2018年4月 5日 (木)

■『ときめきメモリアル4』が教えてくれる、自分と闘うことの大切さ。 -更新第1112回-

『ドラクエVII』やりつつ、『ときメモ4』をやっていますオイサンです。
いまなんねんですか? ← 未来から来た人
『ドラクエVII』は3DS版で、『ときメモ4』はデータで買ってVita(TV)でやってます。


▼ときメモ4 OP

 
 

『ときメモ4』、
いんちきパツキン方言女子転校生のエリサ・ドリトル・鳴瀬さん狙いで剣道部入ったのに、
そのマブダチの超癒し系ぽっちゃり放送部・柳冨美子さんが横からチョッカイかけて来て
もうかわいいったら。
いや、知ってたよ。この子がかわいいのはずっと。
PSPでやってた頃からずっとかわいかったけどさ。
でもなんか毎回中途半端な時期からちょっとだけ出てきて
ヒラヒラ~っと可愛さ生クリーム仕立てを振りまいてどっかいっちゃってたので、
攻略までは至っておりませんでした。
しかし今回はかなり本気でオイラにホの字らしいので、ズーズー弁の変な金髪女なんかほっといて
ぽっちゃり癒し系女子とアバンチュールを楽しんじゃうかい、ええオイ俺!? ← しらねえよ。

 ▼エリサ・D・鳴瀬
 
 
 ▼柳冨美子
 
 
 
グループデートで行った海で「となり、いい///?」なんつってチョコンと甘えてきたり、
修学旅行いっしょに回ろうってお誘いにきたり、
イベントスチルが出るような特別なイベントは起こってないけど
「えへへ、うれしいな~」なんつって、
オッチャンそれだけでもうフワフワしちゃうよ!!

  ちなみに、中学旅行ではオイサンと一緒にいたせいでサメに襲われました。
  カットインで披露したアラビアンボディはなかなかのボリュームを誇っており
  やはりおれさまの目に狂いはなかったがあたまはくるっている。

……しかしなんだろうか、
井口裕香ボイスのキャラにときめいていると、なんだか負けたような気持ちになるな。
何と戦っているんだろう。
自分だ。自分と戦っているのだ。

  ……しかしアレだな、いま思いついたんだが
  自分との戦いに負けた場合、その一方で勝っているのも自分であるワケだから
  勝っても負けてもサイアク勝ちになるワケであって、
  これはなんだ、オトクだな! 自分との闘い。
  負けても勝てるんだからどんどん戦って勝ち星を稼いでいこうじゃないか。
  やったぜ。
  閑話休題。


しかしなんだ、柳冨美子さんですけども、
こうして手ぇ繋いだりじゃれあったりしてるうちに
スキンシップが気持ちいいってことにお互い段々気が付いてきちゃって
ニオイかいだり耳のウラ撫でたり首筋とか腰回りとか
触る場所もだんだんキワドくなってきちゃったりしちゃったりなんかしちゃって
最終的には服の下にも手が入って行ってしまうワケで
ちょっともうダメだってば、とかなんとか言いながらも本当は大層ウレシイわけでしてエエ、
しまいにゃスッポンポンになって隅から隅までナデくり回し合ったりしちゃったりするんでしょうね。
あーもうイヤラシイ。
ていうか俺はいい加減そのくらいのことはとっくに経験してても全然問題ないっていうか
イマ時点でその辺のことを想像でしか語れないことの方にヨッポド問題があるのですから
もう少ししっかりしていく方向で物事を考えてくださいたまえたまえ。
想像をたくましくしている場合じゃないぞ。

マでもさすがに、もう自分にはそういうのないだろうなー。
いまさらめんどくさいもんな……そんな元気もねえし。

トまあ、
何かギャルゲーで久しぶりに甘ったるい気分になったモンだから、
せっかくなので気分の良いテンションで書きなぐってみた。
うーん。
PSVitaでやるよりも、VitaTVでやる方が、自分はキブン上がるのかなあ。
VitaTV、サイコーにゴキゲンなハードなのに、なんで売れなかったんだろ?
マ今回の『ときめきメモリアル4』みたいに、
「PSPのソフトを」「Vita環境にダウンロード購入して」「さらにVitaTVを介して大画面に出す」
みたいなことをすると、色味や画質はかなりよろしくないカンジになっちゃうんだけどさ。

『ときメモ4』、心ときめく女子は多くないんだけどね……。
こんな感じ。

 ▼興味ある
  ・龍光寺さん:バイオレンス、不良・でもイイ奴、冷めてる、アタマ良い
  ・瑠依ちゃん:親友の双子の姉、オタク・腐女子、ハイテンション、ミズハス
  ・知姫(あき、と読む ← よめへんわ):理系・白衣・閣下、オトナっぽい、たぶんギャップ系
 
  ▼龍光寺
  
 
  ▼瑠依姉
  
  
 
 ▼ビミョウ
  ・響野さん:音楽、綾波、コミュ障、遅咲き、花澤香菜
  ・前田さん:サッカー、短髪、がらっぱち、たぶんよく食う
 ▼興味ない
  ・メインヒロイン ← 名前すら思い出せない。星……?:
                          影薄い、前向きな劣等生、ぷちブサイク
  ・生徒会長  ← やはり名前が思い出せない。煌……?:
                             上級生、劣化詩織、うす気味悪い
 ▼クリアした
  ・ハルちゃん:下級生 夜間、姿見えない
  ・語堂さん :文系、メガネ、キレキャラ、ヒロインの親友、常識人


でもまあ、お付き合いはしてみないと分かんないからね……。
誰がどんな魅力を持ってるか、なんて。
語堂さんなんか普通そうに見えて全然普通で、ああこの子は普通だなあ、
普通程度に可愛いなあ、なんて思ってずるずる付き合ってたけど
ホント普通だったもんな。

多分卒業して早い段階で別れたと思う。 ← オイ。
まだハルちゃんとの方が続いただろうなー……


などと、ときめかないことを言ってしまうオッサンのオイサンでした。
 
 
 

 

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2018年4月 2日 (月)

■過ぎ去りし時を求め日記FINAL~その2:信仰としての命の大樹が象徴する、ドラゴンクエストの物語 -更新第1111回-

もはや現在の進行度と日記の内容がかけ離れ過ぎていて
日記でも何でもないアラフォーがお届けする、
『ドラゴンクエストXI~過ぎ去りし時を求めて~』プレイ日記
……という名を借りた最後の感想。

約半年にも及ぶ、『ドラゴンクエストXI』のプレイの中で芽生えたキモチを
好き勝手に書きなぐる感想ファイナルの第2回目は、
前回の、

 「主人公が過去へ飛ぶだけの十分な理由があったにもかかわらず、
  その情報がプレイヤーに与えられずになんとなく過去に飛ぶことを選択させた問題」


に続きまして、

 「ロトゼタシア世界において、命の大樹は果たして
                              機能であるのか、信仰であるのか問題」


について考えた結果、そーいや『ドラクエ』の話ってこんな感じだったな、という
結論に行き着いた、みたいなことを書きます。

話の発端として、『ドラクエXI』をプレイしながら

  命の大樹ってのは、このロトゼタシア世界において、
  そもそも一体どのような位置付けのものなんだろうか?


ということが途中からだんだん気になるようになった。
……どーなんだろ? こういうことって、皆さん考えるモンなんだろうか? 
マいいや。

命の大樹について、作中でひとびとが語る
「葉の一枚一枚がひと一人の命であって、死ねばそこに還り、またそこから生まれてくる」
というようないくつかの逸話は果たして、
この幻想世界における「事実を伴う理」であるのか、あくまでも「ただの逸話・信仰」であるのか、
どちらだったのだろう?

プレイ開始当初は前者、
伝承のように語られる内容は、この世界において「摂理に直結した事実」であると考えた。
すなわち
「葉の一枚一枚が本当に生命のひとつひとつに直結している、生命をつかさどる循環装置」
のようなものだと、さほど深く考えずに受け入れていた。

だから、ウルノーガさんによって大樹の魂が破壊されるのを見たとき、
「あー、これでロトゼタシアの生命は死に絶えるんだ」と思っていた
(ついでに言うと、だから樹が落ちたあとにもこんなにお話が続くとは思ってなかった)。
しかし、大樹が枯れ落ちた後も人間も他の生き物も、
壊滅的な被害が出たとはいえ生き残ったやつは変わらず生きていたので、
そこまで生命に直結した機能を与えられた物ではなかったんだと気付いた。

ただ、大樹の魂が破壊された瞬間にそこから大きな力が漏れ出して、
それを飲みこんだウルノーガさんは強大な力を得、大樹は一瞬で枯れ、
それまで何食わぬ顔で宙に浮いていた空の浮島が落下したのだから、
あの世界における何らかの物理的基盤を実際的に支える一端ではあったのだろうと思う。
ただの「象徴」でなく、HPなのかMPなのかわからないが生命にまつわる力を多く溜め込んだ、
実際的なエネルギーの塊ではあった。
地球でいうなら、地軸だとか、マグマ、地殻・プレートだとか、海流や気流を生み出し駆動する
「幹の様な現象」であるくらいはしたのだろう。
地球を自転させているエネルギーの根源の一つのようなものだったにちがいない。

けれども、ひとつひとつの生命そのものに対して
実際的な強制力・支配力を持ったものではなかったらしい。
すなわち、人々が大樹を見上げ、恩恵を信じてありがたがっていたことの大部分は、
信仰であり、宗教的なものだったといえる。だから、それに気付いたときはちょっとびっくりした。
なぜなら近年のファンタジー作品・SFなどでは、そのように
「この世界では、コレコレはこうしたものである」と説明をされると、
それは大抵の場合世界の構造の前提的な事実であることが(自分の印象に過ぎないが)多かったからだ。
当初の説明がその通りでない場合の多くは、
「世界の上の方を握っている誰かが、何らかの都合のために嘘をついていた」のような、
物語的トリックであった。

  『FF13』の、パルスのファルシがルシでコクーンがパージする奴なんかは
  モロにそんな感じだったと思う。確か。
  あまりにもパルスのファルシがルシでコクーンがパージだったために詳細を思い出せないが。


繰り返しになるが、『ドラクエXI』における命の大樹はどうやら
人々を実利の部分で縛り付ける装置ではなく、畏敬の念を集めて奉られる信仰の対象であったようだ。
マもしかすると、人間以外の植物とか、風とか地面とか水とかとは直結していて、
それが枯れ果てて循環に支障をきたすと結果的に人間は食い詰めたりするかもしれないけど。

実利を押さえつけられていることに端を発する忠誠は、ピュアな信仰とは呼び難い。
それは極端に言えば、ピストルを突き付けられているのと変わらない。
人が畏れを以て、自発的に心や行動を縛るものを信仰と呼ぶのだろう。

  ところでこれは余談だが。
  上で書いたように、「摂理・機能」という意味合いが薄かった命の大樹とは対照的に、
  「勇者」は、随分と「機能」に寄った扱いをされていたなー、と感じている。
  機能というか、役割というか。
  一個人・一人の人間としての扱いが非常に希薄で、
  命の大樹に、神話上の均衡をバランスさせるためのコマとしていいように使われていた。
  世界に埋め込まれた、先代ゆずりのた色んな装置にアクセスするためのカギにされており、
  我がことながら見ていてちょっと気の毒なくらいだった。


……と、


そんなことにふと気付いて、なるほど意外だったなと思っていたら、もう一つ別のことに繋がった。
クエストシステムの件である。

『ドラクエXI』でのクエストシステムでは、人の依頼に応じたりお願いを叶えてあげたりすると
何らかの報酬が得られる。
概ね報酬目当てでやることなのでこれは実利に基づくものだ
(中には「気持ち」の面でやって上げたくなるものもある)が、
自分はこのシステムがイマイチ好きではない。
実利が先に立ってしまい、物語の上に(或いは底に)残せるはずだった情緒が
消え去ってしまうように感じるからだ。

クエストシナリオの対極に、ストーリーの本筋からは遊離したサブエピソードの存在がある。
サブエピソードは本筋の物語には何の影響も及ぼさず、
かつそれをこなしても報酬が得られるわけでもない。
ただ小さな物語の結末を見てオシマイ、という性質のものだ。
以前少し書いた、セーシェルの件のようなエピソードがある。
セーシェルは、命の大樹崩落によって親も友だちも亡くし、
最後の砦のいちばん奥で一人佇んでいる女の子で、
のちに、主人公の働きかけ次第でメダル女学院に入学し、新しい生活を見つけることになる。
「次第で」と書いたのは、その働きかけをしてもしなくても、ゲームの物語には無関係だからだ。

ただ、彼女の最後の砦の川べりにひとりぼっちでしょぼくれた背中は、
世界の崩壊を招いた勇者としての自分の、魔王打倒・世界再建の最大のモチベーションになった。

  他のプレイヤーの皆さんはどうだろうか? 彼女のこと、覚えているのかなあ?
  話しかけてすらいない人もいるかもしれないけど。

自分はセーシェルのことがずっと頭の片隅にひっかかり、
ことあるごとに最後の砦に様子を見に行ったりしていたほどである。
だから、旅の途中立ち寄ったメダル女学院で
「一人で泣いている女の子がいたら、この学院のことを教えて上げて欲しい」
と言われたとき真っ先に彼女のことを思い出し、学園のことを知らせに飛んだのだが、
これはゲームの進行になんら有利も不利ももたらさない、独立した物語の要素である。

他にも、キャンプや、旅の端々で仲間に話しかけたときに帰ってくる何気ない会話は
ゲームには影響がないが自分はこれが大好きで、
出来ることなら逐一どこかに保存しておきたいほどだった。
以前も少しメモを取ったが、グレイグと二人で旅立ったばかりの頃
キャンプで彼が自分の馬について訥々と語ったことにはひどく心を動かされた。
火のそばでポロリとこぼれおちる、穢れを疑う余地のない純粋な人生の疲れのことば、
彼がそのようにして自分のことを話す姿そのものと、話の内容が他愛ないことであることが相まって、
大変な効果を生んでいた。ロウやシルビアの、何気ないコメントも胸を打つ。

  ……それに付随する余談だが、そんな仲間会話への思い入れもあって、
  本作では仲間会話の多くがガイド機能的な内容に終始するようになってしまったのを
  大変悲しく寂しく思っていた。
  彼らが生きた人物ではなく、物語を牽引する「役割を負った機能」に見えてしまうからだ。

そうして思いを巡らせていると、自分がこの30年、
『ドラゴンクエスト』というゲームにいかなる期待を寄せてきたのか、改めて見えてきた。
ロトゼタシア世界における命の大樹のような寄る辺、
心を支える柱となる「材」を持ち帰りたかったのだと思う。

……と書くと、この流れでは、
宗教的な救いや安寧を『ドラクエ』に求めてるみたいに読めてしまうな。
そうではない。
ゲームの中の実利にしばられない、無償の行いから生まれる貴重な情動を期待していたということだ。

不思議なもので、無償のエピソードから得られる感慨は、
報酬のあるエピソードで得られるよりも格段に大きく、心に大きく、深く、重く響いて残る。
ゲームの世界で価値ある物が必ずしも現実世界には持ち帰れないかと言われると
そうでない可能性もあるが……
自分の感覚では、ゲーム内世界で価値の交換が終わってしまう事象の感動・情動は、
その交換が終わった瞬間に消尽してしまうと感じている。
不思議なもので、手のひらからその重みがフッと消える感覚さえある。
大げさな譬えだが。

メタルキングの剣は『ドラゴンクエスト』のゲーム世界においては最強の武器で
(『XI』ではそうでなくなってしまったが)、
それはクエストによって獲得出来、ゲームの世界で受ける恩恵は計り知れないかもしれないが、
現実の世界まで持ち帰り、恩恵に与かることは出来ない。
……レアアイテムだからっつってRMTで高値で売れるとかそういうのは抜きにして考えて欲しい。
だめだぞ。オマエ、そういうとこだぞ。

ゲームの中の実利に縛られる行いに付随する感情・情動は、
現実世界に持ち帰ろうとするときゲーム中で得た実利の部分の重みがそげ落ちてしまい、
現実世界では「感情的質量を変える」。
反して、ゲームの中でも現実世界でも実利に縛られない行いは、
どちらの世界にあってもその感情的質量は変わらず、「そのままの姿」で持ち帰ることが出来る。
それはおそらく、「『それ』をしたのは間違いなく自分なのだ」という、
自分とゲームの主人公が全く同じものを持つという実感、
主人公とプレイヤーの一体感・同一感というものの源泉でもあるだろう。
自分はその、「同じ重さの体験」を持って帰りたかったのだろう。

上で書いた「寄る辺」「心の材」になり得るものはそのような感動や衝動のことで、
ゲームの世界から真に持ち帰ることの出来るもの・情動を、
自分は『ドラゴンクエスト』に求めてきたのだろう。
30数年の時を経た最新の『ドラゴンクエストXI』の物語の象徴である命の大樹が、
自分の求めていたものの姿をしていた世界に君臨していたことに、
何やらうれしさを覚えたのであった。

  ……ところでコレも余談になるが、
  ゲームの面白さの根幹にはリスクとリターンが必要・必ず存在するという論があるが、
  RPGとか物語ゲームではそれは当たらない、ということになるな。
  感動すらゲーム的報酬に含めるというならそうでもないけど。
  それはちょっとどうなんだ。
 
 
 
■命の大樹さんの機能に関する考察・妄想のつづき
 
 ▼その1 生命の貯蔵と循環の管理機構としての機能

ところで大樹が生命を司るという言説について、「機能でなく、信仰である」と書いたけど。

もしかすると、大樹には「生命が休眠する間の倉庫としての機能」ならあったのかも知れない。
生命が大樹から出て行って肉体に宿り、生き物として活動している間のことはあずかり知らないが、
生き物が死ぬと生命だけがまた肉体から抜け出て大樹に戻ってしばらく休眠し、
また次に生き物として出て行く、その循環と貯蔵は管理する、みたいな機能である。

