2017年3月16日 (木)

■コンガを打ち狂うことがクリエイティビティだと呼ぶ世界で、スマホは。 -更新第1116回-

携帯電話を、ブラックベリーさんからアンドロイド電話に換えて以来、
それを使って出来ることは増えているのだけど、特に何かを増やしている感じはない。
相変わらずTwitterをし、
ヘンなアプリを探しては試してみたりしてるんだけど……
そこに、もどかしさを感じている。

快適なモノだから、その機械をいじっている時間は増えて、延びているのだけど、
やっている内容は変わっていない。
つまり、いじることに飽きつつはあるのだが、
そうじゃないんじゃないか? 使い方が間違っているんじゃないか?
……と、感じ始めている。

なんかもっとうまい使い方があるんじゃないだろうか。
これだけ性能が高くて多機能なものなんだから、
もっと変な、
もっと楽しい
もっとこう……クリエイティブな使い方があってもいいのではなかろうk……

  ッキャーーーーーーーーーーー!!
  いやだ!!
  「クリエイティブ」!!
  「クリエイティブ」だって!
  「クリエイティブ」ですってよ奥さん!
  聞いた!? あちらのだんなさん、「クリエイティブ」なんですって!
  まぁーいいわねえ! うちの人も始めないかしら、「クリエイティブ」!!
  うちなんかもうとんとご無沙汰で!
  若いころはあんなに「クリエイティブ」だったのに! 毎晩毎晩!!
  恥ずかしい!
  四十またぎの一般サラリーマンが!
  「クリエイティブ」!!
  いーーーーーーーーやぁーーーーーーーーー!!
  「アバンストラッシュ」!!
  はわー……。
  いやぁー照れた照れた。///  ///

まあ、クリエイティブというか。
なんかこう……もうちょっと、お仕着せの遊びをするばかりではなくて、
自分で何かを作り出す助けになる遊び、いじる余地のある遊びを……ね。
これを使って出来ないかなあって、そのくらいのことなんですけど。

イヤすみませんね、フツーのオッサンがクリエイティブとか言って。
ホントごめんなさい。
いやーもう。
お恥ずかしい。
ダメですよね、オッサンがクリエイティブとか、オリジナリティとか、個性とか言ってちゃ。
クリエイティブ死とか、オリジナリティ死とか、個性死とかするわ。
心のコレステロールが致死値に達するわ。
コロシテロール。
もっとこう、オッサンなんだから、
人の敷いたレールの上を、人のフンドシ締めて、大手を振ってノッシノッシと歩くくらいでないと。
ユニディで売ってるレールですよ。IKEAのやつはダメですよ。
ユニクロかシマムラで売ってるフンドシですよ。GUのはダメですよ。
ねえ。
コモディティ化していこうじゃないですか。
アリモノで済ませていこうじゃないですか。

マそれはどうでもいいや。
そんなことをですね、
あ、そんなことって言うのは「スマホをもっとマシな遊びに使おう」ってハナシの方ですよ、
そんなことをですね、ヌルヌルと液晶に指を這わせながら思っているワケですよ。
おかしなゲームばかり探してる場合でもないな、と。
まあオイサンのAquos everさんなんていうのはハイエンドでもなんでもない普及版ですンで
そんな大した、重たいことが出来るようには出来てませんからアレですけれども。

なんかね。
もどかしい。
感情を形にして残しておけるような、
ねえ。
常に手元にあってサッと使える物なんだから、
頭を使う前にサッと感覚的に操って大事なことを残しておけるような。
そういう使い方が出来ればいいなあ、と思ったりしてるけど。

……カメラを自撮りモードにして、
自分の顔が液晶に映るようにして、
液晶に映った自分の顔をかいてあげたらカユいのがおさまる、
みたいなアプリありませんかね。
何を言ってるんだ?

類語同士を結び付けあった、類語マップみたいなものはないかと思うんですけどね。
視覚的辞書ツールみたいなの。

マそんなことを思って、手始めにこんなものを入れてみた。
最近、ノートに手描きすることも多くて、
そっちの方が使い勝手はいいんじゃないかって気がするな。


 ▼ハルナアウトライン
 https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.blogspot.halnablue.HalnaOutlinerLite&hl=ja

 ▼コンガボンゴ
 https://play.google.com/store/apps/details?id=br.com.rodrigokolb.congasandbongosfree&hl=ja
 延々コンガを打ち続けられるアプリ。


……とはいえ、オイサンのは決してハイエンドではない普及モデルなので、
そんなに重たいことがスイスイできるわけではない(らしい)。
買い替える時も、初めてのアンドロイド電話だからということでハイエンドは志向せず、
画面解像度も抑え目に、という方針で選んだけれども、
さっそくこういう方向に欲が出てくるとは思わなかった。

  とはいえ昨今の「ハイエンド」が何を可能にしているか、
  何を指標にして「ハイエンド」の必要性を判断させているかといえば、
  「3Dグラフィックをぐりぐり動かせる」
  「3Dのゲームをガリガリやるかどうか」
  みたいなところにあったりするので、
  オイサンの考えているようなことと「ハイエンドであること」が、
  直結して相関し合うかと言われれば、あんまりそーでない気はする。

  マそうでなくても、一番の優先事項は「バッテリーのモチ」だったので、
  この機体に落ち着いていたであろうとは思うんだけど。

  しかし「画面がでかい」ことは、オイサンの考える欲の部分を満たすには
  それなりのアドバンテージになる気がする。


しかし……このオモシロ高性能デバイスを、
一番面白く利用している人は……一体どんな使い方をしているだろうか?



 

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2017年2月19日 (日)

■すてきなRestart~『けものフレンズ』OP ようこそジャパリパークへ!感想~ -更新第1111回-

2月も半ばを過ぎて、少しずつ寒さが和らいできてしまった。
一昨日に吹いたのは春一番だったというし、
あの心身ともにざわつくような陽気には参った。あれに来られると疲れが酷くなる。
今年もいよいよ冬が終わってしまうのかと思うと憂鬱になる。
自分はつくづく冬が、寒い季節が好きなのだなと実感させられる。
とはいえ、この冬は長かったように感じる。
というか、深かった、というべきか。

そんな、寒さが終わろうという頃にもかかわらず、
『けものフレンズ』がアツい。
さばんなちほーだから、ではない。さばくちほーだから、でもない。
「足の裏に毛が生えているから、砂が熱くても大丈夫」という問題でもない。

マ物語の先読みや裏読みは、そういうことがお好きで得意な若手フレンズの皆さんにお任せして、
老人のオイサンは通常営業、
すっかりこころを掴まれてしまった『ようこそジャパリパークへ!』の歌詞について、
思いを深めていきたいと思う。


▼『けものフレンズ』主題歌「ようこそジャパリパークへ




……つっても、「シンプルでいい歌詞ですよね」というくらいのことだけど。
グッと来た歌詞の部分だけ引っこ抜くと、


  ♪  ほらね君も手を繋いで だいぼうけん!
  ♪  Welcome to ようこそ、ジャパリパーク! 今日も ドッタンばったん おおさわぎ!
   ♪   (中略)
  ♪  はじめまして きみをもっと知りたいな

   ♪   (中略)
  ♪  Welcome to ようこそ、ジャパリパーク! 今日からはどうぞ よろしくね
  ♪  いつもいつでも優しい笑顔 きみを待っていたの

   ♪   (中略)
  ♪  どこまででも つづいてく グレートジャーニー

  ♪  ランランランラー ランランランラー Oh, welcome to the ジャパリパーク
  ♪  ランランランラー ランランランラーランラ あつまれともだち
  ♪  ランランランラー ランランランラー Oh, welcome to the ジャパリパーク
  ♪  ランランランラー ランランランラーランラ すてきなたび立ち



……とまあ、こうですよ。
なんかもう……なんでしょうね? すごい普通でしょ。やさしい。
『ごちうさ』が、「かわいいだけのアニメである」ことを完全に研ぎ澄ませて
オンリーワンにまで上り詰めた
のと同様、
『けものフレンズ』は「やさしい」ことを研ぎ澄ませているように見える。
世知辛いヨノナカ、右を向いても左を見ても、お前の経済的価値はなんなんだ
「ほんで、おまえはナンボになるんや?」みたいなことしか問われない世の中で、
これだけナンモナシで、
「よく来てくれたよぉ、待ってたゆぉ、紅茶のむぅ?」
みたいに優しく迎え入れてくれてしまったら、そりゃもう世のオジサン涙くらいでますわ。

  マ正直なところ、オイサンは人間のフレンズは少ないマン(かなしいヒーローだな)なので、
  アナタトワタシ、トモダチトモダチ、ナカマナカマー
  と人から迫られたらNoNoNo, No Thank youとジェスチャー全開で後ずさりですが、
  この作品の世界観の中で唱えられる「ともだち」「フレンズ」は、
  そういうニュアンスとは異なるものになっていますね。
  人類愛というか、生物愛というか。
  おっ? お前さん、生きてるね? 嬉しいねえ、みたいなことです。
  分かりやすいですね。
  分かりませんか? 分かりませんね。 分かれこのやろう。 ← フレンズ減の原因


いっこいっこ詳しく見ていきましょう。
……気が進みませんか?
それでも気にせず見ていきますので、気が向いたら先に進んで下さい。


  ♪ 手をつないで だいぼうけん!

早速いいですね。
「『手』をつなぐ」ということの「小ささ」と「大冒険」の対比がすごくいいワケです。
手をつなぐことは大変小さなことですが、
「大冒険」という壮大な広がりの中でその異質な小ささ、些細な「抵抗」は、
却ってこう、その行為に大変な密度を予感させもするのです。
そこに凝縮されたエネルギーの構図が感じられ、
この一節だけで、アニメ本編におけるかばんちゃんとサーバルちゃんの結びつきの強さが際立つのです。
いいですか? 際立つんです……際立つったらキワ立つの! 際立て!!(命令)

  際だて!さーばるちゃん!(ラノベ)

……マ正直な気持ちとしては、
物語開始初期の時点では
「パークの中で図書館まで行くだけの話で、『大冒険』は盛りすぎだろ……」
と、オイサンも思いましたが。
ここンとこワリと大冒険っぽくはなっているのでよしとする。


 ♪ 今日もドッタンばったんおおさわぎ!

のところも……やはり当初は「いや大騒ぎはウソだろw」と思って見てました。
だって1話、2話の頃って大騒ぎと呼ぶには物足りないような、
大変ほんのりした、のどかな旅路だったのですもの。
普通に行く、という感じで。
3話あたりからは、関わるフレンズの数も増え、アクションも大掛かりになってきたのでアレですが。

マそんな嘘かホントかはサテおいて、なかなかこう、
イマドキの物語作品においてこの「ドッタンばったんおおさわぎ!」というフレーズを
バッチリ使いこなすのは、大変に勇気のいる行為だと、オイサンは思います。
自分で書いたら、……否、記す前の思いつきの段階で、

  「……。ねえな」

と思って消してしまいそうです。
それをオーイシマサヨシ氏は、恐れずに見事に使い切っている。すごいと思う。
ド肝を抜かれますこの胆力。
揶揄してるのではなく本当に、
「作品にとって正しいから、古臭く見えてもこの言葉で良いのだ」と踏み切るのは
大変な勇気と知性が必要です。
この、一見使い古されてダサいワードのポテンシャルを完全に使い切る力は
いっそスタンド能力と言ってもいいくらいだと思いますよ。


 ♪ はじめまして きみをもっと知りたいな
 ♪ ……
 ♪ ララララー ララララーララ あつまれともだち

 ♪ 今日からはどうぞよろしくね
 ♪ いつもいつでも優しい笑顔 きみを待っていたの


いくつか時系列をすっ飛ばしてまとめました。
この辺の「受け入れ力(ぢから)」の強さは……
無論、受け入れられた先にやさしさが約束されているからこそ
歌の言葉を素直に受け入れられるワケでもありますけれども、
マその辺は、ひねくれて、おのれの心の孤独に生きるオイサンのような者には、
現シ世では手に入れ難いものなので、尚のこと手の届かない宝物のように映るのでありますよ、
エエ。
心の歪んだ年寄りのタワゴトだと思って見逃がしてくだされィヨボヨボ。
現世……「うつしよ」とは、鬱シ世でもあるなあ。

大概、受け入れられた先には、受け入れた側の身勝手な都合と過剰な期待、
利害が待っておりますから、
なんというか、受け入れる側になった自分の姿としてお手本にしたい、
憧れの姿であることです。


 ♪ どこまででも つづいてく グレートジャーニー
 ♪ ララララー ララララーララ すてきなたび立ち


……なんていうんですかね。
"グレートジャーニー"は、アフリカで発祥した人類が世界に拡散する旅路を表したことばですが、
この言葉を聞くとき、たいてい「人間がここまできたこと」の結果としてのニュアンスが、
語られることの大半を占めるワケです。結果としての旅路の話として。
しかしナンダ、今回この歌を聴いて初めて、
ああそうだった、そういやそれってまだ続いてんだなと、思い至ったわけですよ。
シメの歌詞も「すてきな旅立ち」ですからね。

……実際のところ、『けものフレンズ』の物語において、
かばんちゃんの仲間(要するに人類)が本当に絶滅した存在なのかはまだ分からないけども、
もしそうだったとして。
かばんちゃんは、唯一生き残った……否、新生のチャンスを得た人間として、
フレンズたちとこの先、どんな関係を築いていくだろうか?
現生人類と同じ「まちがい」の道をたどるだろうか。

  「まちがい」と書いたけど、
  別にいまの人類とフレンズの関係すべてが完全にまちがっていると言っている、
  ワケではないですのでその辺オマチガイなく。
  どこかは合ってるし、その分どこかはまちがってる、くらいの捉え方をしたい。
  マ大方間違ってる気はしますけど。

地球の、自然界という愛の輪から逸脱してしまった現生人類が絶滅した後に、
かばんちゃんはいま一度「フレンズ」たちとフレンズになってやり直すために新生した、
再出発の人なのかもしれない。

  ……て言うか、フレンズはあくまでも「フレンズ」であって、
  『けものフレンズ』の世界でも、
  ジャパリパーク以外の場所にはフレンズでない普通の動物もいるのかしら。
  フレンズたちは普通の動物とどうふれあい、
  かばんちゃんはジャパリパークの外の世界でどう生きるんだろう……。
  その練習のために滅びた現生人類が用意した練習の場なのかもなあ。

かばんちゃんの目覚めは、人類の再出発なのかも知れぬ。
それを「すてきな」ことだとしたのはもう、
作詞者・オーイシマサヨシ氏のやさしさとしか言いようがない。

……マ個人的には、『けものフレンズ』をそういう壮大ゲなもの、
テーマを大上段に構えたエラそうで面白いモノとして考えたい気持ちはあんまりないです。
ひとえにここちの良い、気楽なものとして持ち続けたいんだけど、
オーイシマサヨシ氏が、何かを思い描いてビジョンにこめたのだとしても
とてもよくわかるし、素敵だと思う。

進化の結果の事実としていまこのようにある人間が、どこから来たのかはサテオキ、
いま何を持っていて、何が足らず、
この先それをどう使い、どのようにまわりと関わりあって、どちらへ向かおうとするのか……
そんな思いの途上に現れたゆめみる箱庭、
それがジャパリパークなんじゃないかな! たっのしー♪


■よだんフレンズ

余談だが、グレートジャーニーについて改めて調べてたら、
GIANTのラインアップに同名の車種があるの見つけて欲しくなってしまった。
10万か、うーむ。(どこまでいくつもりだ)

  ▼GIANT グレートジャーニー [GIANT]
  http://www.giant.co.jp/giant17/bike_select.php?c_code=CA02&f_code=FD02&s_code=SR15

ランドナー、他にもカッコイイのとか軽いのがあるなあ。

  ▼自転車旅行におすすめのランドナー・スポルティーフ15選を紹介します。[NatureDrive]
  http://cycle-japan.com/randonneur/


『けものフレンズ』を見る
   ↓
『ようこそジャパリパークへ』の歌詞についてふかく考える
   ↓
"グレートジャーニー"について復習する
   ↓
同名の自転車を見つける
   ↓
ちょっと前にもあった、ランドナー欲しい熱が再燃する ←イマココ


マそんな感じでヒトツ。

『けものフレンズ』は、見ていて気持ちよくて、確かに楽しいのだけど、
そろそろ「なんで面白いのか」は分からなくなってきた。
面白い、楽しいというか、見ている間中ひたすら嬉しいのだった。
あ、始まった。嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい終わった。

