2017年8月 6日 (日)

■長き放浪のシンフォニー~オデッセイに向けて~『ドラクエXI』『マリオ3Dワールド』『サガスカーレットグレイス』の話~ -更新第1140回-

ニンテンドースイッチを買ったものの、まだテレビに繋いでいないし、立ち上げてもいない。
しかしソフトは2本ある。『ゼルダ』と『聖剣コレクション』。
やるなら大きな画面で据え置きプレイしたいのだが、
まだWiiUに心残りがあるから繋ぎかえられないのだった。
今更ながら、WiiUで『スーパーマリオ3Dワールド』をやっているからであった。

 ▼『スーパーマリオ3Dワールド』
 


吾が輩はマリオが好きだ。
マリオが好きだ、ということに気付いたのは、
『マリオ64』を経て『スーパーマリオサンシャイン』をクリアした時だった。
『マリオサンシャイン』の終盤で、
「あれっ、これもう少ししたら終わっちゃうな、終わりたくないなコレ」
と思ったときに、自分のマリオ好きをはっきりと自覚した。
ああ、自分は『ゼルダ』よりもマリオが好きなんだと。

『マリオ』には系統があるらしく、
先に書いた『マリオ64』『マリオサンシャイン』などの「箱庭探索型」の系譜と、
『スーパーマリオBros.U』『マリオ3Dランド』『マリオギャラクシー』などの、
とりあえずコースをクリアしていけば次には進める「コースクリア型」の系譜があって、
吾が輩はどうやら前者の方が好きなようだ。
言われてみれば確かに後者にはあまり手を出していないし、
『マリオギャラクシー』も、1作目はクリアしたが2作目は途中でやめてしまった。

スイッチを買ったのも、『ゼルダ』が面白そうだというのもあったけど、
主目的は、ラインナップされていた『マリオオデッセイ』が目当てだ。
『マリオサンシャイン』以来の箱庭系マリオという位置づけらしいので期待せざるを得ない。

話を現在進行形の『3Dワールド』に戻すが、
一週間に1WORLDくらいの深度で進めている。
サボりさえしなければボリューム的・時間的にそれは全然可能で、随分コンパクトに作ってある印象だ。
数えてないけど、1WORLDにコースは10ないくらいで、
1コースにスターが3つ隠されており、それをいくつかずつは集めて行かないと先に進めなくなる
(コースクリア自体は、スターを取らなくても走り切れればクリアになる)。
土日にちょっとがんばったら、
1コースで星を2つずつ拾っていくくらいのプレイをしても、
その1、2日で1WORLDクリア余裕。
平日に、オシゴトから帰って1時間弱で2、3ステージ遊ぶ、という余裕もあるくらい。
現在WORLD6のラストステージ(城)なので、これまでのマリオの文脈に則るなら
あと2WORLDで終わりであろう。
プレイすると頭が休まる。
オシゴトから帰って、眠いのにちょっと長めにやってしまうくらいである。
子どもか。

WiiUゲームパッド(液晶ついたデカいやつ)ではなく、
Wiiリモコン+ヌンチャクのスタイルでプレイしているが、ちょっと奥行きが把握しづらい。
知らないうちに奥に入っていて転落死する、ということがよくある。
カメラを自分で動かせたらいいのだが、それは出来ない仕様になっている。くそう。
この奥行きの視認しにくさと、それをカバーしえない操作性の安定しなさは、
正直任天堂らしからぬマズさである。すごくデキがいいとはお世辞にも言えぬ。
まヨソが作るものに比べれば、同種のゲームとしてはよっぽど良いのだろうが。

しかしなんというか、各ステージに仕込まれたギミックの豊富さは、
相変わらず舌を巻かざるを得ない発想の豊かさで、
一体この採用されたギミックの陰でどれだけのアイディアが没になっていったのか、
思いを馳せるとめまいがする。
マ中にはちょっと、奇をてらい過ぎというか、派手にまとめ過ぎた物もあったりして
首を傾げることもあるが、
目の覚めるようなものに出会うとすべて帳消しにされる心持がする。

好きなコースは、上の動画の「ワイルドサバンナ」と「キラー列車」。

  


WiiUゲームパッドは、重たいのと充電切れになるのが嫌でWiiリモコンを使ってたけど、
WiiUゲームパッドの方がやりやすいかも知れんな……。
ヌンチャクの3Dスティックがあんまり良くない。
やはり3Dスティックは、元祖ニンテンドウ64のものが一番だ。
押し返してくるフォースフィードバックの強さがちょうどいい。

宮本茂さんは開発の現場からは一歩身を引いている感じで、
実際的な制作・ディレクションなんかは完全に後進に任せているご様子だけれども、
完全に引退されてしまう前に、どうにか1本、
オール宮本茂テイスト、ザ・宮本茂オリエンテッドの『スーパーマリオ』を作ってもらいたい。
『ドラゴンクエスト』、『スターソルジャー』、『ときめきメモリアル』と
自分の人生に記念碑的作品は多々あれど、
なんのかんの言っても、二次元の世界に吾が輩を最も深く呼び込んだのは、
あなたに違いないのだから。


■『ドラゴンクエストXI』

サテ、いま世間でゲームと言ったら……そうだね、『グラブル』だね。
何の略か知らないけど。
……ソシャゲなんでしょ? 知らんけど。
……ケッ!あんなモンゲームじゃねえ! ← あっ

イヤそういうことではなく。
いま世間でゲームと言ったら……そうだね、『スプラトゥーン2』だね。やってないけど。
だからそうではないのです。

『ドラクエXI』の話がしたいのです。
「そういやそろそろ出るな」ぐらいに思っていて、
気付いたらなんの準備もないまま発売日当日になっており、
フラッとヨドバシ行ったら普通に売られていたので買ってきた。
3DS版。
本当は据え置き機で、広い世界とガッツリ向かい合って堪能したいところだけど、
据え置き版はSwitch版まで待とうかという所存です。

 ▼ドラゴンクエストXI OP映像
 


発売日当日に行っても品切れとか大行列とかは全然なく、
まあレジ前が少し並んではいましたけれども、4、5分のことでした。
あと、PS4版を、本体と一緒に買っていく人が結構いて、ああすごいなと思った。
自分もアレになってもよかったのだが。PS4も買わないとなあ。『Rez』がやりたいんよ。

デ、3DS版の『ドラゴンクエストXI』ですよ。
結構ちゃんとやってます。
まだ7時間程度ですが、仲間が出来て、旅への動機が出来て(ツラい動機だけど)、
ようやく話が面白くなってきたな、っていうくらい。

今回の『ドラクエ』、マご存知の方も多い通り、
PS4版と3DS版で、物語は同じでも見た目が全然異なるゲームを作ったという
モノすごい力技仕様。
さらに3DS版では、
SFCほどのクオリティの2Dモードと、DSのゲームくらいのクオリティの3Dモードとが収録されるという
コレまたとんでもないパワー仕様。よく作ったなこんなモン。

発表当時は「上画面で3Dが、下画面で2Dが! なんと同時進行!」
という謳われておって、輪をかけてバケモノじみた仕様であったのが、
確かに序盤はその通りになっていたけれども、
ちょっと先へ進んだらどちらかを選ぶことになったのでちょっと残念。
なんだよオマケ程度じゃねえかよ(そんでも充分すごいが……)。

  ※ただし、教会に行けばモードを切り替えることが出来ます。

自分の携帯機での『ドラクエ』歴は、
クリアしたもので言えば『Ⅳ』以来だが、
諦めてしまった『Ⅸ』や(やり直す気はない)、
途中で止まっている『Ⅵ』(つまり終わらせる気である)、
買っただけで手を付けていない『Ⅶ』(やるかどうかわからないが、『Ⅶ』は何らかの形でもう一回やりたいとは思っている)
などを考えると、そこそこやっている。

 ▼ドラゴンクエストXI 色んな予告編動画
 

『Ⅸ』の操作性があまりに悪かったので、
その質の低さから個人的に「あれはドラクエではなかった」としている(身勝手)が、
つまり3Dで操作する携帯の『ドラクエ』には、まだ良い印象がない。

今回も、3Dの操作性にはモ一つな感じがしており、
3Dモードである程度進めたら、また戻って同じ道のりを2Dで歩く、というやり方をしておる。
時間はかかるが、どうせ吾が輩はちょっと過剰なくらい探索をし、
レベルが上がり過ぎるくらいののプレイスタイルなのでこれでも丁度良い。
どちらかといえば2Dモードの方がお気に入りだが、
さすがに2Dモードをメインに遊んでる人はそんなに多くないのだろうな……と思っていたところ、
ネット上で聞く限りでは2Dモードシンパもそこそこの数いる様で驚いている。
ウム、いいぞ世間。お前ら思ったより話がわかるやないか(えらそう)。

とはいえ、2Dモードは2Dモードで……ナンボ何でも先祖返りしすぎやろ、と思う部分がある。
戦闘シーン、敵がアニメーションしないじゃないの!
SFCの『ドラクエⅥ』ではアニメーションしてただろ!!
PS版やDS版の『Ⅳ』でもしてただろ!! そこはしろよ!
……と思った次第。PS版の『Ⅳ』レベルではアニメしてほしかった……。

  ……しかし俺は、『ドラクエⅣ』だけは、ファミコンでも、PSでも、DSでもやってるんだな。
  イヤ確かに好きだけど。

個人的には、『ドラクエ』にマッチするグラフィックレベルというのは、
PS2版の『Ⅴ』が最高だと思っている。
これは多分、アルテピアッツァさんの仕事が素晴らしいんだと思うけど。
フィールド画面にはもう少し工夫があっても良いかと思うが、
町やダンジョンにおけるスケール感の表現においては、
あれが最も世界の広さを実感できるベストなバランスだったと思う。

  ▼PS2版『ドラゴンクエストⅤ』
  
  この、エルヘブンの町の造形、異界感が最高なのですよ。是非体験してほしい。
  アルテピアッツァさんは最高です。


あと、『ドラクエXI』は、2Dモードだと、文字フォントが妙に細くて……
読みにくいとまではいかないまでも、なんか「落ち着かない」。
字が小さく見えるのだった。老人にはきついかもね。
……とまあ、世紀の名作相手になんとも文句の多いオッサンで恐縮であるが、
久方ぶりの冒険に、胸を躍らせているのでゴザルよ。


 ▼胸躍る、冒険の世界へ


そう、『ドラクエ』は胸が躍るのである。おっぱいぶるんぶるん(違う)。
『ドラクエ』シリーズ作品の発売日が近付くと、
電気屋へ行くとあのオープニングテーマが必ずどこかから聞こえてきて、
ああ、祭りが近いのだなと感じる。今回もそうだった。

オープニングをトバす気にはならないので、ゲーム開始前に必ずあの映像を見ることになる。
子どもの時分は、音楽の方にはそこまで感銘を受けることはなかったのだが
……というか、音楽への感銘は、長い時間を経て染みついた感慨によるところが大きいのだろう、
  当時からあのテーマを聴いて胸を高鳴らせてはいた……
今よりもずっと、まだ見ぬ冒険の世界への期待を大きく膨らませていた。
それは多分、他の新しいゲームに出会った時も(『ドラクエ』に向けるほどではないにせよ)、
同じ心持ちであったろう。

オープニングの映像を見ていて気が付いたのは、

「冒険の世界への胸の高鳴りが昔ほどではなくなったのは、
 自分の人生には、この先こんな冒険のときは訪れないと知っている、
 或いは知っていると思っている、からなのだろうな」

ということだった。
自分はもういいオッサンなので、自分の足が、残された時間でどこまで歩けるかを知っている……
と、思っているというのだ。
だからこの映像を見ても、こんな風景に出会う時間がこの先の人生に待っていない、
この映像世界は、もはや自分のモノではないと思っているから、
トキメキや高鳴りに変わらないのだろう、ということだ。

しかしそれはまた翻って……トシを取ると利口さも増すもので、
今度は「イヤ本当にそうか?」と思い始めてきた。

この世界には、自分の知らんコト・見ていないモノなど、まだまだ山とあるではないか。
ぜんたい、何をもって「自分は自分の世界を知っている」などと思ったのか。
そりゃ世界の有名な風景や現象は、あるコトは知っているし、名前も知っているし、
大体の見た目も知っているし、細かいことも調べれば何となくは出てくる。
しかしそんなモンが知ったうちに入らないことは、これまでの時間でしっかりと学んできたではないか。
その場に赴く行程を経て、自分の足で立たなければドラマは生まれない、
その場所も風景も、自分の物になりはしない。

幼い頃・若い頃には、そこまで遠くに踏み出さなくとも、日々がまだまだ新しく、
少し踏み出すだけで新しい空間があり、出会いも転がっていた。半歩先は未知の世界だった。
今はさすがにそうはいかない。
日常の間合いは広がり切って、踏み越えるための一歩が遠い。
広げに広げたつもりのその先だから、やはりそこはもう自分の領域ではない、
と思ってしまうのも無理はない。
しかしその一歩の先には、やはりまだ知らない幻の大地が広がっていることに変わりはなく、
時間、空間、お金に体力……
見えるようになったのは現実的な限界であって、世界の姿ではなかったのではないか。


Dq11


『ドラゴンクエストXI』のOP映像のワンカット……
海の底らしき神殿で、人魚の女王のような者から、何か輝くものを受け取る主人公のその映像は、
『ドラゴンクエスト』のみならず、ファンタジーRPGの世界ではもはやありきたりなワンカットに過ぎない、
見慣れたものだ。
けれども思ったのです。

  「あーコレさんざん見慣れた画だけど、
   オレまだ実際には、海の底の神殿で女王様から魔法の珠を受け取ったコトないわ」


と。
そんなことが現実には起こらないのは知っている、知っているけれども。
それと似たようなこと、似た気持ちになるデキゴトと舞台、
この現実の世界でそれと引き換えになるようなロマンが、
まだ自分が手を付けていない現実のワールドマップにスタンバイされてない、
なんてことがあるだろうか。

たかが山梨県の山奥にさえ、
       いっぱしの仙女が住まっていたというのにだ。


まあ、またバカなこと言ってるわと思われるだろうし、
自分だってワリと思うけれども。
だってなー。
ピラミッドでさえ見たことないんだもんなー。
子どものころからあれだけネタにし口にしてる、
アフリカ、アマゾン、サハラ砂漠、北極、南極、なんならハワイですら見たことないんだぞ?
それでどうして「自分の世界はここまでだ」なんて思うのか……
笑っちゃうよなー。

あ? 「そんなことよりさっさと童貞を卒業しろ」?
あんだとコノヤロウ馬鹿にしてんのかすみませんでした。



■『サガ・スカーレットグレイス』

さらに厄介なことに。
買ったきり、あまりキチンと手を付けていなかった『サガ・SCARLET GRACE』にも気持ちが乗ってきてしまった。
このゲーム、なぜか予感がして、本編と同時にサントラを購入していたんだけども、
そのサントラが異様に良い。ていうかつまり、音楽がイイ。