であれば、大樹が落とされても、
「いま生き物として活動している生命の活動」が即座に停止する(=イキナリ死ぬ)ことはないが、
休眠中で次に生き物として生まれ出る筈だった生命が生き物として地上に降りることはなくなるし、
いま生き物として活動している生命が死んだあとに循環する先を失うわけで、
世界は実質的に死ぬ……そういうものだった、という可能性はあるなあ、
などと色々書きながら思ったりした。


 ▼その2 神話の「根」、時元のハブとしての機能

今作では、
どういう都合や思惑があったのか知らないが過去のシリーズ作品から音楽が多く流用されていて、
自分はそれを、セルフパロディないしは過去作品支持者たちへの単純なサービスだと捉えていたし、
後シナリオのエンディングで初代『ドラクエ』のアレフガルド編の映像が流れることの意味も
見いだせずにいたのだけれども、全てが終わってこうして振り返ってみると、
もしかするとそれも命の大樹が担ったひとつの機能によるものなのかもしれない、と思えてきた。

『XI』の世界はどのシリーズ世界とも具体的なつながりは無いのだけれども、
これからすべてのシリーズ世界に分化する時空の幹であって、
この世界自体もまだ人の歴史へと進む前夜の、未分化な「神話の世界」なのではなかろうか。

  なお3DS版では、「時渡りの迷宮」なんていうモロに過去シリーズの世界に出張して
  クエストを稼ぐシステムなんかもあって、すごく「これはちょっとなあ」と思っていた。

コレも途中の日記で少し書いて違和感を露わにしたことだったが、
今回の世界には、人間の顔をしながら人智を超越したような存在がやたらと色々出てきた。
神の民やら、時の番人やら、ニマ師匠やら。
彼らはそもそも人間より上のレイヤーで生きている人々だったり、
ヒトとしても神がかった能力を持っていたりして、
そういう「超越した存在」がゾロゾロ出てくるのは安っぽくてイヤだなと
物語の途中では感じていたのだけれども。

もしかするとそれは、
世界がまだ人の手に渡り切っていない、或いは人の手に渡って間もない時代だから、
そういう「世界創世の担い手」たちがまだ人の世に深く関与出来ていたのではないか。
つまりは、世界はひとまず作り上げられたけれどまだ人の手に完全に渡せるほど固まり切っていない、
土台のユルい、歴史になる前の、神話の時代に片足ツッコんだ時期であるということだ。
これからこの世界が『ドラゴンクエスト』の物語のあらゆる時間・空間・次元へと
分化していくに違いない。

命の大樹は時空や個体を隔てた様々な記憶にアクセスできる端末としての機能を備えていることが
ゲームの本筋の中で描かれたけど、
その機能の先にはこの世界から連なる未来の時空へのアクセスがあり、
そこから漏れ出た分化した先の未来の姿が、あの映像であり、
時折フィーチャーされる過去の作品の音楽やモチーフなのだろう
(世界観的には『XI』の方がオリジナルで、ロトシリーズや天空シリーズが
それを模倣した、ということになるけど(ややこしいわ))。

『XI』の物語では、時間や空間を超越してアクセスする描写もたくさん見られた。
命の大樹の過去の記録・再生機能しかり、時の番人による時間跳躍しかり。
そう考えると、この物語の装置がアレフガルドの記憶を含み持っていることにも、
なんとなく納得がいった次第である。

……マそれならそれで、
アレフガルド世界をこしらえたはずの精霊ルビス様の名前のヒトツくらい見え隠れしたって
バチは当たんねえと思うけど。
だからまあ、これはただのあとづけ的妄想。
自分のための、ただの話のタネだ。



■Closing



……ところで超越存在といえば、
ゲーム途中までは預言者さんの都合の良さももどないやねん、と思っていたが、
あの人はウルノーガさんご本人のカタワレ、ウラヌスさんであって、
正体的にはただの人間というオチだった。
にしては、彼も色々と超越なさっている。

ウラヌスさんの場合、能力的な超越具合もさながら、
あまりに自分に都合のいい考え方をするシンキングメソッドの方がぶっ飛んでて
思わず笑ってしまったのだった。

  だってさあw

彼の場合、ウルノーガさんとしてあれだけ主人公チームの面々に対して、
16年の長きに渡って死ぬほど迷惑かけてきたくせに、のうのうと目の前にやってきて
「ウルノーガは私・ウラヌスの心の悪い面で、
 いまいる預言者としての私は良い面だから私は悪くないんです」
みたいな、って、オイw!
お前はお前やろ! ちったあ申し訳なさそうなカオせえよ!
すげえ面の皮してやがるな! って思ってしまった。
超越の仕方が斜め上だよ。



オイサンでした。
 
 
 

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2018年4月 1日 (日)

■過ぎ去りし時を求め日記FINAL~その1:最後の感想・過去へ飛ぶ勇者とその動機について -更新第1110回-

もはや現在の進行度と日記の内容がかけ離れ過ぎていて
日記でも何でもないアラフォーがお届けする、
『ドラゴンクエストXI~過ぎ去りし時を求めて~』プレイ日記。

ホントにもう日記でも何でもない、ただどのようにプレイしたかは書き残しておきたいので
残りのことも記しておきます。


 ▼前回までの勇者イカスさん

前回は、亡くなったベロニカさんのお弔いをすませ、空飛ぶクジラのケトスさんを手に入れて、
ウルノーガさんに持ってかれてしまった「勇者の剣」の再生というか、新生を果たしたところまで。
しかし勇者っていうのは、釣りもできるし鍛冶仕事もできないとなれないんだなあ。
大変だなあ。ウチの門とか塀も直してくれないかなあ(便利)。

  ムウレアの女王「勇者とは……お庭の手入れから水回りまで、
              住まいのあらゆるトラブルを直せる者のことです……!!」


イヤそんなことはおっしゃってませんが。


 ▼今回の勇者イカスさん

えー、全編終わりました。『ドラクエXI』。さすがに。
ウルノーガさんをやっつけるところから、裏ボスのニズゼルファさんまで、一通り。
ウルノーガさん挑戦時点でレベル80前後、
ニズゼルファさん討伐ののときは全員レベル99だったのでどちらも楽勝で、
バトルとしてはさほど印象に残っていない。

バトルで全編通して一番苦戦したのは、ドゥルダのニマ師匠がつっかけてくる最終試練だった。
レベル80ぐらいの時点でチャレンジして全然ダメでしばらくほうっておいたのだけど、
99になってからリトライしたら2回目で2ターンくらいで片付いた。

ウルノーガさん編のラストダンジョン、天空魔城は、最後らしく多少凝った作りではあった。
いまにして思えば、「まあ和製RPGとしての体裁だけは整えたな」という感じがしないでもない。
様式美というか、ご期待に応えるというか。
正直、ほとんど印象になく、表のエンディングも、どんなんだったっけ? というレベルで
あんまり憶えてない。
仲間をそれぞれの故郷へ送り届けたくらいだったような気がする。
命の大樹が甦り、シルビアの親父さんがしっかりダンサーズどもを仕切ってたとか、
デルカダールの復興が進んでたりだとか、そんな具合だった。
カミュも、マヤちゃんとこに帰って行ったんだったかな?
結局カミュはマヤちゃんをメダ女に入れるのかしら。
ロウはどうしたんだったか……ユグノアを復興させるって言ってた気はするが……。

ウルノーガさんの最終形態はインパクトがあった。
骨の竜の姿になって、もう一匹、変な骨の竜をひきつれていた。
そんでお前、自分はそいつの陰に隠れて戦うのな? こっすからいというか、ケチくさいというか。
お前ホンマそういうとこやぞ。ラスボスやったらもっと堂々とせえ。力感を出せ。
バクーモスさんといい、今回の敵はみんな三下感がすごかった。

裏のエンディングの最後、主人公、ベロニカ、セーニャの三人で再び大樹を訪れるのは良かった。
命の大樹の、シーンというかマップというか、あの場が一番好き。音楽も、色合いも。
いきなり大樹さんから「勇者ロトが」どうとか言われたのは戸惑った。
アレフガルドの勇者たちの絵がフラッシュバックしたりして、
今回の話と関係あんのか? と大変疑問に思ったけど、
もしかすると関係を見出すことも出来るのかも知れない。

その話はあとで。



■ザ・おしながき

今回書き残しておきたいのは、主に3点。

▼ひとつ目。
ウルノーガさん編クリア後のシナリオ(以下、後シナリオ)にて、
「主人公が過去へ飛ぶだけの十分な理由があったにもかかわらず、
 その情報がプレイヤーに与えられずになんとなく過去に飛ぶことを選択させた問題」について。

▼ふたつ目。
「ロトゼタシア世界において、果たして命の大樹は機能であるのか、信仰であるのか問題」について。

▼みっつ目。
オープニングテーマ『ドラゴンクエストXI 序曲』に感じた「人の人生の栄光」について。

ちょっとした感想と、
考察と、
なんだかよくわからない感慨の3本立てという感じです。
長くなるので、多分3回に分けます。
 
 
 
■大いなる愛と、使命と、
  ひとつまみのいたずら心を持って、勇者は過去へ跳ぶ。

 
 
 
まずひとつ目のお題、『ドラゴンクエストXI』を全編通しての感想と、
「主人公が過去へ飛ぶだけの十分な理由があったにもかかわらず、
  その情報がプレイヤーに与えられずになんとなく過去に飛ぶことを選択させた問題」
について。

表のシナリオでウルノーガさんを倒したあと、
主人公は犠牲になったベロニカを救うため(という表向きの名目で)、
元の時間軸の仲間たちと別れて過去に跳ぶワケですけれども、
派生したふたつの時間軸について特に何のほのめかしも言及もなかったのは
却ってサッパリして良かったのかな、という気はする。

  イベントで、堀井雄二氏が「やがてヒトツに収束するのだと思う」と言及したらしいけれども、
  それも具体的には全然イメージの付かない言説であって、イヤハヤ見事な捌きだと感心する。

オイサンの感じる問題は、そのウルノーガさん討伐後のシナリオ
……世間では「裏」と呼ばれていますが、どうもしっくりこないので、
  「後<アト>」シナリオと呼びたいと思いますが……
後シナリオの総体的なデキとして、
「肝心なところは本筋として必要なのに、それ以外の部分は屋台骨となるには足りない」という、
あまり良くないデキと位置づけだった……と、思う。中途半端だった。

後シナリオには、『ドラゴンクエストXI』の物語を本当に大団円させるために必要な
いくつかの要素が包含されていた。
先代勇者ローシュの伝説が実は悲劇でありウルノーガさんの出自にも関与していたこと、
その悲劇がベロニカの死という新しい悲劇にも繋がっていたこと、
後シナリオをクリアすることによって悲劇の輪廻が断たれ
主人公が世界を根底から救う最後の勇者になること、などがそれだ。

そうした「欠かすべからざる物語」であるにも拘らず、
後シナリオが「オマケ扱い」されているのはやっぱりちょっとどうかと思うし、
それだけの物語を回収させるにあたってプレイヤーを導いていく
「その他の部分」のしかけが貧弱で、あまり面白くないことは大きな問題だったと思った。
なにしろ、主人公を引っ張っていく要素が
「もとの時間軸ではこうなっていた物事が、こちらの時間軸ではどうなっているのか?」
「こちらの時間軸では、あの出来事は必要ない筈だけど、追っかけてみたらどうなるのか?」
という、興味レベルの話でしかないのだ。
IFの世界を公式で遊ぶという2面的な展開は興味深いといえば興味深いのだけど、
シナリオの出来栄えは、なんだか穴埋めに汲汲としているようにも見えて、
ちょっと興ざめするところもあった。

  元の時間軸では悲劇的だった結末のシナリオがハッピーに回収されたりもして
  それはそれで良かったな、と思うところもあるんだけど。
  逆にその辺は、じゃあ悲劇で終わった元の時間軸の人たちのかなしみって
  一体なんだったんだ、という……
  「ダメになった故郷(元の時間軸の世界)を見放して
               よく似た違う土地でヨロシクやってるオレ」みたいな、
  むなしさと背徳感もあって煮え切らないカンジになる。閑話休題。

これには、
「ゲームを作りこんでいく中で『その他の部分』が貧弱にならざるを得ず、
 ウルノーガさん討伐後もさらにゲームを引っ張るだけの力を持たせられなかったから
 オマケという位置に置いて『オマケだから』であると逃げるしかなかった」
んじゃないだろうか、という邪推が働く。
まあやらなければならないことの大半がウルノーガさん編の再回収になってしまうから、
どうしようもないのは分かるけれども、これはもうハッキリと、
失敗と言ってしまって良いのではないだろうか。


 ▼ローシュとセニカ、主人公とベロニカ、重なったまま回り続ける二つの物語

サテではそんなちょっと中途半端なところを押し切ってまで
主人公が過去に跳ぶ展開を作らなければならなかった、その意義とはなんだったのか。

そもそも主人公には過去に飛ぶ絶対的な理由があったワケです。
それは、先代勇者と宿命を共有する者として、
セニカさんの宿命を負って主人公を救ったベロニカと、
ベロニカの一部でもあるセニカさん当人を救済するために他ならんことは、プレイした人は分かる筈。
それ即ち、ニズゼルファさんを討伐して遠大な悲劇の輪廻を断ち切ることにもつながるワケですが、
ニズゼルファさんのことはを置いておいたとしても、
先の二人を救うことは、
「神話のコマ」である勇者として生まれた者の事情と主人公個人としての事情がクロスオーバーした、
その他の義理人情に優先する事項だったハズである。

先代勇者ローシュの仲間であり恋人でもあったセニカさんは
勇者が殺されるのを止めることが出来ずに生き残ってしまい、過去に飛ぶことにも失敗して、
時の番人なんていうワケの分からない存在になって、
ただただこの悲劇の輪廻を終わらせてくれる本当の勇者の出現をずっと待っている。

そしてそのセニカさんの運命を受け継いだベロニカ(セーニャでも良かった筈だけど)は、
どこまでセニカさんの記憶を引き継いでいたかは分からないけれども、
恐らく様々な面において直感レベルでセニカ時代の記憶の断片をその身に宿していたのでしょう……
命の大樹でウルノーガさんの襲撃を受けた折、
「ここで自分が生き残っても、自分では過去に戻ってミスを取り戻すことは出来ないから、
 いまは自分が倒れてでも勇者を生き残らせなければならない」と、その身を挺した。
勇者ならば過去に還り、自分と、世界を根本から救ってくれることに望みを託して死んでいったに
違いない。

そんなわけで、主人公は個人としてもベロニカの覚悟に応える理由があるし、
先代勇者ローシュの運命を引き継いでいる者としても、
ワケの分からないモノとして最早何もかも思い出せないまま
ただかなしみだけを抱えて生き続けているセニカさん……自分を救ってくれた遠因であるところの
彼女を解放して上げるために、過去には「決然と」跳ぶ理由がある。

跳ぶことに、なんの迷いもあってはイカンハズなのです。
他の仲間に止められたとか、そんなコト言ってる場合じゃなかったハズなの。
けど如何せん、それらのことは終わってから知らされる情報で、
過去へ跳ぶか否か、選択する時点でプレイヤーにはそんな情報が与えられてないから、
動機らしい動機としてはベロニカの件くらいなわけです。
それを除いたら、「なんかゲーム的に続きがあるっぽいから」というくらいしか、ない。

『ドラクエ』の作劇として主人公とプレイヤーは一体で、
主人公に分からないことはプレイヤーにもわからないものとして描かれ、
物語の選択はプレイヤーの選択として作られる。
と同時に、「主人公にしかわからないこと」は「プレイヤーにも自分にしかわからないこと」として
情報が与えられなければならないはずで、今作の主人公にはそういう絶対的な動機があることが、
どこかで伝えられないといけなかったんじゃないだろうか。
「過去に飛ぶ・飛ばない」という選択が迫られるとき、
ベロニカが死の間際に抱えていたであろう覚悟と主人公への信頼を、
「言葉にしないまま直感的にプレイヤーに伝える」ものが必要だったはずだし、
同時に、先代勇者ローシュの無念と待ち人セニカを救わなければならないという
「本人も無自覚だけど、どことはなしに胸に引っかかっている疼き」の様なものを
感じさせたうえで選択をさせないといけなかった筈だ。

無論「ベロニカを救う」という動機はあったけれども、
それに関しては他の仲間たち全員から引き留められるほどであったし、
ベロニカの生死という問題において最も大きなチカラを持つはずのセーニャにすら
引き留められるほどだったから、彼らの全員の気持ちを考えれば、
「今生の主人公個人だけの問題」としては、残ることも妥当な選択だったハズである。
そして何よりも、この時点でベロニカの死は「一つの自然な帰結」でしかなく、
それを覆すことは大きな流れに逆らうこととして映っていた。

けれどもベロニカの死の真相はそうではなく、
「本来そうあるべきではなかった過去」の大きなねじれの先にあったものであった。
その事情を知っていれば、
「ベロニカが死なずに生きている現在」こそが時の流れの正しい姿だとわかるから、
そのねじれを正しに帰ること、即ち主人公が過去に飛ぶ行為は「絶対の必然」である。
仲間の制止を振り切ってでもその判断を下すには、
個人としての思いと、歴史と神話を背負う勇者としての思いの両方が必要だったはずだ。

