2018年6月18日 (月)

■つらいときはつらいって言う。 -更新第1226回-

最近
「ナントカしにくい」を「~しずらい」と書いているのを見かける頻度が上がった気がする。
ものすごく、上がった。
……気がする。

自分としてはこんなもの、言うまでも、考えるまでもなく
「しづらい」が本来正しいことは分かるのだが……
正しく表記しているところを見る機会の方が少ないのではないだろうか?
……と不安になるくらい、「ずらい」が多い。

「しずらい」、「見ずらい」、「聴きずらい」、「言いずらい」、「食べずらい」。

ちょっと前にどっかで「『~ずらい』も正しいことになった」という記事を
読んだか話を聞いたかした……気がするので(勘違いかも知れないが)、
もう自分では指摘してないが。
まあ多い。
いい加減逆転してんじゃねえか?、と思い、google先生検索でカウントしてみた。

▼しづらい vs しずらい
 "しづらい" -"しずらい":約3,600,000 件
 "しずらい" -"しづらい":約  651,000 件

▼見づらい vs 見ずらい
 "見づらい" -"見ずらい":約 1,430,000 件
 "見ずらい" -"見づらい":約   355,000 件

▼聴きづらい vs 聴きずらい
 "聴きづらい" -"聴きずらい":約 56,300 件
 "聴きずらい" -"聴きづらい":約  4,250 件

▼言いづらい vs 言いずらい
 "言いづらい" -"言いずらい":約 519,000 件
 "言いずらい" -"言いづらい":約  53,700 件

▼食べづらい vs 食べずらい
 "食べづらい" -"食べずらい":約 314,000 件
 "食べずらい" -"食べづらい":約  68,900 件
 
 
あー良かった(?)。さすがに、ネットの世界ではまだ逆転はしていなかった。
正義は生きていた。

にしても、そこそこ年輩の人とか、パブリックな位置にいる人とか、
「あなた方がその辺を間違うのか!?」という場面で見かけることもあって
なんだか凹んでしまうこともあるくらいなので、
まあ……「英語なんて伝わりゃいいんだよ!」なんつって、
単語と身振り手振りでどーにかすりゃいい畑の人には細かいことなのかもしれませんけれども。
分かる者、使える者は、侵されることなく細やかに表現していけるよう
日々心がけたいものです。
いやホント。
オイサンなんかはどうも、文字も単語も図形的に記憶・認識する傾向が強いらしくて、
一文字違ったら音が同じでも全然違う意味に見えることがありますんでね……。
「ん、コレどういう意味だっけ?」となることもしばしば。



……。



話はちょっと違うが、NHKのページでは「~づらい」と「~にくい」の違いを掘り下げていた。
なるほど、こっちはこっちで、こういう差があったか。

 ▼NHK放送文化研究所
  https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/uraomote/023.html

勉強になるなあ。たのしい。 ← こういうのが好き
 
 
 

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2018年6月11日 (月)

■放蕩王子のうっちゃれ人生道場~3DS版『ドラゴンクエストVII』チョイ感想 ー更新第1223回ー

3DSで『ドラクエXI』をクリアし、いまは同じく3DSにて、
随分前に買ったままほったらかしにしてあった『ドラクVII』をプレイ中なのですが。

現在、プレイ時間は18時間ほど。

『VII』の場合、ダーマ神殿が解放されて転職出来るようになってから、
熟練度上げのために戦闘しなきゃならないので序盤であまり戦闘を重ねてももったいない気がして、
そこまではサッサと進めてしまう方針でやってきた。

デ昨日、晴れてユバール族のシナリオを終えた。
物語の第2転換点である、キーファ王子離脱のエピソードである。

キーファは物語の起点であるグランエスタード国の王子であり、今回の冒険物語の発起人でもある。
そのキーファが、過去の石板世界で出会った遊牧民・ユバールの女性にひと目惚れしてしまい
(しかもお相手の女性は、出会った時点では同じ部族の男の許嫁である)、
王子としての立場も、彼自身が夢として主人公を巻き込んで推し進めてきた冒険物語も捨てて
「自分はこの過去の世界に残って、神様を復活させるというユバールの民の旅を守る守り手になる」
と言い出して本当に実行してしまうこのエピソードは、
『ドラゴンクエスト』の物語の歴史の中でもなかなかに衝撃的な展開だったと思う。

  正直な話、ここが衝撃的過ぎて自分は『ドラクエVII』の物語について
  ここ以外ほとんど覚えてない。他に覚えていたのは、
  グリンフレークの町で出くわす昼メロ展開の結末部分と、
  ラスト近くに出てくる馬鹿デカい船の、「マールデドラゴーン」ていうダッサイ名前くらいだ。
  あと「オチェアーノの剣」。これもまたダサいがちょっと好き。

キーファが離脱するまでの流れがどんな展開だったのかも詳細には覚えていなかったけれども、
今回改めて見てみて……
まあこの王子の決断力・実行力というのはなかなか大したモンだったな、と思う。
ものの数日のうちに、決まったお相手のある女性を狙ってオトした上に、
それまでの全ての暮らしと仲間を捨てて、新たに目の前に現れた道へ乗っかって行ってしまうのだから……
まあ、到底オイサンに真似は出来そうにない生きザマではある。

と感心もする反面、

「田舎の金持ちのボンボンヤンキーが、旅先で出会ったヒッピー女に一目ぼれして
 そのまま家にも帰らず駆け落ちした」、

っていうくらいだな、とも思う。
ユバールの民が担っている「神様を甦らせる」という使命が、
この先、世界にどのくらい大きな影響をもたらすのかはよく覚えてないけれども、
この時点で彼がそのことをどの程度予見し、また重視していたかは分からないから、
その眼に映っていたのは恐らく、ライラという女性のことだけだったろう。

コイツ、実家に帰らず話もつけずに、ただ「親父によろしく」って主人公に言付けただけで
何のけじめもつけずにいなくなっちゃうんだもん。
親父さんは人知れず泣いていたし、
妹のリーサ姫だってもう二度と会えないことに思い至ってものすごく凹んでいた。
城や町の人々にも愛されていたようだけど、彼らに対して、キーファは何かを応えることもしなかった。



……。



……でもなー、とも思うワケです。
こういうことって多分、あんまり深く考えたり、
右と左で何かと何かを乗っけて量ったりしてたら、決めきれないことなんだろうな。
そうやって正しく比較・判断しようとしても、
「既に持っているモノ」には色んな湿り気がしみ込んでいて、本来もってる価値以上の重みを
当人はどうしても感じてしまう。
上で書いたみたいな、親父の涙だとか、妹の思いだとかは、
所詮その「湿り気」の部分でしかないんだ。
「その湿り気こそが人生で一番大事なものだ!」
っていう人もいるだろうし、それはオイサンにもすごくよく分かるが。

ひと晩ふた晩、ちゃっちゃっちゃっとアタマの中だけで考えて、んー、よし! 決ーめた!
……ってくらいで、実はイイ、正しいのかもしんない。
そんな風にも思うオイサン42歳なのです。

決断が早い、行動力があるということは、
ハタから見りゃ深く考えてないように見えたりはするワケで
(どこにキモを置いてるか、優先順位をつけて判断を早くしてるかってことだけなんだろうけど)、
キーファに関しちゃ、不思議とその「ナンも考えてない」と「要点がハッキリしてて判断が早い」の
中間のように見える。

  けじめつけるったって、何が出来るワケじゃないもんなー。
  理由とか、これからやろうとしていることを説明したところで、何の足しになるワケでもない。
  せいぜい、自分たちが載せられた天秤の、逆サイの皿には何が乗っているのかを知らされ、
  ああそんなものと比べられたんじゃしょうがねえやと納得せざるを得ないのか、
  そんなものと比べられて俺たちは負けるのか、
  この王子にとって俺たちというのはその程度だったのかと思い知らせることになるのか……
  そんなくらいだ。
  世に言う「けじめ」として、そういうことが求められるんだろうか。
  よく分からん。
  それを知ってどうするんだろう? 関係ないじゃんね。

キーファにとっちゃあこの冒険物語そのものも、「完遂することが大切な夢」なんかではなくて、
始めっから、「自分がこれだ! と思える生きる道を見つけるための手段」だったんだと思えば、
主人公たちは裏切られたのでもなんでもなく、「こういうこと」でしかなかったんだな、と思う。

……そうなー。
いま自分が、「これをやり切ることこそが目的」と思ってやっていることも、
実は手段にすぎないのかも知れない、なんてことも、思う。
深いぜ……『ドラゴンクエスト』の物語は。



■自分の捉え方が変わっていたこと

あと面白かったのが、キーファが離脱してしまって元の世界に帰り、
一通りの後始末を終えたあと……
「……ん~、じゃあキーファもいなくなっちゃったことだし、
                 この旅もここまでにしよっか?」

と、ワリとナチュラルに自分も思ってしまったことだ。
そりゃ島の世界の復活も途中だし、世話焼いて期待してくれてる崖っぷちのジジイとかもいるけど!
キーファがキーファの道を行くことが尊重されるっていうんだったら、
主人公だって「やっぱり平凡な漁師として生きるのが俺の道だと思う!」つって
自分の意思を尊重するのもありだろ!!

それともう一つ。
「キーファは自分だけの旅に出ました、もうここには戻ってきません」
と、グランエスタードの王様に報告に行ったとき……
よくまあ、何の証拠もナシにそんなことだけ伝えに行って、
「もしかしてこいつらが殺して埋めたんじゃないんか」とか、
「事故か何かでウッカリ死なせてしまったのを、追及されないために隠してるんじゃないか」とか、
疑われずに済んだモンだな、と、これまたナチュラルに思ってしまった自分は
そこそこいい具合にウェザリングかかってるな、とコレマタ自覚してしまった。
だって、主人公たちしか本当のことを知らない密室の世界だもんな……
過去の石板世界で起こったことなんかさあ。
王様もヒトが良いよ。
マそれまでの関係とか、主人公たちの目とか顔とか様子とか、
そういうものを見ればきっとそのくらいのことは分かるんだろうけどさ。
 
 
 
■Closing

マそんなことで。
オイサンはよほど『ドラクエ』の物語と相性がいいのか、
『XI』の時と同様、ちょっとプレイするだけで色んな妄想がほとばしってしまう。
最終的にキーファがどんな運命を遂げたのか……
ゲーム中で語られるのだったかどうかも覚えてないし、わからない。
見事にユバールの守り手としての使命を全うし得たのか、
志半ばで非業の死を遂げたりしちゃったのか、はたまた、またすぐ別の女に目移りしたりなんかして、
案外ちゃらんぽらんな一生を送ったりしちゃったのかも知れない。

エンディングの最後で、彼のしたためた過去からの手紙が届くことだけは覚えているが。

ユバールの守り手として生きた以上はきっとトゥーラの練習なんかもしたりして、
公私ともにライラのパートナーを務めた……に違いないとは思うけど。
これが『FF』とかだったら、キーファ視点のストーリーが並行して展開して、
プレイすることになったりしそうだな。それはそれで面白いと思う。
 
 
 
■追伸 
 
高橋名人も最近ブログで「3DSの『ドラクエVII』を始めた」と書いていて、
おお、名人と同じタイミングで同じゲームをやってるというのは、
ささやかながらなんかウレシイなと思っていたのだけど。

 ▼高橋名人『のぞかれて』
  ⇒ https://ameblo.jp/meijin16shot/entry-12371295656.html

いまちょっと検索してみたら、
名人は1か月前にはとっくに終われる体制に入っていた……。
さすが名人! RPGも16連射だぜ!  ← 小並感

 ▼高橋名人『DQ7もラスボスのみ』
  ⇒ https://ameblo.jp/meijin16shot/entry-12374074867.html
 
 
 

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2018年6月10日 (日)

■美写しんぼ~googleフォト激圧縮対決! -更新第1222回-

美しい水を見に、静岡県は三島にある、柿田川に行ってきた。

Atrdsc06707
 
 
旅の顛末はまた別でお話しますが、
そこでまたバカみたいに大量の写真を撮ってきて、お仲間に
ドヤーーーーーーーーーーーーーーキレイやろがーーーーーーーーーーーーい!!
と、googleフォトに上げて見せびらかして喜んでいたら、
見てくれた人の中に『美味しんぼ』連載初期の山岡士郎がまじっていて


  「この写真はザラついている。とても見られたもんじゃないよ」


みたいなことを言われてしまい(超誇張)
そうなりゃこっちだって『美味しんぼ』初期の悪役成金知ったかグルメ親父(50代後半~)になり切って
きききききキサマ! 私の写真に、いやカメラにケチをつける気かね!?
写真の腕はともかく(ともかくなのか)、
このカメラはかの北大路魯山人も愛用したと言われているとても高いカメラなのですぞ!
ツァイスとかいうなんかいいレンズなのですぞ!
おおおおおお前のようなアラフォーに何が分かる!
(お前もアラフォーやないか)

みたいな気分になって
 
  「一週間後、またこのgoogleフォトに来て下さい。
         本物の柿田川の写真をご覧にいれますよ」

 
みたいなことをまた言われた(完全にウソ)のでこちらも引っ込みがつかず、
よぉーし分かった、見せてもらおうじゃないか!
いい加減な写真を持って来てみろ、タダでは済まさんぞ!! この世界で生きていられなくしてやる!
と大見得を切ttすみません、このくだりもうこの辺でいいですか?