伊藤賢太郎氏の音楽は世間での評判は良いモノの、個人的にピンとくることはあんまりなくて
これまで首をかしげていたのだけれども、
今回の、特にタイトル曲『スカーレットグレイス序曲』はもう、たまらなく好きな楽曲である。
ロングバージョンが欲しい。

  ▼スカーレットグレイス序曲
  


まだゲームは序盤も序盤、
買ってすぐに始めはしたものの、正直どう楽しんだらいいか分からなくて
さぐりさぐりで触ってはおったのだけれども、
序盤のバトルを繰り返しやっているうちになんとなく楽しさがつかめてきて、
そこへこの『スカーレットグレイス序曲』である。
お話の全貌なんかまだ何にも見えていないのに、
これから謳われる物語が心に非常に深くしっとりと貼りつき馴染んでくることを、
無理なく予感させるようなそんな旋律なのである。

それは美しく壮大なばかりでなく、ひどく卑近な人の営みを感じさせる、
そんなメロディーだ。素晴らしい。
しっかり最後まで遊んでいきたい。



■Closing



マそんな感じで、エース級のタイトルを同時進行させているわけですけれども。
あな楽しや。

ひと昔……否、90年代後半~2000年代前半頃だから、もうふた昔前か、
そんな頃は、『マリオ』と『ドラクエ』と『ゼルダ』と『FF』の新作が
同年とか一年違いでリリースされるなんて、その年はもうドリームイヤーで、
ああもうどうやって時間とお金をやりくりしよう!! っていう贅沢な身悶えをしたものだけど、
今じゃそれも当たり前みたいになってしまったね。

『ドラクエ』も発売予定日通りにリリースされちゃうし、面白くねえな(何言ってんだ)。
アレでしょうね、制作管理も昔に比べてしっかりしているのでしょうね。
大会社の財政を左右する大事な商品ですものね……オオゲサな時代になっちゃったなあ。

オイサンでした。





 

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2017年7月24日 (月)

■四十路のヨソ行きワル巧み~『有頂天家族2』OP・「成るがまま騒ぐまま」に思う~ -更新第1139回-

前回のついでで、『有頂天家族2』のOPの話を。


▼『有頂天家族2』OP 成るがまま騒ぐまま

ランティスのメンドクサイ枠三傑に数えられる、milktubさん。
あまりよく知らないアーティストさんだけど、マ見るからに……って感じはする。
なお三傑の残り2枠は、景山ヒロノブ、遠藤正明らしい。



ワリと古風な価値観で書かれた歌詞だな、とは素直に思う。
また同様に、物語の中で謳われている、「阿呆」であるとか「波風を立てる」であるとかいう、
複雑で味わい深い、粋、小粋な要素を、必ずしも的確に捉えて書かれている歌ではないように思う。

  ♪ 波風立たない人生は ちょっとばっかりつまらない
   ……
  ♪ 心配ばかりじゃやぼったい いてもたってもいられない


とはこの歌の歌うところで、
まあ個人的に賛成しかねる部分も多分に含んでいることも否めないのだけれども、
「人生に波風が立つ」ことを愛おしく思う部分に、惹かれるものを感じたことも事実。

それは、悪サを奨励するとか、退屈だから要らぬ問題に首を突っ込もうとか、
単純にそういうことだけではなくて(結果的にそういう行為に落ち着くことが大半だろうが)、
前回も書いた、「多様なモノを認めて関わっていく」くらいのことだと思ってもらえると良いと思う。
「多様なモノ」の中には、いまの自分とは違う自分、今まで手を出す余裕のなかった姿の自分も含んでいる。
それを認めると、「波風」は自ずと立つからだ。
踏み出し方や手の触れ方で、立つ波風の大きさは自ずと変わってくるからそこには注意が必要だけど。

自分はそもそも、平穏無事、安定・安寧、大きな安らぎを望むタチなのである。
「うっそだあ」という人もおられるかも知れないが、
自分くらいビビりでヘタレの小心者を、私は知らない。
ただし、ビビりでヘタレなだけで、慎重でも勤勉でもなく面倒くさがりなので諦めは早く、
諦めてしまえばビビることにも適当になっていくから、安寧を求めているようには見えないかも知れない。
あと、リスク計算が雑でザルの目が粗い。
なので、ザルをふるう回数は多く時間もかけるのだが、通過を許す砂利の大きさも大きいので、
やはり危険に対する許容量は大きいように、他人からは見えるかもしれない。
しかし自分としては、自分よりザルを多く、長くふるう人間を、殆ど見たことはない。
ビビりでヘタレであるからして、一個でも通らない石が見つかるとそれ以上の検討はやめて
実行を諦めてしまったりもするから、危険だ、やらないと決めたらもう根っからやらない。
まあそんな、ヘタレなジブンであるからして、
こういうリスクを冒して厄介ごとに首を突っ込んでいくメンタリティに惹かれたこと自体、
自分でも驚いてはいて、
今の自分の状態をなにかしら勘違いしてちょっと調子に乗っているに違いない、
という疑いの目を己自身に向けてみている。

問題は、四十を跨いでどうにか本厄を越えたこのタイミングで
この歌が心に響くようになったことだ。
無難に、とにかく安全に安定的に暮らしてこようと思っていたこれまでの人生を、
どこかものさみしく思う心が「波風」を求めるようになっているのだろうかと思うと、
人心とはかくも現金なものか、
のど元過ぎればナントヤラで、自分から厄介ごとをもとめに行くのかと呆れるばかりである。

  ♪ トラブルすらも燃料さ!

なんていう風にはさすがに思えなくて、厄介ごとなんて無いに越したことはないと思うので、
声高に、この歌を自分のための歌だとは言えない。
自分は、絶対に、失敗も怒られもしたくない人間なのである。
こういうところはこの歌の古風過ぎるところだと思う。

しかしなんというか、
人生というのか、運命というのか宿命なのか分からないけれども、
そういう「人ごときには計り知れない大きな流れの様な、それぞれに対して準備されたもの」は、
ひと一人一人のいろんな表情を引き出すために、
波風の立つタイミングを、いきる道程に用意しているのかも知れないなあ、とか思うワケです。
何か節目を迎えると、考え方が、自分としては変わっていないようでも変わっていたりするのではないかと。
これもまた現金な、ご都合主義的な心持ちだけれども。

生きていると、様々な、転機と呼ぶにも足らないような「心変わり」がやってくる。
それは自分の意志だけによらず、環境によるところが大きい。
その環境、すなわち自分を取り巻くモノゴトというのは、
自らの意志で選び取って身辺に並べたモノと、
そうではなく自分の意志に関わらず、生まれたときから、或いはいつの間にか近くにあったモノとがあるが、
いずれにせよ自分という人生の一部ではあるワケで、
この「波風を立てる」という行いの全貌は、
それらが連れ来る変化に如何に真摯にかかわっていくか、というハナシなのだと思う。

  それらの最たるものが、血というか、家というか、親とか家族とか、
  生まれ落ちたときに必ず付きまとう者たちだっていうのが本編では描かれてたと思う。

自分にとっての、最も身近に取り巻くものが何であれ、
それに抗わず従うことが潔いと思う心もあれば、
抗って、今までの自分を守ろうと思う心もまた同じくらい潔い、堂々たる態度であるとも思う。
どっちもアリでしかないのだね、こういうことは。だから歴史があるのであろう。

まあ自分の場合、アタマは固いし人付き合いも好きじゃない、
オマケに多様性に出会っても、さっさと諦めて引いた線の向こう側に隔離してしまうから、
せっかく立った波風に、上手に自分の人生を変えてもらうことは出来ないんだけど。

そんな解釈をして聴いているものだから、歌の最後の

  ♪ いつでも波風立てるよ ズンズン立てるよ
  ♪ いつでも平和を乱すよ ガンガン乱すよ


という歌詞が、ちょっと直接的過ぎて味わいを欠く、
野暮ったく、ドライに過ぎるな、と感じている。面白がってやっているきらいが強すぎる。
それと反して、

  ♪ 大事なものさえ変わらなきゃ 寝ても覚めてもゆかいなり!

の部分のウェットさはとても好きなので、個人的には色々とアンバランスなお歌である。

  ♪ なるがままに騒ぐままに 悪だくみならおまかせだ

そう、悪だくみ。
無論、単にいたずらや、ひとに悪い影響を与えるための企みではない。
自分さえも騙して逃げみちをふさぐ、そんな腹を決めるための装置でもあるだろう、とオイサンは考える。
ニヒヒと歪めた唇の端で、
しまいには自分と人とを愉快な気持ちにさせる、
そんな人生を……この先も送ることが出来ればと、この歌を聴いて願うばかりの42歳である。

ところで悪巧みといえば、四十余年にわたるオイサンの人生の中でも
1、2を争う大きな影響を被った作品、『アマガミ』の正ヒロイン・絢辻さんも、悪だくみが好きな人だった。
こんなシーンがある。
廊下でなにやら、いつもの表情でもの思う絢辻さんに出くわすのである。

  主人公「絢辻さん、何を考えてるの?」
  絢 辻「悪だくみ」
  主人公「ええ!?」

これだけ(続きはあったはずだが、しれっと終わったはずだ)のシーンなのだが。
この先にどんな結末が待ってたっけか。
こう言ったいった後の、彼女のすっきりした立ち絵の微笑みは、
今もなお色褪せないことである。



オイサンでした。


 

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2017年7月23日 (日)

■酷評するカド~2017年春・4月期アニメの感想~ -更新第1138回-

もうすっかり夏・7月期のアニメも始まってしまいましたが、
前期の春・4月期アニメの感想を簡単にまとめておこう。

全体的な雰囲気として、この期は総じて小粒だった印象。
とにかくアレは毎週固定して見ようと思うほどの物はなかったし、途中脱落率が高かった。
期の初めにとりあえずチェックに入れたのは、
大体普段と同じ12、3本あったと思うけど、残ったのは3本だけ。
中でも印象に残っているのだけ、とりあえず気持ちをメモしておく。



■『ID-0』
『スクライド』『アクティヴレイド』の谷口悟郎監督。
人の意識をロボットのカラダに転送するMT(マインドトランス)システムが確立された
人類宇宙拡散時代のお話で、
12、3話というサイズに収まるよう、きれいにパッケージングされたお話だったと思う。

その分こぢんまりというか、枠が意識され過ぎて壮大さが感じられなかった。
宇宙を駆け巡るお話なのに、閉塞感ばかりが鼻についた……のだが、
マ基本追われる者の話だし、宇宙での暮らしなんでそんなもんかも知れぬ。
それはそれで、ある程度宇宙時代が近付いた現代としては、リアリティのある話なのかもしれない。
MT技術によって肉体や記憶を失ってなお生き続ける人たちのドラマなので、
意識が内へ内へと向いていく、そこは対比なのかもしれないけど、カタルシスが薄かった。
もっともっと能天気に「うおおおおおお宇宙ヤベエw!」ってなる部分があっても良かったかなー。
『アクティヴレイド』みたいに突き抜けても良かったと思います。
今回は、監督、バカじゃなくお利口に徹した感じ。
綺麗にまとまりはしたけど、飛び抜けた印象は得られなかった、そんな残念さがある。
時代性には大変富んでいたけど、もう少し強いインパクトが欲しかった。
今期の中では面白くはあったけれども、ずっと残っていく感じではないです。
ミクリマヤちゃんが地味にカワイイ。
ビジュアルショックは十分。
OPについてはセンスが最高に良く、今期のベスト。
EDの影山ヒロノブの英語ソングが「巻き舌で気持ち悪い」という意見は何度か見かけたが、
世代的には、スペオペものに影山ヒロノブのバラードEDときたら、
『宇宙船サジタリウス』の「夢光年」が想起されるので(そして恐らくその効果は狙われていると思われる)、
ほぼ無条件のノータイム反射で肯定されてしまうのだった。

▼夢光年




■『有頂天家族2』
1期同様、面白さは群を抜いていた。
ここが面白い、こうだから面白い、と言語化することが非常に難しい、という、
面白さの質としては『この世界の片隅に』と似たところのある作品。

第1期の頃からすでに好きで、面白い、と思っていたのだけども、
世間的にはそれほど評判が芳しかった様にも思えず(DVDの売り上げを見ても……)、
それなのに第2期が動いたのは、発表時、正直ビックリした。
自分も怠慢なもので、面白いと思いながらもそれを殆ど表には出せず、
表に出せるほど自分の感情の分析や言語化もしないまま、1期は終わりを迎えてしまったのだった。

ただ、心の底とか心の天井とか壁面とかにもっちゃりと柔らかく張り付いた
ピンク色の感情の塊は間違いなく「面白いと思っている」部類に属するもので、それは今も変わらない。
今も変わらない、1期からそうだったと思うのは、2期を見始めて確かめることが出来た。
どういうところが、どういう風に自分に面白いのかを以前に比べれば説明できる感じではある。

  それが自分の進歩なのかと言われたら、……正直、素直にYESとは言えない。
  なんかこう、明確な言葉や数値でしか伝達や記録が出来ないことは、
  美点・美徳・有用な能力とは言い難い、と、最近とみに感じるところがあるからだ
  ――勿論、それをすることが悪であったり、何かに比べて劣っている、
    出来ることが出来ない事より劣っているなどというおかしなことを言うつもりはない――
  マそれは今はいいや。閑話休題。

「家」とか「血」とか「名誉」とか「心意気」とか「粋」とか「野暮」とか、
今の日本が猛スピードで失っている「古き良きもの」に重きを置いて扱いつつ傍らで小バカにもしている、
小バカにすることで大切に思わせ、後生大事にしてみせることで小バカにもする、
という、非常に微妙なシーソーの上で右左するようなバランスのとり方、
遊び方、楽しみ方を見せてくれる作品です。
まさに「阿呆となりて波風を立てる」「面白きことは善きことなり」に恥じないスタンス。

……と書くとまた誤解を生みそうですが、
主題歌の『なるがまま、騒ぐがまま』で歌われるような、
単純に「悪ふざけをして世間を騒がせる、平和を乱す」ということを良しとする話では、
決してないな、と感じております。
ここでいう「波風を立てる」というのは、よりかみ砕いて言えば
多様性を認めて持ち込んだ上で、極端にバランスを取る、ということにきわめて近いと思われる。

  (……などと、言葉で詳らかにしていこうというのは野暮以外の何物でもないのだけど)

その多様性が、たとえ自分という個体や、世間の許容を上回る・相反するものでも、
キャパオーバー上等! の広い度量でやっていこうじゃないか、ということだと思うのですね。
キャパというのはオーバーしてナンボ、
それで初めて世間が広がっていくんだよ、という気分の持ちようであるように解釈した。
マその結果、あっちが擦れ、こっちが欠けするんだけども。

