2017年3月19日 (日)

■花よりも花の如く、光陰よりも矢の如く。そして…… -更新第1117回-

オシゴト帰りに新宿エキナカの本屋さんに寄ったら、
『花よりも花の如く』の最新刊が出ていた。
16巻。


  

  こっちで試し読みもできるっぽい。
  http://www.s-book.net/plsql/slib_detail?isbn=9784592210061


『花よりも花の如く』は、現代に生きる若き能楽師・榊原憲人が、
能の世界を通じて、人の世の悲喜こもごもを味わいながら、
能楽師として、人間の男として、なんとなくいい塩梅になっていく物語です。

  「成長」とか言わないぞ。そんな安っぽいモンじゃないんだ。

デまあ話の中身はいいんですが(いいのか)、
その新刊の帯に「成田美名子先生、画業40周年!」とアオられている。
1977年デビューというから……
なんと、オイサンの生まれる前から原稿用紙と格闘していらっしゃる計算になります!

  ……すみません、いまシレッとウソを書きました。
  オイサン生誕の2年後からですね。オイサン暦2年からですね。
  O.C(オイサン・センチュリー)2年。
  なんでウソついたんだ!(ドン!!

しかし40周年とはなかなかスゴイいキャリアですが、
お生まれは1960年と言いますから、17歳からマンガ描いてんのか……。スゴイな。
花とゆめコミックスの単行本なんで、ガッチガチの少女マンガでありまして、
作風も、昨今の、少年・少女の垣根がかなり取っ払われた感じになる以前からのものでありますが、
まオイサンは小学校低学年の頃から『パタリロ!』なんていう
当時の少女マンガの中でもかなりアグレッシブなものを読んでおりましたし、
それ以降もナンヤカンヤ触れて負ったのでそこらへんに抵抗感はない。

  『ぼくの地球を守って』とか『動物のお医者さん』とか『ここはグリーン・ウッド』とか、
  まメジャーどころばかりですが、ガッツリと読んできました。

    


成田作品に触れたのは、大学1年か2年の頃、当時活動してた演劇部の女子のお友だちから、
「これ面白いよ!」と借りた『CIPHER(サイファ)』が最初だった。

  『CIPHER(サイファ)』は、N.Yに暮らす双子のアクター、
  ジェイク・ラングとロイ・ラング(=サイファ)がある確執から袂を分かって暮らすようになり、
  それまで一心同体のように生きてきた二人がそれぞれの道を歩むようになっていく、
  というお話。今読んでも最高に面白いです。


  

オイサンも当時はクソみたいな男子大学生らしく、
そのマンガを貸してくれたコを憎からず想っておったりしたものですから喜んで読んだのですが、
コレがまあなんというか、非常に不思議な面白さでした。
先が気になって仕方がない!!
……という類の、面白さではない。
引き込まれるとか、そういうんではないけれども、
……なんかこう、人物が常に自分のそばに寄り添っているような、
向こうの世界にいるままこちらにもいる、みたいな面白さでした。
フィクションならではの刺激的な面白さよりも、
「ちょっと上質な現実」とでも呼ぶべき、
あらゆる感情を丁寧に丁寧にブラッシングしてあるような肌触りの良さが際立つ感覚がある。

その後も、『ALEXANDRITE』(アレクサンドライト・『CIPHER』のスピンオフ的な続編)や、
完全新作の『NATURAL』も成田先生の作品として読み続けてきたのだけれども、
やはりどれも強い引きや動機を生む作品ではなかったので、
なぜ連綿と読み続けてきたのか、途中でやめなかったのか? は、
今にして思えば少し不思議ではある。

しっとりとじんわりと、とても面白いのにストレスがなく、
読めば確実に、何か一つの真実に触れることが出来るという確信が、
どこかにあったのだろう。
思えばそれは、ゆうきまさみ先生の作品と似た感触である。

オイサンが成田先生作品に触れたのが恐らく大学1年か2年、18、9歳の頃で、
1995年前後のはずだから、約22年。
こんなオイサンでも、先生の画業のうち半分にはお付き合いしていることになる。


■ずっと俺のターン

にしても40年、22年か。
オイサンも今年は42になり、両親はともに70を超える。
マそうして考えると……あまり口にしたくはないコトだが、
両親もあと、10年? 一緒にいられるかどうか。
おられれば御の字、
生きているのに特に具体的な不安はないけれども、
たとえ明日突然そうでなくなったとしても、神様に向かって正面切って文句がつけられるような年齢ではなくなってきた。
神様にも「イヤお前そりゃそろそろ年齢だよ」って言われても……グウの音も出ぬ。
そのくらいの年齢かなあ、とボンヤリ考えてはいる。
何もしてはいないけど。

そーなってくると不思議なモンで、
次に自分の番が回ってくるのも案外あっという間だな、なんかをやり切るほどの時間はないな、
……と、思ってしまう。

ここ最近を振り返ってみると、10年なんてあっという間だったなあと思うワケで、
……マその「10年のはやさ」が本当かどうかはあとで考えるとして、
真実だとするならば、
自分に過ぎる10年も、両親に過ぎる10年と同じようにふりかかってくる。
つまり。
オイサンもあっという間に50になる。
50になってしまえば、60もきっとすぐだろう。
そしたらもう、アレですよ。
いま自分が両親に見ているように、いつこの世を退場してもおかしくない年齢までもすぐだ。
そうか、自分もすぐに死んじゃうんだな、と、春の日の、うららかな陽気の散歩の中で思ってしまった。

しかしここでさっきの問題、
「10年は、本当にそんなに早く過ぎ去ったのか?」について考え直してみると、
丁寧に振り返れば……案外、そうでもない。

振り返り方の違いで、随分と印象が違うことが分かってきた。
ある特定の点のことだけを振り返れば確かに昨日のことのようだから、
すっごくあっという間だったように感じる。

『アマガミ』が8年前! と思えば、うそっ! と思うほど早いけど、
『アマガミ』以前には知らなかった人たちとのことや、
『アマガミ』から今まで、どれだけたくさんの場所へ行き、どれだけ自分が変化してきたかを思うと、
そこにはやはり、長い時間、細やかな刻みが存在していたことが感じて取れる。
たくさんのことがあった。
たくさんのことをしてきた。
ブログを始めてからも、まだ11年しか経っていないことを思えば、
10年というのは、やはり案外長かった。
これから先の10年も、きっと色んなことが出来るだろうし、いろんな場所へ行けるだろう。
色んなものも、書けるに違いない。
まあ、自分が頑張らないといけないけど。

  そーいや、忘れてたけど、『アマガミ』も3月19日が発売日だから
  ちょうど8年なのね。



■人の時間、内臓の時間。そして、光の時間

あとそれに、これから先の10年が、これまでの10年と同じ速度で流れるのか?
と言われたら、きっと違うのだろう。
正しくは、時間が均等に流れる……らしいけれども、
自分がその流れを拾う速度と精度が下がっていくから。


物理的に……というか、生理的・病理的に、感覚器の性能がガクンガクンと落ち始め、
同じようにインプットが出来るとは思えない。
そういう兆候は既に出始めている。
それはつまり、主観的には時間のクオリティが下がるのと大体同じだ。
鈍った時間が流れていく、と考えた方がいい。
衰える体の感覚器が、一つのことを拾うにも時間がかかるし、
拾ったものの精度も決して高くない。事実から遠く離れていることも起こりうる。
その隙間を、記憶や経験で埋めようとするから、主観とバイアスに染まった風でしか、
捉えたり考えたりできなくなるのだろう。

  はなから目や耳で物事を考えないで、
  数値で頭にしまい込んであればそんなこともないのだろうけど、
  なかなかそうはいかない……
  そう考えれば案外、目や耳が不自由な人の方が、
  若い時と年を取ったときの衰え方の差が小さかったりするのかもしれない。
  どーなんだろ? イヤ、いま適当に思いついただけだけど。

マその分、年を取るとコレまではまともに見えなかったものも見え始めるから、
これからの時間がただのレッサーバージョンかと言われればそんなこともないけど。
若い頃に見えていたものが見えなくもなるので
±ゼロだとは思うけどね。難しいものだね。

イヤハヤ、
若いうちは正しい・事実に近いインプットが行われるのにインプットされたものを正しく処理することとが出来なくて、
年をとれば今度はようやく正しく処理が出来るようになるのにインプットも回転も悪くなる。
人の言う「全盛期」とは、その両方のバランスが取れている本当に短い時期のことをいうのだろうな……
なんていうことも、ようやくわかるようになってきたワイよ。

自分としては、インプット装置が多少トンチキこいて、
アウトプットするものが公平・公正・均等でないイビツなものでも、
自分にとって、そしてそれを喜んでくれるごく少数の人たちにとって輝かしいものでさえあってくれたらば
十分満足なので、あんまり困らないけども。

ただ、やはり勢いはなくなるね。
エンジンが弱くなる。
人間、大部分はかなり下っ腹で動いてるな、と思わされる。
内臓は随分モノを考えているなあと実感するし、内臓の衰えは実感する。。

アインシュタインさんの考えた相対性理論によれば、
時間の流れの速さは絶対の一定ではなく、
唯一絶対に一定であるのは、光の速度だけ、ということのようである。
すべての基準はそこにある。
時間が流れていることを前提に生きてる私たちからすると分かりにくいと思うが、
つまりその考えに則るなら、

 「光は1秒間に地球を7.5周できる」

のではなく、

 「光が地球を7.5周するのに(停止した状態からみて)かかる時間を1秒とする」

と表現するのが正しい、ということのようだ。
時間の流れているのが前提の世界に光が走っているのではなく、
光が走っていて、かつそれよりも移動が遅い、あるいは静止している連中がいるから、
相対的に時間というものは発生する、という考え方……というか、世界を正しく理解すると、
どうやらそうなるらしい。
だから、光そのものが感じている時間経過はゼロになり、
それから遅れるほどに時間というのは流れていく、ということのようだ。
つまり、じっとしているモノより、
走ったり飛んだり、早く動いているモノの方に時間の経過はより緩やかにもたらされる。

