♪  Welcome to ようこそ、ジャパリパーク! 今日も ドッタンばったん おおさわぎ!
   ♪   (中略)
  ♪  はじめまして きみをもっと知りたいな

   ♪   (中略)
  ♪  Welcome to ようこそ、ジャパリパーク! 今日からはどうぞ よろしくね
  ♪  いつもいつでも優しい笑顔 きみを待っていたの

   ♪   (中略)
  ♪  どこまででも つづいてく グレートジャーニー

  ♪  ランランランラー ランランランラー Oh, welcome to the ジャパリパーク
  ♪  ランランランラー ランランランラーランラ あつまれともだち
  ♪  ランランランラー ランランランラー Oh, welcome to the ジャパリパーク
  ♪  ランランランラー ランランランラーランラ すてきなたび立ち



……とまあ、こうですよ。
なんかもう……なんでしょうね? すごい普通でしょ。やさしい。
『ごちうさ』が、「かわいいだけのアニメである」ことを完全に研ぎ澄ませて
オンリーワンにまで上り詰めた
のと同様、
『けものフレンズ』は「やさしい」ことを研ぎ澄ませているように見える。
世知辛いヨノナカ、右を向いても左を見ても、お前の経済的価値はなんなんだ
「ほんで、おまえはナンボになるんや?」みたいなことしか問われない世の中で、
これだけナンモナシで、
「よく来てくれたよぉ、待ってたゆぉ、紅茶のむぅ?」
みたいに優しく迎え入れてくれてしまったら、そりゃもう世のオジサン涙くらいでますわ。

  マ正直なところ、オイサンは人間のフレンズは少ないマン(かなしいヒーローだな)なので、
  アナタトワタシ、トモダチトモダチ、ナカマナカマー
  と人から迫られたらNoNoNo, No Thank youとジェスチャー全開で後ずさりですが、
  この作品の世界観の中で唱えられる「ともだち」「フレンズ」は、
  そういうニュアンスとは異なるものになっていますね。
  人類愛というか、生物愛というか。
  おっ? お前さん、生きてるね? 嬉しいねえ、みたいなことです。
  分かりやすいですね。
  分かりませんか? 分かりませんね。 分かれこのやろう。 ← フレンズ減の原因


いっこいっこ詳しく見ていきましょう。
……気が進みませんか?
それでも気にせず見ていきますので、気が向いたら先に進んで下さい。


  ♪ 手をつないで だいぼうけん!

早速いいですね。
「『手』をつなぐ」ということの「小ささ」と「大冒険」の対比がすごくいいワケです。
手をつなぐことは大変小さなことですが、
「大冒険」という壮大な広がりの中でその異質な小ささ、些細な「抵抗」は、
却ってこう、その行為に大変な密度を予感させもするのです。
そこに凝縮されたエネルギーの構図が感じられ、
この一節だけで、アニメ本編におけるかばんちゃんとサーバルちゃんの結びつきの強さが際立つのです。
いいですか? 際立つんです……際立つったらキワ立つの! 際立て!!(命令)

  際だて!さーばるちゃん!(ラノベ)

……マ正直な気持ちとしては、
物語開始初期の時点では
「パークの中で図書館まで行くだけの話で、『大冒険』は盛りすぎだろ……」
と、オイサンも思いましたが。
ここンとこワリと大冒険っぽくはなっているのでよしとする。


 ♪ 今日もドッタンばったんおおさわぎ!

のところも……やはり当初は「いや大騒ぎはウソだろw」と思って見てました。
だって1話、2話の頃って大騒ぎと呼ぶには物足りないような、
大変ほんのりした、のどかな旅路だったのですもの。
普通に行く、という感じで。
3話あたりからは、関わるフレンズの数も増え、アクションも大掛かりになってきたのでアレですが。

マそんな嘘かホントかはサテおいて、なかなかこう、
イマドキの物語作品においてこの「ドッタンばったんおおさわぎ!」というフレーズを
バッチリ使いこなすのは、大変に勇気のいる行為だと、オイサンは思います。
自分で書いたら、……否、記す前の思いつきの段階で、

  「……。ねえな」

と思って消してしまいそうです。
それをオーイシマサヨシ氏は、恐れずに見事に使い切っている。すごいと思う。
ド肝を抜かれますこの胆力。
揶揄してるのではなく本当に、
「作品にとって正しいから、古臭く見えてもこの言葉で良いのだ」と踏み切るのは
大変な勇気と知性が必要です。
この、一見使い古されてダサいワードのポテンシャルを完全に使い切る力は
いっそスタンド能力と言ってもいいくらいだと思いますよ。


 ♪ はじめまして きみをもっと知りたいな
 ♪ ……
 ♪ ララララー ララララーララ あつまれともだち

 ♪ 今日からはどうぞよろしくね
 ♪ いつもいつでも優しい笑顔 きみを待っていたの


いくつか時系列をすっ飛ばしてまとめました。
この辺の「受け入れ力(ぢから)」の強さは……
無論、受け入れられた先にやさしさが約束されているからこそ
歌の言葉を素直に受け入れられるワケでもありますけれども、
マその辺は、ひねくれて、おのれの心の孤独に生きるオイサンのような者には、
現シ世では手に入れ難いものなので、尚のこと手の届かない宝物のように映るのでありますよ、
エエ。
心の歪んだ年寄りのタワゴトだと思って見逃がしてくだされィヨボヨボ。
現世……「うつしよ」とは、鬱シ世でもあるなあ。

大概、受け入れられた先には、受け入れた側の身勝手な都合と過剰な期待、
利害が待っておりますから、
なんというか、受け入れる側になった自分の姿としてお手本にしたい、
憧れの姿であることです。