まとめると、
先週末に行ってきた三島の写真をいつものようにgoogleフォトに上げて
お仲間に見てもらっていたら、最近とても高いカメラを買った隊長(山岡さん)から
「なんかちょっとザラついてんねー。ISO高い?」
と聞かれた。
おかしいな? 確かに暗い水場で写真はたくさん撮ったけどISO感度はそんな上げているハズはない
(高くても640くらいまでで止めている)んだけど? 
と思って念のため確認と検証をしてみたら、
googleフォト側でなんかドえらい画像の圧縮のかけられかたをしてた、というお話です。
これが、山岡隊長が「とても食えたもんじゃない」と言った(言ってない)問題のお写真2枚。
 
Dl_dsc06332
 
Dl_dsc06347  
 
 
どうですか。綺麗な池と美味しそうなゴハンでしょう?
これらは、googleフォトに一度上げたものを再ダウンロードしたものです。
 
正直、オイサンは言われるまで、そのザラつきには全然気付いてなかったんですけど。
山岡隊長曰く、池の写真は手前の草のあたりが、お料理の方は全般的にザラついて見えると言われ、
パッと見た感じ、多少ボヤついてはいるがいわゆるISO感度の上げ過ぎによる
高感度ノイズとは違うとは思っていました。

デ、一回Googleフォトに上げた写真をダウンロードして拡大してみたところ……
 
Red6332br Red6347
  ※葉っぱの方は暗すぎたので明るくしてある。
 
 
アリャリャ、なんだこりゃ。こりゃひどい。えらいブロックノイズです。
おかしいな、上げる前からこんな写真だったか?
元画像も見てみましたがそんなことにはなってない。
 
Org6332br_2 Org6347_2
 
 
ということはやはり、googleフォトにアップする段階で圧縮されてこうなったご様子。
尚、画像の容量にも当然ながら差がある。

 ▼池の方
  元画像  :2.8 MB 弱
  アップ後 :460 KB 強

 ▼料理の方
  元画像  :1.7 MB 弱
  アップ後 : 88 KB 強


……差があるのは当然だと思うが、ちょっと差があり過ぎる。
googleフォトで使っているのは「高画質」モード。
こちらのモードでは、いくら写真を上げても制限容量を消費しないのだが、利用制限事項として
 
  「1600メガPixel(Mpix)以上の画素数の画像は、そのサイズに圧縮される」
 
とある。
つまり、
「1600万画素以上の大きさの画像はそのサイズまで小さくするけど、その分無限に使っていいよ」
という注意書きである。

  この辺が話のキモでありワナだったのだけど、種明かしはあとで。

ちなみに、オイサンはどの画像もアップロードする前にPC上で
最大でも1920×1080のHDサイズまでリサイズをかけてからアップロードするようにしている。
というのも、
オイサンちのネット環境は決して早くなく、
大きなまま画像を多数上げようとすると時間がかかってしゃあないので、
どうせ上げるときに上の制限で圧縮されてしまうのであれば、いっそ先にリサイズしておけば
アップロードする時間も短くて済むし、リサイズ後のクオリティも自分でコントロール出来るので
良いだろう、と思っておったのである。

  ※尚、PCでのリサイズに用いている圧縮アルゴリズムは、Lanczosの3というもの。
   以前オシゴトで、いくつか圧縮アルゴリズムをテストした時に
   一番見た目が変わらなかったのがこれだったので、
   以来コレを使える圧縮フリーソフトを探してきて、愛用している。

……だからもしかすると……
そのリサイズの仕方と、googleさんで行う何らかの処理の相性が悪くて
このようなブロックブロックした結果になってしまっているのかもしれないなあ、
などと考えていた。
そんなことあんのか分かんねえけど。
 
 
 
■さらに調べてみて分かったコト・注意書きに潜む罠。
                      う~~~~、ワナッ!!


デ、さらに調べを進めてみたところ、googleフォトの制限について一つ、
オイサンの理解に誤りがあったことが分かった。
上でも書いたように、googleフォトの容量を消費しない「高画質」モードには、利用制限事項として

 「容量を消費しないが、1600Mpix以上の画素数の画像は、
                                そのサイズに圧縮される」


とある。
オイサンはこれを、

 「アップロードしようとする元画像のサイズが
                  1600Mpixより小さければ
画像は圧縮されない


と理解していたのだが……どうもそうではないらしい。
なるほど、イヤ確かに言われてみればその通り、

 「アップロードしようとする元画像のサイズが
                  1600Mpixより小さければ
画像は圧縮されない


とはどこにも書かれていない。
「高画質」モードを選択している限り、元画像の大きさがどうであれ、
データ圧縮処理は必ずかかってしまう様だ……うおおおおおおおおおおおおおまじでか。

つまり、オイサンが良かれと思って画像サイズ制限に引っ掛からないようにと
事前に自前で縮小した画像にさえも、さらに(画像の大きさは変えずに)データ圧縮を
かけているらしい……。


  わあっはっはっは、見たことか士郎!
                 馬脚をあらわしおったな!



と、囁くのよ……あたしの中の海原雄山が……。
……まじでかー。なんでそんなことすんのん。堪忍ですやん、堪忍ですやんかー。



■Closingとオマケ

マそんなことで、今回山岡隊長に指摘された画像のノイズは、
高画質モードで行われる圧縮に由来するものであろう、ということはおおむね分かった。
分かったのだが……今のところ、

「アップロード時間をかけずに(=アップロードするデータのサイズを小さくし)、
                       意図した画質でアップロードする方法」
が、ない。
うーんんんん……気に食わねえ。
オレ様のステキフォトに、こんなブロックブロックする圧縮をかけやがるなんざあ
人間のやるこっちゃねえ!
こうなったら雁屋哲先生にマンガで糾弾してもらうしかない!!
……と息巻いてみたところで、所詮タダで使わせてもらってるサービスですし、
そもそもオマエ、いままで気付かずにきたんやん。
何を今さら? ってハナシなんですけど。隊長に言われなきゃ気付かなかったよ。
イヤほんとに。けど、いっぺん気付いてしまうと……ねえ?
イヤやん? ← 我儘

マ自分で見る分には、基本ローカルのを見ているワケですし、
出先でweb上でしか見られないときとか、
人に見せるときにちょっと不自由な画像しか出せない、というだけなんで、
いいっちゃいいんですけども。
しかしどうにかならんもんかなー。なんでそんな余計なコトするかなー、googleさん。
邪悪! これは邪悪ですよ、googleさん!

マいまンとこ解決策はない、でこの話は終わります。
なんかいい方法ないかなー。家のネットを速くする、くらいしかないんだよなー。



■オマケ・もう一つの不可解な現象 in googleフォト

あともう一つ、googleフォトで色々試しているうちに不可解な現象に出くわした。

モードは「高画質」設定のまま、
試しに完全オリジナルの画像(6000×4000=24Mpix)をアップロードして、
ファイル情報を確認してみたところ……
画像サイズは24Mpixのままで、ファイル容量も元のままで登録されていた。

……?

  大魔王バーン「圧縮はどうしたああああああああ
             あああああああああッ!!!!!!」


いかんいかん、落ち着けオレ。
今回のネタは『美味しんぼ』モチーフだ(そこじゃねえよ)

気を取り直してそのファイルを再ダウンロードして確認してみると、
やはり、元のファイルと全く同じ情報量になっている。

モードは「高画質」に設定しているにも関わらず、である。
これはいったいどういうワケか……。
上げてから一定時間立たないと圧縮されない、とかあるのだろうか?

ええ? googleさんよお。これじゃアンタ、筋が通らないんじゃないですかい?
マちょっと、こっちの理由は分かんないんですけども。
この先も追及するかは、ちょっとわかんない。


オイサンでした。
 
 
 

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2018年5月31日 (木)

■蹂躙ダンスはファンタでごまかせ~2018年春アニメ・主題歌貶めまつり~ -更新第1221回-


今期のアニメの主題歌を何曲か購入したところ、色々感ずるところも出てきたので、
せっかくだから、周辺の事情なんかもまとめて感想を書き残しておく。
おしながきは以下の3曲です。

 ・オトモダチフィルム:『多田君は恋をしない』のOP主題歌。オーイシマサヨシお兄さんによる。
 ・Distance:『ヒナまつり』のOP主題歌……だが、これは買ってない。買ったのはEDの方。
 ・NOISY LOVE POWER:『魔法少女★俺』のOP主題歌。本編はもう見てない。


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■『オトモダチフィルム』


『多田君は恋をしない』のOP。今期の一番好きなのはこれかしら。
曲のタイトルからして、ライトな恋の気配と、それに見合った切なさと、
歌の中の主人公の踏み出せなさをちょっと嘲笑い、煽ってる感じがよく出ていてすごくいい。
『月刊少女野崎くん』の時と同じ、
女の子に向け商品として歌っているオシャレな恋の歌なのに、
女の子の気持ちを歌うんじゃなくあくまでも男の子サイドの切ない事情というか、
男のヘタレな可愛さを赤裸々に押し出してガールズサイドの乙女心をくすぐっていこう! という
オーイシお兄さんの、こすからい手練手管でございますよ。
な、なんてオシャレ恐ろしい。こういうの大好きです。
なぜならオッサンも乙女だから乙女心をくすぐられる。

番組で1番は聴いていたけど、通して聴くと2番の方が好きかも知れん。
特に

 ♪ イザ君に 君になんて話したらいいんだ
 ♪ キッカケさえままにならない 思いがここにあンだよ!


……のところがいい。
オノレのヘタレを暴力的にぶつけてくる男のカワイサというかね。ヘタレ逆切れですよね。
一人BLですよこんなものは。すごいな。
隣でハナシ聞かされてるマブダチがいて、
「ここにあンだよ!」「うっせえな分かってるよ声でけえよあと近い」
みたいなやり取りがあることが想像されますね。素敵です。
ただ一箇所だけ、

 ♪ ベイベー トモダチというレンズを捨てて

が……ちょっと引っ掛かる。
言いたいことは大変よく伝わるのですが、モチーフは「写真撮りの男の子」なのでしょう?
写真撮りの男の子は、「レンズを捨てる」ことは、決してしないと思うんですね。
ここは「レンズを換えて」とか「レンズ外して」の方が、
この男の子像にもよりナマモノ感が出たと思います。

そしてこの歌、CMでも流れているMVがあるんだけども。
その中でオーイシお兄さんと共演されている外人ガールがまあかわいい。
 
 ▼オトモダチフィルム Dance ver. 
 