読み切ってみるとすごく壮大で腑に落ちる悲劇の物語であったから……
その物語の主人公を演じた者の一人として、そこに隙があったコトは大変残念だった……。

救いがあったとすれば……今回の物語で主人公チームのメンバーは大概、
何かをやらかして、間違って、それを取り戻すために時間を犠牲にしてきている。
カミュは、過ちで妹を黄金像にしてしまいそれを置き去りにして逃げて来ているワケだし、
セー・ベロ姉妹は言わずもがな、
ロウは国をひとつ潰して娘夫婦を失っているし、
マルティナは幼い主人公を守り切れなかった負い目と、父に捨てられた
シルビアは……お、なんもねえなこのオッサンは。やるやないか。
……マそういう中で、主人公も、ここで行くか辞めるか選択をし、
辞めることでなんらかの間違いを背負うことになり、
間違って世界に禍根を残したまま役目を終え、物語は次の世代に受け継がれる……
という「痛み」を表現することは出来たかも知れない、ということだろうか。
マそれならそれなりに選択肢とそのためのエンディングはあっても良かったと思うし、
こと『ドラクエ』に至ってそういうケレンは不要だと思うけど。

  しかし大きな動機もないのに最後までこんな大バトルに付き合って、
  且つラストのラストまでひるまずに仲間を鼓舞し続けることの出来るシルビアという人は、
  案外、中でも一番強いハートを持っているのかもしれない。
  騎士道、おそるべし。
  どこぞの紫オールバックとは一味違うぜ。



……。



などと。
過去に飛ぶ前も、飛んですべてを終えた後も、もう一つ釈然としない思いがあったので、
それをまとめてみた。

トータルで振り返ると、
仲間キャラクターが生き生きしていたのが印象深かった。特にグレイグ、シルビア。
次いでベロニカ+セーニャ、ロウ。
カミュ、マルティナは印象薄めだったか。バトルでのパフォーマンスは高いんだけど。
成長要素やバトル面の面白さは、必要十分ではあったけど飛び抜けてはいなかったので、
バトルで個性を発揮する人の印象はちょっと薄まってしまったように思う。
パーティメンバーの中では、ヒト的にはグレイグさんが一番好きだった。
バトル面では、序盤シルビア、中盤ベロニカ、終盤ロウ。
ロウさんが有能すぎて、癒し手としてのセーニャはほとんど出番がなかった。

そんなグレイグさん大好きのオイサンだから、後シナリオでの違和感がことのほか大きかったのです。
元世界における大樹崩壊直後のグレイグさんとの時間があまりに濃密で、
後シナリオではその時間がすっぽり抜け落ちたグレイグさんなので背中を預けられないカンジで
さみしかったのだった。カミュより、グレイグさんの方が相棒感強かった。

プレイし終えてこれ以上やることもそんなにない(クエストや錬金を極めるような気持ちもない)ので、
今は買って手を付けずに置いていた3DS版の『ドラクエⅦ』をやっているのだけれども、
『XI』は、やっぱり操作性が悪かったなと思う。特に町なかの歩きづらさは特筆もので、
正直、あまり町にいたくないと思うほどだった。

フィールドも、狭い。
解放感、広い世界を旅しているんだという感覚が薄かったことは非常に残念。
良くも悪くも箱庭感が強く、
箱庭の外側に繋がる、人には知りえない摂理の無限の連鎖を感じることが出来なかった。
けどそれは……この後に書く宗教観のことと、
『XI』の物語が『ドラゴンクエスト』世界における有史以前の神話の物語だったから
なのではないか(コレも後述)、というところが影響しているように思う。
ゲームの容量が拡大され過ぎて描け過ぎてしまうことや、
大外のことまで辻褄が合っていないと評価されない、
今のライト系コンテンツ世界の風潮の問題だろうと思う。
とりあえずそんな感じ。堀井雄二節は存分に味わえたので良かったです。
 
 
 
……といったところで、ひとつ目の疑問点や不満点についてはオシマイ。
次回、命の大樹が示した『ドラゴンクエスト』の物語のありようとかに続きます。
 
 
 

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2018年3月25日 (日)

■蒼き砂の謝辞 -更新第1109回-

フォロワーさんちのご令嬢が、さらなる高等教育へ進学なさるという。
……早くね?
ツイッターで知り合った頃は、まだ小学生だったハズだが……。

オイサンがまだ利発そうなお子さんだった頃、
……いや、利発そうだったんですよ、このオッサン。
でね、利発そうなお子さんだった頃、
マイペアレンツもご子息の成長をこんな猛スピードで体感しておられたんだろうか?
こんなにすぐ成長しちゃうんだったら、
子どもが物心ついて人語でまともにコミュニケーションをとるようになってから親元離れるまでなんて
ホント一瞬ってことになっちゃうね。
いやービックリ。
子どもの記憶と目線では、結ッ構長いこと世話になっていた気がしたけど。
向こうからしたら、案外そうでもないのだろうか?
親は「あー、子ども、すぐ大きくなって出てっちゃったなー」って思ってるのだろうか。
なーんだ。
ありがたがって損した。 ← そういうんかオマエ。
マ、毎日カオ合わせるのと、よそんちのお子さんの様子をたまに聴くのとでは
体感速度は全然ちがうだろうけどさ。
 
 
にしても早え。
 
 
小学生とユニバーシティって、もうすっかり完全にコドモ⇔オトナだもんね……。
小学生が個人でカバーしてる社会なんかほとんど完全に親の掌の上だろうけど、
ユニーバーシティボーイともなるとすっかり手の内をはみ出して、
イイコトもイケナイことも、自分だけの社会をもっちゃうもの。やることなすこと。
そっかー、たったこれっぽっちの時間で、もうそんなかー。
オイサンも老いるわけだよなー。人生って短いんだなー……
おっとそうだ!
そんなことより(そんなこと呼ばわり)最近ちょっと置いてあった『ときメモ4』でもやるか、
とか言いながらPSVitaを立ち上げて見たら、
プレイ中で置いてあったセーブデータの日付が2016年の8月だった……。
1年半!?
1年半もやってなかったかい!?
すげえな。
イヤイヤそんな、もっと最近、ちょっとプレイしたりしてたでしょ?
なんて言い逃れてみようにも、デジタルの妖精さんは正直&冷酷です。ごまかしがきかない。
1年半つったらオマエ、リアル高校生活でも半分終わってるよ?
そんだけほっとかれたらオマエ、ラブラブだったカノジョの熱もすっかり冷めてるよ。
まゲームのヒロインは根強く待っててくれるわけですが。
ごめんね語堂さん、お待たせしてしまって。
 
▼語堂さん

 
 
そりゃまあ、ゲームを平気で1年半も寝かせとくペースで生きてたら、
ヨソん家の娘さんくらいソッコーで巨大化しますわな。
オイサンはこういうペースで生きてる人なので、
生まれてたかだか30年や40年で親になんかなれませんって。
『ときメモ』でさえ、20年付き合ってようやくいっぱしになった気がする昨今ですもの。
自分、つくづく人間として生きるのに向いてないって思うわ。
社会的にも、時間の流れ的にも。
もっと一個体で、のんーびりと、生きてる生きモンに生まれる筈だったんじゃないのかなあ、ジブン。
オカンがホッキョククジラかなんかと浮気した時に出来た子じゃないだろうか。
などと、
自分の呑気モン気質を母親の異種間不貞疑惑に発展させるけしからん息子さんです、
オイサンです。

ここまでが話のマクラ。
長いよ。
まマクラでもなんでもなくて、こっから先は本題の全然関係ないハナシすんだけどさ。
 
 
 
■青の民族「トゥアレグ族」
 
先々週の日曜だっただろうかテレビで『クレイジージャーニー』って番組を初めて見たのだけど、
アルジェリアの、トゥアレグ族という遊牧民のことをやっていた。
伝統衣装の色から、「青の民族」と呼ばれるらしい。

番組から得られたトゥアレグに関する情報は、

 ・遊牧民である
 ・男が青いターバンにベールを装備している
 ・女性でなく、男が肌を隠す
 ・女系の部族である
 ・戦闘民族である
 ・踊りがうまい
 ・イケメン
 ・ヤギかなんかをさばいて食う

くらい。
番組では、女性写真家さんがトゥアレグの人たちをモデルにした写真を撮るという目的で
アルジェリアに赴き、その目的を果たすまで部族の遊牧に同行して暮らしを体験する、
っていうか、
その写真家はそうした砂漠の人々や暮らしのことに精通してて、
どちらかというとテレビのクルーが色んな事にビックリするんだけど、そんな感じで話は進んでいく。

最後に撮影をする段になると、
トゥアレグの人々はわざわざ隣の集落?部族?から踊りや剣の扱いに長けた若者を招聘して、
踊りを披露した上で撮影に協力してくれる、というサービス精神だった。
その踊りも戦闘民族らしく、殺陣のようなものを含んだ迫力のあるものだった。

撮影の後、彼らは番組のクルーに握手を交わしながら
「遠くから来てくれてありがとう」
「楽しかった」
って言うんだけど、その「楽しかった」が、自分には妙に衝撃だった。
「あ、楽しいんだ?」という驚きがあった。

わざわざ遠くから(来んでもエエのに)写真撮らせて! ってやってこられて、
寝る場所用意してあげて、ゴハン振る舞ってあげて、協力者を呼んできて、
呼びつけられた方も踊りを見せてあげて、そんで「楽しかった」というのは、
コレなかなかの徳の高さだなと思ってしまった。
やらされてるとか、力を貸してあげてるとか、「なんで俺らが?」とか、そういうんじゃないんだね。
マそういう人もいるんだろうけどさ。
そういうんじゃない「面白そう、オレ行きたい!」ってやつを集めたのかもしれないけど。

なんで驚いているのかは自分でも半分くらい分からなかったのだが、
自分にとっては、ヨソから来た人をもてなすことの大部分は負担や義務であって、
喜びや快感もいくらかあるにせよ、それは自発的に楽しめるものでは、きっとないんだろう。
結果的に楽しめることもあるだろうけど、不安の占める割合が、すごく大きい。
もてなすことが上手くいったとしても、
それは「ミッションをやり切った、乗り切った」という感覚であって、
楽しい時間をすごしたという大きな感覚が伴うことはあまりない。

 「失敗しちゃいけない」とか「失礼があっちゃいけない」とか、そういう重圧が大きいから、
 生真面目すぎるというのもあるだろう。

逆にそういうことを「楽しい」と思ってやってるひとがいることを、今回改めて知った感じだ。
そういうのを進んでやる人がいることは知ってたけど、
それはあくまでも「ツラいのが平気」なのだと思っていた。
だがどうやらそうではなく、「そもそもツラくない、楽しい」んだな、と。
だからそういう人たちに「自分はそういうのダメなんだ、ツラいんだ」って言ったって
そりゃ分かってもらえるハズないな、ということも分かった。

  ……あ、辛い辛い書いてますけど、そりゃ相手にだってよりますよ?
  親やら昔からのアホ友だちや、えげつないブッコミをしても笑える人相手は
  全然つらくないけど。

マ砂漠なんかに暮らしていると、
ヨソから来る「友だち」に出会うことなんかはきっと多くないのだろうし、
人と出会い、交わること自体が、ある程度喜ばしいことなのだろう
(相手が自分にとって安全な相手であることは前提だろうけど)。
自分はそういうのないなあ。

そういう「知らない人を快く人をもてなす感情や行為」に、なにか特別な呼び名はあるだろうか。
それはきっと、「どこまでを同族・仲間とみなすか」の視野の広さとか、
「相手の気持ちや背景に思いを馳せ、共感し、慮れるか」の想像力の強さとかに
因る部分もあるんでしょう。

番組では、どっちかというと番組のクルーの方が「戦闘民族」というフレコミにビビっていて、
彼らが舞のために持参してきた剣を見て戦々恐々とした。そりゃそうだろうけど。
個人的には、戦闘民族と言ったら、
サイヤ人(出典:ドラゴンボール)か、島津家(出典:ドリフターズ)だからやっぱ怖い。
 
 ▼サイヤ人
  

 ▼ドリフターズ
 
 
 
 
■Desertは別腹
 
トゥアレグが住むのはサハラ砂漠の西部なのだけど、
捌くといえば、子どもの頃……今でもだけど、砂漠を舞台したお話や作品て、
いつも死ととなり合わせ、過酷で風景もあんまりかわらない、みたいな閉塞したイメージしかなく、
豊かさや広がりを感じられず、あまり「得意」ではなかった。
嫌いなわけじゃなく、その創作の世界で遊ぶことが出来ず、「不得意」。
マリオとかのゲームでも、砂漠ステージは必ずあるけど好きじゃない。
どうしても障害というイメージで、アドバンテージというか、面白み、喜びに繋がらない。
でもきっとそこに暮らす人たちは砂漠ならではの安らぎとか喜びとかを見出して、
ときにはその恵みに感謝することもあると思うので。
ホントになんもないかもしれないけど。
砂漠での暮らしとか、草原での暮らしとかに、どんな恵みや喜びや安らぎがあるかが分かったら、
そこを舞台にした創作物に対しての理解が広がるんだけどな。
死ぬまでに一度は砂漠行ってみたいと思っている。鳥取以外で。
 
 
 
■オマケ
 
砂漠のことを調べていたら「フェザーン」という地名が出てきた。
聞いたことあるなーなんだっけ? と思ったら『銀英伝』だった。
そしてまた、イブン・バットゥータという言葉も出てきた。
コレも聞いたことあるな、なんだっけ??? と思ったら、『ヤマモトヨーコ』だった。

砂漠の喜びや豊かさについて余すところなく著した作品とかってないかしらね?
高校生の頃『聖刻10XX』シリーズ読んで、
やっぱり砂漠が主な舞台の話だったんだけど、
やっぱり埃っぽいばっかりで、嬉しくはなかったなー。
メカとか魔術とか、キャラクター面では好きな作品だったけどね。

 トゥアレグ族 ▼ https://goo.gl/L3HwDX
 フェザーン ▼ https://goo.gl/iAENMw
 イブン・バットゥータ ▼ https://goo.gl/j9SnMa

 
 
 
■Close

で、上で話したどっちの話題とも関係ないけど(ないのか)、
久しぶりにプレイした『ときメモ4』をフィニッシュしたところ、
伝説の樹の下に告白にやってきたのはずっと懇ろにしていた語堂つぐみさんではなく、
隠しヒロインのハルちゃんだったので驚いた。
おおおおお、キミか!

 Atrdsc_1047_2
 
 Atrdsc_1049
 PSVitaでPSPのゲームプレイしているときはスクリーンショットは撮れないんだな。残念。

どうやら、ラストのホワイトデーでハルちゃんに特別なお返しをしたのが決め手になったっぽい。
いやーびっくりした、語堂さんには悪いことをした……。
ずっと同じ部活、同じ店でバイトしてきて、デートもたくさんしたのになあ。
『ときめきメモリアル』に出会って23年になるが、キミは相変わらず俺を驚かせるなあ。

藤崎詩織さんから初めて告白を受けたのは1996年の3月15日だったけど、
あのときもやっぱり3年目の冬頃から、
それまで仲の良かった清川さんから詩織に心変わりしたのだった。
おかげで清川さんには申し訳なくて、一番好きなヒロインになったんだけど。
Sなのかオレは。
 
 
オイサンでした。
みんな、2次元の女の子にはやさしく、誠意をもって接しような。
生身は知らん。
 
 
 

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2018年3月16日 (金)

■おなかにマルちゃんがいます~2018年1月期アニメ感想・後半戦 -更新第1108回-

御茶ノ水から四ツ谷まで歩いて帰る途中に、評判の良いそば屋があったのです。
あと、うなぎの寝床みたいに狭いけど雰囲気の良さそうな、
メルヘン風味のカレー屋さん。

その道を使い始めた当初、前を通るたびに
うまいタイミングがあったら入ってみようとなんとなく、本当にただなんとなく思っていた。
おそば屋さんの方は、夜はお酒も出るようだったけど、
酒のアテ以外には本当におそばしかないようだったから、
夕飯時にそこを通る自分にはなかなか入るチャンスがなかった。
カレー屋も、気まぐれにしかやってないみたいで、まともに営業しているところを見る機会は
殆どなかった。
この月曜、火曜とその道を歩いていて、アレ? あの店はどこだったかな、
気付かないうちに通り過ぎてしまったな、ということが続き、
水曜日、明らかに店のあった空間そのものが消えているのに気付いたとき、
目の前にある駐車場がその店たちの跡であることを知った。

マそんななぁよくあることで、思い入れがあるお店でもなかったからダメージはないんだけど。
なんか妙にびっくりしてしまったのでした。

オイサンです。

サテ前回に引き続き、2018年1月期のアニメ感想の続き。
後半戦の今回は、みんなも大好きなあのアニメが登場するよ! ← てきとうにもほどがあるだろ
以下、おしながき。

◆-----  前半戦  -----◆
 『ポプテピピック』
 『スロウスタート』
 『ラーメン大好き小泉さん』
 『りゅうおうのおしごと!』
 『だがしかし2』
 『たくのみ』


◆-----  後半戦  -----◆
 『ハクメイとミコチ』
 『宇宙よりも遠い場所』
 『三ツ星カラーズ』
 『ゆるキャン』
 『からかい上手の高木さん』

 
 
 
●●●『ハクメイとミコチ』

個人的には『スロウスタート』と、この『ハクメイとミコチ』がツートップ。
今期の2大湿気アニメ。

ファンタジー日常系で、人や世界の素性も土台もほとんどわからないところから始まるのに、
見る者が細かいことを気にするより早く日常が始まって終わり、
一話が終わる頃にはだいたいその日常のことが分かっている……という、
不思議な飲まれ方をした。一話から。これは原作由来のエッセンスなのだろうか?
 
