2017年5月 2日 (火)

■最後の仮面の向こう側~舞台『ペルソナ3 the Weird Masquerade 第4章 藍の誓約』感想 -更新第1123回-

アスミンが主演を務める舞台版『ペルソナ3 the Weird Masquerade』の最終公演を見てきた。

「最終」と言いつつも、今回は第4話「藍の誓約」と第5話「碧空の彼方へ」が同時公開で、
両話とも男主人公版・女主人公版があり、1週間のうちに各版4公演ずつあるという超変則公演だった。
まとめると、

 ・第4話 男版:4回 女版:4回
 ・第5話 男版:4回 女版:4回

の16公演ということになる。すげえな。
主役のアスミンや蒼井翔太くん、他のダブルキャスト陣は8回だけだけど、
共通キャストの人は……混乱しないのかね。

最終話についてはチケットが取られず、当日券が出れば……くらいのスタンスでの観劇となったのだけど、
この舞台は毎回期待以上に楽しませてくていたので、
2014年に初回が演じられて以降3年半、毎回見続けてきた者としては
最後だけが見られないのは惜しいと言えば惜しい気持ちではある……が、
マしゃーない。

という都合で、感想を書けるのは第4話のみということになった。


■舞台『ペルソナ3 the Weird Masquerade 第4章 藍の誓約』感想

 ▼全体的なお話の構成と、ちょっと無理を感じた脚本

全体的にザックリいってしまえば、
これまで通りのパワー溢れるお芝居で存分に楽しめた。
CG演出への依存度が若干高まっていたようには思う。
CGを使う頻度という意味ではなく、CGで舞台に投影されるものの具体性が上がっていた。

今回のお話で、みどころを大きく背負っていたのは、

 1)順平とチドリ、恋の悲しい行方
 2)風花、自分の居場所と他者を信じるということ
 3)アイギスとリョウジとヒロイン、デスの覚醒

の3本です! サザエさんか。

3)のデス覚醒は、
今回のメインというか次の最終章(つって同時に上演してるんだけど)へ導くためのエピソードであったので、
メインは1)と2)、ということになるのだが。
2)の風花のエピソードに関しても……正直、「ソレ今やること?」という気持ちがないではない。

課外活動部のデータセキュリティを甘くしてしまってストレガにデータを盗まれ、
自分のことを役立たずと責めて居場所の心配を始めてしまう風花と、
彼女と深い付き合いを始めた女子友だちとの別れのエピソードであったのだけど、
そもそも、風花自身も既にそれしきの失敗であのメンバー内での居場所を失ってしまうかも!
……と心配するほど、自分の基盤を弱いものだと思っている節もなかった
(様に見えていた)ので、「私、また居場所をなくしちゃう!」と言い出した時は、
何のことを言っているのか分からず、唐突に感じた。

あそこに説得力を持たせるには、もう少し、
彼らの中になじみ切れていない風花の姿であるとか、
張り詰めてミッションに当たる彼女の姿を印象付けておく必要があった……と思う。
全体を通して見ても、今ここでこのエピソードってどうしても要ったかしら?

確かに、オハナシ的には1)の内容との絡みも若干あって、
「ストレガの再始動するきっかけ(ハッキングによる情報獲得)を見せて、
 チドリが離れていき、順平のエピソードが盛り上がる」
っていう流れが欲しかったのかも知れぬ。
「ペルソナの覚醒」も、必要な事情としてあったかも知れぬが、
ゲームではないので敢えてそこまでこだわる必要もなかったようにも思う。
ラストエピソード手前で、こうまで時間を割いてやる必要があったのか。
脚本家は全開までの段階で大きな決断をしても良かったのではないかと、
他人事ながら思ったりもした。
物語もコトここに至っては、この問題のスケールは随分小さいと思うし、
終盤のここに配置するには、ちょっとアンバランスだった。

  マ、田上さん演ずるところの風花チャーンをたくさん見られたんで、
  個人的にはいいんだけど。

ストレガの2人はもう、前回までの内容で死なせておいて
(=退場してもらって。実際自分はもうアレで終わりだと思ってた……)、
シナリオ全体をシェイプアップさせても良かったんじゃないのかなーと思う。
最終章で彼ら2人がどれだけ必要とされていたか、
見られなかったオイサンにはわからぬけど。
チドリを手にかけるのがストレガでなければならないということもないと思うし、
どうにか前回までに収めてしまって、
今回はラストエピソードに集中してしまった方が良かったんじゃないだろうかな、
と、見ていて思った次第。

というのも、順平・チドリのくだりと、デス覚醒のくだりをいっぺんにやらすのはキツそうに見えたし、
実際見ていてキツかった。
「キツい」というのは……
「感情の上限を、短時間にあのレベルで2回振り切ることは、自然には出来ない」
と思うんですよね。
順平がそれに対応しきれないし、
そうなると(今回)順平に心を預けている観客も対応出来ず、
ある意味、ニュクスの件に関しては観客は置き去りを食らわされたと思う。
チドリの件で感情を振り切り切った順平に、あの短い時間もうちにもう一度
ニュクスの絶望で振り切れと要求するのは、さすがに無理がある。
ワンクッション、違うエピソードを挟む必要があった。
そのせいで、せっかく大人になりかけた順平がまた早速アスミンにぶち切れるのは、
「お前どないやねん……」と、ちょっと呆れてしまった。
脚本、ちょっと無茶したな。
なんとなく、
「本来はやる筈じゃなかったところまで、
 ここまできたんだから欲張ってやってしまおう!」
っていうことで後から付け足した、
みたいに見えてしまった。

  演劇として、要らないところは切ったらいいのに。
  ゲームや原作のまま全部やる必要はないと思うんだけど。


 ▼あり得難い感情と、歌えない歌、その向かう先について

今回、風花のエピソードを主として、
「友だちだから信じる! 仲間だから助け合う!」「当たり前じゃない、友だちなんだから!」
押しがなかなか激しく、そういう感覚を持ち合わせない自分はキツかった……。
ああいう歌を歌える役者さんは、やはりああいう感覚を身体的に持ち合わせているんだろうか?
オイサンは社会通念以上の意味合いでは「友だちだから・仲間だから」的な感覚は持ち合わせないし、
社会通念である以上、ああいう形で言葉や振る舞いに表すのもなんだかチガウ、と感じるので、
あれを堂々とやられるとウワッとなる。

自分には歌えない歌だなあとつくづく思うが、
役者さんたちは、確かな手ごたえのもとにあの歌を歌っているのだろうか……。

  面倒な話になるけど、
  オイサンは「他者を信じる」ことが出来なくて「他者を諦める」ことで対処しているのだが、
  つまり、
  「自分じゃなく、他人のすること・考えることなんだから、自分の感覚に引き寄せることは出来ないので、
   諦めて任せて好きにやってもらって、自分にとっても良い結果が出たらメッケモンである」
  くらいにしか思っていないのだが、
  それは彼らの言う「他者を信じる」こととはやはり違うだろう。

またそれとは別に、今回劇中を支配した大きな心・感情として、
「自分の命を捧げて順平の命を救った(蘇生させた)チドリと、救われた順平」と、
「デス(ニュクス)の降臨による、絶対普遍的な死の訪れとそのことへの絶望」とがあった。
劇中の彼らは存外あっさりと、それらの超自然現実的な出来事や未来を「事実」として受け止め、
感情に転化していき、
観客の大半も(恐らくは)その劇中の事実を受け入れて、人物たちと共に涙し、
恐れ、絶望していたと思うのだけども……
そのような「現実上起こり得ない感情」を「模倣すること」と、共有し、処理していくことの表現というのは……
この先、どこへ向かっていくのだろうか?

  まあ単純に言えば、「自己犠牲が出来るくらいの愛への畏れ」と、
  「誰にも等しく必ず訪れる、死への恐怖」を象徴したものでしかないので
  そんなに特別な感情でもないはずなのですが、
  オハナシの都合上、キャラクターたちはそれ以上の出力で感情を爆発させることを求められ、
  そこに説得力を見いだされなければならなくなってる。

まあ、伝統芸能であるところの能や歌舞伎にしても、
モノノケ・アヤカシの類に対して人が抱く感情を取り扱ったものが大量にあるので
今に始まったことではないのだが、
ここで形作られた、過剰に水増しされた感のある極端な感情のつかいみちってなんなんだろう? と、
フッと考えてしまった。
娯楽である以上、何かの役に立たなくてはならないということは別にないのだけれども、
表現者、芸術家である役者の方々の目指すところに対して、
その技量、あり得ないかも知れない人間の感情を再現する能力、技術というのは、
やはり価値のある物なんだろうか。

とまあそんなことで、
作品としてのパワーは相変わらずあったのだけれども、
緻密さ、繊細さという意味では、前回の第3話には若干譲る感じになってしまったな、
と感じた。
前回が良すぎたな。

  関係ないけど、ニュクスに対する絶望っぷりについては、
  オイサンはゲームプレイ時、ニュクスとのバトルまでにレベルがMAXの99まで上がってしまっており
  (どんなプレイをしたらそんなになるんだ)、
  ハルマゲドン連発が出来て(確か出来てたと思う……もう10年も前のことだから忘れてしまったが)
  ほぼ無傷で瞬殺上等だったので全然怖い思いをしなかった、
  作業の様に屠った覚えがありまったく恐怖を感じなかったため、
  主人公たちの絶望を共有できんかった。

 ▼役者さんたち

相変わらず順平役の大河元気くんがお気に入りなのだが、
今回はアクション薄目だったのでアクションのキレが見られず残念。
そして前回も書いたけど、やはり風花as田上マリナチャーンがいいですね。かわいいですね。
まあ前回も書いた通り、田上さんが、というよりは田上さん演じるところの風花がいい、と、
自分は感じているのだと思います。多分。

  ▼前回の感想
  BE YOUR TRUE MIND. ~舞台『ペルソナ3 第三部・蒼鉛の結晶』に酔いしれる -更新第989回-
  

最後のあいさつで、アスミスが風花チャーンを引っ張り出してくれたのが良かったですね。
あとラストの歌でキャスト陣が客席まで出てきたとき、
真田先輩とアイギスZAQちゃんがワリと近くまで来てくれて見応えあったです。

  ついでに、本当に風花as田上さんがいいのか、田上さん単体がいいのか、
  検証するために田上さんのお舞台を一発予約しました。


  ▼声の優れた俳優によるドラマリーディング日本文学名作選vol.4「三四郎/門」「それから」
  http://anime.eiga.com/event/117312/



そんな感情爆発が起こる中で、地味に存在感を示していたのは真田先輩だった。
今回脚本上は、事実上見せ場ナシだったにもかかわらず、だ。
真田先輩、すごい良かったなー。

感情を爆発させるシーンがなかったというだけかも知れないけども、
淡々と、ことが起こっても抑えた芝居をしているのが伝わってきたし、
文字通り、あのメンバーの精神的な支柱になっているのが見ていて分かった。
脚本的な出番は同じ位置にあったはずの美鶴先輩にはそのような感じはなかった
(若干、真田先輩の方が優遇されていたが)ので、
演技プランの問題なのか、
或いは単純に舞台上での見栄えの問題なのか、分からないけれども。
アクションも、大きな見せ場もなかったことを考えると、やはり地の部分の芝居が良かったんだと思う。
大変存在感がありました。
これで真田先輩まで、「出番はないけど俺が俺が」の芝居をし始めたらしんどかったろう。
お見事でした。
しかし、今回、真田さんは以前にも輪をかけて細くなってたように思うが気のせいだろうか?
相方の天田君がめっちゃデカく+若干太く(? 多分)なってたような気がしたので、
そのせいもあるかも知れない。子役はキツイだろうね。
そりゃ、第1回から3年も経ってればね。成長くらいするさ。


■その他、お芝居以外の部分で

開場を待つ間、ロビーで物販を眺めつつ、なんでこんなにブツがクソ高いんだ! と思っていた。
缶バッヂが2個500円(ガチャでランダム)。
パンフレットが2000円。中身は実質、イケメンの写真集。
小さ目の布タペストリーが9000円……と、

布地が少なくて値段がハネ上がるのは
         
女子の水着だけの特権のはずだろう!!


と憤慨していたのだが(そこでか)、
舞台を見て、確かにこの芝居はカネかかるな、とも思う。

歌や曲は作らないといけないし、CGも、多分新しく作っているのだろうし……。
そもそも、小屋のシアターGロッソのキャパがそんなにないから
座席代だけでは回収し切れないのかも知れない。

しかも、
録画用のカメラが設置してあるかなり良いセンター周りの席が20ほどツブされていて……
「あそこ座らせればいいのに……」とずっと思っていたのだが、
客を入れるよりも、しっかり録画をしてDVDにして売った方が良い稼ぎにはなるのだろう。
……しかし、それって……お芝居として、演劇としてどうなのよ、という憤りはある。
お芝居本来の醍醐味である生の観劇をしたい客層を犠牲にして、DVDに回すのか。
……などという、旧態依然としたことを言う人間がいるから、
いつまでたっても演劇人が演劇で食えない、という現実もあったりするのかも知れぬな、
ということは、こうして書いていて感じたりもするが。
でも、オイサンは……演劇は生で見たいし、見て欲しいなあ。
役者さんが目の前で声を張ってるのって、やっぱりいいものだよ。

音声にマイクを使うのも4回見て来てようやく慣れてきたけど、
やっぱり声も、生声でやって欲しい、耳に届いて欲しいという気持ちは今尚ある。

しかしイマドキは、お芝居もCGやらプロジェクションマッピングやら
駆使しなきゃいけなくて大変だなあ……。
大学の演劇部とか、小劇場系はどうなってるんだろう?
小劇場でもああいう装置は普通に使うようになっているんだろうか。

しかし、演劇。
オイサンがかかわっていた頃は、
人間の生身の表現力を鍛えるための場であった舞台演劇の世界が、
そういう「装置」への依存度を高めていくことへは、やはり若干の不安と違和感を覚えざるを得ない。
それはたとえるなら、文芸の世界で、挿絵や図が大量に使われるような、
ハイパーテキスト化して音楽まで流れてしまうような……そういう不安と違和感に似ているわけだが。
演劇批評界隈ではその辺の危惧は今現在どういう扱われ方をしてるのだろうか。
きっともう決して新しくない「いまさら何言い始めてんの」くらいの題材なのだろうけど。
そういう意味で、2.5次元というのは難しいな、と思う。
人間以上、非人間未満の、肉体と感情のあり方を、リアリティを持って演じなければならないというのは。
思いのほか、線引きの難しい世界であるように思う。

 ▼腐女子たちのラプソディ

あと面白かったのが、
このお芝居のメインの客層であるところのお若い女性陣の、
しかも俳優好きで見に来られている方々の文化だった。

このお芝居の客層、ざっと見渡したカンジ、7、8割が若い女性の様にお見受けします。
まあ彼女らもオイサンらの様な二次元オタクと同様、
2.5次元の物品を買いあさっておられるワケですが、
山の様な缶バッヂをですね、あの、プラスチックのドキュメントケース、
あれにぎっしり敷き詰めて持ち歩いておられるんですな。
皆さんそうして持ち歩いておられるところを見ると、ああいうトレンドなんでしょうね。
誰かが思いついて始めたのが、きっと広まったんでしょう。
面白い。

あと、かばんに大量にその缶バッヂを付けて歩いてる御夫人もおられたのですが、
そのためのカバンなのでしょう、
缶バッヂを保護するナイロンカバーの層が標準装備されていて、
すげえモンがあるな! 見たことないカルチャーだ!
と、ちょっと見てて面白かった。

そんでまあそれをロビーのあちこちでトレーディングされていて、
なんかこの、たくさんの人が集まってプラスチックケースを開けたり閉めたりしてる光景、
どっかで見たことあるなあと思ったら、
ミニ四駆のパーツをとっかえひっかえする男子小学生でした。
なるほど。
あとは、釣り人とかね。


■Closing


とまあそんなことで。
足掛け4年、ずっと見続けてきた舞台『ペルソナ3』もこれでおしまいでございます。
いやー、……長いシリーズだったな。思えばすごいことだ。
初めて見たときはこんなに長く続くものになるとは思わなかった。
やり続けたスタッフ・役者陣もすごいが、見続けたファンもすごいな。
オイサンは……友人ぺ氏がチェックし続けてお誘い下さったから続けられたけど、
ひとりだったら最後まできていたかどうか……
2回目くらいまでで終わっていたんじゃないかと思う。
決してお安いものでもないですし、場所が都心という最も苦手とするアウェイですし。

初回を見たときは、
まだ2.5次元的なものを見慣れていなかったせいもあり
マイクによる発生・CG、プロジェクションマッピングによる演出に違和感があり、
また実際お芝居自体にもそういうものを使った演出のこなれていなかった部分が残っていて
完成度が高いとは言い難いものでもあって、「ちょっとどうかな」と思っていた。
しかし2回目ではキッチリとその辺の違和感を覆す熟練が見え始め、
3回目では見終わったときに「気持ち良かった」と思わせるほど円熟の度を増したものを見せてくれた。
ガッツリ楽しませてくれて、「次が楽しみ」と言わせるくらいで、
脚本も演出も、良い形に収まる進化を遂げていた。
役者さんもすごかったけど、スタッフ陣の頭の使い方たるやものすごいものだったろうなあと
ご苦労がしのばれる。
4年かけて大変良いものを見せてもらったと思う。


スタッフ陣のことをあまりよく調べられていないけど、
ちょっと調べてみて、次に何かやられることがあればそちらも追いかけてみたいと思います。

マそんなことで。
これだけ長いと、やってた方は終わった後の喪失感が酷いと思うけど
(期間あくからそうでもないかもだけど)、
見てた方も「あー、もうないのか」「次どうしようか」という思いがちょっとある。

まあまたぺ氏が何か見つけてくれるだろう。
期待してます(人任せ&ごういん


オイサンでした。



 

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2017年4月18日 (火)