なのでもしかすると、全身の細胞を光速で振動させることが出来れば超長生きできる……
のかなあ? と、バカなオイサンは思っている。

  イヤ、ちょっとコレ、考え方が正しいかは分からんよw?
  文系にも分かるように書かれた本を読んだ限りそんな感じっぽい、と思っただけだ。

勿論、基準が光速だけに、多少早く動いたところで計上される時差なんモンは
所詮誤差にしか過ぎないんだけれど、
それでも、
それでもだ、
誤差にしたって差は差であって、
それによって1秒の何千何万、何百万何千万、何億分の一でも、
自分が時間のくびきから自由になれる。
そう思うと……。
別に長生きをしたいワケではないのだけれど、
「いま流れる時間を少しでも緩やかにしたい」
と、思わないではない。
いまを緩やかに生きたいと願うことと、長生きをしたいと思うことは、決してイコールではないと、
オイサンは思う。

花よりも花の如く、光陰よりも矢の如く、
そして、ゆび先よ。願わくば、心臓よりも心臓の如くあって欲しいと切に願う。
文字を書くにせよ、シャッターを落とすにせよだ。



■Closing

話が、冒頭から随分違ってきたので引き戻そう。

成田先生の作品は、昔から、老人でも若者でも親しめるテーマを扱っていたように思う。
『アレクサンドライト』が若干テーマが若くてリキリキした生命感・躍動感にあふれ、
『NATURAL』も、テーマは普遍的だけど表現の仕方・舞台と人々がヤングで若い人向けの傾向はあるけれど、
どれも、内臓の力が多少落ちても無理なく楽しめる作品群であるように思う。

いまの自分には、過去を基準にした時間の尺度しかないなあと感じるのだ。
昔に比べてどうだこうだ、
昔に比べて何が得られて何が失われる……と。
それはきっと、結婚して子どもがいたりしないので、
未来に対して前向きに何かを測れないから、なのだろう。
「未来、如何様にあれかし」と願う、抽象的な目測が出来ないでいる。
過去に比べて何かが失われた時間に希望を見いだせない。
「(何かが失われはするけれども)こんな輝かしさが得られているであろう、
 得られているに違いない未来の時間のために、アレをしよう、コレをしよう」
と考えられていない。

ひとりでいるということには、どうもそういう効果があるらしい。

そんな目線でいるから、自分の時間の残りの少なさ・流れる速さばかりが目に付くが、
丁寧に測り直してみれば実際はどうやらそれほど少ないわけでも無いようだし、
インプットも、その処理の仕方も、まだまだ色々やりようがあるのだなということが、
なんだか確認できたように思う。
成田作品には、やはり普遍的な何かがある。

大学時代、自分は結局演劇部をやめてしまって、
『CIPHER』を貸してくれた女の子ともすっかり疎遠になってしまうわけだけれども、
そうした大切な時間がブツ切れにちぎれた後にも、
成田美名子作品というなかなかに深い足跡だけはしっかりと残ってしまった。

  演劇部は、なんでやめちゃったんだっけ……? あまり覚えてないな。
  キッカケになったような出来事は確かにあるんだけど、
  それも最後には大きな影響になるようなモノではなかったし、
  どうしてあそこまで凹んでやめるに至ったのか、当時の心境や経緯はよく思い出せない。

……。

どーなんだろ、あれから20年が過ぎた今、
あの子はまだ、成田作品を――『花よりも花の如く』とか――
読んでいるだろうかなあ?

どう思います?(しるかそんなもん)

 
 

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2017年3月14日 (火)

■とりきめメモリアル~forever ゆず湯~ -更新第1115回-

某コーヒーショップにて(特定の系列に限らない話だとは思うけど)
「アイスコーヒー、氷なしでください」と頼むと、
おみせのフレンズ(店員て言え)によって、大体3通りの対応がある。


 1. 氷が入った状態と同じ「量」のコーヒーを注いでくれる。

   2. 氷が入った状態と同じラインまでコーヒーを注いでくれる。

     3. 何も考えずに入るだけ入れてくれる……。


1.のフレンズにあたると、当然氷の対積分見た目が減るので、見かけ上は量が少なく見える。
2.だと、見かけ上は同じ量だが、氷の対積分、コーヒーの量は多い。量的にオトク。
3.のフレンズは……差分とか、目安とか、細かいことを考えるの、もうメンドクサイんだろうな。

マ多けりゃいいってもんでもないので誰もが同じ感想を持つとは思わないが、
オイサンは、3.がうれしく、1.だと、やっぱりちょっとションボリする。
結構目減りした感あるのでね。
が、本来は1.の姿が正解だと分かるし、
2.だと当たり、
3.だと大当たり!
……くらいに考えている。

オイサンはだいたい持参のボトル
……っていうのか、マグっていうのかタンブラーっていうのか。
  誰か、アレの呼び名をちゃんと統一してくれないかね……
に入れてもらうけど、それがまたそこそこ大ぶりで結構量が入ってしまうので、
3.の人に当たると、1.の2倍3倍の量にあたると思われる。
いいのかね。
お店にはたぶん取り決めがあるのだろうけど。

とりきめメモリアル(どさくさに紛れて何を言っているんだ)。

マグとかタンブラーとか、最初に言い出したのは誰なのかしら?
オイサンです。

「水筒」だろ。水筒。
あと「魔法びん」は、たかが保温機能に「魔法」は盛り過ぎだと思う。
魔法びんだって、言われて困ってると思いますよ?

  魔法びん「イヤイヤイヤ! 魔法て! 大げさですて! 科学! 科学ですねんジブン!」

って言ってると思うよ。
言うかそんなもん。



 

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2017年3月11日 (土)

■ヘヴン化☆こみゅにけぃしょん~此方と彼方のドキドキ・シュヴァルツシルト~ -更新第1114回-

オイサンはまあオタクでオタクで、もう

「いやーおじさん、オタクで困っちゃうよ、はっはっは」

と親戚の子にウッカリ言ってしまうくらいオタクなのですが、
イヤすみません、
実は同世代の親類に子どものいる従弟とかが全然いない、という
遺伝子を残すことに対して絶望的に才能のない世代の血族なので、
「親戚の子に言ってしまう」は全く持ってウソですが、
とにかくまあオタクです。

デ、オタクはホラ、よく、言われるじゃないですか。

  「アニメやゲームと現実の区別がついてない」

って。
アレ、ウソだと思うんですよ。
いや、断言しますけど、あれはウソなんですよ。間違っている。
根っからのオタクほどアニメやゲームと現実の区別がついてる人種などおらぬ。
モノゴトをよく分かっていないか、事実を捻じ曲げようというナニモノかのプロパガンダです。
彼ら……私たちは、痛感しておるですよ、
現実とアニメ、マンガ、ゲームとか、そういうフィクションは違う、違いすぎるということを。
ただ、アニメや漫画やゲームのような出来事が現実にもある、
起こる、
起こりうる、
起こりうるかもしれない、という夢を捨てきれないから、その境目をさぐり、
少しでも触れるために、あちら側の世界に立ってこちら側の現象に触れようと試み続けるから、
区別がついていないように見えるだけなんです。

  ……マ結果的に、「区別がついていないように見え」て、
  それが現実の世界だけで生きている人たちには迷惑千万なことには変わりないんで、
  現実的な厄介加減は変わんないんですけどね。テヘ♪
  でもその迷惑をしっかり知らしめることは、
  「そのラインに現実⇔虚構の境界は存在してない」ことがこ知れるので大事なことです。

それはサテオキ、オタクなオイサンは……
そうは言っても最近、

   「しまったな、どうやら俺は、
         ちょっと現実と虚構の区別をし過ぎたぞ?」


と、反省していたりする。

例えばホラ、巷でもっぱら噂ですけども、
どうやら、女子の皆さんも、えっちなこととか、お好きらしいじゃないですか?
下馬評によると。
マ聞いた話なんでよくしりませんけど。
エエ。
らしいんですよ、どうやら。
奥さん。
知ってました?
高校生は下校のときに、男の子と女の子で一緒に帰ったりするらしいし、
遊園地でデートしたり映画館でデートしたり。
なさるらしいんですよ、どうやら。現実でも。

そこをこう、オイサンなんかは、区別をし過ぎて、
「2次元で起こるっているコトは、……ハッハァーン読めましたよ、
                        サテはそれ、現実ではキホン起こらないな?」

と考えたモノですから。
まさかそんなと。
女の子もえっちなことを考えて、
なんなら好きな人相手にはそれを期待したり仕掛けたりサインを送ったり、
するだなんて、そんなのは、バカヤロウ!
フラワーコミックスの中でだけの出来事だ、夢見てんじゃねえ!!
分かったらさっさとボイラーに火ィいれて、裏から薪と鉈を持ってこい!
……って、親方に怒られて育ったモンですから(俺なんの仕事してんの?)
そうした認識を現実に持ち込むチャンスを、すっかり逸してしまった。

  そう、オイサンは現実と二次元の境目を手探りするタイプのオタクではなかったもんで。
  考えて満足するタイプでしたのでね。
  そういう人たちは一杯見てきたんで、そういう人たちのコトも分かりますけれども。
  あと、賢明な皆さんはお気付きだと思いますが、
  オイサンの場合、二次元オリエンテッドで認識がスタートしているのもおかしなところです。
  二次元で起こったこと、見たことが、先に来ている。
  しかしこれは、いま振り返ってみるとかなり幼い頃からそうだったような気がします。
  虚構の世界が自分の土台、基礎にあり、
  「現実に立って、虚構に憧れていく」のではなく、
  「虚構に立って、現実にないものは『諦めていく』」というスタイルでありました。
  自分のことしか知らんので、どっちがフツーなのかはわかりませんけれども。

クリスマスもバレンタインもハロウィンも、
確かに目の前で皆さんやってらっしゃるんですが、
自分とその目の前の風景の間にはもう、現実⇔二次元 の境にあるのと同じくらいの高さと厚さの、
否、高さも厚さも存在しないけれども決して交われない時空の特異面があるのです。
隔てられている。

……オイサンなんかは、そんな風に世界が見えている。
……ということに、最近、気付き始めました。

というのも、先日のこと。
バレンタインのときに、まコンビニやらでもキャンペーンをやってますし、
ああやってんなー、くらいに思いながらシゴトバに着いて
死んだサーバルちゃんみたいな目をしながらオシゴトにいそしんでいたんですよ。

  わーい、たのしーい! すごいすごーい!
  社長ちゃん、この
無茶な日程のおしごとどうしたの? とってきた!? すっごーい!!