物語の構成要素としては、
要素の一つ一つが必ずしもまっすぐな辺や面のある形をしておらず、
円や楕円や球で出来ていたように感じる。

近年の物語づくりにおいては、物語のパーツは四角四面で隙間なく敷き詰められ、
要素と要素は独立していて互いに干渉し合わないようになっているものが多いように思う。
それゆえ整合性はキレイにはまるが、行間や、重複することに因る滲みが生まれにくく、
スッキリはしているけど考えたり解釈したりする余地がない。
本作ではそれらのパーツが円や楕円だものだから、
敷き詰めたところで隙間は出来るわ、重なり合って干渉するわ、
しかも色違いで重なったところは変な色になったりしている。
でも全体としてみると、大変好ましい模様になっている……そんなつくりであるように思う。
重要な「一貫性」は全体像で示されている。

あの、本当に面白いですよ、この作品は。
「目の前で手をワキワキくすぐる動きを見せられるとなんだかくすぐったい気持ちがしてくる」
というような現象を、心に対してずーっとやってくる、そんな感触のある作品です。
他ではなかなかない。



■『アリスと蔵六』
OPが好きでした。
『ふらいんぐうぃっち』の桜美かつしカントクですが、
この人はOPでキャラにクラップさせるのが好きなんですかねw 楽しげで良いですけど。

お話の方は……イマイチ。フツー。
蔵六のキャラクターが良かったのと、
ヒロインとタッグを組む相方がイケメンやもう一人の美少女とかでなくがんこじじいになった
というくらいで、あとはフツー。
「人の形と精神機能を持った人間ではないものが、人間の心などのあり方にふれて
 人間らしさを獲得していく」
という図式は特に目新しい物ではなかったし、敵方のキャラクターやその哲学・精神性、
異能の力やバトル表現などにも大きな驚きはなかった。
こぢんまりと手堅くまとまっていた感じ。
目の覚めるような鮮やかさは感じられなかったなあ。
ときどき、蔵六の古めかしいけれども的を射た説教が心に響いた、というくらい。
これで、どちらかというと蔵六の方にも大きな変革がもたらされるようなことがあれば
すごい物・面白い、新鮮なものに出来るな、と見ていて思った。
けど多分、このお話、最後の最後は蔵六はフツーに幸せに死んで、
蔵六の人間臭すぎる人間の部分を、それを「学んで」得た人間ではないサナが引き継いで生きる、
みたいな終わり方をするではなかろうかな、と予測する。
まあサナは設定上人間ではないとはいえ、外見えはただの可愛いスーパー超能力女子でしかないので、
あんまり意味はないですね。
色々と、商業上の理由で味付けを失敗している作品だなと思った。



■『正解するカド』
いやあ……惜しかった。大変惜しかった。
なぜあそこまでイイ感じで運んで来ておきながら、
突然私が神だそうはさせるか私は人間を愛しているバトルモノにしてしまったんだろう……。
まるで、最後で必ず一回徳井が狂うチュートリアルの漫才みたいじゃないか。
そこまでのもの凄く面白い、問い立てと葛藤のくだりが主題だ! と思わせておいて、
全然しょうもないありきたりな展開の方が本体でした! っていうのは一体、
どんなサディストもしくはマゾヒストの展開なのか。
いやあー……しょうもなかった。
考えうる一番しょうもない方向に舵を切って終わらせるという、
ある意味で大英断、逆ウルトラCを決めた感じだった。
内村航平が演技のシメに逆上がりをするとか、そんな感じ。ビックリするわ。
そしてあの終わり方をさせるにしても、人類に残される一番の課題は

「自分たち人間が(のみならず自分たちの住まう宇宙という世界全体が)
 神などよりも自分たちにより近しい、意志ある者によって、
 なんらかの目的を持って、手段・道具として生み出されたモノであることが
 明らかになってしまった」

ことだと思うのだけど、そんなこと全然扱われずにスッと終わっちゃったのも、
より大きなショックでした。
まザシュニナさんの言ったことも、証拠が提示されたワケでも何でもないので事実かどうかはわからないが。
だって……ねえ?
「人はどこからきてどこへ行き、何のために生きるのか」
という重大な問題に、
よそからきた寺島拓馬によってペロッと解答が示されちゃったんだもの。
それこそ、人類全体の、この先どう生きるのかということにかかわる
大事件だと思うんだけど。
まあその辺の事実は、真道さんにのみ語られて他の人類には伝えられなかったのかな……。
重たすぎるもんな……。

こういう『PSYCHO+』みたいな、何が起こるか分からないお話、
面白く、美しく、価値のある終わり方をさせるのは難しいと思うけど、
せっかく面白いことを面白く描くチャンスをえたのだからしっかりと活かしてもらいたいと、
切に願う次第。

……アレだね。
自らが面白いと思えるものの面白さを極大化して描くことに成功して経済的にも成功を見せることで、
その面白さにフォロワーが生まれて時代の潮流を作ることが出来る、
つまり、自分の信じた面白さによって時代の思想や展望の方向性に影響を与えることが出来るというのは
ものすごい快感であると思うのだけども。
この作品は、その一つのチャンスを持っていたと思うのに……。
その難しさに、正しい解を示してもらいたかった。
お前が不正解でどうする。



■『フレームアームズ・ガール』
「アーム」の方に複数形のsが付くのか、
それとも「ガール」の方に付くのかしょっちゅう分からなくなることでお馴染みの本作
(馴染むそんなモン)。

えー、正直申しますと、本編は2話と3話、あとなんか前半の一話くらい……? を、
チラッチラッと見ただけなので、お話の中身のことはお話し出来ません。
しいて言うなら、あすみんの出てた似たようなお人形さんアニメとヨソのなんかを足したみたいなアレだな、
と思ったくらいです。

ここで取り上げたいのは……OPのお歌。
今をときめく超人気声優であるところの、ソンセンナシコロモさんこと、村川梨衣さんの歌う
「Tiny Tiny」の方であります。
……えー、こっから先、全然ホメないので、それを読んで腹が立つ人は……マいいや。
好きにすればいいよ。

なんていうか、こう……
「フレッシュな人が、こんな古臭いありきたりな歌を、なんのひねりもなく歌ってて……大丈夫か?!」
という……ゴメンなさいね、大変失礼な怒りと驚きがフツフツとこみ上げてきたという……。
そう、心配になりつつ腹が立って、端的に言うと、この歌をキライになったんです。
こんなコト初めてかも知れない。
「あー、この歌嫌いだわー」って思ってしまった。
結構……5、6回は繰り返し聞きましたけど、「あー、うーん……やっぱなー」と。

コレをですね、GLAYさんが歌っておられたら、別にビックリもしないんですよ、多分。
「ああ、伝統芸能ね」って思うから。「さすがだ!」ってなモンですよ。
こんなオールドファッション通り越して、マンネリな思いをストレートに歌にして臆面もない、
ベテランの味だ! って感心するくらい。すごかったですもん、『クロムクロ』のOPとか。
「これかよ!!」って思ったもんね。
すごかった。

  見ました? 『クロムクロ』。見た方がイイよ、面白いから。
  イヤ中身は本当に面白いですよ、特に17、8話以降辺りから(遅いな)。
  閑話休題。

▼クロムクロ OP



でも、ホレ、今回はそんな大ベテランじゃなくて若いコちゃんがせっかく歌うんだから、
もうちょっとお化粧させてやんなさいよ、オシャレさせてやんなさいよ! って思うのよ。
まっすぐ過ぎるし、まるで痩せぎすの足軽が、Tシャツ一枚で野っ原に立ってるようじゃないか。

まっすぐな所がイイとか、そういう問題ではない。
棒切れ一本で万の軍勢と戦えるのは、それは宮本武蔵だからですよ。
剣道を始めて間もないお嬢さんが、
「そうか、剣を振るってこういう事か、突き詰めればこうなっていくはずだ!」
っていう事にいくら気が付いたからと言って、いま棒っ子一本で敵陣に突っ込んだら死ぬわけです。
敵に辿り着く前に、弓に射られてハチの巣です。
ハチの巣にしてもらえるならまだいい、一矢目で首を射貫かれておしまいですよ。
剣を振って振って振り続けて、型を身に付けて、実践も経験して、
棒を握る手の方に血も汗も返り血も全部しみ込んで、ようやくその棒は戦うための武器になるんです。

それを……なんだね君たちは。
年端も行かない娘に棒一本持たせて達人だと持て囃して。
地力はあるのだろうと思うから、ナンボかは戦えましょうよ。
刀を打つ時間や惜しかったのか、なかったのか。
鎧を設える手間やお金がなかったのか、知りませんけれども。

まあ……ねえ。
ムラカワさんも27才ですか、
多分この歌の歌詞みたいなことに実感を持って気付き始める頃で、
それをまっすぐなことばで歌いたい歌わせたいって気持ちもワカランでもないけど。
……うーん……。
なんていうか、「保(も)ってない」。
その気持ちでは、歌と、歌い手自身とが、保(も)ってないですよ。
気持ちは分かるし疑うわけではない、けど、コンテンツとして支え切れていない、
支え切れるだけの武装が出来てない……そんな風に感じました。

本当に個人的な感想でしかないんですけど、
それを作品として聴かされて、大層イヤな気持ちになる、という……
自分の歴史の中でも珍しい体験をしたので……書き留めたまで。
ムラカワさん個人には何の問題も罪もない話。
曲調自体は決して嫌いじゃないし、ムラカワさんの声も全然だめじゃないし、
なんならムラカワさん自身のことは好きだし、
歌い方だって全然ヘタじゃない、むしろうまいと思うくらい。
気持ちに疑いがあるわけでもないにょ。
気持ちを支えて実感を生み出すだけの、しみこんだ時間が足りない、ということでした。
この曲がOPでなければ、本編ももう少しは見たかも知れない。



■『武装少女マキャヴェリズム』
「いいクソアニメがない!!」
……とTwitterで叫んでたら複数人に勧められたという、なんとなく気の毒な作品。

  あ、クソアニメとしてじゃなく、
  フツーに楽しんでいる人たちもTLに散見されましたですよ(当たり前だ)。

デ実際のところどうだったかと言えば、クソアニメではなかった。
そして、個人的には特に面白いとももなかった。

ハナから、ヘタウマであることや、ユルいこと・脱力ものであること、バカアニメとかを標榜して
狙って作られるものは、クソアニメになりえないのですよ、まずは。
『手さぐれ!』とか『てーきゅう』とかですね。
こういうのは、別にクソアニメじゃない。ただの「そういうコンセプトの作品」です。
それらが面白いか面白くないかは、別な部分に依るでしょう。
そして『マキャヴェリズム』はそこには分類されない。
とても真面目な方向に向けて、しっかりと作られておりますからね。

クソアニメというのは、
『スクールガールストライカーズ』とか『絶対防衛レヴィアタン』とか
『インフィニットストラトス』とかのような……
頭が良くて器用でもある、力のある人が、
色んなオトナの言う事をきいて四方にいい顔をしつつ、潤沢な資金をしっかり活用して作ったら、

  「……アレ? おかしいな。
   新しい工夫や野心を盛り込んだ、力の入った作品にしようとしていたつもりなのに
   左手の手クセだけで書いたみたいな要素しか残らなかったぞ?」

みたいな作品のことを言います。
……言うんだと思います、多分。
オイサンの中では、今のところそれが近いです。

なんかその、『マキャヴェリズム』というこの作品、
理屈をつけて自分の考えた面白さの正当性を解こうと一生懸命努力しているこの作品もまた、
クソアニメではなかったです。

大体このアニメ、あんまり絵に動きも説得力も見出し難く、
言葉で色々説明するので紙芝居見てる感覚に近かった気がする。
あんなに言葉で説明しなければならないのだったら、いっそ紙芝居にしてしまえば斬新だったかもしれない。
原作はマンガなのかラノベなのか把握してないけど、どうやってるんだろ。
もう少しバカっぽく、イキオイに任せても良いのではないか。

▼OP曲 Shocking Blue

カッコイイ曲。



■『サクラダリセット』
カントクが、『のんのんびより』川面監督だったので見てみたけど、やっぱりダメだった。
話がーとか、ドラマがーとかじゃなく、ご都合異能ミステリーだったので、
単純に肌に合わなかった、ということです。
ハルキ花澤は可愛かったので、もっと見ていたかった。
「赤いチェックのミニスカート」のくだりのハルキがとてもかわいかったので見てみたけど……
アカンかった。
インターミッション的なハルキさん日常回が個人的神回でした。



■『サクラクエスト』
2クール目に突入したのでびっくりしている。
1クール目前半はどうすんだコレと思って見ていたが、中盤以降、ちょっとマシに。
こういったらなんだけど、PAworksが新人研修向けに、
「PAWorksとはこういうものだ、やってみろ!」って作らせた、みたいな話に見えていたけど、
2クール目に入って、急に真面目に、村おこし・町おこし、地方の抱える問題みたいなところに
真面目にフォーカスし始めて、説教臭さはあるけど面白くはなってきた。
相変わらずのスロースターターぶりである。
悪いことではないのだけど、もっとこう……満遍なく散らすというか、
都合よく前から整理してお話を並べるのではなくて、不規則に配置することは出来ないものだろうか。
あと『グラスリップ』のBOXを早く出して下さい(関係ないだろ)。



……。



大体こんな感じだろうか。
7月クールも始まって一か月近く経とうとしてる中で前期アニメの感想書くのもナンだけども。
あと、『有頂天家族2』のOPについては
個人的な気分も含めて書き残したいことがあるので別記事で続けて書こうと思う。
オイサンでした。


 

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2017年7月13日 (木)

■おなかにTポイントカードがいます。 -更新第1137回-

先日、父の日の贈り物を求めに、
某有名デパートの某有名国産タオルブランドの店で買い物をした時のことである。
品物を選び、実家へ送るための伝票も書き終えてさあお会計となった段で、

  店員さん「某有名デパートカードをお持ちですか?」
  オイサン「いえ、持ってないです」
  店員さん「当店のポイントカードはお持ちでないですか?」
  オイサン「ないっす」
  店員さん「Tポインt……」
  オイサン「我不所持」


うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!
面倒くさい!!
色々提携とか導入とかし過ぎだろ!
一個にしろ!!
一個に!
一個にしろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!

カルチュア・コンビニエンス・クラブは悪い文明!!
滅ぼせええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!

お前はなんだ! アレか! 全部持ってたら全部にポイントが付くのか!
そのうち100円のお買い物で5000兆円相当のポイントが付加されることによって
実体に比してうつろな情報的質量が過大に発生することで
情報重力に偏重が生じて情報空間に情報的特異点、すなわち情報のブラックホールが発生するぞ逃げろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ間に合わない!もうダメだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!


