2017年3月19日 (日)

■花よりも花の如く、光陰よりも矢の如く。そして…… -更新第1117回-

オシゴト帰りに新宿エキナカの本屋さんに寄ったら、
『花よりも花の如く』の最新刊が出ていた。
16巻。


  

  こっちで試し読みもできるっぽい。
  http://www.s-book.net/plsql/slib_detail?isbn=9784592210061


『花よりも花の如く』は、現代に生きる若き能楽師・榊原憲人が、
能の世界を通じて、人の世の悲喜こもごもを味わいながら、
能楽師として、人間の男として、なんとなくいい塩梅になっていく物語です。

  「成長」とか言わないぞ。そんな安っぽいモンじゃないんだ。

デまあ話の中身はいいんですが(いいのか)、
その新刊の帯に「成田美名子先生、画業40周年!」とアオられている。
1977年デビューというから……
なんと、オイサンの生まれる前から原稿用紙と格闘していらっしゃる計算になります!

  ……すみません、いまシレッとウソを書きました。
  オイサン生誕の2年後からですね。オイサン暦2年からですね。
  O.C(オイサン・センチュリー)2年。
  なんでウソついたんだ!(ドン!!

しかし40周年とはなかなかスゴイいキャリアですが、
お生まれは1960年と言いますから、17歳からマンガ描いてんのか……。スゴイな。
花とゆめコミックスの単行本なんで、ガッチガチの少女マンガでありまして、
作風も、昨今の、少年・少女の垣根がかなり取っ払われた感じになる以前からのものでありますが、
まオイサンは小学校低学年の頃から『パタリロ!』なんていう
当時の少女マンガの中でもかなりアグレッシブなものを読んでおりましたし、
それ以降もナンヤカンヤ触れて負ったのでそこらへんに抵抗感はない。

  『ぼくの地球を守って』とか『動物のお医者さん』とか『ここはグリーン・ウッド』とか、
  まメジャーどころばかりですが、ガッツリと読んできました。

    


成田作品に触れたのは、大学1年か2年の頃、当時活動してた演劇部の女子のお友だちから、
「これ面白いよ!」と借りた『CIPHER(サイファ)』が最初だった。

  『CIPHER(サイファ)』は、N.Yに暮らす双子のアクター、
  ジェイク・ラングとロイ・ラング(=サイファ)がある確執から袂を分かって暮らすようになり、
  それまで一心同体のように生きてきた二人がそれぞれの道を歩むようになっていく、
  というお話。今読んでも最高に面白いです。


  

オイサンも当時はクソみたいな男子大学生らしく、
そのマンガを貸してくれたコを憎からず想っておったりしたものですから喜んで読んだのですが、
コレがまあなんというか、非常に不思議な面白さでした。
先が気になって仕方がない!!
……という類の、面白さではない。
引き込まれるとか、そういうんではないけれども、
……なんかこう、人物が常に自分のそばに寄り添っているような、
向こうの世界にいるままこちらにもいる、みたいな面白さでした。
フィクションならではの刺激的な面白さよりも、
「ちょっと上質な現実」とでも呼ぶべき、
あらゆる感情を丁寧に丁寧にブラッシングしてあるような肌触りの良さが際立つ感覚がある。

その後も、『ALEXANDRITE』(アレクサンドライト・『CIPHER』のスピンオフ的な続編)や、
完全新作の『NATURAL』も成田先生の作品として読み続けてきたのだけれども、
やはりどれも強い引きや動機を生む作品ではなかったので、
なぜ連綿と読み続けてきたのか、途中でやめなかったのか? は、
今にして思えば少し不思議ではある。

しっとりとじんわりと、とても面白いのにストレスがなく、
読めば確実に、何か一つの真実に触れることが出来るという確信が、
どこかにあったのだろう。
思えばそれは、ゆうきまさみ先生の作品と似た感触である。

オイサンが成田先生作品に触れたのが恐らく大学1年か2年、18、9歳の頃で、
1995年前後のはずだから、約22年。
こんなオイサンでも、先生の画業のうち半分にはお付き合いしていることになる。


■ずっと俺のターン

にしても40年、22年か。
オイサンも今年は42になり、両親はともに70を超える。
マそうして考えると……あまり口にしたくはないコトだが、
両親もあと、10年? 一緒にいられるかどうか。
おられれば御の字、
生きているのに特に具体的な不安はないけれども、
たとえ明日突然そうでなくなったとしても、神様に向かって正面切って文句がつけられるような年齢ではなくなってきた。
神様にも「イヤお前そりゃそろそろ年齢だよ」って言われても……グウの音も出ぬ。
そのくらいの年齢かなあ、とボンヤリ考えてはいる。
何もしてはいないけど。

そーなってくると不思議なモンで、
次に自分の番が回ってくるのも案外あっという間だな、なんかをやり切るほどの時間はないな、
……と、思ってしまう。

ここ最近を振り返ってみると、10年なんてあっという間だったなあと思うワケで、
……マその「10年のはやさ」が本当かどうかはあとで考えるとして、
真実だとするならば、
自分に過ぎる10年も、両親に過ぎる10年と同じようにふりかかってくる。
つまり。
オイサンもあっという間に50になる。
50になってしまえば、60もきっとすぐだろう。
そしたらもう、アレですよ。
いま自分が両親に見ているように、いつこの世を退場してもおかしくない年齢までもすぐだ。
そうか、自分もすぐに死んじゃうんだな、と、春の日の、うららかな陽気の散歩の中で思ってしまった。

しかしここでさっきの問題、
「10年は、本当にそんなに早く過ぎ去ったのか?」について考え直してみると、
丁寧に振り返れば……案外、そうでもない。

振り返り方の違いで、随分と印象が違うことが分かってきた。
ある特定の点のことだけを振り返れば確かに昨日のことのようだから、
すっごくあっという間だったように感じる。

『アマガミ』が8年前! と思えば、うそっ! と思うほど早いけど、
『アマガミ』以前には知らなかった人たちとのことや、
『アマガミ』から今まで、どれだけたくさんの場所へ行き、どれだけ自分が変化してきたかを思うと、
そこにはやはり、長い時間、細やかな刻みが存在していたことが感じて取れる。
たくさんのことがあった。
たくさんのことをしてきた。
ブログを始めてからも、まだ11年しか経っていないことを思えば、
10年というのは、やはり案外長かった。
これから先の10年も、きっと色んなことが出来るだろうし、いろんな場所へ行けるだろう。
色んなものも、書けるに違いない。
まあ、自分が頑張らないといけないけど。

  そーいや、忘れてたけど、『アマガミ』も3月19日が発売日だから
  ちょうど8年なのね。



■人の時間、内臓の時間。そして、光の時間

あとそれに、これから先の10年が、これまでの10年と同じ速度で流れるのか?
と言われたら、きっと違うのだろう。
正しくは、時間が均等に流れる……らしいけれども、
自分がその流れを拾う速度と精度が下がっていくから。


物理的に……というか、生理的・病理的に、感覚器の性能がガクンガクンと落ち始め、
同じようにインプットが出来るとは思えない。
そういう兆候は既に出始めている。
それはつまり、主観的には時間のクオリティが下がるのと大体同じだ。
鈍った時間が流れていく、と考えた方がいい。
衰える体の感覚器が、一つのことを拾うにも時間がかかるし、
拾ったものの精度も決して高くない。事実から遠く離れていることも起こりうる。
その隙間を、記憶や経験で埋めようとするから、主観とバイアスに染まった風でしか、
捉えたり考えたりできなくなるのだろう。

  はなから目や耳で物事を考えないで、
  数値で頭にしまい込んであればそんなこともないのだろうけど、
  なかなかそうはいかない……
  そう考えれば案外、目や耳が不自由な人の方が、
  若い時と年を取ったときの衰え方の差が小さかったりするのかもしれない。
  どーなんだろ? イヤ、いま適当に思いついただけだけど。

マその分、年を取るとコレまではまともに見えなかったものも見え始めるから、
これからの時間がただのレッサーバージョンかと言われればそんなこともないけど。
若い頃に見えていたものが見えなくもなるので
±ゼロだとは思うけどね。難しいものだね。

イヤハヤ、
若いうちは正しい・事実に近いインプットが行われるのにインプットされたものを正しく処理することとが出来なくて、
年をとれば今度はようやく正しく処理が出来るようになるのにインプットも回転も悪くなる。
人の言う「全盛期」とは、その両方のバランスが取れている本当に短い時期のことをいうのだろうな……
なんていうことも、ようやくわかるようになってきたワイよ。

自分としては、インプット装置が多少トンチキこいて、
アウトプットするものが公平・公正・均等でないイビツなものでも、
自分にとって、そしてそれを喜んでくれるごく少数の人たちにとって輝かしいものでさえあってくれたらば
十分満足なので、あんまり困らないけども。

ただ、やはり勢いはなくなるね。
エンジンが弱くなる。
人間、大部分はかなり下っ腹で動いてるな、と思わされる。
内臓は随分モノを考えているなあと実感するし、内臓の衰えは実感する。。

アインシュタインさんの考えた相対性理論によれば、
時間の流れの速さは絶対の一定ではなく、
唯一絶対に一定であるのは、光の速度だけ、ということのようである。
すべての基準はそこにある。
時間が流れていることを前提に生きてる私たちからすると分かりにくいと思うが、
つまりその考えに則るなら、