▼ハクメイとミコチ PV第1弾

 
 
且つ、ただ心地よい思いをしてオシマイはいサヨウナラ、ではなく、
「もう少しこいつらに付き合ってみたい」と思わせる引きを感じた。
別れを惜しませる人となりの良さみたいなものがあって、それでずっと見ているカンジ。
「先が気になる」というより「今日はどうしているかな?」という興味に近い。
覗きに行きたくなる。

中盤のいっとき、緊張感を見せる話もあったけど、異端だった。
見ていて少し違和感があるくらい。
ハクメイの人となりというか、「暮らす」上での横顔を見せるものだったのだろう。
俯瞰すればあって良かったとは思うけれど、ちょっと分厚過ぎた気もする。
もっと薄くても良かったような。ミコチの「仕事」くらいで良かった。

日々の憂いと、物言わぬ「道具」の気持ちを肴にお茶や酒を飲んで、
肯定も否定もしないで、「そうかね」と受け入れて終わる、というお話。
晴と褻でいえば褻の面を主に描きつつもはしばしにある明るさを表現しているスタイルに
たいへん共感を覚える。

画も音楽も、間のとり方も鮮やか。
ときおりマンガのコマ割りみたいまカットがあったりするのは、
ともすればあざとくなりそうなのをイヤミなく挿し挟んでいるなあと感心する。

エンディング曲が素晴らしい。

ちょっと気になることといえば、
ハクメイが女の子であることにどんな必然性があったんだろう? ということだ。
だって、アニメで見る限りほぼ男として描かれてるし、男性の特質を持たされているし。
そうまでして「女の子二人」にしようとした意図が、よく分からない。
女の子であることに不都合もないのだけど、
そういう「違和感」をいちいち植え付けてまで実現したかったことは何なんだろう? という、
作り手側のナゾがとてもある。配置には意味があると思うんですよね。
でないとその違和感はムダなので。「アソビ」と言えるかもしれないけど。

強いていうなら、ミコチとの共同生活者として変な境目をなくしたいという意図、
諍いや争いの気配を消したいというのはあるのかもしれない。
男性と女性じゃ、どうしたって生理的に引き受け合えない部分がありますからね。
そんくらい。
なんかあんまり男がー女がー言うと、
ジェンダー牧場のコワイコワイロッテンマイヤーさんがやってきて
ドスコーイ!! って怒られそうなのでやめときますが。  ←↑ここが一番怒られるわ。
 
 

●●●『宇宙よりも遠い場所』


……さあ困った。けなすところがないぞ? ← 困り方

それぞれの動機を持った女子高生4人が、「宇宙より遠い場所」・南極を目指す王道青春ストーリー。
イマドキ珍しい剛速球。目的地が南極というのもいい。

上で書いた『りゅうおうのおしごと!』同様「よく出来ている」のだけど
それで終わらない予測のつかなさを、
……後から思えば「予測がつかない」というほど斬新なハナシではなかったりもするのだけど、
それをそのように見えるように、演出してコントロールしているのだと思う。
退屈しないのは、たぶん引き算が上手だからだろう。
サービス満点の「見たことがある」ものから過剰な部分を差っ引いて、
「ほどよいリアリティ」に落とし込んでいるように思う。
そのほど良いリアリティが
視聴者に『見たことがないはずのもの』をちゃんと『見たことがないもの』として捉えさせ、
とてつもない臨場感を生んでいる。すごい引き込まれます。

▼よりもい PV

 
 
まあ、おかしなところがないというワケではないんだけど、それは瑣末な部分であって、
よく出来過ぎているがゆえに、ちょっとした引っ掛かりが気になる、という程度。
チョイチョイ「このカットいる?」っていう画が挿し込まれたり、感情過剰なエピソードが入ったり。
一番違和感があったのは、主人公のコの親友が悪い噂を流してたってハナシ。
エピソードそのものは全然破たんしてないんだけど、
南極へ向けて旅立つ主人公の物語のパーツとしてなんの役割を負っていたのか分からなかった。

いずれにせよ、今期「誰にも勧められる本当に面白いストーリーアニメ」を問われたら
迷わずこれを推せる。
でもまあ、優等生だよね。
「名作の新たなスタンダード」ではあると思うけど、傑作にはなりえない。
傑出しているけど、仕方がやさしいというか。
疾風のように駆けてきてコメカミを金槌でぶん殴ってくるような衝撃がどこかに欲しいなあ。
通り魔やないか。
 
 
 
●●『三ツ星カラーズ』

今期の、ザ・いまいちピンと来ないアニメ。
うーん……。どこにもフックがない、というか、
ジャケットを掛けるための壁掛けフックが用意されているんだけどゆるんでしまっていて
何度やってもかけたはずのジャケットが落ちてくる……みたいな感じ。わからんちゅうねん。

「電車の中で騒いでいる、躾のなってないお子様をずっと見ていなきゃならない」
感じに苛まれる作品。微笑ましさや喜ばしさが、ほぼない。

これが、この子ら(カラーズの3人)を自由に射殺していいゲームだったら楽しい作品になるのだが、
如何せん、見守らなければならないのでちょっとシンドイ。
作中に誰かこいつらを「やったる」役割の者が出てくればいいのだが、如何せんそれもない。
誰かがこの子らを「やったらなアカン」のだけど。
『よつばと』には、とーちゃんやお隣の三姉妹やジャンボたちがいるし、
『苺ましまろ』には、ザ・バイオレンス要員がいて、且つ互いの関係の中で「やりあっている」けど、
『三ツ星カラーズ』の世界には「やったる」要員が足りない。
「やったらず」に終わるにはどこかで落としどころが要ると思うんだけど。
視聴者の気分のタイミングで「やったる」キャラが必要ではなかろうか。
もしくは、オイサンが理解していないだけで、「上野というロケーション」が
既にあいつらを「やったってる」のかも知れない。

▼三ツ星カラーズ OP

 
 
どこにも落としどころがないまま毎回終わっている気がするのだが、
まあ、それが多分この作品のオリジナリティ、アジの部分なのであろう。
いまのところ、ちょっとオイサンには理解が出来なくて、
床に落っこちたジャケットをぼーぜんと見つめるだけの日々なのだが。

しかしこのところに至って、
「子どもの日常のリアルなんか、こんなもんなのかも知れない」
とも思っているし、
いつか『ゆるゆり』の時の様に、自分の心の方がなじんでいくのかもしれない、
とも思っている。
 
 
 
●●●『ゆるキャン』
 
えーと、今期の覇権アニメです。
終わり。
終わりの始まり。

かわいいおんなのこたちがのんびりまったり、
近場で安価にキャンプして。肉焼いたりしながらイチャイチャします。
あとSNSによるコミュニケーション全肯定でイチャイチャします。
背景美術、音楽が素晴らしいです。
アウトドアに関する豆知識もいっぱいで、自分がちょっとおリコウなったみたいな気にもなれます。
真似してお出かけてキャンプして、自分が何者かになったような気持ちにも浸れます。
聖地巡礼プレイにもバッチリ対応!

……とかって書いていたら、
「超おもてなし・オタクおだてアニメ」っていう言葉が浮かんできちゃったぞ。
ブヒィ。

いや、見てて愉快な良い作品だと思いますよホントに。
作品に罪は無いんだ。おだてられるオタクが悪いだけで。いやオタクも悪くはないけど。
いいぞいいぞ、有り余る財を使ってアウトドア業界の経済を回せオタク。
山梨にカネを落とせ。高いテントも、ヤマハビーノも買え。
売り切れらしいな、志摩リンちゃん印のヤマハビーノ。
お前らスズキ乗れよ。東山奈央だぞ。ばくおん!!

▼ゆるキャン PV

 ゆるきゃんではない。
 
 
大変良いと思うんです。
女の子もみんな可愛いしいい子だし、画もきれいだし音楽もいいし。
お話もね。
いけない部分は全然ない。犬子ちゃんが若干ケシカランくらいで。もっとやれ。
リンちゃんがぼっち原理主義者で、SNSをバッチリ利用して時空間的には適度に距離を保ち
人間関係から解放されつつ、精神的には都合よく人に依存していこう! っていう、
大変都合のいい位置を確保していて、なでしこちゃんもそれを受け入れ、
お互い大トロの部分だけわけっこして、モツの部分は捨てちゃって、
「私たちってトッテモとってもイイ感じダヨネ♪」っていう、
なんかこう、なんていうか、えーと、なんなんでしょうね?  ← 知らねえよ。

面白いよ。
かわいいよ。
作品としてとても優秀だよ、でもなんかムカつくんだよこのアニメ。
なんだろうね、もう知らん、寝る! ちくわこっちおいで!!  ← そういうトコだぞ

個人的には「失敗しなかった『輪廻のラグランジェ』」みたいな気がする。
いまパッと思いついただけだけど。



……。



そうか、俺は知らず知らずのうちに、このアニメにムカついていたのか……。
なんでかわかんねえけど。
人と人がネチャネチャし過ぎない、「4+1人でひとつ!」みたいなんじゃなく、
「ひとりが三つと、ふたりが一つ」ある感じをしっかり残しているところはすごいと思う。
そこは真面目にすごいし良い。

キライじゃないんだよ、ホントだよ。楽しく見てるんだよ。
でも心の奥底でどっかムカついてるんだよ、どうやら。今気付いたけど。
みんな、『ゆるキャン』のことは嫌いになっても、
オイサンのことは嫌いにならないで下さい(厚かましい)。

あと、ミズハスはもうお母さん声優なんだなって思った。
お母さん!  ← オマエ同い年やろ
 
 
 
●『からかい上手の高木さん』
 
今期の ザ・ピンとこないアニメその2。
いやー……これまた、楽しみ方が分かんねえな。何も伝わってこない。
超でこっぱちニヒヒ笑いの高木さんが、同じクラスの全然冴えない男子ニシカタ君を
いじり倒す作品です。

▼からかい上手の高木さん PV

 
 
高木さんは恐らくニシカタを「気に入っている」のだろうけど。
「気になっている」のかどうかが、伝わってこない。
本当だったら「好きだからちょっかいかけてる」まであるんだろうけど、
素直にそう思って見ればいいんだろうけど……それが全然、実感としてやってこないから
見てても全然わからない。

  こんなだからオンナゴコロが分かんねえとか言われるし、
  四十になっても未婚だとか童貞だとかなんでしょうな。
  分からなくて結構!!(意固地)

見ている限り、お話としても面白みはなくって、
ニシカタが子どもっぽ過ぎて、粗忽モンすぎて、ただただ不甲斐ない。
オマエもうちょっとしっかりしろよ。コレ、作者は男性なんだっけ、女性なんだっけ?

「それ」が分からないモドカシサ、高木さんの本心の分からなさを楽しむものなのかもなあ。
ニシカタと一緒になって悶々としてね! っていう……?
だとすると、アバターとしてのニシカタが愚か者過ぎてイヤなので、
もうちょっとでも品質の高い男子にしてもらいたかった。
見てるとニシカタへの「オマエが!!」っていう怒りばかりが先に立つ。
その弱者であるところの愚か者を、
高木さんが愚か者と知りつつ死なない程度のダメージを与え続けているように見えるので、
やっぱりこう……微笑ましくないんだよ。

  『ガヴリールドロップアウト!』の大悪魔・サターニャさんも
  花澤ラフィ香菜さんに虐げられ続けていたんだけれども、
  サターニャさんは自信に満ち溢れてやられている自覚がなかったし
  なによりやられる・やられないにかかわらず幸せそうだったので
  全然不愉快ではなかった。悪魔的行為<デビルズアクション>。
  そもそもアイツは絶対悪だしな。絶対正義であるところの天使に裁かれるのは道理。
  人間の尺度で考えるのが間違いだ。
  そういう宗教観がベースにある作品なんだから、アレは。(そうか?)

……ああなるほど、高木さんの悪意の大きさと
それを受け止めるニシカタのキャパシティのバランスが悪すぎるのか……
だからこう、からかうのではなく虐待に近いものに見える。
いっそのことニシカタの背中に烙印が残るくらいのことをやってくれれば
むしろ逆にスッと腑に落ちる気がするな。
それはオマエそれでどうなんだオマエ。

ただ、まあ……「男子中学生なんてこんなもんか……」という、イヤな諦めだけは実感としてある。
中学生女子が言う
「同年代の男子なんか、子供っぽすぎて見てられない」
っていう感覚
がもしかしてコレのことなのかと、いまになって感じている。
だとしたら大変優秀なアニメだと思う。
女子目線で見た、男子中学生シミュレータ。

OPは最高に素晴らしいのに、これだけ本編にテンションが伴わないのも珍しい。
キッチリ楽しんでいる人がいたら、どういう視点と解釈で楽しんでいるのかを
レクチャーしていただきたい一品。
BGMとかが殆どなくて、大変物静かで雰囲気は良いんだけど。

▼OP『言わないけどね。』MV

 
 


■Closing
 
マ大体、以上で。
継続的に見ているのはこのくらい。他に、

 ・『ダーリンインザフランキス』
 ・『メルヘン・メドヘン』
 ・『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』
 ・『citrus』
 ・『刀使の巫女』
 ・『覇穹 封神演義』

あたりは、開始当初録画リストに入れてはいたけど途中でやめちゃったものです。
『ダーリン~』は録ってはいるけど、全然見てない。
本数的には、10~11本がどうしても限界ですね。
マジメに見られているのは7本くらいだし。

今期ももうじき終わってしまうので、どの作品も最後まで
きっちり走り切ってくれればいいと思います。
けど最近は、昔とかちょっと前みたいに、突然絵が壊れるとか、
ホンマにどうしょうもない終わり方するとか、そういうのは減りましたね。
めでたいことです。
 
オイサンでした。
 
 
 

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2018年3月15日 (木)

■おなかにマルちゃんがいます~2018年1月期アニメ感想・前半戦 -更新第1107回-

ちょっと前の週刊マガジンで、
森川『はじめの一歩』ジョージ先生のロングインタビューが掲載されておりまして、
目を疑ったのだが、ジョージ先生いわく
「マンガに体験や取材は一切必要ないと思う」と語っておられ、目次ページを見ると
今週の『はじめの一歩』は作者取材のため休載となります。ご了承下さい。

オイサンです。

実際ジョージ先生は「取材による休載」って書かれることについてどう思ってるんだろう??
「お前らだって分かってんだろ?」くらいの気持ちなんだろか。

しかしヘタすりゃもう3月も終わるね。怖い怖い。
オイサンは冬が大好きで、春は四季の中では一番好かぬので来ないでもらいたい。
ていうかあったかくなるな、と思っている。クマなどが調子に乗るから。
マお天道さんにはかなわないのでどうしようもないですけども。

イヤそんな話じゃなくって、2018年の1月クールも終わるんで、
久しぶりにアニメの感想とか書いてみようかなって。



■2018年1月期 アニメ感想



今期はなんでしょうか、
大変かわいいかわいいアニメがたくさんでたいへんにかわいいのですが、
それをぶっ壊すくらい憎たらしいヤツもいるので妙な感じでバランスがとれている。
見ている作品のお品書きは以下 ↓ の通り。
長いので2回に分けます。
 
 
◆-----  前半戦  -----◆
 『ポプテピピック』
 『スロウスタート』
 『ラーメン大好き小泉さん』
 『りゅうおうのおしごと!』
 『だがしかし2』
 『たくのみ』
 
 
◆-----  後半戦  -----◆
 『ハクメイとミコチ』
 『宇宙よりも遠い場所』
 『三ツ星カラーズ』
 『ゆるキャン』
 『からかい上手の高木さん』


ほなボチボチいってみまひょ。



================================================================
●●一本目:『ポプテピピック』




……。



ごめん、ヘルシェイク矢野のこと考えてた。

再放送でブレイクしたアニメ。
……なのか? それは違わないか?