……で、30分終わる感じ。
脳のどこかが開きっぱなし、出ちゃいけないものが出っぱなしになっているような気はする。
昨年の冬に『おそ松さん』が女子の間で大人気になったのもオイサンの理解からは外れていて
(『おそ松さん』自体は面白くてオイサンも楽しく見ていたけど、
「女子にキャーキャー言われるような人気の出方をして、それが爆発的に持続する」のは
  やはり説明を付けて自分を納得させることは出来なかった)、
えらく困惑したものだけど、今回のはそれを超えている。
いや、超えてはいないのかもしれないけど、自分もその熱狂の渦の中にいる分、
ワケの分からなさを体で味わっている。

OPラスト


  ♪ ララララー(ララ!ララ!) ララララー(ララ!ララ!) Oh, Welcome to the ジャパリパーク

(ララ!ララ!)が嬉しくて、胸が詰まってしまうくらいなのだから、
やはりなにか良くない塊を投げつけられて、当たってはいけないところに当たっているように思う。
困ったものだ。
あと残り半分のうちに、どうにかその正体を言葉にしたいと思う。


「サファリ」という言葉も意味をよく知らないなあと思って調べてみたら、
アラビア/スワヒリ語で「旅行」って意味らしい。
普通のことばだった。
信州へサファリに行きたいとか、京都サファリしたいとか言えるのか。
ときめく。

温泉サファリしたいオイサンでした。

 
 

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2017年2月18日 (土)

■頭文字H~イニシャル・エッチ 花と性愛の頃~アニメ『セイレン』感想 -更新第1110回-

『けものフレンズ』でバカみたいなことばかり言っていた反動か……
『セイレン』が気になってきた。
あの地味さが、妙に。

3話から見始めて、4 → 5話まで見たところで1話に戻ってきた。
1話、いいですね。

『アマガミ』の続きのような位置付けになっていたせいで、
なんとなく主人公を、正当なるザ・紳士の血脈のつもりで見てしまっていましたが、
嘉味田くんは……真面目っ子なんですね。
そのことに気付くのに結構時間がかかってしまった。
飛びぬけてファニーな発想の持ち主でもないし、性癖にも特殊過ぎるほどの特殊性は見られない。
将来に不安を抱えているだけの、何なら若干おとなしいくらいの、
いじられやすい真面目っ子だった。

その代わり、際だって異彩を放つのは輝日東という生活空間の異世界感w
住む人や町並みこそ現実の日本だけれど、
パンダココアに始まり、
茶巾寿司定食が大人気だとか、
昆布のりうどんとか、
お化け屋敷スゴロクの内容と、それで平然と遊ぶ高校生、
カブトムシの話で盛り上がる担任にシカ育成SLGと、
食べ物を中心に、娯楽、人のちょっとした気質など、
広々とした世界の中で、文化のはしばしに尖りが配置されていて
心の落ち着く接地点がひとつもないw

異様な細部を積み上げた結果、見える風景はざっくり同じに見えるのに、
足元がグラつくようなエキセントリック加減。
面白い世界観の作り方だったんだなあ、と感心してしまった。
そういう肝心なところに背骨のズレがあるから、人間の行動が一種異様でも
「そういう気質・慣習で育ったひとたち」という理屈が納得材料になる。
面白いこしらえ方だ。

そこで本筋の話になりますが。
御大高山の、哲学みたいなものには共感できるんです。

男の子はエッチな心根から恋をするものなんだということを、
御大高山は謳おうとされているように思われます。
変化球ではあるけど。

そして、女の子も女の子で、男の子とは違う目線というか、
女の子なりのなまなましさのエッチさで、恋という行為や思いにアプローチしてくる……
ただその生々しさは、あくまでも男である御大高山ご本人の目線で読み取られたもので、
かつ、
彼の青春時代(というと語弊があるが、つまり性的に最もリキリキムラムラしていた時分)のものだろうから、
今のリアルな女の子の物とは違うかもしれない……。
そこを伝達しやすくするためにエロ……性愛の、殊に猥雑で劣情を催す表現には手練手管を尽くして
エキセントリックな表手法を試みてくるけれど本質はそこにはなく、
ひとえに
「男の子も女の子もエッチなんだよ、エッチで恋をしていいんだよ」
ということを、清潔感でコーティングしながらもムラムラとした艶やかさ、妖しさで描いてくる。

  しかし、清潔感とは書いたもののこのマンガ、先にも書いたような独特の世界観、
  というか生活文化感、一線を画した生活感を備えているがために、
  古びた温泉街のような不穏な、生活の汚れた空気が漂っている気がする。
  埃っぽさと、湿り気過剰のかび臭さというか。
  温泉街の裏通りみたいな猥雑さがある。
  閑話休題。

OP主題歌からして、その傾向は見て取れる。
「キミの花」。
直球だ。

▼キミの花 奥華子



ここでいう「花」を、特段エロいニュアンスだけに特化して解釈するつもりはない。
もっと普通の、可愛らしかったり、華やかいだり、
はかなげだったりするものとしての意味も十分に含んでいる。
しかしそういう様々なニュアンスに包み隠し、
受け手が「花:のことを「おしべとめしべでエッチな教育に使われるやーつ」であると知っているのを利用して、
ほんのりとエッチさを差し出してくる。

  ところで御大高山が「花」をよく使う印象があったのだけど、
  そんなことなかったな。
  『アマガミSS』の森島先輩編のEDのカップリングの「花」が妙に印象に残っていただけだ。
  森島先輩編のED曲をいま改めて聞いてみたけど、下手だな。

オイサンはもはや童貞っていうレベルではなく童貞だから、
つまり、


  ♪ 逢うたび君を好きになって ちいさな手に触れたくて


っていう「ちいさな手に触れる」悦びさえロクに知らないモンですんで、
なかなかその辺の「恋を、始めからエッチなものとして喜ぶ構え」を実感として納得するまでに
時間がかかるんだけども、一旦腑に落ちてくると、
それこそ童貞だものだから、若い悦びや興奮は大変よく共有できる。
多分いまでも、女の人の手を握ったらちょう緊張するしドキドキできる自信ありますしね。
フフン。 ← 得意になるところが違うぞ
その、「(男の子が)ちいさな手に触れる」悦びのエッチさ、
別に手を握ることなんかいわゆるエッチでもナンでもないんだけども、
肉体的な接触の入り口のところで興奮してるってことはやっぱり明らかにエッチなわけで、
「性愛の良さに日を当てる」みたいなことを、
ご自身の実感ある言い方では伝わらないから、
御大高山は手を替え品を替え、
ワキを替えヒザを替えヘソを替えしてどうにか語ろうと、
いまのヒト向けに通じる変換アダプタを探している。

抑え込んで抑え込んで抑え込んだ、
爆発しえないムッツリなエッチさ、一人でいる時でさえ発揮し切れないエロの空気を、
あの作品のカタルシスのなさは、すごいいい感じに表現しているように思えてきた。

なんなんでしょうねあの人は。やはり、一種の天才なんでしょう。
こんな焦らしプレイありますか。
スカートの奥から汗が一筋、フトモモを伝っておりてくるのを
お前らは黙ってそこで正座して待っとけ! みたいな、
はいサーセン! みたいな、
そういうんですよ(どういうんだ)。
マわかんねえけど。
そういうものに見えてきたよ。
まあ絵描きっていうのはそういうトコあるのかも知れませんね。

だもんだから、そういう主題から逸れた枝葉の部分……
例えば、主人公たちがプレイするゲームの内容とかは、
エキセントリックでこそあれ、あからさまに適当に仕上げてくる。
枝葉であることの強烈な主張であるように捉え得る。



……と、そんなことを考えていたら、
「地味に映るのも当然か」という気もしてきた。
エロを表現するのにストイックになる、というアンビバレンツ。



OPのサビが妙に頭に残ったので気になって繰り返し聞いているうち、
なんだか楽しい、良い作品であるように思えてきました。

まテンポがあまり良くないなとか、そういう風に感じるのも確かなんだけど、
このぬったりとした「ズレ」、不快な違和感の世界でなければ表せないモドカシサでもって、
狙ってなにかおかしなことを実現しようとしているのかもしれません。
アニメ、マンガ、ゲームの世界が陥った、分かりやすすぎる記号やあからさまな刺激から、
少しずつでも軸足をずらせて行こうという気持ちが……あるのかもしれない。

  例えばそれは「ビッチ」っていう生態のリアリティであったり。
  なかなか、ギャルゲーのフォーマットでは歓迎されないその生態を、
  なるたけ「いいもの・魅惑的なもの」として持ち込もうというスタンスとか。

彼の描き出すあの繊細な線
(悲しいかな本作ではその芸の線が画面上に顕現することはなさそうだが)が本来描き得る、
線と線の行間ともいうべき気持ちを、
そういう空気を生み出すことで代替させようとしている。

  けどね、オイサン、御大高山の絵が生き生きとするのって、
  静止画だと思うんですけどね。止まった絵、一枚の絵。
  だからゲームの『アマガミ』の、
  ほぼ究極とも言える「止め画を超細やかに動かす紙芝居」は、
  御大高山の画を生かす最も正解に近い御業だったと思いますよ。
  エエ。掛け値なしに。すごかったもの。

というわけで、『セイレン』は、
何かを失敗していまの様になってしまっているのでも、
やろうとしていることを何かに阻まれてああなのでもなく、
ああでなければ表現しえないものなのではないだろうか?
イヤわかんねえけどさ。
けど、その様に「読む余地がある」という可能性は残されているし、
そうでなかったとしても、
じゃあ自分がそれをやろうとしたときのための引き出しとして使えるものを拾えた、
という意味で大変OKです。

そんな可能性を見出すことが出来たので、
ちょっとこの先もそういうポジティブな目で引き続き眺めて行こうと思う。

あと、常木さんのお友だちの一人、髪の長い子は可愛いですね。
アタマちょっとオカシイしw
「私、ポルノ漫画家のサイン欲しいッ!」
って、すごい勢いで言うなw いいよ君。光るものを感じる!
郁夫君も、特段おかしなことを言わない普通のアタマいい男の子でびっくりしました。
この先馬脚を現すのかもしれないけど。
郁夫君のフツーさ、とても好感度高いです。
「元祖尻軽」こと、彼のお姉さんはどうしてるんでしょうね。
相変わらず適当なことを弟に吹き込んでるみたいですが。


作品世界の中を歩くうち、
こういう奇怪なエッジにちょっとずつ肘やらヒザやらをひっかけてほつれていき、
最後には丸裸にされているのかもしれない。

あとこのアニメ、3ヒロインにしか焦点当てないご様子ですな。
残りは……別メディアかしら。
なんにせよ、この作品の好感度を自分の中で上げることに上手いことこ成功したので、
続きがあるなら楽しみにしよう。

最後まで、うまく騙しおおせてくれると嬉しい。



オイサンでした。


 

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2017年2月12日 (日)

■この素晴らしい、ジャパリパークで語りたい! ~2017年1月期・アニメ感想 -更新第1109回-

こんばんわ。
『レコラヴ』で、いよいよ反町っちゃんのスカートの中が映せるようになってしまって
終始前かがみのオイサンです。

大したことない画なのにやっぱりスカートの中を覗くってだけでこうふんするなあ……。
反町っちゃんも、嬉しそうなのがけしからぬな。

途中までは、新体操小学生であるところの妃月ちゃんと仲良くしてたのだけど、
一発目がJSってのははどうなんだってんで、そこそこ打ち解けた雰囲気だった
同クラの反町っちゃんに乗り換えたものの、
しかし反町っちゃん、
打ち解けるにつれて関西の訛りや気質が飛び出す頻度が上がってくるため、
仲が深まるほどにときめかなくなってくる、という
なかなかのツンデレスパルタン番長。
いま恋愛レベルが5なんですけど、
そのうち

 「ぱんつ録らしてー」
 「はいよー(たくし上げー)、これでエエ?」
 「あいおっけー。明日もよろしくー」
 「オツカレサーシター」


みたいになってっちゃわないか心配(どんなギャルゲーだそれは)。
そんなワケで、最近はもっぱら、ときおり現れる御前さんが気になっております。
御前さんのスカートの中録りたい(目的が違っているぞ)。

本当のコト言うと、一番美少女・一番好みだなあと思うのはまひろちゃんなんですが
如何せんこのコはこのコで「がぶがぶ~」とか言って噛みグセがある、
というキャラを持たされた堕天使
完全に病気の子なのでアカンです。
オイサンはもうね、そういうギャルゲー然とした子じゃなくて、もっとまともな子が良い。
ギャルゲーじゃなければそんな病いを背負わされることもなかったろうに……。



■2017年・1月期 アニメ感想



カオスですなー。カオス。
マ『けものフレンズ』がいることでカオス感が増してるだけだけど。
ケイオス(なぜ言い直した)。

尚、オイサンの視聴ルールとして、
 ・まったく予備情報のない作品は3話から見る。
 ・原作を知っている、継続作品(2期~)であるなどの場合は1話から見て良い
としています。

これは、
 ・1話目はダルい。(背景説明やらが多い・キャラ紹介的側面が強い)
 ・近年、OPが省かれる(或いは話の最後に回される)場合が多く、テンションが上がらない
 ・順序が分からなくとも面白く見られる作品が本当に面白い
  (自分が見たい面白さを備えている)作品である

……という、強引な経験則と信念に基づいた結果であります。異論は認めない。
それではそれを踏まえて参りましょう。
今期はねアナタ、豊作ですよ。



 ▼『けものフレンズ』

なんかしらんが、やたらと「闇が深い」ことで、ある意味今期の台風の目となってる。
なんでだよw

  ……と書いてしばらく放ってあったら、
  ものの一週間で普通に今期の台風の目アニメにのし上がっていた……
  何が起こっているんだ……。

 ▼公式PV その2
 


ほぼ人間(の女の子)の姿をしつつさまざまな動物の見た目や性質を持ったたくさんの「フレンズ」と、
自分に関する記憶を失った、この世界で唯一人間である(ようだがまだ正体が明らかになっていないわからない)
「かばんちゃん」が、
フレンズのすみかである、サファリパークの様に色んな地形や風土のエリアを備えた
「ジャパリパーク」を冒険するおはなし。

オイサンも、1話から若干の違和感を感じつつ、
それでもワリカシ普通の気分で見始めたのだけど、
TLではなぜか妙に人気テンションが高く、
見た目のトーンの明るさに比して「闇が深い」と評判である(それは高評価なのか)。
……いや、いまや「評判であった」と書いた方がいいか。
もうなんか、そういう理屈の部分から解き放たれた盛り上がりを見せ始めている。

  ……まオイサンのTLは、オイサンが自分の好みで選り集めた方々なので、
  似たような、ケッタイなものを選り好みするのも当たり前と言えば当たり前なのだが。

思えば、この教育番組のような内容で妙にひきつけられるものを感じさせる辺り、
一種の闇が潜んでいることは疑いなかったワケだが。

作画的にはトゥーン調の3Dで、際立ったハイクオリティとは言えない。
ローでもないけど、文句を出させない必要最低限、といった風情。
ボイスも、一部ベテラン勢はおれど、妙に棒読みなフレンズさんが目立って素人くさい印象。
物語展開もあるようでないようで、非常にまったりと進行する。
にもかかわらず目が離せない、というか、見ていてすごいクセになる。

現時点のキホンセンは
「かばんちゃんの正体を知るために、ジャパリパークを横断して図書館へ向かう」
で、そのために川を渡ったり、サファリバスを探したり、山にのぼったり。
その過程で、出会うフレンズ(動物)の特徴が描かれ、
且つかばんちゃん(人間)の知能が際立つ、という、なるほどなあという構成。
面白いのは、動物の特徴を知ること以上に、人間の特質や知能の高さの素晴らしさが際立つことだ。

この「人間がいない」成分に闇アニメ大好き勢が食いついて、
「人類滅亡後の世界では」みたいな、深闇論が展開されている。
マいいんだけどさw 楽しそうに盛り上がってるしw
そして4話まで見たところ、実際そんな感じっぽい。まじでか。
別段そういうストーリーラインでも構わないが、
かばんちゃんとサーバルちゃんは(勿論他のフレンズも)、
最後まで仲良し笑顔でいてもらいたいものです。

最後には多分、かばんちゃんはやっぱり絶滅種のヒトであることが判明して、
ぼくは独りぼっちなんだろうか……と凹んだところへ、
周りのフレンズに「ヒトだってフレンズだよ!」と励まされる、
さらにそこへサンドスターの新たな噴火でかばんちゃんのつがいになる相手が生み出されて、
これからまた仲間が作っていけるよね!
……みたいな、しっかりハッピーな展開を希望するオイサンです。

アライグマのアライさんが、かばんちゃんを「お宝」とも呼んでいたりしたので、
恐らく絶滅種であるヒトには、なんらかの値打ちが見出されているのでしょう。

画や声の絶妙なつたなさがいい方向に作用して不思議な可愛さがあるし、
見ているうちに脳みそがどんどん溶けていきますね……
たのしー! すごーい!
……などとどんどん語彙が欠落し、IQ低下を引き起こす現象も「フレンズ化」と呼ばれ、
専門家(もちろん『けものフレンズ』研究のだ)の間では深刻化が懸念されているご様子。

とにかく相方のサーバルちゃん含めたけもののフレンズの皆さんが、
ポジティブというか、きわめて無邪気に全肯定の方々で、
「すごーい!」
「たのしー!」
「かばんちゃんは考えるのが得意だから!」
「みんなとくいなことちがうから!」
「いいフレンズに違いないでありますよ!」

と、とにかく相手を責めない。
人間の土俵でない場所で、人間でないものに人間である長所を認められ続ける、という
恐ろしい承認快楽の発生装置になっているご様子。
見ていてとにかく、気持ちが良い……麻薬の様だ。
ツチノコさんだけは妙に手厳しかったけどw
あのツッコミは好きだった。

OPも、

  ♪ Welcome to ようこそ ジャパリパーク!
  ♪ 今日もドッタンバッタン おおさわぎ!