 「光は1秒間に地球を7.5周できる」

のではなく、

 「光が地球を7.5周するのに(停止した状態からみて)かかる時間を1秒とする」

と表現するのが正しい、ということのようだ。
時間の流れているのが前提の世界に光が走っているのではなく、
光が走っていて、かつそれよりも移動が遅い、あるいは静止している連中がいるから、
相対的に時間というものは発生する、という考え方……というか、世界を正しく理解すると、
どうやらそうなるらしい。
だから、光そのものが感じている時間経過はゼロになり、
それから遅れるほどに時間というのは流れていく、ということのようだ。
つまり、じっとしているモノより、
走ったり飛んだり、早く動いているモノの方に時間の経過はより緩やかにもたらされる。

なのでもしかすると、全身の細胞を光速で振動させることが出来れば超長生きできる……
のかなあ? と、バカなオイサンは思っている。

  イヤ、ちょっとコレ、考え方が正しいかは分からんよw?
  文系にも分かるように書かれた本を読んだ限りそんな感じっぽい、と思っただけだ。

勿論、基準が光速だけに、多少早く動いたところで計上される時差なんモンは
所詮誤差にしか過ぎないんだけれど、
それでも、
それでもだ、
誤差にしたって差は差であって、
それによって1秒の何千何万、何百万何千万、何億分の一でも、
自分が時間のくびきから自由になれる。
そう思うと……。
別に長生きをしたいワケではないのだけれど、
「いま流れる時間を少しでも緩やかにしたい」
と、思わないではない。
いまを緩やかに生きたいと願うことと、長生きをしたいと思うことは、決してイコールではないと、
オイサンは思う。

花よりも花の如く、光陰よりも矢の如く、
そして、ゆび先よ。願わくば、心臓よりも心臓の如くあって欲しいと切に願う。
文字を書くにせよ、シャッターを落とすにせよだ。



■Closing

話が、冒頭から随分違ってきたので引き戻そう。

成田先生の作品は、昔から、老人でも若者でも親しめるテーマを扱っていたように思う。
『アレクサンドライト』が若干テーマが若くてリキリキした生命感・躍動感にあふれ、
『NATURAL』も、テーマは普遍的だけど表現の仕方・舞台と人々がヤングで若い人向けの傾向はあるけれど、
どれも、内臓の力が多少落ちても無理なく楽しめる作品群であるように思う。

いまの自分には、過去を基準にした時間の尺度しかないなあと感じるのだ。
昔に比べてどうだこうだ、
昔に比べて何が得られて何が失われる……と。
それはきっと、結婚して子どもがいたりしないので、
未来に対して前向きに何かを測れないから、なのだろう。
「未来、如何様にあれかし」と願う、抽象的な目測が出来ないでいる。
過去に比べて何かが失われた時間に希望を見いだせない。
「(何かが失われはするけれども)こんな輝かしさが得られているであろう、
 得られているに違いない未来の時間のために、アレをしよう、コレをしよう」
と考えられていない。

ひとりでいるということには、どうもそういう効果があるらしい。

そんな目線でいるから、自分の時間の残りの少なさ・流れる速さばかりが目に付くが、
丁寧に測り直してみれば実際はどうやらそれほど少ないわけでも無いようだし、
インプットも、その処理の仕方も、まだまだ色々やりようがあるのだなということが、
なんだか確認できたように思う。
成田作品には、やはり普遍的な何かがある。

大学時代、自分は結局演劇部をやめてしまって、
『CIPHER』を貸してくれた女の子ともすっかり疎遠になってしまうわけだけれども、
そうした大切な時間がブツ切れにちぎれた後にも、
成田美名子作品というなかなかに深い足跡だけはしっかりと残ってしまった。

  演劇部は、なんでやめちゃったんだっけ……? あまり覚えてないな。
  キッカケになったような出来事は確かにあるんだけど、
  それも最後には大きな影響になるようなモノではなかったし、
  どうしてあそこまで凹んでやめるに至ったのか、当時の心境や経緯はよく思い出せない。

……。

どーなんだろ、あれから20年が過ぎた今、
あの子はまだ、成田作品を――『花よりも花の如く』とか――
読んでいるだろうかなあ?

どう思います?(しるかそんなもん)

 
 

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2017年3月16日 (木)

■コンガを打ち狂うことがクリエイティビティだと呼ぶ世界で、スマホは。 -更新第1116回-

携帯電話を、ブラックベリーさんからアンドロイド電話に換えて以来、
それを使って出来ることは増えているのだけど、特に何かを増やしている感じはない。
相変わらずTwitterをし、
ヘンなアプリを探しては試してみたりしてるんだけど……
そこに、もどかしさを感じている。

快適なモノだから、その機械をいじっている時間は増えて、延びているのだけど、
やっている内容は変わっていない。
つまり、いじることに飽きつつはあるのだが、
そうじゃないんじゃないか? 使い方が間違っているんじゃないか?
……と、感じ始めている。

なんかもっとうまい使い方があるんじゃないだろうか。
これだけ性能が高くて多機能なものなんだから、
もっと変な、
もっと楽しい
もっとこう……クリエイティブな使い方があってもいいのではなかろうk……

  ッキャーーーーーーーーーーー!!
  いやだ!!
  「クリエイティブ」!!
  「クリエイティブ」だって!
  「クリエイティブ」ですってよ奥さん!
  聞いた!? あちらのだんなさん、「クリエイティブ」なんですって!
  まぁーいいわねえ! うちの人も始めないかしら、「クリエイティブ」!!
  うちなんかもうとんとご無沙汰で!
  若いころはあんなに「クリエイティブ」だったのに! 毎晩毎晩!!
  恥ずかしい!
  四十またぎの一般サラリーマンが!
  「クリエイティブ」!!
  いーーーーーーーーやぁーーーーーーーーー!!
  「アバンストラッシュ」!!
  はわー……。
  いやぁー照れた照れた。///  ///

まあ、クリエイティブというか。
なんかこう……もうちょっと、お仕着せの遊びをするばかりではなくて、
自分で何かを作り出す助けになる遊び、いじる余地のある遊びを……ね。
これを使って出来ないかなあって、そのくらいのことなんですけど。

イヤすみませんね、フツーのオッサンがクリエイティブとか言って。
ホントごめんなさい。
いやーもう。
お恥ずかしい。
ダメですよね、オッサンがクリエイティブとか、オリジナリティとか、個性とか言ってちゃ。
クリエイティブ死とか、オリジナリティ死とか、個性死とかするわ。
心のコレステロールが致死値に達するわ。
コロシテロール。
もっとこう、オッサンなんだから、
人の敷いたレールの上を、人のフンドシ締めて、大手を振ってノッシノッシと歩くくらいでないと。
ユニディで売ってるレールですよ。IKEAのやつはダメですよ。
ユニクロかシマムラで売ってるフンドシですよ。GUのはダメですよ。
ねえ。
コモディティ化していこうじゃないですか。
アリモノで済ませていこうじゃないですか。

マそれはどうでもいいや。
そんなことをですね、
あ、そんなことって言うのは「スマホをもっとマシな遊びに使おう」ってハナシの方ですよ、
そんなことをですね、ヌルヌルと液晶に指を這わせながら思っているワケですよ。
おかしなゲームばかり探してる場合でもないな、と。
まあオイサンのAquos everさんなんていうのはハイエンドでもなんでもない普及版ですンで
そんな大した、重たいことが出来るようには出来てませんからアレですけれども。

なんかね。
もどかしい。
感情を形にして残しておけるような、
ねえ。
常に手元にあってサッと使える物なんだから、
頭を使う前にサッと感覚的に操って大事なことを残しておけるような。
そういう使い方が出来ればいいなあ、と思ったりしてるけど。

……カメラを自撮りモードにして、
自分の顔が液晶に映るようにして、
液晶に映った自分の顔をかいてあげたらカユいのがおさまる、
みたいなアプリありませんかね。
何を言ってるんだ?

類語同士を結び付けあった、類語マップみたいなものはないかと思うんですけどね。
視覚的辞書ツールみたいなの。

マそんなことを思って、手始めにこんなものを入れてみた。
最近、ノートに手描きすることも多くて、
そっちの方が使い勝手はいいんじゃないかって気がするな。


 ▼ハルナアウトライン
 https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.blogspot.halnablue.HalnaOutlinerLite&hl=ja

 ▼コンガボンゴ
 https://play.google.com/store/apps/details?id=br.com.rodrigokolb.congasandbongosfree&hl=ja
 延々コンガを打ち続けられるアプリ。


……とはいえ、オイサンのは決してハイエンドではない普及モデルなので、
そんなに重たいことがスイスイできるわけではない(らしい)。
買い替える時も、初めてのアンドロイド電話だからということでハイエンドは志向せず、
画面解像度も抑え目に、という方針で選んだけれども、
さっそくこういう方向に欲が出てくるとは思わなかった。

  とはいえ昨今の「ハイエンド」が何を可能にしているか、
  何を指標にして「ハイエンド」の必要性を判断させているかといえば、
  「3Dグラフィックをぐりぐり動かせる」
  「3Dのゲームをガリガリやるかどうか」
  みたいなところにあったりするので、
  オイサンの考えているようなことと「ハイエンドであること」が、
  直結して相関し合うかと言われれば、あんまりそーでない気はする。

  マそうでなくても、一番の優先事項は「バッテリーのモチ」だったので、
  この機体に落ち着いていたであろうとは思うんだけど。

  しかし「画面がでかい」ことは、オイサンの考える欲の部分を満たすには
  それなりのアドバンテージになる気がする。


しかし……このオモシロ高性能デバイスを、
一番面白く利用している人は……一体どんな使い方をしているだろうか?