イヤ、大変よくやっていると思います。すごいです。
オイサンが本来考えるクソアニメとはクソ具合の違う、
作品としてのクソさを追求した、しっかりと作りこまれたクソアニメです。
素材にこだわって見た目も匂いも感触も本物同然に作り上げた工芸品的クソ、と言いますか。
犬のふんと猫のふんと馬のふんと鹿のふんを寄せ集めて人のふんを再現しましたクソアニメ、
と言いますか。
どう表現するにせよ、最高クラスの頭脳と手腕を結集して作られた最高級クソ。

いかんせん、OPがすごいオシャレでカッコイイところにその真面目さが滲み出ちゃってますよね。
あれではいけません。
クソアニメならば、
小倉唯と花澤香菜と日笠陽子と水瀬いのりに即席ユニット組ませて

 作詞:阿久悠 作曲:ベートーベン
くらいの歌を歌わせないと、本当のクソアニメにはなりません(オーダーきついな)。

OPサビで、ポプ子とピピ美が画面に正対して歩いてくるカットがすごく好きです。
あれを見た瞬間に、このアニメへの向き合い方というか、見るお作法が分かる。

本放送(Aパート)、再放送(Bパート)の両方にOP・EDが入るから、
実質のアニメ部分は10分ないくらいなんでしょう、すごい短く感じる。だから見ていられる。
コーナー(?)も盛りだくさんだし。

6話くらいまでは普通に楽しんで見ていたけど、その先はちょっと息切れ。
総集編くらいはさんで、そこからまた手口を変えてくるもんだと読んでいたのだけど
そこまでの余力はなかったのだろうか。
ラスト付近でもうひと山、何らかビックリさせてほしい。

▼ポプテピピック PV

 
 
個人的にはヘルシェイク矢野がピークだったように思う。
ヘルシェイク矢野よりもマグマミキサー村田の字面の方が好きですな。
今でも、毎回毎回一瞬だけ心を掴まれる瞬間はある。けど、さすがに瞬発力は失われたなー。
テコ入れに期待。
 
 
 
================================================================
●●●二本目:『スロウスタート』


開始当初はほとんど気にもかけていなかったのだけど、今は随分楽しみに、一生懸命見ています。
何がキッカケだったんだ? 分からない。
万年大会さん(「はんねん・ひろえ」と読む。ヒロインのひとり)が出てきたあたりから
妙にハートがきゅんとなるようになったのだが、はんねんさんのキャラがストライクなわけではない。
ただ、「はんねんさん」という言葉の響きはものっすごい好きだ、ということは認めておこう。

まんがタイムきららお得意の、カワイイさが可愛いアニメで、監督が『ごちうさ』の橋本裕之。
ザ・かわいい原作を、ザ・かわいいの第一人者が手掛けるのだから
かわいいアニメが出来ないワケはなく、まったくその通りの結果になっていると思うのだが、
逆にその、なんていうか、そのまっすぐ過ぎる座組に不安が、開始前はあった。

  なんていうかその、
  「ジャイアンツに4番バッターばっかりがそろって長嶋が監督になった」みたいな、
  不吉さみたいなもんである。
  なんかヤでしょ? そういうの。「えー?」って思うじゃん。
  「あざとい」っていう以上の、安易さゆえの不吉さ、みたいなもの。

ストーリーラインには、『ごちうさ』と違って
不安・不吉さ・緊張感がひとつまみだけトッピングされている。
そのチクッとした感じは気に入っている。
その「チクッ」も、あくまでもヒロインの視点に立てばであって、
他人や、物語上の他のキャラから見たって「えーそんなこと?」程度であろうから、
緊張感と呼ぶのもちょっと気が引けるくらいだ。
円満に収まる未来が約束された不安を配置して、なけなしの緊張感を演出している。
それは当事者にしか機能しないから、ヒロインの花名ちゃんに感情移入できない人には
ちょっと理解しえない物語かも知れない。
 
Atr2dsc02331
 史上まれに見る自信なさげなドヤ顔
 
面白いのははんねんさんの機能の仕方で、ヒロイン花名ちゃんが本当に共感し心を通わせ得るのが
大好きで大事な新しいお友だち(主ヒロイン3人)を差し置いて同じ傷を持つ
はんねんさん唯一人だということだ。
その絶妙さを……橋本カントクは上手にさばいているように思う。

きらら系アニメ作品は大概湿気がなくてカサッとしていて、
本作も見た目はカッサカサなのに、見始めるをかなり湿気を含んでいるのが見えてきた。
ところどころで異様な湿気というか、蒸気に近いレベルで水気がでる。
変わったバランスのとり方だなあ、と思う。

しかし気になるのは、橋本監督の「かわいいさばき」である。
監督ご自身は、自分のその、技術なのか才能なのか分からない手さばきを
どのようにとらえているんだろう???
わかって、言語化してやっているのか、あるいはそこそこの割り合い無自覚なのか、
かわいいということをどう考え、どう料理しているのか?
「ここをこうすればもっとかわいくなるから、直して」とか、
「あと音の入りを3コマ遅くしたらちょうかわいい」とか、言ってんだろうか?
動画力はそんなに高くないのだろうけど、4コマをアニメにするのに
マッチした密度を心得ている感はある。

前期の『ブレンド・S』もやっぱりかわいくて、ラクに見られて好きだったんだけど、
如何せんカッサカサだったのでもう一度見たいとは思わない。
けど本作は……何回も見返せるレベルだ。すごい。
この差が一体何によって生じているのか……真面目に考える価値があると思う。
 
▼スロウスタート OP

 
 
あと、放映前の昨年夏くらいからツイッター上ではすごいプロモーションかけてて、
「放映来年の正月やろwwどこが『スロウスタート』やねんwww」って突っ込んでたのも
良い思い出です。
OP、EDともにいい。OPは、開始時は「あんまりだな」と思っていたが。
 
 
 
================================================================
●●三本目:『ラーメン大好き小泉さん』


なんかもうどうでもいいので緊張感もヘッタクレもなく見ていられる。

ラーメン大好き女子高生の小泉さんが、
有名店とかオモシロ袋麺とかレアラーメンとかを食べ歩いて、
食べるたびにオルガスムスに至ってアヘ顔をさらし、それを佐倉綾音がストーキングする……
そんなアニメ(わからんわ)。
つまりラーメンは性であり、ラーメンを食べることは性行為である。妊娠する。
お腹にマルちゃんがいます。
何言ってんだ?

久々に佐倉綾音が良い仕事をしている気がする。あやねるはラジオっぽくしゃべる役で輝きを放つ。
悠木碧はいい意味で不遇(ほめことば)だが、
佐倉綾音ももうちょっと不遇でいいと思う(どういうアレだ)。その方が輝きを放つだろ。

▼ラーメン大好き小泉さん PV



人気女子声優自前の唾液でじゅるじゅる音をたてて
一生懸命ラーメン啜る演技をしている顔を思い浮かべて息を荒くするためのアニメ
(では多分ない。多分)。
開始当初はそのじゅるじゅる音にどうしても馴染めなかったが、
最近は慣れてきたのか、やる方もこなれてきたのか、自然に感じる時間の方が長くなっている。
OPはそこそこ好きだけど、どうしても一節、

  ♪ まだまだマシマシ大丈夫

が気にくわなくて曲は購入していない。マシマシって言葉が嫌い。
エンディングのセンスは論外。

なんていうかこう、全体的に面白いも面白くないも関係ないような作品。
『皇室アルバム』みたいなものだ。

ホントかそれ?
 
 
 
================================================================
●●四本目:『りゅうおうのおしごと!』


ょぅじょのおしごと。性処r(以下検閲。
 

▼りゅうおうのおしごと! 好評対局中

 
 
面白い。
 
ちゃんとしたストーリー……というか、「ザ・ラノベ」な作りで、物凄く作りこまれている、
大変よく出来た工業製品のような印象。
アメリカで売られてる、有名メーカーの知育積み木みたい。
そんなわけで、作りこまれ過ぎていて、面白さも緊張感も笑いも、安心感がありすぎて
何が起こっても笑って見ていられる。
その安心感がすべての緊張感・テンションを台無しにしている。
「ここまできたかあ」とも思える。

登場人物も、
主人公(男)の真面目さ・変態さ・アツさサムさから、
女性陣のババア・おばさん・弱おばさん・女子高生・ょぅじょというラインナップにも
ほぼ全く隙がないのだけれど、整いすぎてて歪みがなく、フックがない。
心地よい角しかない正六角形のチクチクを撫でて遊んでいるようだ。
「よく出来過ぎてるって怖いな」と思わせられる。
テストで狙って毎回79点を延々取り続けるやつみたい。そんなやついるか。
正六角形を作ってから、一回トンカチでガスッと殴ってギザギザに欠けさせたる工程があった方が
良かったんではないか。

この姿を作り上げることが並大抵でないのはヒシヒシと伝わってくるんだが、
「それでキミ、その才能で将来なにやるの?」
って尋ねたくなる一品。

雛鶴あいちゃんはかわいいです。あいちゃん一択。
今期アニメヒロインの中で、
               最も
『オンナ』を感じさせる9歳児

さいこうだぜ。 ← やられとるやないか
でも真面目な話、
今期のアニメで、この子以上に
      本気で腰を振るヒロインを見てないぞ?
  ← 着眼点
 
 
 
================================================================
●●五本目:『だがしかし2』


ヒロイン不在で引っ張る引っ張る。

けど、ヒロインほたるさんはそもそも存在感があり過ぎるので
このくらい出てこなくても全然こまらないというか、
それでもちゃんと「そこにいる」感があるのがすごい。
力のあるキャラクターってのはすごいな。
寧ろ「毎回出てくるとうるさいんでもう少し休んでてもらってもいい」くらいある。
ヒデエ。でも本音。

▼だがしかし2 PV

駄菓子各社から大好評w
 
 
相変わらず駄菓子小ネタで、笑いにしたり、エエ話にしたり。大安定。
ほたるさんの可愛さも5割増し。出てないけど。
OPイントロで映し出されるほたるさん百面相だけであと4クールはイケる(無理だろ)。

  あとOPのAメロ終わりで、ココノツ父が覆面脱ぐシーンで毎回笑ってしまうwww
  ばかばかしいwwwwなんでだwww大好きwww
  ココノツくんがいちいち振り返ってビックリするのがまたいいよねwwww
  
  Atr2dsc02327


新キャラのハジメさんの頼りなさがまた良い。
豆くんのイイ奴キャラ度が上がっている気がするが気のせいかも知れない。

OP主題歌がビヨンビヨンしていて駄菓子感たっぷりで良いですね。
そして、そのCDのCM!
ほぼ何の技術も体力も必要のない、かわいいだけの……否、
かわいいのかすら怪しい謎ダンスをムワムワと披露する竹達さんが
どういうポジションにいるかを如実に表しており涙なしには見られません。
竹達さん、もう少し体を鍛えてはどうですか。
そんなことも含めてこのアニメにはジャストマッチしてると思いますけど。
CMの話してないでアニメ本編の話をしろ。

フルタイムアニメから15分アニメに短縮したのは英断だと思う。
このマンガはこのくらいで丁度いいよ。大きな本筋があるわけじゃないし。
本筋の回収はあるんだろうか?
むしろ逆に、これで2時間の劇場版とか作ってみてほしいところだ。
 
 
 
================================================================
●六本目:『たくのみ』


『だがしかし』とセットの15分アニメ。
こっちは家呑み向けのうんちくが満載。ドラマ部分はオマケ。
お酒メインなのでオイサンには関係ない話が多いけど、
金髪だらしなガラッパチ系アパレルお姉さんが
やまぶき高校を卒業して東京に出て行き落ちぶれた(失礼)宮ちゃんっぽくてイイ。

……そのくらい。

お酒をとってもおいしそうに飲むので、
飲めないオイサンでもときどき「いいなあ、楽しそうだなあ」って思います。
ほどよく出来てるんでしょうね。ストレスはない。
けど、癒されるために繰り返し見ようとか、何かやってる後ろで流しておこう、とまでは思わない。
一回ザラっと流して終わり。

▼たくのみ PV

 
 
 
……といったところで、前半戦終了。
続きは次回……オヤ?
今期大人気のあの作品がまだ出てませんねえ?
プロデューサーさん、覇権ですよ、は・け・ん!

オイサンでした。
 
 
 

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2018年3月14日 (水)

■Get・the・ワイルド!~野生の時代のメカ生体~ -更新第1106回-

こんばんは、ゾイド大好きおじさんのオイサンです。

とはいってみたものの、
自分は本当にただ好きで子どもの頃の思い出を引きずっているだけで、
世間には市場に残存しているゾイドを今なおオークションやらネット売買で買い集め、
日々組み立て・改造に粉骨砕身したりしている御仁がごまんとおられるので、
オイサンなんかは大好きオジサンの部類にも入らないのかもしれませんが。

  余談だが、そのような「ザ・ゾイド大好きおじさん」たちの存在さえ、
  ツイッターがなければ知り得なかったので、やっぱりSNSなんていうのは偉大だなと
  しみじみ思う次第。

ゾイドが、本来の姿であった動力プラモ(ゼンマイor電池式モーター)からかけはなれ、
ディティールアップした高品位プラモデルとかデジタルゲームにばかり展開していることを
嘆いていた昨今だったのですが、
先月末の2/26、とうとう本来の姿を取り戻す発表がありましたね。

『ゾイドワイルド』という名前で、動力プラモとしてのゾイドプロジェクトが再始動するご様子。

▼ゾイドワイルド 発表会

 
 
 ▼【続報】最新ゾイドワイルド徹底解説!ゾイドは8種!
  「発掘」から「復元」「必殺技」まで写真&動画で見る詳細レポート|ロボスタ  

   https://robotstart.info/2018/02/27/zoids-wild-detail.html
 
 
そんなんで、ツイッター上のゾイド界隈は沸きに沸いておりました。
自分としては正直「デザインがモ一つだな」とか
「ナントカブラストとかいう必殺技的ギミックは余分だな」とか、
野生の生き物の姿、「メカ生体」から外れてしまったことについては
ちょっと残念に思っているのですが、
マママ、先ずは動力プラモとしての姿を取り戻したことを喜んで、第一歩としたいと思う次第。
すごい進歩、すごい決断だと思いますしね。
イマドキ、設計にも生産にも、きっとお金がかかり過ぎるでしょうし、
利益率なんかもきっと、ソシャゲに比べたらバカみたいに低いのでしょうし。

  しかし、『ゾイドワイルド』、か。
  『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』といい、時代のキーワードはワイルドなのか?
  ワイルドワンズも復活するか?

この時代に、よくぞ「モノのオモチャ」としての復活を遂げたよなと、
不平を言いつつもその部分にはものすごく感心し、また実現した方々に感動もしている
ゾイドおじさんですよ。

  そういうことを考えると、オイサンが一生懸命買いあさっていたあの時代―1980年代の後半、
  ゾイドも、チョロQも、そのほかのプラモデルなんかも、
  「モノ」としての安価なおもちゃが大量に作られていた時代というのは
  どうやって成立していたのか、いまそれを再現するには何が足りないのか?
  という疑問がわいてくるのでした。
  いまよりもよく売れていたんでしょうね、多分……。子どもの数とかが違ったんだろう。
  カードゲームなんかもなかったしな。
  バンダイの折り畳みボードゲームシリーズ「パーティージョイ」(1000円)なんかもあったなー。

話をゾイドワイルドに戻すと、
今回のモデルは骨格をモチーフにした土台「ボーンモデル」を先ず作って、
その上にかっこよくするアーマーパーツをくっつける、というコンセプトであるご様子。
なるほど。確かにボーンモデルは荒々しくてかっこいいな。
アーマーパーツは……やっぱり、オッサンからすると子ども騙しっぽくてアレ。
デフォルトで付随するのはそのカッコイイパーツでいいので、
古き良き肉感的ゾイド的な仕上がりになるモリモリパーツを、
別売りでもいいから出して欲しいですタカラトミーさん。

たくさん売れるようになったら、780円、580円モデルも出てくれたらいいのになあ。
やっぱりさ、小学生男子が、無理すればお小遣いで月に1個は買えるくらいが
「こどものおもちゃ」の本懐だと思うので!
がんばれ、タカラトミー!

緑色の丸っこい奴が楽しみ。
上の記事では、サソリのやつなんかはゼンマイモデルみたいですね。嬉しい。
お値段は……やっぱ1000円くらいはすんのかね。

3000円って、子どもには結構だぜ? 独身のオッサンだから「買ったるでぇ!」って思えるけど。
初代メカ生体で言ったらレッドホーンやサーベルタイガーより高くて、ゴルドス、マンモスと同じ。
サラマンダーも同じだっけ?
もう少し安価に、お子さんがたくさん並べてニヤニヤ出来るようになるといいよね。
幼い頃、大型のゾイドはお小遣いをためて買ったり、クリスマスに買ってもらったり、
手に入れるのは一苦労だったんだよ。

とはいえ……。
イマドキのお子さんが580円でガリウスとかエレファンタスとか出されたって心が動かないか……。
お世辞にもかっこよくは無いモンな……。
最低でもガイサック、サイカーチスくらいのディティールとかクオリティがいるのかな……。
自分はコマンドウルフとかの1000円モデルが主流になる直前くらいに買わなくなっちゃったからなー。


■過去に所有していたゾイド
▼へリック共和国
ゴルドス, ゴジュラス, カノントータス, アクアドン
ゴドス, グランチュラ, エレファンタス, フロレシオス
スネークス, プテラス, バリゲーター, スネークス
ゴルゴドス, ゴドス, ガリウス, ベアファイター

▼ゼネバス帝国
レッドホーン, アイアンコング
モルガ, ゲルダー, マーダ, マルダー
シンカー, サイカーチス, ブラックライモス
ハンマーロック, ヘルキャット, ツインホーン, イグアン

憶えてるところではこのくらいか。
シーパンツァーとかシュトルヒとか、何で買わなかったんだろう。いま見ると超かっこいいのに。
ウルトラザウルスは今でも欲しいし、デスザウラー、マッドサンダーもいいなあ。
ディメトロドンも欲しいかな。
ゾイド24には心動かされなかったタイプ。

ゾイコロも4、5個持ってたな。ゲーターとスパイカー、マルダー、エレファンタスはあった。
グランチュラ、ザットンもあったような……。



……。



マそんな感じで。
さすがに、出るモデル出るモデル片っ端から買い漁るようなバイタリティ溢れるマネは出来ませんが、
いつなんどき、暗黒大陸から甦ったゼネバス皇帝が攻めて来ても良いように、
迎撃できる程度の軍備を揃えられる程度の国家予算は組んで
発売を待たねばなりますまい!

オイサンでした。

これは訓練ではない。
繰り返す! これは訓練ではない!!
 