だの、

  ♪ ランランランラーン ランランランラーン welcome to the ジャパリパーク
  ♪ ランランランラーン ランランランラーンランラン あつまれ友だちー


だの、ヘンに幼い歌詞でまとまっているのに、妙に頭を離れない。
『月刊少女野崎君』のOPを手掛けていたオーイシマサヨシ氏の曲なのだが、
この辺は狙って統一された意志でやっているのだろか……。
吉崎観音氏(コンセプトデザイン)って、こんなに狙える人だったの?
尚、監督も吉崎氏も、オーイシ氏も、今の本作の当たり具合には困惑しているご様子。
まあ無理もない……。

自分がケモミミ好きなわけでもなく、
キャラクター描写が飛びぬけて可愛いわけでもないのに、
なんだかやたらと可愛く見える『けものフレンズ』……
君も、よろしくない瘴気渦巻くジャパリパークでドタバタおおさわぎしてみないか!? Σm9
気は進まないと思うが! Σm9

 ▼オーイシマサヨシ「君じゃなきゃダメみたい」
  
 ついでに。しかしなんだこのサムネイルは。歯ぁ磨けよ。



 ▼『このすばらしい世界に祝福を2!』

2期目なので1話から見る。
えー、OPがカンペキでした。EDが最高でした。以上。
劇場版1本分くらいの満足度のある、完全なるOP。
クエスト一本分を、各キャラの特徴を生かしながら描き切るという力作、近来稀に見る良OPです。

  かの名作
 ジブリ実験劇場『On Your Mark』に勝るとも劣らないMV
  となっております。(ホンマか)。

 ▼エンディングのPV こちらも素晴らしい曲。
 

前奏~タイトルバックでバカみたいにテンション上げて走る4人も大好きだし、
チョイチョイ挟まる脱力ダンスも愛おしい。
90秒しかないOP中で、
ダクネスが爆発への期待と焦れにクネクネと身を躍らせるさまに5、6秒も割いているのは
最早愛のなせる業としか言いようがなく、
もうパッと見「コレ作画崩れじゃないの?」と思えるほどグダグダに溶けて描かれているのも
ここで以て
「本編内での作画溶けも、意図的なものですよ、手抜きじゃないですよ!」
と宣言しているものであると見れば、ある種、匠の手技と言えよう。

そんな中でも、見せ場ではかなりのかわいさ・りりしさを保って描かれるめぐみんは
やはりひいきされている気がする。

1話目の内容としては、
ダクネスにこんな立場的アドバンテージ(カズマ・3人への貸し)を持たせてしまって大丈夫なのか?
と思った。
……マこの3人がこれを借りだと思うようなマトモな神経を持っているとも思わないけど。
3話まで見たけど、本編的なテンションは、まだそこまで上がっていないように思う。
彼らに求められている面白さは十分に達成している、とは思うが、
期待値はもうワンランク上だ、頑張ってくれ。



 ▼亜人(でみ)ちゃんは語りたい

OP・EDともにハイレベル。特にEDの切なさがいいかな。

ドタバタに見えて、どちらかというとしっとり成分の方が豊富な作品。
穏やかで、静かな間をつー……っと引っ張る時間を結構長く感じさせて、
終わってみると30分がすごくながい、高密度な印象を受ける。
切ないよね。面白いです。
ドタバタるときはドタバタるけど、印象としてはドタ2、しっとり8くらいかしら。
かなりの湿度を誇る作品。いいぞ。

原作にはノータッチ。ウケているのは知っていたが、イマ一つ手を伸ばせずにいた。
題材的に、青春の孤独、みたいなものを描くのかなと思いきや、
さらに一歩踏み込んだところまで行きそうな予感があって、1話終了時点では先を見るのが怖かった。
けど、2話目はさわやかだったから、マ安心して良いのかもしれない。
必要以上にギトギト・ノタノタはしなくて済みそう。晴れやかに終わって欲しいな。

あと、この作品の中で語られている亜人(デミ)は、
亜人という定義よりも、むしろモロにモンスターだと思うんだけど……どうだろう??
まあ、エルフ、ドワーフあたりがデミで、
ライカンスロープ(獣人)はデミじゃないのかと言われたら微妙で、
そこからさらにバンパイアとかに派生してしまう気持ちは分からんでもない。
けど、デュラハンはさすがにどうなんだと思うし、
サキュバスは明確に悪魔だろ!
……なんていう議論は、既に出尽くしてるんだろうから
敢えてオイサンが一周遅れて言うべきことでもないと思うケド。



 ▼『南鎌倉高校女子自転車部』

原作を知っているので1話から見る。

……。

ねえ、なんで「フィクションで自転車に乗る女の子」は、
こんな人様に迷惑カケホーダイの物を知らないポンコツばっかりなの?
作劇をさぼってるとしか思えないこのテンプレぶり。
少し恥じなきゃいけませんよ……。
とはいえそれは原作由来成分なので、アニメ化関係者に罪はないのでしょう……
けれども、あまりにも「ひでえ」と思ったら、そこは改変したっていいと思いますけどね。
「つまんないから変えました!!」
っていうやつがいたっていいと思うよ。

原作が、あまりマンガ的に上手でなく(原作disってばっかだな、マいいか)、
レースをやるんだけどその状況がすごく伝わり辛いもので読んでいてあまり面白くなかった
(そして途中で買うのをやめた)。
アニメの力でその辺が伝わりやすく描かれることを切に望む。

けど、自転車のハナシって、なんかこう……無理がある話を、
話づくりのためにあまりにも平気でやる気がしていて、全体的に印象が良くない。
学校行く前に乗る練習とか、のってちょっと走っただけでやたら大げさに喜ぶとか。
立ちこぎが出来ただけで大はしゃぎとか。
どーもその辺が、見る視線がヒンヤリしてしまう原因である気がする。

乗れてちょっと走れただけで「アタシ、どこまででも行けそうな気がするッ!!」
ってなる流れ、高校生にもなってもうチョイどうにかしませんか。
中学まで何やってたんだよお前、って思うけれども、
しかし、
目に余る老齢ロードバイク乗りとかが量産されている背景には、
そういう「何かが極端に出来るようになった間違った全能感」が
その過程で与えられることに因って起こっている、のだと考えれば……
この
「ロクに何もしてこなかったポンコツJKが
 初めての成功体験に酔いしれてワガママ放題し始める」
というテンプレートは、あながち間違ったものではないのかもしれない。

冷静に分析しとる場合か。
えー、女の子が可愛い自転車のアニメです。
あと鎌倉とかが舞台です。



 ▼『小林さんちのメイドラゴン』

3話から見る。
……のにもかかわらず、開始1分半で心を掴まれてしまった……アバン30秒、OP1分なんだけど。

OPサビで、モブい人たちが竹トンボのように回転しながら空を上がっていく絵があるのだけど、
なんだろうか、そこで毎回、ちょっぴりホロっと来てしまう。
初めて見たときもその画を見た瞬間
「あ、これはホームコメディなんだ」と理解して、嬉しくなってしまった。
なんなんだろうこの感覚。

1・2話を録り逃してしまったので3・4話しか見られておらず、
トールさんとカンナちゃんがなぜ小林さんの家に来たのかわからないけど、
困らないで見られるのが素晴らしい、
けど、どうして来たのかすごい気になるのもスバラシイ。
「困った奴はいるけれど、悪い奴はいない」という安心して見られるフォーマット。
画は安心の京アニクオリティ。
監督が、あの永遠の京アニナンバーワン大ヒット作品『氷菓』の武本カントクなので大安心。

……ただ、この感覚は、
「きれいにコヂンマリまとまり過ぎてて、見ている間はほっこり楽しいのだけれど、
 終わった瞬間スカッと忘れてしまうヤツ」
の匂いがプンプンする。
「アーオモシロカッタ、ハイツギ」のヤツ。
どこかで良いフックが生まれてくれるといいのだけれど。

あと、小林さんは、『けものフレンズ』のカバンちゃんと合わせて、
今期の2大性別不明人物に任命します(不名誉)。
女性……だよねえ?
あと、カバンちゃんは男だと思ってたんだけど。

 ▼fhana / 青空のラプソディ - MUSIC VIDEO
 
 オイサンはfhanaさん大好きです。結構CD買ってるよね……。


この原作、アクション連載でクール教信者先生だったのね。
言われて見ればなるほどだけど、なんか意外だった。
fhanaの歌はいいよね。



 ▼『ガヴリール・ドロップアウト!』

2話目を録り逃して3話から見る。

TLでワリとよく名前を見かけ、かつ好意的な反応だったので期待値ちょっとだけ高めで見てみたけど、
普通だった。
ポジション的にはあのヘンに近い。『三者三葉』ら辺。
舞台やキャラ仕立てとしては、
 ・現世に降りてきた(降ろされた?)天使と悪魔の交流
 ・ダメ天使といい人悪魔
っていうのはありきたりというか予測の範囲内なので……まあ、普通かなと。
ロゴが好き(どこを褒めてるんだ)。

後追いで1話を見たが、1話はなかなか面白かった。
んーでも、このあと1話以上に面白くなっていくという希望は薄メな感じ。



 ▼『セイレン』

えーと、一応書く。
『アマガミSS』の時も思ったけど、地味。地味です。
おとなしいとか、穏やかとか、落ち着いている、とかではなくて、地味。
もう一歩間違えると「ダサい」「野暮ったい」になる。
地味。
そしてテンポや演出が洗練されていないのだと思われる。
専門家ではないので具体的に正しい指摘が出来る気はしないけれど、
カット割りと画角の切り取り方が良くないんじゃないだろうか、と、
素人考えで言ってみる、がどうなんだろう。

画が、見せたいもの、表現したい感情に対して、非常にぼんやりしていると思う。

音楽は良いと思います。
が、画的なテンポの悪さに引っ張られて印象に残らず、
音楽は音楽だけ聞いた方が映える、という、それはキミいったいどうなんだ、
という状態に陥っている気がする。

見始めたのは3話から。3話・4話を見た。
案外、ストーリーとしてはキライじゃない感じ。
良いと思います。
ヒロインの思考回路は乗り切れないところがあったけど、
その辺は高山御大一流の「ビッチ(尻軽)」理論に当てはめれば、実感としてはつかめなくとも
理解はできる。
そういう意味では筋が通ってるし、物語の地味さは、リアルというか、
共感出来る範疇にあると思うのだけど。

……なんだろうね、これが制作陣の意図したところであって、
「狙った通りに作れている」というのなら特に問題ないと思う。
「考えていたことが、形にしてみたらつまんなかった」っていうのは
まだ救われるんだけども、
見ていると、
「考えた通りに作れていない」ように見えるので、
そこは大丈夫なんだろうか? と心配になっている。
お金なのか、時間なのか(マこの二つはどうにかしてもらわないと仕方ないけど)、
コミュニケーションの問題なのか……まあハタから見た妄想に過ぎませんけどね。
なんだろうか、モヤモヤするなあ。

放映前から、『アマガミ』との世界観とかキャラの連続性をちらつかせて
へんな風な盛り上がりに誘導してたんで、好ましくないなあと警戒してたんだけども、
マその辺の仕掛けですべるよりは、
こうして潔く「普通にしんどい」方向で滑ってくれた方が諦めもつくので
ありがたいと言えばありがたい。

OPも、曲はいいのにどことなく歌にマズさを感じて結局まだ購入には至っていない。
いろいろシンドイなあ。



■Closing

マそんな感じで。
他にも『ピアシェ』とか『OneRoom』とかの五分アニメ、
『幼女戦記』『バンドリ』『スクールガールストライカーズ』『うらら迷路帖』
なんかも拾い見はしている。

そうそう、『スクールガールストライカーズ』は、大変いいクソアニメですね!
久々に、名クソアニメの感触です。
とにかく声優陣が安定の豪華さ。
「とりあえずこの辺揃えときゃお前ら見るだろ」っていう、
カネにモノを言わせてぶっこんだ感じのパワー、
ソシャゲマネーのパワーを感じます。『レヴィアタン』以来のパワー。
面白いところ、ひとっつもないもんな!
ブッ込む過程で生じた様々なムリのせいで天秤ががっしゃんがっしゃん揺れ乱れているところに、
札束の重石で「これでバランスをとれ!!」ってやってるような感じがもう最高です(偏見)。
無理して面白くしなくていい、という割り切りというか、
徹底統一された意志を感じます。
人間には、こういうコンセンサスの取り方も出来るんだなあと感心させられる。
意欲や思いではなく、役割に徹するというか。
完璧です。
いや、ダメじゃない。ダメじゃないですよ。こういうのはアリです。
これは理性
かなり高等な部類の、知性の産物です。
面白くしたくなる欲をぐっと抑し、本来そうあるべきところを捻じ曲げて、
そうではないところへ設定された目的の方向へ、
そうあるべき方へ向かいたくなるのを押し込めて進む、という、一種の知性と理性の力。
自分を信じない、力を信じるという。
すごいと思う。注目です。


あと、冒頭でちょっと書いた『レコラヴ』
どうでもいいけど、ヒロインの子はパンツは毎日替えた方がいいと思います。
見られるの分かってる(見せるのをちょっと楽しんでいる風でもある)んだから、
少しは意識して来いよ! って思う。
反町っちゃん、まいにち同じ黄色いぱんつじゃん。
ギャルゲーヒロインとしての自覚が足らぬ(そういう問題ではない)。
そこはこだわって欲しかった。

以上、嫌な顔されながらおぱんつ見せてもらいたいオイサンでした。


 

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2017年2月 8日 (水)

■帰港~喪失の港にて~劇場アニメ『#この世界の片隅に』・感想(後)~ -更新第1108回-

……と、前篇から続いてきたものの、
別にここからは大したことは書きません。


オイサンです。


劇中ですずさんが2回だけ口にする「あせったあ」がすごく好きです。
他は広島弁ガチガチで、すっかり知らない土地の人だけど、
ここだけは言葉もイントネーションも自分の知ってる言葉と違いがなくて、
急に知ってる人、身近な人になった感じがしていい。
抱きしめたい(突然何を言い出すんだ)。



■好き好きすずさん! スキスキ周作さん!