 

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2017年3月14日 (火)

■とりきめメモリアル~forever ゆず湯~ -更新第1115回-

某コーヒーショップにて(特定の系列に限らない話だとは思うけど)
「アイスコーヒー、氷なしでください」と頼むと、
おみせのフレンズ(店員て言え)によって、大体3通りの対応がある。


 1. 氷が入った状態と同じ「量」のコーヒーを注いでくれる。

   2. 氷が入った状態と同じラインまでコーヒーを注いでくれる。

     3. 何も考えずに入るだけ入れてくれる……。


1.のフレンズにあたると、当然氷の対積分見た目が減るので、見かけ上は量が少なく見える。
2.だと、見かけ上は同じ量だが、氷の対積分、コーヒーの量は多い。量的にオトク。
3.のフレンズは……差分とか、目安とか、細かいことを考えるの、もうメンドクサイんだろうな。

マ多けりゃいいってもんでもないので誰もが同じ感想を持つとは思わないが、
オイサンは、3.がうれしく、1.だと、やっぱりちょっとションボリする。
結構目減りした感あるのでね。
が、本来は1.の姿が正解だと分かるし、
2.だと当たり、
3.だと大当たり!
……くらいに考えている。

オイサンはだいたい持参のボトル
……っていうのか、マグっていうのかタンブラーっていうのか。
  誰か、アレの呼び名をちゃんと統一してくれないかね……
に入れてもらうけど、それがまたそこそこ大ぶりで結構量が入ってしまうので、
3.の人に当たると、1.の2倍3倍の量にあたると思われる。
いいのかね。
お店にはたぶん取り決めがあるのだろうけど。

とりきめメモリアル(どさくさに紛れて何を言っているんだ)。

マグとかタンブラーとか、最初に言い出したのは誰なのかしら?
オイサンです。

「水筒」だろ。水筒。
あと「魔法びん」は、たかが保温機能に「魔法」は盛り過ぎだと思う。
魔法びんだって、言われて困ってると思いますよ?

  魔法びん「イヤイヤイヤ! 魔法て! 大げさですて! 科学! 科学ですねんジブン!」

って言ってると思うよ。
言うかそんなもん。



 

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2017年3月11日 (土)

■ヘヴン化☆こみゅにけぃしょん~此方と彼方のドキドキ・シュヴァルツシルト~ -更新第1114回-

オイサンはまあオタクでオタクで、もう

「いやーおじさん、オタクで困っちゃうよ、はっはっは」

と親戚の子にウッカリ言ってしまうくらいオタクなのですが、
イヤすみません、
実は同世代の親類に子どものいる従弟とかが全然いない、という
遺伝子を残すことに対して絶望的に才能のない世代の血族なので、
「親戚の子に言ってしまう」は全く持ってウソですが、
とにかくまあオタクです。

デ、オタクはホラ、よく、言われるじゃないですか。

  「アニメやゲームと現実の区別がついてない」

って。
アレ、ウソだと思うんですよ。
いや、断言しますけど、あれはウソなんですよ。間違っている。
根っからのオタクほどアニメやゲームと現実の区別がついてる人種などおらぬ。
モノゴトをよく分かっていないか、事実を捻じ曲げようというナニモノかのプロパガンダです。
彼ら……私たちは、痛感しておるですよ、
現実とアニメ、マンガ、ゲームとか、そういうフィクションは違う、違いすぎるということを。
ただ、アニメや漫画やゲームのような出来事が現実にもある、
起こる、
起こりうる、
起こりうるかもしれない、という夢を捨てきれないから、その境目をさぐり、
少しでも触れるために、あちら側の世界に立ってこちら側の現象に触れようと試み続けるから、
区別がついていないように見えるだけなんです。

  ……マ結果的に、「区別がついていないように見え」て、
  それが現実の世界だけで生きている人たちには迷惑千万なことには変わりないんで、
  現実的な厄介加減は変わんないんですけどね。テヘ♪
  でもその迷惑をしっかり知らしめることは、
  「そのラインに現実⇔虚構の境界は存在してない」ことがこ知れるので大事なことです。

それはサテオキ、オタクなオイサンは……
そうは言っても最近、

   「しまったな、どうやら俺は、
         ちょっと現実と虚構の区別をし過ぎたぞ?」


と、反省していたりする。

例えばホラ、巷でもっぱら噂ですけども、
どうやら、女子の皆さんも、えっちなこととか、お好きらしいじゃないですか?
下馬評によると。
マ聞いた話なんでよくしりませんけど。
エエ。
らしいんですよ、どうやら。
奥さん。
知ってました?
高校生は下校のときに、男の子と女の子で一緒に帰ったりするらしいし、
遊園地でデートしたり映画館でデートしたり。
なさるらしいんですよ、どうやら。現実でも。

そこをこう、オイサンなんかは、区別をし過ぎて、
「2次元で起こるっているコトは、……ハッハァーン読めましたよ、
                        サテはそれ、現実ではキホン起こらないな?」

と考えたモノですから。
まさかそんなと。
女の子もえっちなことを考えて、
なんなら好きな人相手にはそれを期待したり仕掛けたりサインを送ったり、
するだなんて、そんなのは、バカヤロウ!
フラワーコミックスの中でだけの出来事だ、夢見てんじゃねえ!!
分かったらさっさとボイラーに火ィいれて、裏から薪と鉈を持ってこい!
……って、親方に怒られて育ったモンですから(俺なんの仕事してんの?)
そうした認識を現実に持ち込むチャンスを、すっかり逸してしまった。

  そう、オイサンは現実と二次元の境目を手探りするタイプのオタクではなかったもんで。
  考えて満足するタイプでしたのでね。
  そういう人たちは一杯見てきたんで、そういう人たちのコトも分かりますけれども。
  あと、賢明な皆さんはお気付きだと思いますが、
  オイサンの場合、二次元オリエンテッドで認識がスタートしているのもおかしなところです。
  二次元で起こったこと、見たことが、先に来ている。
  しかしこれは、いま振り返ってみるとかなり幼い頃からそうだったような気がします。
  虚構の世界が自分の土台、基礎にあり、
  「現実に立って、虚構に憧れていく」のではなく、
  「虚構に立って、現実にないものは『諦めていく』」というスタイルでありました。
  自分のことしか知らんので、どっちがフツーなのかはわかりませんけれども。

クリスマスもバレンタインもハロウィンも、
確かに目の前で皆さんやってらっしゃるんですが、
自分とその目の前の風景の間にはもう、現実⇔二次元 の境にあるのと同じくらいの高さと厚さの、
否、高さも厚さも存在しないけれども決して交われない時空の特異面があるのです。
隔てられている。

……オイサンなんかは、そんな風に世界が見えている。
……ということに、最近、気付き始めました。

というのも、先日のこと。
バレンタインのときに、まコンビニやらでもキャンペーンをやってますし、
ああやってんなー、くらいに思いながらシゴトバに着いて
死んだサーバルちゃんみたいな目をしながらオシゴトにいそしんでいたんですよ。

  わーい、たのしーい! すごいすごーい!
  社長ちゃん、この
無茶な日程のおしごとどうしたの? とってきた!? すっごーい!!


そうすると、女子社員の方が席までやってこられて、
ハイどうぞ、とチョコレートを下さったワケなんですが、
勿論義理というか、フロアみんなにお配りになるものですよ、
それを置いてってくださったんですけれども、もらった瞬間このオッサン、

  (これ何?)

と思ったというから、どうかしてますよね。
どっか旅行でも行ったのかな? って。
思った。
勿論、一瞬あとには、ああああ、そうかそうか、そうだった、コンビニでやってたやつだ、
と理解は出来たのですが、
同時に理解出来なかったことにはあとあと我ながら驚いていて、
自分にとってはそこまで無関係の他人事として認識できていたのか、やるなオレ! と、
いたく感心したのです。

まあだからどうだって話でもないんだけど、
お若い皆さんはですね、さすがにもうちょっと、
現実と、アニメやマンガやゲームを区別し過ぎないで、
たまにはそっち側でやってることも、現実でもやっていいんだということを知っておくと
大人になるのに役に立つかもしれません……。

  ……そーいえば、たばことかお酒とか旅行とかクルマとかも、
    そういう認識でいたから、手を出さずに来たのかもしれない。
    そんな気がしてきた。

そもそも、虚構を基準で考えない方がいいのかも知れません。
やっぱそこが根本的におかしかったな。
そっか。
そこだったか。


どうでもいいけど、今また小諸にいます。

Dsc01292



マそんな感じでヒトツ。
オイサンでした。


 

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2017年3月 5日 (日)

■啓蟄IGNITION~前略、春の底から -更新第1113回-


春めいてまいりました。


Dsc01101


私は春が、春のあの、体のどこにどう作用しているのか、
皮膚の一層下に余分な熱が挟み込まれて、ふわふわと心がボンヤリするような感覚が得意でないので、
春があまり好きではナイ。

あれは全体、どういう仕組みでああなるんでしょうな、
エロ漫画じゃありませんが、人間の体というのは本当に正直に出来ている。
ヒトがまだフレンズだった頃の名残なのだろう。
あれは……コントロール出来る代物ではない。

  皆さんあの感覚に自覚的なんでしょうかね?