 
 

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2018年2月 3日 (土)

■過ぎ去りし時を求め日記~『ドラクエXI』プレイ記録019:クライマックスが一番あっさり過ぎていく。 -更新第1095回-

 
描かれていないキャラクターの人生にまで深くダイブするアラフォーによる、
『ドラゴンクエストXI~過ぎ去りし時を求めて~』プレイ日記。

……なのですが、前回からまた随分間が空いてしまった。
リアルタイムの進行では、レベルも99まであがりきり、プレイ時間は140時間超まできた。
まだ裏ボスは倒していない。

昨年末のうちにウルノーガさんは打倒して、世界は救っている。ウルノーガさん編、クリア!
とはいえ、マ言いたいことや感じたことはあるので書き記していこうとは思う。
まあ既に忘れてしまったことも多いので、メモってあること、特に印象深いことだけになっちゃうけど。
 
 
 
■前回までは……

 命の大樹崩落後のクレイモランにアクセスしようとして、
 ジャコラさんとバトル。
   ↓
 クレイモランにて、黄金病問題を解決。
 カミュの過去をさらって、妹のマヤちゃんを救済。カミュ、記憶を取り戻し本格復帰。
   ↓
 ラムダへ向かうシケスビア雪原にて、氷づけの邪竜さんを退治。
 セーニャさんと合流。やったぜ
   ↓
 ラムダにて、ベロニカの死亡を知り、葬儀。セーニャの決意と、スキル引き継ぎ。



■大空へ。ケトス入手。

ベロニカさんを弔ったあと、
ウルノーガさんの天空魔城へ乗り込むには空を飛ぶ乗り物が必要、という流れになったんだけど、
この流れも唐突だった気がする。
ここまで、「どうやって乗り込むか?」「空を飛ぶにはどうすれば?」みたいな話は
一切なかったように思う。
イキナリ「空飛ぶ生き物が……」みたいな話になって、え? あ、はあ……って気分に。

あと、今回、大事なシーンでやたらと「釣り」が登場するのが印象的だ。
ウルノーガさんにやられて、魚の姿で海底王国から浮上するとき、
ジャコラさんにやられて、預言者さんと話をするとき、
そして今回、ケトスを呼び寄せるとき。
これはなんだろう、堀井雄二からのメッセージなんだろうか?
ご本人がいまハマってるだけとか?
次回作は、『堀井雄二のバス釣りNo.1』でしょうか。
 

 
 
モチーフとしては面白くていいと思うけど、こう頻繁に引用されると、ネタがないのか? と思ってしまう。

そんな風にして、フルートが突然釣り竿になり、雲海に垂らした糸で空飛ぶクジラを吊り上げる勇者さん。
お前なんなん? CV、絶対野沢雅子やん。麦わら帽子とアングラーベスト装備させたい。
 

 
 
しかしこう……こういうくだりには、なんかもう少し、前フリとか、
謎解き的な手順があっても良いのではなかろうか。
ずっと見ているだけなので。
あ、クジラなのね、あ、笛が釣り竿になるのね、みたいに、完全に傍観者になってしまい手持ちぶさたである。
これでは『ファイナルナントカー』ではないか。
……かといって変なミニゲームなんか挟まれても余計『ファイナルナントカー』になってしまうので
そういうのもご勘弁だが。

ともあれ、勇者一行はこうして空を移動出来るようになった。
この「物語終盤で空を飛ぶ乗り物が手に入り、ワールドマップを自由に行き来出来るようになる」
というのも、『ドラクエ』シリーズが日本のRPGに残したお約束というか、お作法の一つだね。
なんでもないこと、いつか誰かが自然に思いつくような当然の流れであるとはいえ、
それをしっかり形にして見せたというのは、やはり偉大だなあと思う。
 
Dsc_05642
 
 


■神の民の島~勇者の剣鍛造のくだり
                   世界を見守る系人々の多さ


ラムダの偉い人からは、確か「神の民の島へ行きなさい」という指示が暗に下っていた気がするが、
ここから色々と寄り道が長かった。
とにかく、空からでないといけない場所を一通り回った。
勿論その判別もつかないので、要らんところに降りたりもする。
世界のあちこちに点在していた謎のクジラ離発着場をめぐり、どこにいっても何もないことにガッカリしw、
レベルがチョイチョイ上がってしまった。

それで一通り空からの世界漫遊を終え、しぶしぶ(何故だ)神の民の島、天空の古戦場、サマディー、
ホムラと巡って、勇者の剣を手に入れた。
寄り道が長いことを除けば、コレと言ってイレギュラーなことは発生してない……ハズ。

しかし……、神の民といい、以前神託を授けてくれた預言者といい、
ムウレアの女王様といい、死後の世界でもブイブイ言わせてるドゥルダのニマ師匠といい……
人智を超えた存在が多すぎるな、この世界は。安っぽいぞ。
こんなにぶっ飛んだ野郎どもが世界のあっちこっちにいて、よく人間なんかが繁栄出来たな?
ムウレア女王さんくらいはまだ異種族の範疇で片づけられるけど、
他の人たちは、確実に人間よりもヒトツ上のステージ、次元で生きてるひとたちじゃないの。
ニマ師匠なんかはただの人間のはずなのに、完全に人の領域越えて、理を無視したトコで生きてるよね……
死んでるけど。
どないなっとんねんお前、みたいな。
それに比べるとラムダの人たちは聖地の住人で世捨て人ではあるけど、まだまだ可愛いもんですよ。
ニマ師匠はもう、人としてというか、限りある命として、
自然の理に翻弄されながら生きて行かないといけないハズのちっぽけな命的なかわいげがもう、
カケラもないもの。
「え? そんなの死ななきゃいいじゃん」みたいなさ。
「死んでも生きてりゃいいじゃん」みたいなさ。
神様相手でも平気でビンタとかしそう。
神様もひっぱたかれてキョトンとしそうだ。

そしてこの後にもまだ、時の番人なんていう上位存在が出てくるし、
この辺、もう少しうまく整理をつけることは出来なかったものかね。
神様なら神様、精霊なら精霊で、ひとつのジャンルに括っちゃった方が良かった気がするぞ。

尚、このとき巡った天空の古戦場の底の方でははぐれメタルがぞろぞろ出て来て
ここでやたらとレベルが上がってしまった気がする。
オリハルコンを見つけたときに、カミュがやたらと博識な感じなのがギャップがあって面白かった。
「盗賊の俺にはわかるぜ!」みたいなこと言い出すイキリカミュさん。
存外常識人で苦労人のカミュさん。
彼の老後がとても楽しみです。



■打とう! 勇者の剣!

天空の古戦場で材料のオリハルコンを見つけて、
サマディーでそれを打つためのハンマーを借りて、
ホムラの里へは鍛冶場を探しに行った。

オイサンが先に片付けてしまっていたサマディーの勇者の星イベントや、
ホムラの里の人食い竜騒ぎは、恐らくこの段階、この順番で片づけるべきものだったんだろう……
なんてめちゃくちゃな順番で遊んでしまったんだ、自分は。
人食い火竜となんて、本当は、カミュもセーニャもマルティナも、仲間いる状態で戦う相手だったんじゃないか……。
それでも殆ど苦戦もしないで勝てたって言うのは、ちょっとレベルあがり過ぎってことだろうな。

ホムラの里の鍛冶場のデザインは完全にロトの紋章だったし、
出来上がった勇者の剣のデザインは、ロトの剣と天空の剣のデザインがミックスされたものだった。
オープニングムービーで見られたのは、ロトの剣そのものだったけど。
溶岩の底から鍛冶場が浮上してくるシーンは、今作のムービーの中で一番好きだったな。
地球というか、惑星規模の戦いが起こっているんだということがよく伝わってきた。
あ、星も俺らの味方してくれんのね、っていう。

こうして、星をも巻き込んだ戦の最終兵器・勇者の剣を無事作り終えるも、
勇者さんご一行、未だラストダンジョンには踏み入らず!
 
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勇者の鍛冶場。溶岩が、中心に集まるように流れ込んでいる。死ぬほど暑そうていうか普通死ぬ。 
 
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ヨッチ族の時渡りの迷宮を攻めたり、ドゥルダの修練場を荒らしたり、したw
最終戦を前に、拾える武具はかき集めて行こうとしている。
なにせ敵は魔王ウルノーガさんだ、油断は禁物だからな! 

突入レベルは85くらいだった筈。


……ところで今更ながら、ムウレアの女王が勇者のことを
「勇者とは……最後の瞬間まで決してあきらめない者です!」って言ってたけど、
なのであれば、だったら勇者はダイじゃなくてポップの方じゃないか。

あと、セーニャさんはベロニカの亡きあと、決意を新たにしてスキルを引き継いだが……
ばかもの! きさま、その程度のこうげき魔力で偉大なお姉ちゃんのあとをつげるか!
お前の姉ちゃん、
「いまのはメラゾーマではない……。メラだ」
を地で行く人だったんだからな! しっかり精進せえよ!
 
 
 

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■人工知能 has no nerve .~JOEカンパニー公演『ええ、アイ』感想 -更新第1194回-

 
観劇がとくいなフレンズのぺ氏に誘われて、
JOEカンパニーさんの『ええ、アイ』というお芝居を観てきた。
先週の日曜日のことである。
 
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なぜまたそんなよく分からない劇団(超失礼)のお芝居を? と思われるかもしれないが、
超有名人気人妻声優であるところの阿澄佳奈さんが客演……というのだろうか、
カンパニーに参加しておられたんで、
人妻声優大好き(人聞きが悪い)のぺ氏がどこかから情報を掴んできたのである。

阿澄さんの他にもテレビドラマに出ているような有名な俳優さんが
2、3人参加されていたようだ。
オイサンはドラマなんかはほとんど見ないので全然わかんなかったけど。

  そんなこともあって、最終的にはワリとチケットを取りにくい公演になっていたらしいので、
  ぺ氏、グッジョブである。

しかもアンタ、席がCの2とか3とか、すげえ前の方ですよ。
隅っこっぽかったんで、ぺ氏と二人して「真横からみたいな席だったりしてねw」なんつって
笑ってたんですけど、
なんのなんの、全然見やすいし、阿澄さんがほとんど手の届くような距離にいるような
お席でした。
いいぞぺ氏。その手際で早く嫁を見つけろ(余計なお世話だ)。

  ……しかしこのJOEカンパニーさん、後で調べてみたところ、
  数年前の公演では東京のほかに北陸方面での公演も予定していたものの、
  動員が見込めなくて中止する、というような事態にも陥っておられたようである。
  今回阿澄さんは、JOEカンパニーの主催である小野寺丈さんと
  どこかの舞台の場で共演した際に声を掛けられて参加を決めた、
  ということらしいのだが、
  とすると、
  もしかすると小野寺氏は昨今のアニメ・声優人気をある程度あてこんで、
  そっち方面からの客数確保の狙いもあって阿澄さんに声をかけた……
  というところもあったんではないだろうか、などと……
  要らぬ邪推も働かせてみるゲスいオイサンです。 
  イヤ、客寄せパンダなんて言う気はないですよ? 
  お芝居のチカラも勿論見込んだ上で、ってハナシね。

  ……マとはいえ、正直なところも書いておくと、
  今回のメンツの中で阿澄さんのお芝居は
  舞台の上ではやはりまだまだ力及ばず、ってカンジだなとは思いましたけども。

以下、そのお舞台の感想なのだけど、残念ながら……ちょっとばかり苦言の多い内容になる。

お芝居終わりの客出しアナウンスで、あすみんが

  「面白かったらブログやSNSで拡散して!
         万一つまんないと思ってもだまっててw!」


と、冗談交じりに本音を漏らしてたけど、
マジレスするとそれはフェアではないと思うし、フェア・アンフェア以前に、
これはちょっと発信しておいた方がそれなりに意義のある話でもあるんじゃないだろうかと
僭越ながらワリカシ真面目に思ったので、まとめて書いておくことにした。

とはいえ、相手は人としても、役者さんとしても、プロの世界に生きる創作者としても、
自分より全然先輩の経験豊富な面々であるので、
当然オイサンの如き若輩の素人が述べるようなアラについては先刻ご承知で
取捨選択の結果色々を作り上げているであろうから、要らんお世話である……
とも思うのだけど。

もしそうでない部分がいくらかでもあるなら、
「見た人、感じた人の自由だから」という定型句で片付けず、
ヒマな時にでも考える材料にしてもらえたらいいと思った次第。



■迫力の肉声芝居

先ずは、良いと思った感想の方から。
やっぱり、肉声の、身一つで勝負するお芝居はいいですね。見応えがある。
余分なものがないというか、必要なものしかないというか。

自分がこのところ見ていたお芝居なんてのは、
ぺ氏にお誘いいただいて見に行く大きなホールでの2.5次元モノばかりだったので、
発声はマイクを通してのものが殆どだった。
ひとりで見に行った朗読劇も、やはりマイク音声。
今回、久々に生発声のお芝居を観て、やっぱりナマ声の演劇は良いなーと
しみじみ思った。
  
  『ペルソナ3』を最初に見たときは、「げっ、マイク使うの?」と思ったものだけど、
  それ以来すっかり慣らされてしまっていたのだなあと改めて実感する。

今回の役者陣の皆さん、素晴らしい発声をしておられて、それでいて芝居しゃべり過ぎず、
とても自然だったと思う。
役者陣のお芝居の面に関しては、オイサン如きがどうこう言えるものではなかったです。
「良かったです」というのさえおこがましいくらいの熱演だった。
自然で、かつ引き込まれる力強さがあった。

演劇は大抵、お芝居が現実から離れた独特のものになるので、
見始めてしばらくはそのお作法に慣れるまでの緩衝の時間帯があるのが常だけど、
今回はそれがほとんど必要なく、スッとお芝居の世界に入れて、違和感なく見続けられ、
見終えられたというのは、皆さん本当にすごいのだと思う。
上演時間も、終わってみれば2時間半近くあったのに、シンドさは殆ど感じなかった。
これはつまり、演出も過不足のない、心地の良いさじ加減だったのだろう。
「よく出来ていること」すら、見ているうちは感じさせない、意識させないというのは本当に難しいと思うので。



■題材の現在を知ること

デ、どこがしんどかったかと言うと、脚本に難を感じた。

脚本の中で人間の対立軸に置かれて重きを占める、
AIに代表される自動化・機械化・仮想化というものの現在について、
掘り下げが足りなかったのではないか、それが足りていないせいで、
謳いたいテーマが、見る側からすると疑わしいものになってしまったように感じた。

今回のお芝居、テーマは大きく1つ、分けると3つあったように思う。。
大きいひとつは、タイトルの『ええ、アイ』でももじっている
AI・人工知能を相手取ったもので、
 
  「社会の機械化・自動化・仮想化が進むことで、
   人間が肉体を持たないモノへの依存を強めていき、
   生物としての立場を危うくしていくことへの警鐘」
 

……とでもいえばいいのか。
カンタンに言えばもう、古めかしいものです。
「今まで人間が肉体でやっていたことを、AIに代表される機械的なものに譲ることで、
 人間社会が人間性を失っていく、奪われていく」
ことへの警告。
細分化して出てくるあとの2つは、
 
 ・人間社会を人間社会たらしめているものは、愛や情熱や感情などの、
  「限りある肉体を持つからこそ生ずるものである」ということ
 ・人は命を懸けてでも自由であるべきということ
 

だが、それらは上の大きいひとつから派生して語られるものだったと思う。

……と、ここまで書けば、
今回のお芝居が大体どういうモノだったか、察しの良い御仁であれば
お分かりいただけると思う。
タイトルも考え含めると尚わかりやすい。

  そう、「進歩したロボットに、人間社会が乗っ取られそうになり、人間が抗うお話」です。

まあニュアンスはちょっと違うし、機械化の跋扈に人間側も加担しているので、
作り手はそこにちょっと隙間を与えようとしているのかも知れない。
ちなみに、全体としてはコメディである。
あらすじをまとめるとこんな ↓ 感じ。

 ▼あらすじ
 舞台は、隣国からの核ミサイル攻撃を受けたあとの日本。
 そのミサイル攻撃により、母を失ったアイコウ一家が主役。
 娘のアイコウ・シオンは科学者で、AIアンドロイドの実用化を進めている。
 アイコウ父は、近年、CG芝居に仕事を奪われがちな、しがない役者。
 アイコウ兄は美容師で、師匠筋に間借りしているだけの店と家を「買い取った」と偽り、
 父とシオン、弟の四人で住まっている。
 その家をアイコウ兄に預けている師匠にあたる美容師は、目下失踪中であり、
 その失踪の真相は、

 「シオンの務める会社が企てる
  『人間とそっくり同じのアンドロイドを作って社会に放つ実験』の
  モデルケースに選ばれて、当人を模したアンドロイドが作られた代わりに
  幽閉されているから」。

 そして、その実験プロジェクトの中核人物でもあるシオンは、
 ミサイル攻撃で死んだはずの母をもアンドロイドとして甦らせ、
 我が家に招き入れようと……
 「アンドロイドによって、何かを失くした人間の心を慰める役に立ちたい」
 という思いから、画策する。

 機械に仕事を奪われ、CG、AI、アンドロイドなどを良く思っていないアイコウ父と、
 そこに送り込まれてくるアンドロイド母、アイコウ兄の師匠のアンドロイド、
 そして幽閉されていたはずのアイコウ兄の師匠(本人)などが入り乱れ、
 すれ違いのSFコメディが展開される。


この他にも、シオンのライバル会社による妨害工作とか、
再び日本に向けて放たれる隣国の核ミサイルとかの要素もあるのだけど、
舞台づくり・賑やかし以上の役割は与えられていなかったように思うので、割愛。
ちなみに、メインキャラのアイコウ・シオンが阿澄佳奈さんである。

コメディとしてのドタバタは、大変面白かった。
「メインはコメディ」と謳っているので、そこさえちゃんと出来てりゃ良い……
とも思うのだけど、
話のクライマックスでは、上で書いたような結構ガッツリ気味のテーマでありメッセージを
熱いお芝居で以て観客に投げかけてくる。泣かせにかかってくる。
だからまあ、コメディと謳いつつも
しっかり泣かせてやろうという目論見はあったはずだし、
これから述べる苦言の部分はテーマの著し方に関わってくる部分なので、
あながち的外れではないはずだ。
 
  
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結局のところ、このお芝居が謳おうとしていたのは、上でも書いたテーマの部分、
「人の社会が、人の社会をそれ足らしめているもの、
 すなわち愛、魂、情熱などの熱を失いかけていることへの警告」
で、それを語るために、現在の社会的背景にある機械化・仮想化を
対立存在として引いてきている。
その「機械化・仮想化」の旗手、すなわちこのお芝居の中での
「人間存在の仮想敵」として据えられたのが、いま流行りの「AI」だった。