 
 
終始はにかんだような笑顔がまあたまらない。踊りも、必要十分にキレてますね。
オーイシお兄さんの方が手足が長い分曲げ伸ばしの箇所では見栄えがするけど、
上半身のキレはガールの方が上だと思う。
この子はどういう子なんだろう。ダンサー子ちゃんなんだろうか?
おかしい……俺は2次元ではロリコンかもしれないけど3次元には興味がないハズなのに……。
こんなことを堂々とワールドワイドで発表していたらロリコン罪で捕まってしまうかもしれない。
年始めの小倉唯の件といい、今年に入ってから傾向が変わっているのか?

しかしちょっとマテ、この外人小娘ガールは小倉唯と同じくくりか?
小倉唯は曲りなりにも成人しているんだぞ……
まオイサンから見れば、このガールと唯ちゃんも十は離れてないだろうし
同じジャンルで良い気がする(老人の物差し)。
麻生さん、ロリコン罪は無いですよね? 無いって言って下さい。


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■『Distance』


こちらは、『ヒナまつり』のOP曲。
買ったのはEDの『鮭とイクラと893と娘』の方で、
OPは……映像と一緒じゃないと好きさ半減だと思ったので買ってないんだけど。
 
 ▼鮭とイクラと893と娘
 
 
 
当初、番組のOPでコレを聴いたときはあまりにミスマッチで、
オノレ、人気声優の新曲とのタイアップを押し付けられたな!? けしからん!
……などと若干不満に思っていたものだけれども。

 ♪おーもーいーではー いーつーもーきーれーいーだーけどー
  ↑ 綺麗じゃない思い出

今こうして見てみれば……歌の方が逆にいい様にあしらわれており、
完全に食われてギャグになっている。OPの映像との合わせがすさまじいっていうかヒドイ。
最早せっかくのステキソングを馬鹿にされてる感モリモリの梨衣しょんの方が
超気の毒になってくるんですけど。
わははははははははははw ざまあ! 
イヤ、梨衣しょん全然キライじゃないんだけど、
なんかもうこの歌のステキさがすげえ小バカにされてる図式になっているのが
「ザマアwwwww」ってなってしまう感じがあるのはなんでだろうwww
ざまああああああwwwwww

……それは恐らく、この『ヒナまつり』を見ることによってどこかバカにされた気分になる視聴者の
身代わりになってくれている有難み・尊さがあるからではなかろうかと推測する。
我々視聴者は、OPで大切な新曲を凌辱される憂き目に遭う梨衣しょんを見て、
ざまあwwwバカでえwwwと、先回りして貶めることで、
この先30分間に渡り『ヒナまつり』という作品によって小バカにされる自分の心的ストレスを
軽減することを許されているのです。
なんという、梨衣しょんの美しき自己犠牲精神!
彼女は視聴者一同を代表して、かなしみを一身に背負ってくれているんだよ!
ありがたやありがたや。

ついでに、そんなディープなギャグセンスを振りかざす『ヒナまつり』本編の
感想にも言い募っておく。

毎回毎回、重層的にパワフルな馬鹿馬鹿しさで人の脳みそを踏みつけにしていってくれる。
見れば見るほど、小バカにされた気分になる。悪い意味じゃなく、それが痛快だ。
脱力系ではあるが、斜め上から鎖骨を叩き割りに来る暴力的な脱力系で、
バカバカしさの端々にえも言われぬかなしみが匂い立っているのを感じる。

そのバカにされている感じとかなしみが何に端を発しているのか考えてみたところ、
扱っている人物が、ヤクザとか、ホームレスとか、水商売とか、
主に昼間の住人ではない人たちにスポットが当たっているせいではなかろうか、
ということに行き着いた。

ひとみちゃんの様な真面目っ子が、モノゴトの筋や倫理を踏みつけにされて夜に染まっていく様は、
真面目一辺倒に生きてきた自分の、取るに足らないモラルの敗北をまざまざと突き付けてくる。
ときには、作中一番のモラルブレイカーであるはずのヒナ自身でさえも、
気まぐれに発揮しようとしたなけなしの(その分貴重な)真面目さを、
調子に乗った中学生や、酔っ払ったやくざの家族にアッサリと蹂躙されてしまうことさえある。
バカが真面目を上回り、真面目に生きることのくだらなさを小バカにされる。
けれども、それがただ愚かさや暴力によってではなく、
次元が異なるだけのより「強い」真面目さ、筋道、モラルによって蹂躙されるので、
ある意味納得がいってしまうから、怒りや不快さではなく、おかしみ・かなしみへと転化されている。

自分自身は、(自分なりに)マジメに生きてき(たつもりでい)て、
ヤクザなんてのは不真面目に生きてきた連中の哀れななれの果てだ……と思っていたけれど、
ヤクザになったらなったで、大人であればヤクザなりの真面目さで生きてんだろうし、
そういう「真面目な生き方」もあったろうな、
そういう人生でも良かったかな……と、ワリカシ真面目に思ってしまう作品で、
個人的にはかなり泣ける。
笑えて泣ける、お腹いっぱいになる作品だと思う。



________________________________________________________________________
■『NOISY LOVE POWER』


最後、『魔法少女★俺』のOP。ノリが好きだったので買ってしまった。
ちなみにアニメ本編はもうすっかり見てない。
この曲、聴きながら何かに似ていると思ってたんだが、
どうもこの↓2曲の合わせ技で似ていると思っていたようだ。

 ▼お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ op full
 

 ▼お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!! OP
 

 https://twitter.com/ikas2nd/status/987660210301894657

しかしこの大橋彩香さんという声優さん……CMでPV見たけど、なんかもうえらい元気モンだな。
オジサンにはちょっと鬱陶しいレベルw 元気で売ってるお嬢さんなんだろうか?
イヤーしんどいw 
悪い意味じゃなくてね。オッサンに、これを相手する体力がないのが問題なだけです。
この子の運動会へは応援に行かず、あとで写真だけ見せてもらってお小遣いをあげたい
おじいちゃんの気分。

 ▼NOISY LOVE POWER☆
 
 
 

カップリングに入っていた、なんかイカの歌……『イカはイカすぜ☆クラーケン子ちゃん』が……
物凄かった……。おじさんにはちょっと、ついていけなかった。
オリジナルソングだと思うのだが、キャラソンならまだしもなぜオリジナルでこの内容なのか? 
電波ソングを目指してこうなったっぽいが、だとするとまだ一味足りないというか、
正気のネジが残り過ぎてると思うぞ。
正気の四隅をネジ留めされているとしたら、三つまでは完全に外さないとダメだろ。

カップリングの2曲目は、なんだかしっとりラブソングだったけど……
若い子が背伸びして歌う大人のしっとりラヴソングの、しっとりクオリティの低さには、
オッサンになるとどうしても気付いてしまう
んだね。フシギなもんでさ。
オイサン自身は別にしっとりラヴも経験してないのに、
なぜあの、若い子ががんばって想像だけで歌うしっとり感の真贋、
経験・経年して出てくるものの違いには気付けてしまうのか。
元気を元気で頑張って抑えつけ、しっとりさせているあの感じ……
 
カリカリクッキーに霧吹きで水分かけてしっとりさせたけど、
その霧吹きに入っていたのはなんと
ファンタでした! みたいなの
(分からんわ)。

……アレかしら、
トシ取ると苦味をおいしく感じるようになるのと同じ(味覚細胞が死ぬことで起こる)で、
聴覚細胞がくたびれてなんらかの効果を生んでいるのか、或いは、
トシとると歌う側の声帯がくたびれて、エイジングの利いたしっとりトーンに
ホンモノ味が出やすくなったりするんだろうか。
いずれにしても大橋さん、キミのまだまだ達者なピンピンハリハリ声帯では
しっとりソングを歌うのは無理だ! クソ元気なイカソングでも歌っていなさい!(ほめこと……ば?)

……全然余談になりますが、クソ元気なイカソングを聴いていると、
宮村優子がオリジナルアルバムに「喧嘩番長」ってつけていたあの痛々しさを思い出す。
当時みやむー(この呼び方が既に懐かしいな)が岩田光央とやってたラジオで、
「このタイトルはスタッフにも止められたけど、どうしても自分がこれにしたかったから押し切った!」
と誇らしげに語っており、当時は自分もそれを信じ、また痛々しいとも思っていなかったけど、
実際ンところはどうだったのか……
「本人はイヤがったけど大人の事情でコレにされた」というのでも、逆に不思議はない。
みやむーのWikipediaのページ見てみたけど、老けたなあ……。
初めて『ぼくのマリー』のラジオで声を聴いたときは、岩田光央をお兄ちゃんとか呼んでいて、
「なんかドラミちゃんみたいな声だな」と思ったものだが。
病気とか、離婚(×2)とか。色々波乱万丈だ……。なんかかなしくなっちゃった(しっとり)。


マこんな感じでヒトツ。
しかしなんだな、マトモに曲の感想書いたの最初の一個だけだな。
マ言わなきゃバレないか(言わなくてもバレないし言ってもいる)。

 
 

オイサンでした。
梨衣しょんのファンの人とか、大橋彩香さんのファンの人とかは読まない方がいいかもね、
ってアンタ今さらそんなこと。

 
 

 
 

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2018年5月29日 (火)

■電撃読書キンドルマン -更新第1220回-

いよいよ電子書籍端末を購入してみた。
用途、というか目的は、
「噂では面白いと聞いていて読みたいとは思っていたけど
 これ以上紙の本の物量が増えることを嫌って買わずにいた本・マンガを読むため」
である。
言ってみれば、「自分の本筋ではない類の書籍類をつまみ食いするため」の用途だ。
「自分の本筋」側にある、大事にしたい作品は、引き続き紙の本で購入する予定ではある。

そうしたつまみ食い目的購読の対象となる主項目はマンガであるから、
一時期は月イチくらいでネットカフェに入り浸って読んではどうか? というライフプランを
ご自分ライフプランナーさんがご提案してくれていたのだけど、どうも長続きしなかった。
あの場所があまり好きではないらしい。


■端末とその性能
購入した端末は、「Kindle Oasis」、32GBのキャンペーン情報なしモデル。\34000くらいである。
 
   
 
 
Dsc_1440
 
 
「お試し導入にしては現役最強モデルやないか!」とツッコまれることウケアイだが、
いやまったくその通り。
容量MAX、防水、広告NGの、電書端末界の世界王者である。……多分。とりあえず一番高いと思う。

「未知の敵と戦う時は、
  自分の最大最強の技をぶつけてみるのが一番だ!
                  アバン先生もそう言ってた!」


と勇者ダイも言っていたし、たぶんやってることは間違ってない。
とりあえず自分は、マンガを読むと言ったら風呂9割フロで、あとは電車か喫茶店なので防水は必須。
この時点で選択肢はかなり狭められ、あとは保存容量と
キャンペーン情報(ムダなチラシ)が挿し挟まれるか否かだけだった。
マンガ主体となると容量は大きい方がいいに決まっているし、
そこまで行ったらもう広告排除のために支払う2000円程度はご祝儀である(なんのだ)。
デ行きついたのがこの、Kindle Oasis・32GB(キャンペーン情報なし)モデル。

端末としての性能の善し悪しは、ここではあんまり言う気がない。
いろんなところで既に書かれているので、そっちを見てもらった方がいいでしょう。
自分がインパクトを受けたポイントだけ、善し悪しともに簡単に挙げておく。


▼良かった点(★が多いほどインパクトが大きかった)
 ★★★ 軽い。
 ★★  回転が早い。表示の融通が利く。
    ページ送りは問題ない。
 ★★★ 目が疲れない。
 ★★  持ちやすい。

とにかく「軽い! 長時間見てても、手も目も疲れない!」が一番感心したところ。
他は「思ったよりもストレスが無いな」程度。


▼イマイチな点(◆が多いほどへこんだ)
 ◆◆  UIはちょっとよくない。読み終わりの処理とか、ホーム画面への行き来が煩わしい。
    Kindle以外で買ったコンテンツは見られない(pdfは別)。
    マンガの細い線がちょっと見づらいときがある。
 ◆◆◆ カラーじゃない。
 ◆◆  手触り面・厚みで進度が図れない。
 ◆◆◆ サービスが終了したら読めなくなる。

やっぱり悪いところの方が目立つモンで。
やはり「カラーじゃない」のは、寂しいし一番好きな作品を残すためにはネックになるポイント。
小説だったらいいけどね。
最後の点はもう、問題外だと思うんだけどね……なんでそんなことになるんだ?
紙の本と同じ値段払って買ってるのに、読めなくなるってなんだよ、と思う。
ベルジャネーゾさん、言ってやってください! 