■2017年1月期アニメ感想・あたた大紹介!~けものもいるし、亜人も、ドラゴンも、ドMも天使も悪魔もいる、無論のけものもいる~ -更新第1119回-

駅からシゴトバまでのイチョウ並木、
先週はまだボウズだったような気がしたが、今朝気付いてみると
枝にわさわさと青葉が茂っていた。

おのれ春め。

とまあそんな感じで、
4月に入ってもう2週間も経っちゃったけど、
2017年1月期は何かと良いアニメが多く、また激動でもあったので、
感想を書き残しておこうかなと思いますっていうか
書いてたのを載せられずに来たので載せないのも癪だから載せます。



■『けものフレンズ』

昨年の『おそ松さん』に続き、
アニメ業界関係者から「1月期には鬼が棲む」とでも言われかねないほどのダーク過ぎたダークホース。
誰が読めるんだ、こんなモンがいきなり超級のメガヒットになるなんて。

いやオイサンも、柄にもなくリアルタイムで超楽しんでしまったんですけれども。
「流行りものが、流行ってるまさにその時にその感覚を共有できる」って
オイサンにはなかなかレアなケースで、
大波がくる直前の段階で個人的には盛り上がれていたので、
あとはもううしろから来た波に一番高いところまで押し上げてもらってしまった感じで
3ヶ月が過ぎ去った。

ただオイサンの場合、大きく盛り上がれたのは3、4話までで、
巷で言われていたような後半の大盛り上がりの頃には冷静だった。
11話のヒキ、12話のラストバトルを神だなんだと祀り上げるようなテンションには、さすがになれなかった。
4話の「絶滅」発言、6話の宣言に至る辺りでは、もうお話が「分かり易く」なってしまっていたので
落ち着いて見られていたと思う。
周りの人たちが大変楽しそうに見ていたので、そのオコボレには預かることが出来て楽しかった。

伏線の張り方だとか、細部へのこだわりだとかについてはやはり目を瞠るものがあったと思う。
けれども、謎やヒントの散りばめ方や視聴者の突き放し方、ラストバトルへの入りの演出あたりは、
探せばワリといくらでも他でやってる作品が見つかるレベルなのではないだろうか?
その辺りについては、みんな過剰に有難がっているなあ、というか、
他の作品も同じような情熱で見てあげれば、きっと同じくらい面白く見られるぞ? と。

分からなかったのは、そうして盛り上がってからの視聴者のハートを、
最後の最後まで、否、終わっても尚醒めさせず、
引っ張り続けることが出来たのはなぜなのか、そこにどんな仕込があったのか?
ということだ。
「IQが溶ける」と言われていた序盤のやさしくゆるすぎる展開と、
後半徐々に明らかになる謎の、視聴者に解かせる導き方・ヒントの散りばめ方の
ギャップが良かったんだろうか、と思っているが……。

結局「誰もが好意的に」作品を読み解いた結果、
非難のしようがない作品になってしまったわけだけど、
それはどちらかというと作り手の功績というよりは、
受け手の心のありようをの問題だったと思っている。

  マそれだってつまるところ、
  「受け手の心をそっちへ向けた」作り手の功績であることには変わりないのだけど。
  何がそうさせたのか……それがポイントだと思う。
  個人的には1話~3話までの、お話がどこへ向いているかわからない、
  「俺はいま、一体何を見せられているんだ」っていう感覚も異様さが忘れられない。
  まさにその、コツメカワウソちゃんが、
  すべりだいをしては「たーのしーい!」、
  小石遊びをしては「わーい!」
  それをみたサーバルちゃんが「やらせてやらせて!」
  っていう、まさにIQを溶かしていた頃の「分からなさ」が一番の魅力であった……。
  ラストも、バトルで盛り上がってはいたけれど、
  バトルより、かばんちゃんの知恵と、フレンズたちの特性で乗り越えるような仕掛けであったら
  より良かったなあ、と個人的には思うものである。

少人数・低予算ということを考えれば良いクオリティだと思うけれども、
それだって受け手にしてみればシッタコッチャナイ話で、
見ていて「行き届いてないなあ」と思うところは、画的・演出的に多々あった。
それ以上に行き届いている部分が多いから、人の心に響きもしたに違いないけれど。
つくづく「心のアニメ」だったなあと思う。

尚、オイサンの好きなのはサーバルちゃんとライオン、コツメカワウソちゃんです。
トキもアルパカも大好きだけどね。ハシビロちゃんも良いなあ(全部か)。 

  絵     :あたた
  音     :あたたたた
  話     :あたたた
 見せ方    :あたたたた
 たーのしーい!:あたたたた



■『亜人ちゃんは語りたい』

今期のダークホース……というほどでもないか?
「人気原作のアニメ化」という意味では妥当な位置なのかもしれないけど、
にしても、原作の持ち味を大変上手に料理した上で、独自の雰囲気を纏うことに成功しているのではなかろうか……
って、原作読んでないからわかんないんだけど、アニメでないと出せない、
具体的な時間の流し方、時間を利用した場面のコントロールの仕方が妙なる作品であったと感じている。
マンガだと、どうしてもコマで時間が途切れてしまうところをキチンとつなげて表現出来てた、
と思う。
だからちょっと、原作が気になっている。どこまで原作由来の成分だったのか。

この作品はいわゆる「日常系」ではないし(「フツーの人」の物語ではないので)、
バトルやスポーツや恋愛でもない、
日常の中に潜んでいるちょっとした「段差」を丁寧に取り扱うことがテーマの作品で、
なかなかデリケートな位置にあったにもかかわらず、
それを大げさに深刻にしないで、意識を向けさせつつも、しかりつけない、説教臭くしない、という
難しいはずのことをシレッとやっていた。
前半というか、冒頭の数話は見始めるまですごくエネルギーが要った。

  緊張感がすごくて、見終わると「今回も爆弾は爆発しなかった」とホッとする、ということが続いた。
  「この作品では爆弾は爆発しないんだ」と理解するまで時間がかかった。

これは大変な手腕だったなと思うのだが、
カントクなり、原作者なり、主要スタッフの「人柄」の為し得た技だったのではなかろうか。
危ない出っぱりを、色の違う土で均す、みたいなことをやってる作品だったと思う。

「オッサン(高橋先生)が邪魔だ」なんていう感想をどこかでちらっと見たが、
よろしいキミは『きんいろモザイク』でも見ていなさい。
JK友情かんさつようちえんがお似合いだ(暴言)。
まあ『ひだまりスケッチ』も似たようなモンだけどな。

  絵    :あたたた
  音    :あたたた
  話    :あたたたた
 見せ方   :あたたたた
 乳首アタック:あたたたた

 
 
■『小林さんちのメイドラゴン』

『ちゃんデミ』が「日常系の顔をした非日常」だったのに対比するように、
こちらは「非日常の顔をした日常系」。
異文化・異種間といいつつも、結局その辺のヤバいところは全部、
相手(ドラゴン側)がこちら側に合わせるか、とりこまれるか、
不思議な力で全部なかったことに都合よく繋ぎ合わせてくれるという、
おきらくゴクラクアニメーションだった。

  マこっちも原作読んでないので、どこまでが原作由来かワカラヌが。

けど、それがダメってんじゃなくて、こっちはこっちでそれが持ち味。
ヘンな人たちが集まるホームドラマってだけだ。
小林さんが人類を代表して、どセンターで踏ん張ってるから成り立ってるけど、
小林さんを差っ引いたらただの『ガヴリール』になるというバランス。

ホームが失われた現代のホームドラマを、非常にすっきりと、リアルに描き出してくれたんだと思う。
ホームを構成するために、異文化・異種間を引っ張ってきて繋ぎ合わせる、という

昔のホームは「異」であることが前提ではなく、
誰もが「同」だと思っている(思い込み、信じ込んでいる)ところに実は「異」がどっさり潜んでいることに
ドラマがあったのだけれど、今はそのホームがそもそも形成されない。
ホームのない、ロンリーでアローンな小林さんは、
人が皆「異」であることを前提認識として持っている(そして諦めている)ところから始まって、
「異」が前提のホームを構成するところから始まる、まさしく「異」色のホームドラマ、だったのだけど。

しかしまあ、あんまりうまく機能はしてなかった様には思いますねw
強いていうなら舞台装置として機能していたのは、
カンナちゃんと、ファフニールさんがかろうじて緊張感を保持していたくらいで、
トール、ルコアさん、あともう一人(名前忘れた)はすっかりなあなあで、だった。
トールはヒロインだからいい(まだ何にでもなれる)けど、
ルコアさんはぷるんぷるん要員でしかなかったし、最後発の眼鏡は脂肪と糖にやられただけだった。
何しに出てきたんだw

カンナちゃんはドラゴンとしてよりも、ただ「子ども」として小林さんには異質だったし、
ファフくんは馴染みながらも人間への憎悪は維持してた
(憎悪を執行しないでいるためにどう付き合うか、は学んでしまっていたけど)。

皆それぞれの違和感を与えられながらこちらの世界にやってきていた筈なのに、
結局それを表明しきれず、大抵はこちらの文明に取り込まれていって終わってしまったのが
『ちゃんデミ』との違いだった。

と言いつつ、ルコアさんが好きだったんですけど。声が良いよね。
初恋の人(初代大人ミンキーモモ)に似ている気がする。
思えば、今自分が好きな声質の人って、みんなそっちに似ている気がするな。
野中藍さんとか、おみんちゅとか、高い低いじゃなくて、声の表面にケバがなくてぬるっとしている。

しかし『ガヴリール・ドロップアウト』を見てても思ったんだけど、
人間界のダメ娯楽って、そんなに素晴らしいもの、
外の世界から見ても堕落パワーに満ち満ちたものなんだろうか?
人間、というか日本人クリエイターは、娯楽文化のダメパワーを過大評価し過ぎている気がしないでもない。 

  絵       :あたたた
  音       :あたた
  話       :あたた
 見せ方      :あたたた
 ボクっ子ルコアさん:あたたたた

 
 
■『この素晴らしい世界に祝福を2!』

世間は『けものフレンズ』の最終話が神回だと評判で号泣必至、みたいな評価でしたが
オイサン的にはそこまでは響かず、寧ろ泣いてしまったのはこっちだった。

2期は1期に比べてパワーダウンはしていた、と思う。落ち着いた、というか。
荒っぽさ、イキオイ「だけ」の感じ、そういうガッビガビの岩肌全開の崖っぷちっぽさが薄れ、
ところどころ危ないところの角がとられていた。
それを補填する材料として、画が素晴らしかった。
画をここまで壊してメリハリをつけるアニメは初めて見たと思う。

あの顔芸みたいな笑いのとり方、決まったかたちに可愛く画を崩すのではなく、
本当に不定形に絵を溶かしていくやり方は、
作画監督なのか原画マンなのかしらないけど、その辺の上のレベルで絵を見る人たちの手が
ものすごくかかるのではないだろうか。素晴らしかったです。

そして最終回。
いやー……まさか。
まさか、あそこでゴッドブロー、ゴッドレクイエムのメドローアが飛び出すとは思わなかった……
泣いちゃったもの。
アクシズ教教義を背負っての肉弾女神は最高だったし、
なにより、その時点で既にホネになってる主人公!
いねえよw 最終決戦でホネになってるヤツw
ラストバトルの合間合間にも、チョイチョイ白骨化した主人公を抜いていく絶妙のカット芸。
ギャグアニメってすごい、「笑かす」ってすごい!! と心底感動した。
良い勉強をさせてもらいました。

というワケで、
ストーリー前半の伏線がラストバトルで活きまくる(ゴッドブロー)し、
メンバー全員が持ち味を生かして最後の敵に立ち向かうし、
主人公が身を呈して仲間を守るので、『このすば2!』は実質『けものフレンズ』で良いと思う。 

  絵  :あたたた
  音  :あたた
  話  :あたた
 見せ方 :あたたた
 教 義 :あたたたた

 
 
■『幼女戦記』

なんだかんだで最後まで見てしまった。
途中あからさまな総集編が入って力尽きるかと思ったけど、
画のクオリティはほぼ殺さず、最後まで走り切ったのは見事だと思った。
マそもそも力尽きかけるなよ、という話だけど。
総集編前後でOPが全くかからなかったのは、今思えば
総集編で使ってしまった時間をどうにかカバーするための苦肉の策だったのだろうが、
リカバリー案を打ち立て実行した人がすごく有能だったんじゃないだろうか。

アニメ本編とは全然関係ない話してるな。もどそう。

画も音もお話も、たいへん良く出来た作品だったと思います。
「よくまとまっている」だけに突出した面白さは感じなかったけど、
それでもストレスなく、次へ次へと毎週見るのが苦にならない楽しさだった。

「アニメなり」の、結論が、12話見て来た視聴者に対して提示されなかったことは残念だった。
あれだけの差し迫ったキャラクターがギッチギチの論を展開するにも関わらず、
カタルシスが得られないのは、片手落ちな気がする。
ストーリー的には、最後は存在Xが横槍ブッこんでちゃぶ台ひっくり返してくるものだとばかり思っていたけど
そうはならず、
マそんな「品のない」ことをしないが故に神なのだ、とは思うけど、
もう少しなんかこう、あっても良かったなと思う。

悠木碧嬢は……大丈夫だろうか、こんなぶっ壊れたキャラばかり演じていて。
たまにはすごく普通なお母さん役とか、やらせてあげてはどうだろう?
マでも、デグレチャフさんは基本「いい人」だよね。
彼女が良い人だったから、最後まで見られたんだと思う。
楽しませていただきました。 

  絵     :あたたたた
  音     :あたたた
  話     :あたた
 見せ方    :あたたた
 さあ牙を研げ!:あたたたた

 
 
■『ガヴリール・ドロップアウト』

これも、蓋を開けてみれば最後まで見てしまった案件。
1話目を見た時点での期待値は、最終的には越えて行った。
途中で切るだろうな、と思っていたので。

転換点は、ガヴのダメっぷりが当たり前になってしまって後ろに引っこみ、
サブの3人のキャラクターが主軸になって話が回り始めた辺り。
ガヴは「ダメではあるけど、外に出てくればある程度常識人」で、
あとの3人はダメでない分(サターニャさんはダメだけど)、
日常にまで特異な部分を持ち出してきてしまうので、ガヴが突っ込みに回るようになったところで、
急に見応えが出てきた。
ナルホドナー。

大きなストーリーも小さなエピソードもどこかで見たようなものばかりだったけど……
まあ、キャラクターと演出でもったような感じです。
手堅く、こぢんまりと、丁寧にまとまっていたので、来年には忘れている可能性が高い。
フックはないではなかった(主にラフィ)けども、ちょっと小さかったかな……。
EDが素敵だった。 

  絵     :あたた
  音     :あたた
  話     :あた
 見せ方    :あたた
 ヴィーネたそ~:あたたたた

 
 
■『セイレン』

ラストエピソードの4話で……とりあえずなんとかなった……かな? というくらい。
開始時の感想でああは書いたけど、終わってみるとやっぱり
御大は、本当は何がやりたかったのだろう、どういう姿を理想に思い描いていたんだろう?
という疑念がぬぐえない。

『アマガミ』世界からほつれて残った糸を使って、何かちょっとだけ、
その後の輝日東を描きたかった……だけなのだろうか?
それによって輝日東という町がより深く描かれて、生き物として動き出すのだったら意味があると思うけど、
そんな感じでもなかった。

オイサンはちゃんと追いかけてはいないが、
公式サイトの方では主人公やヒロインの行動を時系列に埋めていくタイムテーブルみたいなものが
用意されていたらしい。
なんかそれってもしかして、『アマガミ』はでいうところの行動マップを、
今度は時間軸を自由にエピソードを拾っていく、
みたいなゲームの仕掛けとして考えていた物があったのではないか、とか、
勘ぐってしまうのう。

  絵描きからディレクター、プロデューサーみたいなところへ軸足を移して行った御大は、
  何をやりたかったんだろうか。
  マ作品の世界はどこまでいっても作者の所有物だから、
  やりたいことを描き出すためにトコトンまで使い尽くせばよいと思うけれども。

ところで、いまフッと思いついたんだけど、もしかしてこの監督は、
16:9の画面向けに20数分のアニメを作ることに慣れていない
だけなのかもしれない。

だって、時間(演出)的にも空間(動画)的にも、色んな意味でスカスカなんだもの……。
色んなことが把握・計算出来てないように、やっぱり見えてしまいますですよ。
統一OPの『キミの花』と、ラストエピソード今日子編のエンディングがとても自分好みだったから、
という理由で最後まで見続けることが出来たけど。

単品のアニメーションとしては、
広く人々の心に深く残るものではなかったのではないかなあ、と思いました。
どういうレベルで勝負しようとしていたのか、せめてそこがわかると良かった。
ヒットしなくても、手間暇薄めに作って、見合った回収が出来ればいい、というところなのか。
魂込めたモノだったのか。
やっぱりよく分からない。 

  絵       :あた
  音       :あたたた
  話       :あた
 見せ方      :あたた
 OPの謎ロケーション:あたたたた

 
 
■オマケ

 ▼『弱虫ペダル』

もうほぼ真面目には見てない。
1期というか、一年生編は暑苦しくてもまだ見ていられたが、
2年生編に入ってから、ドラマがもう、暑苦しいというかむさくるしいというか、
押しつけがましく自己陶酔も甚だしくて

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 思い悩んで頑張ってるオレそして仲間を支え支えられ支え合ってるオレ
 やっべえちょうイケてるああああああああああああああ
 おおおおおおおおのだあああああああああああああああああああ!!!!!!!」


っていうノリが、
……原作の方もそうだと思いながら読んでるけど……
アニメになってしまうと、そういうオーダーがつけられてるのか、
もう見ていられるレベルじゃない。誰かちょっと、ここらで止めてやれよ。
いい加減気持ち悪いよ。


 ▼『うらら迷路帖』

これも最終的には殆ど満てなかったんだけど。
毎回アバンで入るお定まりの語りパートのテキストが、
センス無シ無シでうわあってなっていた。
ジャングルくろベエ呼んでこい。こいつらに本場のウララを見せてやれ。
あとOPで、占いのことを謳おうとしているのに、

 ♪ 右へ行こうか左に行こうか? 仲間とだったらどっちでも大正解!