デ、ここからはオイサンが特に気に入った場面についていくつか萌えて各論とし、
シメたいと思います。
色々省いて、見た人にしか分からないような書き方をするところもあるけど
勘忍してつかあさい。


 ▼画と音

映像の素晴らしさについては……正直、何も言えない。
終わってみて気付いたのだが、さまざまな表現や出来栄えが、
当たり前のレベルで「自然・当然」であったのでしょう、
素晴らしさを意識することが出来ないレベルでスムーズに流れている。
イヤミや引っかかりがまったくなかった。これはスゴいことだと思う。

何やらものすごいレベルで調査されたらしい、史実や当時の実在の地形とのリンクについては、
歴史に詳しいワケでも、当時の様子を知るワケでもないオイサンは
そのすごさ・正しさを量ることは出来ないので、なんとも評しようもない。
ただ、その結実であれ、架空であれ、
舞台となる世界は少しだけその端々を知っているような、少し懐かしいような、
自分たちが暮らす今の世界との確実な地続き感に満ちており、
すずさんたちが実在の人物であると錯覚を起こすほどで、
彼女の抱く様々な感情が自分の中にもあるこれと同じ心の感触だと
確かに感じるための十分以上の手助けになっていたと思う。

それと、感じたのは、広島と言えば終戦の象徴のように語られることが多いことから
「夏」という印象だったのだけど、この映画の中では冬の情景が大変印象に残った。
暑さよりも寒さ、土間やかまどの石の、冷気をたっぷり吸いこんだひんやりと頑固な感触が伝わってきた。
戦争映画というと、燃え盛る炎と、豪の中のじっとりと閉じ込められた空気ばかりの印象だったから、
この印象の違いも、長い上映時間(2時間20分くらいある)でも強いストレスなく
集中して見通すことが出来た一因だったろう。


 ▼「執拗」であること

これは原作由来の成分ではあるけれど。
伝える、ということに対して、執拗な作品であったと思う。
何の話かといえば……すずさんの右手をも吹き飛ばした、その物語についてだ。
そこそこの物語であれば、晴美さんの命を奪うにとどまるだろうと思う。
けれど、この物語の作り手たちは……それだけではまだ、
「他人事」だと心で処理してしまう受け手がいることを知っていたのだろう。
彼らの情熱は苛烈だ。
どちらが先だったかはわからない。
右手か、晴美さんか。
しかしいずれにせよ、彼らは……受け手にその痛みを届かせるために、
すずさんの右手を吹き飛ばした。
受け手の、「自ら」の体の一部を引きちぎることで、受け手全員を完全に巻き込んで見せた。
「喪失」を、より完全にするためだ。
それが彼らにとってそのような史実であったのかもわからない、
しかし、これを表現に対して執拗、と言わずして何といおう?
見習わなければならない……。


 ▼小さき人たちと世界の不均衡について

全編に渡って素晴らい映画だったんだけど、数か所だけ、言葉で引っかかりを感じた箇所があった。
それは、本編の中で3回だけ使われる「世界」って単語だった。
まあ些細なことなんだけど……。

  厳密には5回出てくるんだけど、うち1回はすずさんのお義父さんが口ずさむ歌の歌詞で、
  もう1回は、別で言われたときの回想なので3回とカウントした。

どうってことない、水原さんがすずさんに言う
「お前だけはこの世界で普通でおってくれ」っていうのと、
もう一つは周作さんがすずさんに、もう一回はすずさん自身が、
それぞれ居場所について語るときに出てくるのだけど……。
なんていうか、世界を相手に戦争をしている時代とはいえ、
この規模の日常で暮らしている人たちが……果たして、
自分たちの存在を語ろうとするときに自然と「世界」っていう範囲を意識するものだろうか?
と、彼らが当たり前のように世界の中に自分を置こうとするその意識に、
ちょっとした引っかかりを覚えたのでした。
特に根拠はないんだけどね。

でも、今の今まで足元すらおぼつかないような範囲しか見えないでいた人たちが
突然「世界」って言い出したから、
フッと意識が遠くへ追いやられるような違和感を持ったのは事実。
それをどーこーせいと言うんじゃないけど……
そう思ったよ、ってだけです。

……あー、今思い出したけどもう一回あるわ。
周作さんが大和のことを「世界一の軍艦」って紹介するなあ。
マそれもノーカンでいいや。


 ▼すずさんと周作さん、帰りの汽車でけんかする。

  「お二人さん……そりゃあ今せないけんケンカかね?」

狂おしく愛おしいシーン。
駅員にそう呆れさせた、あのシーン。
広島のすずさんの実家での兄・要一の葬式からの帰りの汽車の中で、
すずさんは周作さんに対して
「水原さんと話す時間を作ってくれてありがとう、けど、夫婦ってそんなものですか」
と、腹立ちと不服を露わにするシーン。
ここでの周作さんの、子どもっぽいジェラシーと反論がすごく良いし、
そこから発展するケンカがまた、なんとも愛おしい。
「こんなちいさなことでいちいちいがみ合っていられることの幸せ」が、
とても暖かく描かれている名シーン。
ケンカは進行しているはずなのに、言い争う中身がどんどんけちくさく、なっていくのがまた
なんとも愛おしい……。


 「ほお、怒っとったとは気付かんかった」
 「そりゃ注意力散漫じゃあ! そんな、ほげた(穴のあいた)靴下はいてきて!」
 「すずさんの繕ったのは小さすぎて履けんようなっとったろう!」
 「他のがあったでしょうに!」



って……。おふたりさん! 萌え萌えですw!
そして、呉に着いてから家へ向かう


 「ほらまた方角を間違えよる! うちはあっちじゃ! 灰ヶ峰の方角じゃ!」
 「わかっとりますて!」



っていう後ろ姿なんかもう、あー、こうやって夫婦になってくんだなあ、
こういうしょーもないケンカ、どっかで見たなあ、と……うちの両親を見るようで。
親バカならぬ、子バカですけども。

しかし、水原とすずさんに「話す時間を作ってやった」周作さんは、
深い不安と、後ろめたさにも似た複雑な思いもあったことを思うと胸が苦しくなる。
いつ死んでしまうか分からない、「死に遅れた」と口にする水原への男としてのシンパシーもあり、
すずさんが水原に心惹かれているかもしれないことに思いを馳せ
(察知していた、と言えるほどたしかな思いではきっとなかったにせよ)、
ある種強引に広島へ連れて来てしまったすずさんへの後ろめたさの代償行為でもあり、
またこの先の戦争で水原が死んだとき、永遠に失われる彼への思慕が美しく大きくなり過ぎることを防ぐため
(いっそここで抱かれておけば、現世の思い出にとどめ置ける)、という、
ことここに至っていまだ小狡くある算段もあったのかもしれない。
本当に、あのシーンの周作さんの思いには、慮ってもはかりきれないかなしみがある。
これもまた、戦争という時代が生み出した思いではある。
戦争は色んな人の人生を、ゆがめながらも一方で作ってはいたんだなあと……
怒られるかも知れないけど、思うオイサンです。
奪うことの方が、やはり多かったに違いないけどね。


 ▼マイベストすずさん of the year in 1944

さあ、お待たせいたしました。
個人的マイベストすずさん in 1944 の発表です(ナンダソレ)。
裏の畑で港とお艦を描いていたら憲兵に見つかってしょっぴかれるときのすずさん。
草色の半そでアッパッパ姿の。
このときのすずさんはちょっぴり日焼けして見えて(夏の昼下がりの光の表現かもしれないけど)、
一番健康的に見えて……妙齢の女性の色気を感じました。
色気ムンムンな時期だったと思う……。
多分この時期、周作さんとヤ(自主規制)。
いや、周作さん、帰ったらこんな若奥さんが待ってるんだとしたらそらもう
タマランと思いますよ。すっ、すずさんっ!

  ……って、この映画をそんな目で見てる瞳が世の中にどんだけあるか知らんけど。

まあまあ、品のない冗談はさておき、戦時下にあっても女性的な魅力もきっとあったに違いない、
若い人の熱量っていうのは傍にあるだけで周囲を引き付けるものがあるから、
それなりにお年寄り多ゲな地域でもそういう役割をになっていたのではないか、と思います
(適当にそれっぽいまとめ方をする)。


 ▼大和~東洋一のくろがねの巨砲、凹んだ人妻を奮い立たせる

だから表現の仕方。
イヤ、そんな目でばっかり見てるわけではないですからね……ホントに。

広島への里帰りで深刻な疾病(ネタバレを避ける記述)が発覚し、
呉に帰ってからも密かに気に病んでいたすずさんを元気づけたのが、
あの日本が誇る大戦艦・大和の帰港だった、というシーン。
いやー、やっぱ大和はすげえな! 人妻もイチコロだ(だから言い方)!
オイサンは、今の日本にも大和が必要なんだと思いますよ。エエ。
軍事力がー、という意味ではなくて、
「世界一だ」と胸を張ることの出来て、手に触れることの出来る象徴的な巨大物体がですよ。

 とにかくでけえ!
 とにかく震える!
 とにかくそこに「在る!!」

というのは、巨大質量は全てを惹きつけるという、大宇宙の真理の一つなのだなあと
しみじみ実感する。
偶像崇拝とかなんとか言われるかも知れないが、
「なんかわかんねえけどデケえなコレどうなってんだ」
っていう圧倒感は、何物にも代えがたい説得力だ。

  『ストライクウィッチーズ』の劇場版でも、終盤、
  デタラメ大和のわんぱくライン川のぼりによって全員が勇気づけられる、という
  バカみたいな(ほめことば)シーンがあったけれども、あれと同じだ。
  あと関係ないけど、
  『アマガミ』の高山御大も『トゥルーラブストーリー2』のことを、
  「あれは戦艦大和ですからw」と評していたなw
  褒めコトバ半分、揶揄半分でw 良い表現だと思う。

あと、オイサンは全編に渡って周作さんのしゃべりが優しくてすごく好きなんだけど、
ここでの「ほれすずさん、大和に『呉へおかえり』ぃ言うてやってくれ」っていう、
周作さんの台詞、すごい好きです。晴美さんの人も、ものすごい上手だよねえ。
みんな名優だけどさ。


 ▼ラスト……の表現

周作さんいうところの「選ばなかった道」である、広島に残っていたらああなっていたであろう、
しかし授かっていたかもしれない子どもを引き受けることによって、
呉と広島というすずさんに有り得た二つの人生が合流する……という表現だと理解すると、
なんとも感慨深く思う。

ただ、もしこれがそのような表現であったとしたなら、
個人的には「広島のすずさんも右半身をやられていた」というのが、ちょっと引っかかった。
広島のすずさんは左半身に傷を負っていて、
まだ絵を描くことは出来、子どもにも恵まれた広島のすずさんから
呉の、画を描くことを失ったすずさんに子どもが託される……とあれば、
表現としては分かり易かったのではないだろうか、と思う。

しかし、
すずさんの人生というのは、あってもその二通りくらいなのだなと思うと
それもまた、切実なようで、鮮やかなようで、
無闇に選択肢ばかりを背負わされる現代に生きる者としては羨ましささえ感じるのです。
が……
空襲のさなか舞い降りた鷺を追いたてるにも
「いまここへ来ちゃいけん! そっちへ逃げえ! 山を越えれば、広島じゃ!」
と叫ぶしか出来なかったすずさん、「ここ」以外は広島しか知らないすずさんに、
やはりどこか、それだけで大きなかなしみを感じずにはおられない。
あのシーンはあのシーンで……
切実に広島へ帰りたかったすずさんの、追い詰められた心を見せられる場面で……
すごく、別のかなしさでも満たれていた。
美しい場面だった……。



■Closing…



……とまあ、そんな感じで。
長々と書いてきてしまったけど、いやあ、これでやっと一息つける気がする。
本当、2週間前の日曜日に見てから、暇さえあれば『この世界の片隅に』のことを考えてしまっていた。

オイサンはシゴトバで英会話の研修を受けているのだけど、
毎週授業の冒頭で、「週末は何をしたんだ?」って聞かれるのよ。英語で。
今週は、「先週と同じ映画をまた見てきた」って言ったら、先生はびっくりしてましたね。
「So Good?(そんなに良かったのか?)
 What was the title?(題名なんだっけ?)」
みたいなこと聞かれたんで、
「『In this Corner of the World』.
 In Japanese,『この世界の片隅に』」
って教えといた。はっはっは。見に行けばいいよ。

色々と拾い損ねている部分、考えの足りないところもあって、
思い返すたびにどんな意味があったのか分からず、悶々と考えてしまっていたけど……
どうにか、これで先ずはひと段落する気がする。

ここ数日は、片淵カントクのTwitterを読んだり、アニメスタイルの連載の過去ログを読んだりしながら、
GoogleMapで呉近辺の地図を眺めてニヤニヤしている危険なおじさんです。
まだ原作には手を付けていないし、
公式アートブックなんかも買おうかどうか、まだ考え中。

いずれにしても、ほかの聖地との兼ね合いもあって、広島には行きたいなあ、と考えている。
大学時代のマブダチも住んでいるし、厳島神社も小学校の修学旅行以来また見たいし、
近くには竹原もあるし、『田中くんはいつもけだるげ』の聖地も広島だし。



最後に。



こうやって、素晴らしい作品について、わからないことや見えていなかったこと、
言葉にできなかったことをじっくり考えてことばにし、まとめていく過程は、
正直苦しくもあるんだけど、とても気持ちの良い時間である。
本当に心地の良い、夢見心地の時間だ。
すずさんのような魅力的な女性に、じっと片思いをして、その思いを綴っているのと同じ気持ちがする。
イヤ、すずさん人妻だけどさ。

きっとこの先も、オイサンはこういう時間を大切にして、
頭のオカシイ片思いを続けていくんだろう。
良い時間でした。
もう一回くらい見に行くと思うけど。

またいつか、素晴らしき物語に出会えることを祈って。
映画って、本当にすばらしいフレンズなんだね。 ← あっ


オイサンでした。


 

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2017年2月 7日 (火)

■帰港~喪失の港にて~劇場アニメ『#この世界の片隅に』・感想(前)~ -更新第1107回-

……いやはや、大変なアニメーション映画だった……。
こころをすっかり焼かれてしまって、まだボンヤリと、
頭が、あちらの世界から帰ってきていない。
そう、『けものフレンズ』の話です。


ちがいます。『この世界の片隅に』です。


一度目を見て、感想をまとめようとキーボードを叩いているうちに、
ごくごく当たり前のこととして2回目を見に行ってしまった。別な館で。

  ……と書いても「お前が2回見るの毎回やないか」で片づけられてしまいそうだけど、
  そんなことないからね!
  そういう映画のことを毎回強調して書いてるから、
  毎作品2回も3回も見に行ってるみたいになってるだけで、
  『シンゴジラ』も『レッドタートル』も『エヴェレスト』も、
  『君の名は。』も『きんいろモザイク Pretty Days』も、
  1回ずつしか見てないから。
  なんなら『きんモザ』に至っては0.7回くらいと言ってもいいくらいだ。
  イヤそれは作品自体の薄さの問題だろ。

『この世界の片隅に』、
ともかく、あの物語の世界を思えば思うほど、心はどんどんそちらへ求心されていく。
言葉にしきれない思いが渦を巻くから、
ここらでいったん言葉にしてしまわないとならない。

色々な見方が生まれてしまう作品だと思う。

戦争が主題であるとも見られるだろうし、
家族、夫婦、の愛、そんなものが主として心に響く人もいるだろうし、
出会いの妙、人間のちいささ、そんなものと思う人もあると思う。
そんな中で、オイサンの見た『この世界の片隅に』の感想を残しておこうと思う。

  いっときますけど、
  当たり前のように本筋に触れるコト込みでバンバン書いていきます。
  それだけ一応、断っておく。
  まあ話の筋を知ったくらいで、何一つ価値や面白みの減衰する映画ではないので
  未見だろうが安心して読むがいい。
  それで面白さが損なわれた! と思うなら、2回、3回と見ればいいよ。
  私の言っていることが間違っていないのがわかるはずだ。
  大体私の書き方では、なんのことやらわかりはしないだろう。



■戦争と物語

「戦争」は、この映画ではとても明確に主題ではなく、舞台立てであるように見えた。
市井の人間一人にはいかんとも動かし難い、
つぶさな現象としての理不尽なかなしみの塊……いわば運命のようなものだが、
それがこの映画における「戦争」の役どころであるように思えた。

  運命という言葉がピンと来なければ、
  自分がこの時代に生まれ生きていることを思ってもらえればいい。
  それもまた抗うことのかなわない理不尽のひとつだ。

人が、いかに考え、備え、いかに正しく行おうとも、
運・不運や善悪に関わりなく、避け得難く降りかかる、大気のような大きなひとつのこと、うねり、
それが「戦争」という姿をして、この物語世界には現れている。

そして主人公のすずさんは、戦争と「時代」に、翻弄
……と書いてしまうとどうしても悲劇色が強まってしまうのだけど、
  そうとも限らず、今を生きる私たちと同じで……
その時々の世の中が生み出すうねりに、あっちへ押しやられこっちで流され、
一見自分で何かを決めている様で、
実はそうしたものに囲われた中で最低限をにっちもさっちもいかず、
右往左往して暮らしている。

特にすずさんという人は主体性を表に出さない(芯がないワケではない)人なので、
殊のほか、ほんろうの色合いの濃い生き方、営みをされておられる……ように見える。
すずさんはそういう「ぼぉっと流されてここまできたこと」を、
悔いるでも恥じるでもなく、
それをよろしくないと思うことも(少なくとも物語のあるタイミングまでは)ない。
「ええんかねえ」くらいはあるけれど、それについて何らかの感触をもつことがない
(オイサン自身も、そこに良し悪しはないと思う)。

そんなすずさんの足跡はつまり、自分をとりまく戦争や時代など、
「理不尽」や「運命の様なもの」を含めたものに対する者の、天然の姿そのものだ。
そこに、強いドラマはない。
結果的にすずさんも(誰もがそうであるように、自分自身の人生の結果という)ドラマを得るけれども、
ロマンや指向性はない。

それは人間の(というか生きるものの)本質だ、と、いまのところ、41歳のオイサンは思っている。
風に揺れる柳、瀬に浮かび淵に淀む木の葉であって、
いっとき闘ったり抗ったりすることは、人の世の限りにおいてはあるけれども、
根っこの姿は、意志を「大きな」拠り所とすることが出来ない、寄る辺なき者だ。