 ▼ベルジャネーゾさん
 
 
 
マ実際、kindleストアは物を売るとは言ってないんだけどね。
コンテンツの利用権を売ってるだけで。利用規約にもそのように書いてある……
とはいえ、将来的には何とかしてもらいたいもんだ。
だったらモノとしての値段分は安くして欲しいし、
紙の本を持ってる場合はコンテンツの利用権は持ってるわけだから
Amazonさんがサービス運用料分だけで読めないとおかしい気がする。
もし今支払っている金額がサービス料分だというなら、そこにコンテンツ利用権利料を足したら
元の本の価格より高くなってないとおかしいよなー。
ちゃんとそういう風になっていかないかしら。
マ制度的なことに文句いってもしゃあねえけど。
なんとかしてくれエラい人。

そういう元から分かってた本質的な部分を除けば、使用上の大きなストレスは、コレと言ってない。
読み終わったときに最終頁を表示したままホームに戻ってしまうと、
次また開いたときに次の巻の宣伝をまた見せてきたりするのは鬱陶しいけど
ちゃんと表紙まで戻ってから閉じれば問題はない。
「読んだらキチンと元の所にしまいなさい!」のレベルだと思えばいいだろう。


▼総評として
マそんな感じで、端末そのものの印象は悪くない。というか、いい。
風呂で読むときの重量のなさは、想像以上にラクだ。
ページ送りの際に起こる一瞬の白黒反転も思ったより気にならない。
 
 
 
……。
 
 
 
ただ、冒頭で
「この端末はあくまでもつまみ食い読書のためのものであって、
                           本筋にある作品は紙の本で買う」

と書いたのだが、そこにどうしてもアンビバレンツはあって、

「好きな作品こそ、いつでもどこでも読みたい」のである。

自分の心に根差す作品をこそ、常に持ち歩いていて、ふと思い立った瞬間に読み返したくなるものだ。
そうではないかね諸君。
『パトレイバー』! 『ダイの大冒険』! 『帯ギュ』!
『きのう何食べた?』! 『修羅の門』! 『花よりも花の如く』!

何度読み返しても飽きのこない、
暮らしの中で引いても引いても引き足りないくらい示唆に富んだ、引用に耐える作品だ。
辛いとき、かなしいとき、スッと開いて自分の立っている場所を確かめるための自分のルーツだ。
それらをこそ!
いつでも重さを気にせず、持ち歩けるところに入れておかないでどーするって話ですよ。
そういう、目的を掲げて導入したワリにはその辺のアンビバレンツに悩んでいる42歳のおじさんです。

まあ、大好きな作家さんの、自分を支えてくれたありがた~い作品なんでね……
保存用として2冊買うと思って、電子版も買っておいたっていいんですけれども。そのくらいはね。
紙の本を買ったら電子版の利用権もついてくるように、どーにかならんもんですかね。
電子化のコストもあるだろうからまったく無料で電子版もとは言わんけれども、
ちょっとプラス、くらいで。
なんていったら、電子化の苦労を何だと思っているんだ警察の方々がドカドカと踏み込んできて
無警告で射殺されたりするんだろnグワーッ!!

しかしあとから買ってみて気付いたんだけど、
堀江敏幸先生のご本がkindleストアには電子で無くてびっくりした。お願いしますよ。

あと困ったことに、物量が増えなくなってしまったことで歯止めがなくなって、
今まで買わずにいた作品群をボコボコ買ってガバガバ読んでしまうので
時間とオカネがマッハ。まいったぜこりゃ。歯止めは大事ですね。
マまだそんなに買ってないけどさ。
『喧嘩稼業』と、『そして僕は外道マンになる』、くらい。
 
 
 
……にしても、Kindle、キンドルってどういう意味なんだろ? 由来があるんだろうけど
日本語的には、すごく気が抜けた感じがする。
XBOXのKinectもなんかピンと来なかったし。
 
 
 

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2018年5月16日 (水)

■週末のカタルシス -更新第1215回-

 
このところ、カタルシスのない週末が続いている。
GW中は旅上の人だったのでノーカウントだが、土日に「充実した週末だった」と思うことがない。
よく休んだ、よく楽しんだという手ごたえが希薄で、なんとなく、ボンヤリ、終わっていく。
 
Dsc06126
 
 
これを避ける手っ取り早い方法としては、
いつまでに・どんなことをするか、今週はコレをやる、来週はここまでやる、と
計画を立ててこなしていくのが分かりやすいのだろうが、
まあそう上手く運ぶものでもないだろう。

先週の土日などはGW前から見に行こうと思っていた映画を見に行ったのだが、
これがまあどうしようもないデキの映画で、
その時間がポカンと何をしたか分からない時間に置き換わってしまったから
カタルシスも何もあったものじゃない。

また、そんな風にアレをやる・コレをやると決めて何らか進めたところで、
その先に「有意義な人生」が現出するかどうかは保証されない。
有意義な人生というのがどういう姿をしているのか、
誰かや何かの役に立つある意味高尚なモノが有意義なのか、
はたまた個人的な満足を得ることが有意義なのか……
マそれはご本人がどのような人生を生きたいかによるのだろうが。
「自分がどう生きたいか」を決めるのも億劫な人たちが
「取り急ぎ世間サマの役に立っときゃあ、有意義を自称しても文句は出ないだろう」
くらいのイキオイで「有意義=他の役に立つこと」にしてしまったりなさるから、また面倒である。
自分のために生きる、自分の時間の人生を有意義と称することに腹を立てる人たちが後を絶たぬ。

畢竟、意義の有る無しは、本人が基準を決めそれにそってモノゴトを進めれば良かろう。
自分の人生が終わるときに納得いってりゃ、それで有意義なのだと思う。
ナンボ人や地球の役に立とうが、時間の果てで人も宇宙もチリに還るのである。

ツイッターやインスタグラムなどのSNSでは、
承認欲求がどうだこうだとずっと責められ続けているけれども、
承認欲求もともかく、人々の求める物は、なんらかの達成感やカタルシスなのではないだろうか。
誰かに褒められ認められる、面白がってもらったり楽しんでもらえたという実感は
分かりやすい浄化作用であるから、
それを短時間で小分けにチョイチョイ得られるんであれば誰しもそちらへ向かうだろう。
アカンことのように言われるが、効率化した正しいやり方である様に思われるので
どんどん承認欲求を満たしていけばいい。当たり前っちゃあ、当たり前の流れだ。
イイネ!
マあんまり、それっぽさのないドヤ感まき散らかされるのはシンドイけれども。
 
Dsc06167
 
 
映画を見るなんていう行為も、カタルシスを得るには適当なところだが、
しかしそれがハズレてしまうとどうにもならんな。
このハズレ感をやり過ごしたり、ハズレなりのカタルシスを見出すには慣れが必要だ。
今回見たのは、スピルバーグさんの新作として呼び声も高い『レディ・プレイヤー1』で、
世間の評判はそこそこだったからすっかり油断してしまった。
世間の評価とジブンの評価が一致しないことなんか百も承知のはずなのになんで油断したか俺よ。
ここまでしょうもないとは思わなかった。
しいて言うならクソアニメ的な文法で作られた物語だったのだけど、
如何せんアメリカ映画界さんがクソアニメを徹底してクソアニメ化することが出来るわけもなく、
中途半端なエエ話、真面目に頑張ってしまったものになっているからもう、
うす味すぎて味のない湿気たポテチ食ってる様なもんだった。
スピルバーグさんもお疲れのようだ。
色々言いたいことはあるがとりあえず2つ、出だしのことと全体のことだけ言っておくと、
最初のカギを見つけるためのトリックが「レースゲームで逆走すること」で、
そのトリックが長いこと解き明かされなかった……という展開は、
この映画のシナリオを考えた人間がゲームをプレイする人種というものをサッパリ理解してないことの
証左以外の何物でもないということと、
新しさが物語的にも映像的にも、一つも感じられない、映画の手癖の塊みたいな作品だった、
ということだ。

ていうか、スピルバーグさんが監督した映画を見るのは、
拙者、もしかしたらこれが初めてではあるまいか。
過去に『シンドラーのリスト』は見たことがあるから2本目か。

あんまり相性が良くないカントクさんなのかもしれぬな。
 
 
 
 
「これは日本のために作った映画」、か……相当ナメられとんな。怒った方がエエかもわからんで。
 
 

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2018年4月 5日 (木)

■『ときめきメモリアル4』が教えてくれる、自分と闘うことの大切さ。 -更新第1112回-

『ドラクエVII』やりつつ、『ときメモ4』をやっていますオイサンです。
いまなんねんですか? ← 未来から来た人
『ドラクエVII』は3DS版で、『ときメモ4』はデータで買ってVita(TV)でやってます。


▼ときメモ4 OP

 
 

『ときメモ4』、
いんちきパツキン方言女子転校生のエリサ・ドリトル・鳴瀬さん狙いで剣道部入ったのに、
そのマブダチの超癒し系ぽっちゃり放送部・柳冨美子さんが横からチョッカイかけて来て
もうかわいいったら。
いや、知ってたよ。この子がかわいいのはずっと。
PSPでやってた頃からずっとかわいかったけどさ。
でもなんか毎回中途半端な時期からちょっとだけ出てきて
ヒラヒラ~っと可愛さ生クリーム仕立てを振りまいてどっかいっちゃってたので、
攻略までは至っておりませんでした。
しかし今回はかなり本気でオイラにホの字らしいので、ズーズー弁の変な金髪女なんかほっといて
ぽっちゃり癒し系女子とアバンチュールを楽しんじゃうかい、ええオイ俺!? ← しらねえよ。

 ▼エリサ・D・鳴瀬
 
 
 ▼柳冨美子
 
 
 
グループデートで行った海で「となり、いい///?」なんつってチョコンと甘えてきたり、
修学旅行いっしょに回ろうってお誘いにきたり、
イベントスチルが出るような特別なイベントは起こってないけど
「えへへ、うれしいな~」なんつって、
オッチャンそれだけでもうフワフワしちゃうよ!!