みたいなこと(うろおぼえ)を歌ってるのちょうウケル。
ほな占い要らんやんけ。



マそんな感じでヒトツ。
オイサンでした。

春アニメも楽しみね。


 

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2017年3月16日 (木)

■コンガを打ち狂うことがクリエイティビティだと呼ぶ世界で、スマホは。 -更新第1116回-

携帯電話を、ブラックベリーさんからアンドロイド電話に換えて以来、
それを使って出来ることは増えているのだけど、特に何かを増やしている感じはない。
相変わらずTwitterをし、
ヘンなアプリを探しては試してみたりしてるんだけど……
そこに、もどかしさを感じている。

快適なモノだから、その機械をいじっている時間は増えて、延びているのだけど、
やっている内容は変わっていない。
つまり、いじることに飽きつつはあるのだが、
そうじゃないんじゃないか? 使い方が間違っているんじゃないか?
……と、感じ始めている。

なんかもっとうまい使い方があるんじゃないだろうか。
これだけ性能が高くて多機能なものなんだから、
もっと変な、
もっと楽しい
もっとこう……クリエイティブな使い方があってもいいのではなかろうk……

  ッキャーーーーーーーーーーー!!
  いやだ!!
  「クリエイティブ」!!
  「クリエイティブ」だって!
  「クリエイティブ」ですってよ奥さん!
  聞いた!? あちらのだんなさん、「クリエイティブ」なんですって!
  まぁーいいわねえ! うちの人も始めないかしら、「クリエイティブ」!!
  うちなんかもうとんとご無沙汰で!
  若いころはあんなに「クリエイティブ」だったのに! 毎晩毎晩!!
  恥ずかしい!
  四十またぎの一般サラリーマンが!
  「クリエイティブ」!!
  いーーーーーーーーやぁーーーーーーーーー!!
  「アバンストラッシュ」!!
  はわー……。
  いやぁー照れた照れた。///  ///

まあ、クリエイティブというか。
なんかこう……もうちょっと、お仕着せの遊びをするばかりではなくて、
自分で何かを作り出す助けになる遊び、いじる余地のある遊びを……ね。
これを使って出来ないかなあって、そのくらいのことなんですけど。

イヤすみませんね、フツーのオッサンがクリエイティブとか言って。
ホントごめんなさい。
いやーもう。
お恥ずかしい。
ダメですよね、オッサンがクリエイティブとか、オリジナリティとか、個性とか言ってちゃ。
クリエイティブ死とか、オリジナリティ死とか、個性死とかするわ。
心のコレステロールが致死値に達するわ。
コロシテロール。
もっとこう、オッサンなんだから、
人の敷いたレールの上を、人のフンドシ締めて、大手を振ってノッシノッシと歩くくらいでないと。
ユニディで売ってるレールですよ。IKEAのやつはダメですよ。
ユニクロかシマムラで売ってるフンドシですよ。GUのはダメですよ。
ねえ。
コモディティ化していこうじゃないですか。
アリモノで済ませていこうじゃないですか。

マそれはどうでもいいや。
そんなことをですね、
あ、そんなことって言うのは「スマホをもっとマシな遊びに使おう」ってハナシの方ですよ、
そんなことをですね、ヌルヌルと液晶に指を這わせながら思っているワケですよ。
おかしなゲームばかり探してる場合でもないな、と。
まあオイサンのAquos everさんなんていうのはハイエンドでもなんでもない普及版ですンで
そんな大した、重たいことが出来るようには出来てませんからアレですけれども。

なんかね。
もどかしい。
感情を形にして残しておけるような、
ねえ。
常に手元にあってサッと使える物なんだから、
頭を使う前にサッと感覚的に操って大事なことを残しておけるような。
そういう使い方が出来ればいいなあ、と思ったりしてるけど。

……カメラを自撮りモードにして、
自分の顔が液晶に映るようにして、
液晶に映った自分の顔をかいてあげたらカユいのがおさまる、
みたいなアプリありませんかね。
何を言ってるんだ?

類語同士を結び付けあった、類語マップみたいなものはないかと思うんですけどね。
視覚的辞書ツールみたいなの。

マそんなことを思って、手始めにこんなものを入れてみた。
最近、ノートに手描きすることも多くて、
そっちの方が使い勝手はいいんじゃないかって気がするな。


 ▼ハルナアウトライン
 https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.blogspot.halnablue.HalnaOutlinerLite&hl=ja

 ▼コンガボンゴ
 https://play.google.com/store/apps/details?id=br.com.rodrigokolb.congasandbongosfree&hl=ja
 延々コンガを打ち続けられるアプリ。


……とはいえ、オイサンのは決してハイエンドではない普及モデルなので、
そんなに重たいことがスイスイできるわけではない(らしい)。
買い替える時も、初めてのアンドロイド電話だからということでハイエンドは志向せず、
画面解像度も抑え目に、という方針で選んだけれども、
さっそくこういう方向に欲が出てくるとは思わなかった。

  とはいえ昨今の「ハイエンド」が何を可能にしているか、
  何を指標にして「ハイエンド」の必要性を判断させているかといえば、
  「3Dグラフィックをぐりぐり動かせる」
  「3Dのゲームをガリガリやるかどうか」
  みたいなところにあったりするので、
  オイサンの考えているようなことと「ハイエンドであること」が、
  直結して相関し合うかと言われれば、あんまりそーでない気はする。

  マそうでなくても、一番の優先事項は「バッテリーのモチ」だったので、
  この機体に落ち着いていたであろうとは思うんだけど。

  しかし「画面がでかい」ことは、オイサンの考える欲の部分を満たすには
  それなりのアドバンテージになる気がする。


しかし……このオモシロ高性能デバイスを、
一番面白く利用している人は……一体どんな使い方をしているだろうか?



 

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2017年2月19日 (日)

■すてきなRestart~『けものフレンズ』OP ようこそジャパリパークへ!感想~ -更新第1111回-

2月も半ばを過ぎて、少しずつ寒さが和らいできてしまった。
一昨日に吹いたのは春一番だったというし、
あの心身ともにざわつくような陽気には参った。あれに来られると疲れが酷くなる。
今年もいよいよ冬が終わってしまうのかと思うと憂鬱になる。
自分はつくづく冬が、寒い季節が好きなのだなと実感させられる。
とはいえ、この冬は長かったように感じる。
というか、深かった、というべきか。

そんな、寒さが終わろうという頃にもかかわらず、
『けものフレンズ』がアツい。
さばんなちほーだから、ではない。さばくちほーだから、でもない。
「足の裏に毛が生えているから、砂が熱くても大丈夫」という問題でもない。

マ物語の先読みや裏読みは、そういうことがお好きで得意な若手フレンズの皆さんにお任せして、
老人のオイサンは通常営業、
すっかりこころを掴まれてしまった『ようこそジャパリパークへ!』の歌詞について、
思いを深めていきたいと思う。


▼『けものフレンズ』主題歌「ようこそジャパリパークへ




……つっても、「シンプルでいい歌詞ですよね」というくらいのことだけど。
グッと来た歌詞の部分だけ引っこ抜くと、


  ♪  ほらね君も手を繋いで だいぼうけん!
  ♪  Welcome to ようこそ、ジャパリパーク! 今日も ドッタンばったん おおさわぎ!
   ♪   (中略)
  ♪  はじめまして きみをもっと知りたいな

   ♪   (中略)
  ♪  Welcome to ようこそ、ジャパリパーク! 今日からはどうぞ よろしくね
  ♪  いつもいつでも優しい笑顔 きみを待っていたの

   ♪   (中略)
  ♪  どこまででも つづいてく グレートジャーニー

  ♪  ランランランラー ランランランラー Oh, welcome to the ジャパリパーク
  ♪  ランランランラー ランランランラーランラ あつまれともだち
  ♪  ランランランラー ランランランラー Oh, welcome to the ジャパリパーク
  ♪  ランランランラー ランランランラーランラ すてきなたび立ち



……とまあ、こうですよ。
なんかもう……なんでしょうね? すごい普通でしょ。やさしい。
『ごちうさ』が、「かわいいだけのアニメである」ことを完全に研ぎ澄ませて
オンリーワンにまで上り詰めた
のと同様、
『けものフレンズ』は「やさしい」ことを研ぎ澄ませているように見える。
世知辛いヨノナカ、右を向いても左を見ても、お前の経済的価値はなんなんだ
「ほんで、おまえはナンボになるんや?」みたいなことしか問われない世の中で、
これだけナンモナシで、
「よく来てくれたよぉ、待ってたゆぉ、紅茶のむぅ?」
みたいに優しく迎え入れてくれてしまったら、そりゃもう世のオジサン涙くらいでますわ。

  マ正直なところ、オイサンは人間のフレンズは少ないマン(かなしいヒーローだな)なので、
  アナタトワタシ、トモダチトモダチ、ナカマナカマー
  と人から迫られたらNoNoNo, No Thank youとジェスチャー全開で後ずさりですが、
  この作品の世界観の中で唱えられる「ともだち」「フレンズ」は、
  そういうニュアンスとは異なるものになっていますね。
  人類愛というか、生物愛というか。
  おっ? お前さん、生きてるね? 嬉しいねえ、みたいなことです。
  分かりやすいですね。
  分かりませんか? 分かりませんね。 分かれこのやろう。 ← フレンズ減の原因


いっこいっこ詳しく見ていきましょう。
……気が進みませんか?
それでも気にせず見ていきますので、気が向いたら先に進んで下さい。


  ♪ 手をつないで だいぼうけん!

早速いいですね。
「『手』をつなぐ」ということの「小ささ」と「大冒険」の対比がすごくいいワケです。
手をつなぐことは大変小さなことですが、
「大冒険」という壮大な広がりの中でその異質な小ささ、些細な「抵抗」は、
却ってこう、その行為に大変な密度を予感させもするのです。
そこに凝縮されたエネルギーの構図が感じられ、
この一節だけで、アニメ本編におけるかばんちゃんとサーバルちゃんの結びつきの強さが際立つのです。
いいですか? 際立つんです……際立つったらキワ立つの! 際立て!!(命令)

  際だて!さーばるちゃん!(ラノベ)

……マ正直な気持ちとしては、
物語開始初期の時点では
「パークの中で図書館まで行くだけの話で、『大冒険』は盛りすぎだろ……」
と、オイサンも思いましたが。
ここンとこワリと大冒険っぽくはなっているのでよしとする。


 ♪ 今日もドッタンばったんおおさわぎ!

のところも……やはり当初は「いや大騒ぎはウソだろw」と思って見てました。
だって1話、2話の頃って大騒ぎと呼ぶには物足りないような、
大変ほんのりした、のどかな旅路だったのですもの。
普通に行く、という感じで。
3話あたりからは、関わるフレンズの数も増え、アクションも大掛かりになってきたのでアレですが。

マそんな嘘かホントかはサテおいて、なかなかこう、
イマドキの物語作品においてこの「ドッタンばったんおおさわぎ!」というフレーズを
バッチリ使いこなすのは、大変に勇気のいる行為だと、オイサンは思います。
自分で書いたら、……否、記す前の思いつきの段階で、

  「……。ねえな」

と思って消してしまいそうです。
それをオーイシマサヨシ氏は、恐れずに見事に使い切っている。すごいと思う。
ド肝を抜かれますこの胆力。
揶揄してるのではなく本当に、
「作品にとって正しいから、古臭く見えてもこの言葉で良いのだ」と踏み切るのは
大変な勇気と知性が必要です。
この、一見使い古されてダサいワードのポテンシャルを完全に使い切る力は
いっそスタンド能力と言ってもいいくらいだと思いますよ。


 ♪ はじめまして きみをもっと知りたいな
 ♪ ……
 ♪ ララララー ララララーララ あつまれともだち

 ♪ 今日からはどうぞよろしくね
 ♪ いつもいつでも優しい笑顔 きみを待っていたの


いくつか時系列をすっ飛ばしてまとめました。
この辺の「受け入れ力(ぢから)」の強さは……
無論、受け入れられた先にやさしさが約束されているからこそ
歌の言葉を素直に受け入れられるワケでもありますけれども、
マその辺は、ひねくれて、おのれの心の孤独に生きるオイサンのような者には、
現シ世では手に入れ難いものなので、尚のこと手の届かない宝物のように映るのでありますよ、
エエ。
心の歪んだ年寄りのタワゴトだと思って見逃がしてくだされィヨボヨボ。
現世……「うつしよ」とは、鬱シ世でもあるなあ。

大概、受け入れられた先には、受け入れた側の身勝手な都合と過剰な期待、
利害が待っておりますから、
なんというか、受け入れる側になった自分の姿としてお手本にしたい、
憧れの姿であることです。


 ♪ どこまででも つづいてく グレートジャーニー
 ♪ ララララー ララララーララ すてきなたび立ち


……なんていうんですかね。
"グレートジャーニー"は、アフリカで発祥した人類が世界に拡散する旅路を表したことばですが、
この言葉を聞くとき、たいてい「人間がここまできたこと」の結果としてのニュアンスが、
語られることの大半を占めるワケです。結果としての旅路の話として。
しかしナンダ、今回この歌を聴いて初めて、
ああそうだった、そういやそれってまだ続いてんだなと、思い至ったわけですよ。
シメの歌詞も「すてきな旅立ち」ですからね。

……実際のところ、『けものフレンズ』の物語において、
かばんちゃんの仲間(要するに人類)が本当に絶滅した存在なのかはまだ分からないけども、
もしそうだったとして。
かばんちゃんは、唯一生き残った……否、新生のチャンスを得た人間として、
フレンズたちとこの先、どんな関係を築いていくだろうか?
現生人類と同じ「まちがい」の道をたどるだろうか。

  「まちがい」と書いたけど、
  別にいまの人類とフレンズの関係すべてが完全にまちがっていると言っている、
  ワケではないですのでその辺オマチガイなく。
  どこかは合ってるし、その分どこかはまちがってる、くらいの捉え方をしたい。
  マ大方間違ってる気はしますけど。

地球の、自然界という愛の輪から逸脱してしまった現生人類が絶滅した後に、
かばんちゃんはいま一度「フレンズ」たちとフレンズになってやり直すために新生した、
再出発の人なのかもしれない。

  ……て言うか、フレンズはあくまでも「フレンズ」であって、
  『けものフレンズ』の世界でも、
  ジャパリパーク以外の場所にはフレンズでない普通の動物もいるのかしら。
  フレンズたちは普通の動物とどうふれあい、
  かばんちゃんはジャパリパークの外の世界でどう生きるんだろう……。
  その練習のために滅びた現生人類が用意した練習の場なのかもなあ。

かばんちゃんの目覚めは、人類の再出発なのかも知れぬ。
それを「すてきな」ことだとしたのはもう、
作詞者・オーイシマサヨシ氏のやさしさとしか言いようがない。

……マ個人的には、『けものフレンズ』をそういう壮大ゲなもの、
テーマを大上段に構えたエラそうで面白いモノとして考えたい気持ちはあんまりないです。
ひとえにここちの良い、気楽なものとして持ち続けたいんだけど、
オーイシマサヨシ氏が、何かを思い描いてビジョンにこめたのだとしても
とてもよくわかるし、素敵だと思う。

進化の結果の事実としていまこのようにある人間が、どこから来たのかはサテオキ、
いま何を持っていて、何が足らず、
この先それをどう使い、どのようにまわりと関わりあって、どちらへ向かおうとするのか……
そんな思いの途上に現れたゆめみる箱庭、
それがジャパリパークなんじゃないかな! たっのしー♪


■よだんフレンズ

余談だが、グレートジャーニーについて改めて調べてたら、
GIANTのラインアップに同名の車種があるの見つけて欲しくなってしまった。
10万か、うーむ。(どこまでいくつもりだ)

  ▼GIANT グレートジャーニー [GIANT]
  http://www.giant.co.jp/giant17/bike_select.php?c_code=CA02&f_code=FD02&s_code=SR15

ランドナー、他にもカッコイイのとか軽いのがあるなあ。

  ▼自転車旅行におすすめのランドナー・スポルティーフ15選を紹介します。[NatureDrive]
  http://cycle-japan.com/randonneur/


『けものフレンズ』を見る
   ↓
『ようこそジャパリパークへ』の歌詞についてふかく考える
   ↓
"グレートジャーニー"について復習する
   ↓
同名の自転車を見つける
   ↓
ちょっと前にもあった、ランドナー欲しい熱が再燃する ←イマココ


マそんな感じでヒトツ。

『けものフレンズ』は、見ていて気持ちよくて、確かに楽しいのだけど、
そろそろ「なんで面白いのか」は分からなくなってきた。
面白い、楽しいというか、見ている間中ひたすら嬉しいのだった。
あ、始まった。嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい終わった。

……で、30分終わる感じ。
脳のどこかが開きっぱなし、出ちゃいけないものが出っぱなしになっているような気はする。
昨年の冬に『おそ松さん』が女子の間で大人気になったのもオイサンの理解からは外れていて
(『おそ松さん』自体は面白くてオイサンも楽しく見ていたけど、
「女子にキャーキャー言われるような人気の出方をして、それが爆発的に持続する」のは
  やはり説明を付けて自分を納得させることは出来なかった)、
えらく困惑したものだけど、今回のはそれを超えている。
いや、超えてはいないのかもしれないけど、自分もその熱狂の渦の中にいる分、
ワケの分からなさを体で味わっている。

OPラスト


  ♪ ララララー(ララ!ララ!) ララララー(ララ!ララ!) Oh, Welcome to the ジャパリパーク

(ララ!ララ!)が嬉しくて、胸が詰まってしまうくらいなのだから、
やはりなにか良くない塊を投げつけられて、当たってはいけないところに当たっているように思う。
困ったものだ。
あと残り半分のうちに、どうにかその正体を言葉にしたいと思う。