そうすると、女子社員の方が席までやってこられて、
ハイどうぞ、とチョコレートを下さったワケなんですが、
勿論義理というか、フロアみんなにお配りになるものですよ、
それを置いてってくださったんですけれども、もらった瞬間このオッサン、

  (これ何?)

と思ったというから、どうかしてますよね。
どっか旅行でも行ったのかな? って。
思った。
勿論、一瞬あとには、ああああ、そうかそうか、そうだった、コンビニでやってたやつだ、
と理解は出来たのですが、
同時に理解出来なかったことにはあとあと我ながら驚いていて、
自分にとってはそこまで無関係の他人事として認識できていたのか、やるなオレ! と、
いたく感心したのです。

まあだからどうだって話でもないんだけど、
お若い皆さんはですね、さすがにもうちょっと、
現実と、アニメやマンガやゲームを区別し過ぎないで、
たまにはそっち側でやってることも、現実でもやっていいんだということを知っておくと
大人になるのに役に立つかもしれません……。

  ……そーいえば、たばことかお酒とか旅行とかクルマとかも、
    そういう認識でいたから、手を出さずに来たのかもしれない。
    そんな気がしてきた。

そもそも、虚構を基準で考えない方がいいのかも知れません。
やっぱそこが根本的におかしかったな。
そっか。
そこだったか。


どうでもいいけど、今また小諸にいます。

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マそんな感じでヒトツ。
オイサンでした。


 

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2017年3月 5日 (日)

■啓蟄IGNITION~前略、春の底から -更新第1113回-


春めいてまいりました。


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私は春が、春のあの、体のどこにどう作用しているのか、
皮膚の一層下に余分な熱が挟み込まれて、ふわふわと心がボンヤリするような感覚が得意でないので、
春があまり好きではナイ。

あれは全体、どういう仕組みでああなるんでしょうな、
エロ漫画じゃありませんが、人間の体というのは本当に正直に出来ている。
ヒトがまだフレンズだった頃の名残なのだろう。
あれは……コントロール出来る代物ではない。

  皆さんあの感覚に自覚的なんでしょうかね?

だいたいアレだ、春になるとあったかくなるし、
あったかくなると虫が増えるじゃないか。
春が好きな人というのはアレだ、虫なんじゃないか?
そうだろ? どうだ?(言いがかり
今日はそこまでハッキリしたフワフワ気分ではなかったが、
ぷらぷらと散歩をしていると、ウッカリ山本正之先生の『桃の花』なんかを口ずさんでしまったりして、
我ながら、嗚呼、春だなあと実感してしまった。


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『桃の花』かと思えば、『泳ぎ続けてビリジアン』だったりして、
まあこの辺はわかる人じゃないと分からない曲ばかりなんだけども。


  ♪オリオンにしますか? それとも、ベガまで行きますか……


なんつって、
思えば山本先生のお歌には、宇宙にまで意識を馳せたものが少なくない。
意識と言葉は地球から始まって、地面、海、空へと広がっていき、
星々、宇宙へと旅立っていく。
山本先生は、宇宙へ行きたいのだろうか?
行けると思っているかどうかは分からないけど、
ずっと宇宙へも向けた歌を歌ってきた人としては、
こうしていま、手が届きそうなまでに近付いてきた宇宙に辿り着けないまま世を去るのは
もしかしたら悔しいのかもしれないなあ、などと……
木瓜の花や梅の花を写真に収めながら、考えていた。

時刻は夕方にならないくらいで、暖かいし、日も長くなってきたこともあって、
晩メシの前に運動しておこうという御仁が多いのか
ジョギングの人の姿が多かった。
この人たちはこんなに一生懸命走ってどこへいくつもりなのだろうか、
何のために体を強くしているのだろうか、
もしかすると、彼らも宇宙まで行こうと走っているのかもしれない、
なんかそれしかないような気がしてきた。


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イヤ意味は分かりませんけどね。
春だから。
春なんてそんなもんですよ。



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2017年2月25日 (土)

■記念日に平気でいんちきをする男の11年 -更新第1111.11回-

本日で、当ブログ『ゆび先はもう一つの心臓』も丸11年目を迎えました。

デ、
11年目の記念日に、1111回目の更新をぶつけられたら
 『11年目の1111回の1並び』でキレイだったのにナー」
ということに気付いたのが、先日、何も考えずに1111回目の記事を上げてしまったあとだったもんだから、
あーあ、と思っていたのですが。

このたび無事に、「11年目・更新1111.11回目」という
「1の8(末広がり)並び」で迎えることが出来、非常にこう……
縁起が良いな! と。
ねえ。
偶然とはいえ。ラッキー。



……。



いんちきやないか!!

なにがラッキーなものか!



うるさいな! いいだろ別に!
運っていうのは、アレだ、自分の力で引き寄せて勝ち取るものなんだよ!

普段絶対そんなこと言わないけど!!

運は運だろ!
運なんだから運ぐらい努力なしに掴ませてくれよ!
めんどくさいなもう!
努力で運をどうにかできたらそんなの努力だろ! 運じゃないだろ!

……どっちなんだ。四十になったんだから少し落ち着けよ。
すみません。

まあどっちにしたってアレだよ、
よくまあそんなに続けてきたもんだよ。
飽きもせず。
大して読まれてもいないのに。
立派立派。十分だよ。
だいたいカウントしてない記事もあるし、ときどき更新番号間違ってたりもしたから
実際は1111回目なんかずっと前に過ぎてるんだし。 ← あっ
いいよいいよ。別にそんな、細かいコト。
言いっこナシ。

記念というか、ゴホウビに、
こないだ見かけてちょっといいなと思ったマグカップを、
そのときはやめといたんだけど、買ってきました。

Dsc01087



2222回目までにコレが割れてしまったら、そこでブログをやめようと思います。
ウソですけど。
ウソをつくな。
そもそもコレ、ステンレスだから割れない。
むちゃくちゃか。

ずっとこんな調子でやってきたので、この調子で参りますけれども。
いまこれを読んでいるあなた方の大半は多分オイサンよりかお若いと思うけれども、
またさらに十何年か経って、あなた方の年齢がいまのオイサンに追いついたとしても、
オイサンはきっとずっと、いまと変わらないいい加減なテンションでものを書いていると思うよ。
約束する。
約束はできないけれど。
だからどっちなの。自信がないなら言いなさんなよ。


 

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2017年2月23日 (木)

■SEGAの新ハード『7つ星』について -更新第1111.01回-

今年から先、宇宙的な発見や発表が、きっと頻繁に起こるだろう……
などと、年の瀬から予言めいたことを言っていた矢先に、
SEGAの新ハード、「7つ星」が発表になりました。

 ▼NASA、地球に似た7惑星発見 水存在の可能性 [日本経済新聞]
  http://www.nikkei.com/article/DGXLASGG22H1W_S7A220C1EA1000/

 ▼地球に似た惑星7つ見つかる 太陽系から40光年の宇宙で [NHKニュース]
  http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170223/k10010886861000.html

 ▼TRAPPIST-1 [Wikipedia]
  https://ja.wikipedia.org/wiki/TRAPPIST-1


ちがった。
「SEGAの7つ星」じゃなくて、「NASAが7つの惑星」を見つけたニュースだった。
間違っちゃった、失敗失敗。テヘ。

しかし、フムウ。(急に真面目なカオ)……39光年先か……。
この発表を聞いた直後は、「近いな!」と「遠いな……」が、心に同居してしまった。
生まれたばかりのヒトの子どもを乗せて光の速さで飛んで行っても着く頃にはすっかりアラフォーで、
生きて地球に戻れるかは微妙な距離。

直接の行き来や交信を考えるにはまだまだ遠い世界だけど、
何万光年とかいう距離が平気で取りざたされる天文ニュースの分野の話だと思えば
きわめて卑近な種類だと言える……気がする。



しかしこう、どうだろう?



我々が深淵を覗きこむとき、深淵もまた、我々を覗いている。
そのことを思えば、あちらからもきっと、今頃こちらを覗きこんでいるに違いない。
今回こうして覗き込む先が当面7つに絞り込まれたということは、
気長に覗き込んでいれば、目ぐらいは合う可能性は、ずいぶんと高まったのではないだろうか。
あとまあ、今回大事なのは、「7個も!」っていうところですかね。
7個もあれば、どれか1個くらいは当たりなんじゃないかって気がしてきますものね。

……その昔、オイサンの敬愛したゲームクリエイターの故・飯野賢治氏が、


  「企画のアイディアを考えるとき、3つはあった方がいい。
      3つあれば、1つは当たりそうな気がするじゃないですか」



って本に書いてましたし(そんなことよく憶えてるなオレ)。
今回は、なんと! その倍以上あるワケです。
当たりが2個あっても、科学的におかしくない。ずいぶんチョロい科学だな。

そんな風に考えてみる。
……マその、目が合うにしても、39年前の人と目が合うワケだけどさ。
そー思うと、やっぱちょっと遠いな。
電波使おうが何しようが、光よりは遅いハズですしね。
お手紙のやり取りが出来ても、一生のうちに往復1回が関の山か。
ロンリネス。

しかし、諸君、気を落とすことはないよ(エラソウ)。
『シュタインズゲート』を思い出して見たまえ。
はじまりは、過去へのみ、情報のちいさな断片を送り込むことしか出来なかった時間航行の概念が、
未来へもヒト一人運べる形になるまで、そう時間はかからなかったではないか。
その怒涛の進歩は、「過去への小さな時間遡行が発見されたこと」を
さながら引き金のようにして起こっていった。
「時代」とは、そうしたものではなかったか?

今回、こうして一つ「強い動機」を手にした人類は、これからまたアホみたいなはやさで、
問題をクリアし、生きたい場所へ行き、見たい物を見ていくに違いあるまいよ。
だって、バカだから。人類。
そんでまた、人類、スケベだからw
見たい、嗅ぎたい、舐めたい、触りたい! にかけてはもう一級品だから。
やるよ。
やっちゃうよ、きっと。すぐだよ。
『ダッシュ勝平』のように!  ← オッサンか。
いまこそ叫ぼうではないか、



  「 『規制』は終わった 」 !