そんな頼りない生き物であるところの私たちが、
「大きなもの」から無尽蔵にわき出すかなしみに囚われながら生をまっとうする内には
どんな喜びがあるのか……
そんな風なことを、すずさんという筆でもって、戦争という時代を画布に描いた絵巻だった、
と、この作品を受け取った。



■居場所と寄る辺、よろこびを見つけ出す場所

すずさんの義姉の径子は、そんなすずさんの生きざまに、
「さぞつまらん人生じゃろうと思うわ」と憐れむように慰め、理解を示した。
空襲が激化し、
すずさんが右手と、見知らぬ呉に嫁いできて以来の友であった晴美を同時に失い
いよいよあらゆる支えを失いつつある中で、
「広島へ帰る!」と周作さんに対して感情をぶちまけた直後の、
晴美の母である径子と和解する場面でだ。

  尚オイサンは、2度の鑑賞の中で、そのシーン……
  警報の轟く中、庭に舞い降りた鷺を追い立てようとして機銃掃射の的になり、
  周作さんに庇われて溝の中で泣きわめくシーンでだけ、涙ぐんでしまった。
  なぜだろう。

このときのすずさんは周作さんに対し、
郷里の思い人(のようなもの)であった水原への気持ちを断ち切るほどの愛情を、
既に抱いている。
それを捨ててでも郷里へ戻りたいと叫んだすずさんの心がどれほど切実だったか
想像に難くないのだが、
径子に上の様に言われ「ずっと呉にいたい」と心を翻し、言い出すのは……
これは想像に過ぎないが、「そんなことは、決してなかった」と思ったからだ。
つまり、
「自分の意志でなくとも呉へ嫁にきて働きに働いた暮らしは、
 つまらないものではなかった、
 広島の日々と引き換えに出来る、価値ある日々であったし、
 この先そのような日々になっていく」
と思ったからではなかろうか。

戦争という理不尽な時代の中、言われるままに嫁に「もらわれ」働か「され」て、
道を選んでこなかったのは確かだけれど、
果たして自分の暮らしの中に喜びはなかっただろか、誤りしかなかっただろか……。
そう考えたときに、そんなことはないという確かな結論を得たし、
他にもいくらかの、意地とかのささやかな感情もあって、
呉に根を下ろす気持ちが芽生えたと想像する。

「根を下ろす」というのは、この物語におけるキーファクターだ。
それは物語後半、「居場所」という言葉で繰り返し語られ、
すずさん自身の口からも、周作さんからも聞かれる。
径子は
「すずさんの居場所はここでもええし、広島でもええ。つまらん気兼ねなしに決めんさい」
と優しく投げかけた。
「居場所」は、寄る辺なき生を授けられる人間が、喜びを見つけ出す場所だ。
すずさんはそれを、周作さんに見初められ、径子と和解することで見つけ出している。

  余談だが、すずさんが呉に残る決断を下したまさにそのときに、
  広島に原爆が投下されるのは物語に置いて、演出はさりげなくも、
  あまりに劇的で象徴的だ。
  客観的に言うなら
  「広島に原爆が投下される直前に、すずさんがその決断を下した」のだが、
  これをすずさんの物語であるとすれば、
  彼女が決断することで、選ばなかった選択肢が消されたように見える。


――世界は、かなしみで満ちている。


それは、この物語の中では言わずもがな、戦争状態でなくたってそうだ。
満たされているのならまだいい。
汲めど尽きせぬかなしみに、絶えず押し流されている、と言った方が正しい。
現し世は移ろい続け、寄る辺ない私たちはそれを止められないし抗えもしないから、
どうしたって何かが失われていく。
失うことはかなしい。
それはもう、光の速さに追いつくことの出来ない私たちが背負い続ける業なのだけれども、
そうして激烈に失い続けるしかない暮らしの中で人々が口にする、
慰めにもならないような「良かった」という言葉に、
すずさんは、吹き飛ばされた右手を見つめてうたがいを投げかける。

  いったい何が「良かった」というのか。
  ここには、喪失のかなしみしかないではないか……。

無間のかなしみの中にいながら見つけ出すささやかなよろこびを「良かった」と肯定して、
そこを居場所にするたのだということを、周作さんの存在と、
晴美の母である径子の言葉から、すずさんは感じ得たのだろう。

どんどん失くなっていく、かなしみの塊でしかないこの世界で、
「良かった」を口にするための居場所、寄る辺とは、何であり、どうなのか、
どうやって形作っていけばいいのか……
その一つの在りようを、この作品は見せていた。



■主題ということについて

ところで先に、戦争は主題ではない(ように思う)と書いたけれど、
戦争や災害や、すさまじいもの、大きなものの中にいないと、
あれだけのスピードで失っていくこと……
「自分たちが常に喪失のかなしみの中にいる」ことを、強く自覚する機会は少ないだろう。
そういう意味では、この映画は戦争の映画だった、とは言えると思う。
ふつう、失くなることと生まれることは、
(少なくとも現代の日本で穏やかに暮らす限り)ある程度のバランスの上で起こるから、
あれだけ「失くなり続ける」ことを目の当たりにすることは多くはない。

また、テーマとしての愛(のようなものごと)についても似たようなことが言える。
径子に「居場所は自由に選んでいい」と言われたとき、
すずさんは故郷広島ではなく、呉という町の、灰ヶ峰のふもとを選び取り、
「居場所を得る」ことになるけれど、その契機を作ったのは、
他ならない周作さんの、彼自ら「最良だった」という選択だ。

周作さんが、すずさんを見初めて広島から呉へ呼び寄せ、
傍にあって真摯な思いを注ぎ続けたことや、
不完全ながらも夫婦や家族の形をともに作り上げたことがあり、
その結果、すずさんは呉で生き残った。
そして恐らくは……いつしか「良かった」を口にすることで、
最終的に、戦争という時代にも打ち勝っていく。

だから、この物語は、夫婦愛、家族愛の物語である、と捉えることにも十分にたえうる。
本来言語化を必要としないその営みを、
愛と呼んで心の力に変えていく人間独特のちからであるとうたっている、
ということもできる。

誤りたくないのは、
「だから居場所を得ればよいのだ」とか、「愛は戦争や暴力に勝る」とか……
そうした単純化を、この作品がやすやすと許していないことだ。
この作品が語ったのは、すずさんの肉体を通して起こった一つの例にすぎない。
そこに、戦争も愛も、テーマと呼べるようなものは単純なものはない。

一度は得た居場所・寄る辺も、すずさんはまた、戦争によって失っている。
皮肉にも、終戦という形でだ。
玉音放送を聞いた直後のすずさんの慟哭は「なぜ最後までやらない!」という理不尽な叫びだった。
すずさんは戦いを続けたいはずがない、勝ちたいはずもない、負けた悔しさがあるわけもない。
あの叫びは、言うなれば

「一番大切なものは失ってしまった、
 だから自分の『残り』全部がけずりとれるまで、ここですべてを失う腹を決めたのに、
 どうして全て炭になるまで失いきらせてくれないんだ!」

という叫びだったと思う。

「これでいいと思ってきた、これまでの全部が飛び去って行く」という語りには、
得たと思った居場所でさえも、
戦争とワンセットになってしまっていたことが含まれている。
手に入れた居場所は、我知らず「失う」という思いとひとくくりになっていて、
一度、終戦という形で一つの決意と切り離されゼロに戻されてしまった。
あの怒りは戦争そのものへの怒りではなく、その戦争をどこか遠くで作り上げてきた、
奪い、失うことを強い続けた挙句に失う事さえ取り上げた者どもへの怒りだ。

「『これでいい』と思ってきたこと」さえ……
何もなくても良い、「子供でおるのも悪うない」と思っていた自分や
「お嫁に行かなくていい」と言った自分を振り払って根を張ることを選び、
何を失ってでも……否、なかば失うからこそここを守って居続けると決めたことさえ、
最後には奪い去られたことに対する怒りだった。

あとになって思い返してみれば、すずさん自身も
「なぜあの時あんなふうに思ったのだろう、叫んでしまったんだろう」
と思うかも知れない……やりきれない、混濁した、理不尽な思いは胸を打った。

また、親子、家族、夫婦の愛が戦争に負けない――そんな話でもない。
それらが惨めに蹂躙され、暴力に屈する場面も冷酷に描かれている。
原爆に焼かれて故郷の呉まで、山を越えて辿り着いたものの隣保館の傍らで力尽きた、
焼けただれて変わり果てた我が子をそれと気付けなかった、母親の姿がそれだ。
片桐さん……だっただろうか。
そんな、ひとがいつも最後の旗印に掲げたがる武器でさえ、
大きな出来事の前では、ぽっきりと折れる些細な杖でしかないと突き放してもいる。




けれども、そんなものをよりどころにして生き、
「良かった、幸せな人生だ」といつかどこかで口にしなければならない、
そんなか細い、喜びとかなしみの矛盾に組み成された、人の営みの姿を描いた作品だった。




  ……人に限らず、この世の命は皆そうなのだろう。
  進化の過程で言葉や知能を置き去りにした者たちが、
  そのことについてどう感じているかは分からないが、
  彼らはそれに納得したがゆえにそれらを置いていったに違いない。

ところでこの映画を見ていて、「平和ボケ」ということもまた、考えてしまった。
それは狭義な、戦争がどーとか、危機感がこーとかいう意味に留まらず、
自分の人生が特別で安全なものであって、
「デフォルトで」理不尽やかなしみと無縁に守られているものであると思いこむことだ。
この映画が非常な稀有なもの・物語として評価されていることの背景には、
その広い意味での平和ボケ
……自分の人生の安全を生命由来のものと無意識に思い込むこと……
が、ケガや病という日常のレベルで入り込んでいることがあるんじゃないだろうか、
と思った。



……マそんなことで……。



どこまで文字にしても上手くまとまり切らないし、それも当然なのだけれども、
これが、多くの人が「言葉にならない」「一言で語れない」「感動とか泣いたとかじゃ語れない」と、
言葉にすることから手を引いたこの映画の、正体の一部だったと、オイサンは思う。
ひとりの女性が得た史実なのだから……通りの良い結論などなくて当たり前だ。
素直に混濁した思いと、何によって救われたかがあっただけだ。

それがゆえに、わかりやすく説教臭い
「辛く苦しくとも、明るくしなやかに生きていきなさい」
といったようなメッセージはここにはない。
それを全く感じさせないのが、またこの映画の凄みのところだ。

ここまで書いてきたことをまとめると
「人間存在のちいささ」みたいな、味もそっけもないあやふやな言葉になってしまうが、
そのことを丹念に丹念に、ひとりの人間のからだを通じたつぶさな記憶へと描き込んでいるから
誰の手にも届く、手触りのある形になっているのだろう。

そしてまた、そのための手はずとして、
史実や、当時の風景とのリンクを石ころレベルで図ることがあったのだろう。

地続きとも思える時代の水分を持った風景の中を、ただひとえに、
こうやって生きた人がいたかも知れない、
生きていくことが出来たかもしれない、
この先、出来るかもしれない、という一つの具象として描くこと。
「こういうことがありましたよ」と、ただただ真摯に謳うのみだ。
自分の瞳の端にも掠めたかも知れない、人影の物語。
だからこの物語は単純な悲劇では終われないし、時代を悪しざまに批判するものでもない。

争い、理不尽、暴力への憎しみは、
いたいけなすずさんの姿を映して当然心に芽生えるけれども、
それはまた大切な別の契機として、心のどこかへ持ち帰ればよいと思う。

ところでこれは偶然知ったことだけど、『この世界の片隅に』のタイトルは英訳されると

  『In this Corner of the World』

となるらしい。監督がそのようにしたそうだ。
記者に質問された際、『In the Corner of this ...』と言われて訂正したという。
つまり、「この」は「世界」にかかるのではなく、「片隅」の方にかかる、と制作側は考えている
(原作者の意向が反映されているかはわからないが、監督の原作へのほれ込みようを見るにつけ、
相談はされているだろうと思う)。
だから、より限定的に、日本語的にタイトルを言い直せば、
『世界のこの片隅に』が、言葉としては厳密かつ的確になるのだろう。
「どこをも中心、どこをも片隅と捉え得る、球状をした世界のあまねく片隅」ではなく、
「『この』東の果ての日本の、広島・呉という片隅」ということが強く主張されている、
と考えた方が良い、というメッセージだ。

しかしそれはあくまでもすずさんという女性の人生を思ったときのことであって、
この作品を見た私たちは、誰もが自分の帰るべき片隅に持ち帰って欲しい、という広がりを、
合わせて謳っているように思う。

すずさんの得たものが唯一解でない用に、
「this corner」はあまねく個人の視線の先にあるthisであってよいと、
そう言っているように、オイサンには思えた。



……と、ここまでが総論。
ここからは各論というか、オイサンの好き勝手な話になっていくので
(ここまでは好き勝手じゃなかったつもりか)、
一旦ページを改めます。


ほなまた。オイサンでした。続く。




 

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2017年2月 4日 (土)

■アバズレ吊り広告たちの進捗 -更新第1106回-

役割だ、立場だ、
そんなものにいいようにされ得意げに口にした手合いのすることに、畢竟なんの価値も伴わない。
正義を見つめろ。

オイサンです。
デンワがAndroidさんになって以来、えらくコンビニエンスな毎日を過ごしております。

うーん、手軽に色々手が届くなあ。ホントにPCいじらなくなりそうだ。
ネックだった文字入力も、アルテキーボードの片手入力が随分こなれてきてしまって、
ブラックベリーでの両手入力よりも速い、とは言わないまでも、
自分でストレスではない程度の速度で打てるようになってきてしまった。
大したもんだ。

 ▼アルテ日本語入力
 
 マとはいえ、さすがにこれで長文入力は出来んがね……。


せっかくなので、これを機会にスマホげなゲームにも手を染めてみようと思い
ナンボか試してみているんだけど、それはやはり受けつけられずに
どっぷりやるまでは至っていない。

どのゲームにしても……シナリオの導入が雑of雑、雑の中の雑で、

「んな細かい設定とかどうでもいいだろ!
 エロい2次元お姉ちゃんイラストくれてやるから
 さっさとガチャ回してカネ落とせやオラァ!!」


みたいな態度が腹立たしい。
物語を楽しむ人間の心をなんだと思っているんだ。
このままでは、日本のカジュアルな物語はダメになるぞ。

  ……冗談で大げさに書いてみたけど、ワリと当たらずとも遠からず、
  深刻な事態の気がするな……。
  あの、ソシャゲのストーリーの導入、ホントひどいと思いますよ。
  制作サイドの皆さん、もっとまじめに考えて取り組んで作ってください。

あとイヤなのが、メイン画面というか、メニュー画面?


  「ナントカイベント、○月×日まで!」
  「ログインボーナスでXXゲット!!」



とか……お前は一体、ゲームのこっち側の話をしてるのか向こう側の話をしてるのか、
こっち側(現実)の話をしてるなら、ちょっとゲームとはヨソの枠でやってくれんか、
俺はこれから現実とはかかわりのない、架空の世界で楽しみたいんじゃよ!!
……っていう気持ちになるし、
週刊誌の電車の吊り広告か、旅行専門誌のレイアウトみたいなこれは、
欲望丸出しで品がない……。


このあばずれどもめ!!