「サファリ」という言葉も意味をよく知らないなあと思って調べてみたら、
アラビア/スワヒリ語で「旅行」って意味らしい。
普通のことばだった。
信州へサファリに行きたいとか、京都サファリしたいとか言えるのか。
ときめく。

温泉サファリしたいオイサンでした。

 
 

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2017年2月18日 (土)

■頭文字H~イニシャル・エッチ 花と性愛の頃~アニメ『セイレン』感想 -更新第1110回-

『けものフレンズ』でバカみたいなことばかり言っていた反動か……
『セイレン』が気になってきた。
あの地味さが、妙に。

3話から見始めて、4 → 5話まで見たところで1話に戻ってきた。
1話、いいですね。

『アマガミ』の続きのような位置付けになっていたせいで、
なんとなく主人公を、正当なるザ・紳士の血脈のつもりで見てしまっていましたが、
嘉味田くんは……真面目っ子なんですね。
そのことに気付くのに結構時間がかかってしまった。
飛びぬけてファニーな発想の持ち主でもないし、性癖にも特殊過ぎるほどの特殊性は見られない。
将来に不安を抱えているだけの、何なら若干おとなしいくらいの、
いじられやすい真面目っ子だった。

その代わり、際だって異彩を放つのは輝日東という生活空間の異世界感w
住む人や町並みこそ現実の日本だけれど、
パンダココアに始まり、
茶巾寿司定食が大人気だとか、
昆布のりうどんとか、
お化け屋敷スゴロクの内容と、それで平然と遊ぶ高校生、
カブトムシの話で盛り上がる担任にシカ育成SLGと、
食べ物を中心に、娯楽、人のちょっとした気質など、
広々とした世界の中で、文化のはしばしに尖りが配置されていて
心の落ち着く接地点がひとつもないw

異様な細部を積み上げた結果、見える風景はざっくり同じに見えるのに、
足元がグラつくようなエキセントリック加減。
面白い世界観の作り方だったんだなあ、と感心してしまった。
そういう肝心なところに背骨のズレがあるから、人間の行動が一種異様でも
「そういう気質・慣習で育ったひとたち」という理屈が納得材料になる。
面白いこしらえ方だ。

そこで本筋の話になりますが。
御大高山の、哲学みたいなものには共感できるんです。

男の子はエッチな心根から恋をするものなんだということを、
御大高山は謳おうとされているように思われます。
変化球ではあるけど。

そして、女の子も女の子で、男の子とは違う目線というか、
女の子なりのなまなましさのエッチさで、恋という行為や思いにアプローチしてくる……
ただその生々しさは、あくまでも男である御大高山ご本人の目線で読み取られたもので、
かつ、
彼の青春時代(というと語弊があるが、つまり性的に最もリキリキムラムラしていた時分)のものだろうから、
今のリアルな女の子の物とは違うかもしれない……。
そこを伝達しやすくするためにエロ……性愛の、殊に猥雑で劣情を催す表現には手練手管を尽くして
エキセントリックな表手法を試みてくるけれど本質はそこにはなく、
ひとえに
「男の子も女の子もエッチなんだよ、エッチで恋をしていいんだよ」
ということを、清潔感でコーティングしながらもムラムラとした艶やかさ、妖しさで描いてくる。

  しかし、清潔感とは書いたもののこのマンガ、先にも書いたような独特の世界観、
  というか生活文化感、一線を画した生活感を備えているがために、
  古びた温泉街のような不穏な、生活の汚れた空気が漂っている気がする。
  埃っぽさと、湿り気過剰のかび臭さというか。
  温泉街の裏通りみたいな猥雑さがある。
  閑話休題。

OP主題歌からして、その傾向は見て取れる。
「キミの花」。
直球だ。

▼キミの花 奥華子



ここでいう「花」を、特段エロいニュアンスだけに特化して解釈するつもりはない。
もっと普通の、可愛らしかったり、華やかいだり、
はかなげだったりするものとしての意味も十分に含んでいる。
しかしそういう様々なニュアンスに包み隠し、
受け手が「花:のことを「おしべとめしべでエッチな教育に使われるやーつ」であると知っているのを利用して、
ほんのりとエッチさを差し出してくる。

  ところで御大高山が「花」をよく使う印象があったのだけど、
  そんなことなかったな。
  『アマガミSS』の森島先輩編のEDのカップリングの「花」が妙に印象に残っていただけだ。
  森島先輩編のED曲をいま改めて聞いてみたけど、下手だな。

オイサンはもはや童貞っていうレベルではなく童貞だから、
つまり、


  ♪ 逢うたび君を好きになって ちいさな手に触れたくて


っていう「ちいさな手に触れる」悦びさえロクに知らないモンですんで、
なかなかその辺の「恋を、始めからエッチなものとして喜ぶ構え」を実感として納得するまでに
時間がかかるんだけども、一旦腑に落ちてくると、
それこそ童貞だものだから、若い悦びや興奮は大変よく共有できる。
多分いまでも、女の人の手を握ったらちょう緊張するしドキドキできる自信ありますしね。
フフン。 ← 得意になるところが違うぞ
その、「(男の子が)ちいさな手に触れる」悦びのエッチさ、
別に手を握ることなんかいわゆるエッチでもナンでもないんだけども、
肉体的な接触の入り口のところで興奮してるってことはやっぱり明らかにエッチなわけで、
「性愛の良さに日を当てる」みたいなことを、
ご自身の実感ある言い方では伝わらないから、
御大高山は手を替え品を替え、
ワキを替えヒザを替えヘソを替えしてどうにか語ろうと、
いまのヒト向けに通じる変換アダプタを探している。

抑え込んで抑え込んで抑え込んだ、
爆発しえないムッツリなエッチさ、一人でいる時でさえ発揮し切れないエロの空気を、
あの作品のカタルシスのなさは、すごいいい感じに表現しているように思えてきた。

なんなんでしょうねあの人は。やはり、一種の天才なんでしょう。
こんな焦らしプレイありますか。
スカートの奥から汗が一筋、フトモモを伝っておりてくるのを
お前らは黙ってそこで正座して待っとけ! みたいな、
はいサーセン! みたいな、
そういうんですよ(どういうんだ)。
マわかんねえけど。
そういうものに見えてきたよ。
まあ絵描きっていうのはそういうトコあるのかも知れませんね。

だもんだから、そういう主題から逸れた枝葉の部分……
例えば、主人公たちがプレイするゲームの内容とかは、
エキセントリックでこそあれ、あからさまに適当に仕上げてくる。
枝葉であることの強烈な主張であるように捉え得る。



……と、そんなことを考えていたら、
「地味に映るのも当然か」という気もしてきた。
エロを表現するのにストイックになる、というアンビバレンツ。



OPのサビが妙に頭に残ったので気になって繰り返し聞いているうち、
なんだか楽しい、良い作品であるように思えてきました。

まテンポがあまり良くないなとか、そういう風に感じるのも確かなんだけど、
このぬったりとした「ズレ」、不快な違和感の世界でなければ表せないモドカシサでもって、
狙ってなにかおかしなことを実現しようとしているのかもしれません。
アニメ、マンガ、ゲームの世界が陥った、分かりやすすぎる記号やあからさまな刺激から、
少しずつでも軸足をずらせて行こうという気持ちが……あるのかもしれない。

  例えばそれは「ビッチ」っていう生態のリアリティであったり。
  なかなか、ギャルゲーのフォーマットでは歓迎されないその生態を、
  なるたけ「いいもの・魅惑的なもの」として持ち込もうというスタンスとか。

彼の描き出すあの繊細な線
(悲しいかな本作ではその芸の線が画面上に顕現することはなさそうだが)が本来描き得る、
線と線の行間ともいうべき気持ちを、
そういう空気を生み出すことで代替させようとしている。

  けどね、オイサン、御大高山の絵が生き生きとするのって、
  静止画だと思うんですけどね。止まった絵、一枚の絵。
  だからゲームの『アマガミ』の、
  ほぼ究極とも言える「止め画を超細やかに動かす紙芝居」は、
  御大高山の画を生かす最も正解に近い御業だったと思いますよ。
  エエ。掛け値なしに。すごかったもの。

というわけで、『セイレン』は、
何かを失敗していまの様になってしまっているのでも、
やろうとしていることを何かに阻まれてああなのでもなく、
ああでなければ表現しえないものなのではないだろうか?
イヤわかんねえけどさ。
けど、その様に「読む余地がある」という可能性は残されているし、
そうでなかったとしても、
じゃあ自分がそれをやろうとしたときのための引き出しとして使えるものを拾えた、
という意味で大変OKです。

そんな可能性を見出すことが出来たので、
ちょっとこの先もそういうポジティブな目で引き続き眺めて行こうと思う。

あと、常木さんのお友だちの一人、髪の長い子は可愛いですね。
アタマちょっとオカシイしw
「私、ポルノ漫画家のサイン欲しいッ!」
って、すごい勢いで言うなw いいよ君。光るものを感じる!
郁夫君も、特段おかしなことを言わない普通のアタマいい男の子でびっくりしました。
この先馬脚を現すのかもしれないけど。
郁夫君のフツーさ、とても好感度高いです。
「元祖尻軽」こと、彼のお姉さんはどうしてるんでしょうね。
相変わらず適当なことを弟に吹き込んでるみたいですが。


作品世界の中を歩くうち、
こういう奇怪なエッジにちょっとずつ肘やらヒザやらをひっかけてほつれていき、
最後には丸裸にされているのかもしれない。

あとこのアニメ、3ヒロインにしか焦点当てないご様子ですな。
残りは……別メディアかしら。
なんにせよ、この作品の好感度を自分の中で上げることに上手いことこ成功したので、
続きがあるなら楽しみにしよう。

最後まで、うまく騙しおおせてくれると嬉しい。



オイサンでした。


 

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2017年2月12日 (日)

■この素晴らしい、ジャパリパークで語りたい! ~2017年1月期・アニメ感想 -更新第1109回-

こんばんわ。
『レコラヴ』で、いよいよ反町っちゃんのスカートの中が映せるようになってしまって
終始前かがみのオイサンです。

大したことない画なのにやっぱりスカートの中を覗くってだけでこうふんするなあ……。
反町っちゃんも、嬉しそうなのがけしからぬな。

途中までは、新体操小学生であるところの妃月ちゃんと仲良くしてたのだけど、
一発目がJSってのははどうなんだってんで、そこそこ打ち解けた雰囲気だった
同クラの反町っちゃんに乗り換えたものの、
しかし反町っちゃん、
打ち解けるにつれて関西の訛りや気質が飛び出す頻度が上がってくるため、
仲が深まるほどにときめかなくなってくる、という
なかなかのツンデレスパルタン番長。
いま恋愛レベルが5なんですけど、
そのうち

 「ぱんつ録らしてー」
 「はいよー(たくし上げー)、これでエエ?」
 「あいおっけー。明日もよろしくー」
 「オツカレサーシター」


みたいになってっちゃわないか心配(どんなギャルゲーだそれは)。
そんなワケで、最近はもっぱら、ときおり現れる御前さんが気になっております。
御前さんのスカートの中録りたい(目的が違っているぞ)。

本当のコト言うと、一番美少女・一番好みだなあと思うのはまひろちゃんなんですが
如何せんこのコはこのコで「がぶがぶ~」とか言って噛みグセがある、
というキャラを持たされた堕天使
完全に病気の子なのでアカンです。
オイサンはもうね、そういうギャルゲー然とした子じゃなくて、もっとまともな子が良い。
ギャルゲーじゃなければそんな病いを背負わされることもなかったろうに……。



■2017年・1月期 アニメ感想



カオスですなー。カオス。
マ『けものフレンズ』がいることでカオス感が増してるだけだけど。
ケイオス(なぜ言い直した)。

尚、オイサンの視聴ルールとして、
 ・まったく予備情報のない作品は3話から見る。
 ・原作を知っている、継続作品(2期~)であるなどの場合は1話から見て良い
としています。

これは、
 ・1話目はダルい。(背景説明やらが多い・キャラ紹介的側面が強い)
 ・近年、OPが省かれる(或いは話の最後に回される)場合が多く、テンションが上がらない
 ・順序が分からなくとも面白く見られる作品が本当に面白い
  (自分が見たい面白さを備えている)作品である

……という、強引な経験則と信念に基づいた結果であります。異論は認めない。
それではそれを踏まえて参りましょう。
今期はねアナタ、豊作ですよ。



 ▼『けものフレンズ』

なんかしらんが、やたらと「闇が深い」ことで、ある意味今期の台風の目となってる。
なんでだよw

  ……と書いてしばらく放ってあったら、
  ものの一週間で普通に今期の台風の目アニメにのし上がっていた……
  何が起こっているんだ……。

 ▼公式PV その2
 


ほぼ人間(の女の子)の姿をしつつさまざまな動物の見た目や性質を持ったたくさんの「フレンズ」と、
自分に関する記憶を失った、この世界で唯一人間である(ようだがまだ正体が明らかになっていないわからない)
「かばんちゃん」が、
フレンズのすみかである、サファリパークの様に色んな地形や風土のエリアを備えた
「ジャパリパーク」を冒険するおはなし。

オイサンも、1話から若干の違和感を感じつつ、
それでもワリカシ普通の気分で見始めたのだけど、
TLではなぜか妙に人気テンションが高く、
見た目のトーンの明るさに比して「闇が深い」と評判である(それは高評価なのか)。
……いや、いまや「評判であった」と書いた方がいいか。
もうなんか、そういう理屈の部分から解き放たれた盛り上がりを見せ始めている。

  ……まオイサンのTLは、オイサンが自分の好みで選り集めた方々なので、
  似たような、ケッタイなものを選り好みするのも当たり前と言えば当たり前なのだが。

思えば、この教育番組のような内容で妙にひきつけられるものを感じさせる辺り、
一種の闇が潜んでいることは疑いなかったワケだが。

作画的にはトゥーン調の3Dで、際立ったハイクオリティとは言えない。
ローでもないけど、文句を出させない必要最低限、といった風情。
ボイスも、一部ベテラン勢はおれど、妙に棒読みなフレンズさんが目立って素人くさい印象。
物語展開もあるようでないようで、非常にまったりと進行する。
にもかかわらず目が離せない、というか、見ていてすごいクセになる。

現時点のキホンセンは
「かばんちゃんの正体を知るために、ジャパリパークを横断して図書館へ向かう」
で、そのために川を渡ったり、サファリバスを探したり、山にのぼったり。
その過程で、出会うフレンズ(動物)の特徴が描かれ、
且つかばんちゃん(人間)の知能が際立つ、という、なるほどなあという構成。
面白いのは、動物の特徴を知ること以上に、人間の特質や知能の高さの素晴らしさが際立つことだ。

この「人間がいない」成分に闇アニメ大好き勢が食いついて、
「人類滅亡後の世界では」みたいな、深闇論が展開されている。
マいいんだけどさw 楽しそうに盛り上がってるしw
そして4話まで見たところ、実際そんな感じっぽい。まじでか。
別段そういうストーリーラインでも構わないが、
かばんちゃんとサーバルちゃんは(勿論他のフレンズも)、
最後まで仲良し笑顔でいてもらいたいものです。

最後には多分、かばんちゃんはやっぱり絶滅種のヒトであることが判明して、
ぼくは独りぼっちなんだろうか……と凹んだところへ、
周りのフレンズに「ヒトだってフレンズだよ!」と励まされる、
さらにそこへサンドスターの新たな噴火でかばんちゃんのつがいになる相手が生み出されて、
これからまた仲間が作っていけるよね!
……みたいな、しっかりハッピーな展開を希望するオイサンです。

アライグマのアライさんが、かばんちゃんを「お宝」とも呼んでいたりしたので、
恐らく絶滅種であるヒトには、なんらかの値打ちが見出されているのでしょう。

画や声の絶妙なつたなさがいい方向に作用して不思議な可愛さがあるし、
見ているうちに脳みそがどんどん溶けていきますね……
たのしー! すごーい!
……などとどんどん語彙が欠落し、IQ低下を引き起こす現象も「フレンズ化」と呼ばれ、
専門家(もちろん『けものフレンズ』研究のだ)の間では深刻化が懸念されているご様子。

とにかく相方のサーバルちゃん含めたけもののフレンズの皆さんが、
ポジティブというか、きわめて無邪気に全肯定の方々で、
「すごーい!」
「たのしー!」
「かばんちゃんは考えるのが得意だから!」
「みんなとくいなことちがうから!」
「いいフレンズに違いないでありますよ!」

と、とにかく相手を責めない。
人間の土俵でない場所で、人間でないものに人間である長所を認められ続ける、という
恐ろしい承認快楽の発生装置になっているご様子。
見ていてとにかく、気持ちが良い……麻薬の様だ。
ツチノコさんだけは妙に手厳しかったけどw
あのツッコミは好きだった。

OPも、

  ♪ Welcome to ようこそ ジャパリパーク!
  ♪ 今日もドッタンバッタン おおさわぎ!