……。

ところで、SEGAで「7つ」といえば、真っ先にこのソフトが思い浮かんだ。

 ▼七ツ風の島物語
 


……のだけど、サターン専売ソフトっていうイメージが強かっただけで、
スクエニ(当時EINX)のゲームだった……。
他にも何かあったような気がしたんだけど、思い浮かんだのは
ドリームキャストのロンチタイトルにあった『セヴンスクロス』(NEC-IC)だった。
うーん。
サターン……は、6番目のハードか。
他に、なんかなかったっけ? 誰か思い浮かばない? (NASAの話はどうなった)

  全然関係ないけど、サターンて、
  世界規模では歴代セガハードの中で一番売れなかったのか……。
  日本では歴代で一番売れたイメージなのに。どれだけガラパゴスなんだ日本。

ところで、宇宙に孤独な生命だと思っていた我ジンルイの住み処のご近所さんに、
家らしきものがなんと七軒も見つかった……
この発見がなされたことと、
「孤独のヒトであるかばんちゃんがフレンズと出会う物語」である
『けものフレンズ』の放映の時期が重なったことは、
科学的に考えて、偶然では済ませるのはいかにも不自然ではあるまいか?
これはもはや、NASAのプロパガンダ、陰謀……否、宇宙の意志と言っても良いのではないだろうか……。


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「けものフレンズ ロゴジェネレータ」とかがあったんで作ってみた。



ねえサーバルちゃん、サーバルちゃんはどう思う?

  「うーんんんん……そうだ!
    オイサンちゃんは、とってもいいかげんなもうそうが得意なf」


わかったもういい悪かった。
オイサンでした。


 

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2017年1月 7日 (土)

■ミライガ マルゴト ヤッテクル。~PRay Back 2016~ -更新第1102回-

2017年、あけましておめでとうございます。
オイサンです。

  ……もう七日やないか何を言うてまんねん、と突っ込まれそうだが、
  いいんですぅー、まだセーフですぅー(根拠なし)。

旧年中も皆さんにたんまり笑って頂きました。
本年もガッツリ笑って頂く所存なので、マその才覚のある御仁だけ読めばいいと思います。
ついて……こられるか?

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鎌倉、鶴岡八幡宮。超解像ズームの練習で撮った。


マそんなんで、年も明けたというのに早速新年らしくないお話、
2016年の総まとめをやるます。
それをやったからといって何か発展的になるワケでもないけれど、
振り返らないと忘れちゃうから……老人なので。


  ※チョイチョイ入るお写真は本文とは概ね無関係な、
    2016年の個人的に気に入ってるお写真です。


■ある阿呆の一年 '16年版


  ▼反省~人生をたいせつに扱うこと、心と体の衰えと使い方を知れ。

とにかく2016年は……時間が全然、上手に使えなかった。
足りなかったんじゃなく、使えなかった。何もカタチに出来なかった。
楽しむことだけは出来て色々楽しかったが、けど、生み出したり作り出したり、
全然出来なかったのが……やはり、不甲斐ない。それをするのに体がついてこなかった。
ベースでやろうとしていることの分量は変わらないのだけど、体力的にそれが出来なくなった。
仕事して、インプットして、体動かして、書き物して……が出来ない。

体と心が、完全に緩んだ。
2017年は、いくらなんでももう少し引き締め直す方向で行くことにする。


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旭川空港。8月の朱鞠内の帰り。ワリとてきとうに撮ったのに。


ただし、自分がもう老人であることはしっかり意識に捉え、
摂取するのも、消費するのも、熱量を抑えて行こうと思う。
「たくさん動くからたくさん食べていい」のではなく、
「少しだけ食べて、それなりに動く」の方向性だ。
内臓がたくさん取り込む馬力を失いつつある実感がある。
すぐにヘタるので、たくさん取り込むことにエネルギーを使い、ダメージを負う。
弱虫ヘタる。
内臓を動かすのに体力を使う、そういう段階にきている気がする。
こればかりはどうしようもあるまい。

とはいえ今のオイサンは41歳、数え年では42歳で
(この数え年って勘定のしかたもなんなんだよって思うけど)、
世間的にはいわゆる本厄のトシだったワケです。
本厄コンニャク。うるさいわ。
その本厄を、ひとまずは目に見えた大禍なくやり過ごせたことについては、
この程度で済んでまあ良かったのかな? と思いもする。感謝である。

2017年こそは悪いカオで、
「クックック……この体にもだいぶ慣れてきたぞ」
と自信満々で言えるよう、削ったり足したりをバランス良くやって、精進していきたいと思います。
……人間、いくつになっても精進なんだなー。
メンドクセエ ← あっ

計画的に……というのは性にもスタイルにも雰囲気にも合わないので言わないが、
なんというか……うまいことやる。

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これも8月の朱鞠内。早朝、釣りに漕ぎ出す見知らぬフィッシャーマン。



 ▼2016年のスローガン「知性と教養」について、そして未来志向の世相について
   ~AIと宇宙的神秘の出会い、VR・ARと日常の出会い~


2016年は、年の初めに「知性と教養を!」なんてことを嘯いていたわけだけれども、
そのお陰なのか、大したレベルでは全くないにせよ多少「お勉強」のようなことも、
日常レベルで手を付けることが出来た。
それこそ本当に大した話ではない、娯楽目的でなく、何かを知るために本を読む、みたいなことでしかないけども。
「知ることにキチンと時間を割こう」というのは、億劫がりの自分としてはなかなか上等な発想であった。
それと関連して、2016年は「明るいニュースが多かった」と、個人的は言ってしまおう。

  ほかで起こったおかしな悪いニュースが帳消しにされるわけじゃなく、
  一年全体の印象として「よろしくない年だった」ことが打ち消されるわけでなく。
  「悪いことはあったが、良いニュースもそれはそれで多かった」というだけだが、
  喜ぶべきことではあると思う。

具体的にニュースとして報じられないまでも、
世間に流布した様々な出来事の中に、心躍らせる要素がたくさん……オイサンには感じられたので、
「良かった」と思った。


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掛川、2月。千反田さんに呼ばれて行った加茂荘菖蒲園。


それらは主に、テクノロジーの進歩、と言ったら最前線の人には鼻で笑われそうだが、
テクノロジーのちょっとした前進が実用・日常のレベルまで落とし込まれてきたなという実感で、
AIだったり、VRだったりARだったり、使い方のこなれてきたセンシング技術だったりなのだけど、
それらによって、なんかこう……

  「ああ生活が変わってきたな、これからまた変わるな、
   そして人間の『ものごとを把握し理解する能力』が少し拡張されたな」

ということを実感する。
人間(少なくとも日本くらいの文化レベルで暮らす若い世代)は、「新しく」なってきているなー、と、
見ていて思う。
その分切り捨てられる箇所もたくさんあるけど、それは多分、
視点が全般的に「上がって」しまったのだろう。
管理職が実務者の細かい作業まで把握しないのと似ている。

  その細部こそ大切な場合も多々あるので、一概に手放しで喜ぶことは出来ないが、
  ここで取りこぼした部分については、あとの世で(時間はかかるかもしれないが)うまいこと回収されることだろう。

VR機器が本格的にご家庭に入り込み始める傍らで、ARが『ポケモンGO』で世間に旋風を巻き起こした。
AIの分野では「こっちはしばらくは人間に追いつくのは無理だろう」と予測されていた囲碁の世界で
予測をあっさり覆し、人間に勝ってしまったり、
医療の分野でも人間の医師には見出すことのできなかった治療法だか病原だかを特定してしまったり、
し始めている。
自動翻訳の世界でもガンガン成果が上がっているというし、なんなら自分で作品を書き出すAIもいるという。
それを見て、世界最高峰の頭脳(人間の方な)が、
「ぼちぼちAIはやべえ。人間は警戒した方がいい」と言い出したりし始めてる当たり、
ガチでキテると思っていいのだろう。
意図的にアホな日本語を用いるのはやめろ。


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3月?スカイツリー。Pe氏と。


それと並行して、宇宙開発的な面での成果にもよく目がいった。
重力波の観測に始まって、新しいブラックホールがどうしたとか、
今まで見えなかった何かが見えたとか、見つかったとか。
まあ正直、オイサンにはそれらが具体的にどうすごく、将来的に生活にかかわってくるのかどうかもわからないけれども、
ここ100年くらいは何かを確かめることが主だった分野で、確かめが終わり、
過程で抽出できた物事を使った新しいことが始められたり、拡張されたり、
という段階に入っている……ように、まあ、素人目に見えている。
実際はわからん。

特に、宇宙規模的な
「なんか仕組みはハッキリとは分からんけど、
 観測結果から推測しまとめるにこういうことのようだ、
 リクツの根底まではハッキリせんが、それはもう確実で決まり事だ」
みたいな扱いに留まっていた事々について、この先発達したAIが、その仕組みの解明を手助けしたり、
「実は今までの理解はちょっと違っていて、実はこうなんだ、
 ここんとこで間違ってたからよくわからなかったんだ」
みたいな指摘に上手に手を貸してくれるようにこの先なるのではないか、
という不思議な期待を感じている。
なぜなら、彼ら(=AI)は既に人間の予想を覆す結果を出している。
即ち、人間には観測しきれない物事の関連性を膨大な事象の中から導き出すことをやってのけ始めているのだから。
ヒトには出来ない観察と推論と思考を彼らはやってくれる。

そこの「人間には気付けない辺り」に、
今まで辿り着くことの出来なかった宇宙の深淵への希望が見いだせるのではないか、
新しい扉が、また一歩開かれるのは案外すごく近い将来なんじゃないかと、
昨年一年、ひしひしと感じていた。

  この辺の変化については、確認したわけじゃないけれども、
  多分宮沢賢治あたりが大昔に詩に詠んで予見しているんじゃないかと思う。


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城端2連発。上は富山へ向かう途中のPA、グロッキーのアラフォーをしり目に。下は城端のローソン。


それはとても楽観的で、来年即花開くかと言ったらそんな甘いこともないと思うけど、
なんだろか、
2020年あたりには、もうオリンピックどころの騒ぎじゃないことに世界がなっているんじゃないなかなあ、
などと思うわけです。
エエ。
その辺、ワリと真面目にね。