なんていうか、こう……誰かが最初にこのフォーマットを拵えて
業界皆が標準にしてしまったんだろうけど、
最初にこのフォーマットを考え、良しとした人は、エンターテイナーではないね。
商売人だね。
架空・虚構の世界で楽しんでもらおうという、本来の目的と気概を見失っておる。
というワケで、やはりやってない。
ぷんすこぽん。

代わりに……と言ってはなんだけど、「アこれは上手だな」と思ったのが、
ニュースアプリの『ハッカドール』。
これは切り口が面白かった。
あくまでもメインはオタク系キュレーションニュースアプリなんだけど、
2次元美少女アバターがついてきていて、
アプリを使う、ニュースを読むとアプリ内ポイントがたまって
アバターと遊んだり、ストーリーを読んだりできるという、
虚構娯楽部分は実用のオマケ、というスタンスで構成されている。

なので、虚構部分に物語的な「導入」は必要ない(あくまでもアプリの機能の一端なので)し、
そのワリに、生活に密着してくるからキャラクターには変な愛着がわくし(ペットみたいなもんで)、
「手間を合理的に省きつつ、暗に物語を構成しながらキャラクターを成立させている」
という、なかなかキワまったことをスラっとやってて、おおこれは、と感心してしまった。
イカス。
一種のARゲームですよ。
……と思ったら、やっぱりなんか、アタマ良さゲなダメな人たちがこしらえておられるご様子。

  ▼「週5日つかうユーザーが70~80%」DeNAのオタク選抜がつくったニュースアプリ
   「ハッカドール」が驚異的なアクティブ率を保てる理由。

   http://appmarketinglabo.net/hackadoll/


マこちらも商売っ気がゼロなのかと言われたら、DeNAさんですし、
ニュース見出しの隙間にアプリの広告とか挟まってくるのでそんなことはないのだけど。
極端にやいのやいのチラシを投げてくるでもないな。

ていうか、こんなもんフツーに『NOeL』の続編アプリつくれば一発なのに、
なんでやんないんだろうねえ。
『ルームメイト・井上涼子』に先を越されたって知らないよ!!(越されるかバカタレ)

……なんか妙に、ステマっぽい内容になってしまったな。
マ別に、いつもか。
普段も適当に、好きなモンを褒めてるだけだな。そうか。いつもステマか。


……まあそんなに、ニュースも見やしないんだけどね……。
オイサンでした。


 ▼ハッカドール THE Animation
 
  OPは好きだったが、本編はほとんど真面目に見なかったな……
  ♪マイノリティ⇔マジョリティ、どっちもネ楽しいよ♪





 

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2017年1月22日 (日)

■はじスマ!~はじめてのスマートフォン~docomo シャープAQUOS EVER SH-02J 使用感など -更新第1105回-

長いこと同じ町に住んでいたり、同じ店に通ったりしていると、
知り合いではないけれどもお互いなんとなく顔くらいは知っているという御仁が幾人か出来るようになる。
言葉を交わすことはないが、それなりに定期的に顔は合わせるという程度の、だ。
そんな彼らの風貌から、
いつの間にか白髪が増えたなとか、老けたな、痩せたな太ったな、
どこかうらぶれたな、などと時の流れを思うことが少なくない。
きっと彼らから見て、オイサンも
「あの人は、初めて見かけたときからすると随分と年をとったな」
と見られているのだろうと思って初めて、時の流れの恐ろしさに戦慄する。

今の町に移り住んで14年になろうとしている。
小学校に上がったばかりの子供が成人する時間が過ぎた。
そうして比較するものでもなければ、
自分に訪れ去っていた時の量を量ることは難しく、
なるほど時間の流れも相対的であるとしたアインシュタインさんはなかなか賢いなと
思い至るのんきなおじさんなのであった。


オイサンです。


昨年最後の日記で、いよいよブラックベリーさんとお別れしたことを書いた。
デいまは新しく、SHARPさんのAQUOS EVERさんとどーにか仲良くなろうとがんばっておるところ。

スペック何やかんやについては、公式のページをご参照ください。

 ▼AQUOS EVER SH-02J
  シャープ公式 : http://www.sharp.co.jp/products/sh02j/
  ドコモ公式  : https://www.nttdocomo.co.jp/product/smart_phone/sh02j/
  価格.com   : http://kakaku.com/item/J0000021976/spec/#tab



■Androidという「環境」

あのですね、AQUOS EVERさん個人の能力がどうこういう以前に、
まずオイサン、スマート電話ってべんりだな! って思いました!
ブラックベリーさんごめん!
でもAndroid電話、ちょうべんり!
そりゃお前、高校生・大学生くらいがPC知らずにいきなりコレ持ったら、
特別な用途を指向しない限り、PCとか要らんわって思うよ。
「超長い文章を打ちたい」とか、
「超絵ぇ描きたい」とか、
「超綺麗な写真を撮って超見せびらかしつつ超保存したい」とか。
そーゆーのない限り、「フツーに」暮らす分には、十分過ぎるもの。

電話、メール、SNS、web、地図、写真、メモ、天気、交通情報……そんなもん?
超必要十分。
ブラックベリーさんなんかお前、この中でまともにやれんの、電話・メール・SNSくらいのモンよ。
日本じゃ。ホントに。
天気予報だって、日本の予報をツブサに見られるのなんか、ないんだもん。webは遅いし。
その分、メール・SNSの入力については超マッハだけどさ。そこはお墨付きだよ。
追随を許さないよ。追随ずっころばしだよ。
ああ。

  マけど、アプリは豊富なんだけど、GooglePlayは、ちょっと探しづらいよね。
  網羅性が低いというか。なんかこう、別にランキングとか人気とかいいから、
  隅っこの方まで細々探したい系男子には向かないね。

オイサンたちはそれ以前のリッチな……
言ってしまえば「過剰に贅沢な」PCでの環境を先に知ってしまっているから
「よくこれだけで満足できるな!」って言うケドさ、
それは舌が肥えてるっていうのと、まあ同じですよ。

  オイサンだって「よく生身の女とセックスしないで我慢できるな」って言われたって、
  そりゃそっちを知らないから二次元で必要十分だって思ってるわけですよ。
  必要十分だし。うるせえなほっとけよ。

アプリも一杯あるし、サクサクふにゃふにゃ動くし、カスタマイズも楽しめるし。
立派だ。
オイサン感動しちゃった。ゴメンなブラックベリーさん。
君のことは今でも好きだよ? 持ってるだけでオンリーワンだった。
ガイジンに「お前なんでそんなの使ってんだよ、それでも日本人か」って言われたのは衝撃だった。
お前の国のスマホだよ。
ガラパゴスは日本のお家芸だよ。



■お値段

「本体価格5万何千円」とか書いてあったので、
お安くなる! と書いてはあれど、
「どうせ2年とか3年とかかけてそれを払うんでしょ」と思っていたが、そうではなかった。
FOMAからは乗り換えサポート割引とかがついて8000円くらいで済んでしまった。
本体代金、ソレで全部。
ムウ、そんなに安くなるのか、だったら……と思って、もともと狙っていたARROWSさんの方も見直してみたけど、
そっちはそういうサポートお値引対象外だったワイ。しっかりしておる。
尚、docomoのMONOはそれを適用すると600円とかになるようだった。
600円て。気の利いたガチャガチャか。
マそんなんで、ヘタすりゃ10万円くらい吹っ飛ぶ気持ちで臨んだものの、10分の1以下で済んじゃった。
ドコモさんも、お客を繋ぎとめようと必死だ。



■大きさ・重さ

重さは、気にならない程度。胸ポケットに入れてても邪魔には感じない。
時々どこに入れてたか忘れる。
大きさも、持ち歩く分には全然問題なく、
ジョギング時にはポケットに入れて走っていても、やはり気にならない。

  まあ冬なので、そもそも着ている物が重いしポケットもたくさんついてるから、
  それで「気にならない」感じになっている可能性はある。

手に持って片手で操作するに当たっては、
5インチのこの大きさではやはり逆サイ(右手で持つと左端)へは親指が届きづらいし、
対角線上となると先ずムリ。縦方向へは、随時本体を掌の中でずらしながら使うしかない。

けどまあ、ブラックベリーさんを使うときも大抵両手持ちだったオイサンには、
それはあんまり関係がないハナシ。
キーボードもqwerty設定で使っているし、
左手で支えて右手でちょんちょん、という使い方をする場合が殆どです。

大きさ的にこの大きさがウリ、というわけではないので、
もう一回りだけ小さいとより良かったかな。



■耐久性

……は、別にとくに試験はしてない。そりゃそうだよ。壊れるよ。
一応、ケースを嵌めて使っている。
(TPUだったか、クラレの新素材だか忘れたけど、どっちか製)。

本当はもう少しゴツめのバンパー的なものが欲しかったが、探しても見つからなかった。
しかし、先日ステッカー貼ったろと思って一回ケースを外して持ってみたら、
「え、剥き身だとこんなに小さかったっけ?」
と驚くほど小さく感じたので、これよりさらに一回りも大きなバンパーとか嵌めたら
ちょっとうっとおしく感じるかもしれない。

ディスプレイ面には、カタさ9Hとかのカッタイガラスを貼ってます。超防御。
……しかしこの9Hのガラス、
「落っことしたら表のガラスは割れずに内側の本体の液晶だけ割れた」とかいう
非常にオイシイ事例もあるご様子。
衝撃吸収せえよwマ油断せず、落っことさないように扱いたいと思います。

……とか言ってる間に、ヨドバシのトイレで一回落としたし、
釧路でスッ転んだとき、左胸ポッケに入れてて左からいったんだけど、
どちらも無傷だったので……マとにかく、その程度には頑丈、と思おう。



■バッテリー

電池のもちは……いいと思う。うん。いいと思う。
なんでこんな煮え切らない感じかというと、
ブラックベリーさんが最早開店休業状態で、
100%充電からでも半日もたずにおやすみタイムを迎えてしまうような状態だったから、
大抵のフツーに動く電源であれば「長い」「快適」と感じてしまうのだw!

  だってブラックベリーさん、
   100% →(あっという間)→ 70% →(ちょっと早め)→ 30% → 突然落ちる ← ここまで半日
  みたいなんだったんだもんw

だがそれではAQUOS EVERさんの評価にならないw
オイサンの使い方としては、

 ・twitterは日がな一日繋ぎっぱなし・定期更新
 ・メール送信2、30通(自分のメモ用が殆ど)
 ・webはチョイ見程度(~30分)、動画・ゲームなどは使わない

その使い方で、朝から無充電で使ってても、日に60%より下になったのは見たことが無い。
先日の摩周湖へも連れて行ったけど、
零下10℃の中で5時間ほど胸ポケットの中に入れっぱなしにしていても
帰ってから残量を見たら90%以上残っていた。「休ませる」ことについては一級品のようだ。

うたい文句では「無充電で3日間使える」とあるが、
マそれは3日目は青息吐息で無理やり生きながらえさせる、みたいな使い方の場合だと思う。
けど、オイサンの使い方なら、Twitterをいくらか制限しさえすれば、
2日は持つんじゃないかなーと思う。そのくらいのモチ加減。

一応、モバイルバッテリーも準備したけど。ANKERの13000mAのやつ。
モバイルバッテリーの実際に充電に使える容量は、
フル容量の60~70%程度と聞いたので、それでも3回は満タンに出来るであろう。
いま試験使用中。
ひとまずAQUOS EVERさんとANKERさんをどちらもフル充電して、
AQUOS EVERさんが30%にまで下がったらANKERさんで充電する、というので
最後にAQUOS EVERさんが空になるまで何日もつか、という感じで。


 ▼アンカーPOWERCORE13000
   


いずれにしても、他のスマートフォンとの比較は出来ず、
オイサンにとっては、今後このモチ具合が標準、ということになるぞ。



■画面

解像度は、1280×800のHD。十二分に見やすいのではないでしょうか。
表示方面でも、目に優しい照明切り替え機能とかあるけどあまり使っていない。

オイサンは、撮った写真は大体FullHD(1920×1080、3:2の物は1620×1080)に縮小して持ち歩くので、
それを無縮小で見られないのがちょっと残念だが、
マそれはタブレットですれば良いだろう。

画面の縦横回転を、
「縦固定か、ジャイロ自動認識か」の2択でしか制御できないのはちょっと不便。
任意に横固定出来る設定も欲しい。
あと、デフォルトの画像ビューアくらいあってもいいんじゃないだろうか、と思う。
画像の回転、反転くらい出来るやつ。
なんでないんだろ。まあブラックベリーさんにもそんな良いモノなかったけど。
ディスプレイの話じゃないな。

見づらいとか反射するとか疲れるとか、特に不自由は感じない。
タッチ感度にも不満はない。
不満はない=フツー、のレベルで話してるけど、結構すごいことだよな。
立派です。



■カメラ

カメラについては、まだ研究中。
アラフォーたちに見せびらかしてもらったiPhoneのカメラほどは、
なんだろうか、劇的に優秀ではない気がする。
地味な印象。
それなりにちゃんと撮れる、くらい。

今のところ「これで十分、これだけあればコンデジ要らないなあ」とまでは、到底思わない。
メモにはなるねー、ぐらいだろうか。ブラックベリーさんよりはいい。
まあこれは、もう少し道具として使いこなしてみないと見えてこない世界がある気がする。

一応フルマニュアルモード(シャッター速度・ISO・焦点距離をいじれる)があって、
かなり好きにやれそうではある。
どうにかうまいコト、マクロっぽく後ろを暈したり出来ないか研究中。

このカメラ(というか、ケータイカメラというデバイス)ならではの味わいは、
使いようで出せると思う。トイカメラ的な遊び方として。

……が、如何せん、操作性が悪い。
各項目の調整をタッチパネル上のゲージでやることになるので、
狙ったところに持っていくのが難しい
(SSを1/160にしたいのに、すぐ1/240とか1/80とかまで行ってしまう など)。
ゲージをじかに触って動かすのではなく、ドロップダウンリストかダイヤルみたいに数値を選択する方が、
設定のしやすさという意味では良いように思う。
ただそうなると、ISOなんかの「蛍光灯・晴れ・曇り」みたいな目安が分かりにくくなるから
その辺は別クチで考えどころだけど。
フルマニュアルで調整可能な項目がちょっとヘンで、

 ・ISO
 ・シャッター速度
 ・F値
 ・ホワイトバランス


とかじゃなくて、

 ・ISO
 ・シャッター速度
 ・焦点距離(単位が分からん)
 ・コントラスト
 ・彩度
 ・明瞭度


とか、なんか画処理パラメータみたいなのが出てくるので、ずいぶん普段と勝手が違う。
まだその辺は試せていない。
面白く使えるようになるといいな。

如何せん本体が薄いし、シャッターキーが液晶上なので、
どうあがいてもブレそうですごい難しい。マうまいことやってくれるんだろうけどさ。
普段使ってるカメラがカメラなので、人任せで上手にやるのはすごい緊張する。

以下、実際に撮った奴。

Dsc_0006 Dsc_0068

Dsc_0079 Dsc_0081 Dsc_0126

Dsc_0189






■操作性と、打鍵のしやすさと、歩きスマホと~
       (便利さ+見やすさ)×入力のし辛さ=危ない



▼操作性。
タッチとかスワイプとか、いわゆるスマートフォンとしての操作性は十分。
何が飛びぬけて良いとは思わないけど、ここがダメ、というところも特にない。
まオイサンの場合、すぐに「これはこういうものなんだろう」と納得してしまうから
呑みこんじゃっただけかも知れないけど。いずれにしても、ガマンならぬほどダメなところはない。

とても便利ポイントには、指紋認証ロック解除がある。
思いのほか精巧で、ちゃんと動く。もっとヘボいかと思ってた。
指を左右何本か登録できるので、
「自分に、どういう持ち方のバリエーションがあるか」を一度確認して、
「こういう触れ方をしたときにサッと解除になってくれると嬉しい」指を登録しておくと
スムーズにやりたいことに移行できる。なかなかです。
解除 → イキナリアプリ立ち上げも出来るようになっている
(特定の指で解除したときに自動で立ち上げるアプリをセットしておける)。
マ使ってないけど。

尚、認証に連続5回失敗すると、一定時間たつまで指紋による解除は受け付けられなくなるけど、
通常のパタン解除(星をなぞるやつ)は効くので不自由することもない。
よく考えられておると思います。カイテキ。

  エモパー(音声ガイドエージェント。Siriみたいなの)とか、
  イルミネーションみたいな見た目寄りの機能は、あるけどOFFにしている。

電源キーとボリュームキーが近くにあって、押し間違えることが時々ある。


▼音関係の設定が、ちょっと大雑把で困った。
音のカテゴリーが「着信」「アラーム」「メディア」の3つに分かれていて、
設定の組み合わせが3種類しかない。

 通常マナー:着信:× アラーム:△ メディア:○
 サイレンス :着信:× アラーム:× メディア:×
           :着信:× アラーム:× メディア:○


   ×:鳴らない ○:鳴る △:アプリ依存

個人的には「着信:× アラーム:○ メディア:×」が欲しかった。
メディアは鳴らしたくないのだが、サイレンスにしてしまうと軒並み全強制OFFで、
アラームが鳴らないのは困る。
アラームはアプリでどうにか対処したが、メディア音を常時強制OFFする方法がないかは模索中。

定期的に、あんまり重要とも思えないシステム通知が来るのは頂けぬかな。


▼文字入力には……まだ慣れない。
当たり前だ。ブラックベリーさんの物理キーボードはそれほど優秀だった。
ソフトキーボードは、基本QWERTYで使っている。文字入力時は両手だ。
片手になるときは、アルテ配列で使っている。

ブラックベリーさんがやはり偉大だったと思うのは、
手元をほとんど見ないでも打鍵できたことで、歩きながらでもかなり前を見ていることができた。
意識が手元にいってしまって前がお留守になることはほとんどなかったのだ。
そもそも画面が小さいから、物理的に視界を占めるエリアが小さい、というのも
理由としてあるかもしれない。
だから、正直オイサンは、世の中の歩きスマホ危険運動について、
「みんな不器用だな、そんなに危ないか?」
と思っていたのだけど、

それがいま、AQUOS EVERさん……このサイズのAndroidスマート電話さんを持ってみて、
その危なさが身に染みた。あぶないわ、これ。
つまり、

 画面が大きくて見やすい(それ以外に意識がいき辛い)
  +やれることが多い&楽しい
   +それなのに入力はし辛い(作業には集中しなければならない)

の3連コンボで、あぶなさ超MAX。
手元に気を取られ過ぎる。これは意外な発見だった。こんなに差があると思わなかった。
ぶつかったり落っこちたり、するわ。
ね。
皆さん、歩きスマホはやめましょう。
歩きスマホどうしてもしたい人は、ブラックベリーさんを推奨します。
スマホじゃなくなるけど。歩きブラックベリー、という新ジャンル。

純粋な文字入力・文章編集というところに立ち返ると、
単純に「打ち込む」ということ以外では、

・文字列選択など編集面でもブラックベリーさんに軍配が上がる。
 やはり「キー+カーソル」で、明示的に選択指定できるのがイイ。
 ゆび先でやるとなると、やはりある程度、
 開始位置・指定位置に幅なりズレなりを意識しないといけない。
 慣れていくしかない部分があって、ストレス。
 感覚を養っていくしかないのだろう。ゆびが細い人はそうでもないのか?