だの、

  ♪ ランランランラーン ランランランラーン welcome to the ジャパリパーク
  ♪ ランランランラーン ランランランラーンランラン あつまれ友だちー


だの、ヘンに幼い歌詞でまとまっているのに、妙に頭を離れない。
『月刊少女野崎君』のOPを手掛けていたオーイシマサヨシ氏の曲なのだが、
この辺は狙って統一された意志でやっているのだろか……。
吉崎観音氏(コンセプトデザイン)って、こんなに狙える人だったの?
尚、監督も吉崎氏も、オーイシ氏も、今の本作の当たり具合には困惑しているご様子。
まあ無理もない……。

自分がケモミミ好きなわけでもなく、
キャラクター描写が飛びぬけて可愛いわけでもないのに、
なんだかやたらと可愛く見える『けものフレンズ』……
君も、よろしくない瘴気渦巻くジャパリパークでドタバタおおさわぎしてみないか!? Σm9
気は進まないと思うが! Σm9

 ▼オーイシマサヨシ「君じゃなきゃダメみたい」
  
 ついでに。しかしなんだこのサムネイルは。歯ぁ磨けよ。



 ▼『このすばらしい世界に祝福を2!』

2期目なので1話から見る。
えー、OPがカンペキでした。EDが最高でした。以上。
劇場版1本分くらいの満足度のある、完全なるOP。
クエスト一本分を、各キャラの特徴を生かしながら描き切るという力作、近来稀に見る良OPです。

  かの名作
 ジブリ実験劇場『On Your Mark』に勝るとも劣らないMV
  となっております。(ホンマか)。

 ▼エンディングのPV こちらも素晴らしい曲。
 

前奏~タイトルバックでバカみたいにテンション上げて走る4人も大好きだし、
チョイチョイ挟まる脱力ダンスも愛おしい。
90秒しかないOP中で、
ダクネスが爆発への期待と焦れにクネクネと身を躍らせるさまに5、6秒も割いているのは
最早愛のなせる業としか言いようがなく、
もうパッと見「コレ作画崩れじゃないの?」と思えるほどグダグダに溶けて描かれているのも
ここで以て
「本編内での作画溶けも、意図的なものですよ、手抜きじゃないですよ!」
と宣言しているものであると見れば、ある種、匠の手技と言えよう。

そんな中でも、見せ場ではかなりのかわいさ・りりしさを保って描かれるめぐみんは
やはりひいきされている気がする。

1話目の内容としては、
ダクネスにこんな立場的アドバンテージ(カズマ・3人への貸し)を持たせてしまって大丈夫なのか?
と思った。
……マこの3人がこれを借りだと思うようなマトモな神経を持っているとも思わないけど。
3話まで見たけど、本編的なテンションは、まだそこまで上がっていないように思う。
彼らに求められている面白さは十分に達成している、とは思うが、
期待値はもうワンランク上だ、頑張ってくれ。



 ▼亜人(でみ)ちゃんは語りたい

OP・EDともにハイレベル。特にEDの切なさがいいかな。

ドタバタに見えて、どちらかというとしっとり成分の方が豊富な作品。
穏やかで、静かな間をつー……っと引っ張る時間を結構長く感じさせて、
終わってみると30分がすごくながい、高密度な印象を受ける。
切ないよね。面白いです。
ドタバタるときはドタバタるけど、印象としてはドタ2、しっとり8くらいかしら。
かなりの湿度を誇る作品。いいぞ。

原作にはノータッチ。ウケているのは知っていたが、イマ一つ手を伸ばせずにいた。
題材的に、青春の孤独、みたいなものを描くのかなと思いきや、
さらに一歩踏み込んだところまで行きそうな予感があって、1話終了時点では先を見るのが怖かった。
けど、2話目はさわやかだったから、マ安心して良いのかもしれない。
必要以上にギトギト・ノタノタはしなくて済みそう。晴れやかに終わって欲しいな。

あと、この作品の中で語られている亜人(デミ)は、
亜人という定義よりも、むしろモロにモンスターだと思うんだけど……どうだろう??
まあ、エルフ、ドワーフあたりがデミで、
ライカンスロープ(獣人)はデミじゃないのかと言われたら微妙で、
そこからさらにバンパイアとかに派生してしまう気持ちは分からんでもない。
けど、デュラハンはさすがにどうなんだと思うし、
サキュバスは明確に悪魔だろ!
……なんていう議論は、既に出尽くしてるんだろうから
敢えてオイサンが一周遅れて言うべきことでもないと思うケド。



 ▼『南鎌倉高校女子自転車部』

原作を知っているので1話から見る。

……。

ねえ、なんで「フィクションで自転車に乗る女の子」は、
こんな人様に迷惑カケホーダイの物を知らないポンコツばっかりなの?
作劇をさぼってるとしか思えないこのテンプレぶり。
少し恥じなきゃいけませんよ……。
とはいえそれは原作由来成分なので、アニメ化関係者に罪はないのでしょう……
けれども、あまりにも「ひでえ」と思ったら、そこは改変したっていいと思いますけどね。
「つまんないから変えました!!」
っていうやつがいたっていいと思うよ。

原作が、あまりマンガ的に上手でなく(原作disってばっかだな、マいいか)、
レースをやるんだけどその状況がすごく伝わり辛いもので読んでいてあまり面白くなかった
(そして途中で買うのをやめた)。
アニメの力でその辺が伝わりやすく描かれることを切に望む。

けど、自転車のハナシって、なんかこう……無理がある話を、
話づくりのためにあまりにも平気でやる気がしていて、全体的に印象が良くない。
学校行く前に乗る練習とか、のってちょっと走っただけでやたら大げさに喜ぶとか。
立ちこぎが出来ただけで大はしゃぎとか。
どーもその辺が、見る視線がヒンヤリしてしまう原因である気がする。

乗れてちょっと走れただけで「アタシ、どこまででも行けそうな気がするッ!!」
ってなる流れ、高校生にもなってもうチョイどうにかしませんか。
中学まで何やってたんだよお前、って思うけれども、
しかし、
目に余る老齢ロードバイク乗りとかが量産されている背景には、
そういう「何かが極端に出来るようになった間違った全能感」が
その過程で与えられることに因って起こっている、のだと考えれば……
この
「ロクに何もしてこなかったポンコツJKが
 初めての成功体験に酔いしれてワガママ放題し始める」
というテンプレートは、あながち間違ったものではないのかもしれない。

冷静に分析しとる場合か。
えー、女の子が可愛い自転車のアニメです。
あと鎌倉とかが舞台です。



 ▼『小林さんちのメイドラゴン』

3話から見る。
……のにもかかわらず、開始1分半で心を掴まれてしまった……アバン30秒、OP1分なんだけど。

OPサビで、モブい人たちが竹トンボのように回転しながら空を上がっていく絵があるのだけど、
なんだろうか、そこで毎回、ちょっぴりホロっと来てしまう。
初めて見たときもその画を見た瞬間
「あ、これはホームコメディなんだ」と理解して、嬉しくなってしまった。
なんなんだろうこの感覚。

1・2話を録り逃してしまったので3・4話しか見られておらず、
トールさんとカンナちゃんがなぜ小林さんの家に来たのかわからないけど、
困らないで見られるのが素晴らしい、
けど、どうして来たのかすごい気になるのもスバラシイ。
「困った奴はいるけれど、悪い奴はいない」という安心して見られるフォーマット。
画は安心の京アニクオリティ。
監督が、あの永遠の京アニナンバーワン大ヒット作品『氷菓』の武本カントクなので大安心。

……ただ、この感覚は、
「きれいにコヂンマリまとまり過ぎてて、見ている間はほっこり楽しいのだけれど、
 終わった瞬間スカッと忘れてしまうヤツ」
の匂いがプンプンする。
「アーオモシロカッタ、ハイツギ」のヤツ。
どこかで良いフックが生まれてくれるといいのだけれど。

あと、小林さんは、『けものフレンズ』のカバンちゃんと合わせて、
今期の2大性別不明人物に任命します(不名誉)。
女性……だよねえ?
あと、カバンちゃんは男だと思ってたんだけど。

 ▼fhana / 青空のラプソディ - MUSIC VIDEO
 
 オイサンはfhanaさん大好きです。結構CD買ってるよね……。


この原作、アクション連載でクール教信者先生だったのね。
言われて見ればなるほどだけど、なんか意外だった。
fhanaの歌はいいよね。



 ▼『ガヴリール・ドロップアウト!』

2話目を録り逃して3話から見る。

TLでワリとよく名前を見かけ、かつ好意的な反応だったので期待値ちょっとだけ高めで見てみたけど、
普通だった。
ポジション的にはあのヘンに近い。『三者三葉』ら辺。
舞台やキャラ仕立てとしては、
 ・現世に降りてきた(降ろされた?)天使と悪魔の交流
 ・ダメ天使といい人悪魔
っていうのはありきたりというか予測の範囲内なので……まあ、普通かなと。
ロゴが好き(どこを褒めてるんだ)。

後追いで1話を見たが、1話はなかなか面白かった。
んーでも、このあと1話以上に面白くなっていくという希望は薄メな感じ。



 ▼『セイレン』

えーと、一応書く。
『アマガミSS』の時も思ったけど、地味。地味です。
おとなしいとか、穏やかとか、落ち着いている、とかではなくて、地味。
もう一歩間違えると「ダサい」「野暮ったい」になる。
地味。
そしてテンポや演出が洗練されていないのだと思われる。
専門家ではないので具体的に正しい指摘が出来る気はしないけれど、
カット割りと画角の切り取り方が良くないんじゃないだろうか、と、
素人考えで言ってみる、がどうなんだろう。

画が、見せたいもの、表現したい感情に対して、非常にぼんやりしていると思う。

音楽は良いと思います。
が、画的なテンポの悪さに引っ張られて印象に残らず、
音楽は音楽だけ聞いた方が映える、という、それはキミいったいどうなんだ、
という状態に陥っている気がする。

見始めたのは3話から。3話・4話を見た。
案外、ストーリーとしてはキライじゃない感じ。
良いと思います。
ヒロインの思考回路は乗り切れないところがあったけど、
その辺は高山御大一流の「ビッチ(尻軽)」理論に当てはめれば、実感としてはつかめなくとも
理解はできる。
そういう意味では筋が通ってるし、物語の地味さは、リアルというか、
共感出来る範疇にあると思うのだけど。

……なんだろうね、これが制作陣の意図したところであって、
「狙った通りに作れている」というのなら特に問題ないと思う。
「考えていたことが、形にしてみたらつまんなかった」っていうのは
まだ救われるんだけども、
見ていると、
「考えた通りに作れていない」ように見えるので、
そこは大丈夫なんだろうか? と心配になっている。
お金なのか、時間なのか(マこの二つはどうにかしてもらわないと仕方ないけど)、
コミュニケーションの問題なのか……まあハタから見た妄想に過ぎませんけどね。
なんだろうか、モヤモヤするなあ。

放映前から、『アマガミ』との世界観とかキャラの連続性をちらつかせて
へんな風な盛り上がりに誘導してたんで、好ましくないなあと警戒してたんだけども、
マその辺の仕掛けですべるよりは、
こうして潔く「普通にしんどい」方向で滑ってくれた方が諦めもつくので
ありがたいと言えばありがたい。

OPも、曲はいいのにどことなく歌にマズさを感じて結局まだ購入には至っていない。
いろいろシンドイなあ。



■Closing

マそんな感じで。
他にも『ピアシェ』とか『OneRoom』とかの五分アニメ、
『幼女戦記』『バンドリ』『スクールガールストライカーズ』『うらら迷路帖』
なんかも拾い見はしている。

そうそう、『スクールガールストライカーズ』は、大変いいクソアニメですね!
久々に、名クソアニメの感触です。
とにかく声優陣が安定の豪華さ。
「とりあえずこの辺揃えときゃお前ら見るだろ」っていう、
カネにモノを言わせてぶっこんだ感じのパワー、
ソシャゲマネーのパワーを感じます。『レヴィアタン』以来のパワー。
面白いところ、ひとっつもないもんな!
ブッ込む過程で生じた様々なムリのせいで天秤ががっしゃんがっしゃん揺れ乱れているところに、
札束の重石で「これでバランスをとれ!!」ってやってるような感じがもう最高です(偏見)。
無理して面白くしなくていい、という割り切りというか、
徹底統一された意志を感じます。
人間には、こういうコンセンサスの取り方も出来るんだなあと感心させられる。
意欲や思いではなく、役割に徹するというか。
完璧です。
いや、ダメじゃない。ダメじゃないですよ。こういうのはアリです。
これは理性
かなり高等な部類の、知性の産物です。
面白くしたくなる欲をぐっと抑し、本来そうあるべきところを捻じ曲げて、
そうではないところへ設定された目的の方向へ、
そうあるべき方へ向かいたくなるのを押し込めて進む、という、一種の知性と理性の力。
自分を信じない、力を信じるという。
すごいと思う。注目です。


あと、冒頭でちょっと書いた『レコラヴ』
どうでもいいけど、ヒロインの子はパンツは毎日替えた方がいいと思います。
見られるの分かってる(見せるのをちょっと楽しんでいる風でもある)んだから、
少しは意識して来いよ! って思う。
反町っちゃん、まいにち同じ黄色いぱんつじゃん。
ギャルゲーヒロインとしての自覚が足らぬ(そういう問題ではない)。
そこはこだわって欲しかった。

以上、嫌な顔されながらおぱんつ見せてもらいたいオイサンでした。


 

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2017年2月 8日 (水)

■帰港~喪失の港にて~劇場アニメ『#この世界の片隅に』・感想(後)~ -更新第1108回-

……と、前篇から続いてきたものの、
別にここからは大したことは書きません。


オイサンです。


劇中ですずさんが2回だけ口にする「あせったあ」がすごく好きです。
他は広島弁ガチガチで、すっかり知らない土地の人だけど、
ここだけは言葉もイントネーションも自分の知ってる言葉と違いがなくて、
急に知ってる人、身近な人になった感じがしていい。
抱きしめたい(突然何を言い出すんだ)。



■好き好きすずさん! スキスキ周作さん!

デ、ここからはオイサンが特に気に入った場面についていくつか萌えて各論とし、
シメたいと思います。
色々省いて、見た人にしか分からないような書き方をするところもあるけど
勘忍してつかあさい。


 ▼画と音

映像の素晴らしさについては……正直、何も言えない。
終わってみて気付いたのだが、さまざまな表現や出来栄えが、
当たり前のレベルで「自然・当然」であったのでしょう、
素晴らしさを意識することが出来ないレベルでスムーズに流れている。
イヤミや引っかかりがまったくなかった。これはスゴいことだと思う。

何やらものすごいレベルで調査されたらしい、史実や当時の実在の地形とのリンクについては、
歴史に詳しいワケでも、当時の様子を知るワケでもないオイサンは
そのすごさ・正しさを量ることは出来ないので、なんとも評しようもない。
ただ、その結実であれ、架空であれ、
舞台となる世界は少しだけその端々を知っているような、少し懐かしいような、
自分たちが暮らす今の世界との確実な地続き感に満ちており、
すずさんたちが実在の人物であると錯覚を起こすほどで、
彼女の抱く様々な感情が自分の中にもあるこれと同じ心の感触だと
確かに感じるための十分以上の手助けになっていたと思う。

それと、感じたのは、広島と言えば終戦の象徴のように語られることが多いことから
「夏」という印象だったのだけど、この映画の中では冬の情景が大変印象に残った。
暑さよりも寒さ、土間やかまどの石の、冷気をたっぷり吸いこんだひんやりと頑固な感触が伝わってきた。
戦争映画というと、燃え盛る炎と、豪の中のじっとりと閉じ込められた空気ばかりの印象だったから、
この印象の違いも、長い上映時間(2時間20分くらいある)でも強いストレスなく
集中して見通すことが出来た一因だったろう。


 ▼「執拗」であること

これは原作由来の成分ではあるけれど。
伝える、ということに対して、執拗な作品であったと思う。
何の話かといえば……すずさんの右手をも吹き飛ばした、その物語についてだ。
そこそこの物語であれば、晴美さんの命を奪うにとどまるだろうと思う。
けれど、この物語の作り手たちは……それだけではまだ、
「他人事」だと心で処理してしまう受け手がいることを知っていたのだろう。
彼らの情熱は苛烈だ。
どちらが先だったかはわからない。
右手か、晴美さんか。
しかしいずれにせよ、彼らは……受け手にその痛みを届かせるために、
すずさんの右手を吹き飛ばした。
受け手の、「自ら」の体の一部を引きちぎることで、受け手全員を完全に巻き込んで見せた。
「喪失」を、より完全にするためだ。
それが彼らにとってそのような史実であったのかもわからない、
しかし、これを表現に対して執拗、と言わずして何といおう?
見習わなければならない……。


 ▼小さき人たちと世界の不均衡について

全編に渡って素晴らい映画だったんだけど、数か所だけ、言葉で引っかかりを感じた箇所があった。
それは、本編の中で3回だけ使われる「世界」って単語だった。
まあ些細なことなんだけど……。

  厳密には5回出てくるんだけど、うち1回はすずさんのお義父さんが口ずさむ歌の歌詞で、
  もう1回は、別で言われたときの回想なので3回とカウントした。

どうってことない、水原さんがすずさんに言う
「お前だけはこの世界で普通でおってくれ」っていうのと、
もう一つは周作さんがすずさんに、もう一回はすずさん自身が、
それぞれ居場所について語るときに出てくるのだけど……。
なんていうか、世界を相手に戦争をしている時代とはいえ、
この規模の日常で暮らしている人たちが……果たして、
自分たちの存在を語ろうとするときに自然と「世界」っていう範囲を意識するものだろうか?
と、彼らが当たり前のように世界の中に自分を置こうとするその意識に、
ちょっとした引っかかりを覚えたのでした。
特に根拠はないんだけどね。

でも、今の今まで足元すらおぼつかないような範囲しか見えないでいた人たちが
突然「世界」って言い出したから、
フッと意識が遠くへ追いやられるような違和感を持ったのは事実。
それをどーこーせいと言うんじゃないけど……
そう思ったよ、ってだけです。

……あー、今思い出したけどもう一回あるわ。
周作さんが大和のことを「世界一の軍艦」って紹介するなあ。
マそれもノーカンでいいや。


 ▼すずさんと周作さん、帰りの汽車でけんかする。

  「お二人さん……そりゃあ今せないけんケンカかね?」

狂おしく愛おしいシーン。
駅員にそう呆れさせた、あのシーン。
広島のすずさんの実家での兄・要一の葬式からの帰りの汽車の中で、
すずさんは周作さんに対して
「水原さんと話す時間を作ってくれてありがとう、けど、夫婦ってそんなものですか」
と、腹立ちと不服を露わにするシーン。
ここでの周作さんの、子どもっぽいジェラシーと反論がすごく良いし、
そこから発展するケンカがまた、なんとも愛おしい。
「こんなちいさなことでいちいちいがみ合っていられることの幸せ」が、
とても暖かく描かれている名シーン。
ケンカは進行しているはずなのに、言い争う中身がどんどんけちくさく、なっていくのがまた
なんとも愛おしい……。