  且つ、そういう予感を感じつつも、
  「マどうなるかは分からないけど、とりあえず次回もオリンピックの準備はしとこうぜ」
  という態度を守ることのできる人間という生き物に、オイサンは深く敬意を抱くものである。

まあオイサンなんかはどこまでいってもいんちきメルヘン物書きですから、
「面白そうな方向に」しかモノゴト考えませんけれども。エエ。
いいじゃありませんか。

VRやARは、
AIと違って新しく何かを切り拓く助けになるかはちょっとわからないけど、
自動運転とかドローンとかそういうものとも繋がって生活をちょっと良くする、
「足場を固める・歩きやすくする」助けになっていくんじゃないかと思っている次第。

そういう、「足場を固め、新しくする技術」と「頭の上をどんどん突き進んでいく技術」の2面が、
合わせていっぺんに突き抜け始めた、そんなトキメキを感じた1年でした。
なんていうかね、これから先5年くらいで、地球上とそのちょっと上の宇宙のあたりは、
今よりいくらか楽しいことになり始めるんじゃないだろうか。

多分、インターネットが一般的に流布する前からネットワークに明るかった人たちは、
90年代後半頃には、これと似たようなトキメキを抱いておったのではなかろうかと思う。

そんな風潮と予感から刺激を受けたこともあって、話は知性と教養の話に戻り……
いままで漠然としか捉えていなかった、
「宇宙でわかってることやわかってないこと」がどこまでなのか? とか、
そもそもの基礎の理屈、すなわち相対性理論などに対するジブンの認識はどのくらい正しいのか? とか、
それを確認したうえで、重力とは、ブラックホールとは、光とは、時間とは……
そんなことを知ろうと思って新しく本を読んだり、
人から借りた本に触発されて、改めて日本語を勉強し直してみたり。
そんな一年でした。
その辺りの、「遊びとしての勉強」の楽しさを、新たに思い出せた年ではあったかもしれない。
楽しかった。

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ダブル小諸。上は1月、下は4月。小諸の八重桜は美しいと思う。


■様々の遊び~2016年・大体のイベントごと

 ▼1月
  ・ 9日 小諸、10回目。オマケで上田。日帰り。
  ・24日 流山。だんけつ君と巡る『ろこどる』の舞台。謎の味りん屋大活躍。ちょう楽しかった。

 ▼2月
  ・ 6日 流山2回目。ひとりで。前回巡り切れなかった川の合流地点などを見に。寒かった。
  ・11日 鎌倉へ一人で。大仏が工事中で石棺の中。バインミー、もっふるを食う。ンまい。

 ▼3月
  ・12日~13日 関西よりPe氏来訪。朗読劇を聴き、スカイツリー、東京タワー、国会議事堂とはしごする。
  ・20日 掛川、『氷菓』の聖地・加茂荘菖蒲園へ。ひとりで。突発の思い付きで日帰りする。
     素晴らしき静けさに包まれた良き旅。たこ焼きがうまい。
     ここへはまた行きたいなあ。天浜線をとろとろと旅がしたい。
 ▼4月
  ・ 3日 鎌倉へ、一人で行ったっぽいが特に記憶がない。ボンヤリした。
  ・10日 厚木から南へ海まで歩く。静けさを求めたロング散歩だったが、やかましかった。
  ・16日 小諸・11回目。桜を見に、というなんとも旅行らしい試み。
     ひとりで。ひまわりちゃんと一緒に。どっちだ。
  ・30日 山登り。明神ヶ岳~金時山に登る。縦走の真似事が出来、眺めがよく、充実感のある山だった。
  ・この頃、なんとなく腕時計を買う。必要と心境の変化に駆られて。

 ▼5月
  ・ 3日~ 5日 城端! 素晴らしい天気に穏やかな町並み。
  ・22日 ひとり鎌倉アゲイン。

 ▼6月
  ・04日~05日 上野村~酷道299号踏破の旅。峠の上でエゾハルゼミ。諏訪のシェモアなど見どころ満載。
  ・18日~19日 小諸、12回目。アラフォーと二人、前日に突発的に決め、行った先で宿泊も決めるアドリブ旅。
 ・多分この辺りで『ガルムウォーズ』を見て、あまりのつまらなさに
  『押井言論』を読み、『TNGパトレイバー』など過去押井映像作品を家で見始める。


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7月、秩父巡礼。部屋と、宿の前のガラス細工のような清流。


 ▼7月
  ・11日 小銭入れを新調。
  ・17~18日 秩父『あの花』巡礼。藤岡温泉ホテルリゾートにて共産党の偉い人(偽)に会う。秩父パリー。

 ▼08月
  ・14日 実家に帰省。石上神宮・三輪明神をお詣でる。これは城端帰りに諏訪大社に参った余波。
  ・26日~29日 北海道、21回目。名寄~朱鞠内湖~旭川・美瑛。台風におびえつつも最高の旅。

 ▼09月
  ・ 4日 J氏とJR平井駅で喫茶しゃべり。東京の片隅でラブライバーをこきおろす。
  ・17日 ひとり鎌倉日帰りぶらり旅。

 ▼10月
  ・ 9日~10日 新潟県、湯沢・美人林へ4人旅行。雨に降られるも大変楽しい旅。
  ・16日 映画『レッドタートル』鑑賞。概ね想像の範疇だが、鮮やかな衝撃も受ける。
  ・23日 映画『君の名は。』鑑賞。当たり前を積み重なて斬新を作り上げた、傑作。名作ではないが。
  ・30日 川崎ブンキョウにて、FCB・ファミコンバンド13th。『オホーツクに消ゆ』が聞きたくて。パパさん、J氏と。

 ▼11月
  ・12日~13日 長野県、伊那・辰野。紅葉を見る。ものすごいパワーのチョッチュネホテルに完全にやられる。
  ・26日~27日 なんとなく3回目の飯能。なんでだろ? ムーミン谷、多峯主山、天覧山をハシゴ。

 ▼12月
  ・ 4日 Pe氏来訪。亀有、柴又散歩。なかなか楽しかった。
  ・10日~11日 勢いづいて、飯能、4回目。『ステラのまほう』巡礼を兼ね、西吾野、顔振峠、吾野。
        同11日、テラジさん、パパさんと秘密のお茶会。
  ・24日 歳末大紳士会。新宿にて。店が大ハズしでスマヌ。でも楽しかった。
  ・25日 ケータイ変更。さらばブラックベリーさん。
  ・26日 J氏と二人、駒込あたりでぶらぶらと。六義園でラッセンをこきおろす。

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8月、帰省した実家近くで。一番下は、脱皮中に絶命したと思われるセミ。無情。



 ▼お出掛けのこと

お出掛けはたくさんした。
多すぎて、振り返ると「うお、あそこ行ったのも今年だったか!」と驚くところもある。
掛川とか。遊び過ぎだ。

最初に書いたように、アウトプットがインプットに全く追い付かず、
6月に、アラフォー&エースと行った酷道299号線走破の旅とか、
7月の秩父巡礼や8月の朱鞠内など、
どれも素晴らしい旅だったけど書き残せていないのが不甲斐ない。
朱鞠内は手元ではまとまっているが。
大体、どの旅も高密度ラッシュ過ぎるんだよ。なんで毎回毎回、ああいろいろなことが起こるんだ。
11月の、伊那・辰野の紅葉も素晴らしかった……色んな意味で。

鎌倉は、気候の良い時期なら大仏様のおひざ元や、
円覚寺山門そばのベンチで日がな一日ぼーっとしたり書き物したりできるので、
行く頻度が上がってしまった。近いし、お金もかからない。

これまたごくごく最近の話になるが、飯能へも2回行った。
気軽に登れる山が集中しているから、また何度か訪れるかもしれない。
飯能が結構好きになってきた。

その分、小諸が減った。お金かかるからね……。それでも年3回行ってれば十分だと思うけど。

見て分かる通り、お出掛けの頻度は、
もはやこれ以上増やすのは不可能なくらいの域に達している……と思う。
Twitterのフォロワーさんには、もっと信じられないような頻度で
たくさんの山にアタックしてる人もおられるけど、オイサンにはそこまではとても。
デたくさん出かけるのは構わないのだけど、やはりこう、
出掛けたら出掛けたなりに何らかの糧にしたいというのはあるし、
アウトプットには変えていきたいと思う。
そういうこと考え始めるとまた、ただのお出掛けにも面倒な枷を設けてしまいそうだから
考えないようにしてはいるが、
大事なのは、カタチにするそのやり方だと思う。

  ……ということを考えて、北海道・朱鞠内の旅日記は形式を変えて書き進めていたんだけど
  それでも結構な重量になってまだ形になっていない。
  残念だ。

一人では、山に登る機会をもう少し増やしたいとは思う。

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8月、上から早朝の朱鞠内、昼の湖畔、美瑛の電波塔。電波塔にはまた会いに行きたい。




■取り入れたモノ

 ▼本
  ・『押井言論 2012~2015』
  ・『追想五断章』
  ・『ざるそば(かわいい)』
  ・『数式なしでわかる相対性理論』
  ・『[図解]相対性理論とブラックホール』

      


ドキュメンタリー系で文句なく面白かったのは『押井言論 2012~2015』。
『ガルムウォーズ』を見た後、あまりに面白くなかったので逆に興味が湧いてしまい、
5000円もする核廃棄物みたいなこの本をついつい買ってしまったのだけど、
これがまあ面白かった。
『ガルムウォーズ』の、軽く8000倍は面白かった。
しかもクソみたいに分厚いもんだから読んでも読んでも終わらず、何度風呂でのぼせそうになったことか。
何というか、モノ、特に映像、物語を作って売るというにはどのようなスタンスで向き合うかという、
そのやり方のうちの面白い一手について楽しく知ることが出来たし、
色々と取り入れることが出来そうな考え方や、見てみると面白そうな作品のことが書かれていて、
次はその辺を確かめる作業につなげていきたい感じである。
というワケで今2周目を読んでいる。
尚、この本をきっかけに、これからしばらく押井監督作品を見続ける流れになった。