・「コピー」「切り取り」「貼り付け」を、長押しでしか呼び出せないのもなあ、と思う。
 文章を構成するにはある程度リズムが必要だから、
 長押しではリズムが狂うところがある。

・入力のし辛さやブレ・ズレが見込まれている分、
 androidさんは推測変換などが素晴らしく発達している。
 多少打ち間違えても、推測でカバーしてくれようとする。その充実ぶりには感心した。
 ……が、なるたけ変換に頼らず自分の手で最後まで打ち込みたい系男子のメンドクサイ自分としては、
 出来るだけ推測結果には頼らず自分の手で打ち込みたい欲求がある。
 推測変換をしてくれるのはありがたいのだが、
 たとえば「あ」と打ったら、まず変換候補のアタマには「あ」と「ア」と「ア」と「ァ」は、
 かならず不動で出て欲しいなあと思う。推測結果が出るのはそのあとからであって欲しい。

しかしまあ……本格的に、このテの板型デンワ機を初めて持つので
(2週間ばかり代替機として借りたことはあったが)思うけれども、
いやあ、一見ホントただの板なのに、なんていうんでしょう、この、
人間の生理の方を突き詰めて、この板を徹底的に触りやすくするインターフェースの作りこみには、
執念を感じますね。
スゴイです。



■最近気になること

使い始めて3週間になろうとしているけど、最近ちょっと気になるのは、
「XXX(アプリ名)に問題が起こったので停止します」
という現象と通知が、日に1~2回くらいの頻度で飛び込んでくること。

アルテキーボードと、基本のランチャーと、ファイルマネージャのアプリで言われたかな?
あと、たまにTwitterクライアント(TwitPaneを使っている)も反応しなくなって
「停止しますか?」って聞いてくる。
聞いてくるワリに、「いいえ」を選ぶとそのあとフツーに継続して使えてたりする。
なんやねん。

そんな重たい使い方をしているつもりはないが……重いのだろうか。
落とし忘れない限り、同時にたくさんのアプリを立ち上げたりはしていないが。
あたしって重いオンナ? ← 自分に酔うな

気になるのは、
例えばメールや、Twitterや、基本ソフト(電源管理・電波管理・音声管理)やなんかの通知が、
ずっとディスプレイ上縁に常駐してるでしょ? アレ。
立ち上げてもいないソフトでも、たまに通知を出してくること。
通知を出してくるということは、あれらのタスクは常にor定期的にモゾモゾ動いているワケで、
あれらがメモリを食ったり、電池を消費していると思うと、
正直、気分が悪いしキモチワルイ。
要らない物は停止+無効化設定しているつもりだが、
切っていいかワカラナイ・対処しきれないものもある。

オイサン細かい性分なので、ああいう
「自分でコントロールしてないものが、動いてるのが目に見えてしまって、
 どのくらいの重みなのか分からないの」ってジワジワする。
そういうものが重荷になってないか分からないし、
「放っといてもいい、気にしないさじ加減」がまだよく分からヌ。

アプリごとのメモリ使用量・通信量とかは見てるけども。



■Closing

マそんなところで……。
一長一短、というか、システムが違って不慣れなところで戸惑うことはあるけど
概ね良好な感じ。
んでもアンドロイドさんくらい生態系がしっかりしていると、そういやり辛さがあっても
アプリを引っ張ってきて解決する、ということが出来るのが強いなあと思いました。
根本的なものはどうしようもないにせよ。

しかしこうして感想を書いてみたところ、
大抵どんなスマートフォンでも、基本的な機能・性能は変わらんのだろうな、
と思うとどうにも味気ない。
どの端末について感想を述べても、きっと書くことはそこまで大きく変わってこないんだろう。
素人が素人目に見て素人目に抱いた感想が、変わってこないというのは……
なかなかシンドイ世の中だな、と思う。

重箱の隅を突くように、あれやこれやの数値や根拠を持ってきてようやくでなければ
「ここがこういう風に良い、素晴らしい」
と言えないというのは……国民に総玄人になれ、と言っているようでもあって
なかなかシンドイなと思う。取捨選択も難しいしね。
マどれを持ってきても失敗しないという意味で、ある意味恵まれてもいるのだろうけど。
ピッとした面白みに欠けるというかね。
マまだスマートフォン一台目のオイサンが言うのもなんだけど。

案外この子はとても優れた良い子で、
他を選べば、落ちるわ壊れるわ反応しないわ写真は汚いわ、
っていうこともあるのかも知れぬし。

あーあと、アクセサリーがやっぱりまだ少ないね。
それこそブラックベリーさんに比べれば夢のように多いけど。
吉野屋とすき家くらい違う(地味な比較)。
スマートフォンの世界がこんなにiPhoneとXperiaさんばかりを中心に回っていたとは
気付いていなかった。
背面がボンヤリ透けるくらいの、
ビビッドな黄色のシリコンバンパーが欲しいと思うオイサンでした。

蝶野大使のアンテナショップで買ったガルパンの給油口ステッカー貼ったから、
いま背面がこんななってんの。


P1220035




裏面だもんだから本人ときどきそのコト忘れて使っちゃうけど、
電車で立って使ってるときとか、正面で座ってる人とかびっくりしてるかもなので、
ちょっとそれを薄められたらいいなと思う。
尚、現在の待ち受けはこんなん↓↓↓

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えろい。武部ラブか。
おあとがよろしいようで。
オイサンでした。





 
 
 

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2017年1月18日 (水)

■ろんぐばくおん!らいだぁす!は思春期!&パンツァー -更新第1104回-

2016年も、そこそこたくさんのお歌を聴いた……ような気がする。
ちゃんと管理とかカウントとかは出来てないけど。

年の中ごろに一回、『シャツとブラウス』とか『Golden Life』(『アクティヴレイド』のOP)とか、
『いつか僕らのエピローグ』(『氷菓』webラジオED主題歌)とか、
心にパッと火をつけてくれたものについては書き残しておいたが、
そんな中でも、年の後半特に心に残った数編について書き残しておこうと思う。

今回書き残すのは、斬新・革新というよりは、
普遍的な物を新しく鮮やかに、作品にあわせて言い換えたモノが多いように思うが、
それはそれでいよいよオジイチャンになってきたオイサンの涙腺にググッと来たので、
思い出のように、
……また十数年後とかに、我知らずふと口ずさんでしまうくらいには心に留めておきたいと思う。



■『ろんぐらいだぁす!』OP 「ハートkm/h(ハートキロメートル per hour)」

 


 ▼ハートkm/h
 


作品本編の方は、制作の遅れとか、マそもそもハナシにそれほど見るべきところがないとかで
色々災難な感じですが、OPは素晴らしく、なかなか好きです。
特に画の方も、後半完全版になってからは大変良かった。

まず曲のタイトルからして良いですね。
「ハートkm/h」。
正直、最初見たときは「またヘンにカワイカッコぶったタイトルつけてやがって」
と思いましたが、なかなかどうして、ちゃんと受け止めれば巧みです。

なにせ自転車のアニメですから、漕ぐ人間の心肺能力が重要なワケです。
時速ハートkm、つまり「お前の心肺能力の分だけ速度が出るぞ、前に進むぞ!」
ということを、非常に短く、端的に表現しきったナイスなタイトルだと思う。
ブラボーです。
また、意味はもう一通りとれて(というか寧ろコチラの意味がメインだろうけど)、
「キモチの分だけ前に進む」というところですね。
この、自転車にかこつけて意味を二つ載せてきた辺り、実にいいですね。

歌詞全体も、とにかく
「新しい世界、新しい自分! 勢いで、気持ちで、前のめりで、前へ前へ!」
という疾走感、加速感と気持ちの昂揚感がもう
どうしようもなく抑え込めずにあふれかえっており、
よくもまあここまで前傾姿勢を徹底できるなと感心します。
お前はトリケンか(それは前かがみだ)。

しかしこう、一番心にグッと来たのはやはりサビの部分ですね。


  ♪ この心に生えた翼で見たい景色があるんだ! ♪


まあ、表現自体は特段珍しい歌詞ではない、と思いますけれども。
ただ、絶妙に「もどかしさ」が、言葉遣いによって織り込まれているところが
素晴らしいと思う。
「見たい」「あるんだ!」の欲求・訴えコンボで
「お、おう。せやな」としか言われた方が返すしかない
(内心「見られたらエエな」「ちょっと落ち着け」という気持ちもあるけど)
一方的だけどもイヤミのない情熱は、
オイサン大変よくわかる。

気持ちばかりがものすごい昂揚感で先走ってしまって、
見たい景色と、見たい景色を見られる自分にはまだ追いつかない、
でも見たい気持ちだけは本物なんだ、分かってくれるよね!?
っていう暑苦しいようなさわやかなような訴えが、この歌詞にはある。

「気持ちに生えた翼」というのは、
所詮はまだ「飛ぶことが出来るかもしれない可能性」でしかないわけです。
けれどもそれは、物理的に具現化されるもうホンの半歩手前の、
半透明で目に見えるくらいのところまで来ている「限りなく1に近い0」であることが、
この歌詞では「あるんだ!」によって表現されておる。

この歌で歌われて初めて気が付いたけれども、
オイサンも心に羽を生やせていた時期が確かにある。あった。
それこそ何回も何回もあったわけですが、
具現化に成功したことは多くはないにせよ。

  代表的なのは、
  『北へ。』をプレイして北海道へ旅行するのを決意した時とか、
  『アマガミ』やって50kgダイエットした時とか、その辺ですね。

その感触があるからこそ、この歌へのシンパシーというか、
歌詞がしっかりと捉えている身体性の部分を共有することが出来て、
すごい良いな、と思ったのでした。

それに、別にトシ食ったからと言って心に翼が生えなくなるわけじゃなく、
この先もナンボでも生えてくると思うのです。
それは素直に、あると思う。
そういう意味で、今後の希望としてもこの歌は大事に持っておきたいと思うし、
皆さんにもぜひ素直に聞いてもらいたいかなーと思うのです。



■『大家さんは思春期!』OP 「Shining Sky」

 


 ▼Shining Sky
 



  ♪ きみの笑顔のカガヤキで 明るくなる セカイ
  ♪ ……
  ♪ きみの心のヤサシサで 彩られる ミライ


1行目が1番のサビ、2行目は2番のサビです。
コレマタ、珍しいことも斬新なことも、なーんもないありふれた歌詞ですね。
オイサンもそう思います。
作品本編のチエちゃんあってこそのインパクトだとは思います。
あの大きなキラキラの目があってこそ。

ただ、オイサンももうすっかり老人ですから、
こういう素直な言葉には、とても普遍的なことを感じるわけです。

よーするに
「自分が笑ってなけりゃ、世間がどうあれ、自分の見える範囲は暗いままだよ」
「世間はどうあれ、自分の心が優しくおおらかであれば、愉快に生きていけるよ」
ってことです。

自分が笑うことで世界中を明るく楽しく出来る、なーんていう大それたことではないです。

  いや、チエちゃん大家さんなら或いは可能かもしれませんが……、
  超明るく素直若干不憫系美少女でも女子中学生でもない、
  うらぶれアラフォーのオイサンには、少なくとも無理です。

けれども、
電池の切れた懐中電灯では世界の明るさはともかく、自分の前も明るくはできんよ、
という程度のことで、
人間にとって所詮セカイなんてものは「自分の目の前に広がっている範囲」でしかないのだから
(この辺ネガティブスメルがしてますがそれはオイサンの才能です)、
そこに広がるものを明るい目で見るには、まずなるたけ自分は笑っていようぜ、
佳い目で佳く見ようぜ、ということなのだな、と改めて考えた。
笑う門にはなんとやら、というのと同じだ。

ココロのヤサシサの方も、同じ。
上の話が空間的な明るさの広がりの話だとすると、
こっちは時間的に明るく広げていけるように生きよう、という話。
荒んでひねて物事に接していたって愉快に暮らしていけはするまいよ、というね。

マ世の中、こちらがやさしい顔してると
逆手にとってよろしくない対応をなさるような人種も大勢おられるんで
そうそうヤサシサでばかりいられないよ、というのもね、
エエ、オイサンだってこの日本で、東京砂漠で年を重ねた老人ですから分かりますともよ。

けれどもまあ、ね、心構えの話ですよ。
バカでおれば幸せでいられる、というのにも通ずる。
マどうしてもバカになるのが受けつけないなら無理にとは申しませんけれどもね。
幸せなバカか、荒んだ賢者か……
ヨノナカ二択ではないしバカそのものが不幸ならどうしようもないけれども。
これはもう、すごく普遍的な「気持ちのもちよう」の歌だったな、と思う。

あと、


  ♪ 天真爛漫 キュートな靴音 聞こえたら重なるリズムがうれしい ♪


のところが、ほんのりと『じゃりン子チエ』をリスペクトしてきてるのが
素晴らしく巧みだと思った。げんきなゲタの音がする!

なんていうのかね。
「やさしい」というのはただ他人のことを思ってなにかをするワケじゃなく、
他人を通して自分の置き場所も変える、ということなのだと思う。
他人と自分の位置をうまくすることで、
今ここにいる自分と、相手と、相手の向こう側にいる自分の場所を動かして、
世界の荷重・比重を良い具合にする。
そうすることで、世界全体を「ちょうどよくする」ことが出来るのだと思う。
クツ紐の、あっちを引っ張って、こっちを緩めて、
全部を丁度良くするようなはたらきをすることだと思うよ。

やさしい、寛(ひろ)い、というのはそういうことだと……最近思う。


 ▼『じゃりン子チエ』ED
 




■『ばくおん!』OP FEEL×ALIVE

 


 ▼FEEL×ALIVE
 


これは前にもちょっと書いたような気がする。
まあとにかく……2016年は『ばくおん!』の年だったと言っても過言ではありますまい。
エエありますまい。
クレイジー(byアラフォー)でトゥーサッドな本編の内容とはうらはらな、
パワフルで明るいお歌ですが、特にサビの


  ♪ 感じて 応えて 風になる ♪


の部分は、オイサン的に革新であった。
「風になる」のが「応え」た後だというのは、もう、
……なんでしょうね、新しい。
バイク乗りの、非常にリアルな身体性から出たものだという、妙な説得力がありますね。

イヤ、作詞をした人がバイク乗りなのかどうかは知りませんけれども。
なんかこう、そういう妄想からの説得力を与えるだけのインパクトを感じた。
「風になった後、その中でこたえを見つけるんじゃないんだなー」
と変な感心をしてしまったし、
生粋のバイク乗りはきっと、乗り始める前から魂に答えを持っていたりするんだろうなと、
そんな風に読み取った。
選ばれし者というか、恩紗ちゃんの言葉を借りるなら、「バカ」はきっとそうなんだろう。
その感覚は分からないではない……
……オイサンの場合はバイクじゃなくて、文章を書くことであったりSTGであったりだけど……
から、胸骨にビシッと、飛んできたナットがめり込んだような衝撃を感じた。

これはもう、オイサン的にはこれまで聴いたことのない、
オンリーワンの斬新な歌詞ワークでした。脱帽。



■オマケ:劇場版『ガールズ&パンツァー』ED主題歌 「piece of youth」

 


 ▼piece of youth
 


もう1年3か月くらい前の映画なんですね、コレ……。
これはもうずっと前から書きそびれてたので、この機会に書いてしまおう。

TV版ではほとんど興味を喚起されなかったオイサンを、
ものすごいチカラ技でこっち向かせた作品だったワケですが、
この主題歌「Piece of youth」については
率直に言えば、ラストに流れたあの曲を聴きながら、いま一つピンとこなかった。

しかし不思議と、作品から少し距離を置いて、
たとえば『劇場版』の宣伝をテレビで流れながらバックに流れるその曲を聴くときなどは胸にジンジン響く。
あの作品のエンディングに、主題歌として聴くと、ピンとこなさが増すのだった。

この違和感はなんなのだろうなあ? と考えていたのだけども。
答えはシンプルだった。


  ♪ あの頃のぼくらはまだ 明日の地図さえ持たずに 
  ♪ 新しいなにかを探してたんだね……



この歌の歌詞に登場する「ぼくら」……歌い手を憑代に声を発する存在が、
明らかに、いまこのときの(ラストシーンでの)西住どのたちじゃない。
闘い終わって、大洗に、それぞれの学校へと帰っていく、スクリーンの上にある彼女たちではなかったからだ。
この歌は、まだ彼女たちの知り得ない多くの経験について歌っている。


  では、この歌は誰のものであったのか。
  この歌を歌っている「ぼくら」は何者なのか? 