  ちなみに、中学旅行ではオイサンと一緒にいたせいでサメに襲われました。
  カットインで披露したアラビアンボディはなかなかのボリュームを誇っており
  やはりおれさまの目に狂いはなかったがあたまはくるっている。

……しかしなんだろうか、
井口裕香ボイスのキャラにときめいていると、なんだか負けたような気持ちになるな。
何と戦っているんだろう。
自分だ。自分と戦っているのだ。

  ……しかしアレだな、いま思いついたんだが
  自分との戦いに負けた場合、その一方で勝っているのも自分であるワケだから
  勝っても負けてもサイアク勝ちになるワケであって、
  これはなんだ、オトクだな! 自分との闘い。
  負けても勝てるんだからどんどん戦って勝ち星を稼いでいこうじゃないか。
  やったぜ。
  閑話休題。


しかしなんだ、柳冨美子さんですけども、
こうして手ぇ繋いだりじゃれあったりしてるうちに
スキンシップが気持ちいいってことにお互い段々気が付いてきちゃって
ニオイかいだり耳のウラ撫でたり首筋とか腰回りとか
触る場所もだんだんキワドくなってきちゃったりしちゃったりなんかしちゃって
最終的には服の下にも手が入って行ってしまうワケで
ちょっともうダメだってば、とかなんとか言いながらも本当は大層ウレシイわけでしてエエ、
しまいにゃスッポンポンになって隅から隅までナデくり回し合ったりしちゃったりするんでしょうね。
あーもうイヤラシイ。
ていうか俺はいい加減そのくらいのことはとっくに経験してても全然問題ないっていうか
イマ時点でその辺のことを想像でしか語れないことの方にヨッポド問題があるのですから
もう少ししっかりしていく方向で物事を考えてくださいたまえたまえ。
想像をたくましくしている場合じゃないぞ。

マでもさすがに、もう自分にはそういうのないだろうなー。
いまさらめんどくさいもんな……そんな元気もねえし。

トまあ、
何かギャルゲーで久しぶりに甘ったるい気分になったモンだから、
せっかくなので気分の良いテンションで書きなぐってみた。
うーん。
PSVitaでやるよりも、VitaTVでやる方が、自分はキブン上がるのかなあ。
VitaTV、サイコーにゴキゲンなハードなのに、なんで売れなかったんだろ?
マ今回の『ときめきメモリアル4』みたいに、
「PSPのソフトを」「Vita環境にダウンロード購入して」「さらにVitaTVを介して大画面に出す」
みたいなことをすると、色味や画質はかなりよろしくないカンジになっちゃうんだけどさ。

『ときメモ4』、心ときめく女子は多くないんだけどね……。
こんな感じ。

 ▼興味ある
  ・龍光寺さん:バイオレンス、不良・でもイイ奴、冷めてる、アタマ良い
  ・瑠依ちゃん:親友の双子の姉、オタク・腐女子、ハイテンション、ミズハス
  ・知姫(あき、と読む ← よめへんわ):理系・白衣・閣下、オトナっぽい、たぶんギャップ系
 
  ▼龍光寺
  
 
  ▼瑠依姉
  
  
 
 ▼ビミョウ
  ・響野さん:音楽、綾波、コミュ障、遅咲き、花澤香菜
  ・前田さん:サッカー、短髪、がらっぱち、たぶんよく食う
 ▼興味ない
  ・メインヒロイン ← 名前すら思い出せない。星……?:
                          影薄い、前向きな劣等生、ぷちブサイク
  ・生徒会長  ← やはり名前が思い出せない。煌……?:
                             上級生、劣化詩織、うす気味悪い
 ▼クリアした
  ・ハルちゃん:下級生 夜間、姿見えない
  ・語堂さん :文系、メガネ、キレキャラ、ヒロインの親友、常識人


でもまあ、お付き合いはしてみないと分かんないからね……。
誰がどんな魅力を持ってるか、なんて。
語堂さんなんか普通そうに見えて全然普通で、ああこの子は普通だなあ、
普通程度に可愛いなあ、なんて思ってずるずる付き合ってたけど
ホント普通だったもんな。

多分卒業して早い段階で別れたと思う。 ← オイ。
まだハルちゃんとの方が続いただろうなー……


などと、ときめかないことを言ってしまうオッサンのオイサンでした。
 
 
 

 

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2018年4月 2日 (月)

■過ぎ去りし時を求め日記FINAL~その2:信仰としての命の大樹が象徴する、ドラゴンクエストの物語 -更新第1111回-

もはや現在の進行度と日記の内容がかけ離れ過ぎていて
日記でも何でもないアラフォーがお届けする、
『ドラゴンクエストXI~過ぎ去りし時を求めて~』プレイ日記
……という名を借りた最後の感想。

約半年にも及ぶ、『ドラゴンクエストXI』のプレイの中で芽生えたキモチを
好き勝手に書きなぐる感想ファイナルの第2回目は、
前回の、

 「主人公が過去へ飛ぶだけの十分な理由があったにもかかわらず、
  その情報がプレイヤーに与えられずになんとなく過去に飛ぶことを選択させた問題」


に続きまして、

 「ロトゼタシア世界において、命の大樹は果たして
                              機能であるのか、信仰であるのか問題」


について考えた結果、そーいや『ドラクエ』の話ってこんな感じだったな、という
結論に行き着いた、みたいなことを書きます。

話の発端として、『ドラクエXI』をプレイしながら

  命の大樹ってのは、このロトゼタシア世界において、
  そもそも一体どのような位置付けのものなんだろうか?


ということが途中からだんだん気になるようになった。
……どーなんだろ? こういうことって、皆さん考えるモンなんだろうか? 
マいいや。

命の大樹について、作中でひとびとが語る
「葉の一枚一枚がひと一人の命であって、死ねばそこに還り、またそこから生まれてくる」
というようないくつかの逸話は果たして、
この幻想世界における「事実を伴う理」であるのか、あくまでも「ただの逸話・信仰」であるのか、
どちらだったのだろう?

プレイ開始当初は前者、
伝承のように語られる内容は、この世界において「摂理に直結した事実」であると考えた。
すなわち
「葉の一枚一枚が本当に生命のひとつひとつに直結している、生命をつかさどる循環装置」
のようなものだと、さほど深く考えずに受け入れていた。

だから、ウルノーガさんによって大樹の魂が破壊されるのを見たとき、
「あー、これでロトゼタシアの生命は死に絶えるんだ」と思っていた
(ついでに言うと、だから樹が落ちたあとにもこんなにお話が続くとは思ってなかった)。
しかし、大樹が枯れ落ちた後も人間も他の生き物も、
壊滅的な被害が出たとはいえ生き残ったやつは変わらず生きていたので、
そこまで生命に直結した機能を与えられた物ではなかったんだと気付いた。

ただ、大樹の魂が破壊された瞬間にそこから大きな力が漏れ出して、
それを飲みこんだウルノーガさんは強大な力を得、大樹は一瞬で枯れ、
それまで何食わぬ顔で宙に浮いていた空の浮島が落下したのだから、
あの世界における何らかの物理的基盤を実際的に支える一端ではあったのだろうと思う。
ただの「象徴」でなく、HPなのかMPなのかわからないが生命にまつわる力を多く溜め込んだ、
実際的なエネルギーの塊ではあった。
地球でいうなら、地軸だとか、マグマ、地殻・プレートだとか、海流や気流を生み出し駆動する
「幹の様な現象」であるくらいはしたのだろう。
地球を自転させているエネルギーの根源の一つのようなものだったにちがいない。

けれども、ひとつひとつの生命そのものに対して
実際的な強制力・支配力を持ったものではなかったらしい。
すなわち、人々が大樹を見上げ、恩恵を信じてありがたがっていたことの大部分は、
信仰であり、宗教的なものだったといえる。だから、それに気付いたときはちょっとびっくりした。
なぜなら近年のファンタジー作品・SFなどでは、そのように
「この世界では、コレコレはこうしたものである」と説明をされると、
それは大抵の場合世界の構造の前提的な事実であることが(自分の印象に過ぎないが)多かったからだ。
当初の説明がその通りでない場合の多くは、
「世界の上の方を握っている誰かが、何らかの都合のために嘘をついていた」のような、
物語的トリックであった。

  『FF13』の、パルスのファルシがルシでコクーンがパージする奴なんかは
  モロにそんな感じだったと思う。確か。
  あまりにもパルスのファルシがルシでコクーンがパージだったために詳細を思い出せないが。


繰り返しになるが、『ドラクエXI』における命の大樹はどうやら
人々を実利の部分で縛り付ける装置ではなく、畏敬の念を集めて奉られる信仰の対象であったようだ。
マもしかすると、人間以外の植物とか、風とか地面とか水とかとは直結していて、
それが枯れ果てて循環に支障をきたすと結果的に人間は食い詰めたりするかもしれないけど。

実利を押さえつけられていることに端を発する忠誠は、ピュアな信仰とは呼び難い。
それは極端に言えば、ピストルを突き付けられているのと変わらない。
人が畏れを以て、自発的に心や行動を縛るものを信仰と呼ぶのだろう。

  ところでこれは余談だが。
  上で書いたように、「摂理・機能」という意味合いが薄かった命の大樹とは対照的に、
  「勇者」は、随分と「機能」に寄った扱いをされていたなー、と感じている。
  機能というか、役割というか。
  一個人・一人の人間としての扱いが非常に希薄で、
  命の大樹に、神話上の均衡をバランスさせるためのコマとしていいように使われていた。
  世界に埋め込まれた、先代ゆずりのた色んな装置にアクセスするためのカギにされており、
  我がことながら見ていてちょっと気の毒なくらいだった。


……と、


そんなことにふと気付いて、なるほど意外だったなと思っていたら、もう一つ別のことに繋がった。
クエストシステムの件である。

『ドラクエXI』でのクエストシステムでは、人の依頼に応じたりお願いを叶えてあげたりすると
何らかの報酬が得られる。
概ね報酬目当てでやることなのでこれは実利に基づくものだ
(中には「気持ち」の面でやって上げたくなるものもある)が、
自分はこのシステムがイマイチ好きではない。
実利が先に立ってしまい、物語の上に(或いは底に)残せるはずだった情緒が
消え去ってしまうように感じるからだ。

クエストシナリオの対極に、ストーリーの本筋からは遊離したサブエピソードの存在がある。
サブエピソードは本筋の物語には何の影響も及ぼさず、
かつそれをこなしても報酬が得られるわけでもない。
ただ小さな物語の結末を見てオシマイ、という性質のものだ。
以前少し書いた、セーシェルの件のようなエピソードがある。
セーシェルは、命の大樹崩落によって親も友だちも亡くし、
最後の砦のいちばん奥で一人佇んでいる女の子で、
のちに、主人公の働きかけ次第でメダル女学院に入学し、新しい生活を見つけることになる。
「次第で」と書いたのは、その働きかけをしてもしなくても、ゲームの物語には無関係だからだ。

ただ、彼女の最後の砦の川べりにひとりぼっちでしょぼくれた背中は、
世界の崩壊を招いた勇者としての自分の、魔王打倒・世界再建の最大のモチベーションになった。

  他のプレイヤーの皆さんはどうだろうか? 彼女のこと、覚えているのかなあ?
  話しかけてすらいない人もいるかもしれないけど。

自分はセーシェルのことがずっと頭の片隅にひっかかり、
ことあるごとに最後の砦に様子を見に行ったりしていたほどである。
だから、旅の途中立ち寄ったメダル女学院で
「一人で泣いている女の子がいたら、この学院のことを教えて上げて欲しい」
と言われたとき真っ先に彼女のことを思い出し、学園のことを知らせに飛んだのだが、
これはゲームの進行になんら有利も不利ももたらさない、独立した物語の要素である。

他にも、キャンプや、旅の端々で仲間に話しかけたときに帰ってくる何気ない会話は
ゲームには影響がないが自分はこれが大好きで、
出来ることなら逐一どこかに保存しておきたいほどだった。
以前も少しメモを取ったが、グレイグと二人で旅立ったばかりの頃
キャンプで彼が自分の馬について訥々と語ったことにはひどく心を動かされた。
火のそばでポロリとこぼれおちる、穢れを疑う余地のない純粋な人生の疲れのことば、
彼がそのようにして自分のことを話す姿そのものと、話の内容が他愛ないことであることが相まって、
大変な効果を生んでいた。ロウやシルビアの、何気ないコメントも胸を打つ。

  ……それに付随する余談だが、そんな仲間会話への思い入れもあって、
  本作では仲間会話の多くがガイド機能的な内容に終始するようになってしまったのを
  大変悲しく寂しく思っていた。
  彼らが生きた人物ではなく、物語を牽引する「役割を負った機能」に見えてしまうからだ。

そうして思いを巡らせていると、自分がこの30年、
『ドラゴンクエスト』というゲームにいかなる期待を寄せてきたのか、改めて見えてきた。
ロトゼタシア世界における命の大樹のような寄る辺、
心を支える柱となる「材」を持ち帰りたかったのだと思う。

……と書くと、この流れでは、
宗教的な救いや安寧を『ドラクエ』に求めてるみたいに読めてしまうな。
そうではない。
ゲームの中の実利にしばられない、無償の行いから生まれる貴重な情動を期待していたということだ。