フィクション系で面白かったのは上で上げた2冊で、他にも10冊くらいは買ったはずだがどれも楽しめなかった。
やはりラノベは苦手だし、純文系もすこしそれるとキツくなる。
ただ、最近やってる英語の速読訓練のおかげで、
「興味の持ち辛い本でも大筋を掴む程度に少ない時間で(それでも人より遅いと思う)読み終える」
ことが出来るように、ちょっとずつなってきたので、面白いと思えない本でも
流し読み・拾い読みしていくくらいは出来るようになるのではないだろうか。
序盤はダメでも、ある程度内容を拾った中盤以降は楽しめるものもあるだろうし。

また、昨年手に入れたスキルの一つに、
「一時的に物語から感情の距離をおく」というのがあって、
これはなかなか、物語を楽しんでみるためには役に立つと思う。
物語の人物がヘマしたり危機に陥ったりしたとき、いままでついついグイグイとのめり込んで
心が負荷に耐え切れなくなったりしてたのだが、
それを、「マお話なのですし」と一時的に解放して冷静に見つめる技を身に着けた。
これでこの先、見るのが辛い作品とか、入口でちょっと興味もてないとかツマンナイとか思う作品も
いくらかラクに見続けることが出来るようになるであろう。


 ▼映画・映像
  ・押井作品;『ガルムウォーズ』『TNGパトレイバー』『東京無国籍少女』『28 1/2 妄想の巨人』
  ・『レッドタートル』
  ・『君の名は。』
  ・『シン・ゴジラ』
  ・登山映画:『エヴェレスト』『ヒマラヤ~運命の山』『アイガー北壁』
  ・『インターステラー』
  ・『漫勉』(藤田和日郎先生回)
  ・『百日紅』
  ・『きんいろモザイク pretty days』


いろいろ齧り見したが、どれが面白かっただろうか……。
作品としてがっつり心に残っているのは案外『レッドタートル』かも知れない。
『君の名は。』も面白かったが、サービスにサービスを重ねて、
かつしつこくないように削って削って削り取る、というやり方はとてもではないが真似の出来るレベルではなく、
一人でハイレベルにもっていけるものでもない。
サービス精神と、集団でのモノづくりについて見習うところを持っておこう、というくらいか。
その点では『シン・ゴジラ』は使えそうな発想はいくつかあって面白かった。
『インターステラー』は、ブラックホールや相対性理論のお勉強の延長。
面白かったけど、ワリと予想の範囲内。序盤が素晴らしかった。
この他にも高倉健さんの映画とかも見てみたが、あまり響くところはなかった。
健さんは萌えキャラだったんだ、ということが分かったくらいか。
しかしいろいろな作品を多めにインプット出来たことは、やはり収穫があったと言えると思う。

  あ、『きんいろモザイク pretty days』は、自分には合わないのを分かって行ってみたけど、
  本当にその通りで、いま思い出してもpretty過ぎてクラクラします。
  初めて左手で同人誌を書くのに挑戦する中学生は、コレを参考にすればいいと思います。

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秋、伊那。宿はどこまでもファンキーに、紅葉はしっとりと。


 ▼テレビアニメ
  ・『田中くんはいつもけだるげ』
  ・『ステラのまほう』
  ・『ばくおん!』
  ・『アクティヴレイド』
  ・『このすば!』
  ・『クロムクロ』

歳末大紳士会でも話題に挙がったが、昨年オタク界隈で通念的に大ヒットだったのは多分
『Re:ゼロ』あたりであったのだろう。
しかし自分的にヒットになったものと言ったら上に挙げた分で、
『ステラ』は7話の、たまちゃんのユミネへのかかわり方にシンパシーを感じ、
『ばくおん!』は6話、10話で、「バカの情熱」の潔さに心を撃ち抜かれ、
『アクティヴレイド』は作品の成り立ち自体がすばらしく、
『このすば!』には、「世界は如何にして優しくなるべきか」が的確に描かれており、
それぞれが心にぶっ刺さった。

『クロムクロ』が地味に優秀で、中盤まではほぼ光るところを感じられなかったのが、
後半からジワジワと、語りの成分といい盛り上げ方といい非常に丁寧で面白く、引きつけてくれた。
特に好きだったのは、学校の先生が剣之助の将来について真面目に進路指導する辺り。
ああいう一手を打つだけで、世界観がぐっと引き締まる。
中盤までも、ダレ気味で爆発力がないというだけで、目も当てられないというほどではないので
そう悪いものじゃない。

『田中くん』は……『のんのんびより』枠。
尚、『田中くん』『ステラ』は『のんのん』の川面監督、
『ばくおん!』は『true tears』の西村純二カントク、
『このすば!』は『これゾン』と同じ金崎監督+上江洲さんタッグと、
作り手に心を掴まれているところがある。
『ばくおん!』は何よりも、川崎マッハ・来夢センパイという
最高のキャラクターの存在抜きには語れないけれども。

  今年一年、『アクティヴレイド』のあさみちゃんやら、
  『大家さんは思春期!』のチエちゃんやら、『田中くんは~』の太田やら
  『ろんぐらいだぁす!』の葵ちゃんやら、
  結構な強力萌えキャラ勢に恵まれたにも関わらず、
  来夢パイセンの魅力はぶっちぎりでした。凄まじい。


いずれにせよ、毎クール楽しめる作品があり、
年が終わってみて心に残る作品があったことは幸せなことだ。
なにより、『ばくおん!!』『ろんぐらいだぁす!』『大家さんは思春期!』のそれぞれのOPで、
ステキな歌詞に出会えたことは心の活力になった。



 ▼ゲーム
  ・『ミラクルガールズフェスティバル』
  ・『マクロスΔスクランブル』
  ・『レコラヴ』

ゲームは……例によってあんまりやれていない。
けれども、『MGF』をトロフィーコンプリートして、今はわりと楽しく『マクロス』をやれている。あまりスマートなプレイではないけど、昨年から考えると大きな進歩だ。
少なくとも、ゲームを楽しんでいこうというマインドが心に再び萌し始めていることが
個人的には嬉しい。良き哉。
今年は恐らく最後の『ドラクエ』になるであろう(という勝手な予測)、
『ドラクエ11』が出るし、ニンテンドーSWITCHも出るしで、
しっかりと、ゲームを楽しめる心と体と環境を作っていきたい。

 ▼『ドラゴンクエストXI』オープニング映像
  
  なぜでしょう、このOPを見るとすごくドキドキします。『ドラクエⅣ』の時と似ている。


……しかし、こんなことを考えながら年を重ねていくのかね。
マいいんだけどさ。そういう人生だから。


 ▼お金ほしい。

あとね、お金がない。お金が欲しい。
イヤないワケではなくて食うに困る貧窮の仕方はしてないけど、ちょっとこう……心がキュウキュウとしてきた。
だから昔を思い出して、びんぼう根性丸出しで行こうと思う。
マ自分がお金のことで汲汲とするのは、金銭感覚がおかしいせいなので
仕方ないといえば仕方ないのだが。
あーお金ほしい。
2017年も引き続き、お金を欲しがっていく気持ちだけは強く持ち続けていこうと思う。

あとはまあ……親が、何かのはずみにどうにかなってしまっても、
……イヤ実際はまだ早いとは思うけど、しかしそれでも「不思議ではない」境に達しているので、
そういう気持ちづくりはしておかないといけないかも知れない。
その上で、変わりなく、穏やかに接していきたい。

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鎌倉。下は、早く来すぎて大仏の開店待ちのガイジンさん。かわいい。




■Closing~それらを踏まえて、2017年のこと



そんな感じでして、2016年は、
「色々ため込めるだけため込んだ(ため込んでしまった)」年だったな、と思う。

アウトプットが追い付かない病については、体を動かすことを制限して対処する。
そして時間も体力もセーブして、アウトプットにしっかり回す
(時間と体力をセーブすれば、おのずとMPにも余裕が出来るので)。
そうなると当然、インプットも減らしていく必要がある。
カロリーという意味でも、情報という意味でも。

今年も色んなところへお出かけてしまうのだとは思う。一人で、紳士で、家族で。
must事項として「秋に親を金沢へつれてく」があるので、
そこを軸にバランスよく配置していくしかないだろう。

信州・北陸方面は、紳士会議の高潔な魂によって決定されるので、
私ごときにコントロール出来る物ではない。決定に従うまでだ。

一人では、西の方へ行きたいと考えている。中国地方方面へ。
大学時代の友人がいて、松来さんの生産地で、
『ゆるゆり』……じゃないや、『げるぐぐ』……でもなくて、『たまゆら』の聖地であって、
『田中くんはいつもけだるげ』の聖地であるところの広島に行きたいなあ、と。
宮島も、小学校の修学旅行以来、見たい。
小・中・高と修学旅行は行っているけど、小学校のが一番印象に残ってるってのはどういうこっちゃ。
みんなそんなもん?