だいたいアレだ、春になるとあったかくなるし、
あったかくなると虫が増えるじゃないか。
春が好きな人というのはアレだ、虫なんじゃないか?
そうだろ? どうだ?(言いがかり
今日はそこまでハッキリしたフワフワ気分ではなかったが、
ぷらぷらと散歩をしていると、ウッカリ山本正之先生の『桃の花』なんかを口ずさんでしまったりして、
我ながら、嗚呼、春だなあと実感してしまった。


Dsc01110


『桃の花』かと思えば、『泳ぎ続けてビリジアン』だったりして、
まあこの辺はわかる人じゃないと分からない曲ばかりなんだけども。


  ♪オリオンにしますか? それとも、ベガまで行きますか……


なんつって、
思えば山本先生のお歌には、宇宙にまで意識を馳せたものが少なくない。
意識と言葉は地球から始まって、地面、海、空へと広がっていき、
星々、宇宙へと旅立っていく。
山本先生は、宇宙へ行きたいのだろうか?
行けると思っているかどうかは分からないけど、
ずっと宇宙へも向けた歌を歌ってきた人としては、
こうしていま、手が届きそうなまでに近付いてきた宇宙に辿り着けないまま世を去るのは
もしかしたら悔しいのかもしれないなあ、などと……
木瓜の花や梅の花を写真に収めながら、考えていた。

時刻は夕方にならないくらいで、暖かいし、日も長くなってきたこともあって、
晩メシの前に運動しておこうという御仁が多いのか
ジョギングの人の姿が多かった。
この人たちはこんなに一生懸命走ってどこへいくつもりなのだろうか、
何のために体を強くしているのだろうか、
もしかすると、彼らも宇宙まで行こうと走っているのかもしれない、
なんかそれしかないような気がしてきた。


Dsc01121


イヤ意味は分かりませんけどね。
春だから。
春なんてそんなもんですよ。



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2017年2月25日 (土)

■記念日に平気でいんちきをする男の11年 -更新第1111.11回-

本日で、当ブログ『ゆび先はもう一つの心臓』も丸11年目を迎えました。

デ、
11年目の記念日に、1111回目の更新をぶつけられたら
 『11年目の1111回の1並び』でキレイだったのにナー」
ということに気付いたのが、先日、何も考えずに1111回目の記事を上げてしまったあとだったもんだから、
あーあ、と思っていたのですが。

このたび無事に、「11年目・更新1111.11回目」という
「1の8(末広がり)並び」で迎えることが出来、非常にこう……
縁起が良いな! と。
ねえ。
偶然とはいえ。ラッキー。



……。



いんちきやないか!!

なにがラッキーなものか!



うるさいな! いいだろ別に!
運っていうのは、アレだ、自分の力で引き寄せて勝ち取るものなんだよ!

普段絶対そんなこと言わないけど!!

運は運だろ!
運なんだから運ぐらい努力なしに掴ませてくれよ!
めんどくさいなもう!
努力で運をどうにかできたらそんなの努力だろ! 運じゃないだろ!

……どっちなんだ。四十になったんだから少し落ち着けよ。
すみません。

まあどっちにしたってアレだよ、
よくまあそんなに続けてきたもんだよ。
飽きもせず。
大して読まれてもいないのに。
立派立派。十分だよ。
だいたいカウントしてない記事もあるし、ときどき更新番号間違ってたりもしたから
実際は1111回目なんかずっと前に過ぎてるんだし。 ← あっ
いいよいいよ。別にそんな、細かいコト。
言いっこナシ。

記念というか、ゴホウビに、
こないだ見かけてちょっといいなと思ったマグカップを、
そのときはやめといたんだけど、買ってきました。

Dsc01087



2222回目までにコレが割れてしまったら、そこでブログをやめようと思います。
ウソですけど。
ウソをつくな。
そもそもコレ、ステンレスだから割れない。
むちゃくちゃか。

ずっとこんな調子でやってきたので、この調子で参りますけれども。
いまこれを読んでいるあなた方の大半は多分オイサンよりかお若いと思うけれども、
またさらに十何年か経って、あなた方の年齢がいまのオイサンに追いついたとしても、
オイサンはきっとずっと、いまと変わらないいい加減なテンションでものを書いていると思うよ。
約束する。
約束はできないけれど。
だからどっちなの。自信がないなら言いなさんなよ。


 

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2017年2月23日 (木)

■SEGAの新ハード『7つ星』について -更新第1111.01回-

今年から先、宇宙的な発見や発表が、きっと頻繁に起こるだろう……
などと、年の瀬から予言めいたことを言っていた矢先に、
SEGAの新ハード、「7つ星」が発表になりました。

 ▼NASA、地球に似た7惑星発見 水存在の可能性 [日本経済新聞]
  http://www.nikkei.com/article/DGXLASGG22H1W_S7A220C1EA1000/

 ▼地球に似た惑星7つ見つかる 太陽系から40光年の宇宙で [NHKニュース]
  http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170223/k10010886861000.html

 ▼TRAPPIST-1 [Wikipedia]
  https://ja.wikipedia.org/wiki/TRAPPIST-1


ちがった。
「SEGAの7つ星」じゃなくて、「NASAが7つの惑星」を見つけたニュースだった。
間違っちゃった、失敗失敗。テヘ。

しかし、フムウ。(急に真面目なカオ)……39光年先か……。
この発表を聞いた直後は、「近いな!」と「遠いな……」が、心に同居してしまった。
生まれたばかりのヒトの子どもを乗せて光の速さで飛んで行っても着く頃にはすっかりアラフォーで、
生きて地球に戻れるかは微妙な距離。

直接の行き来や交信を考えるにはまだまだ遠い世界だけど、
何万光年とかいう距離が平気で取りざたされる天文ニュースの分野の話だと思えば
きわめて卑近な種類だと言える……気がする。



しかしこう、どうだろう?



我々が深淵を覗きこむとき、深淵もまた、我々を覗いている。
そのことを思えば、あちらからもきっと、今頃こちらを覗きこんでいるに違いない。
今回こうして覗き込む先が当面7つに絞り込まれたということは、
気長に覗き込んでいれば、目ぐらいは合う可能性は、ずいぶんと高まったのではないだろうか。
あとまあ、今回大事なのは、「7個も!」っていうところですかね。
7個もあれば、どれか1個くらいは当たりなんじゃないかって気がしてきますものね。

……その昔、オイサンの敬愛したゲームクリエイターの故・飯野賢治氏が、


  「企画のアイディアを考えるとき、3つはあった方がいい。
      3つあれば、1つは当たりそうな気がするじゃないですか」



って本に書いてましたし(そんなことよく憶えてるなオレ)。
今回は、なんと! その倍以上あるワケです。
当たりが2個あっても、科学的におかしくない。ずいぶんチョロい科学だな。

そんな風に考えてみる。
……マその、目が合うにしても、39年前の人と目が合うワケだけどさ。
そー思うと、やっぱちょっと遠いな。
電波使おうが何しようが、光よりは遅いハズですしね。
お手紙のやり取りが出来ても、一生のうちに往復1回が関の山か。
ロンリネス。

しかし、諸君、気を落とすことはないよ(エラソウ)。
『シュタインズゲート』を思い出して見たまえ。
はじまりは、過去へのみ、情報のちいさな断片を送り込むことしか出来なかった時間航行の概念が、
未来へもヒト一人運べる形になるまで、そう時間はかからなかったではないか。
その怒涛の進歩は、「過去への小さな時間遡行が発見されたこと」を
さながら引き金のようにして起こっていった。
「時代」とは、そうしたものではなかったか?

今回、こうして一つ「強い動機」を手にした人類は、これからまたアホみたいなはやさで、
問題をクリアし、生きたい場所へ行き、見たい物を見ていくに違いあるまいよ。
だって、バカだから。人類。
そんでまた、人類、スケベだからw
見たい、嗅ぎたい、舐めたい、触りたい! にかけてはもう一級品だから。
やるよ。
やっちゃうよ、きっと。すぐだよ。
『ダッシュ勝平』のように!  ← オッサンか。
いまこそ叫ぼうではないか、



  「 『規制』は終わった 」 !



……。

ところで、SEGAで「7つ」といえば、真っ先にこのソフトが思い浮かんだ。

 ▼七ツ風の島物語
 


……のだけど、サターン専売ソフトっていうイメージが強かっただけで、
スクエニ(当時EINX)のゲームだった……。
他にも何かあったような気がしたんだけど、思い浮かんだのは
ドリームキャストのロンチタイトルにあった『セヴンスクロス』(NEC-IC)だった。
うーん。
サターン……は、6番目のハードか。
他に、なんかなかったっけ? 誰か思い浮かばない? (NASAの話はどうなった)

  全然関係ないけど、サターンて、
  世界規模では歴代セガハードの中で一番売れなかったのか……。
  日本では歴代で一番売れたイメージなのに。どれだけガラパゴスなんだ日本。

ところで、宇宙に孤独な生命だと思っていた我ジンルイの住み処のご近所さんに、
家らしきものがなんと七軒も見つかった……
この発見がなされたことと、
「孤独のヒトであるかばんちゃんがフレンズと出会う物語」である
『けものフレンズ』の放映の時期が重なったことは、
科学的に考えて、偶然では済ませるのはいかにも不自然ではあるまいか?
これはもはや、NASAのプロパガンダ、陰謀……否、宇宙の意志と言っても良いのではないだろうか……。


Yubisaki2
「けものフレンズ ロゴジェネレータ」とかがあったんで作ってみた。



ねえサーバルちゃん、サーバルちゃんはどう思う?