 「ほお、怒っとったとは気付かんかった」
 「そりゃ注意力散漫じゃあ! そんな、ほげた(穴のあいた)靴下はいてきて!」
 「すずさんの繕ったのは小さすぎて履けんようなっとったろう!」
 「他のがあったでしょうに!」



って……。おふたりさん! 萌え萌えですw!
そして、呉に着いてから家へ向かう


 「ほらまた方角を間違えよる! うちはあっちじゃ! 灰ヶ峰の方角じゃ!」
 「わかっとりますて!」



っていう後ろ姿なんかもう、あー、こうやって夫婦になってくんだなあ、
こういうしょーもないケンカ、どっかで見たなあ、と……うちの両親を見るようで。
親バカならぬ、子バカですけども。

しかし、水原とすずさんに「話す時間を作ってやった」周作さんは、
深い不安と、後ろめたさにも似た複雑な思いもあったことを思うと胸が苦しくなる。
いつ死んでしまうか分からない、「死に遅れた」と口にする水原への男としてのシンパシーもあり、
すずさんが水原に心惹かれているかもしれないことに思いを馳せ
(察知していた、と言えるほどたしかな思いではきっとなかったにせよ)、
ある種強引に広島へ連れて来てしまったすずさんへの後ろめたさの代償行為でもあり、
またこの先の戦争で水原が死んだとき、永遠に失われる彼への思慕が美しく大きくなり過ぎることを防ぐため
(いっそここで抱かれておけば、現世の思い出にとどめ置ける)、という、
ことここに至っていまだ小狡くある算段もあったのかもしれない。
本当に、あのシーンの周作さんの思いには、慮ってもはかりきれないかなしみがある。
これもまた、戦争という時代が生み出した思いではある。
戦争は色んな人の人生を、ゆがめながらも一方で作ってはいたんだなあと……
怒られるかも知れないけど、思うオイサンです。
奪うことの方が、やはり多かったに違いないけどね。


 ▼マイベストすずさん of the year in 1944

さあ、お待たせいたしました。
個人的マイベストすずさん in 1944 の発表です(ナンダソレ)。
裏の畑で港とお艦を描いていたら憲兵に見つかってしょっぴかれるときのすずさん。
草色の半そでアッパッパ姿の。
このときのすずさんはちょっぴり日焼けして見えて(夏の昼下がりの光の表現かもしれないけど)、
一番健康的に見えて……妙齢の女性の色気を感じました。
色気ムンムンな時期だったと思う……。
多分この時期、周作さんとヤ(自主規制)。
いや、周作さん、帰ったらこんな若奥さんが待ってるんだとしたらそらもう
タマランと思いますよ。すっ、すずさんっ!

  ……って、この映画をそんな目で見てる瞳が世の中にどんだけあるか知らんけど。

まあまあ、品のない冗談はさておき、戦時下にあっても女性的な魅力もきっとあったに違いない、
若い人の熱量っていうのは傍にあるだけで周囲を引き付けるものがあるから、
それなりにお年寄り多ゲな地域でもそういう役割をになっていたのではないか、と思います
(適当にそれっぽいまとめ方をする)。


 ▼大和~東洋一のくろがねの巨砲、凹んだ人妻を奮い立たせる

だから表現の仕方。
イヤ、そんな目でばっかり見てるわけではないですからね……ホントに。

広島への里帰りで深刻な疾病(ネタバレを避ける記述)が発覚し、
呉に帰ってからも密かに気に病んでいたすずさんを元気づけたのが、
あの日本が誇る大戦艦・大和の帰港だった、というシーン。
いやー、やっぱ大和はすげえな! 人妻もイチコロだ(だから言い方)!
オイサンは、今の日本にも大和が必要なんだと思いますよ。エエ。
軍事力がー、という意味ではなくて、
「世界一だ」と胸を張ることの出来て、手に触れることの出来る象徴的な巨大物体がですよ。

 とにかくでけえ!
 とにかく震える!
 とにかくそこに「在る!!」

というのは、巨大質量は全てを惹きつけるという、大宇宙の真理の一つなのだなあと
しみじみ実感する。
偶像崇拝とかなんとか言われるかも知れないが、
「なんかわかんねえけどデケえなコレどうなってんだ」
っていう圧倒感は、何物にも代えがたい説得力だ。

  『ストライクウィッチーズ』の劇場版でも、終盤、
  デタラメ大和のわんぱくライン川のぼりによって全員が勇気づけられる、という
  バカみたいな(ほめことば)シーンがあったけれども、あれと同じだ。
  あと関係ないけど、
  『アマガミ』の高山御大も『トゥルーラブストーリー2』のことを、
  「あれは戦艦大和ですからw」と評していたなw
  褒めコトバ半分、揶揄半分でw 良い表現だと思う。

あと、オイサンは全編に渡って周作さんのしゃべりが優しくてすごく好きなんだけど、
ここでの「ほれすずさん、大和に『呉へおかえり』ぃ言うてやってくれ」っていう、
周作さんの台詞、すごい好きです。晴美さんの人も、ものすごい上手だよねえ。
みんな名優だけどさ。


 ▼ラスト……の表現

周作さんいうところの「選ばなかった道」である、広島に残っていたらああなっていたであろう、
しかし授かっていたかもしれない子どもを引き受けることによって、
呉と広島というすずさんに有り得た二つの人生が合流する……という表現だと理解すると、
なんとも感慨深く思う。

ただ、もしこれがそのような表現であったとしたなら、
個人的には「広島のすずさんも右半身をやられていた」というのが、ちょっと引っかかった。
広島のすずさんは左半身に傷を負っていて、
まだ絵を描くことは出来、子どもにも恵まれた広島のすずさんから
呉の、画を描くことを失ったすずさんに子どもが託される……とあれば、
表現としては分かり易かったのではないだろうか、と思う。

しかし、
すずさんの人生というのは、あってもその二通りくらいなのだなと思うと
それもまた、切実なようで、鮮やかなようで、
無闇に選択肢ばかりを背負わされる現代に生きる者としては羨ましささえ感じるのです。
が……
空襲のさなか舞い降りた鷺を追いたてるにも
「いまここへ来ちゃいけん! そっちへ逃げえ! 山を越えれば、広島じゃ!」
と叫ぶしか出来なかったすずさん、「ここ」以外は広島しか知らないすずさんに、
やはりどこか、それだけで大きなかなしみを感じずにはおられない。
あのシーンはあのシーンで……
切実に広島へ帰りたかったすずさんの、追い詰められた心を見せられる場面で……
すごく、別のかなしさでも満たれていた。
美しい場面だった……。



■Closing…



……とまあ、そんな感じで。
長々と書いてきてしまったけど、いやあ、これでやっと一息つける気がする。
本当、2週間前の日曜日に見てから、暇さえあれば『この世界の片隅に』のことを考えてしまっていた。

オイサンはシゴトバで英会話の研修を受けているのだけど、
毎週授業の冒頭で、「週末は何をしたんだ?」って聞かれるのよ。英語で。
今週は、「先週と同じ映画をまた見てきた」って言ったら、先生はびっくりしてましたね。
「So Good?(そんなに良かったのか?)
 What was the title?(題名なんだっけ?)」
みたいなこと聞かれたんで、
「『In this Corner of the World』.
 In Japanese,『この世界の片隅に』」
って教えといた。はっはっは。見に行けばいいよ。

色々と拾い損ねている部分、考えの足りないところもあって、
思い返すたびにどんな意味があったのか分からず、悶々と考えてしまっていたけど……
どうにか、これで先ずはひと段落する気がする。

ここ数日は、片淵カントクのTwitterを読んだり、アニメスタイルの連載の過去ログを読んだりしながら、
GoogleMapで呉近辺の地図を眺めてニヤニヤしている危険なおじさんです。
まだ原作には手を付けていないし、
公式アートブックなんかも買おうかどうか、まだ考え中。

いずれにしても、ほかの聖地との兼ね合いもあって、広島には行きたいなあ、と考えている。
大学時代のマブダチも住んでいるし、厳島神社も小学校の修学旅行以来また見たいし、
近くには竹原もあるし、『田中くんはいつもけだるげ』の聖地も広島だし。



最後に。



こうやって、素晴らしい作品について、わからないことや見えていなかったこと、
言葉にできなかったことをじっくり考えてことばにし、まとめていく過程は、
正直苦しくもあるんだけど、とても気持ちの良い時間である。
本当に心地の良い、夢見心地の時間だ。
すずさんのような魅力的な女性に、じっと片思いをして、その思いを綴っているのと同じ気持ちがする。
イヤ、すずさん人妻だけどさ。

きっとこの先も、オイサンはこういう時間を大切にして、
頭のオカシイ片思いを続けていくんだろう。
良い時間でした。
もう一回くらい見に行くと思うけど。

またいつか、素晴らしき物語に出会えることを祈って。
映画って、本当にすばらしいフレンズなんだね。 ← あっ


オイサンでした。


 

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2017年2月 7日 (火)

■帰港~喪失の港にて~劇場アニメ『#この世界の片隅に』・感想(前)~ -更新第1107回-

……いやはや、大変なアニメーション映画だった……。
こころをすっかり焼かれてしまって、まだボンヤリと、
頭が、あちらの世界から帰ってきていない。
そう、『けものフレンズ』の話です。


ちがいます。『この世界の片隅に』です。


一度目を見て、感想をまとめようとキーボードを叩いているうちに、
ごくごく当たり前のこととして2回目を見に行ってしまった。別な館で。

  ……と書いても「お前が2回見るの毎回やないか」で片づけられてしまいそうだけど、
  そんなことないからね!
  そういう映画のことを毎回強調して書いてるから、
  毎作品2回も3回も見に行ってるみたいになってるだけで、
  『シンゴジラ』も『レッドタートル』も『エヴェレスト』も、
  『君の名は。』も『きんいろモザイク Pretty Days』も、
  1回ずつしか見てないから。
  なんなら『きんモザ』に至っては0.7回くらいと言ってもいいくらいだ。
  イヤそれは作品自体の薄さの問題だろ。

『この世界の片隅に』、
ともかく、あの物語の世界を思えば思うほど、心はどんどんそちらへ求心されていく。
言葉にしきれない思いが渦を巻くから、
ここらでいったん言葉にしてしまわないとならない。

色々な見方が生まれてしまう作品だと思う。

戦争が主題であるとも見られるだろうし、
家族、夫婦、の愛、そんなものが主として心に響く人もいるだろうし、
出会いの妙、人間のちいささ、そんなものと思う人もあると思う。
そんな中で、オイサンの見た『この世界の片隅に』の感想を残しておこうと思う。

  いっときますけど、
  当たり前のように本筋に触れるコト込みでバンバン書いていきます。
  それだけ一応、断っておく。
  まあ話の筋を知ったくらいで、何一つ価値や面白みの減衰する映画ではないので
  未見だろうが安心して読むがいい。
  それで面白さが損なわれた! と思うなら、2回、3回と見ればいいよ。
  私の言っていることが間違っていないのがわかるはずだ。
  大体私の書き方では、なんのことやらわかりはしないだろう。



■戦争と物語

「戦争」は、この映画ではとても明確に主題ではなく、舞台立てであるように見えた。
市井の人間一人にはいかんとも動かし難い、
つぶさな現象としての理不尽なかなしみの塊……いわば運命のようなものだが、
それがこの映画における「戦争」の役どころであるように思えた。

  運命という言葉がピンと来なければ、
  自分がこの時代に生まれ生きていることを思ってもらえればいい。
  それもまた抗うことのかなわない理不尽のひとつだ。

人が、いかに考え、備え、いかに正しく行おうとも、
運・不運や善悪に関わりなく、避け得難く降りかかる、大気のような大きなひとつのこと、うねり、
それが「戦争」という姿をして、この物語世界には現れている。

そして主人公のすずさんは、戦争と「時代」に、翻弄
……と書いてしまうとどうしても悲劇色が強まってしまうのだけど、
  そうとも限らず、今を生きる私たちと同じで……
その時々の世の中が生み出すうねりに、あっちへ押しやられこっちで流され、
一見自分で何かを決めている様で、
実はそうしたものに囲われた中で最低限をにっちもさっちもいかず、
右往左往して暮らしている。

特にすずさんという人は主体性を表に出さない(芯がないワケではない)人なので、
殊のほか、ほんろうの色合いの濃い生き方、営みをされておられる……ように見える。
すずさんはそういう「ぼぉっと流されてここまできたこと」を、
悔いるでも恥じるでもなく、
それをよろしくないと思うことも(少なくとも物語のあるタイミングまでは)ない。
「ええんかねえ」くらいはあるけれど、それについて何らかの感触をもつことがない
(オイサン自身も、そこに良し悪しはないと思う)。

そんなすずさんの足跡はつまり、自分をとりまく戦争や時代など、
「理不尽」や「運命の様なもの」を含めたものに対する者の、天然の姿そのものだ。
そこに、強いドラマはない。
結果的にすずさんも(誰もがそうであるように、自分自身の人生の結果という)ドラマを得るけれども、
ロマンや指向性はない。

それは人間の(というか生きるものの)本質だ、と、いまのところ、41歳のオイサンは思っている。
風に揺れる柳、瀬に浮かび淵に淀む木の葉であって、
いっとき闘ったり抗ったりすることは、人の世の限りにおいてはあるけれども、
根っこの姿は、意志を「大きな」拠り所とすることが出来ない、寄る辺なき者だ。

そんな頼りない生き物であるところの私たちが、
「大きなもの」から無尽蔵にわき出すかなしみに囚われながら生をまっとうする内には
どんな喜びがあるのか……
そんな風なことを、すずさんという筆でもって、戦争という時代を画布に描いた絵巻だった、
と、この作品を受け取った。



■居場所と寄る辺、よろこびを見つけ出す場所

すずさんの義姉の径子は、そんなすずさんの生きざまに、
「さぞつまらん人生じゃろうと思うわ」と憐れむように慰め、理解を示した。
空襲が激化し、
すずさんが右手と、見知らぬ呉に嫁いできて以来の友であった晴美を同時に失い
いよいよあらゆる支えを失いつつある中で、
「広島へ帰る!」と周作さんに対して感情をぶちまけた直後の、
晴美の母である径子と和解する場面でだ。

  尚オイサンは、2度の鑑賞の中で、そのシーン……
  警報の轟く中、庭に舞い降りた鷺を追い立てようとして機銃掃射の的になり、
  周作さんに庇われて溝の中で泣きわめくシーンでだけ、涙ぐんでしまった。
  なぜだろう。

このときのすずさんは周作さんに対し、
郷里の思い人(のようなもの)であった水原への気持ちを断ち切るほどの愛情を、
既に抱いている。
それを捨ててでも郷里へ戻りたいと叫んだすずさんの心がどれほど切実だったか
想像に難くないのだが、
径子に上の様に言われ「ずっと呉にいたい」と心を翻し、言い出すのは……
これは想像に過ぎないが、「そんなことは、決してなかった」と思ったからだ。
つまり、
「自分の意志でなくとも呉へ嫁にきて働きに働いた暮らしは、
 つまらないものではなかった、
 広島の日々と引き換えに出来る、価値ある日々であったし、
 この先そのような日々になっていく」
と思ったからではなかろうか。

戦争という理不尽な時代の中、言われるままに嫁に「もらわれ」働か「され」て、
道を選んでこなかったのは確かだけれど、
果たして自分の暮らしの中に喜びはなかっただろか、誤りしかなかっただろか……。
そう考えたときに、そんなことはないという確かな結論を得たし、
他にもいくらかの、意地とかのささやかな感情もあって、
呉に根を下ろす気持ちが芽生えたと想像する。

「根を下ろす」というのは、この物語におけるキーファクターだ。
それは物語後半、「居場所」という言葉で繰り返し語られ、
すずさん自身の口からも、周作さんからも聞かれる。
径子は
「すずさんの居場所はここでもええし、広島でもええ。つまらん気兼ねなしに決めんさい」
と優しく投げかけた。
「居場所」は、寄る辺なき生を授けられる人間が、喜びを見つけ出す場所だ。
すずさんはそれを、周作さんに見初められ、径子と和解することで見つけ出している。

  余談だが、すずさんが呉に残る決断を下したまさにそのときに、
  広島に原爆が投下されるのは物語に置いて、演出はさりげなくも、
  あまりに劇的で象徴的だ。
  客観的に言うなら
  「広島に原爆が投下される直前に、すずさんがその決断を下した」のだが、
  これをすずさんの物語であるとすれば、
  彼女が決断することで、選ばなかった選択肢が消されたように見える。


――世界は、かなしみで満ちている。


それは、この物語の中では言わずもがな、戦争状態でなくたってそうだ。
満たされているのならまだいい。
汲めど尽きせぬかなしみに、絶えず押し流されている、と言った方が正しい。
現し世は移ろい続け、寄る辺ない私たちはそれを止められないし抗えもしないから、
どうしたって何かが失われていく。
失うことはかなしい。
それはもう、光の速さに追いつくことの出来ない私たちが背負い続ける業なのだけれども、
そうして激烈に失い続けるしかない暮らしの中で人々が口にする、
慰めにもならないような「良かった」という言葉に、
すずさんは、吹き飛ばされた右手を見つめてうたがいを投げかける。

  いったい何が「良かった」というのか。
  ここには、喪失のかなしみしかないではないか……。

無間のかなしみの中にいながら見つけ出すささやかなよろこびを「良かった」と肯定して、
そこを居場所にするたのだということを、周作さんの存在と、
晴美の母である径子の言葉から、すずさんは感じ得たのだろう。