不思議なもので、無償のエピソードから得られる感慨は、
報酬のあるエピソードで得られるよりも格段に大きく、心に大きく、深く、重く響いて残る。
ゲームの世界で価値ある物が必ずしも現実世界には持ち帰れないかと言われると
そうでない可能性もあるが……
自分の感覚では、ゲーム内世界で価値の交換が終わってしまう事象の感動・情動は、
その交換が終わった瞬間に消尽してしまうと感じている。
不思議なもので、手のひらからその重みがフッと消える感覚さえある。
大げさな譬えだが。

メタルキングの剣は『ドラゴンクエスト』のゲーム世界においては最強の武器で
(『XI』ではそうでなくなってしまったが)、
それはクエストによって獲得出来、ゲームの世界で受ける恩恵は計り知れないかもしれないが、
現実の世界まで持ち帰り、恩恵に与かることは出来ない。
……レアアイテムだからっつってRMTで高値で売れるとかそういうのは抜きにして考えて欲しい。
だめだぞ。オマエ、そういうとこだぞ。

ゲームの中の実利に縛られる行いに付随する感情・情動は、
現実世界に持ち帰ろうとするときゲーム中で得た実利の部分の重みがそげ落ちてしまい、
現実世界では「感情的質量を変える」。
反して、ゲームの中でも現実世界でも実利に縛られない行いは、
どちらの世界にあってもその感情的質量は変わらず、「そのままの姿」で持ち帰ることが出来る。
それはおそらく、「『それ』をしたのは間違いなく自分なのだ」という、
自分とゲームの主人公が全く同じものを持つという実感、
主人公とプレイヤーの一体感・同一感というものの源泉でもあるだろう。
自分はその、「同じ重さの体験」を持って帰りたかったのだろう。

上で書いた「寄る辺」「心の材」になり得るものはそのような感動や衝動のことで、
ゲームの世界から真に持ち帰ることの出来るもの・情動を、
自分は『ドラゴンクエスト』に求めてきたのだろう。
30数年の時を経た最新の『ドラゴンクエストXI』の物語の象徴である命の大樹が、
自分の求めていたものの姿をしていた世界に君臨していたことに、
何やらうれしさを覚えたのであった。

  ……ところでコレも余談になるが、
  ゲームの面白さの根幹にはリスクとリターンが必要・必ず存在するという論があるが、
  RPGとか物語ゲームではそれは当たらない、ということになるな。
  感動すらゲーム的報酬に含めるというならそうでもないけど。
  それはちょっとどうなんだ。
 
 
 
■命の大樹さんの機能に関する考察・妄想のつづき
 
 ▼その1 生命の貯蔵と循環の管理機構としての機能

ところで大樹が生命を司るという言説について、「機能でなく、信仰である」と書いたけど。

もしかすると、大樹には「生命が休眠する間の倉庫としての機能」ならあったのかも知れない。
生命が大樹から出て行って肉体に宿り、生き物として活動している間のことはあずかり知らないが、
生き物が死ぬと生命だけがまた肉体から抜け出て大樹に戻ってしばらく休眠し、
また次に生き物として出て行く、その循環と貯蔵は管理する、みたいな機能である。

であれば、大樹が落とされても、
「いま生き物として活動している生命の活動」が即座に停止する(=イキナリ死ぬ)ことはないが、
休眠中で次に生き物として生まれ出る筈だった生命が生き物として地上に降りることはなくなるし、
いま生き物として活動している生命が死んだあとに循環する先を失うわけで、
世界は実質的に死ぬ……そういうものだった、という可能性はあるなあ、
などと色々書きながら思ったりした。


 ▼その2 神話の「根」、時元のハブとしての機能

今作では、
どういう都合や思惑があったのか知らないが過去のシリーズ作品から音楽が多く流用されていて、
自分はそれを、セルフパロディないしは過去作品支持者たちへの単純なサービスだと捉えていたし、
後シナリオのエンディングで初代『ドラクエ』のアレフガルド編の映像が流れることの意味も
見いだせずにいたのだけれども、全てが終わってこうして振り返ってみると、
もしかするとそれも命の大樹が担ったひとつの機能によるものなのかもしれない、と思えてきた。

『XI』の世界はどのシリーズ世界とも具体的なつながりは無いのだけれども、
これからすべてのシリーズ世界に分化する時空の幹であって、
この世界自体もまだ人の歴史へと進む前夜の、未分化な「神話の世界」なのではなかろうか。

  なお3DS版では、「時渡りの迷宮」なんていうモロに過去シリーズの世界に出張して
  クエストを稼ぐシステムなんかもあって、すごく「これはちょっとなあ」と思っていた。

コレも途中の日記で少し書いて違和感を露わにしたことだったが、
今回の世界には、人間の顔をしながら人智を超越したような存在がやたらと色々出てきた。
神の民やら、時の番人やら、ニマ師匠やら。
彼らはそもそも人間より上のレイヤーで生きている人々だったり、
ヒトとしても神がかった能力を持っていたりして、
そういう「超越した存在」がゾロゾロ出てくるのは安っぽくてイヤだなと
物語の途中では感じていたのだけれども。

もしかするとそれは、
世界がまだ人の手に渡り切っていない、或いは人の手に渡って間もない時代だから、
そういう「世界創世の担い手」たちがまだ人の世に深く関与出来ていたのではないか。
つまりは、世界はひとまず作り上げられたけれどまだ人の手に完全に渡せるほど固まり切っていない、
土台のユルい、歴史になる前の、神話の時代に片足ツッコんだ時期であるということだ。
これからこの世界が『ドラゴンクエスト』の物語のあらゆる時間・空間・次元へと
分化していくに違いない。

命の大樹は時空や個体を隔てた様々な記憶にアクセスできる端末としての機能を備えていることが
ゲームの本筋の中で描かれたけど、
その機能の先にはこの世界から連なる未来の時空へのアクセスがあり、
そこから漏れ出た分化した先の未来の姿が、あの映像であり、
時折フィーチャーされる過去の作品の音楽やモチーフなのだろう
(世界観的には『XI』の方がオリジナルで、ロトシリーズや天空シリーズが
それを模倣した、ということになるけど(ややこしいわ))。

『XI』の物語では、時間や空間を超越してアクセスする描写もたくさん見られた。
命の大樹の過去の記録・再生機能しかり、時の番人による時間跳躍しかり。
そう考えると、この物語の装置がアレフガルドの記憶を含み持っていることにも、
なんとなく納得がいった次第である。

……マそれならそれで、
アレフガルド世界をこしらえたはずの精霊ルビス様の名前のヒトツくらい見え隠れしたって
バチは当たんねえと思うけど。
だからまあ、これはただのあとづけ的妄想。
自分のための、ただの話のタネだ。



■Closing



……ところで超越存在といえば、
ゲーム途中までは預言者さんの都合の良さももどないやねん、と思っていたが、
あの人はウルノーガさんご本人のカタワレ、ウラヌスさんであって、
正体的にはただの人間というオチだった。
にしては、彼も色々と超越なさっている。

ウラヌスさんの場合、能力的な超越具合もさながら、
あまりに自分に都合のいい考え方をするシンキングメソッドの方がぶっ飛んでて
思わず笑ってしまったのだった。

  だってさあw

彼の場合、ウルノーガさんとしてあれだけ主人公チームの面々に対して、
16年の長きに渡って死ぬほど迷惑かけてきたくせに、のうのうと目の前にやってきて
「ウルノーガは私・ウラヌスの心の悪い面で、
 いまいる預言者としての私は良い面だから私は悪くないんです」
みたいな、って、オイw!
お前はお前やろ! ちったあ申し訳なさそうなカオせえよ!
すげえ面の皮してやがるな! って思ってしまった。
超越の仕方が斜め上だよ。



オイサンでした。
 
 
 

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2018年4月 1日 (日)

■過ぎ去りし時を求め日記FINAL~その1:最後の感想・過去へ飛ぶ勇者とその動機について -更新第1110回-

もはや現在の進行度と日記の内容がかけ離れ過ぎていて
日記でも何でもないアラフォーがお届けする、
『ドラゴンクエストXI~過ぎ去りし時を求めて~』プレイ日記。

ホントにもう日記でも何でもない、ただどのようにプレイしたかは書き残しておきたいので
残りのことも記しておきます。


 ▼前回までの勇者イカスさん

前回は、亡くなったベロニカさんのお弔いをすませ、空飛ぶクジラのケトスさんを手に入れて、
ウルノーガさんに持ってかれてしまった「勇者の剣」の再生というか、新生を果たしたところまで。
しかし勇者っていうのは、釣りもできるし鍛冶仕事もできないとなれないんだなあ。
大変だなあ。ウチの門とか塀も直してくれないかなあ(便利)。

  ムウレアの女王「勇者とは……お庭の手入れから水回りまで、
              住まいのあらゆるトラブルを直せる者のことです……!!」


イヤそんなことはおっしゃってませんが。


 ▼今回の勇者イカスさん

えー、全編終わりました。『ドラクエXI』。さすがに。
ウルノーガさんをやっつけるところから、裏ボスのニズゼルファさんまで、一通り。
ウルノーガさん挑戦時点でレベル80前後、
ニズゼルファさん討伐ののときは全員レベル99だったのでどちらも楽勝で、
バトルとしてはさほど印象に残っていない。

バトルで全編通して一番苦戦したのは、ドゥルダのニマ師匠がつっかけてくる最終試練だった。
レベル80ぐらいの時点でチャレンジして全然ダメでしばらくほうっておいたのだけど、
99になってからリトライしたら2回目で2ターンくらいで片付いた。

ウルノーガさん編のラストダンジョン、天空魔城は、最後らしく多少凝った作りではあった。
いまにして思えば、「まあ和製RPGとしての体裁だけは整えたな」という感じがしないでもない。
様式美というか、ご期待に応えるというか。
正直、ほとんど印象になく、表のエンディングも、どんなんだったっけ? というレベルで
あんまり憶えてない。
仲間をそれぞれの故郷へ送り届けたくらいだったような気がする。
命の大樹が甦り、シルビアの親父さんがしっかりダンサーズどもを仕切ってたとか、
デルカダールの復興が進んでたりだとか、そんな具合だった。
カミュも、マヤちゃんとこに帰って行ったんだったかな?
結局カミュはマヤちゃんをメダ女に入れるのかしら。
ロウはどうしたんだったか……ユグノアを復興させるって言ってた気はするが……。

ウルノーガさんの最終形態はインパクトがあった。
骨の竜の姿になって、もう一匹、変な骨の竜をひきつれていた。
そんでお前、自分はそいつの陰に隠れて戦うのな? こっすからいというか、ケチくさいというか。
お前ホンマそういうとこやぞ。ラスボスやったらもっと堂々とせえ。力感を出せ。
バクーモスさんといい、今回の敵はみんな三下感がすごかった。

裏のエンディングの最後、主人公、ベロニカ、セーニャの三人で再び大樹を訪れるのは良かった。
命の大樹の、シーンというかマップというか、あの場が一番好き。音楽も、色合いも。
いきなり大樹さんから「勇者ロトが」どうとか言われたのは戸惑った。
アレフガルドの勇者たちの絵がフラッシュバックしたりして、
今回の話と関係あんのか? と大変疑問に思ったけど、
もしかすると関係を見出すことも出来るのかも知れない。

その話はあとで。



■ザ・おしながき

今回書き残しておきたいのは、主に3点。

▼ひとつ目。
ウルノーガさん編クリア後のシナリオ(以下、後シナリオ)にて、
「主人公が過去へ飛ぶだけの十分な理由があったにもかかわらず、
 その情報がプレイヤーに与えられずになんとなく過去に飛ぶことを選択させた問題」について。

▼ふたつ目。
「ロトゼタシア世界において、果たして命の大樹は機能であるのか、信仰であるのか問題」について。

▼みっつ目。
オープニングテーマ『ドラゴンクエストXI 序曲』に感じた「人の人生の栄光」について。

ちょっとした感想と、
考察と、
なんだかよくわからない感慨の3本立てという感じです。
長くなるので、多分3回に分けます。
 
 
 