……ということで、カードについて聞くのは、
一店舗あたり一回にするか、
もう貼り紙しといて客が自分から言ってこなかったらガン無視でいいと思います鬱陶し過ぎる。
そしたら後から文句言ってくる客がーとか言うんでしょ分かってるようるせえバーカ。
そんなポイントカードくそ虫は客じゃなくて人間でもなくてポイントカードの奴隷だから
5000兆ポイントくらいくれてやれ。
そんで5000兆の5000兆倍のポイントで情報的ブラックホール一つと交換してやれ。

そして店員さんはオイサンがあまりにポイントカードに興味がないモンだから、
最後には恐る恐る


  店員さん「あの、いまお買い上げいただいた方には
         こういうクリアファイルを差し上げてるんですが……
         要らない……です……よね?」



Dsc_0786


なにおう、貴様ッ!!?
コレだけ言ってもまだわからんのかッ!!
可愛いじゃないかもらうに決まってるだろ!!!

オイサンでした。
あ、ホットマンのタオルはとても使いやすくていいです。






 

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2017年7月 9日 (日)

■ボギー、調子はどうだい?~映画『勝手にしやがれ』を見る~はじめてのゴダール~ -更新第1134回-

土曜日、本厚木で映画を見てきた。
ジャン・リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』。
1960年の古い映画です。


▼勝手にしやがれ



本厚木の小さな単館でリバイバることをたまたま知り、
『押井言論』の中で押井監督が何度もゴダールの名前を出していたので、
勉強のために見ておくかと思った。ゴダールの名前くらいは知っておったし。
小島監督の話にもしょっちゅう出てくるし。

この作品は、ゴダールのヌーベルバーグの旗手たる地位を確固にした作品で、
つまるところ、当時としては斬新な手法をふんだんに盛り込んで撮られた映画だということだ。
自分は映画小僧でもなんでもない年に何本も見ないマンなので、
そんな歴史的なコトを言われてもふーんってなものだが。
その斬新さを体感するためには、これ以前のさらに古い映画を何本か見ないとならないだろう。
が、前知識を入れておいて、大体なにが新しさなのかを探しながら見ていた。

映画の細かいことはwikipediaでも見てもらえばいいとして、
その新しい手法は、実行するのが特段難しいものでも、思いつき難いものでもないように見えるのだが、
ゴダール以前の映画人たちがどうして思いつかず、取り入れられなかったのかということが
目下の興味だ。

  マそれを知るには、今度は、
  当時の映画の文化的な位置などについて勉強せねばならないだろうけども。
  その辺は知ったところで何かに使えるとも思えないからあんまりやる気はない。

映画の内容自体は分かる部分と分からない部分が半々くらい。
このテの映画になると、こめられるのはメッセージなどという生易しいものではなく、
作り手自身の思想や哲学、人生観、
言うなればエゴ全般が鉛の立方体みたいに非常に不親切にゴトンと置かれてるだけみたいなもんで、
いちいち読み解くなどというまだるっこしいことをしなくても、
何となくは心に染み入ったり、割り込んだり、時にはそれで頭蓋骨をカチ割って
脳みそに置き換わろうとしたり、してくる。
なんともエゴエゴしい、ドヤ感とかいう騒ぎではない「こんにちわ、僕です!」感に満ちている。
腹は減らなかったが歩き方が変わる、くらいのものだった。
十分に面白かった。

一個の作品として、面白いな、と思ったのは、
主人公がどういう人となり(年齢・職業・出自など)なのかがサッパリ分からないまま、
現在地を起点にある時間までのことがトクトクと語られるところだった。
なるほどこういうのもアリなのだな(それは多分新しい手法でも何でもない部分だが)、と
楽しんで見られた。
映画というのは自由なもんだな、と思ったが、
書き物でも多分同じことが起こっているし、やってもいいんだとは思う。
マ都合の良いところだけをうまいこと使えればいい。
要は思い切りだ。
短編を描くときには良いように思う。
ただ自分がやろうと思ったら、
「その前も後も書いた上で真ん中だけ抜いてくる」みたいなことをしないと自分が不安になりそうだ。

音楽は少しうるさメだったが、画面が白黒だったこともあって穏やかに見られた。
主人公が、警官を殺して自分が追われていることも知りながらパリの町でのうのうと暮らし続け、
しかも人を騙したり、車を次々に盗んだりという悪事を繰り返す様子は、
先ずリアリティとしては理解しがたいのだけど、
それとて、舞台である当時のパリの風俗を知らねば到底リアリティなどは語れない。

あとあと気付いたんだが、
この作品は、まだテレビが無いか、一般に普及していない時代の話なのだな。
広報・ニュースの配信手段が、ラジオ、新聞、
街頭のメッセージネオン(アレなんて言うんだっけ……)しか登場していなかった……と思う。
テレビとネットと携帯電話はおろか、
なんなら固定電話だってそうそう自由には使い難いくらいの世相であるようだ。
情報伝達の、即時性も拡散性、秘匿性が現在とは次元が2つ3つ違っていることに気付くのに
かなり時間がかかった。
しかしなるほど、となれば、犯罪者が街に潜むことなどまだまだたやすく、
主人公がそうしていたように、多くの犯罪者は町なかを大手を振って歩いていたのかもしれない。
情報伝達の質によって生じる意識の違いたるや、どうやら想像を絶する差であるようだ。
会ったこともない人は自分のことを知らず、
自分も自分の目に見える範囲のことしか知りえない世界というのは、
正直、自分でもかなり想像しがたくなっている。

そうした情報の即時伝達拡散性の高い・低いによって、
社会の常識やありよう、認識がこうも変わってくるのか!
……ということが、一番の驚きと発見であったように思う。
作品の本質と全然関係ないところで感動してるんじゃない。

作品そのものの話に戻るが、
確かに今の映画でもあまりお見かけしないような手法、
たとえば映像がジャンプしてしまうような編集の仕方であるとか、
役者が完全にカメラ目線でカメラに向かって独白するであるとかも確かに見受けられた。
そういうエキセントリックな場面に行き当たるとハッとしはするのだが、
これらがまるで無かった時代に、評価されたことがすごいなと思う。
監督の死後にとか、一部に評価されたとかでなく、
リアルタイムで公に賞を与えられるほど受け入れられ、評価されたことがすごいなと思うし、
ということは、
新しいものが出てきたことを多くの関係者が喜んだのであって、
進取気鋭の風が業界全体に吹いていた土壌や風潮があったのであろう。
そのことが素晴らしいと思う。

  しかしまた、それならなぜ、コレをやる人が、先に、他に出て来てなかったんだろう???

「実験的な作品として、
 一部ではもてはやされ喜ばれるものの、大多数である伝統派・保守派から邪道・異端扱いされ、
 のちにフォロワーが増え、監督の死後とかに「思えばあの作品が歴史の転換点だった」
 みたいな形で評価される」
というのが、お定まりの……そして自然なパターンだと思ったのだが。

公開直後から名誉ある賞を取り、ヌーベルバーグの旗印とされるほどだった、と聞くと……
当時の映画界の皆さんは、従来の映画に退屈していたのではなかろうか、
という邪推が働いてしまう。


■心情・心象的な感想

話が、技術や歴史的な方向にばかり向いてしまった。

とまあ、以上のようなエキセントリックな面や歴史的な意味での隔絶もあるので、
なんの摩擦もなくすっと映画の世界に入り込むことは出来なかったのだけど、
半世紀以上も前の映画であるにも関わらず、
最後には気分よく、すこし歩き方が変わってしまう程に映画の世界に入り込んでしまった。

当時の……なのかどうかは、コレまた歴史の話なのでワカランけども……
破滅的な男の美学というのか、これもまたペーソスなのか、
男性の根源的なかなしみの如きものが、
上澄みの方は透明感にあふれてスタイリッシュに、
底の方にはズクズクと深い緑色をしてたまっていて、
最後には知らず知らずのうちにその入り口までは連れてこられてしまう、という出来上がりに感嘆。

そのスタイリッシュなことに徐々に惹かれていき、
撮り手の厚いエゴにも触れ、
最後にはかなしみの澱に飲まれる。
軽薄であるが故に渡れるはずだった比重の重い沼を、
やがて自分の比重が上回っていたことに気付かず、沈み込んでいくような感覚。

あの沢田”ザ・スタイリッシュ”研二が
「男がピカピカの気障でいられた」とその時代への憧れを歌ったほどの時代の話である。
そうあるためには、携帯電話やテレビを消し去ることが必要になってくるのだろう。
悪が気安く町に暮らせるような時代であることが、そのための一つの条件であったように思う。
それを超えてしまって人々すべてが同じ情報基盤の上で広くモノゴトを同時的に共有できるようになると、
オスが個としての居場所と心を失い、
メスと卵のために働くだけの存在なるのは、きっとアリや蜂の世界と同じなのであろう。
人間はボチボチ、ようやく、蜂やアリの社会に追いつこうとしているのかも知れない。
これから先は、文字や言葉も必要としない、
分泌物と社会的ニューロンによる伝達の世界が始まるのではないだろうか。


▼沢田研二 勝手にしやがれ



▼沢田研二 カサブランカダンディ

「ボギー、あんたの時代は良かった」という歌詞が出てくるのはこっち。


悪事を働く男がカッコいいとか、だらしのないことが男の本懐であるとか、
そういう浅い部分の話ではなくて、
生き物社会の仕組みとして、男性はいくらか自由であることが望ましいとされている
(そうして「渡り歩く」ことが多様性を生んだり繁殖的に効率がよかったりする)反面、
社会からは自由を抑圧されたり制約されることを求められる、
そんな狭間で押しつぶされたり綱引きしたり、なんでしなきゃなんないんだ、
どっちかに決めてくれよ! っていうね、悲しい叫びみたいなことですよ。

そんな人生をどう納得して閉じていくのか……
そのテーマはきっと、昔よりも難しくなっているんではないですかね。
わかんねえけど。

しかしどうなんだろ、これを撮った当時、ゴダールは20代後半だったというけど、
その年でそういうかなしみに、実感を以て向き合っておられたものだろうか?
マ当時の三十路は、今よりは大人だったかもな……。


■余談~Closing

ゴダールの名前に引っかかったのは、実は最近また『押井言論』を読み返していて、
その中で何度も名前の出てくるヴィム・ヴェンダース監督のことも頭にあったからだった。

で、ヴェンダースについて調べてたら、
奇しくも堀江敏幸センセイの短編『アメリカの晩餐』で引かれていた『アメリカの友人』も、
そういえばヴェンダースによって映画化されていたんだっけと思い出す。
『パリ、テキサス』と一緒に見てみようと思う……が、
中々レンタルでは見つからんな、『パリ、テキサス』。

あと、オイサン、ヴェンダースと誕生日が一緒だった。
わーい(うれしいのか)。
 
 
 

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2017年5月 2日 (火)

■最後の仮面の向こう側~舞台『ペルソナ3 the Weird Masquerade 第4章 藍の誓約』感想 -更新第1123回-

アスミンが主演を務める舞台版『ペルソナ3 the Weird Masquerade』の最終公演を見てきた。

「最終」と言いつつも、今回は第4話「藍の誓約」と第5話「碧空の彼方へ」が同時公開で、
両話とも男主人公版・女主人公版があり、1週間のうちに各版4公演ずつあるという超変則公演だった。
まとめると、

 ・第4話 男版:4回 女版:4回
 ・第5話 男版:4回 女版:4回

の16公演ということになる。すげえな。
主役のアスミンや蒼井翔太くん、他のダブルキャスト陣は8回だけだけど、
共通キャストの人は……混乱しないのかね。

最終話についてはチケットが取られず、当日券が出れば……くらいのスタンスでの観劇となったのだけど、
この舞台は毎回期待以上に楽しませてくていたので、
2014年に初回が演じられて以降3年半、毎回見続けてきた者としては
最後だけが見られないのは惜しいと言えば惜しい気持ちではある……が、
マしゃーない。

という都合で、感想を書けるのは第4話のみということになった。


■舞台『ペルソナ3 the Weird Masquerade 第4章 藍の誓約』感想

 ▼全体的なお話の構成と、ちょっと無理を感じた脚本

全体的にザックリいってしまえば、
これまで通りのパワー溢れるお芝居で存分に楽しめた。
CG演出への依存度が若干高まっていたようには思う。
CGを使う頻度という意味ではなく、CGで舞台に投影されるものの具体性が上がっていた。

今回のお話で、みどころを大きく背負っていたのは、

 1)順平とチドリ、恋の悲しい行方
 2)風花、自分の居場所と他者を信じるということ
 3)アイギスとリョウジとヒロイン、デスの覚醒

の3本です! サザエさんか。

3)のデス覚醒は、
今回のメインというか次の最終章(つって同時に上演してるんだけど)へ導くためのエピソードであったので、
メインは1)と2)、ということになるのだが。
2)の風花のエピソードに関しても……正直、「ソレ今やること?」という気持ちがないではない。

課外活動部のデータセキュリティを甘くしてしまってストレガにデータを盗まれ、
自分のことを役立たずと責めて居場所の心配を始めてしまう風花と、
彼女と深い付き合いを始めた女子友だちとの別れのエピソードであったのだけど、
そもそも、風花自身も既にそれしきの失敗であのメンバー内での居場所を失ってしまうかも!
……と心配するほど、自分の基盤を弱いものだと思っている節もなかった
(様に見えていた)ので、「私、また居場所をなくしちゃう!」と言い出した時は、
何のことを言っているのか分からず、唐突に感じた。

あそこに説得力を持たせるには、もう少し、
彼らの中になじみ切れていない風花の姿であるとか、
張り詰めてミッションに当たる彼女の姿を印象付けておく必要があった……と思う。
全体を通して見ても、今ここでこのエピソードってどうしても要ったかしら?