確信できるのは、時間軸。
西住どのたちよりも未来にいる何者かが、
「あの頃」、まだ若く、幼くさえあって、しなやかさと、
明日の地図を持たないがゆえに踏み出すことの出来る強さを持っていた自分たちを、
西住どのに照らして懐かしむことの出来る時間にいることだ。

となると、こたえは一つだ。
この歌は……すべてのガルパンおじさんの歌だ。
そしてスクリーンの中であまりにも眩しい西住どのたちの姿を、
「あの頃」の「ぼくら」の姿として見て良い、と歌っているのだ。

嗚呼、そんな馬鹿な!
信じられない。彼女たちはあまりにも眩い。あまりに恐れ多い。
「あの頃」の自分たちが、いまスクリーンの上で煌めいている西住どのたちのようだったはずがない……!

オイサン自身、自分の「あの頃」が、西住どのたちのようだったかと言われたら
決してそうは思わない。思える筈がない。
だが、けれども、「そうなのだよ」とこの歌は言っている。
言ってくれるのだ。
「あなた方ガルパンおじさんの「あの頃」も、実はこんなに眩しく輝いていたのだ」と
真実の姿をいま、こうして映し出して見せてくれている。
あなた方が乗り越えてきた、泥の色をしてるように見えていた様々のことが、
実はこれほどまでに輝かしい道のりだったのだと教えてくれている。
誰の人生も、実は輝いていたのだと歌ってくれているのがこの歌だった。
そりゃ泣くよ。

それを根拠づけるのは、彼女たちがまだ明日の地図を持たず、
「ぼくら」がそれを持っているということに他ならない。
変わらない友情を知り、果たせなかった約束を後生大事に胸に抱いているその事実が、
この歌の歌うところが本当なのだと証明している。



……なんていうかね。



戦車とか、ミリタリー趣味とか、サバゲーとか。
家で、

 「ちょっとアンタ!
  またそんなワケの分かんない、汚らしいオモチャやら分厚い変な本やら増やして!
  もうやめてちょうだい!」

などと怒られ続け、すっかり日陰者だった者たちの……ガルパンおじさんたちの!
ダメダメだった過去を、
いまこの時代に『ガルパン』があることが、ホンノリと肯定してくれる。
そんな歌である。
……ように思う。

どうだ? 『ガルパン』はいいぞ?



■Closing



とまあ、そんな感じで。

ところで先日、PCから音楽を再生するのに、気まぐれにiTunesから直に再生してみた
(普段はiTunesは、電子購入用にしか(つまりStore機能としてしか)使ってない)のだが、
あのライブラリを見返せば、どんな音楽をいつ買ったかが全部残るのですな……。
それは……なかなか、ステキなことだなと、思ったりしたよ。

それにブログ機能なんかを連動させてたら、
こういう出来事があった頃、こういう音楽を買って聴いてたんだな、と、
ちょっとだけ厚みが出るような気がした。
オイサンは、ヘボ耳なりに「繊細な部分を気にして聴きたい曲」についてはCDで買うようにしてるから、
いまの状態だと全部のログが残るワケじゃないんだけど。
なんかそれは、ちょっといいな。


今年も、鮮やかに心動かしてくれるたくさんの歌に出会えると嬉しいなあと思います。
それと同じくらい……昔聴いた歌を、旅の中で思い出せたらいいな、と思います。


  ♪ そうさ、忘れた歌をさがして
  ♪ 旅人は歌っていくだけさ







決して若くない若き旅人、オイサンでした。
アデュー。

 
 

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2016年12月10日 (土)

■Nintendo ガウォーク -更新第1098回-

結構時間が経っちゃったけど、
任天堂の次世代ゲーム機(敢えてこんな呼び方をする)、Nintendo『Switch』が発表されましたな。
まだ言葉や数値ではほとんど何も公表されておらず、イメージ映像だけだけど。





デこの発表に、いわゆる「市場」と言われる方々は「失望」されたのだそうで、
任天堂の株価は下がったんだそうな。
オイサンのTLでは、概ね好意的に、興奮気味に受け止められてたみたいですけども。

  ……マこういう時は、興奮気味の人の方が、声をよく上げる感じだけど。

パッと見た感じ、オイサンの感想は
「思ったより普通」「あるものをまとめた感じ」
というくらいで、革新的なものになるかどうかは、……ソフト次第だと思った。
コレマタ普通の感想であるなw スマヌ。

言い方を変えるなら、
WiiやDSの時のように、ハードからして遊びに革新性を埋め込んであるわけではない、
ということで、これはある意味、このところの任天堂らしくないと言える。
まあ、今まで発表されているところでは。
今のところ。
PS3 → PS4にだって革新性のある変化をしたわけじゃないけど、
任天堂はこのところ、DS、Wiiと、ハードの発表の度に妙な方向へとジャンプしてきたから、
「任天堂が出すんなら!」という期待が込められてしまうワケだけれども。

  今では当たり前のアナログスティックも、
  最初に載せたのも任天堂が最初にロクヨンで載せて、その後広まったし、
  特に何もないように見えていたゲームキューブでだって、
  コントローラーには随分と工夫が凝らしてあったわけで、
  任天堂さんはいつだって、入力デバイスには一生懸命であられたわけですよ。
  スーファミでも、先行したPCエンジン・メガドラが
  それまでの延長でコントローラーを作ってきたのに対し、
  LRボタンを乗っけたしね。

デ今回のニンテンドー・スイッチ、
ポイントは、
「ポータブル機と据え置き機、分かれていた二つを一つにした」
ということに(いまのところの情報では)尽きるワケで、観点としては、
「どちらかといえば据え置きゲーム機(のゲーム)をそのまま持ち出せるようにした」
というところに、携帯機よりも据え置き機が好きなオイサンは、喜びを覚える。

ところで、ニンテンドー・スイッチが、
  「携帯ゲーム機のゲームを、家のテレビで遊べるようにしたもの」
なのか、
  「据え置きゲーム機のゲームを、テレビの前以外・戸外でも遊べるようにしたもの」
なのか、その違いは大きいと思う。
基本は「どっちも」なのだろうけど、特性上、軸足は後者であるように思われる。
携帯機(DS・3DS)のゲームは従来から家の中でも遊べたわけで、
そこは既存の概念の範疇に収まる。
革新性を感じさせるなら後者がポイント、ということになろう。
PVもそのように作られていた印象が強い。

据え置きのゲーム(ゲーム"機"でなく、ソフトの方)が「家の外」とシームレスに繋がる
(=家の外に据え置きのゲームが置かれる)ことでどういう幅を持たせられるか、
即ち据え置きゲームの遊びの部分にポータブルゲームの要素を組み入れることが出来るか、
すなわち、ポータブルゲームのポータブルである所以の要素をどう分析して取り込むか、
が勝負であると思います。

  携帯ゲーム機向けのゲームソフトは、
  果たして何によって携帯機向けゲームたらしめられていたのか、

  そのことをどう自覚するかがキーになる気がしている。
  まあそっちばかり向いてると、今度は
  「携帯ゲーム機のゲームをテレビでやるのと何が違うのか」と言われてしまうから、
  「据え置きゲームとは」の方を、土台部分にガッツリ埋め込んでやることが
  尚のこと重要だと思うが。

オイサンの場合、フツーに
「家のテレビでやってるゲームを、そのまま出先でもやれる」
だけでも随分嬉しかったりするのでいいんだけど。

  そんな人間だから、PSVitaTVを嬉しがって使ってるわけですね。
  アレの、ベースがVitaの方でなくVitaTVの方にあるバージョン、
  という感じになるのだと思われる。

しかしそれだけで終わってしまうと本当に、それだけで全然任天堂らしくない。
この先きっと「そ、そんな解釈が!!」「こんな仕掛けが!!」という驚きとともに、
発表してくれることと信じております。
オイサンは任天堂シンパだから。

ハードウェア面では、
 ・タッチスクリーンは乗るのか(ほぼ間違いなく乗ると思うケド)
 ・モーション操作(Wiiリモコン的な)は乗るのか(同上)
 ・据え置きモードでは、本体とTVの2画面操作が出来るのか
  (本体をドックから外して、画面付きコントローラとして動かせるのか)

が見えてないので、気にして行きたいところ。

……時代はさあ、VRもだけど、よりARに向いていくであろう、
と、なんとなく感じている自分がいる。
フィールドワークによって、より楽しくなるゲーム。
そういう意味でSwitchは、家の中と外を切り離すのをやめたことで、
とても良く機能していくだろう、と考えている……
でも、携帯ゲーム機とあんまり変わんないなあ……うーんうーん。



  ……などと頭を抱えていたある日。



超絶都会的オサレ高級カッフェーであるところのドトールさんにて、
タブレットに向かいポコポコと書き物をしておったところ唐突に

「このくらいの画面サイズなら、このくらいの距離感
 (カッフェーのテーブルに8インチタブレットを置いた感じだと思いねえ)で、
 ケータイをコントローラーにしてちょっとゲーム出来たら嬉しいかもなあ」
と思い、ハタと、
「そ、それはまさにニンテンドースイッチの距離感!!」
と、
「そうじゃ! それこそまさに、小僧の距離じゃ!!」
とアウトボクサーに対してズタボロになりながらも懐に潜り込むことに成功した
幕の内さんを見たときに鴨川会長のように思ってしまった(たとえが長い)。
しかしそれはそれで……
事業が成り立つとは思えない、ニッチなニッチな領域なのではないだろうか……。



■最近やってるゲームのハナシ

先日、遊ぶ金欲しさについカッとなって、
『マクロスΔスクランブル』、『レコラヴ-Blue Ocean-』、『アイドルデスゲームTV』の
3本のVitaソフトをまとめ買いしてしまったオイサンですが、
据え置きではなんとなく箱○さん(Oneではない)で『ライデンファイターズAGES』を、
Vitaでは『ご注文はうさぎですか? WonderfulParty!』をやっています。

  買ったヤツをやれや。買ったヤツをやれ。

『マクロス』と『レコラヴ』はやってるんですけどね。
『アイドルデスゲームTV』はまだ手がついていないのだけども、
やる前から「今年のクソゲー大賞」だとかいう評価がワリカシまことしやかに流れてきて
ガクブルしている。
マジカヨ……ドウシチマッタンダヨD3サンヨ……

Vitaの『ごちうさWP』は、
喫茶店パートの接客ミニゲームが非常に辛くてしんかったので手が止まっていたのだけれども、
いざ再開してみたらそこまででもなく、進めてみている。
マかといって、ゲーム自体もそんなに面白いモンじゃない。

▼『ごちうさ Wonderful Party』



・接客ミニゲームでお店の評判(=知名度)を上げる
  → チラシ配りでパートナーを選んで、相方との親密度を上げる
  → 休みの日は相方を選んで出かけ、親密度を上げる

だけの繰り返しで、シナリオも面白みがあるわけじゃない。
原作・アニメの、むせ返る可愛さもナリを潜めて中途半端……なので、なんか薄めのギャルゲーである。
なんか、原作では勢いのある子たちがワリとねちょねちょとらしくない悩み方をする感じで、
やってても「え~……?」って感じだ。
オイサンが言うのもなんだが。

「原作ヒロインともちゃもちゃ出来ればそれだけで楽しい!!」
という人でないと向かない気がする。
……のではあるけど、手に入れて終わらせられるだけのモチベーションやら環境があるのに
放置しておくのもアレなので、手を付けてみることにした。
サクサク進むのは進む……のだけど、単調で、
且つ記憶ゲーム(接客ミニゲーム)がそこそこ集中力を要し、結構なストレス。
まあキャラ一人くらいは終わらせても罰は当たるまい。

『ライデンファイターズ』は、以前からもチョイチョイやってはいたが、
気分転換向けのシンプルな縦シューがやりたかったので、やる頻度をあげてみることにした。
持ち機体選びから吟味し直してみている。
色んな機体を試すのが楽しいよね。
個人的には「コレ使えねえな……」と思ってしまうのが大半だけど。



■『マクロスΔスクランブル』

これは完全にこれまでのマクロスゲーの系譜。
バルキリーの3形態を使い分けながら戦うTPフライトアクションSTG。
PSPのマクロス(『エースフロンティア』だったかな? 忘れた)の時に、
バトロイドが積極的に格闘を行う(パンチ・キックがある)仕様になっており
「そ、そんなばかな……」ってなって遠ざかってたのだけど。

……だって、あんな細っこいデリケートそうな関節のロボットに殴り合いさせるか?
って、思うじゃない。
ダイダロスアタックくらいならともかく。違和感がどうしても拭えなかった。

▼『マクロスΔスクランブル』

な、何だこの動画は……。超面白そうなゲームに見えるプレイしてやがる。
※ところでこの動画では、プレイヤー機がファイター形態のときも、ロックオンした敵機を
  画面中央に捉えたまま飛べるようになってるけど、オイサンのソフトではコレできません……。
  どっかでVerUpしたんだろうか……。だれか教えて。



こちらも、基本的には相変わらずのゲームですね。
サポートキャラクターがついて特殊効果が得られる、という要素が新しいのかな。
目新しさはあんまり無い。
初代PSの『VFX-2』とか、PS2の『超時空要塞~』の時には、
ファイター形態でも敵を画面中央にロックしたまま飛行出来る視点があったのに、
今回はどうもその視点がないっぽい……すごいやり辛くなっている。
なぜ仕様を外したし……改悪だ。

今のところ、印象はあまり良ろしくない。
あとレーダーの見方が良く分からない。
どこかに見方は書いてないものか?



■『レコラヴ』

良いです。かなり良い。
キャラがあまりにもぱるんぱるん(「どの辺が」「どういう意味で」なのかは推して知るべし)で不自然で、
オッサンとしては思わず


「カジワラタケシの漫画か!」


と突っ込んでしまいそうですが(我ながらツッコミが古い)、
ひとまずそこからは目を逸らし、ぐりぐり動く3D女子をスムーズにリアルタイム動画に収める行為は、
なんだろうか、
『フォトカノ』の写真に収める行為よりまた一段興奮を覚えさせるものがある。





何が違うんだろうか、分かんねえけど。
ちょっと『フォトカノ』もやり直してみないと、その辺はわからんな。

新機軸の会話モードもイマドキのミニゲームのトレンドを上手に取り込んでいて
すごいなあと感心することシキリ。見事な手腕です。
プレイしていると、自分に動画を撮るセンスとか、そのための引き出しなんかがほとんどないことに気付かされる。
普段あれだけ、アニメにしろ映画にしろテレビにしろ、
日ごろ散々動画を見ているというのに、
ビデオカメラという道具の使い方をまったく意識していないですな。

だもんで、ついついうまいこと撮りたくて
最近はよさげなPVなんかを見かけると、ああこう撮ればいいのかと勉強してしまったりする。
楽しいなあ。

……ただし、ヒロインがみなさん、見た目に違わずご病気の方々が多いので、
なんかこう……もうチョイ普通の人はいないのか、と目を背けたくなってしまったりする。
……まあ……ギャルゲーのヒロインなんてこんなもんか……。
……そうかあ?

まだそんなに進められてナイですが、
血気盛んな、TLの若手のお友だちはですね、このような……犯罪の匂いがする動画を収めておられて……


非常にこう、最高のゲームだ、ということが良く分かりますね。
大丈夫かこれ。

まあ、秋ですから……(もう冬だが)。
秋といえば実りの季節ですよね。栗とかいいですね。
栗の実が生る。
栗、実、生る。
くりみなる……Criminal……。


……。


おまわりさーーん!! おまわりさぁーーーーーーーん!!
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おまわりさんでした。
じゃない(べたなボケ)、オイサンでした。

 
 

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