近場では、忍野八海へも行こうと思う。
今年も水がきれいなところへ行って、水のお写真をパキパキと撮りたい所存のオイサンです。
新造人間ショゾーン。
小諸へは、とりあえず3回行く。春、秋、冬。
北海道は1回だけになると思う……イヤ、普通そんな年に何回も行かないと思うケド
(小諸かてフツー年に3回も4回も行かんわ)。

 ▼1月~3月
  ・北海道
 ▼4月~6月
  ・小諸1
 ▼7月~9月
  ・帰省+西方面?
 ▼10月~12月
  ・金沢
  ・小諸2

……という軸の合間に、紳士遠征が挟まる感じになっていくだろう。
……っていう話をだな、いま北海道で書いているのだが、どうしたものかね?(しらんわ)

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2017年は、とにかくゲームだ。
ニンテンドーSWITCHが出る。『ドラクエ11』が出る。
VRも本格化するだろうから、PS4は導入が必要になる。
きっと『セイレン』もゲームで出るだろう……まあシステムに魅力がなければやらないけど。
瑞々しい感性を保って、素直な態度で、「面白い」ものをまっすぐに受け止められる人間になっていきたいと思う。

アウトプットの仕方については悩んでいる。
結局のところ、自分の手の遅さ、段取りの悪さ、作ろうとする物の性質、時間配分の下手さに踏ん切りの悪さなど、
あらゆる要素が悪い方へかみ合っているので、
何かを諦めるか、どこかを変えるかするよりほかない。
自分のためにもならないので……早いトコどうにかせんとなあ。


  ▼2017年という「歳」

今年2017年は、21世紀に入って17年目。
言い方を変えると、21世紀さんがセブンティーンにおなりになる。
青春真っ盛り、高校2年生です。
かつては誕生を嘱望され、お生まれになった時は周りから盛大にチヤホヤされたおしたというのに、
今となっては口先ばっかり立派でなかなか見向きもしてもらえない「新しい時代」さんが、
ようやく自分らしさを発揮できる自我を手に入れ、視野も広がり始める……なんなら、
サカリの付き方もよーやく板についてきた、そんな時期に入る。
ここらでいっちょ、21世紀ここにアリ、
部活に勉強、恋にオシャレに大忙し! なトキメキをほとばしらせてくれるんじゃないかと、
オリンピックもワールドカップもないイベント不在の年ではあるけれども、
その分、時代さん自身がなにやらこう……熱い情念を爆発させてくれそうな、
そんな予感をオイサンは感じるワケです。

そのワリには自分の方針は、
「衰えつつある肉体にペースを合わせていく」
なんて、随分夢もイキオイもないアレなんだけど。

来年の今頃には、この世界にどこからどんな横やりが入って来ててもおかしくない、
そのくらいのひずみの存在を、このところ、時代の空気に感じているオイサンです。
果たして、鬼が出るか、蛇が出るか。
ヌージャデル・ガー。




……このネタ、随分前にもやった気がするな。
マいいか。誰も覚えてないだろう。
オイサンでした。
今年もヨロシク。


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上から、スカイツリーvs偽スカイツリー、飯能の妖精、小諸。一番下のが'16年ベストかなー。



……あと、若者に煽られたので今年は「マリモ食べ力(りょく)」を鍛えようと思います。
どうやったら鍛わるのかしらねえけど。
だからとりあえず道東に来た。



オイサンでした。


 
 
 

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2016年12月31日 (土)

■ブラックベリー、饒舌な孤独。 -更新第1101回-

実家に帰り着くなり母親に「ショボいモン食ってんな」と言われて凹みました。
オイサンです。

イヤ、21時頃家に着いて、何か食べる? と聞かれたから
新幹線の中でサンドイッチ食べたって言ったら「そんなショボいモン」って言われただけだけどw
にしても人の晩メシつかまえてショボいとか失礼な話だよw
まあ確かに、ロソーンのゴージャスさのかけらもないサンドイッチだったけどさ。

最寄り駅で立ち食いソバ食べたって言ったら親父殿に文句言われそうだから黙ってた。

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■黒く饒舌な孤独の果実



前回の記事で、
いよいよブラックベリーからスマートフォンに乗り換える、ということを書いた。

デ実際、変えてみて感じるのはやはり文字入力のし辛さで、
そのし辛さが、ここ一週間ほどツイッターから若干距離を置かせているように思う。

思えば、ブラックベリーという端末は孤独だった。
孤独……その意味するところは、使っている人間、同志が極端に少ないだとか、
先駆的なスマートフォンである(あった)にも関わらず日本国内では全くスマートフォン扱いされず
スマートフォンなら当たり前に対応されるはずの一般的なアプリが使えないだとか、
そのような表面的なことではない。

  補足するなら、使用者の絶対数が少ないという要素と孤独とは、
  オイサンの感覚では何の関係もない。
  寧ろ、町なかで使用者同士巡り合ったとき互いに浮かべあう笑みの快楽、
  そして同時に反駁しあう斥力の強さは、
  無言でさえ通じ合える同士のシンパシーのなせる業であり、
  Android使い・iPhone使いには知り得ぬであろう強さを持っている。
  孤独は、同志の数に比例も反比例もしない。
  周りの数と全く相関しないからこそ孤独なのだ。

……イヤそれらのことも全くの無関係ではないが、そこに本質は無い。

そしてまた、ブラックベリーは孤独であるのと同時に、ひどく饒舌でもあった。

ブラックベリー(少なくとも日本国内の、である。余所の国のコトは知らん)は、
上でも書いた通り、誰からも無視される存在だったのである。
誰から語りかけられることもない存在だったのである。
繋がることを断たれたものだったのである。
誰もが当たり前に画面に映し出すものが映し出されないのである。
OSが対応していないから。
アプリがないから。
それはつまり、他者とのつながりを失うことである。
しかし。
本質はブラックベリー最大の特徴である、あの物理フルキーボードにこそある。
あのすばらしい、フィジカルの打鍵感。
打てば、響きこそしないまでも、沈み、押し返す、物理フルキーボードという快楽。
あの快感は至上の福音、無用で不要な打鍵を、打つ者に許し、そして強要する。
アウトプットせよ。
アウトプットせよ!!
中身など何もなくとも良い、打て、ただ打て! アウトプットをせよ!
打たせるのだ。
快適に打てるのだ。
快適に打てるのだから、述べられることは述べてしまいたいと、
少なくとも、思春期以来文字屋であったオイサンは思うのである。
打てることは全部打ちたい。
その饒舌であることが、ブラックベリーの孤独をより色濃くしていたことに、離れてみて気が付いた。
……そう、ブラックベリーこそは、アウトプットに極化した、アウトプッターのための端末であった。
無口ゆえに口数の多い者への福音であった、喉であった。
文字が快活に、素早く、大量に打てること、
それはつまり饒舌であるということだ。
たくさんのことを伝えたいのだ。語りたいのだ。



……しかし、いったい誰に?



ブラックベリーは、誰とも繋がっていない。
だれも見向きもしない、誰も語りかけてこないというのに、誰に向けて語るのか。
「そんなことは、関係がない」!
語りとは、まず語ることだ。
打てるのだ。
とにかく打てるのだ、素早くだ、大量にだ。
誰にも向けられることのない大量のアウトプットが、ブラックベリーからは繰り出されていく!
聞く者は語った後についてくるとでも言わんばかりだ。
虚空に向けて無尽蔵に放たれるメッセージの洪水、届ける先のない思いの奔流。
これを饒舌な孤独と呼ばずして何と呼ぼう?

オイサンはソフトキーボードが苦手だ。フリック入力も不得手だ。
いま改めてAndroidスマートフォンを手にしてみて、
「こう打ち辛いのでは、これからはTwitterでもいくらか口数が減るであろうな」と思った。
そうして思い知った。
私を饒舌にしていたのは、口数の多い変態にしていたのはブラックベリーだったのだと。
私はブラックベリーに喋らされていたのだと。
なんてベリーなブラック。

ブラックベリーという孤独な魂に、その孤独を代弁させられていたにすぎない。
そのメッセージはどこから受け取った物だったのか分からない。
ただただ彼の孤独に寄生された、
殴っても殴っても効くはずのないパンチを繰り出し続ける相手のないシャドウボクシングを繰り返していたのだ。
やがてそれが、繰り出し続けることによってそこにいる相手を描き出すかもしれないという
淡い期待だけを手掛かりに、この数年を、自分は過ごしていたのではないか……。
その寄生から解放されたいま、自分がどんな方向へ向かっていくか、分からないでいる。


孤独と饒舌。

相反するようで、この上もなく相性の良い二つの気質をはらみ、
いまその信義に殉じて骸になろうとしているいびつな魂を前にして、
私はただただ、
その魂の最期を看取ろうとしない己の薄情さへの言い訳を
届かぬ打鍵に変えるよりほかに出来ることはなかった。


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2016年12月30日 (金)

■駒込エキゾチックX'mas~BlackBerryさんの命日~ -更新第1100回-

年の瀬、3連休の出来事日記。
BlackBerryさんをいよいよ解約しなければならず、
なんだか年の瀬だというのに余計なことでばかりバタバタしてしまった。
来年はもっと計画的に生きよう……思い付きの目標だけど(早速アカンがな)。

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2016年のまとめは、年明けの記事でやるよ。
だいたいまだ終わってないのにまとめられるわけないしね。



■12月23日(金)

この日は小諸4紳士で年の最後の円卓会議。
珍しくアラフォーでなくオイサンがお店やらセッティングしたのだけども、
うーむ、お店がいろいろダメであった。
個室というので多少期待してみれば、狭いしゴハンは美味しくないし高いしで、
典型的な新宿クオリティであったやも知れぬ。慣れぬマネはするものではないな。

しかしまあ、面子がいつものデキる子たちであったので、
ニントモカントモ、生まれてから死ぬまでゲラゲラ笑っておられた。
さすがである。
何を話したかといえば、
まあ国や世界の動向を左右する世界の重要案件ばかりなので紳士協定により
公の場でオイソレとお話し出来ぬのであるが、
マ老人が酔っ払ってする話なので救いようのない内容であった、
とだけ言っておこう。

そうだね、アニメとゲーム、あとは2次元オネーチャンの話だね。
「レムは都合がいい」とか、大体そんなんだね。
あと、ダバ・マイロードは『ダンバイン』じゃなく『エルガイム』。

▼エルガイムOP




ヨル5時半開始の8時終わりという、老人の集いらしく恐ろしく健全な集まりであった。
これで世界は来年も安泰だ。

アラフォーが、
「家によぉ、シンナーが切れたからよぉ、買い足しに行っからよぉ、付き合えよぉ」
って言うので、集合時間前にヨドバシに寄って
プラモの塗料とかデカールとか買うのにお付き合いしたのだが、
その時見かけたゾイドのマスターピース・セイバータイガーがちょっとほしくなってしまった。
10000円近くすんのな。
あれでアイアンコングかウルトラ出たら買っちゃうわ。
セイバータイガー、シールドライガー辺りには郷愁がない。
自分へのクリスマスプレゼントに買えば良かった。
今年一年、ワリといい子にしてたし。






■12月24日(土)

この日はもう「朝からケータイを機種変更しに行く!!」と、
生まれたときから決めていた。
ていうか、前日の紳士会の円卓会議でさんざん煽られたので引っ込みがつかなくなった
(本当はその日の帰りに騎士団立ち合いのもと返るのを期待されてたんだけど
とりあえずそれは勘弁してもらったのでせめて翌日には完了しないと!みたいな
ヘンな義務感)。
ケータイだけじゃなく、ポータブルwifiも変え、ポイントカードのグレードも上げと、
手続き盛りだくさんにした。

長いコト愛用してきたブラックベリーBold9900さんだが、
DoCoMoさんが来年3月にブラックベリー向けのインターネットサービスを終了する、という、
事実上の全方位国交断絶、サポート終了、
スタンドアロン独りぼっち政策を打ち出しておしまいになられたので、これはもう乗り換えざるをえず。

  平たく言うと、Webもメールも、ネットワークデータ通信的なことが全くできなくなる、
  ただの電話になるということです。


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このような恐ろしい喪中メールが突然届くのである。恐ろしい……恐怖新聞か!