どんどん失くなっていく、かなしみの塊でしかないこの世界で、
「良かった」を口にするための居場所、寄る辺とは、何であり、どうなのか、
どうやって形作っていけばいいのか……
その一つの在りようを、この作品は見せていた。



■主題ということについて

ところで先に、戦争は主題ではない(ように思う)と書いたけれど、
戦争や災害や、すさまじいもの、大きなものの中にいないと、
あれだけのスピードで失っていくこと……
「自分たちが常に喪失のかなしみの中にいる」ことを、強く自覚する機会は少ないだろう。
そういう意味では、この映画は戦争の映画だった、とは言えると思う。
ふつう、失くなることと生まれることは、
(少なくとも現代の日本で穏やかに暮らす限り)ある程度のバランスの上で起こるから、
あれだけ「失くなり続ける」ことを目の当たりにすることは多くはない。

また、テーマとしての愛(のようなものごと)についても似たようなことが言える。
径子に「居場所は自由に選んでいい」と言われたとき、
すずさんは故郷広島ではなく、呉という町の、灰ヶ峰のふもとを選び取り、
「居場所を得る」ことになるけれど、その契機を作ったのは、
他ならない周作さんの、彼自ら「最良だった」という選択だ。

周作さんが、すずさんを見初めて広島から呉へ呼び寄せ、
傍にあって真摯な思いを注ぎ続けたことや、
不完全ながらも夫婦や家族の形をともに作り上げたことがあり、
その結果、すずさんは呉で生き残った。
そして恐らくは……いつしか「良かった」を口にすることで、
最終的に、戦争という時代にも打ち勝っていく。

だから、この物語は、夫婦愛、家族愛の物語である、と捉えることにも十分にたえうる。
本来言語化を必要としないその営みを、
愛と呼んで心の力に変えていく人間独特のちからであるとうたっている、
ということもできる。

誤りたくないのは、
「だから居場所を得ればよいのだ」とか、「愛は戦争や暴力に勝る」とか……
そうした単純化を、この作品がやすやすと許していないことだ。
この作品が語ったのは、すずさんの肉体を通して起こった一つの例にすぎない。
そこに、戦争も愛も、テーマと呼べるようなものは単純なものはない。

一度は得た居場所・寄る辺も、すずさんはまた、戦争によって失っている。
皮肉にも、終戦という形でだ。
玉音放送を聞いた直後のすずさんの慟哭は「なぜ最後までやらない!」という理不尽な叫びだった。
すずさんは戦いを続けたいはずがない、勝ちたいはずもない、負けた悔しさがあるわけもない。
あの叫びは、言うなれば

「一番大切なものは失ってしまった、
 だから自分の『残り』全部がけずりとれるまで、ここですべてを失う腹を決めたのに、
 どうして全て炭になるまで失いきらせてくれないんだ!」

という叫びだったと思う。

「これでいいと思ってきた、これまでの全部が飛び去って行く」という語りには、
得たと思った居場所でさえも、
戦争とワンセットになってしまっていたことが含まれている。
手に入れた居場所は、我知らず「失う」という思いとひとくくりになっていて、
一度、終戦という形で一つの決意と切り離されゼロに戻されてしまった。
あの怒りは戦争そのものへの怒りではなく、その戦争をどこか遠くで作り上げてきた、
奪い、失うことを強い続けた挙句に失う事さえ取り上げた者どもへの怒りだ。

「『これでいい』と思ってきたこと」さえ……
何もなくても良い、「子供でおるのも悪うない」と思っていた自分や
「お嫁に行かなくていい」と言った自分を振り払って根を張ることを選び、
何を失ってでも……否、なかば失うからこそここを守って居続けると決めたことさえ、
最後には奪い去られたことに対する怒りだった。

あとになって思い返してみれば、すずさん自身も
「なぜあの時あんなふうに思ったのだろう、叫んでしまったんだろう」
と思うかも知れない……やりきれない、混濁した、理不尽な思いは胸を打った。

また、親子、家族、夫婦の愛が戦争に負けない――そんな話でもない。
それらが惨めに蹂躙され、暴力に屈する場面も冷酷に描かれている。
原爆に焼かれて故郷の呉まで、山を越えて辿り着いたものの隣保館の傍らで力尽きた、
焼けただれて変わり果てた我が子をそれと気付けなかった、母親の姿がそれだ。
片桐さん……だっただろうか。
そんな、ひとがいつも最後の旗印に掲げたがる武器でさえ、
大きな出来事の前では、ぽっきりと折れる些細な杖でしかないと突き放してもいる。




けれども、そんなものをよりどころにして生き、
「良かった、幸せな人生だ」といつかどこかで口にしなければならない、
そんなか細い、喜びとかなしみの矛盾に組み成された、人の営みの姿を描いた作品だった。




  ……人に限らず、この世の命は皆そうなのだろう。
  進化の過程で言葉や知能を置き去りにした者たちが、
  そのことについてどう感じているかは分からないが、
  彼らはそれに納得したがゆえにそれらを置いていったに違いない。

ところでこの映画を見ていて、「平和ボケ」ということもまた、考えてしまった。
それは狭義な、戦争がどーとか、危機感がこーとかいう意味に留まらず、
自分の人生が特別で安全なものであって、
「デフォルトで」理不尽やかなしみと無縁に守られているものであると思いこむことだ。
この映画が非常な稀有なもの・物語として評価されていることの背景には、
その広い意味での平和ボケ
……自分の人生の安全を生命由来のものと無意識に思い込むこと……
が、ケガや病という日常のレベルで入り込んでいることがあるんじゃないだろうか、
と思った。



……マそんなことで……。



どこまで文字にしても上手くまとまり切らないし、それも当然なのだけれども、
これが、多くの人が「言葉にならない」「一言で語れない」「感動とか泣いたとかじゃ語れない」と、
言葉にすることから手を引いたこの映画の、正体の一部だったと、オイサンは思う。
ひとりの女性が得た史実なのだから……通りの良い結論などなくて当たり前だ。
素直に混濁した思いと、何によって救われたかがあっただけだ。

それがゆえに、わかりやすく説教臭い
「辛く苦しくとも、明るくしなやかに生きていきなさい」
といったようなメッセージはここにはない。
それを全く感じさせないのが、またこの映画の凄みのところだ。

ここまで書いてきたことをまとめると
「人間存在のちいささ」みたいな、味もそっけもないあやふやな言葉になってしまうが、
そのことを丹念に丹念に、ひとりの人間のからだを通じたつぶさな記憶へと描き込んでいるから
誰の手にも届く、手触りのある形になっているのだろう。

そしてまた、そのための手はずとして、
史実や、当時の風景とのリンクを石ころレベルで図ることがあったのだろう。

地続きとも思える時代の水分を持った風景の中を、ただひとえに、
こうやって生きた人がいたかも知れない、
生きていくことが出来たかもしれない、
この先、出来るかもしれない、という一つの具象として描くこと。
「こういうことがありましたよ」と、ただただ真摯に謳うのみだ。
自分の瞳の端にも掠めたかも知れない、人影の物語。
だからこの物語は単純な悲劇では終われないし、時代を悪しざまに批判するものでもない。

争い、理不尽、暴力への憎しみは、
いたいけなすずさんの姿を映して当然心に芽生えるけれども、
それはまた大切な別の契機として、心のどこかへ持ち帰ればよいと思う。

ところでこれは偶然知ったことだけど、『この世界の片隅に』のタイトルは英訳されると

  『In this Corner of the World』

となるらしい。監督がそのようにしたそうだ。
記者に質問された際、『In the Corner of this ...』と言われて訂正したという。
つまり、「この」は「世界」にかかるのではなく、「片隅」の方にかかる、と制作側は考えている
(原作者の意向が反映されているかはわからないが、監督の原作へのほれ込みようを見るにつけ、
相談はされているだろうと思う)。
だから、より限定的に、日本語的にタイトルを言い直せば、
『世界のこの片隅に』が、言葉としては厳密かつ的確になるのだろう。
「どこをも中心、どこをも片隅と捉え得る、球状をした世界のあまねく片隅」ではなく、
「『この』東の果ての日本の、広島・呉という片隅」ということが強く主張されている、
と考えた方が良い、というメッセージだ。

しかしそれはあくまでもすずさんという女性の人生を思ったときのことであって、
この作品を見た私たちは、誰もが自分の帰るべき片隅に持ち帰って欲しい、という広がりを、
合わせて謳っているように思う。

すずさんの得たものが唯一解でない用に、
「this corner」はあまねく個人の視線の先にあるthisであってよいと、
そう言っているように、オイサンには思えた。



……と、ここまでが総論。
ここからは各論というか、オイサンの好き勝手な話になっていくので
(ここまでは好き勝手じゃなかったつもりか)、
一旦ページを改めます。


ほなまた。オイサンでした。続く。




 

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2017年2月 4日 (土)

■アバズレ吊り広告たちの進捗 -更新第1106回-

役割だ、立場だ、
そんなものにいいようにされ得意げに口にした手合いのすることに、畢竟なんの価値も伴わない。
正義を見つめろ。

オイサンです。
デンワがAndroidさんになって以来、えらくコンビニエンスな毎日を過ごしております。

うーん、手軽に色々手が届くなあ。ホントにPCいじらなくなりそうだ。
ネックだった文字入力も、アルテキーボードの片手入力が随分こなれてきてしまって、
ブラックベリーでの両手入力よりも速い、とは言わないまでも、
自分でストレスではない程度の速度で打てるようになってきてしまった。
大したもんだ。

 ▼アルテ日本語入力
 
 マとはいえ、さすがにこれで長文入力は出来んがね……。


せっかくなので、これを機会にスマホげなゲームにも手を染めてみようと思い
ナンボか試してみているんだけど、それはやはり受けつけられずに
どっぷりやるまでは至っていない。

どのゲームにしても……シナリオの導入が雑of雑、雑の中の雑で、

「んな細かい設定とかどうでもいいだろ!
 エロい2次元お姉ちゃんイラストくれてやるから
 さっさとガチャ回してカネ落とせやオラァ!!」


みたいな態度が腹立たしい。
物語を楽しむ人間の心をなんだと思っているんだ。
このままでは、日本のカジュアルな物語はダメになるぞ。

  ……冗談で大げさに書いてみたけど、ワリと当たらずとも遠からず、
  深刻な事態の気がするな……。
  あの、ソシャゲのストーリーの導入、ホントひどいと思いますよ。
  制作サイドの皆さん、もっとまじめに考えて取り組んで作ってください。

あとイヤなのが、メイン画面というか、メニュー画面?


  「ナントカイベント、○月×日まで!」
  「ログインボーナスでXXゲット!!」



とか……お前は一体、ゲームのこっち側の話をしてるのか向こう側の話をしてるのか、
こっち側(現実)の話をしてるなら、ちょっとゲームとはヨソの枠でやってくれんか、
俺はこれから現実とはかかわりのない、架空の世界で楽しみたいんじゃよ!!
……っていう気持ちになるし、
週刊誌の電車の吊り広告か、旅行専門誌のレイアウトみたいなこれは、
欲望丸出しで品がない……。


このあばずれどもめ!!


なんていうか、こう……誰かが最初にこのフォーマットを拵えて
業界皆が標準にしてしまったんだろうけど、
最初にこのフォーマットを考え、良しとした人は、エンターテイナーではないね。
商売人だね。
架空・虚構の世界で楽しんでもらおうという、本来の目的と気概を見失っておる。
というワケで、やはりやってない。
ぷんすこぽん。

代わりに……と言ってはなんだけど、「アこれは上手だな」と思ったのが、
ニュースアプリの『ハッカドール』。
これは切り口が面白かった。
あくまでもメインはオタク系キュレーションニュースアプリなんだけど、
2次元美少女アバターがついてきていて、
アプリを使う、ニュースを読むとアプリ内ポイントがたまって
アバターと遊んだり、ストーリーを読んだりできるという、
虚構娯楽部分は実用のオマケ、というスタンスで構成されている。

なので、虚構部分に物語的な「導入」は必要ない(あくまでもアプリの機能の一端なので)し、
そのワリに、生活に密着してくるからキャラクターには変な愛着がわくし(ペットみたいなもんで)、
「手間を合理的に省きつつ、暗に物語を構成しながらキャラクターを成立させている」
という、なかなかキワまったことをスラっとやってて、おおこれは、と感心してしまった。
イカス。
一種のARゲームですよ。
……と思ったら、やっぱりなんか、アタマ良さゲなダメな人たちがこしらえておられるご様子。

  ▼「週5日つかうユーザーが70~80%」DeNAのオタク選抜がつくったニュースアプリ
   「ハッカドール」が驚異的なアクティブ率を保てる理由。

   http://appmarketinglabo.net/hackadoll/


マこちらも商売っ気がゼロなのかと言われたら、DeNAさんですし、
ニュース見出しの隙間にアプリの広告とか挟まってくるのでそんなことはないのだけど。
極端にやいのやいのチラシを投げてくるでもないな。

ていうか、こんなもんフツーに『NOeL』の続編アプリつくれば一発なのに、
なんでやんないんだろうねえ。
『ルームメイト・井上涼子』に先を越されたって知らないよ!!(越されるかバカタレ)

……なんか妙に、ステマっぽい内容になってしまったな。
マ別に、いつもか。
普段も適当に、好きなモンを褒めてるだけだな。そうか。いつもステマか。


……まあそんなに、ニュースも見やしないんだけどね……。
オイサンでした。


 ▼ハッカドール THE Animation
 
  OPは好きだったが、本編はほとんど真面目に見なかったな……
  ♪マイノリティ⇔マジョリティ、どっちもネ楽しいよ♪





 

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2017年1月22日 (日)

■はじスマ!~はじめてのスマートフォン~docomo シャープAQUOS EVER SH-02J 使用感など -更新第1105回-

長いこと同じ町に住んでいたり、同じ店に通ったりしていると、
知り合いではないけれどもお互いなんとなく顔くらいは知っているという御仁が幾人か出来るようになる。
言葉を交わすことはないが、それなりに定期的に顔は合わせるという程度の、だ。
そんな彼らの風貌から、
いつの間にか白髪が増えたなとか、老けたな、痩せたな太ったな、
どこかうらぶれたな、などと時の流れを思うことが少なくない。
きっと彼らから見て、オイサンも
「あの人は、初めて見かけたときからすると随分と年をとったな」
と見られているのだろうと思って初めて、時の流れの恐ろしさに戦慄する。

今の町に移り住んで14年になろうとしている。
小学校に上がったばかりの子供が成人する時間が過ぎた。
そうして比較するものでもなければ、
自分に訪れ去っていた時の量を量ることは難しく、
なるほど時間の流れも相対的であるとしたアインシュタインさんはなかなか賢いなと
思い至るのんきなおじさんなのであった。


オイサンです。


昨年最後の日記で、いよいよブラックベリーさんとお別れしたことを書いた。
デいまは新しく、SHARPさんのAQUOS EVERさんとどーにか仲良くなろうとがんばっておるところ。

スペック何やかんやについては、公式のページをご参照ください。

 ▼AQUOS EVER SH-02J
  シャープ公式 : http://www.sharp.co.jp/products/sh02j/
  ドコモ公式  : https://www.nttdocomo.co.jp/product/smart_phone/sh02j/
  価格.com   : http://kakaku.com/item/J0000021976/spec/#tab



■Androidという「環境」

あのですね、AQUOS EVERさん個人の能力がどうこういう以前に、
まずオイサン、スマート電話ってべんりだな! って思いました!
ブラックベリーさんごめん!
でもAndroid電話、ちょうべんり!
そりゃお前、高校生・大学生くらいがPC知らずにいきなりコレ持ったら、
特別な用途を指向しない限り、PCとか要らんわって思うよ。
「超長い文章を打ちたい」とか、
「超絵ぇ描きたい」とか、
「超綺麗な写真を撮って超見せびらかしつつ超保存したい」とか。
そーゆーのない限り、「フツーに」暮らす分には、十分過ぎるもの。

電話、メール、SNS、web、地図、写真、メモ、天気、交通情報……そんなもん?
超必要十分。
ブラックベリーさんなんかお前、この中でまともにやれんの、電話・メール・SNSくらいのモンよ。
日本じゃ。ホントに。
天気予報だって、日本の予報をツブサに見られるのなんか、ないんだもん。webは遅いし。
その分、メール・SNSの入力については超マッハだけどさ。そこはお墨付きだよ。
追随を許さないよ。追随ずっころばしだよ。
ああ。

  マけど、アプリは豊富なんだけど、GooglePlayは、ちょっと探しづらいよね。
  網羅性が低いというか。なんかこう、別にランキングとか人気とかいいから、
  隅っこの方まで細々探したい系男子には向かないね。

オイサンたちはそれ以前のリッチな……
言ってしまえば「過剰に贅沢な」PCでの環境を先に知ってしまっているから
「よくこれだけで満足できるな!」って言うケドさ、
それは舌が肥えてるっていうのと、まあ同じですよ。

  オイサンだって「よく生身の女とセックスしないで我慢できるな」って言われたって、
  そりゃそっちを知らないから二次元で必要十分だって思ってるわけですよ。
  必要十分だし。うるせえなほっとけよ。

アプリも一杯あるし、サクサクふにゃふにゃ動くし、カスタマイズも楽しめるし。
立派だ。
オイサン感動しちゃった。ゴメンなブラックベリーさん。
君のことは今でも好きだよ? 持ってるだけでオンリーワンだった。
ガイジンに「お前なんでそんなの使ってんだよ、それでも日本人か」って言われたのは衝撃だった。
お前の国のスマホだよ。
ガラパゴスは日本のお家芸だよ。