確かに、オハナシ的には1)の内容との絡みも若干あって、
「ストレガの再始動するきっかけ(ハッキングによる情報獲得)を見せて、
 チドリが離れていき、順平のエピソードが盛り上がる」
っていう流れが欲しかったのかも知れぬ。
「ペルソナの覚醒」も、必要な事情としてあったかも知れぬが、
ゲームではないので敢えてそこまでこだわる必要もなかったようにも思う。
ラストエピソード手前で、こうまで時間を割いてやる必要があったのか。
脚本家は全開までの段階で大きな決断をしても良かったのではないかと、
他人事ながら思ったりもした。
物語もコトここに至っては、この問題のスケールは随分小さいと思うし、
終盤のここに配置するには、ちょっとアンバランスだった。

  マ、田上さん演ずるところの風花チャーンをたくさん見られたんで、
  個人的にはいいんだけど。

ストレガの2人はもう、前回までの内容で死なせておいて
(=退場してもらって。実際自分はもうアレで終わりだと思ってた……)、
シナリオ全体をシェイプアップさせても良かったんじゃないのかなーと思う。
最終章で彼ら2人がどれだけ必要とされていたか、
見られなかったオイサンにはわからぬけど。
チドリを手にかけるのがストレガでなければならないということもないと思うし、
どうにか前回までに収めてしまって、
今回はラストエピソードに集中してしまった方が良かったんじゃないだろうかな、
と、見ていて思った次第。

というのも、順平・チドリのくだりと、デス覚醒のくだりをいっぺんにやらすのはキツそうに見えたし、
実際見ていてキツかった。
「キツい」というのは……
「感情の上限を、短時間にあのレベルで2回振り切ることは、自然には出来ない」
と思うんですよね。
順平がそれに対応しきれないし、
そうなると(今回)順平に心を預けている観客も対応出来ず、
ある意味、ニュクスの件に関しては観客は置き去りを食らわされたと思う。
チドリの件で感情を振り切り切った順平に、あの短い時間もうちにもう一度
ニュクスの絶望で振り切れと要求するのは、さすがに無理がある。
ワンクッション、違うエピソードを挟む必要があった。
そのせいで、せっかく大人になりかけた順平がまた早速アスミンにぶち切れるのは、
「お前どないやねん……」と、ちょっと呆れてしまった。
脚本、ちょっと無茶したな。
なんとなく、
「本来はやる筈じゃなかったところまで、
 ここまできたんだから欲張ってやってしまおう!」
っていうことで後から付け足した、
みたいに見えてしまった。

  演劇として、要らないところは切ったらいいのに。
  ゲームや原作のまま全部やる必要はないと思うんだけど。


 ▼あり得難い感情と、歌えない歌、その向かう先について

今回、風花のエピソードを主として、
「友だちだから信じる! 仲間だから助け合う!」「当たり前じゃない、友だちなんだから!」
押しがなかなか激しく、そういう感覚を持ち合わせない自分はキツかった……。
ああいう歌を歌える役者さんは、やはりああいう感覚を身体的に持ち合わせているんだろうか?
オイサンは社会通念以上の意味合いでは「友だちだから・仲間だから」的な感覚は持ち合わせないし、
社会通念である以上、ああいう形で言葉や振る舞いに表すのもなんだかチガウ、と感じるので、
あれを堂々とやられるとウワッとなる。

自分には歌えない歌だなあとつくづく思うが、
役者さんたちは、確かな手ごたえのもとにあの歌を歌っているのだろうか……。

  面倒な話になるけど、
  オイサンは「他者を信じる」ことが出来なくて「他者を諦める」ことで対処しているのだが、
  つまり、
  「自分じゃなく、他人のすること・考えることなんだから、自分の感覚に引き寄せることは出来ないので、
   諦めて任せて好きにやってもらって、自分にとっても良い結果が出たらメッケモンである」
  くらいにしか思っていないのだが、
  それは彼らの言う「他者を信じる」こととはやはり違うだろう。

またそれとは別に、今回劇中を支配した大きな心・感情として、
「自分の命を捧げて順平の命を救った(蘇生させた)チドリと、救われた順平」と、
「デス(ニュクス)の降臨による、絶対普遍的な死の訪れとそのことへの絶望」とがあった。
劇中の彼らは存外あっさりと、それらの超自然現実的な出来事や未来を「事実」として受け止め、
感情に転化していき、
観客の大半も(恐らくは)その劇中の事実を受け入れて、人物たちと共に涙し、
恐れ、絶望していたと思うのだけども……
そのような「現実上起こり得ない感情」を「模倣すること」と、共有し、処理していくことの表現というのは……
この先、どこへ向かっていくのだろうか?

  まあ単純に言えば、「自己犠牲が出来るくらいの愛への畏れ」と、
  「誰にも等しく必ず訪れる、死への恐怖」を象徴したものでしかないので
  そんなに特別な感情でもないはずなのですが、
  オハナシの都合上、キャラクターたちはそれ以上の出力で感情を爆発させることを求められ、
  そこに説得力を見いだされなければならなくなってる。

まあ、伝統芸能であるところの能や歌舞伎にしても、
モノノケ・アヤカシの類に対して人が抱く感情を取り扱ったものが大量にあるので
今に始まったことではないのだが、
ここで形作られた、過剰に水増しされた感のある極端な感情のつかいみちってなんなんだろう? と、
フッと考えてしまった。
娯楽である以上、何かの役に立たなくてはならないということは別にないのだけれども、
表現者、芸術家である役者の方々の目指すところに対して、
その技量、あり得ないかも知れない人間の感情を再現する能力、技術というのは、
やはり価値のある物なんだろうか。

とまあそんなことで、
作品としてのパワーは相変わらずあったのだけれども、
緻密さ、繊細さという意味では、前回の第3話には若干譲る感じになってしまったな、
と感じた。
前回が良すぎたな。

  関係ないけど、ニュクスに対する絶望っぷりについては、
  オイサンはゲームプレイ時、ニュクスとのバトルまでにレベルがMAXの99まで上がってしまっており
  (どんなプレイをしたらそんなになるんだ)、
  ハルマゲドン連発が出来て(確か出来てたと思う……もう10年も前のことだから忘れてしまったが)
  ほぼ無傷で瞬殺上等だったので全然怖い思いをしなかった、
  作業の様に屠った覚えがありまったく恐怖を感じなかったため、
  主人公たちの絶望を共有できんかった。

 ▼役者さんたち

相変わらず順平役の大河元気くんがお気に入りなのだが、
今回はアクション薄目だったのでアクションのキレが見られず残念。
そして前回も書いたけど、やはり風花as田上マリナチャーンがいいですね。かわいいですね。
まあ前回も書いた通り、田上さんが、というよりは田上さん演じるところの風花がいい、と、
自分は感じているのだと思います。多分。

  ▼前回の感想
  BE YOUR TRUE MIND. ~舞台『ペルソナ3 第三部・蒼鉛の結晶』に酔いしれる -更新第989回-
  

最後のあいさつで、アスミスが風花チャーンを引っ張り出してくれたのが良かったですね。
あとラストの歌でキャスト陣が客席まで出てきたとき、
真田先輩とアイギスZAQちゃんがワリと近くまで来てくれて見応えあったです。

  ついでに、本当に風花as田上さんがいいのか、田上さん単体がいいのか、
  検証するために田上さんのお舞台を一発予約しました。


  ▼声の優れた俳優によるドラマリーディング日本文学名作選vol.4「三四郎/門」「それから」
  http://anime.eiga.com/event/117312/



そんな感情爆発が起こる中で、地味に存在感を示していたのは真田先輩だった。
今回脚本上は、事実上見せ場ナシだったにもかかわらず、だ。
真田先輩、すごい良かったなー。

感情を爆発させるシーンがなかったというだけかも知れないけども、
淡々と、ことが起こっても抑えた芝居をしているのが伝わってきたし、
文字通り、あのメンバーの精神的な支柱になっているのが見ていて分かった。
脚本的な出番は同じ位置にあったはずの美鶴先輩にはそのような感じはなかった
(若干、真田先輩の方が優遇されていたが)ので、
演技プランの問題なのか、
或いは単純に舞台上での見栄えの問題なのか、分からないけれども。
アクションも、大きな見せ場もなかったことを考えると、やはり地の部分の芝居が良かったんだと思う。
大変存在感がありました。
これで真田先輩まで、「出番はないけど俺が俺が」の芝居をし始めたらしんどかったろう。
お見事でした。
しかし、今回、真田さんは以前にも輪をかけて細くなってたように思うが気のせいだろうか?
相方の天田君がめっちゃデカく+若干太く(? 多分)なってたような気がしたので、
そのせいもあるかも知れない。子役はキツイだろうね。
そりゃ、第1回から3年も経ってればね。成長くらいするさ。


■その他、お芝居以外の部分で

開場を待つ間、ロビーで物販を眺めつつ、なんでこんなにブツがクソ高いんだ! と思っていた。
缶バッヂが2個500円(ガチャでランダム)。
パンフレットが2000円。中身は実質、イケメンの写真集。
小さ目の布タペストリーが9000円……と、

布地が少なくて値段がハネ上がるのは
         
女子の水着だけの特権のはずだろう!!


と憤慨していたのだが(そこでか)、
舞台を見て、確かにこの芝居はカネかかるな、とも思う。

歌や曲は作らないといけないし、CGも、多分新しく作っているのだろうし……。
そもそも、小屋のシアターGロッソのキャパがそんなにないから
座席代だけでは回収し切れないのかも知れない。

しかも、
録画用のカメラが設置してあるかなり良いセンター周りの席が20ほどツブされていて……
「あそこ座らせればいいのに……」とずっと思っていたのだが、
客を入れるよりも、しっかり録画をしてDVDにして売った方が良い稼ぎにはなるのだろう。
……しかし、それって……お芝居として、演劇としてどうなのよ、という憤りはある。
お芝居本来の醍醐味である生の観劇をしたい客層を犠牲にして、DVDに回すのか。
……などという、旧態依然としたことを言う人間がいるから、
いつまでたっても演劇人が演劇で食えない、という現実もあったりするのかも知れぬな、
ということは、こうして書いていて感じたりもするが。
でも、オイサンは……演劇は生で見たいし、見て欲しいなあ。
役者さんが目の前で声を張ってるのって、やっぱりいいものだよ。

音声にマイクを使うのも4回見て来てようやく慣れてきたけど、
やっぱり声も、生声でやって欲しい、耳に届いて欲しいという気持ちは今尚ある。

しかしイマドキは、お芝居もCGやらプロジェクションマッピングやら
駆使しなきゃいけなくて大変だなあ……。
大学の演劇部とか、小劇場系はどうなってるんだろう?
小劇場でもああいう装置は普通に使うようになっているんだろうか。

しかし、演劇。
オイサンがかかわっていた頃は、
人間の生身の表現力を鍛えるための場であった舞台演劇の世界が、
そういう「装置」への依存度を高めていくことへは、やはり若干の不安と違和感を覚えざるを得ない。
それはたとえるなら、文芸の世界で、挿絵や図が大量に使われるような、
ハイパーテキスト化して音楽まで流れてしまうような……そういう不安と違和感に似ているわけだが。
演劇批評界隈ではその辺の危惧は今現在どういう扱われ方をしてるのだろうか。
きっともう決して新しくない「いまさら何言い始めてんの」くらいの題材なのだろうけど。
そういう意味で、2.5次元というのは難しいな、と思う。
人間以上、非人間未満の、肉体と感情のあり方を、リアリティを持って演じなければならないというのは。
思いのほか、線引きの難しい世界であるように思う。

 ▼腐女子たちのラプソディ

あと面白かったのが、
このお芝居のメインの客層であるところのお若い女性陣の、
しかも俳優好きで見に来られている方々の文化だった。

このお芝居の客層、ざっと見渡したカンジ、7、8割が若い女性の様にお見受けします。
まあ彼女らもオイサンらの様な二次元オタクと同様、
2.5次元の物品を買いあさっておられるワケですが、
山の様な缶バッヂをですね、あの、プラスチックのドキュメントケース、
あれにぎっしり敷き詰めて持ち歩いておられるんですな。
皆さんそうして持ち歩いておられるところを見ると、ああいうトレンドなんでしょうね。
誰かが思いついて始めたのが、きっと広まったんでしょう。
面白い。

あと、かばんに大量にその缶バッヂを付けて歩いてる御夫人もおられたのですが、
そのためのカバンなのでしょう、
缶バッヂを保護するナイロンカバーの層が標準装備されていて、
すげえモンがあるな! 見たことないカルチャーだ!
と、ちょっと見てて面白かった。

そんでまあそれをロビーのあちこちでトレーディングされていて、
なんかこの、たくさんの人が集まってプラスチックケースを開けたり閉めたりしてる光景、
どっかで見たことあるなあと思ったら、
ミニ四駆のパーツをとっかえひっかえする男子小学生でした。
なるほど。
あとは、釣り人とかね。


■Closing


とまあそんなことで。
足掛け4年、ずっと見続けてきた舞台『ペルソナ3』もこれでおしまいでございます。
いやー、……長いシリーズだったな。思えばすごいことだ。
初めて見たときはこんなに長く続くものになるとは思わなかった。
やり続けたスタッフ・役者陣もすごいが、見続けたファンもすごいな。
オイサンは……友人ぺ氏がチェックし続けてお誘い下さったから続けられたけど、
ひとりだったら最後まできていたかどうか……
2回目くらいまでで終わっていたんじゃないかと思う。
決してお安いものでもないですし、場所が都心という最も苦手とするアウェイですし。

初回を見たときは、
まだ2.5次元的なものを見慣れていなかったせいもあり
マイクによる発生・CG、プロジェクションマッピングによる演出に違和感があり、
また実際お芝居自体にもそういうものを使った演出のこなれていなかった部分が残っていて
完成度が高いとは言い難いものでもあって、「ちょっとどうかな」と思っていた。
しかし2回目ではキッチリとその辺の違和感を覆す熟練が見え始め、
3回目では見終わったときに「気持ち良かった」と思わせるほど円熟の度を増したものを見せてくれた。
ガッツリ楽しませてくれて、「次が楽しみ」と言わせるくらいで、
脚本も演出も、良い形に収まる進化を遂げていた。
役者さんもすごかったけど、スタッフ陣の頭の使い方たるやものすごいものだったろうなあと
ご苦労がしのばれる。
4年かけて大変良いものを見せてもらったと思う。


スタッフ陣のことをあまりよく調べられていないけど、
ちょっと調べてみて、次に何かやられることがあればそちらも追いかけてみたいと思います。

マそんなことで。
これだけ長いと、やってた方は終わった後の喪失感が酷いと思うけど
(期間あくからそうでもないかもだけど)、
見てた方も「あー、もうないのか」「次どうしようか」という思いがちょっとある。

まあまたぺ氏が何か見つけてくれるだろう。
期待してます(人任せ&ごういん


オイサンでした。



 

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2017年4月18日 (火)

■2017年1月期アニメ感想・あたた大紹介!~けものもいるし、亜人も、ドラゴンも、ドMも天使も悪魔もいる、無論のけものもいる~ -更新第1119回-

駅からシゴトバまでのイチョウ並木、
先週はまだボウズだったような気がしたが、今朝気付いてみると
枝にわさわさと青葉が茂っていた。

おのれ春め。

とまあそんな感じで、
4月に入ってもう2週間も経っちゃったけど、
2017年1月期は何かと良いアニメが多く、また激動でもあったので、
感想を書き残しておこうかなと思いますっていうか
書いてたのを載せられずに来たので載せないのも癪だから載せます。



■『けものフレンズ』

昨年の『おそ松さん』に続き、
アニメ業界関係者から「1月期には鬼が棲む」とでも言われかねないほどのダーク過ぎたダークホース。
誰が読めるんだ、こんなモンがいきなり超級のメガヒットになるなんて。

いやオイサンも、柄にもなくリアルタイムで超楽しんでしまったんですけれども。
「流行りものが、流行ってるまさにその時にその感覚を共有できる」って
オイサンにはなかなかレアなケースで、
大波がくる直前の段階で個人的には盛り上がれていたので、
あとはもううしろから来た波に一番高いところまで押し上げてもらってしまった感じで
3ヶ月が過ぎ去った。