より重きを置こうとしているのが
「社会が熱を失いかけていること」だったのか、「機械化の跋扈への警鐘」だったのかは、
正直、わかりません。
後者がなくても前者は語れる(AI以外のものを人の対立軸におけばいい)ので、
機械化・AIへの問題意識が先にあったのか、
熱を失っていることを語る道具としてAIが選ばれただけなのか……ちょっと、わかんない。
ただいずれにしても、オイサンがこのお芝居を見ていて脚本に感じた最大の問題である

「人の対立軸に置くもの(この際「敵」と呼んでしまっても良い)としての
 『機械化・仮想化されたもの、AIやロボットというもの』への意識・認識が
 アップデートされていなさ過ぎやしないか?
 その認識は一体何十年前から変わっていない??」

という点への違和感は変わらない。
映画や演劇の世界は、果たして何十年前からAIやロボットに
変わらない敵対意識を持っているんだろう?? と、今回見ていて、思った。

AIやアンドロイドというものが
「冷たい物・(ぬくもりの象徴としての)心を持たない物」であるという状況は、
確かにこの数十年で変わったワケではないし、
近年AIがかなり「出来上がってきた」ことで、潜在的な危機がより差し迫ってきてはいる。
「機械化・自動化・仮想化」の波で、人が社会の中での居場所を失うことも、
現実に出てきた。
それは全くその通りなのだけど、では、その逆サイド、

  「出来上がり、実用化が進んできたことで見えてくる、
                  人の社会と折り合いが付きそうになりつつある面」
とか、
実際に人の救いになっている面が、
どうもキチンと認識されたお話の作りになっていなかった。
昔のイメージに、いま現在の良くないイメージだけを付け足して、
自分の言いたいことを語るための、イデオロギーの道具に……
人の社会が良くない方向へ向かっていることを語りたてるための
道具にしているだけのような印象を受けた。

  ……マお話上? 「敵」として扱う物にいちいち斟酌していては成り立たなくなるんで、
  「そこはもうそういうものとしていこう」
  という意識で書かれた脚本なのかもしれないけれども、
  現実に存在するものを置く以上、そのものの現在や事情・実像を反映しておかないと、
  語りたいテーマの方が揺らいでしまいかねない。
  敵方の正義もしっかり捉えて、それが打ち砕かれるに値するだけの理由
  すなわち大義を構築しないと、テーマは客観的な確信を失ってしまう。

  「AIの使い方を間違っている奴らがいる」
  「AIみたいなものは心の領域で運用するべきものではない」
  と言いたかったのかもしれないが、残念ながら、
  その様にも読み取ることが出来なかった。

AIの様な、旬のモノを題材に用いるのであれば、そのモノと、
取り巻く周辺の現在をリサーチして組み込まなければ、
「いま」、そのテーマを語る意義は消尽してしまう。

「人間は人間であり、大事なものは愛や魂で、ロボットにその肩代わりは出来ない」
というだけの話であれば、20年、30年前の脚本をどこかから持ってきて、
コメディにアレンジしてやったっていいはずだ。
探せばいくらも転がっているだろう。
「機械に仕事を奪われる」という実感は、いくらかリアルに籠っているのだとは思うけれど。

脚本に「いまの状況」の要素がもっとキッチリと染み込んでいれば、
いまの役者さんが、いま物語ることには大きな意味があると思うのだが、
その「いま」を反映するところが、残念ながら、ちょっと手薄だったんじゃないだろうか?

「AIやテクノロジーは、本当にいま、心をもたないんだろうか、
 心を表し、人を人足らしめているものを支援するに足りる存在ではないのだろうか、
 本当に人を人の社会から追いやる敵なのだろうか?」……

いま、AIやらを人の対立軸に置くには、そういうところにまで気を配らないと、
このテの脚本はきっととても空虚なものになる。

そういう面において今回の脚本は不十分で、
……強い言葉を使うなら「無神経」だったのではないだろうか。
そう、なんかこう……敢えて強い言葉を使う必要はないのだけど、
見終わって真っ先に思い浮かんだ言葉がこの「無神経」だったので。敢えて、書いた。
 
 
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■AIサイドへの配慮が見え隠れした部分

しかしそうは言いつつも、いくらか、AIサイドへの配慮と思しき点があったことも
書いておこう思う。

あらすじで書いた、
「自分のアンドロイドを作られてしまって、本人は幽閉されてしまった美容師の師匠」は、
物語の冒頭で幽閉元から脱走するのだが、
その手引きをしたのはアイコウ・シオンが作った母のアンドロイドだった(らしい)ことが
ポロッとだけ、ほんのポロッとだけ描かれている。
そこには何の背景も語られていないのだが、
書き手の迷いの様なものの噴出先の一つだったのではないかと思えてくる。
アンドロイドが「人の間違いを正そうとした」シーンだったのではないか。

そしてもう一か所、物語のラストで、
アンドロイドの母に、死んだはずのホンモノ母の記憶が降りてくる場面。
これら二つのシーンには、どちらもハッキリした説明はされないが、
アンドロイド側の可能性を示唆するものではないか、と解釈する余地はある。
マ正直、よく分かんねえけど。そーなんじゃないかなって(急にフランクになるな)。



■Closing

マそんなんでね。
オイサンたちが見に行った回は東京公演の千秋楽だったので、終劇後に、キャストさんたちからの挨拶がありました。
その最後で、作・演出の小野寺丈さんが語った内容が、またちょっと引っかかる物だった。
このJOEカンパニーでのお芝居は2年といくらかぶりなのだそうで、
「その間に色々なことがあった」と。
「言いたいことは、お芝居の中に全部込めた」と。

そう言われると、「お芝居の内容」から推し量れるのは……
『大切な方とのお別れがあったのではないか』、ということと。
『テクノロジーに、生の人間のお芝居というものが追いやられていることに、
 危機感と「実害」を感じることがあったのではないか』ということだ。

前者はさておいて、後者の方には、今回のお芝居が生まれたことへの
若干のヒントが垣間見える。
世間ではアニメ映画・CG映画がもてはやされ
(実際の舞台裏や台所事情は
             全然華やかなじゃないみたいだけど)

舞台の世界でだって、2.5次元が花盛りですよ。
冒頭でも書いたみたいに、マイク芝居が当たり前、
CG演出・プロジェクションマッピングがモリモリで。そんな状況に……
生粋の役者である方々は、危機感と、寂しさと、「居場所のなさ」「仕事の無さ」を、
ここ数年、感じてきたんじゃないだろうか、と、これまた邪推をしてしまいました。

そういうコメントから生じた邪推も含めてお芝居を振り返ってみると、尚のこと……
今回の脚本が、機械化、仮想化……「AI」に対する、恨み節に見え、
AIの現状への考察の不足は、思い込みで突っ走った結果のように見えてくる。
マそれは……こちらの思い込みでもあるのだけど。

ただ、繰り返しになるけれど、役者さんのお芝居はすごく良かった。
とても「熱」が籠っていた。
脚本にこめられた思いに応える、見事なカウンターになっていたと思う。
どうだ! というアンサーでありました。

そういう何だかイビツな二重構造を持ったものに見えてはしまったけれども、
こうして振り返ってみると、コレはコレで成立していたのかな、と思った次第。



……。



最後にあと一つ。書きながら思いついたことがある。

「AIやアンドロイドは、温もりを持たない冷たい存在である」
というのが、古式ゆかしい、人の世の認識ではあります。
また、AIやロボットに対する
「どこまで賢くなるのか、人間との境目はどこなのか、
                      いつか人間に反旗を翻すのではないか分からない」
という危機感
もまた古くからあり、
新しくは、AIをしっかり作ってみて分かってきた
「AIは、作れてはいるけれど、どうやって出来てるのかが分からない
                                    どこから来たのか分からない」
という分からなさ
も、分かってきた。

なんというか、その「コイツ、何だか分かんねえな」という「分からなさ」、
何をするか分からない、付き合ってみないと分からないという「分からなさ」、
それは人間が持つ、「温もり」の要素の一つなのではないか、ということだ。
いまのAIは、そうやって深く分かっていくことによって「分からなさ」が一つ一つ見つかっていく、
付き合いやすいヤツになっていく段階にいるんじゃないだろうか。

……まオイサンはそんな「人の温もり」なんてものは特段大事に思っていない、
2次元大好き・アニメゲーム大好き仮面(どんなヒーローだ)で、
寧ろそれがないところに、人間味じゃないけど、人として生きるための新しい糸口を見つけたい派の人なので。
なくたって全然かまわないんだけどさ。
 
 
 
オイサンでした。
お芝居は、また見たいね。
 
 
 
……。
 
 
 
▼▼▼ 2018年2月5日・追記 ▼▼▼

そーだ、いっこ、書くのを忘れていた。
このお芝居の中で、一番心に残ったセリフのことを書いておこう。

アンドロイド母が紛れ込んでドタバタするアイコウ一家のもとに、
死んだはずの生身の母が戻ってくる。
実は彼女はミサイルの直撃を免れ、命からがら生き延びてきたのだが……
核の灰を浴びていて長くは持たず、家族に看取られ、死んでいく。
 
その葬儀を終えたあと、アイコウ父は、アンドロイド母に強い言葉を浴びせかける。
人とは何か、人とはどういったものか、人には何が大切で、
お前にはそれが足りないから人にはなれない、代わりにもなれない……。
 
その暑い言葉の数々は、ここまで書いてきたような理由で
正直、オイサンにはもう一つ胸には迫らなったのだけれども、
すべてを吐き出した後にアイコウ父はボロボロのフラフラになりながら、

「色々言って、すまない……」

と、詫びる、その一言が、何より強く、胸を打った。
何故だかはよく分かっていない。
ただ、なんか、オイサンの感じる「人間らしさ」というものが、
おそらくその周辺にあるからなのではないだろうか、と思っている。
 
そんだけ。
忘れたくないので、いま書き足した。
 
  
 

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2017年12月31日 (日)

■オッサンREBOOT2017 -更新第1190回-

2017年も大つごもり。
オイサンです。
 
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今年も一年アザッシタ(フランク)。
来年もどうぞよろしくオナッシャス(フランク)。

例によって暇つぶしに、2017年とは果たしていかなる年であったかについて
遡って考えてみましょうそうしましょう。



●○● まずは主だった出来事を振り返る ●○●



先ずはどんなことが起こっていたのか、3ヶ月ごとに切り取って思い出してみましょう。
← 3ヶ月単位のことを「四半期」っていうとたちまちサラリーマンごっこっぽくなってしまうので
  そう書くのを躊躇したオジサン。
 
 
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■1月~3月
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■旅など
・実家帰省。ペ氏と柳生の山奥へ。
・北海道22回目。摩周湖で湖周辺トレッキング。壮大なサンピラーに遭遇。ヒゲの妖精と出会う。
・小諸13回目。ズベ公&若者ーズと落ち合う。

■アニメ
・『この素晴らしい世界に祝福を2!』
・『けものフレンズ』
・『亜人ちゃんは語りたい』
・『小林さんちのメイドラゴン』

■その他の娯楽 映画、マンガ、ゲームなど
・この世界の片隅に(1/29)
・この世界の片隅に(2/5)

■人と会ったこと
・小諸にて、ズベ公三銃士と合う。
 ズベ公のお友だち、小姑氏、かかっ亭ねえ太郎師匠。
 過剰なバイタリティとニヒリズム(?)。

■寸評
記憶によれば、何はなくとも『けものフレンズ』だった時期だった。
珍しく、自分の感じた波長と世間のウェーブが一致してテンションが変だった気がする。
過去最高に画像を保存していたかも知れない。
ケータイがブラックベリーさんからandroidさんになって間もなかったこともあって、
余計そういう情報収集・流入的な活動には拍車がかかっていたかもしれない。

1月に行った摩周でも過去最高の摩周湖さんにお目にかかれ、
出足快調……というか、今思うとちょっとロケットスタート過ぎるか。
まあ、人生いつ終わるかしれないのに出し惜しみしてもしょうがない。
 
 
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■4月~6月
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■旅など
・飯能・?回目 4/29 …
・甲府・昇仙峡~忍野八海 5/3~5/4 …3人の大仙人と巡り会い、人生の知見を得る。
・世田谷散歩マン 6/E …旅行というか、徘徊・散歩。なんだか良い時間だった。
・小諸、14回目 6/3~6/4 …6月なのに寒い。ミズゴケの美しさに脳天を割られる。

■アニメ
・『有頂天家族2』:安定の面白さ。
・『ID-0』:ヒロインが健全えっち。

■その他の娯楽 映画、マンガ、ゲームなど
・『メッセージ』 5/20
・『夜明け告げるルーのうた』 5/27
・『パリ、テキサス』(DVD)
・スマホで『スバラシティ』を始める。
・この頃、ニンテンドーSWITCH入手。
・中村博文先生の個展を見に行く。
 
■人と会ったこと
・sytlo氏と城南島海浜公園で会う。
 
■寸評
主に旅を楽しんだ時期。
昨年から思い悩んでいたことに対して、飯能の山を下りながら答えがじんわりと滲むように出てきた感じが
心に残っている。
昇仙峡の旅は大変インパクトがあった。

スマートフォンを、日々どう楽しく有効に使ったものか試行錯誤していたところへ
『スバラシティ』を見つけてしまって、そちらに結構な時間を食われてしまった。
スマートフォンで遊べるゲームは危ない、ということを、この辺から時間をかけて実感することになる。

アニメは不調。『有頂天家族』は面白かったが、全体的にみると大人しかった。

久しぶりに、Twitterの中の人と新たにリアルでお会いした。
随分初期からのお付き合いの筈だが、先方がこちらにこられる機会だったので。
「この人とはこのポイントで話が出来るだろう」
と想定したところとは全然違う話で一番心が重なる体験をし、
「気が合う」とはこういうことなのだなと実感した。


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■7月~9月
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■旅など
・猪苗代~新潟 7/16~7/17 …フルメンバーで初の東北トライ
・実家帰省 …ペ氏と桃尾の滝を見に行く。
・北海道23回目。朱鞠内 8/18~8/20 …二度目の朱鞠内~旭川。失敗は目立つが素晴らしい旅
・川越~赤城温泉~小川町 9/16~9/17 …のどかな川越、邪教の宿、プラモの話、分校のばっちゃん。
 
■アニメ
・『ノラと皇女と野良猫ハート』
・『ゲーマーズ』
・『徒然チルドレン』
・『セントールの悩み』
 
■その他娯楽 映画、マンガ、ゲームなど
・『勝手にしやがれ』 7/1
・『君の声を届けたい』 9/4
・『メアリと魔女の花』 7/23
・WiiU『スーパーマリオ3Dワールド』をクリア。これによりSWITCHがようやく接続される。
・『ドラクエXI』開始
 
■寸評
明確なきっかけがあったワケではないけど、この時期、何やら心のギアが一段上がった感がある。
そのアクセルは『ゲーマーズ!』が踏み、エンジンは『ノラとと』だったろう。
『ドラクエXI』が出たタイミングもあって、心がまたゲームの方へと大きく向いた。
その勢いで『マリオ3Dワールド』をクリアして、環境を、文字通りSWITCHにスイッチした。
SWITCH、まだしっかり触れてないけど。
しかし心に弾みがついた気はするが、如何せん、肝心なことは置き去りなままだ。
無闇にエンジンだけ回して何らかの成果や納得が得られるような年齢ではないな。

旅も大充実。
 
 
 
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■10月~12月
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■旅など
・あわら・金沢 11/2~11/4 …両親を連れて。東尋坊、兼六園。
・伊那 11/11~11/12 …1年ぶり2回目。同じ宿、同じ場所へ々日付で。
・小諸2017ファイナル 12/17~12/18 …本当に何の目的もない旅。
 
■アニメ
・『ブレンド・S』
・『干物妹うまるちゃんR』『血界戦線』
・『アニメガタリズ』『魔法使いの嫁』
・『ラブライブ!サンシャイン!』
 
■その他娯楽
・映画『エルネスト』 10/15 
・映画『ヤマノススメ 思い出プレゼント』 10/29
・映画『ご注文はうさぎですか?? Dear My Sister』 11/18、11/23
・映画『ガールズ&パンツァー最終章・1』 12/24 
 
■寸評
前の期に「映画館で過ごす時間はなかなか良い」と思うようになり、意識して劇場に足を運んだ。

アニメは『ブレンド・S』を喜んで見てはいたが、
楽しんだ度合いは『うまるちゃん』が一番だったと思う。
しかし何よりも『カーグラフィックTV』を流している時間が長かった。なぜだ。
あと、『ラブライブ!』の見方がちょっと分かった。分かったが、面白いとかデキがイイとかは言わない。
割とラブライブラブライブ言ってた気がする。ハマる人の気持ちはちょっと分かった。思い入れだけだ。

唐突に『ドラクエXI』のプレイ日記的な書き物を始めてみたり、
あまり面白くなかったはずの劇場版『ごちうさ』の感想をがんばって書いたりしたせいか
こうして思いをまとめ、言葉にし、書き残すことの意味が今までよりもハッキリ見えてきた時期。
その片鱗は、年始めに『この世界の片隅に』の感想をまとめたときもあったのだが、
今回のことでよりハッキリした。
 
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●○● プレイバック2017 ●○●



振り返ってみると、旅の多さと映画の多さが水際立った年だったと思う。
それと同時に、ここ数年に比べると一人でいる時間がまた長くなってきた年だった。
ゲームも結構遊んだ。これからもこのペースでしばらく遊べそうな気がする。
つまり、回帰の年だったのだろう。
そもそも自分は一人で過ごす時間の長かった人間だし、
インスピレーションの多く、アクションの多くは、ゲームの世界から引き出してきた。
これから先始まるのであろう変化に際して、ここ数年よりも「少しひとり」で動き、
人生を積み上げていくことを思い出そうとしつつある年だったのではなかろうか。