■お値段

「本体価格5万何千円」とか書いてあったので、
お安くなる! と書いてはあれど、
「どうせ2年とか3年とかかけてそれを払うんでしょ」と思っていたが、そうではなかった。
FOMAからは乗り換えサポート割引とかがついて8000円くらいで済んでしまった。
本体代金、ソレで全部。
ムウ、そんなに安くなるのか、だったら……と思って、もともと狙っていたARROWSさんの方も見直してみたけど、
そっちはそういうサポートお値引対象外だったワイ。しっかりしておる。
尚、docomoのMONOはそれを適用すると600円とかになるようだった。
600円て。気の利いたガチャガチャか。
マそんなんで、ヘタすりゃ10万円くらい吹っ飛ぶ気持ちで臨んだものの、10分の1以下で済んじゃった。
ドコモさんも、お客を繋ぎとめようと必死だ。



■大きさ・重さ

重さは、気にならない程度。胸ポケットに入れてても邪魔には感じない。
時々どこに入れてたか忘れる。
大きさも、持ち歩く分には全然問題なく、
ジョギング時にはポケットに入れて走っていても、やはり気にならない。

  まあ冬なので、そもそも着ている物が重いしポケットもたくさんついてるから、
  それで「気にならない」感じになっている可能性はある。

手に持って片手で操作するに当たっては、
5インチのこの大きさではやはり逆サイ(右手で持つと左端)へは親指が届きづらいし、
対角線上となると先ずムリ。縦方向へは、随時本体を掌の中でずらしながら使うしかない。

けどまあ、ブラックベリーさんを使うときも大抵両手持ちだったオイサンには、
それはあんまり関係がないハナシ。
キーボードもqwerty設定で使っているし、
左手で支えて右手でちょんちょん、という使い方をする場合が殆どです。

大きさ的にこの大きさがウリ、というわけではないので、
もう一回りだけ小さいとより良かったかな。



■耐久性

……は、別にとくに試験はしてない。そりゃそうだよ。壊れるよ。
一応、ケースを嵌めて使っている。
(TPUだったか、クラレの新素材だか忘れたけど、どっちか製)。

本当はもう少しゴツめのバンパー的なものが欲しかったが、探しても見つからなかった。
しかし、先日ステッカー貼ったろと思って一回ケースを外して持ってみたら、
「え、剥き身だとこんなに小さかったっけ?」
と驚くほど小さく感じたので、これよりさらに一回りも大きなバンパーとか嵌めたら
ちょっとうっとおしく感じるかもしれない。

ディスプレイ面には、カタさ9Hとかのカッタイガラスを貼ってます。超防御。
……しかしこの9Hのガラス、
「落っことしたら表のガラスは割れずに内側の本体の液晶だけ割れた」とかいう
非常にオイシイ事例もあるご様子。
衝撃吸収せえよwマ油断せず、落っことさないように扱いたいと思います。

……とか言ってる間に、ヨドバシのトイレで一回落としたし、
釧路でスッ転んだとき、左胸ポッケに入れてて左からいったんだけど、
どちらも無傷だったので……マとにかく、その程度には頑丈、と思おう。



■バッテリー

電池のもちは……いいと思う。うん。いいと思う。
なんでこんな煮え切らない感じかというと、
ブラックベリーさんが最早開店休業状態で、
100%充電からでも半日もたずにおやすみタイムを迎えてしまうような状態だったから、
大抵のフツーに動く電源であれば「長い」「快適」と感じてしまうのだw!

  だってブラックベリーさん、
   100% →(あっという間)→ 70% →(ちょっと早め)→ 30% → 突然落ちる ← ここまで半日
  みたいなんだったんだもんw

だがそれではAQUOS EVERさんの評価にならないw
オイサンの使い方としては、

 ・twitterは日がな一日繋ぎっぱなし・定期更新
 ・メール送信2、30通(自分のメモ用が殆ど)
 ・webはチョイ見程度(~30分)、動画・ゲームなどは使わない

その使い方で、朝から無充電で使ってても、日に60%より下になったのは見たことが無い。
先日の摩周湖へも連れて行ったけど、
零下10℃の中で5時間ほど胸ポケットの中に入れっぱなしにしていても
帰ってから残量を見たら90%以上残っていた。「休ませる」ことについては一級品のようだ。

うたい文句では「無充電で3日間使える」とあるが、
マそれは3日目は青息吐息で無理やり生きながらえさせる、みたいな使い方の場合だと思う。
けど、オイサンの使い方なら、Twitterをいくらか制限しさえすれば、
2日は持つんじゃないかなーと思う。そのくらいのモチ加減。

一応、モバイルバッテリーも準備したけど。ANKERの13000mAのやつ。
モバイルバッテリーの実際に充電に使える容量は、
フル容量の60~70%程度と聞いたので、それでも3回は満タンに出来るであろう。
いま試験使用中。
ひとまずAQUOS EVERさんとANKERさんをどちらもフル充電して、
AQUOS EVERさんが30%にまで下がったらANKERさんで充電する、というので
最後にAQUOS EVERさんが空になるまで何日もつか、という感じで。


 ▼アンカーPOWERCORE13000
   


いずれにしても、他のスマートフォンとの比較は出来ず、
オイサンにとっては、今後このモチ具合が標準、ということになるぞ。



■画面

解像度は、1280×800のHD。十二分に見やすいのではないでしょうか。
表示方面でも、目に優しい照明切り替え機能とかあるけどあまり使っていない。

オイサンは、撮った写真は大体FullHD(1920×1080、3:2の物は1620×1080)に縮小して持ち歩くので、
それを無縮小で見られないのがちょっと残念だが、
マそれはタブレットですれば良いだろう。

画面の縦横回転を、
「縦固定か、ジャイロ自動認識か」の2択でしか制御できないのはちょっと不便。
任意に横固定出来る設定も欲しい。
あと、デフォルトの画像ビューアくらいあってもいいんじゃないだろうか、と思う。
画像の回転、反転くらい出来るやつ。
なんでないんだろ。まあブラックベリーさんにもそんな良いモノなかったけど。
ディスプレイの話じゃないな。

見づらいとか反射するとか疲れるとか、特に不自由は感じない。
タッチ感度にも不満はない。
不満はない=フツー、のレベルで話してるけど、結構すごいことだよな。
立派です。



■カメラ

カメラについては、まだ研究中。
アラフォーたちに見せびらかしてもらったiPhoneのカメラほどは、
なんだろうか、劇的に優秀ではない気がする。
地味な印象。
それなりにちゃんと撮れる、くらい。

今のところ「これで十分、これだけあればコンデジ要らないなあ」とまでは、到底思わない。
メモにはなるねー、ぐらいだろうか。ブラックベリーさんよりはいい。
まあこれは、もう少し道具として使いこなしてみないと見えてこない世界がある気がする。

一応フルマニュアルモード(シャッター速度・ISO・焦点距離をいじれる)があって、
かなり好きにやれそうではある。
どうにかうまいコト、マクロっぽく後ろを暈したり出来ないか研究中。

このカメラ(というか、ケータイカメラというデバイス)ならではの味わいは、
使いようで出せると思う。トイカメラ的な遊び方として。

……が、如何せん、操作性が悪い。
各項目の調整をタッチパネル上のゲージでやることになるので、
狙ったところに持っていくのが難しい
(SSを1/160にしたいのに、すぐ1/240とか1/80とかまで行ってしまう など)。
ゲージをじかに触って動かすのではなく、ドロップダウンリストかダイヤルみたいに数値を選択する方が、
設定のしやすさという意味では良いように思う。
ただそうなると、ISOなんかの「蛍光灯・晴れ・曇り」みたいな目安が分かりにくくなるから
その辺は別クチで考えどころだけど。
フルマニュアルで調整可能な項目がちょっとヘンで、

 ・ISO
 ・シャッター速度
 ・F値
 ・ホワイトバランス


とかじゃなくて、

 ・ISO
 ・シャッター速度
 ・焦点距離(単位が分からん)
 ・コントラスト
 ・彩度
 ・明瞭度


とか、なんか画処理パラメータみたいなのが出てくるので、ずいぶん普段と勝手が違う。
まだその辺は試せていない。
面白く使えるようになるといいな。

如何せん本体が薄いし、シャッターキーが液晶上なので、
どうあがいてもブレそうですごい難しい。マうまいことやってくれるんだろうけどさ。
普段使ってるカメラがカメラなので、人任せで上手にやるのはすごい緊張する。

以下、実際に撮った奴。

Dsc_0006 Dsc_0068

Dsc_0079 Dsc_0081 Dsc_0126

Dsc_0189






■操作性と、打鍵のしやすさと、歩きスマホと~
       (便利さ+見やすさ)×入力のし辛さ=危ない



▼操作性。
タッチとかスワイプとか、いわゆるスマートフォンとしての操作性は十分。
何が飛びぬけて良いとは思わないけど、ここがダメ、というところも特にない。
まオイサンの場合、すぐに「これはこういうものなんだろう」と納得してしまうから
呑みこんじゃっただけかも知れないけど。いずれにしても、ガマンならぬほどダメなところはない。

とても便利ポイントには、指紋認証ロック解除がある。
思いのほか精巧で、ちゃんと動く。もっとヘボいかと思ってた。
指を左右何本か登録できるので、
「自分に、どういう持ち方のバリエーションがあるか」を一度確認して、
「こういう触れ方をしたときにサッと解除になってくれると嬉しい」指を登録しておくと
スムーズにやりたいことに移行できる。なかなかです。
解除 → イキナリアプリ立ち上げも出来るようになっている
(特定の指で解除したときに自動で立ち上げるアプリをセットしておける)。
マ使ってないけど。

尚、認証に連続5回失敗すると、一定時間たつまで指紋による解除は受け付けられなくなるけど、
通常のパタン解除(星をなぞるやつ)は効くので不自由することもない。
よく考えられておると思います。カイテキ。

  エモパー(音声ガイドエージェント。Siriみたいなの)とか、
  イルミネーションみたいな見た目寄りの機能は、あるけどOFFにしている。

電源キーとボリュームキーが近くにあって、押し間違えることが時々ある。


▼音関係の設定が、ちょっと大雑把で困った。
音のカテゴリーが「着信」「アラーム」「メディア」の3つに分かれていて、
設定の組み合わせが3種類しかない。

 通常マナー:着信:× アラーム:△ メディア:○
 サイレンス :着信:× アラーム:× メディア:×
           :着信:× アラーム:× メディア:○


   ×:鳴らない ○:鳴る △:アプリ依存

個人的には「着信:× アラーム:○ メディア:×」が欲しかった。
メディアは鳴らしたくないのだが、サイレンスにしてしまうと軒並み全強制OFFで、
アラームが鳴らないのは困る。
アラームはアプリでどうにか対処したが、メディア音を常時強制OFFする方法がないかは模索中。

定期的に、あんまり重要とも思えないシステム通知が来るのは頂けぬかな。


▼文字入力には……まだ慣れない。
当たり前だ。ブラックベリーさんの物理キーボードはそれほど優秀だった。
ソフトキーボードは、基本QWERTYで使っている。文字入力時は両手だ。
片手になるときは、アルテ配列で使っている。

ブラックベリーさんがやはり偉大だったと思うのは、
手元をほとんど見ないでも打鍵できたことで、歩きながらでもかなり前を見ていることができた。
意識が手元にいってしまって前がお留守になることはほとんどなかったのだ。
そもそも画面が小さいから、物理的に視界を占めるエリアが小さい、というのも
理由としてあるかもしれない。
だから、正直オイサンは、世の中の歩きスマホ危険運動について、
「みんな不器用だな、そんなに危ないか?」
と思っていたのだけど、

それがいま、AQUOS EVERさん……このサイズのAndroidスマート電話さんを持ってみて、
その危なさが身に染みた。あぶないわ、これ。
つまり、

 画面が大きくて見やすい(それ以外に意識がいき辛い)
  +やれることが多い&楽しい
   +それなのに入力はし辛い(作業には集中しなければならない)

の3連コンボで、あぶなさ超MAX。
手元に気を取られ過ぎる。これは意外な発見だった。こんなに差があると思わなかった。
ぶつかったり落っこちたり、するわ。
ね。
皆さん、歩きスマホはやめましょう。
歩きスマホどうしてもしたい人は、ブラックベリーさんを推奨します。
スマホじゃなくなるけど。歩きブラックベリー、という新ジャンル。

純粋な文字入力・文章編集というところに立ち返ると、
単純に「打ち込む」ということ以外では、

・文字列選択など編集面でもブラックベリーさんに軍配が上がる。
 やはり「キー+カーソル」で、明示的に選択指定できるのがイイ。
 ゆび先でやるとなると、やはりある程度、
 開始位置・指定位置に幅なりズレなりを意識しないといけない。
 慣れていくしかない部分があって、ストレス。
 感覚を養っていくしかないのだろう。ゆびが細い人はそうでもないのか?

・「コピー」「切り取り」「貼り付け」を、長押しでしか呼び出せないのもなあ、と思う。
 文章を構成するにはある程度リズムが必要だから、
 長押しではリズムが狂うところがある。

・入力のし辛さやブレ・ズレが見込まれている分、
 androidさんは推測変換などが素晴らしく発達している。
 多少打ち間違えても、推測でカバーしてくれようとする。その充実ぶりには感心した。
 ……が、なるたけ変換に頼らず自分の手で最後まで打ち込みたい系男子のメンドクサイ自分としては、
 出来るだけ推測結果には頼らず自分の手で打ち込みたい欲求がある。
 推測変換をしてくれるのはありがたいのだが、
 たとえば「あ」と打ったら、まず変換候補のアタマには「あ」と「ア」と「ア」と「ァ」は、
 かならず不動で出て欲しいなあと思う。推測結果が出るのはそのあとからであって欲しい。

しかしまあ……本格的に、このテの板型デンワ機を初めて持つので
(2週間ばかり代替機として借りたことはあったが)思うけれども、
いやあ、一見ホントただの板なのに、なんていうんでしょう、この、
人間の生理の方を突き詰めて、この板を徹底的に触りやすくするインターフェースの作りこみには、
執念を感じますね。
スゴイです。



■最近気になること

使い始めて3週間になろうとしているけど、最近ちょっと気になるのは、
「XXX(アプリ名)に問題が起こったので停止します」
という現象と通知が、日に1~2回くらいの頻度で飛び込んでくること。

アルテキーボードと、基本のランチャーと、ファイルマネージャのアプリで言われたかな?
あと、たまにTwitterクライアント(TwitPaneを使っている)も反応しなくなって
「停止しますか?」って聞いてくる。
聞いてくるワリに、「いいえ」を選ぶとそのあとフツーに継続して使えてたりする。
なんやねん。

そんな重たい使い方をしているつもりはないが……重いのだろうか。
落とし忘れない限り、同時にたくさんのアプリを立ち上げたりはしていないが。
あたしって重いオンナ? ← 自分に酔うな

気になるのは、
例えばメールや、Twitterや、基本ソフト(電源管理・電波管理・音声管理)やなんかの通知が、
ずっとディスプレイ上縁に常駐してるでしょ? アレ。
立ち上げてもいないソフトでも、たまに通知を出してくること。
通知を出してくるということは、あれらのタスクは常にor定期的にモゾモゾ動いているワケで、
あれらがメモリを食ったり、電池を消費していると思うと、
正直、気分が悪いしキモチワルイ。
要らない物は停止+無効化設定しているつもりだが、
切っていいかワカラナイ・対処しきれないものもある。

オイサン細かい性分なので、ああいう
「自分でコントロールしてないものが、動いてるのが目に見えてしまって、
 どのくらいの重みなのか分からないの」ってジワジワする。
そういうものが重荷になってないか分からないし、
「放っといてもいい、気にしないさじ加減」がまだよく分からヌ。

アプリごとのメモリ使用量・通信量とかは見てるけども。



■Closing

マそんなところで……。
一長一短、というか、システムが違って不慣れなところで戸惑うことはあるけど
概ね良好な感じ。
んでもアンドロイドさんくらい生態系がしっかりしていると、そういやり辛さがあっても
アプリを引っ張ってきて解決する、ということが出来るのが強いなあと思いました。
根本的なものはどうしようもないにせよ。

しかしこうして感想を書いてみたところ、
大抵どんなスマートフォンでも、基本的な機能・性能は変わらんのだろうな、
と思うとどうにも味気ない。
どの端末について感想を述べても、きっと書くことはそこまで大きく変わってこないんだろう。
素人が素人目に見て素人目に抱いた感想が、変わってこないというのは……
なかなかシンドイ世の中だな、と思う。

重箱の隅を突くように、あれやこれやの数値や根拠を持ってきてようやくでなければ
「ここがこういう風に良い、素晴らしい」
と言えないというのは……国民に総玄人になれ、と言っているようでもあって
なかなかシンドイなと思う。取捨選択も難しいしね。
マどれを持ってきても失敗しないという意味で、ある意味恵まれてもいるのだろうけど。
ピッとした面白みに欠けるというかね。
マまだスマートフォン一台目のオイサンが言うのもなんだけど。

案外この子はとても優れた良い子で、
他を選べば、落ちるわ壊れるわ反応しないわ写真は汚いわ、
っていうこともあるのかも知れぬし。

あーあと、アクセサリーがやっぱりまだ少ないね。
それこそブラックベリーさんに比べれば夢のように多いけど。
吉野屋とすき家くらい違う(地味な比較)。
スマートフォンの世界がこんなにiPhoneとXperiaさんばかりを中心に回っていたとは
気付いていなかった。
背面がボンヤリ透けるくらいの、
ビビッドな黄色のシリコンバンパーが欲しいと思うオイサンでした。

蝶野大使のアンテナショップで買ったガルパンの給油口ステッカー貼ったから、
いま背面がこんななってんの。


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裏面だもんだから本人ときどきそのコト忘れて使っちゃうけど、
電車で立って使ってるときとか、正面で座ってる人とかびっくりしてるかもなので、
ちょっとそれを薄められたらいいなと思う。
尚、現在の待ち受けはこんなん↓↓↓

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えろい。武部ラブか。
おあとがよろしいようで。
オイサンでした。





 
 
 

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