■大いなる愛と、使命と、
  ひとつまみのいたずら心を持って、勇者は過去へ跳ぶ。

 
 
 
まずひとつ目のお題、『ドラゴンクエストXI』を全編通しての感想と、
「主人公が過去へ飛ぶだけの十分な理由があったにもかかわらず、
  その情報がプレイヤーに与えられずになんとなく過去に飛ぶことを選択させた問題」
について。

表のシナリオでウルノーガさんを倒したあと、
主人公は犠牲になったベロニカを救うため(という表向きの名目で)、
元の時間軸の仲間たちと別れて過去に跳ぶワケですけれども、
派生したふたつの時間軸について特に何のほのめかしも言及もなかったのは
却ってサッパリして良かったのかな、という気はする。

  イベントで、堀井雄二氏が「やがてヒトツに収束するのだと思う」と言及したらしいけれども、
  それも具体的には全然イメージの付かない言説であって、イヤハヤ見事な捌きだと感心する。

オイサンの感じる問題は、そのウルノーガさん討伐後のシナリオ
……世間では「裏」と呼ばれていますが、どうもしっくりこないので、
  「後<アト>」シナリオと呼びたいと思いますが……
後シナリオの総体的なデキとして、
「肝心なところは本筋として必要なのに、それ以外の部分は屋台骨となるには足りない」という、
あまり良くないデキと位置づけだった……と、思う。中途半端だった。

後シナリオには、『ドラゴンクエストXI』の物語を本当に大団円させるために必要な
いくつかの要素が包含されていた。
先代勇者ローシュの伝説が実は悲劇でありウルノーガさんの出自にも関与していたこと、
その悲劇がベロニカの死という新しい悲劇にも繋がっていたこと、
後シナリオをクリアすることによって悲劇の輪廻が断たれ
主人公が世界を根底から救う最後の勇者になること、などがそれだ。

そうした「欠かすべからざる物語」であるにも拘らず、
後シナリオが「オマケ扱い」されているのはやっぱりちょっとどうかと思うし、
それだけの物語を回収させるにあたってプレイヤーを導いていく
「その他の部分」のしかけが貧弱で、あまり面白くないことは大きな問題だったと思った。
なにしろ、主人公を引っ張っていく要素が
「もとの時間軸ではこうなっていた物事が、こちらの時間軸ではどうなっているのか?」
「こちらの時間軸では、あの出来事は必要ない筈だけど、追っかけてみたらどうなるのか?」
という、興味レベルの話でしかないのだ。
IFの世界を公式で遊ぶという2面的な展開は興味深いといえば興味深いのだけど、
シナリオの出来栄えは、なんだか穴埋めに汲汲としているようにも見えて、
ちょっと興ざめするところもあった。

  元の時間軸では悲劇的だった結末のシナリオがハッピーに回収されたりもして
  それはそれで良かったな、と思うところもあるんだけど。
  逆にその辺は、じゃあ悲劇で終わった元の時間軸の人たちのかなしみって
  一体なんだったんだ、という……
  「ダメになった故郷(元の時間軸の世界)を見放して
               よく似た違う土地でヨロシクやってるオレ」みたいな、
  むなしさと背徳感もあって煮え切らないカンジになる。閑話休題。

これには、
「ゲームを作りこんでいく中で『その他の部分』が貧弱にならざるを得ず、
 ウルノーガさん討伐後もさらにゲームを引っ張るだけの力を持たせられなかったから
 オマケという位置に置いて『オマケだから』であると逃げるしかなかった」
んじゃないだろうか、という邪推が働く。
まあやらなければならないことの大半がウルノーガさん編の再回収になってしまうから、
どうしようもないのは分かるけれども、これはもうハッキリと、
失敗と言ってしまって良いのではないだろうか。


 ▼ローシュとセニカ、主人公とベロニカ、重なったまま回り続ける二つの物語

サテではそんなちょっと中途半端なところを押し切ってまで
主人公が過去に跳ぶ展開を作らなければならなかった、その意義とはなんだったのか。

そもそも主人公には過去に飛ぶ絶対的な理由があったワケです。
それは、先代勇者と宿命を共有する者として、
セニカさんの宿命を負って主人公を救ったベロニカと、
ベロニカの一部でもあるセニカさん当人を救済するために他ならんことは、プレイした人は分かる筈。
それ即ち、ニズゼルファさんを討伐して遠大な悲劇の輪廻を断ち切ることにもつながるワケですが、
ニズゼルファさんのことはを置いておいたとしても、
先の二人を救うことは、
「神話のコマ」である勇者として生まれた者の事情と主人公個人としての事情がクロスオーバーした、
その他の義理人情に優先する事項だったハズである。

先代勇者ローシュの仲間であり恋人でもあったセニカさんは
勇者が殺されるのを止めることが出来ずに生き残ってしまい、過去に飛ぶことにも失敗して、
時の番人なんていうワケの分からない存在になって、
ただただこの悲劇の輪廻を終わらせてくれる本当の勇者の出現をずっと待っている。

そしてそのセニカさんの運命を受け継いだベロニカ(セーニャでも良かった筈だけど)は、
どこまでセニカさんの記憶を引き継いでいたかは分からないけれども、
恐らく様々な面において直感レベルでセニカ時代の記憶の断片をその身に宿していたのでしょう……
命の大樹でウルノーガさんの襲撃を受けた折、
「ここで自分が生き残っても、自分では過去に戻ってミスを取り戻すことは出来ないから、
 いまは自分が倒れてでも勇者を生き残らせなければならない」と、その身を挺した。
勇者ならば過去に還り、自分と、世界を根本から救ってくれることに望みを託して死んでいったに
違いない。

そんなわけで、主人公は個人としてもベロニカの覚悟に応える理由があるし、
先代勇者ローシュの運命を引き継いでいる者としても、
ワケの分からないモノとして最早何もかも思い出せないまま
ただかなしみだけを抱えて生き続けているセニカさん……自分を救ってくれた遠因であるところの
彼女を解放して上げるために、過去には「決然と」跳ぶ理由がある。

跳ぶことに、なんの迷いもあってはイカンハズなのです。
他の仲間に止められたとか、そんなコト言ってる場合じゃなかったハズなの。
けど如何せん、それらのことは終わってから知らされる情報で、
過去へ跳ぶか否か、選択する時点でプレイヤーにはそんな情報が与えられてないから、
動機らしい動機としてはベロニカの件くらいなわけです。
それを除いたら、「なんかゲーム的に続きがあるっぽいから」というくらいしか、ない。

『ドラクエ』の作劇として主人公とプレイヤーは一体で、
主人公に分からないことはプレイヤーにもわからないものとして描かれ、
物語の選択はプレイヤーの選択として作られる。
と同時に、「主人公にしかわからないこと」は「プレイヤーにも自分にしかわからないこと」として
情報が与えられなければならないはずで、今作の主人公にはそういう絶対的な動機があることが、
どこかで伝えられないといけなかったんじゃないだろうか。
「過去に飛ぶ・飛ばない」という選択が迫られるとき、
ベロニカが死の間際に抱えていたであろう覚悟と主人公への信頼を、
「言葉にしないまま直感的にプレイヤーに伝える」ものが必要だったはずだし、
同時に、先代勇者ローシュの無念と待ち人セニカを救わなければならないという
「本人も無自覚だけど、どことはなしに胸に引っかかっている疼き」の様なものを
感じさせたうえで選択をさせないといけなかった筈だ。

無論「ベロニカを救う」という動機はあったけれども、
それに関しては他の仲間たち全員から引き留められるほどであったし、
ベロニカの生死という問題において最も大きなチカラを持つはずのセーニャにすら
引き留められるほどだったから、彼らの全員の気持ちを考えれば、
「今生の主人公個人だけの問題」としては、残ることも妥当な選択だったハズである。
そして何よりも、この時点でベロニカの死は「一つの自然な帰結」でしかなく、
それを覆すことは大きな流れに逆らうこととして映っていた。

けれどもベロニカの死の真相はそうではなく、
「本来そうあるべきではなかった過去」の大きなねじれの先にあったものであった。
その事情を知っていれば、
「ベロニカが死なずに生きている現在」こそが時の流れの正しい姿だとわかるから、
そのねじれを正しに帰ること、即ち主人公が過去に飛ぶ行為は「絶対の必然」である。
仲間の制止を振り切ってでもその判断を下すには、
個人としての思いと、歴史と神話を背負う勇者としての思いの両方が必要だったはずだ。

読み切ってみるとすごく壮大で腑に落ちる悲劇の物語であったから……
その物語の主人公を演じた者の一人として、そこに隙があったコトは大変残念だった……。

救いがあったとすれば……今回の物語で主人公チームのメンバーは大概、
何かをやらかして、間違って、それを取り戻すために時間を犠牲にしてきている。
カミュは、過ちで妹を黄金像にしてしまいそれを置き去りにして逃げて来ているワケだし、
セー・ベロ姉妹は言わずもがな、
ロウは国をひとつ潰して娘夫婦を失っているし、
マルティナは幼い主人公を守り切れなかった負い目と、父に捨てられた
シルビアは……お、なんもねえなこのオッサンは。やるやないか。
……マそういう中で、主人公も、ここで行くか辞めるか選択をし、
辞めることでなんらかの間違いを背負うことになり、
間違って世界に禍根を残したまま役目を終え、物語は次の世代に受け継がれる……
という「痛み」を表現することは出来たかも知れない、ということだろうか。
マそれならそれなりに選択肢とそのためのエンディングはあっても良かったと思うし、
こと『ドラクエ』に至ってそういうケレンは不要だと思うけど。

  しかし大きな動機もないのに最後までこんな大バトルに付き合って、
  且つラストのラストまでひるまずに仲間を鼓舞し続けることの出来るシルビアという人は、
  案外、中でも一番強いハートを持っているのかもしれない。
  騎士道、おそるべし。
  どこぞの紫オールバックとは一味違うぜ。



……。



などと。
過去に飛ぶ前も、飛んですべてを終えた後も、もう一つ釈然としない思いがあったので、
それをまとめてみた。

トータルで振り返ると、
仲間キャラクターが生き生きしていたのが印象深かった。特にグレイグ、シルビア。
次いでベロニカ+セーニャ、ロウ。
カミュ、マルティナは印象薄めだったか。バトルでのパフォーマンスは高いんだけど。
成長要素やバトル面の面白さは、必要十分ではあったけど飛び抜けてはいなかったので、
バトルで個性を発揮する人の印象はちょっと薄まってしまったように思う。
パーティメンバーの中では、ヒト的にはグレイグさんが一番好きだった。
バトル面では、序盤シルビア、中盤ベロニカ、終盤ロウ。
ロウさんが有能すぎて、癒し手としてのセーニャはほとんど出番がなかった。

そんなグレイグさん大好きのオイサンだから、後シナリオでの違和感がことのほか大きかったのです。
元世界における大樹崩壊直後のグレイグさんとの時間があまりに濃密で、
後シナリオではその時間がすっぽり抜け落ちたグレイグさんなので背中を預けられないカンジで
さみしかったのだった。カミュより、グレイグさんの方が相棒感強かった。

プレイし終えてこれ以上やることもそんなにない(クエストや錬金を極めるような気持ちもない)ので、
今は買って手を付けずに置いていた3DS版の『ドラクエⅦ』をやっているのだけれども、
『XI』は、やっぱり操作性が悪かったなと思う。特に町なかの歩きづらさは特筆もので、
正直、あまり町にいたくないと思うほどだった。

フィールドも、狭い。
解放感、広い世界を旅しているんだという感覚が薄かったことは非常に残念。
良くも悪くも箱庭感が強く、
箱庭の外側に繋がる、人には知りえない摂理の無限の連鎖を感じることが出来なかった。
けどそれは……この後に書く宗教観のことと、
『XI』の物語が『ドラゴンクエスト』世界における有史以前の神話の物語だったから
なのではないか(コレも後述)、というところが影響しているように思う。
ゲームの容量が拡大され過ぎて描け過ぎてしまうことや、
大外のことまで辻褄が合っていないと評価されない、
今のライト系コンテンツ世界の風潮の問題だろうと思う。
とりあえずそんな感じ。堀井雄二節は存分に味わえたので良かったです。
 