そしてまた、これから先の時間に問題を抱えている自分が
どのように納得してやっていくかについて、
手掛かりと、いま時点での暫定回答を持ちえた年でもあったと思う。

オイサン今年でジャパニーズ厄3Yearsの最終年度だったのだけど、
マそれを思うと、特に大きな出来事が伴わなかったとはいえ
大変良い節目であったんではないかと、振り返って思う。
出来事によってもたらされるのではない、
自分の意識と思惟に寄ってそれを迎えられた・迎えることが出来たという実感があるのは、
いんちきメルヘン書き物士としては誇らしいことだったと思う。

……ことにする。



■旅、そしてくらしについて



年の始め辺りから、「旅って難しいな」と色濃く思い始めていた。
「色濃く」としたのは、以前から思っていたことでもあるからだ。

細かくはまた別で書くが、
旅には目的のあるものとないものとがあって、自分の旅にはないものの方が多い。
あるように見えても、そもそも目的として体をなさないものが多い。

目的のない旅の、意味……というと誤解されそうでイヤだが、
旅の時間や、空間を移動する意味は何なのか、
旅の終わったあとで自分がどうあることを望んでいるのかを量り、そこを目指して導くことが難しい……。

何かの役にたてたいとかそういうことではなくて、
その旅がどういうものであったのか、どういう姿をしていたのかということを、
自分の心に収めるために何らかの感触を得たい。
それは輪郭をなぞることによるかもしれないし、中心部の核心に触れることによるかもしれない。
その形を探り出すことと、その形に納得することが難しい。

  満足ではなく、納得である。

何故なら、ハッキリした目的がなければ形を捉えることが容易くないからだ。
行って帰って来てみないと、旅は、その肝が分からない。
目的があれば「アレが見られたから」と自分に言い聞かせることは可能だけど、
目的のない旅は、終わってみるまでその旅の肝が分からない。
だから終わってみたときにその肝の確かな感触が残っていない場合だってある。
何故なら、その瞬間にはそこが最重点であるなど意識していないからだ。
終わってみて、全体像を振り返ってみて初めてわかる、
「ああ、今回の旅のいちばんの場所はあそこだった、時間はあの瞬間だった」
ということを記録として逃さないための備えや構えとは、いったいどんなものだろう……。



……そんなことを考えるのに、年の前半、
ワリと真面目に結構な時間を費やしてしまったのだけども、
それはそのハナシが旅に終わらず普段の暮らしにも通ずる問題であったからだ。
カンタンに言うと、
家庭も子供もない自分がこれから先の暮らしのどこに納得して生を全うできるだろう?
という問題だ。

  ……クックック、どうだ? 辛気くさい話だろう? 
  アラフォーの人生の葛藤だぞ? どうでもいいだろう?
  だから短めに終わらすぞ?

マ家庭を維持することや血を残すことが人間という生き物の生きる唯一の目的だなんていう気はないけれども、
一般的に考えるとその辺が大きくかつ手っ取り早い回答で、自分にはそれがない。
世の中の役に立って人様に褒めてもらおうという気もサラサラない。
自分で自分に思い知らせるためには、日ごろ何を捕まえながらいる必要があるだろうか。

そんなことの一先ず現状の答えが、春の飯能山中をブラブラさまよう中で降りてきた。
その後、5月の昇仙峡で巡り合った3人の仙人の姿はいくらかの励みになり、
それがファイナルアンサーでは勿論ないだろうけど、ある程度、
納得の出来る答えに行き当たることが出来たと思う、
……というのが、2017年の大きな収穫の一つである。
これからも引き続き、先人たちの生き様を眺めつつ、それを知る旅を続けていこうと思う。

  それとはまた別の意味で旅の難しさを痛感したのが……
  11月に両親を招いた金沢の旅だった。
  金沢は難しい。つくづく「こりゃ上級者向けだな」と感じた。
  とにかく広くて、とにかく人が多い。
  オイサンの志向する、
  「人の多い場所には寄り付かず、なるたけ他者の都合に左右される移動手段は用いない」スタイル、
  すなわち「可能な限り人のいない楽しいところへ徒歩で赴く、それが出来なかったら諦める」
  がまるで通用しなかった。自分の旅のスタイルの不器用さを思い知らされた。
  多少人ごみと慣れ合ってでも交通機関を上手に使い、ピンポイントに見どころを拾って歩くことが
  自分は本当に出来ないんだな。
  今回は両親が一緒だったのでそれに気づくことが出来たが、
  自分だってそのうち体力のない、足の弱った老人になるのだから、
  今後の課題がヒトツ浮き彫りになったと言えよう。
 
 
 
■考え、まとめ、書き残すことが生み出すもの
 
 
 
これは、読んでくれてる人に伝わっているのかどうか分からないけど、
『この世界の片隅に』とか、『ご注文はうさぎですか?? ~Dear My Sister~』とか、
『ドラクエXI』とかの感想を書きながら、
自分にとって理解不可能(或は不可分)であったものについて書こうとする・言語化を試みることで、
その対象が段々と自分の理解可能なものへと収束していく手応えを、
今年は明確に感じることが出来た。

……まあ、考えてみれば当たり前のことなんだけども。

はなから全く正体不明・実体不明であった『この世界の片隅に』や、
さほど面白くないことは確定的であるにせよ、部分的に感じた魅力について
精一杯の言語化を試みた『ご注文はうさぎですか?? ~Dear My Sister~』など、
これらの不可解・未分化のものに挑みかかった結果、
それらを自分の理解できる領域に落とし込むことが出来た(……と、自分では思っている)。

  特に『この世界の~』については、感想をかきあげる前と後では、
  作品が自分の中で支配する領域がガクンと減り、
  「理解するとはこういうことか」という驚きの感触があった。
  驚くほど、「この作品とは(自分にとって)こういうものだったのだ」という、
  理解が、そこに実体として存在した。

言語化によって、どう思っていたか分からなかったことが分かるようになることを、
実感というか、自覚というか、した。
今までその効果というのはあまり感じていなかった。
コレを敢えて今改めて成長と呼ぶ気はないけれども。
新たな感覚・感触の獲得ではあった。

ただ逆に、それらを理解可能な領域に「押し込める」ことで、
不可解であった頃の、魔力的な魅力は失われてしまった感があり……
もし理解が誤っていたり、不十分だったりしていたら、それはもう明らかな損失でしかないので、
このやり方に関してはちょっと取り扱い注意であるな、とは思う。

マ当たり前のことではあって、「え、今更そんな話してんの?」と思われそうではあるけれども。
そもそも勉強の足りてないオジサンなんてこんなモンなのである。
ただ今回は特に、それらスルスルと自分の物になっていく感触があからさまにあったので、
尚のこと感激してしまってワザワザ書いてる、というのもある。

また、
「当然のことであってもそれを言語化できていない人々というのは一定数世の中にいて、
 それを万人に理解可能な文章として著し示すことは、自分にとってではない価値がある」
ということにも、他人の文章を読んで、今年改めて気付いたので……
自分で「……こんなん、当たり前やんな。書いてもしゃあないな」と思うようなことでも、
一応エラそうに書いておくことにしようか? と、思えた今年でもあった。

『ドラゴンクエストXI』については、
まだ途中だけども大きな書きたいことが一個ある。近々形にする予定。
 
 
 
■アニメとゲーム 心身を突き動かすものとして
 
 
 
アニメに関しては、『けものフレンズ』『このすば2!』『ゲーマーズ!』『ノラとと』に、
心身ともに強くドライブされた。

『けものフレンズ』のワケの分からなさには衝撃を受けたし、
世間の流れとマッチしてしまったこともあって、カクヨムのSSコンテストに応募してみるなんていう、
柄にもないテンションの上げ方をしてしまった。
作品自体から直接的にインスピレーションを得たわけではないけど。

『ゲーマーズ!』は、今振り返ってみればそんなに面白いわけではなかったけれども、
主人公の抱く無自覚な孤独と闇が自分の思い描くゲーマー像ととてもよくマッチしていて
「ゲームって、そういう闇や孤独と引き換えに出来るくらい面白かったな」
という気持ちにさせてくれたのが大きい。
『ノラとと』はハイスピード置き去り系ネタアニメだったが、
そういうイミの分からなさにキャッチアップ可能な自分の孤独やかなしみを肯定するもので、
あとから知ったことだけど『ノラとと』もゲーム原作で、
この2作品が同時にやってきたことで、ウズウズと、手薄になりがちだったゲーム方面への回帰が
自分の中で昂っていったのだった。

『ノラとと』に関してはwebラジオ(内でのミニドラマ)がまた素晴らしく、
久々に素晴らしい言語感覚を持つ作家氏(ゲーム原作、アニメ脚本、OP作詞も全部やっている!)に
巡り合えた! という喜びがあった……大変刺激になる。

『ノラとと』のOPは、
『ようこそジャパリパークへ』と並んで2017年を代表するアニメ主題歌だった。
最高です。



そんなゲームへの気持ちの再覚と、Switchの発売、『ドラクエXI』が相まって、
これからまた、濃い目にゲームを楽しめるようになりたいと思う。
ゲームは自分の心を動かす糧であるので、一人になっても強く動き続けるために、
欠かすべからざる動力源として気持ちが再燃した今年は、やはり回帰の年なのだろう。
 
 ▼スマホでのゲーム

……とはいえ、やっぱりスマホでのゲームをしっかりとやろうという気にはちょっとならない。
上でも書いた『スバラシティ』と、
『ソニック』の制作者である中裕司さんの『Legend of Coin』をやってみたけれども。

 ▼スバラシティ
 
 
 
 ▼Legend of Coin
 
 
 
アレは、アカンな。アカン。スマホでゲームするんはアカンわ。
時限のイベントとかがある物はそもそも好かんのでそういうのを避けたチョイスでプレイしてみたが、
少なくとも上の2つで言えば、スキマ時間で始められ過ぎてしまって、
終わらせるにはスキマ時間では足らない、という、中々ヒドイ物であることが今年分かった。

そんなにどっぷりやってないオイサンでさえそうなんだから、
本格派の人たちはもう、どエラいコトになっているであろうことは想像に難くない。
アレはアカンね。
やらん。
やっぱりこう……ゲームというのは、電車の中で
「……立ち上げようか、どうしようか? ちょっとめんどいな、やめとこう」
ってなるくらいの面倒さがあるくらいがちょうどいいと思う。
手軽でいつでも遊べ過ぎるというのは、やっぱダメだ。
そのために電源を入れて立ち上がりを待つくらいでないと、常に電源が入っていて
手元にある機器でプレイできるというのは毒だ。
コレはもう、来年以降もキホンやらない方向で行こう。
 
 
 
■映画
 
 
 
映画館で見る映画の時間はやはり良い。
2時間なりの時間を、そこそこ良い環境で、何かに邪魔をされずに
一つの世界にしっとりと浸ることが出来るのは、自宅では散漫になりがちな自分にはありがたい。

飛び抜けて素晴らしく面白かったと言えるのは『この世界の片隅に』くらいのものだった。
他も、決してつまらないワケではなくて、
どれにもしっかり見てキチンと考えればそれなりに発見はあったけれども。
文句なしにひと目で面白い、理屈はワカランがとにかく心を掴まれた! と
テンション上げて言えるのはそのくらい。

アニメで言えば、
さほど大きな期待も寄せておらず、世間的にほとんど話題にならなかったジブリの後継作
『メアリと魔女の花』の印象が意外によく、
逆に、いくらかの期待を寄せていた押井監督のお弟子さん筋に当たる湯浅監督の
『夜明け告げるルーのうた』は大変イマイチだった。
『メアリ』はジブリの後継を名乗るには、ちょっとお利口さん過ぎる気がした。
ジジイの呪いの様な暗い情念から醸し出される、暴力性が感じられない。
お上品。
しかしお上品・お利口なりに気合の入ったシロモノで、もう一歩で
オッサン心をしっかり掴むだけの何かがあったようには思う。

不思議と好印象だったのが『君の声を届けたい』。
ガワの構成だけ見れば面白くなる要素の見当たらない作品で、
見に行ったのも気まぐれ七割、全体的な印象も事前の予測通りだったのだけれども、
その面白い筈がないという全体像の周りをホンノリと「育ちの良さ、上品さ」の様なものが包んでいて……
「ブサイクで、今は落ちぶれたあばら家に暮らしているけれど、
 もとは高貴な生まれで、素晴らしい教養と立ち居振る舞いを身に付けている子」
のような良さがあった。
ふつうにぶさいくでびんぼうなだけの人、
                      なんかすみません。


実写方面は、古典をちょっと見た、くらいで新作の方はナンダカナーであった。
新しいところでは『メッセージ』と『エルネスト』を見、
古典は『勝手にしやがれ』『パリ、テキサス』を。『パリ、テキサス』はDVDで。

『メッセージ』には面白みを感じなかったし、コレと言った発見も出来なかった。
フーン、という感じ。
『エルネスト』も面白くはなかったが、怒りに関するちょっとした認識の更新があったので、
実りはあったと言えよう。
古典の2作は、さすが古典だけあって色々と衝撃がでかかった。
キチンと分析をしたり、自分の言葉に置き換えて心にしまい直したワケでないので説明のしようはないが。
ああなるほどこれは鮮やかだ、と、どちらも思わされる内容だったのだと思う。
派生して、『パリ、テキサス』からは、ライクーダーのスライドギターの音色への興味が湧いている。
CDの1枚くらいは持っていてもいい。
心を洗い直すときに丁度良い響きを持っていると思う。

来年は、もっとどうでもいい映画も見に行こうと思う。
興味のない物でもとりあえず見に行く、くらいの勢いが欲しい。
見たいもの以外に月一本ノルマ、くらいにしようか。
 
 
 
■人との出会い
 
 
 
長いことお休みしていたtwitterを介した人との新しい出会いが、
今年久しぶりに、立て続けに発生して、なにかそういうサイクルの様なものがあるのかなと、
不思議に感じたりはした。

殊に、5月のsytloさんとは、
ジャンルとしては「物書き同士」という括りのつもりでいたのだが、
最も意気投合した瞬間が
  「ロクヨンのレフトポジション」についての談義であった
のは、
なんというか、
ヘタに「今期のアニメでウンヌンカンヌン」みたいな話題で通ずるよりもよっぽど深い、
魂の部分での繋がりであった。……と、少なくともオイサンは感じた。
なんかヘンに、そういうアニメの話とか、書き物の話とかに終始するより、もっとカタい、
「ああ、なんかずっと友だちでいられるわ」という繋がりを感じる。
ともあれ、うわべだけではない深い共感を得られたと思う。

お会いする前は
「あんまり絡みはないのに、お互い長いことよくフォローしてるなあ、大丈夫かなあ」
みたいな不安定さがあったけれども、あの会話があったおかげで
ああ、ずっと相互フォローでいられたのはそういうことかw、みたいな
おかしな納得感があった。
「同じ地獄に落ちそうな感じ」とでも言えば良いか。
「気が合う」というのは、同じカルチャーの上で育ってきた者同士が共有する
骨太なシンパシーであったのだ。
そういう発見も、今年の一つの大きな収穫であったと言えるでしょ(確信)。
 
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●○● 2018年に向けて ●○●
 
 
 
……とまあ、そんな感じで長々と2017年を振り返ってきたけど。

2018年に、具体的な期待感があるワケではない。
ああしたい、こうしたいというのはあるけれどもエラそうなことは言えないので、
今年の反省を踏まえ、ささやかな希望を述べてシメようと思う。

2017年、色々と気分よく過ごせた一年ではあったけど、
実はちょっと調子に乗ってしまったと思う部分がある。
そう言う意味ではあまり今の自分が好きになれない、警戒すべき一年でもあった。

ただ、上向きな調子に乗じて、人が変化したり、成果を成したりするときなんてのは
こんなものなのかもしれない。
人が変化するにはこういう調子に乗った団塊が伴うものなのかもしれない、とも考えている。
今の自分のお調子ノリを、成長だなんて呼ぶつもりはサラサラないけれど。

  だって、その面では全然嬉しい思いをしていないので……
  そんなんで調子のってもお前、したいことは全然出来てないじゃんと思う。
  それは自分の欲する、何らかの向上ではまったくないですものね……
  もっとちゃんと頑張れよ、と思っている。

正直、調子に乗っている自分は嫌いだ。余計なことを口にする。
もっとしょぼくれて、凹んでいるくらいの自分がどうやら自分は好き。
自分のことが嫌いな自分は好き。
めんどくせえな。
なので、その辺、しっかり押しとどめて行きたい。

ただ、今年手に入れた物は自分を安心させるために必要な重要なパーツだったから、
それは失わないように、疑わないように、コツコツと
いんちきメルヘン書き物士としての使命を全うして行く所存である。
不安も、意義というものに対する萎縮も随分小さくなった。
社会はカンケイない、それは自分由来の使命であり、自分に対して要求するものである。
社会は自分の要求に従って変化すればよい。

あー、あと。
写真をね。
今年は我ながら……ダメだったなあと思う。
「ああ、今年はアレだな」と、パッと思い浮かばない。
なのでもう少し、
2018年は早い段階で「少なくともコレはイケてるだろ」と言える一枚を収められるようにしたい。
そこにある物と取り囲んでいる風景を、忠実に、技巧的に写し取り、
且つ、それを写したときの自分の気分が見るだけで心に再生されるような一枚を、どうか。
 
 
 
書き物、写真、そして楽しいゲームプレイと旅を。
 
 
 
贅沢かね。マいいじゃんね。
あーあと、スマホの良い使い方。
見つけられるようにしたいです。


マそんな感じでヒトツ。
お世話になりました。
来年も、ゆび先はもう一つの心臓とオイサンをよろしく。
目を離すと損するぜ。
凝視してても損するけど。


良いお年を。
オイサンでした。
 
 
 

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