ただオイサンの場合、大きく盛り上がれたのは3、4話までで、
巷で言われていたような後半の大盛り上がりの頃には冷静だった。
11話のヒキ、12話のラストバトルを神だなんだと祀り上げるようなテンションには、さすがになれなかった。
4話の「絶滅」発言、6話の宣言に至る辺りでは、もうお話が「分かり易く」なってしまっていたので
落ち着いて見られていたと思う。
周りの人たちが大変楽しそうに見ていたので、そのオコボレには預かることが出来て楽しかった。

伏線の張り方だとか、細部へのこだわりだとかについてはやはり目を瞠るものがあったと思う。
けれども、謎やヒントの散りばめ方や視聴者の突き放し方、ラストバトルへの入りの演出あたりは、
探せばワリといくらでも他でやってる作品が見つかるレベルなのではないだろうか?
その辺りについては、みんな過剰に有難がっているなあ、というか、
他の作品も同じような情熱で見てあげれば、きっと同じくらい面白く見られるぞ? と。

分からなかったのは、そうして盛り上がってからの視聴者のハートを、
最後の最後まで、否、終わっても尚醒めさせず、
引っ張り続けることが出来たのはなぜなのか、そこにどんな仕込があったのか?
ということだ。
「IQが溶ける」と言われていた序盤のやさしくゆるすぎる展開と、
後半徐々に明らかになる謎の、視聴者に解かせる導き方・ヒントの散りばめ方の
ギャップが良かったんだろうか、と思っているが……。

結局「誰もが好意的に」作品を読み解いた結果、
非難のしようがない作品になってしまったわけだけど、
それはどちらかというと作り手の功績というよりは、
受け手の心のありようをの問題だったと思っている。

  マそれだってつまるところ、
  「受け手の心をそっちへ向けた」作り手の功績であることには変わりないのだけど。
  何がそうさせたのか……それがポイントだと思う。
  個人的には1話~3話までの、お話がどこへ向いているかわからない、
  「俺はいま、一体何を見せられているんだ」っていう感覚も異様さが忘れられない。
  まさにその、コツメカワウソちゃんが、
  すべりだいをしては「たーのしーい!」、
  小石遊びをしては「わーい!」
  それをみたサーバルちゃんが「やらせてやらせて!」
  っていう、まさにIQを溶かしていた頃の「分からなさ」が一番の魅力であった……。
  ラストも、バトルで盛り上がってはいたけれど、
  バトルより、かばんちゃんの知恵と、フレンズたちの特性で乗り越えるような仕掛けであったら
  より良かったなあ、と個人的には思うものである。

少人数・低予算ということを考えれば良いクオリティだと思うけれども、
それだって受け手にしてみればシッタコッチャナイ話で、
見ていて「行き届いてないなあ」と思うところは、画的・演出的に多々あった。
それ以上に行き届いている部分が多いから、人の心に響きもしたに違いないけれど。
つくづく「心のアニメ」だったなあと思う。

尚、オイサンの好きなのはサーバルちゃんとライオン、コツメカワウソちゃんです。
トキもアルパカも大好きだけどね。ハシビロちゃんも良いなあ(全部か)。 

  絵     :あたた
  音     :あたたたた
  話     :あたたた
 見せ方    :あたたたた
 たーのしーい!:あたたたた



■『亜人ちゃんは語りたい』

今期のダークホース……というほどでもないか?
「人気原作のアニメ化」という意味では妥当な位置なのかもしれないけど、
にしても、原作の持ち味を大変上手に料理した上で、独自の雰囲気を纏うことに成功しているのではなかろうか……
って、原作読んでないからわかんないんだけど、アニメでないと出せない、
具体的な時間の流し方、時間を利用した場面のコントロールの仕方が妙なる作品であったと感じている。
マンガだと、どうしてもコマで時間が途切れてしまうところをキチンとつなげて表現出来てた、
と思う。
だからちょっと、原作が気になっている。どこまで原作由来の成分だったのか。

この作品はいわゆる「日常系」ではないし(「フツーの人」の物語ではないので)、
バトルやスポーツや恋愛でもない、
日常の中に潜んでいるちょっとした「段差」を丁寧に取り扱うことがテーマの作品で、
なかなかデリケートな位置にあったにもかかわらず、
それを大げさに深刻にしないで、意識を向けさせつつも、しかりつけない、説教臭くしない、という
難しいはずのことをシレッとやっていた。
前半というか、冒頭の数話は見始めるまですごくエネルギーが要った。

  緊張感がすごくて、見終わると「今回も爆弾は爆発しなかった」とホッとする、ということが続いた。
  「この作品では爆弾は爆発しないんだ」と理解するまで時間がかかった。

これは大変な手腕だったなと思うのだが、
カントクなり、原作者なり、主要スタッフの「人柄」の為し得た技だったのではなかろうか。
危ない出っぱりを、色の違う土で均す、みたいなことをやってる作品だったと思う。

「オッサン(高橋先生)が邪魔だ」なんていう感想をどこかでちらっと見たが、
よろしいキミは『きんいろモザイク』でも見ていなさい。
JK友情かんさつようちえんがお似合いだ(暴言)。
まあ『ひだまりスケッチ』も似たようなモンだけどな。

  絵    :あたたた
  音    :あたたた
  話    :あたたたた
 見せ方   :あたたたた
 乳首アタック:あたたたた

 
 
■『小林さんちのメイドラゴン』

『ちゃんデミ』が「日常系の顔をした非日常」だったのに対比するように、
こちらは「非日常の顔をした日常系」。
異文化・異種間といいつつも、結局その辺のヤバいところは全部、
相手(ドラゴン側)がこちら側に合わせるか、とりこまれるか、
不思議な力で全部なかったことに都合よく繋ぎ合わせてくれるという、
おきらくゴクラクアニメーションだった。

  マこっちも原作読んでないので、どこまでが原作由来かワカラヌが。

けど、それがダメってんじゃなくて、こっちはこっちでそれが持ち味。
ヘンな人たちが集まるホームドラマってだけだ。
小林さんが人類を代表して、どセンターで踏ん張ってるから成り立ってるけど、
小林さんを差っ引いたらただの『ガヴリール』になるというバランス。

ホームが失われた現代のホームドラマを、非常にすっきりと、リアルに描き出してくれたんだと思う。
ホームを構成するために、異文化・異種間を引っ張ってきて繋ぎ合わせる、という

昔のホームは「異」であることが前提ではなく、
誰もが「同」だと思っている(思い込み、信じ込んでいる)ところに実は「異」がどっさり潜んでいることに
ドラマがあったのだけれど、今はそのホームがそもそも形成されない。
ホームのない、ロンリーでアローンな小林さんは、
人が皆「異」であることを前提認識として持っている(そして諦めている)ところから始まって、
「異」が前提のホームを構成するところから始まる、まさしく「異」色のホームドラマ、だったのだけど。

しかしまあ、あんまりうまく機能はしてなかった様には思いますねw
強いていうなら舞台装置として機能していたのは、
カンナちゃんと、ファフニールさんがかろうじて緊張感を保持していたくらいで、
トール、ルコアさん、あともう一人(名前忘れた)はすっかりなあなあで、だった。
トールはヒロインだからいい(まだ何にでもなれる)けど、
ルコアさんはぷるんぷるん要員でしかなかったし、最後発の眼鏡は脂肪と糖にやられただけだった。
何しに出てきたんだw

カンナちゃんはドラゴンとしてよりも、ただ「子ども」として小林さんには異質だったし、
ファフくんは馴染みながらも人間への憎悪は維持してた
(憎悪を執行しないでいるためにどう付き合うか、は学んでしまっていたけど)。

皆それぞれの違和感を与えられながらこちらの世界にやってきていた筈なのに、
結局それを表明しきれず、大抵はこちらの文明に取り込まれていって終わってしまったのが
『ちゃんデミ』との違いだった。

と言いつつ、ルコアさんが好きだったんですけど。声が良いよね。
初恋の人(初代大人ミンキーモモ)に似ている気がする。
思えば、今自分が好きな声質の人って、みんなそっちに似ている気がするな。
野中藍さんとか、おみんちゅとか、高い低いじゃなくて、声の表面にケバがなくてぬるっとしている。

しかし『ガヴリール・ドロップアウト』を見てても思ったんだけど、
人間界のダメ娯楽って、そんなに素晴らしいもの、
外の世界から見ても堕落パワーに満ち満ちたものなんだろうか?
人間、というか日本人クリエイターは、娯楽文化のダメパワーを過大評価し過ぎている気がしないでもない。 

  絵       :あたたた
  音       :あたた
  話       :あたた
 見せ方      :あたたた
 ボクっ子ルコアさん:あたたたた

 
 
■『この素晴らしい世界に祝福を2!』

世間は『けものフレンズ』の最終話が神回だと評判で号泣必至、みたいな評価でしたが
オイサン的にはそこまでは響かず、寧ろ泣いてしまったのはこっちだった。

2期は1期に比べてパワーダウンはしていた、と思う。落ち着いた、というか。
荒っぽさ、イキオイ「だけ」の感じ、そういうガッビガビの岩肌全開の崖っぷちっぽさが薄れ、
ところどころ危ないところの角がとられていた。
それを補填する材料として、画が素晴らしかった。
画をここまで壊してメリハリをつけるアニメは初めて見たと思う。

あの顔芸みたいな笑いのとり方、決まったかたちに可愛く画を崩すのではなく、
本当に不定形に絵を溶かしていくやり方は、
作画監督なのか原画マンなのかしらないけど、その辺の上のレベルで絵を見る人たちの手が
ものすごくかかるのではないだろうか。素晴らしかったです。

そして最終回。
いやー……まさか。
まさか、あそこでゴッドブロー、ゴッドレクイエムのメドローアが飛び出すとは思わなかった……
泣いちゃったもの。
アクシズ教教義を背負っての肉弾女神は最高だったし、
なにより、その時点で既にホネになってる主人公!
いねえよw 最終決戦でホネになってるヤツw
ラストバトルの合間合間にも、チョイチョイ白骨化した主人公を抜いていく絶妙のカット芸。
ギャグアニメってすごい、「笑かす」ってすごい!! と心底感動した。
良い勉強をさせてもらいました。

というワケで、
ストーリー前半の伏線がラストバトルで活きまくる(ゴッドブロー)し、
メンバー全員が持ち味を生かして最後の敵に立ち向かうし、
主人公が身を呈して仲間を守るので、『このすば2!』は実質『けものフレンズ』で良いと思う。 

  絵  :あたたた
  音  :あたた
  話  :あたた
 見せ方 :あたたた
 教 義 :あたたたた

 
 
■『幼女戦記』

なんだかんだで最後まで見てしまった。
途中あからさまな総集編が入って力尽きるかと思ったけど、
画のクオリティはほぼ殺さず、最後まで走り切ったのは見事だと思った。
マそもそも力尽きかけるなよ、という話だけど。
総集編前後でOPが全くかからなかったのは、今思えば
総集編で使ってしまった時間をどうにかカバーするための苦肉の策だったのだろうが、
リカバリー案を打ち立て実行した人がすごく有能だったんじゃないだろうか。

アニメ本編とは全然関係ない話してるな。もどそう。

画も音もお話も、たいへん良く出来た作品だったと思います。
「よくまとまっている」だけに突出した面白さは感じなかったけど、
それでもストレスなく、次へ次へと毎週見るのが苦にならない楽しさだった。

「アニメなり」の、結論が、12話見て来た視聴者に対して提示されなかったことは残念だった。
あれだけの差し迫ったキャラクターがギッチギチの論を展開するにも関わらず、
カタルシスが得られないのは、片手落ちな気がする。
ストーリー的には、最後は存在Xが横槍ブッこんでちゃぶ台ひっくり返してくるものだとばかり思っていたけど
そうはならず、
マそんな「品のない」ことをしないが故に神なのだ、とは思うけど、
もう少しなんかこう、あっても良かったなと思う。

悠木碧嬢は……大丈夫だろうか、こんなぶっ壊れたキャラばかり演じていて。
たまにはすごく普通なお母さん役とか、やらせてあげてはどうだろう?
マでも、デグレチャフさんは基本「いい人」だよね。
彼女が良い人だったから、最後まで見られたんだと思う。
楽しませていただきました。 

  絵     :あたたたた
  音     :あたたた
  話     :あたた
 見せ方    :あたたた
 さあ牙を研げ!:あたたたた

 
 
■『ガヴリール・ドロップアウト』

これも、蓋を開けてみれば最後まで見てしまった案件。
1話目を見た時点での期待値は、最終的には越えて行った。
途中で切るだろうな、と思っていたので。

転換点は、ガヴのダメっぷりが当たり前になってしまって後ろに引っこみ、
サブの3人のキャラクターが主軸になって話が回り始めた辺り。
ガヴは「ダメではあるけど、外に出てくればある程度常識人」で、
あとの3人はダメでない分(サターニャさんはダメだけど)、
日常にまで特異な部分を持ち出してきてしまうので、ガヴが突っ込みに回るようになったところで、
急に見応えが出てきた。
ナルホドナー。

大きなストーリーも小さなエピソードもどこかで見たようなものばかりだったけど……
まあ、キャラクターと演出でもったような感じです。
手堅く、こぢんまりと、丁寧にまとまっていたので、来年には忘れている可能性が高い。
フックはないではなかった(主にラフィ)けども、ちょっと小さかったかな……。
EDが素敵だった。 

  絵     :あたた
  音     :あたた
  話     :あた
 見せ方    :あたた
 ヴィーネたそ~:あたたたた

 
 
■『セイレン』

ラストエピソードの4話で……とりあえずなんとかなった……かな? というくらい。
開始時の感想でああは書いたけど、終わってみるとやっぱり
御大は、本当は何がやりたかったのだろう、どういう姿を理想に思い描いていたんだろう?
という疑念がぬぐえない。

『アマガミ』世界からほつれて残った糸を使って、何かちょっとだけ、
その後の輝日東を描きたかった……だけなのだろうか?
それによって輝日東という町がより深く描かれて、生き物として動き出すのだったら意味があると思うけど、
そんな感じでもなかった。

オイサンはちゃんと追いかけてはいないが、
公式サイトの方では主人公やヒロインの行動を時系列に埋めていくタイムテーブルみたいなものが
用意されていたらしい。
なんかそれってもしかして、『アマガミ』はでいうところの行動マップを、
今度は時間軸を自由にエピソードを拾っていく、
みたいなゲームの仕掛けとして考えていた物があったのではないか、とか、
勘ぐってしまうのう。

  絵描きからディレクター、プロデューサーみたいなところへ軸足を移して行った御大は、
  何をやりたかったんだろうか。
  マ作品の世界はどこまでいっても作者の所有物だから、
  やりたいことを描き出すためにトコトンまで使い尽くせばよいと思うけれども。

ところで、いまフッと思いついたんだけど、もしかしてこの監督は、
16:9の画面向けに20数分のアニメを作ることに慣れていない
だけなのかもしれない。

だって、時間(演出)的にも空間(動画)的にも、色んな意味でスカスカなんだもの……。
色んなことが把握・計算出来てないように、やっぱり見えてしまいますですよ。
統一OPの『キミの花』と、ラストエピソード今日子編のエンディングがとても自分好みだったから、
という理由で最後まで見続けることが出来たけど。

単品のアニメーションとしては、
広く人々の心に深く残るものではなかったのではないかなあ、と思いました。
どういうレベルで勝負しようとしていたのか、せめてそこがわかると良かった。
ヒットしなくても、手間暇薄めに作って、見合った回収が出来ればいい、というところなのか。
魂込めたモノだったのか。
やっぱりよく分からない。 

  絵       :あた
  音       :あたたた
  話       :あた
 見せ方      :あたた
 OPの謎ロケーション:あたたたた

 
 
■オマケ

 ▼『弱虫ペダル』

もうほぼ真面目には見てない。
1期というか、一年生編は暑苦しくてもまだ見ていられたが、
2年生編に入ってから、ドラマがもう、暑苦しいというかむさくるしいというか、
押しつけがましく自己陶酔も甚だしくて

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 思い悩んで頑張ってるオレそして仲間を支え支えられ支え合ってるオレ
 やっべえちょうイケてるああああああああああああああ
 おおおおおおおおのだあああああああああああああああああああ!!!!!!!」


っていうノリが、
……原作の方もそうだと思いながら読んでるけど……
アニメになってしまうと、そういうオーダーがつけられてるのか、
もう見ていられるレベルじゃない。誰かちょっと、ここらで止めてやれよ。
いい加減気持ち悪いよ。


 ▼『うらら迷路帖』

これも最終的には殆ど満てなかったんだけど。
毎回アバンで入るお定まりの語りパートのテキストが、
センス無シ無シでうわあってなっていた。
ジャングルくろベエ呼んでこい。こいつらに本場のウララを見せてやれ。
あとOPで、占いのことを謳おうとしているのに、

 ♪ 右へ行こうか左に行こうか? 仲間とだったらどっちでも大正解!