 
 
……といったところで、ひとつ目の疑問点や不満点についてはオシマイ。
次回、命の大樹が示した『ドラゴンクエスト』の物語のありようとかに続きます。
 
 
 

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2018年3月25日 (日)

■蒼き砂の謝辞 -更新第1109回-

フォロワーさんちのご令嬢が、さらなる高等教育へ進学なさるという。
……早くね?
ツイッターで知り合った頃は、まだ小学生だったハズだが……。

オイサンがまだ利発そうなお子さんだった頃、
……いや、利発そうだったんですよ、このオッサン。
でね、利発そうなお子さんだった頃、
マイペアレンツもご子息の成長をこんな猛スピードで体感しておられたんだろうか?
こんなにすぐ成長しちゃうんだったら、
子どもが物心ついて人語でまともにコミュニケーションをとるようになってから親元離れるまでなんて
ホント一瞬ってことになっちゃうね。
いやービックリ。
子どもの記憶と目線では、結ッ構長いこと世話になっていた気がしたけど。
向こうからしたら、案外そうでもないのだろうか?
親は「あー、子ども、すぐ大きくなって出てっちゃったなー」って思ってるのだろうか。
なーんだ。
ありがたがって損した。 ← そういうんかオマエ。
マ、毎日カオ合わせるのと、よそんちのお子さんの様子をたまに聴くのとでは
体感速度は全然ちがうだろうけどさ。
 
 
にしても早え。
 
 
小学生とユニバーシティって、もうすっかり完全にコドモ⇔オトナだもんね……。
小学生が個人でカバーしてる社会なんかほとんど完全に親の掌の上だろうけど、
ユニーバーシティボーイともなるとすっかり手の内をはみ出して、
イイコトもイケナイことも、自分だけの社会をもっちゃうもの。やることなすこと。
そっかー、たったこれっぽっちの時間で、もうそんなかー。
オイサンも老いるわけだよなー。人生って短いんだなー……
おっとそうだ!
そんなことより(そんなこと呼ばわり)最近ちょっと置いてあった『ときメモ4』でもやるか、
とか言いながらPSVitaを立ち上げて見たら、
プレイ中で置いてあったセーブデータの日付が2016年の8月だった……。
1年半!?
1年半もやってなかったかい!?
すげえな。
イヤイヤそんな、もっと最近、ちょっとプレイしたりしてたでしょ?
なんて言い逃れてみようにも、デジタルの妖精さんは正直&冷酷です。ごまかしがきかない。
1年半つったらオマエ、リアル高校生活でも半分終わってるよ?
そんだけほっとかれたらオマエ、ラブラブだったカノジョの熱もすっかり冷めてるよ。
まゲームのヒロインは根強く待っててくれるわけですが。
ごめんね語堂さん、お待たせしてしまって。
 
▼語堂さん

 
 
そりゃまあ、ゲームを平気で1年半も寝かせとくペースで生きてたら、
ヨソん家の娘さんくらいソッコーで巨大化しますわな。
オイサンはこういうペースで生きてる人なので、
生まれてたかだか30年や40年で親になんかなれませんって。
『ときメモ』でさえ、20年付き合ってようやくいっぱしになった気がする昨今ですもの。
自分、つくづく人間として生きるのに向いてないって思うわ。
社会的にも、時間の流れ的にも。
もっと一個体で、のんーびりと、生きてる生きモンに生まれる筈だったんじゃないのかなあ、ジブン。
オカンがホッキョククジラかなんかと浮気した時に出来た子じゃないだろうか。
などと、
自分の呑気モン気質を母親の異種間不貞疑惑に発展させるけしからん息子さんです、
オイサンです。

ここまでが話のマクラ。
長いよ。
まマクラでもなんでもなくて、こっから先は本題の全然関係ないハナシすんだけどさ。
 
 
 
■青の民族「トゥアレグ族」
 
先々週の日曜だっただろうかテレビで『クレイジージャーニー』って番組を初めて見たのだけど、
アルジェリアの、トゥアレグ族という遊牧民のことをやっていた。
伝統衣装の色から、「青の民族」と呼ばれるらしい。

番組から得られたトゥアレグに関する情報は、

 ・遊牧民である
 ・男が青いターバンにベールを装備している
 ・女性でなく、男が肌を隠す
 ・女系の部族である
 ・戦闘民族である
 ・踊りがうまい
 ・イケメン
 ・ヤギかなんかをさばいて食う

くらい。
番組では、女性写真家さんがトゥアレグの人たちをモデルにした写真を撮るという目的で
アルジェリアに赴き、その目的を果たすまで部族の遊牧に同行して暮らしを体験する、
っていうか、
その写真家はそうした砂漠の人々や暮らしのことに精通してて、
どちらかというとテレビのクルーが色んな事にビックリするんだけど、そんな感じで話は進んでいく。

最後に撮影をする段になると、
トゥアレグの人々はわざわざ隣の集落?部族?から踊りや剣の扱いに長けた若者を招聘して、
踊りを披露した上で撮影に協力してくれる、というサービス精神だった。
その踊りも戦闘民族らしく、殺陣のようなものを含んだ迫力のあるものだった。

撮影の後、彼らは番組のクルーに握手を交わしながら
「遠くから来てくれてありがとう」
「楽しかった」
って言うんだけど、その「楽しかった」が、自分には妙に衝撃だった。
「あ、楽しいんだ?」という驚きがあった。

わざわざ遠くから(来んでもエエのに)写真撮らせて! ってやってこられて、
寝る場所用意してあげて、ゴハン振る舞ってあげて、協力者を呼んできて、
呼びつけられた方も踊りを見せてあげて、そんで「楽しかった」というのは、
コレなかなかの徳の高さだなと思ってしまった。
やらされてるとか、力を貸してあげてるとか、「なんで俺らが?」とか、そういうんじゃないんだね。
マそういう人もいるんだろうけどさ。
そういうんじゃない「面白そう、オレ行きたい!」ってやつを集めたのかもしれないけど。

なんで驚いているのかは自分でも半分くらい分からなかったのだが、
自分にとっては、ヨソから来た人をもてなすことの大部分は負担や義務であって、
喜びや快感もいくらかあるにせよ、それは自発的に楽しめるものでは、きっとないんだろう。
結果的に楽しめることもあるだろうけど、不安の占める割合が、すごく大きい。
もてなすことが上手くいったとしても、
それは「ミッションをやり切った、乗り切った」という感覚であって、
楽しい時間をすごしたという大きな感覚が伴うことはあまりない。

 「失敗しちゃいけない」とか「失礼があっちゃいけない」とか、そういう重圧が大きいから、
 生真面目すぎるというのもあるだろう。

逆にそういうことを「楽しい」と思ってやってるひとがいることを、今回改めて知った感じだ。
そういうのを進んでやる人がいることは知ってたけど、
それはあくまでも「ツラいのが平気」なのだと思っていた。
だがどうやらそうではなく、「そもそもツラくない、楽しい」んだな、と。
だからそういう人たちに「自分はそういうのダメなんだ、ツラいんだ」って言ったって
そりゃ分かってもらえるハズないな、ということも分かった。

  ……あ、辛い辛い書いてますけど、そりゃ相手にだってよりますよ?
  親やら昔からのアホ友だちや、えげつないブッコミをしても笑える人相手は
  全然つらくないけど。

マ砂漠なんかに暮らしていると、
ヨソから来る「友だち」に出会うことなんかはきっと多くないのだろうし、
人と出会い、交わること自体が、ある程度喜ばしいことなのだろう
(相手が自分にとって安全な相手であることは前提だろうけど)。
自分はそういうのないなあ。

そういう「知らない人を快く人をもてなす感情や行為」に、なにか特別な呼び名はあるだろうか。
それはきっと、「どこまでを同族・仲間とみなすか」の視野の広さとか、
「相手の気持ちや背景に思いを馳せ、共感し、慮れるか」の想像力の強さとかに
因る部分もあるんでしょう。

番組では、どっちかというと番組のクルーの方が「戦闘民族」というフレコミにビビっていて、
彼らが舞のために持参してきた剣を見て戦々恐々とした。そりゃそうだろうけど。
個人的には、戦闘民族と言ったら、
サイヤ人(出典:ドラゴンボール)か、島津家(出典:ドリフターズ)だからやっぱ怖い。
 
 ▼サイヤ人
  

 ▼ドリフターズ
 
 
 
 
■Desertは別腹
 
トゥアレグが住むのはサハラ砂漠の西部なのだけど、
捌くといえば、子どもの頃……今でもだけど、砂漠を舞台したお話や作品て、
いつも死ととなり合わせ、過酷で風景もあんまりかわらない、みたいな閉塞したイメージしかなく、
豊かさや広がりを感じられず、あまり「得意」ではなかった。
嫌いなわけじゃなく、その創作の世界で遊ぶことが出来ず、「不得意」。
マリオとかのゲームでも、砂漠ステージは必ずあるけど好きじゃない。
どうしても障害というイメージで、アドバンテージというか、面白み、喜びに繋がらない。
でもきっとそこに暮らす人たちは砂漠ならではの安らぎとか喜びとかを見出して、
ときにはその恵みに感謝することもあると思うので。
ホントになんもないかもしれないけど。
砂漠での暮らしとか、草原での暮らしとかに、どんな恵みや喜びや安らぎがあるかが分かったら、
そこを舞台にした創作物に対しての理解が広がるんだけどな。
死ぬまでに一度は砂漠行ってみたいと思っている。鳥取以外で。
 
 
 
■オマケ
 
砂漠のことを調べていたら「フェザーン」という地名が出てきた。
聞いたことあるなーなんだっけ? と思ったら『銀英伝』だった。
そしてまた、イブン・バットゥータという言葉も出てきた。
コレも聞いたことあるな、なんだっけ??? と思ったら、『ヤマモトヨーコ』だった。

砂漠の喜びや豊かさについて余すところなく著した作品とかってないかしらね?
高校生の頃『聖刻10XX』シリーズ読んで、
やっぱり砂漠が主な舞台の話だったんだけど、
やっぱり埃っぽいばっかりで、嬉しくはなかったなー。
メカとか魔術とか、キャラクター面では好きな作品だったけどね。

 トゥアレグ族 ▼ https://goo.gl/L3HwDX
 フェザーン ▼ https://goo.gl/iAENMw
 イブン・バットゥータ ▼ https://goo.gl/j9SnMa

 
 
 
■Close

で、上で話したどっちの話題とも関係ないけど(ないのか)、
久しぶりにプレイした『ときメモ4』をフィニッシュしたところ、
伝説の樹の下に告白にやってきたのはずっと懇ろにしていた語堂つぐみさんではなく、
隠しヒロインのハルちゃんだったので驚いた。
おおおおお、キミか!

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 Atrdsc_1049
 PSVitaでPSPのゲームプレイしているときはスクリーンショットは撮れないんだな。残念。

どうやら、ラストのホワイトデーでハルちゃんに特別なお返しをしたのが決め手になったっぽい。
いやーびっくりした、語堂さんには悪いことをした……。
ずっと同じ部活、同じ店でバイトしてきて、デートもたくさんしたのになあ。
『ときめきメモリアル』に出会って23年になるが、キミは相変わらず俺を驚かせるなあ。

藤崎詩織さんから初めて告白を受けたのは1996年の3月15日だったけど、
あのときもやっぱり3年目の冬頃から、
それまで仲の良かった清川さんから詩織に心変わりしたのだった。
おかげで清川さんには申し訳なくて、一番好きなヒロインになったんだけど。
Sなのかオレは。
 
 
オイサンでした。
みんな、2次元の女の子にはやさしく、誠意をもって接しような。
生身は知らん。
 
 
 

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