  「うーんんんん……そうだ!
    オイサンちゃんは、とってもいいかげんなもうそうが得意なf」


わかったもういい悪かった。
オイサンでした。


 

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2017年2月19日 (日)

■すてきなRestart~『けものフレンズ』OP ようこそジャパリパークへ!感想~ -更新第1111回-

2月も半ばを過ぎて、少しずつ寒さが和らいできてしまった。
一昨日に吹いたのは春一番だったというし、
あの心身ともにざわつくような陽気には参った。あれに来られると疲れが酷くなる。
今年もいよいよ冬が終わってしまうのかと思うと憂鬱になる。
自分はつくづく冬が、寒い季節が好きなのだなと実感させられる。
とはいえ、この冬は長かったように感じる。
というか、深かった、というべきか。

そんな、寒さが終わろうという頃にもかかわらず、
『けものフレンズ』がアツい。
さばんなちほーだから、ではない。さばくちほーだから、でもない。
「足の裏に毛が生えているから、砂が熱くても大丈夫」という問題でもない。

マ物語の先読みや裏読みは、そういうことがお好きで得意な若手フレンズの皆さんにお任せして、
老人のオイサンは通常営業、
すっかりこころを掴まれてしまった『ようこそジャパリパークへ!』の歌詞について、
思いを深めていきたいと思う。


▼『けものフレンズ』主題歌「ようこそジャパリパークへ




……つっても、「シンプルでいい歌詞ですよね」というくらいのことだけど。
グッと来た歌詞の部分だけ引っこ抜くと、


  ♪  ほらね君も手を繋いで だいぼうけん!
  ♪  Welcome to ようこそ、ジャパリパーク! 今日も ドッタンばったん おおさわぎ!
   ♪   (中略)
  ♪  はじめまして きみをもっと知りたいな

   ♪   (中略)
  ♪  Welcome to ようこそ、ジャパリパーク! 今日からはどうぞ よろしくね
  ♪  いつもいつでも優しい笑顔 きみを待っていたの

   ♪   (中略)
  ♪  どこまででも つづいてく グレートジャーニー

  ♪  ランランランラー ランランランラー Oh, welcome to the ジャパリパーク
  ♪  ランランランラー ランランランラーランラ あつまれともだち
  ♪  ランランランラー ランランランラー Oh, welcome to the ジャパリパーク
  ♪  ランランランラー ランランランラーランラ すてきなたび立ち



……とまあ、こうですよ。
なんかもう……なんでしょうね? すごい普通でしょ。やさしい。
『ごちうさ』が、「かわいいだけのアニメである」ことを完全に研ぎ澄ませて
オンリーワンにまで上り詰めた
のと同様、
『けものフレンズ』は「やさしい」ことを研ぎ澄ませているように見える。
世知辛いヨノナカ、右を向いても左を見ても、お前の経済的価値はなんなんだ
「ほんで、おまえはナンボになるんや?」みたいなことしか問われない世の中で、
これだけナンモナシで、
「よく来てくれたよぉ、待ってたゆぉ、紅茶のむぅ?」
みたいに優しく迎え入れてくれてしまったら、そりゃもう世のオジサン涙くらいでますわ。

  マ正直なところ、オイサンは人間のフレンズは少ないマン(かなしいヒーローだな)なので、
  アナタトワタシ、トモダチトモダチ、ナカマナカマー
  と人から迫られたらNoNoNo, No Thank youとジェスチャー全開で後ずさりですが、
  この作品の世界観の中で唱えられる「ともだち」「フレンズ」は、
  そういうニュアンスとは異なるものになっていますね。
  人類愛というか、生物愛というか。
  おっ? お前さん、生きてるね? 嬉しいねえ、みたいなことです。
  分かりやすいですね。
  分かりませんか? 分かりませんね。 分かれこのやろう。 ← フレンズ減の原因


いっこいっこ詳しく見ていきましょう。
……気が進みませんか?
それでも気にせず見ていきますので、気が向いたら先に進んで下さい。


  ♪ 手をつないで だいぼうけん!

早速いいですね。
「『手』をつなぐ」ということの「小ささ」と「大冒険」の対比がすごくいいワケです。
手をつなぐことは大変小さなことですが、
「大冒険」という壮大な広がりの中でその異質な小ささ、些細な「抵抗」は、
却ってこう、その行為に大変な密度を予感させもするのです。
そこに凝縮されたエネルギーの構図が感じられ、
この一節だけで、アニメ本編におけるかばんちゃんとサーバルちゃんの結びつきの強さが際立つのです。
いいですか? 際立つんです……際立つったらキワ立つの! 際立て!!(命令)

  際だて!さーばるちゃん!(ラノベ)

……マ正直な気持ちとしては、
物語開始初期の時点では
「パークの中で図書館まで行くだけの話で、『大冒険』は盛りすぎだろ……」
と、オイサンも思いましたが。
ここンとこワリと大冒険っぽくはなっているのでよしとする。


 ♪ 今日もドッタンばったんおおさわぎ!

のところも……やはり当初は「いや大騒ぎはウソだろw」と思って見てました。
だって1話、2話の頃って大騒ぎと呼ぶには物足りないような、
大変ほんのりした、のどかな旅路だったのですもの。
普通に行く、という感じで。
3話あたりからは、関わるフレンズの数も増え、アクションも大掛かりになってきたのでアレですが。

マそんな嘘かホントかはサテおいて、なかなかこう、
イマドキの物語作品においてこの「ドッタンばったんおおさわぎ!」というフレーズを
バッチリ使いこなすのは、大変に勇気のいる行為だと、オイサンは思います。
自分で書いたら、……否、記す前の思いつきの段階で、

  「……。ねえな」

と思って消してしまいそうです。
それをオーイシマサヨシ氏は、恐れずに見事に使い切っている。すごいと思う。
ド肝を抜かれますこの胆力。
揶揄してるのではなく本当に、
「作品にとって正しいから、古臭く見えてもこの言葉で良いのだ」と踏み切るのは
大変な勇気と知性が必要です。
この、一見使い古されてダサいワードのポテンシャルを完全に使い切る力は
いっそスタンド能力と言ってもいいくらいだと思いますよ。


 ♪ はじめまして きみをもっと知りたいな
 ♪ ……
 ♪ ララララー ララララーララ あつまれともだち

 ♪ 今日からはどうぞよろしくね
 ♪ いつもいつでも優しい笑顔 きみを待っていたの


いくつか時系列をすっ飛ばしてまとめました。
この辺の「受け入れ力(ぢから)」の強さは……
無論、受け入れられた先にやさしさが約束されているからこそ
歌の言葉を素直に受け入れられるワケでもありますけれども、
マその辺は、ひねくれて、おのれの心の孤独に生きるオイサンのような者には、
現シ世では手に入れ難いものなので、尚のこと手の届かない宝物のように映るのでありますよ、
エエ。
心の歪んだ年寄りのタワゴトだと思って見逃がしてくだされィヨボヨボ。
現世……「うつしよ」とは、鬱シ世でもあるなあ。

大概、受け入れられた先には、受け入れた側の身勝手な都合と過剰な期待、
利害が待っておりますから、
なんというか、受け入れる側になった自分の姿としてお手本にしたい、
憧れの姿であることです。


 ♪ どこまででも つづいてく グレートジャーニー
 ♪ ララララー ララララーララ すてきなたび立ち


……なんていうんですかね。
"グレートジャーニー"は、アフリカで発祥した人類が世界に拡散する旅路を表したことばですが、
この言葉を聞くとき、たいてい「人間がここまできたこと」の結果としてのニュアンスが、
語られることの大半を占めるワケです。結果としての旅路の話として。
しかしナンダ、今回この歌を聴いて初めて、
ああそうだった、そういやそれってまだ続いてんだなと、思い至ったわけですよ。
シメの歌詞も「すてきな旅立ち」ですからね。

……実際のところ、『けものフレンズ』の物語において、
かばんちゃんの仲間(要するに人類)が本当に絶滅した存在なのかはまだ分からないけども、
もしそうだったとして。
かばんちゃんは、唯一生き残った……否、新生のチャンスを得た人間として、
フレンズたちとこの先、どんな関係を築いていくだろうか?
現生人類と同じ「まちがい」の道をたどるだろうか。

  「まちがい」と書いたけど、
  別にいまの人類とフレンズの関係すべてが完全にまちがっていると言っている、
  ワケではないですのでその辺オマチガイなく。
  どこかは合ってるし、その分どこかはまちがってる、くらいの捉え方をしたい。
  マ大方間違ってる気はしますけど。

地球の、自然界という愛の輪から逸脱してしまった現生人類が絶滅した後に、
かばんちゃんはいま一度「フレンズ」たちとフレンズになってやり直すために新生した、
再出発の人なのかもしれない。