みたいなこと(うろおぼえ)を歌ってるのちょうウケル。
ほな占い要らんやんけ。



マそんな感じでヒトツ。
オイサンでした。

春アニメも楽しみね。


 

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2017年3月16日 (木)

■コンガを打ち狂うことがクリエイティビティだと呼ぶ世界で、スマホは。 -更新第1116回-

携帯電話を、ブラックベリーさんからアンドロイド電話に換えて以来、
それを使って出来ることは増えているのだけど、特に何かを増やしている感じはない。
相変わらずTwitterをし、
ヘンなアプリを探しては試してみたりしてるんだけど……
そこに、もどかしさを感じている。

快適なモノだから、その機械をいじっている時間は増えて、延びているのだけど、
やっている内容は変わっていない。
つまり、いじることに飽きつつはあるのだが、
そうじゃないんじゃないか? 使い方が間違っているんじゃないか?
……と、感じ始めている。

なんかもっとうまい使い方があるんじゃないだろうか。
これだけ性能が高くて多機能なものなんだから、
もっと変な、
もっと楽しい
もっとこう……クリエイティブな使い方があってもいいのではなかろうk……

  ッキャーーーーーーーーーーー!!
  いやだ!!
  「クリエイティブ」!!
  「クリエイティブ」だって!
  「クリエイティブ」ですってよ奥さん!
  聞いた!? あちらのだんなさん、「クリエイティブ」なんですって!
  まぁーいいわねえ! うちの人も始めないかしら、「クリエイティブ」!!
  うちなんかもうとんとご無沙汰で!
  若いころはあんなに「クリエイティブ」だったのに! 毎晩毎晩!!
  恥ずかしい!
  四十またぎの一般サラリーマンが!
  「クリエイティブ」!!
  いーーーーーーーーやぁーーーーーーーーー!!
  「アバンストラッシュ」!!
  はわー……。
  いやぁー照れた照れた。///  ///

まあ、クリエイティブというか。
なんかこう……もうちょっと、お仕着せの遊びをするばかりではなくて、
自分で何かを作り出す助けになる遊び、いじる余地のある遊びを……ね。
これを使って出来ないかなあって、そのくらいのことなんですけど。

イヤすみませんね、フツーのオッサンがクリエイティブとか言って。
ホントごめんなさい。
いやーもう。
お恥ずかしい。
ダメですよね、オッサンがクリエイティブとか、オリジナリティとか、個性とか言ってちゃ。
クリエイティブ死とか、オリジナリティ死とか、個性死とかするわ。
心のコレステロールが致死値に達するわ。
コロシテロール。
もっとこう、オッサンなんだから、
人の敷いたレールの上を、人のフンドシ締めて、大手を振ってノッシノッシと歩くくらいでないと。
ユニディで売ってるレールですよ。IKEAのやつはダメですよ。
ユニクロかシマムラで売ってるフンドシですよ。GUのはダメですよ。
ねえ。
コモディティ化していこうじゃないですか。
アリモノで済ませていこうじゃないですか。

マそれはどうでもいいや。
そんなことをですね、
あ、そんなことって言うのは「スマホをもっとマシな遊びに使おう」ってハナシの方ですよ、
そんなことをですね、ヌルヌルと液晶に指を這わせながら思っているワケですよ。
おかしなゲームばかり探してる場合でもないな、と。
まあオイサンのAquos everさんなんていうのはハイエンドでもなんでもない普及版ですンで
そんな大した、重たいことが出来るようには出来てませんからアレですけれども。

なんかね。
もどかしい。
感情を形にして残しておけるような、
ねえ。
常に手元にあってサッと使える物なんだから、
頭を使う前にサッと感覚的に操って大事なことを残しておけるような。
そういう使い方が出来ればいいなあ、と思ったりしてるけど。

……カメラを自撮りモードにして、
自分の顔が液晶に映るようにして、
液晶に映った自分の顔をかいてあげたらカユいのがおさまる、
みたいなアプリありませんかね。
何を言ってるんだ?

類語同士を結び付けあった、類語マップみたいなものはないかと思うんですけどね。
視覚的辞書ツールみたいなの。

マそんなことを思って、手始めにこんなものを入れてみた。
最近、ノートに手描きすることも多くて、
そっちの方が使い勝手はいいんじゃないかって気がするな。


 ▼ハルナアウトライン
 https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.blogspot.halnablue.HalnaOutlinerLite&hl=ja

 ▼コンガボンゴ
 https://play.google.com/store/apps/details?id=br.com.rodrigokolb.congasandbongosfree&hl=ja
 延々コンガを打ち続けられるアプリ。


……とはいえ、オイサンのは決してハイエンドではない普及モデルなので、
そんなに重たいことがスイスイできるわけではない(らしい)。
買い替える時も、初めてのアンドロイド電話だからということでハイエンドは志向せず、
画面解像度も抑え目に、という方針で選んだけれども、
さっそくこういう方向に欲が出てくるとは思わなかった。

  とはいえ昨今の「ハイエンド」が何を可能にしているか、
  何を指標にして「ハイエンド」の必要性を判断させているかといえば、
  「3Dグラフィックをぐりぐり動かせる」
  「3Dのゲームをガリガリやるかどうか」
  みたいなところにあったりするので、
  オイサンの考えているようなことと「ハイエンドであること」が、
  直結して相関し合うかと言われれば、あんまりそーでない気はする。

  マそうでなくても、一番の優先事項は「バッテリーのモチ」だったので、
  この機体に落ち着いていたであろうとは思うんだけど。

  しかし「画面がでかい」ことは、オイサンの考える欲の部分を満たすには
  それなりのアドバンテージになる気がする。


しかし……このオモシロ高性能デバイスを、
一番面白く利用している人は……一体どんな使い方をしているだろうか?



 

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2017年2月19日 (日)

■すてきなRestart~『けものフレンズ』OP ようこそジャパリパークへ!感想~ -更新第1111回-

2月も半ばを過ぎて、少しずつ寒さが和らいできてしまった。
一昨日に吹いたのは春一番だったというし、
あの心身ともにざわつくような陽気には参った。あれに来られると疲れが酷くなる。
今年もいよいよ冬が終わってしまうのかと思うと憂鬱になる。
自分はつくづく冬が、寒い季節が好きなのだなと実感させられる。
とはいえ、この冬は長かったように感じる。
というか、深かった、というべきか。

そんな、寒さが終わろうという頃にもかかわらず、
『けものフレンズ』がアツい。
さばんなちほーだから、ではない。さばくちほーだから、でもない。
「足の裏に毛が生えているから、砂が熱くても大丈夫」という問題でもない。

マ物語の先読みや裏読みは、そういうことがお好きで得意な若手フレンズの皆さんにお任せして、
老人のオイサンは通常営業、
すっかりこころを掴まれてしまった『ようこそジャパリパークへ!』の歌詞について、
思いを深めていきたいと思う。


▼『けものフレンズ』主題歌「ようこそジャパリパークへ




……つっても、「シンプルでいい歌詞ですよね」というくらいのことだけど。
グッと来た歌詞の部分だけ引っこ抜くと、


  ♪  ほらね君も手を繋いで だいぼうけん!
  ♪  Welcome to ようこそ、ジャパリパーク! 今日も ドッタンばったん おおさわぎ!
   ♪   (中略)
  ♪  はじめまして きみをもっと知りたいな

   ♪   (中略)
  ♪  Welcome to ようこそ、ジャパリパーク! 今日からはどうぞ よろしくね
  ♪  いつもいつでも優しい笑顔 きみを待っていたの

   ♪   (中略)
  ♪  どこまででも つづいてく グレートジャーニー

  ♪  ランランランラー ランランランラー Oh, welcome to the ジャパリパーク
  ♪  ランランランラー ランランランラーランラ あつまれともだち
  ♪  ランランランラー ランランランラー Oh, welcome to the ジャパリパーク
  ♪  ランランランラー ランランランラーランラ すてきなたび立ち



……とまあ、こうですよ。
なんかもう……なんでしょうね? すごい普通でしょ。やさしい。
『ごちうさ』が、「かわいいだけのアニメである」ことを完全に研ぎ澄ませて
オンリーワンにまで上り詰めた
のと同様、
『けものフレンズ』は「やさしい」ことを研ぎ澄ませているように見える。
世知辛いヨノナカ、右を向いても左を見ても、お前の経済的価値はなんなんだ
「ほんで、おまえはナンボになるんや?」みたいなことしか問われない世の中で、
これだけナンモナシで、
「よく来てくれたよぉ、待ってたゆぉ、紅茶のむぅ?」
みたいに優しく迎え入れてくれてしまったら、そりゃもう世のオジサン涙くらいでますわ。

  マ正直なところ、オイサンは人間のフレンズは少ないマン(かなしいヒーローだな)なので、
  アナタトワタシ、トモダチトモダチ、ナカマナカマー
  と人から迫られたらNoNoNo, No Thank youとジェスチャー全開で後ずさりですが、
  この作品の世界観の中で唱えられる「ともだち」「フレンズ」は、
  そういうニュアンスとは異なるものになっていますね。
  人類愛というか、生物愛というか。
  おっ? お前さん、生きてるね? 嬉しいねえ、みたいなことです。
  分かりやすいですね。
  分かりませんか? 分かりませんね。 分かれこのやろう。 ← フレンズ減の原因


いっこいっこ詳しく見ていきましょう。
……気が進みませんか?
それでも気にせず見ていきますので、気が向いたら先に進んで下さい。


  ♪ 手をつないで だいぼうけん!

早速いいですね。
「『手』をつなぐ」ということの「小ささ」と「大冒険」の対比がすごくいいワケです。
手をつなぐことは大変小さなことですが、
「大冒険」という壮大な広がりの中でその異質な小ささ、些細な「抵抗」は、
却ってこう、その行為に大変な密度を予感させもするのです。
そこに凝縮されたエネルギーの構図が感じられ、
この一節だけで、アニメ本編におけるかばんちゃんとサーバルちゃんの結びつきの強さが際立つのです。
いいですか? 際立つんです……際立つったらキワ立つの! 際立て!!(命令)

  際だて!さーばるちゃん!(ラノベ)

……マ正直な気持ちとしては、
物語開始初期の時点では
「パークの中で図書館まで行くだけの話で、『大冒険』は盛りすぎだろ……」
と、オイサンも思いましたが。
ここンとこワリと大冒険っぽくはなっているのでよしとする。


 ♪ 今日もドッタンばったんおおさわぎ!

のところも……やはり当初は「いや大騒ぎはウソだろw」と思って見てました。
だって1話、2話の頃って大騒ぎと呼ぶには物足りないような、
大変ほんのりした、のどかな旅路だったのですもの。
普通に行く、という感じで。
3話あたりからは、関わるフレンズの数も増え、アクションも大掛かりになってきたのでアレですが。

マそんな嘘かホントかはサテおいて、なかなかこう、
イマドキの物語作品においてこの「ドッタンばったんおおさわぎ!」というフレーズを
バッチリ使いこなすのは、大変に勇気のいる行為だと、オイサンは思います。
自分で書いたら、……否、記す前の思いつきの段階で、

  「……。ねえな」

と思って消してしまいそうです。
それをオーイシマサヨシ氏は、恐れずに見事に使い切っている。すごいと思う。
ド肝を抜かれますこの胆力。
揶揄してるのではなく本当に、
「作品にとって正しいから、古臭く見えてもこの言葉で良いのだ」と踏み切るのは
大変な勇気と知性が必要です。
この、一見使い古されてダサいワードのポテンシャルを完全に使い切る力は
いっそスタンド能力と言ってもいいくらいだと思いますよ。


 ♪ はじめまして きみをもっと知りたいな
 ♪ ……
 ♪ ララララー ララララーララ あつまれともだち

 ♪ 今日からはどうぞよろしくね
 ♪ いつもいつでも優しい笑顔 きみを待っていたの


いくつか時系列をすっ飛ばしてまとめました。
この辺の「受け入れ力(ぢから)」の強さは……
無論、受け入れられた先にやさしさが約束されているからこそ
歌の言葉を素直に受け入れられるワケでもありますけれども、
マその辺は、ひねくれて、おのれの心の孤独に生きるオイサンのような者には、
現シ世では手に入れ難いものなので、尚のこと手の届かない宝物のように映るのでありますよ、
エエ。
心の歪んだ年寄りのタワゴトだと思って見逃がしてくだされィヨボヨボ。
現世……「うつしよ」とは、鬱シ世でもあるなあ。

大概、受け入れられた先には、受け入れた側の身勝手な都合と過剰な期待、
利害が待っておりますから、
なんというか、受け入れる側になった自分の姿としてお手本にしたい、
憧れの姿であることです。