 ♪ どこまででも つづいてく グレートジャーニー
 ♪ ララララー ララララーララ すてきなたび立ち


……なんていうんですかね。
"グレートジャーニー"は、アフリカで発祥した人類が世界に拡散する旅路を表したことばですが、
この言葉を聞くとき、たいてい「人間がここまできたこと」の結果としてのニュアンスが、
語られることの大半を占めるワケです。結果としての旅路の話として。
しかしナンダ、今回この歌を聴いて初めて、
ああそうだった、そういやそれってまだ続いてんだなと、思い至ったわけですよ。
シメの歌詞も「すてきな旅立ち」ですからね。

……実際のところ、『けものフレンズ』の物語において、
かばんちゃんの仲間(要するに人類)が本当に絶滅した存在なのかはまだ分からないけども、
もしそうだったとして。
かばんちゃんは、唯一生き残った……否、新生のチャンスを得た人間として、
フレンズたちとこの先、どんな関係を築いていくだろうか?
現生人類と同じ「まちがい」の道をたどるだろうか。

  「まちがい」と書いたけど、
  別にいまの人類とフレンズの関係すべてが完全にまちがっていると言っている、
  ワケではないですのでその辺オマチガイなく。
  どこかは合ってるし、その分どこかはまちがってる、くらいの捉え方をしたい。
  マ大方間違ってる気はしますけど。

地球の、自然界という愛の輪から逸脱してしまった現生人類が絶滅した後に、
かばんちゃんはいま一度「フレンズ」たちとフレンズになってやり直すために新生した、
再出発の人なのかもしれない。

  ……て言うか、フレンズはあくまでも「フレンズ」であって、
  『けものフレンズ』の世界でも、
  ジャパリパーク以外の場所にはフレンズでない普通の動物もいるのかしら。
  フレンズたちは普通の動物とどうふれあい、
  かばんちゃんはジャパリパークの外の世界でどう生きるんだろう……。
  その練習のために滅びた現生人類が用意した練習の場なのかもなあ。

かばんちゃんの目覚めは、人類の再出発なのかも知れぬ。
それを「すてきな」ことだとしたのはもう、
作詞者・オーイシマサヨシ氏のやさしさとしか言いようがない。

……マ個人的には、『けものフレンズ』をそういう壮大ゲなもの、
テーマを大上段に構えたエラそうで面白いモノとして考えたい気持ちはあんまりないです。
ひとえにここちの良い、気楽なものとして持ち続けたいんだけど、
オーイシマサヨシ氏が、何かを思い描いてビジョンにこめたのだとしても
とてもよくわかるし、素敵だと思う。

進化の結果の事実としていまこのようにある人間が、どこから来たのかはサテオキ、
いま何を持っていて、何が足らず、
この先それをどう使い、どのようにまわりと関わりあって、どちらへ向かおうとするのか……
そんな思いの途上に現れたゆめみる箱庭、
それがジャパリパークなんじゃないかな! たっのしー♪


■よだんフレンズ

余談だが、グレートジャーニーについて改めて調べてたら、
GIANTのラインアップに同名の車種があるの見つけて欲しくなってしまった。
10万か、うーむ。(どこまでいくつもりだ)

  ▼GIANT グレートジャーニー [GIANT]
  http://www.giant.co.jp/giant17/bike_select.php?c_code=CA02&f_code=FD02&s_code=SR15

ランドナー、他にもカッコイイのとか軽いのがあるなあ。

  ▼自転車旅行におすすめのランドナー・スポルティーフ15選を紹介します。[NatureDrive]
  http://cycle-japan.com/randonneur/


『けものフレンズ』を見る
   ↓
『ようこそジャパリパークへ』の歌詞についてふかく考える
   ↓
"グレートジャーニー"について復習する
   ↓
同名の自転車を見つける
   ↓
ちょっと前にもあった、ランドナー欲しい熱が再燃する ←イマココ


マそんな感じでヒトツ。

『けものフレンズ』は、見ていて気持ちよくて、確かに楽しいのだけど、
そろそろ「なんで面白いのか」は分からなくなってきた。
面白い、楽しいというか、見ている間中ひたすら嬉しいのだった。
あ、始まった。嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい終わった。

……で、30分終わる感じ。
脳のどこかが開きっぱなし、出ちゃいけないものが出っぱなしになっているような気はする。
昨年の冬に『おそ松さん』が女子の間で大人気になったのもオイサンの理解からは外れていて
(『おそ松さん』自体は面白くてオイサンも楽しく見ていたけど、
「女子にキャーキャー言われるような人気の出方をして、それが爆発的に持続する」のは
  やはり説明を付けて自分を納得させることは出来なかった)、
えらく困惑したものだけど、今回のはそれを超えている。
いや、超えてはいないのかもしれないけど、自分もその熱狂の渦の中にいる分、
ワケの分からなさを体で味わっている。

OPラスト


  ♪ ララララー(ララ!ララ!) ララララー(ララ!ララ!) Oh, Welcome to the ジャパリパーク

(ララ!ララ!)が嬉しくて、胸が詰まってしまうくらいなのだから、
やはりなにか良くない塊を投げつけられて、当たってはいけないところに当たっているように思う。
困ったものだ。
あと残り半分のうちに、どうにかその正体を言葉にしたいと思う。


「サファリ」という言葉も意味をよく知らないなあと思って調べてみたら、
アラビア/スワヒリ語で「旅行」って意味らしい。
普通のことばだった。
信州へサファリに行きたいとか、京都サファリしたいとか言えるのか。
ときめく。

温泉サファリしたいオイサンでした。

 
 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