  ……て言うか、フレンズはあくまでも「フレンズ」であって、
  『けものフレンズ』の世界でも、
  ジャパリパーク以外の場所にはフレンズでない普通の動物もいるのかしら。
  フレンズたちは普通の動物とどうふれあい、
  かばんちゃんはジャパリパークの外の世界でどう生きるんだろう……。
  その練習のために滅びた現生人類が用意した練習の場なのかもなあ。

かばんちゃんの目覚めは、人類の再出発なのかも知れぬ。
それを「すてきな」ことだとしたのはもう、
作詞者・オーイシマサヨシ氏のやさしさとしか言いようがない。

……マ個人的には、『けものフレンズ』をそういう壮大ゲなもの、
テーマを大上段に構えたエラそうで面白いモノとして考えたい気持ちはあんまりないです。
ひとえにここちの良い、気楽なものとして持ち続けたいんだけど、
オーイシマサヨシ氏が、何かを思い描いてビジョンにこめたのだとしても
とてもよくわかるし、素敵だと思う。

進化の結果の事実としていまこのようにある人間が、どこから来たのかはサテオキ、
いま何を持っていて、何が足らず、
この先それをどう使い、どのようにまわりと関わりあって、どちらへ向かおうとするのか……
そんな思いの途上に現れたゆめみる箱庭、
それがジャパリパークなんじゃないかな! たっのしー♪


■よだんフレンズ

余談だが、グレートジャーニーについて改めて調べてたら、
GIANTのラインアップに同名の車種があるの見つけて欲しくなってしまった。
10万か、うーむ。(どこまでいくつもりだ)

  ▼GIANT グレートジャーニー [GIANT]
  http://www.giant.co.jp/giant17/bike_select.php?c_code=CA02&f_code=FD02&s_code=SR15

ランドナー、他にもカッコイイのとか軽いのがあるなあ。

  ▼自転車旅行におすすめのランドナー・スポルティーフ15選を紹介します。[NatureDrive]
  http://cycle-japan.com/randonneur/


『けものフレンズ』を見る
   ↓
『ようこそジャパリパークへ』の歌詞についてふかく考える
   ↓
"グレートジャーニー"について復習する
   ↓
同名の自転車を見つける
   ↓
ちょっと前にもあった、ランドナー欲しい熱が再燃する ←イマココ


マそんな感じでヒトツ。

『けものフレンズ』は、見ていて気持ちよくて、確かに楽しいのだけど、
そろそろ「なんで面白いのか」は分からなくなってきた。
面白い、楽しいというか、見ている間中ひたすら嬉しいのだった。
あ、始まった。嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい終わった。

……で、30分終わる感じ。
脳のどこかが開きっぱなし、出ちゃいけないものが出っぱなしになっているような気はする。
昨年の冬に『おそ松さん』が女子の間で大人気になったのもオイサンの理解からは外れていて
(『おそ松さん』自体は面白くてオイサンも楽しく見ていたけど、
「女子にキャーキャー言われるような人気の出方をして、それが爆発的に持続する」のは
  やはり説明を付けて自分を納得させることは出来なかった)、
えらく困惑したものだけど、今回のはそれを超えている。
いや、超えてはいないのかもしれないけど、自分もその熱狂の渦の中にいる分、
ワケの分からなさを体で味わっている。

OPラスト


  ♪ ララララー(ララ!ララ!) ララララー(ララ!ララ!) Oh, Welcome to the ジャパリパーク

(ララ!ララ!)が嬉しくて、胸が詰まってしまうくらいなのだから、
やはりなにか良くない塊を投げつけられて、当たってはいけないところに当たっているように思う。
困ったものだ。
あと残り半分のうちに、どうにかその正体を言葉にしたいと思う。


「サファリ」という言葉も意味をよく知らないなあと思って調べてみたら、
アラビア/スワヒリ語で「旅行」って意味らしい。
普通のことばだった。
信州へサファリに行きたいとか、京都サファリしたいとか言えるのか。
ときめく。

温泉サファリしたいオイサンでした。

 
 

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2017年2月 4日 (土)

■アバズレ吊り広告たちの進捗 -更新第1106回-

役割だ、立場だ、
そんなものにいいようにされ得意げに口にした手合いのすることに、畢竟なんの価値も伴わない。
正義を見つめろ。

オイサンです。
デンワがAndroidさんになって以来、えらくコンビニエンスな毎日を過ごしております。

うーん、手軽に色々手が届くなあ。ホントにPCいじらなくなりそうだ。
ネックだった文字入力も、アルテキーボードの片手入力が随分こなれてきてしまって、
ブラックベリーでの両手入力よりも速い、とは言わないまでも、
自分でストレスではない程度の速度で打てるようになってきてしまった。
大したもんだ。

 ▼アルテ日本語入力
 
 マとはいえ、さすがにこれで長文入力は出来んがね……。


せっかくなので、これを機会にスマホげなゲームにも手を染めてみようと思い
ナンボか試してみているんだけど、それはやはり受けつけられずに
どっぷりやるまでは至っていない。

どのゲームにしても……シナリオの導入が雑of雑、雑の中の雑で、

「んな細かい設定とかどうでもいいだろ!
 エロい2次元お姉ちゃんイラストくれてやるから
 さっさとガチャ回してカネ落とせやオラァ!!」


みたいな態度が腹立たしい。
物語を楽しむ人間の心をなんだと思っているんだ。
このままでは、日本のカジュアルな物語はダメになるぞ。

  ……冗談で大げさに書いてみたけど、ワリと当たらずとも遠からず、
  深刻な事態の気がするな……。
  あの、ソシャゲのストーリーの導入、ホントひどいと思いますよ。
  制作サイドの皆さん、もっとまじめに考えて取り組んで作ってください。

あとイヤなのが、メイン画面というか、メニュー画面?


  「ナントカイベント、○月×日まで!」
  「ログインボーナスでXXゲット!!」



とか……お前は一体、ゲームのこっち側の話をしてるのか向こう側の話をしてるのか、
こっち側(現実)の話をしてるなら、ちょっとゲームとはヨソの枠でやってくれんか、
俺はこれから現実とはかかわりのない、架空の世界で楽しみたいんじゃよ!!
……っていう気持ちになるし、
週刊誌の電車の吊り広告か、旅行専門誌のレイアウトみたいなこれは、
欲望丸出しで品がない……。


このあばずれどもめ!!


なんていうか、こう……誰かが最初にこのフォーマットを拵えて
業界皆が標準にしてしまったんだろうけど、
最初にこのフォーマットを考え、良しとした人は、エンターテイナーではないね。
商売人だね。
架空・虚構の世界で楽しんでもらおうという、本来の目的と気概を見失っておる。
というワケで、やはりやってない。
ぷんすこぽん。

代わりに……と言ってはなんだけど、「アこれは上手だな」と思ったのが、
ニュースアプリの『ハッカドール』。
これは切り口が面白かった。
あくまでもメインはオタク系キュレーションニュースアプリなんだけど、
2次元美少女アバターがついてきていて、
アプリを使う、ニュースを読むとアプリ内ポイントがたまって
アバターと遊んだり、ストーリーを読んだりできるという、
虚構娯楽部分は実用のオマケ、というスタンスで構成されている。

なので、虚構部分に物語的な「導入」は必要ない(あくまでもアプリの機能の一端なので)し、
そのワリに、生活に密着してくるからキャラクターには変な愛着がわくし(ペットみたいなもんで)、
「手間を合理的に省きつつ、暗に物語を構成しながらキャラクターを成立させている」
という、なかなかキワまったことをスラっとやってて、おおこれは、と感心してしまった。
イカス。
一種のARゲームですよ。
……と思ったら、やっぱりなんか、アタマ良さゲなダメな人たちがこしらえておられるご様子。

  ▼「週5日つかうユーザーが70~80%」DeNAのオタク選抜がつくったニュースアプリ
   「ハッカドール」が驚異的なアクティブ率を保てる理由。

   http://appmarketinglabo.net/hackadoll/


マこちらも商売っ気がゼロなのかと言われたら、DeNAさんですし、
ニュース見出しの隙間にアプリの広告とか挟まってくるのでそんなことはないのだけど。
極端にやいのやいのチラシを投げてくるでもないな。

ていうか、こんなもんフツーに『NOeL』の続編アプリつくれば一発なのに、
なんでやんないんだろうねえ。
『ルームメイト・井上涼子』に先を越されたって知らないよ!!(越されるかバカタレ)

……なんか妙に、ステマっぽい内容になってしまったな。
マ別に、いつもか。
普段も適当に、好きなモンを褒めてるだけだな。そうか。いつもステマか。


……まあそんなに、ニュースも見やしないんだけどね……。
オイサンでした。


 ▼ハッカドール THE Animation
 
  OPは好きだったが、本編はほとんど真面目に見なかったな……
  ♪マイノリティ⇔マジョリティ、どっちもネ楽しいよ♪





 

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2017年1月15日 (日)

■立ち止まる時間のまちと湖。~『北へ。』22、四度目の摩周湖~ -更新第1103回-

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1月6日の午後から1月9日にかけて、3泊4日で北海道へ行ってきた。
場所はおなじみ、道東・弟子屈(てしかが)、釧路・摩周である。
4年ぶりに摩周湖さんに会いに行こうと思った。やっておきたいことがいくつかあった。