 ♪ どこまででも つづいてく グレートジャーニー
 ♪ ララララー ララララーララ すてきなたび立ち


……なんていうんですかね。
"グレートジャーニー"は、アフリカで発祥した人類が世界に拡散する旅路を表したことばですが、
この言葉を聞くとき、たいてい「人間がここまできたこと」の結果としてのニュアンスが、
語られることの大半を占めるワケです。結果としての旅路の話として。
しかしナンダ、今回この歌を聴いて初めて、
ああそうだった、そういやそれってまだ続いてんだなと、思い至ったわけですよ。
シメの歌詞も「すてきな旅立ち」ですからね。

……実際のところ、『けものフレンズ』の物語において、
かばんちゃんの仲間(要するに人類)が本当に絶滅した存在なのかはまだ分からないけども、
もしそうだったとして。
かばんちゃんは、唯一生き残った……否、新生のチャンスを得た人間として、
フレンズたちとこの先、どんな関係を築いていくだろうか?
現生人類と同じ「まちがい」の道をたどるだろうか。

  「まちがい」と書いたけど、
  別にいまの人類とフレンズの関係すべてが完全にまちがっていると言っている、
  ワケではないですのでその辺オマチガイなく。
  どこかは合ってるし、その分どこかはまちがってる、くらいの捉え方をしたい。
  マ大方間違ってる気はしますけど。

地球の、自然界という愛の輪から逸脱してしまった現生人類が絶滅した後に、
かばんちゃんはいま一度「フレンズ」たちとフレンズになってやり直すために新生した、
再出発の人なのかもしれない。

  ……て言うか、フレンズはあくまでも「フレンズ」であって、
  『けものフレンズ』の世界でも、
  ジャパリパーク以外の場所にはフレンズでない普通の動物もいるのかしら。
  フレンズたちは普通の動物とどうふれあい、
  かばんちゃんはジャパリパークの外の世界でどう生きるんだろう……。
  その練習のために滅びた現生人類が用意した練習の場なのかもなあ。

かばんちゃんの目覚めは、人類の再出発なのかも知れぬ。
それを「すてきな」ことだとしたのはもう、
作詞者・オーイシマサヨシ氏のやさしさとしか言いようがない。

……マ個人的には、『けものフレンズ』をそういう壮大ゲなもの、
テーマを大上段に構えたエラそうで面白いモノとして考えたい気持ちはあんまりないです。
ひとえにここちの良い、気楽なものとして持ち続けたいんだけど、
オーイシマサヨシ氏が、何かを思い描いてビジョンにこめたのだとしても
とてもよくわかるし、素敵だと思う。

進化の結果の事実としていまこのようにある人間が、どこから来たのかはサテオキ、
いま何を持っていて、何が足らず、
この先それをどう使い、どのようにまわりと関わりあって、どちらへ向かおうとするのか……
そんな思いの途上に現れたゆめみる箱庭、
それがジャパリパークなんじゃないかな! たっのしー♪


■よだんフレンズ

余談だが、グレートジャーニーについて改めて調べてたら、
GIANTのラインアップに同名の車種があるの見つけて欲しくなってしまった。
10万か、うーむ。(どこまでいくつもりだ)

  ▼GIANT グレートジャーニー [GIANT]
  http://www.giant.co.jp/giant17/bike_select.php?c_code=CA02&f_code=FD02&s_code=SR15

ランドナー、他にもカッコイイのとか軽いのがあるなあ。

  ▼自転車旅行におすすめのランドナー・スポルティーフ15選を紹介します。[NatureDrive]
  http://cycle-japan.com/randonneur/


『けものフレンズ』を見る
   ↓
『ようこそジャパリパークへ』の歌詞についてふかく考える
   ↓
"グレートジャーニー"について復習する
   ↓
同名の自転車を見つける
   ↓
ちょっと前にもあった、ランドナー欲しい熱が再燃する ←イマココ


マそんな感じでヒトツ。

『けものフレンズ』は、見ていて気持ちよくて、確かに楽しいのだけど、
そろそろ「なんで面白いのか」は分からなくなってきた。
面白い、楽しいというか、見ている間中ひたすら嬉しいのだった。
あ、始まった。嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい終わった。

……で、30分終わる感じ。
脳のどこかが開きっぱなし、出ちゃいけないものが出っぱなしになっているような気はする。
昨年の冬に『おそ松さん』が女子の間で大人気になったのもオイサンの理解からは外れていて
(『おそ松さん』自体は面白くてオイサンも楽しく見ていたけど、
「女子にキャーキャー言われるような人気の出方をして、それが爆発的に持続する」のは
  やはり説明を付けて自分を納得させることは出来なかった)、
えらく困惑したものだけど、今回のはそれを超えている。
いや、超えてはいないのかもしれないけど、自分もその熱狂の渦の中にいる分、
ワケの分からなさを体で味わっている。

OPラスト


  ♪ ララララー(ララ!ララ!) ララララー(ララ!ララ!) Oh, Welcome to the ジャパリパーク

(ララ!ララ!)が嬉しくて、胸が詰まってしまうくらいなのだから、
やはりなにか良くない塊を投げつけられて、当たってはいけないところに当たっているように思う。
困ったものだ。
あと残り半分のうちに、どうにかその正体を言葉にしたいと思う。


「サファリ」という言葉も意味をよく知らないなあと思って調べてみたら、
アラビア/スワヒリ語で「旅行」って意味らしい。
普通のことばだった。
信州へサファリに行きたいとか、京都サファリしたいとか言えるのか。
ときめく。

温泉サファリしたいオイサンでした。

 
 

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2017年2月18日 (土)

■頭文字H~イニシャル・エッチ 花と性愛の頃~アニメ『セイレン』感想 -更新第1110回-

『けものフレンズ』でバカみたいなことばかり言っていた反動か……
『セイレン』が気になってきた。
あの地味さが、妙に。

3話から見始めて、4 → 5話まで見たところで1話に戻ってきた。
1話、いいですね。

『アマガミ』の続きのような位置付けになっていたせいで、
なんとなく主人公を、正当なるザ・紳士の血脈のつもりで見てしまっていましたが、
嘉味田くんは……真面目っ子なんですね。
そのことに気付くのに結構時間がかかってしまった。
飛びぬけてファニーな発想の持ち主でもないし、性癖にも特殊過ぎるほどの特殊性は見られない。
将来に不安を抱えているだけの、何なら若干おとなしいくらいの、
いじられやすい真面目っ子だった。

その代わり、際だって異彩を放つのは輝日東という生活空間の異世界感w
住む人や町並みこそ現実の日本だけれど、
パンダココアに始まり、
茶巾寿司定食が大人気だとか、
昆布のりうどんとか、
お化け屋敷スゴロクの内容と、それで平然と遊ぶ高校生、
カブトムシの話で盛り上がる担任にシカ育成SLGと、
食べ物を中心に、娯楽、人のちょっとした気質など、
広々とした世界の中で、文化のはしばしに尖りが配置されていて
心の落ち着く接地点がひとつもないw

異様な細部を積み上げた結果、見える風景はざっくり同じに見えるのに、
足元がグラつくようなエキセントリック加減。
面白い世界観の作り方だったんだなあ、と感心してしまった。
そういう肝心なところに背骨のズレがあるから、人間の行動が一種異様でも
「そういう気質・慣習で育ったひとたち」という理屈が納得材料になる。
面白いこしらえ方だ。

そこで本筋の話になりますが。
御大高山の、哲学みたいなものには共感できるんです。

男の子はエッチな心根から恋をするものなんだということを、
御大高山は謳おうとされているように思われます。
変化球ではあるけど。

そして、女の子も女の子で、男の子とは違う目線というか、
女の子なりのなまなましさのエッチさで、恋という行為や思いにアプローチしてくる……
ただその生々しさは、あくまでも男である御大高山ご本人の目線で読み取られたもので、
かつ、
彼の青春時代(というと語弊があるが、つまり性的に最もリキリキムラムラしていた時分)のものだろうから、
今のリアルな女の子の物とは違うかもしれない……。
そこを伝達しやすくするためにエロ……性愛の、殊に猥雑で劣情を催す表現には手練手管を尽くして
エキセントリックな表手法を試みてくるけれど本質はそこにはなく、
ひとえに
「男の子も女の子もエッチなんだよ、エッチで恋をしていいんだよ」
ということを、清潔感でコーティングしながらもムラムラとした艶やかさ、妖しさで描いてくる。

  しかし、清潔感とは書いたもののこのマンガ、先にも書いたような独特の世界観、
  というか生活文化感、一線を画した生活感を備えているがために、
  古びた温泉街のような不穏な、生活の汚れた空気が漂っている気がする。
  埃っぽさと、湿り気過剰のかび臭さというか。
  温泉街の裏通りみたいな猥雑さがある。
  閑話休題。

OP主題歌からして、その傾向は見て取れる。
「キミの花」。
直球だ。

▼キミの花 奥華子



ここでいう「花」を、特段エロいニュアンスだけに特化して解釈するつもりはない。
もっと普通の、可愛らしかったり、華やかいだり、
はかなげだったりするものとしての意味も十分に含んでいる。
しかしそういう様々なニュアンスに包み隠し、
受け手が「花:のことを「おしべとめしべでエッチな教育に使われるやーつ」であると知っているのを利用して、
ほんのりとエッチさを差し出してくる。

  ところで御大高山が「花」をよく使う印象があったのだけど、
  そんなことなかったな。
  『アマガミSS』の森島先輩編のEDのカップリングの「花」が妙に印象に残っていただけだ。
  森島先輩編のED曲をいま改めて聞いてみたけど、下手だな。

オイサンはもはや童貞っていうレベルではなく童貞だから、
つまり、


  ♪ 逢うたび君を好きになって ちいさな手に触れたくて


っていう「ちいさな手に触れる」悦びさえロクに知らないモンですんで、
なかなかその辺の「恋を、始めからエッチなものとして喜ぶ構え」を実感として納得するまでに
時間がかかるんだけども、一旦腑に落ちてくると、
それこそ童貞だものだから、若い悦びや興奮は大変よく共有できる。
多分いまでも、女の人の手を握ったらちょう緊張するしドキドキできる自信ありますしね。
フフン。 ← 得意になるところが違うぞ
その、「(男の子が)ちいさな手に触れる」悦びのエッチさ、
別に手を握ることなんかいわゆるエッチでもナンでもないんだけども、
肉体的な接触の入り口のところで興奮してるってことはやっぱり明らかにエッチなわけで、
「性愛の良さに日を当てる」みたいなことを、
ご自身の実感ある言い方では伝わらないから、
御大高山は手を替え品を替え、
ワキを替えヒザを替えヘソを替えしてどうにか語ろうと、
いまのヒト向けに通じる変換アダプタを探している。

抑え込んで抑え込んで抑え込んだ、
爆発しえないムッツリなエッチさ、一人でいる時でさえ発揮し切れないエロの空気を、
あの作品のカタルシスのなさは、すごいいい感じに表現しているように思えてきた。

なんなんでしょうねあの人は。やはり、一種の天才なんでしょう。
こんな焦らしプレイありますか。
スカートの奥から汗が一筋、フトモモを伝っておりてくるのを
お前らは黙ってそこで正座して待っとけ! みたいな、
はいサーセン! みたいな、
そういうんですよ(どういうんだ)。
マわかんねえけど。
そういうものに見えてきたよ。
まあ絵描きっていうのはそういうトコあるのかも知れませんね。

だもんだから、そういう主題から逸れた枝葉の部分……
例えば、主人公たちがプレイするゲームの内容とかは、
エキセントリックでこそあれ、あからさまに適当に仕上げてくる。
枝葉であることの強烈な主張であるように捉え得る。



……と、そんなことを考えていたら、
「地味に映るのも当然か」という気もしてきた。
エロを表現するのにストイックになる、というアンビバレンツ。



OPのサビが妙に頭に残ったので気になって繰り返し聞いているうち、
なんだか楽しい、良い作品であるように思えてきました。

まテンポがあまり良くないなとか、そういう風に感じるのも確かなんだけど、
このぬったりとした「ズレ」、不快な違和感の世界でなければ表せないモドカシサでもって、
狙ってなにかおかしなことを実現しようとしているのかもしれません。
アニメ、マンガ、ゲームの世界が陥った、分かりやすすぎる記号やあからさまな刺激から、
少しずつでも軸足をずらせて行こうという気持ちが……あるのかもしれない。

  例えばそれは「ビッチ」っていう生態のリアリティであったり。
  なかなか、ギャルゲーのフォーマットでは歓迎されないその生態を、
  なるたけ「いいもの・魅惑的なもの」として持ち込もうというスタンスとか。

彼の描き出すあの繊細な線
(悲しいかな本作ではその芸の線が画面上に顕現することはなさそうだが)が本来描き得る、
線と線の行間ともいうべき気持ちを、
そういう空気を生み出すことで代替させようとしている。

  けどね、オイサン、御大高山の絵が生き生きとするのって、
  静止画だと思うんですけどね。止まった絵、一枚の絵。
  だからゲームの『アマガミ』の、
  ほぼ究極とも言える「止め画を超細やかに動かす紙芝居」は、
  御大高山の画を生かす最も正解に近い御業だったと思いますよ。
  エエ。掛け値なしに。すごかったもの。

というわけで、『セイレン』は、
何かを失敗していまの様になってしまっているのでも、
やろうとしていることを何かに阻まれてああなのでもなく、
ああでなければ表現しえないものなのではないだろうか?
イヤわかんねえけどさ。
けど、その様に「読む余地がある」という可能性は残されているし、
そうでなかったとしても、
じゃあ自分がそれをやろうとしたときのための引き出しとして使えるものを拾えた、
という意味で大変OKです。

そんな可能性を見出すことが出来たので、
ちょっとこの先もそういうポジティブな目で引き続き眺めて行こうと思う。

あと、常木さんのお友だちの一人、髪の長い子は可愛いですね。
アタマちょっとオカシイしw
「私、ポルノ漫画家のサイン欲しいッ!」
って、すごい勢いで言うなw いいよ君。光るものを感じる!
郁夫君も、特段おかしなことを言わない普通のアタマいい男の子でびっくりしました。
この先馬脚を現すのかもしれないけど。
郁夫君のフツーさ、とても好感度高いです。
「元祖尻軽」こと、彼のお姉さんはどうしてるんでしょうね。
相変わらず適当なことを弟に吹き込んでるみたいですが。


作品世界の中を歩くうち、
こういう奇怪なエッジにちょっとずつ肘やらヒザやらをひっかけてほつれていき、
最後には丸裸にされているのかもしれない。

あとこのアニメ、3ヒロインにしか焦点当てないご様子ですな。
残りは……別メディアかしら。
なんにせよ、この作品の好感度を自分の中で上げることに上手いことこ成功したので、
続きがあるなら楽しみにしよう。

最後まで、うまく騙しおおせてくれると嬉しい。



オイサンでした。


 

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