■『北へ。』その22~釧路・摩周~ 旅のはじまりは……


「そういえば、まだRX1さんと摩周湖さんを会わせていなかった」
と気付いたのが、今回の旅の端緒。
前に弟子屈を訪れたのが2013年のやはり1月だから、
丸4年、ご無沙汰していることになる。
RX1さんがうちに来たのがその翌年の夏なので、摩周湖さんとRX1さん、お二人はまだ面識がない。

「新しいカメラを買ったからなんか撮りに行きたい!」というのはこちらの沼では常套の話だが、
「カメラを替えたから、前のカメラで撮ったあの景色を収め直しに行きたい」
というのは、個人的にはあまり聞いたことがない。
マ皆さん言い分けていないだけかもしれないけれども……。
我ながら、なんだかおかしな欲求かもしれないとも思う。
しかしRX1さんにはぜひ一度、その目で摩周湖さんを見ておいてもらいたかった。

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いつもなら、「北海道へ行く!」と決めても、そこから
「……サテ、広い北海道、どこへ行こうか?」といくらか思い悩むのが常なのだが、
今回はその気持ちがあったからスンナリと行く先が決まった。



■旅の宛て先

 ▼その一~星をみるひと

今回やろうとしたことのヒトツに、星を見ることがある。
今までのようにざっくりと「きれいな星空を見る」ではなく、
決まった星を一つ、目的として持っていった。

……のだが、摩周に滞在した2夜とも空は陰り進行だったため、
結果として見ることは出来なかった。

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深夜3時の弟子屈。

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けれども、「星を見る」という今当てどころをよりつぶさに解きほぐせば、
「ある星を見たいと思って出かけることと、その気分」がより重要で、それは十分に味わえた。
結果的に見られなかったことも、実は予定通りに見られるよりむしろ良い発想の種になったから
首尾は上々といえる。
まったく、旅というのは出掛けてみないとどんな良い結果が得られるかわからない。
そもそも目的の星も、特段北の空気のきれいな場所でないと見られないというワケでもないから
ただ見たいなら方法を少し考えれば良いので構わない。

ていうかじゃあ、お前のその目的の設定がそもそもどうだよw


 ▼旅の宛て先・その二~細岡の大観望にたどり着けない、その代わり……

釧路・摩周・弟子屈を堪能するとあっては、釧路湿原さんへのご挨拶は欠かせないわけだが、
如何せん、今回はそれがかなわないことが分かった。

R0057177
2013年、細岡の大観望からの釧路湿原


これまで釧路湿原さんにお目通りするのには、
摩周からの帰りに釧路湿原駅で降りて2時間ばかりごあいさつをし、
また列車に乗って釧路に戻る、という経路をとっておった。
今回も同じようにしようと考えて時刻表を確認したところ……なんと!
驚くべきことに! 釧路湿原駅の下り(網走→釧路)方面の時刻表がこうなっておったのである。

  ▼えきから時刻表・釧路湿原駅 [JR]釧網本線 釧路方面
  http://ekikara.jp/newdata/ekijikoku/0101121/down1_01661031.htm

1日1本!
これではいけない、降りたが最後、氷点下の吹き曝しに捨て置かれる地獄のぶらり途中下車である。
幸い、まだのぼり方面は日に2本をキープされているのだが……。
この、私と釧路湿原さんを引き会わせまいとするJR北海道さんの陰謀により、
今回は釧路湿原さんとの邂逅をあきらめざるを得なかった。
しかしそれでは旅を満喫したことにならぬ、
どうにか湿原へのアクセス出来ないものかと方法を探していたところ……
こんなものが見つかった。


  ▼リバー&フィールド
   http://riverandfield.com/


弟子屈を中心に展開されている、ネイチャーガイドさんである。
湿原をカヌーで下ったり、摩周湖近辺をスノーシューでトレッキングしたりという、
一昨年の冬、阿寒でやったのの弟子屈版である。

摩周湖さんの美しさを愛してやまない自分ではあるが、
冬にしか訪れたことが無いため第一展望台からの眺めしか知らない。
この機会に、摩周湖さんに違う角度から話しかけてみるのも良いのではなかろうかという思いもあり
外輪山をスノーシューで歩くツアーに申し込んでみた。
これが今回の目的の大きな2つ目になった。


 ▼旅の宛て先・その三~マチアソビ

あとは、いつも立ち寄っている町のお店をめぐって帰ってくることくらいだが、
これはほぼオマケだ。
毎回立ち寄るコーヒーの専門店、珈路詩(カロシ)さんでお茶をいただくことと、
駅の古本屋にいたドールさんが元気で店番をしているか、
ご機嫌をうかがいにいくくらいなものだ。



■流れない時間への旅

我ながら、変わり映えのしない旅ではある。
宿も毎回同じホテル摩周さんだし、
お昼ゴハンは、駅前にある喫茶・人形の家さんで食べるつもりにしている。

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摩周駅前、喫茶 人形の家


人からは「何回も行ってるのに、なにか新しいことはしないのか」と叱られそうな気がする。
しかし、自分にとって釧路・摩周への旅は、新しい発見の旅ではなく、
変わらなさを確かめるためのものであるように、今回思い当たった。

摩周湖さんの水鏡は、青と白の中にぴたりとその流れを止め、
もう幾千年も姿を変えていないであろう。
実際、流れ込む川も、流れだす川も、摩周湖さんは持たない
(おかげで、厳密に国土管理的には「湖」のカテゴリから外されてさえいる(本当))。
細岡の大観望から見渡す釧路湿原の、視界の隅から隅までピクリとも動かないたたずまいを確かめ、
変化に乏しい(失礼)釧路の町を歩く。
初めて訪れた2005年から12年、四度に渡って同じ足跡をたどっても何ら変わるところがない。
その変わらなさに、嬉しさと安心を……自分はどうやら、感じているらしい。


それに、上でも書いたけれども、釧路の駅の中にある古書店には一人のドールのお嬢さんがいる。
店の通路に置かれた椅子に、しんずりと座っておられるのだ。
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2013年、釧路駅の中の古本屋


彼女に初めてお目通りしたのは2005年、
アニメやオタク文化が、まだまだ世間に浸透する前の、白眼視も拭われきれない頃からだ。
ドールなんて物が店の真ん中に置かれてあっては、うす気味の悪いと噂されかねない頃である。
それでも彼女はそこにいて、2009年にも、2013年にもずっといた。
果たして今日もいてくれるだろうか? と、不安と期待を抱いたオイサンを、
彼女は変わらず迎えてくれたのだった。

古本に囲まれて座る彼女を見つけたとき、
えらくうれしい気持ちになっている自分に気が付いた。とてもホッとした。
なんだかひとン家のドールに恋をしてる変人の様だなあ、とは自分でもキチンと思ったが、
マ別に今更、ドールに恋をしてなくたって変人なのは分かり切ってるから
してたっていいんだけども、
とにかく、
彼女が今もそこにいてくれたことに、胸に花の咲くような喜びと、
その花に水をやるような安らぎを覚えたことは確かなのだった。

自分にとって彼女は、危うさの上にありながら変わらない様々のことの象徴のように、
無意識のうちになっているのかも知れない。
昨日の昨日、そこに立って相対するまで、そんな風には全く思っていなかった。

ともあれ、釧路から摩周湖へいたるまでのそっと変わらぬ旅路を歩くとき、
オイサンは、自分の時間がきゅっと音を立てて縮こまるのを感じる。
摩周の駅に降り立って遠く美羅尾山を見はるかすと、
時間の中に閉じ込められて縮こまりながら、踏み出しても踏み出しても景色の変わらない中で立ち止まって、
満足げに振り返っている感じがするのだった。

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摩周駅から臨む美羅尾山。変わらぬ佇まい


……マそうは言ってもね。
先にも書いた、JR事情のように変わりつつあるものもある。町並みも端々はチョイチョイ変わる。
その危うさがまた自分を惹きつけてもいる。
いま感じている自身のこの気持ちも、終着点ではないのだろうと思うから、
その先を確かめるために、きっとまたこの町と湖を訪れてしまうのだろうと思う。

つまりこのオジサンはまた釧路に来ます。



■摩周湖さんの肌艶

デ、肝心の摩周湖さんのご機嫌は? おハダのノリはどうだったかというと、
これがまた、自分史上最高の摩周湖さんにお会いできたと言っていいほどだ。

いまコレを書きながら、心が洗われるとはこういうことかと実感している。
大げさに聞こえるかもしれないが、
胸の内側が大きな風景と空気に占められて、余分なものはどこかへ行ってしまった。
ただただ清涼な気分が、体の肉の内側に張り付いている。
いま、自分の体の中を歩くことが出来るなら、摩周の風景が広がっていることだろう。

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これまでも存分に美しい美しいと思ってきて、
きっと今回も同じように美しいのだろうなあ、くらいに思って来たオイサンの、
慣れて緩んだ心の糸がスパッと切り落として新しいものに張り替えられてしまった。
澄み切ったはじめての美しさで迎えてくれたのだから……
なんていうか、デキるオンナです。デキた女房です。


こんばんわ、オイサンです。摩周湖と結婚しました。


  そう、いつもの第一展望台から摩周湖さんと見つめ合っていて
  「霧のない摩周湖を見ると今期が遅れる」という、言い伝えなのか言葉遊びなのかわからない
  一見無責任な言いっぷりに実は根拠があったことに、
  今更ながら実感を持って気付くことが出来た。
  あんな美しさを知ってしまっては、伴侶にも同じ程度を求めてしまうから相手を見つけられなくなってしまう、
  と言っていたんだと、
  ポカンと口を開けて気付いたのだった。
  ウーム。遅い。4回めでようやくだ。なんてこった。

今回は摩周に2泊して、両日とも摩周湖さんに会いに行った。

初日は晴れて風もなく、湖面がとても穏やかだった。
すると鏡になった深い青の湖面に雪でお化粧なさった摩周岳が映り込み、
なんとまあ……此方と彼方を隔てる窓のように美しい。
素朴なのに豪奢である。

摩周湖さんのいる景色全体の有り様は、オイサンごときの手ではとてもじゃないけど
写真で写し取ることは出来ないけれども、
この鏡になった水面の美しさは、どうにか持って帰ってくることが出来たと思う。
いやあーRX1さん、
オイサンはあなたの目で摩周湖さんの美しいのを見て撮って帰って欲しいと思って、
摩周湖さんに会わせたいと思って連れてきたのだけど、
素晴らしいタイミングでお二人を引き合わせることが出来たと思う。

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展望台から西。雄阿寒岳、噴煙を噴く雌阿寒が見える。

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陽が落ちて、凍てた色を濃くする。


スノーシューでの摩周湖外輪山・軽トレッキングは2日目。
午後2時前、摩周湖第一展望台をスタートし、第三展望台のある北方向へ向けて1時間ばかり歩いた。

  ちなみに、スノーシューってのはこういうのね。
  写真撮ってくれば良かった……。みすった。
  

天気は徐々に変化して、
うっすらとした曇りから雪が少しちらつき、最後には晴れて、
煙っていた湖面と摩周岳の山頂が顔を覗かせていく様はドラマチックだった。
夕日に照らされて、雪をかぶった外輪山の斜面が金色に染まった。
これまでと角度を変えて見る摩周湖さんは、
第一展望台からよりも近く、大きく見えて、劇的な違いこそなかったが、
短い時間に次々と面差しを変えてコレマタ非常に魅力にあふれていた。
それが、北東側の風景。

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西側は、弟子屈(てしかが)の原野と低い山々を挟んだ先に阿寒の峰がそびえ、
その上から、まっすぐに日の光が降りているのが見えた。
太陽柱、サンピラーと呼ばれる現象だった。
そしてまた、青とオレンジ、
一見馴染み難そうな二つの色が絶妙な配合で調和して揺るぎなかった空の色は、
おおよそこの先一生お目にかかれないであろうという代物だった。
関東は言わずもがな……地元奈良でも、信州でも北陸でもお目にかかれないであろう、
色と落ち着きだった。

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今回案内してくれたガイド歴12年というタケギシさんはオイサンより二つ上で、
「なんか今日はいい景色が見られそうな予感がする」
と、雪男らしいざらっとしたアゴヒゲの口元で、スタートから言っていた。
マ半分はリップサービスであるにしても、この数時間のうちに現れた情景はその言葉にあまりある。

いやはや。絶佳。堪能した。



■Closing、そして……

そんなことで。
取急ぎディティールはおいといて、
あまりに素晴らしかった今回、北海道22回目の釧路・摩周編、4度目の摩周湖のことを書き留めた。
ガイドのタケギシさんは、

  「こうして来てみて、帰ったら、なんかこの時間なんかホントにあったのか、
   幻だったんじゃないかって思うことありますねw
   あのガイド、ホントにいたのか? っていうくらい」

と、ヒゲのくせに(失礼)冗談めかしてロマンチックなことをおっしゃる。
悔しいので、
「ああ、ヒゲの濃い妖精かなんかだったんじゃないかってw?」
と落としておいたけど、本当に夢のようなひとときであった。

  尚このタケギシさん、かつてはカナダのユーコンでガイドを務めた経歴もお持ちで、
  かの名作『水曜どうでしょう ユーコン160㎞』を現地で見、ゲラゲラ笑っていたのだという。
  ブルーゴールドの摩周湖と、雄阿寒に降りるサンピラーを右手と左手に捕まえて、
  「ユーコンの男ピートw!」
  と二人で大笑いしたことは、まあなかなか忘れられそうにない。

  道東の新雪はそれはもうフカフカで、不慣れなオイサンはスノーシューを履いていても
  時折ズッポシズッポシと膝まで、ときには腿まで埋もれるほどだった。
  それを見てタケギシさんは、またゲラゲラ笑うのだった。
  ありがとうタケギシさん、ツアーのはじめに一通りの身ごしらえをしたオイサンを
  頭のてっぺんからつま先までシゲシゲ眺めて、
  「えー、ペースに合わせて行けるところまで行こうと思います。
   オイサンさんは体力に自信は……マ大丈夫ですよね」
  と、安心したように言ったことをオイサンは忘れない。
  バカヤロウこちとらか弱いアラフォーのオッサンやぞ。ちょっとしたことで死ぬぞ。
  やさしいせえよ。

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タケギシさんと二人見上げて、「この青色にはもうお目にかかれないかもしれない」と話した空。
正直、ちゃんと撮れてはいない。

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しかし彼の言うように、摩周で過ごした3日あまりの時間は、
日常へ帰ると心からも体からもすっと離れていってしまう、夢マボロシの時間だ。
身魂をあれほど強く満たした感覚でさえたちまちのうちに剥がれ落ちて、思い出すことも出来なくなる……。
人とは、何とも薄情に出来ている。

しかしそれでは、あまりに寂しい。
だからオイサンはむしろ、あの場所・あの時間こそが現実なのだ、と思うのだ。

詳らかな言葉には出来ないが、
人が……自分がよりよく感じ、生命を発揮するのはあのような時空でこそあって、
街に生きる日常の時間は、そこへたどり着くまでのかりそめの、休養であり充電のときであるように、
あの空気を知ってしまうと、思えてくる。
どちらがウソでホントウという話ではない。
いつが生命の開き切る本番か、というくらいのことだ。
心も体も、街にいるよりケタ違いに力を持っていたからそう思う。


 ▼冬休みの宿題

「堪能した」とは言うものの、やはり今回もいくつも宿題を残してしまった。
細岡大観望から釧路湿原さんにご挨拶出来なかったのは、やはり大きな心残りではあるし、
釧路の喫茶店・珈路詩さんへも、立ち寄ることが出来なかった。
珈路詩さんは月曜定休だったのである。これはウッカリしておった。残念である。

  キレイで広くて、いいお店なんですよ。ホント。
  大病院が目の前だから、病院帰りのご老人のたまり場だけど。

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2013年の珈路詩さんの店内。翌年再訪すると、マスターはこの1週間後に亡くなられていた。刹那の出来事。

珈路詩さんへはまた訪れればよいが、
細岡の大観望へは、JRの運行事情が改善されぬことには、
再び訪れることはオイサンには難しかろう。
今後釧路湿原さんとお近づきになるには……
次回、またリバー&フィールドさんをお呼びしてカヌーイングやらお楽しむしかねえなこりゃ。
参った参った(アウトドアグッズのカタログを開きながら)。

くだんの、ドール子さんのこともある。

彼女のことは、今回敢えて写真に収めてこなかった。
4年前に撮ったものがある。彼女の姿は変わらない。それで十分だ。
あとは、次も、その次も会いに訪れて、姿を確かめれば済むことだ。
お名前はあるのかとか、いつからいるのかとか、
次行ったらお店の方にお聞きしてみたいと思っている。

  ……思ってはいるが、そん時多分、オイサンもう50手前だな……
  さすがにうす気味悪さマックスハートか?
  うーむ、ご、50か……さしものオイサンも、ちょっと考えてしまうな。
  マいいけど。聞くんだろうけど。

今回店を訪れて、最初姿が見当たらなかったときは、
前回「足の具合がちょっと悪いんですよ」とお店の方が言っていたので、
もしかしたら……という考えが頭を掠めた。
けれど本棚の陰の、少し目立たないところに変わらない姿の彼女を認めたとき、
思わず「あ」と小さく声を上げてしまった。

空港へ向かう帰りのバスの中、ドール子さんへの肩入れの度が膨れている自分に気が付いて、
どうしてなのだろうか、と考えた。
もしかすると彼女自身が、本好きの、古本屋の主なのかもしれない……とか、
摩周湖が人の姿を借りて下界に降りてきたその憑代の抜け殻だったら、とか……
我ながらおかしな方向へ飛び去ろうとする思考を楽しんでいるうち、
変わらず、あやういものへのシンパシーに気付いたのだった。
思えば、変わらない場所をおとずれることは、「帰る」ことに等しいように思う。

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帰りの機上。近くに別の機影。


などと、また突拍子もない妄想をふつふつと胃の底で温めながら、今回の旅は帰途を迎えた。
このたいせつな一つの町と湖を、ゆっくりを時間をかけて味わっていきたいと思う。
次もまた変わらぬ姿で、ただすぎ行く旅人の自分をクスリと笑って見送って欲しいと思うのだった。

We can never change.
立ち止まり、ただ振り返るように生きてゆきたい。

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あと、悪いことは言わないから、
行ったことのない方は、騙されたと思って是非一度、
死ぬまでに冬の摩周湖へ行かれることをお勧めする。
損はさせぬよ。


オイサンでした。


 

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