ひとまず今回は普通にAndoroidさんに移行することに決めた。
機種は……フツーですよ。AQUOSのヤツ。
AQUOS EVERのSH-02J。
検討開始当初は「液晶はFullHDで!」とかこのオッサン意気込んでおり、
鬼のようにお高い、10万円近くするモノしか候補に残ってこなかったのだが、
冷静になってみると、ブラックベリーさんの液晶はたかだか640×480ぽっちしか解像度がなかったので、
いきなりFullHDとか求める必要はないな、目がつぶれるな、と考え直したのだった。

  あと、「出来れば国内メーカーにお金を落としたい」と考えていたのだが、
  そーなるとソニーか富士通さんくらいしか、もう残らない。
  ソニーさんのおデンワは宗教上の理由で手を出せぬし、富士通さんはお高いのしかなく……。
  SHARPさんも、もはや純粋な国内メーカーとは呼ばれぬ。
  いったいどうなってしまったんだ、日本のIT。

  そんな事情もあって、富士通さんにしようとしたのだがあまりにお高く、
  「オラぁ、国内メーカーにカネ落としてやろうっつんだから
   もうチョイ安ぅせいやあ!!」

  ……と、ワリとよく見かける自己矛盾に陥りそうになったのをぐっとこらえて、
  SHARPさんになったのでした。
  DocomoのMONOでも良かったんだけど、ZTEさんでしたね。


AQUOS EVERのSH-02Jは、Android6.0対応。
なんなら7.0にもアップグレード対応予定なのだそうな。
Android端末は、以前使っていたASUSのMemoPadHD以来で、
前のはAndroid4.2とかだったので世代的には結構前だけど、
使い勝手はそんなに変わらないと思うのであまり心配してはいなかった。
マ、仲良くやっていけるよう、愛着の湧くようにいじっていこうと思う。

予想以上に変化の幅が大きかったのは、……通信環境、データ通信プランの変化の方だ。

ブラックベリーさんの時はFOMA契約で、ダブル定額的なパケット上限+料金設定だったので、
ナンボ使おうがお値段いっしょ、通信制限ナシだった。
それが今回からXi(サイではなくクロッシィ)契約になるとのことで、
メールもツイッターも全部ひっくるめて月々5GBとか20GBとか、
月間通信量上限アリ、超えたら速度制限アリ、の世界に入った。
知らなかった。びっくりしちゃった。面倒くさい。

とりあえず今回は様子見で、毎月5GBまでOKのプランにした。
docomoの人曰く、オイサンの通信量は月々平均3GBいかないくらいだったらしい。そんなモンか。

まあヌラックベリーさん、オンライン的なことはなんにも快適に出来ないモンなー。
動画見るワケでなし、Webも遅いから天気予報も路線検索もまともにやんないし、
地図もモッタモタだし。
その分ツイッターは相当ヘヴィにやってたマンだけど、それでもそんなもんだ。

だもんで、今後は容量無視であんまりバリバリやっていると突然遅くなってムキーとなるやもしれぬ。
マ5GBでダメなら20GBに上げるだけなんだけど。そこまでお値段が違うワケでもナシ。
危ないのはむしろ、月のトータル制限量より、
「3日間で1GB」という裏の短期制限の方であるので油断はならぬ。

実データ量上、「そもそもそんなにネット使ってたわけでもない、ということになっておるが、
しかしそれも、ブラックベリーさんという孤独なツールを使っていたという特殊環境の効果でもあって、
ロクに動画も見られないとか、
ロクなゲームがないとか、
ロクに日本語アプリもない、
みたいなことが歯止めになって通信データ量をナチュラルに制限出来てしまっていたが故、やもしれぬ。
これからはAndroidさんというワールドワイドな舞台で世界を相手に戦わねばならぬゆえ、
ついうっかりテンション上がってしまって要らんデータ通信量がばりばりかさんでいかないとも限らない。

マ色々気を付けていこう。運用も考えないとな。

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……とまあ、そんな更新やなんやらかんやら、
ポケットwifiの方では、さすがのYmobileさんに不愉快な対応をされるなどありつつ、
朝9時半に店に入って、店を出たのは14時近い時刻であった。
クリスマスイブにヨドバシ5時間監禁ですよ……いやあ、疲労した。
そのあとまた、新しい電話の設定やらしないとならず、結局ずっとそんなことをしていた一日だった。
クリスマスらしいことと言ったら、
帰りに田舎のステーキハウスでチョイとお肉を食べたくらいだ。
マその店も、ツリーはこのザマだし、

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バイトのお姉ちゃんはものすごくドMごころをくすぐる不愛想さだしで
クリスマスっぽさ皆無だったんだけど。

いいよいいよ、別にw どうせヨソんちの祭りだ。
なんかもう、「キリスト教だから」云々カンヌンではなく、
もっと実際的な意味で、「宗教上の理由で」相容れない祭りになってきたよ、クリスマス。

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■12月25日(日)

この日はお友だちのJ氏とおっさんデート。
お前イチイチ断らんでもオッサン以外とデートしたことないやないか。

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場所は駒込・六義園。11時半に飯田橋集合なのに、
またも9時半には到着してルノワールでゆっくりするゆっくりオジサン仕様。

  ところで、ちょっと前に似たようなコトを別の待ち合わせやったときのことなのだけど。
  相手もどうやら早い時刻に待ち合わせ場所近くまで来ていたようで、
  オイサンはそのことを察知してはいたのだけど、
  マ待ち合わせまでは自分の時間を過ごそうと思ってノンビリし、
  約束の時間に約束の場所へ赴いた。
  デそのくだりをお話ししたら、
  「それは冷たい。お互い近くにいることが分かってるなら、
   もうその時点で合流すれば良いではないかヨイデハナイカ」
  と言われてしまった。
  なんでや。
  別に、はなからそのような予定やねんからエエやないか。
  こっちは家で過ごすはずの時間を、その近場で過ごしただけや。
  閑話休題。

まず飯田橋からメトロでトロトロと駒込まで行き、
メインの六義園へはいきなりは行かず、場末の喫茶で軽くおしゃべる。
この場末の喫茶が、また……「場末」という言葉がこれくらいしっくりくるのもそうそうない、
というくらいの場末感でオイサンの大好物だった。
事前に調べていなければ、とてもじゃないが安心して入るのは難しいレベル。

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しかし一度懐に踏み込んでみれば大変心地よい空間でありました。
なにせ自分たち以外に、客がまったく来ない。
2時間ほど話し込んでいたにもかかわらず、誰も、だ。無。ゼロ。
お店のおば(あ)さん二人が、謎のオブジェの居並ぶカウンターで話し込んでるくらいのおおらかさ。
最高です。

「2時間て、軽くやないやないか!」というツッコミがきそうだが、
私とJ氏の間ではこの程度のトークは軽いウォーミングアップに過ぎぬ。
普段なら大体、コレを5セット・10時間くらいやる。
そうするとですね、……ずーっと笑っているので、だいたい腹筋がツって、全身の筋肉に重度の倦怠感が襲ってきて、
家に帰ってから動けなくなります(本当)。
マ今日は歳末の軽いご挨拶なのでそこまではやりませんけれども。
笑うのにも実は体力がいる、ということをオイサンに教えてくれたのはJ氏です。
彼の篤い友情に感謝。

サテ軽く腹ごしらえも出来たので、イザ今日の本丸・六義園へ……
と歩き出した我々の目に、駒込の町の奇怪な風景がいくつか飛び込んできてビビる。
なんだこの町は。

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  なんでもない街角に突然現れるコインロッカー。需要があるのか?
  エキゾチック動物病院……。すごい名前だ。
  エキゾチックて、これの前に聞いたの多分、『トップをねらえ2!』だぞ。

……普通の、なんか大学が近くにありそうな町、くらいの印象しかなかったけど、
なんかヘンなとこだな、駒込。いいぞ、気に入りました。
『モヤさま』とかでやってたら、多分引っかかられてるポイントだと思う。

六義園。
柳沢吉保が作ったお庭らしい。
J氏に説明されるまで忘れていたけど、老中柳沢吉保、なんか名前覚えてるわ。
いたいた、そういう人。
水戸黄門で悪役にされることが多いらしいですね、吉保。
そんな話から水戸黄門の話になり、
石坂浩二がやらかしたとか、由美かおるは1時間ずっとワイプでぬいとけばいいとか、
釈由美子が脱がなかったのでケシカランとか、
本当は角さんしか旅をしなかったとか。
水戸黄門だけで出るわ出るわ。
J氏は話題が豊富だ。すごいな。
J氏が話題を提供し、オイサンが突飛な提案を返す、そんなトークが続く。

とりあえず柳沢さんは、あの時期の時代劇ではなんかあったらこいつが糸を引いてると思っておけばいい、
というくらいの定番の悪役だったご様子で、

  オイサン「案外弥七とかも、調べてみて分かんなかったら適当に『吉保です』って
       言ってたんじゃないの? そんでまわりも『ああ、あいつかー』って」
  J  氏「イメージって大事ww!」

などという会話が。

そんな調子でぶらぶらと一時間あまり、六義園をお散歩しましたが、
いやなかなか、良い庭園ですね、六義園。
そこそこの広さと、起伏と。
見るパートと歩くパートが綺麗に分かれていて、一粒で二度おいしい良いお庭だと思います。
時折ふっと現れる、立体感、遠近感に富んだ小さな風景が、
見る者に己の位置を強く意識させるしかけがあるのが気に入りました。

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あと、無闇にラッセンと蓮舫さんをdisってすみませんでした。
……まあ蓮舫さんはいいか。

そのあとはチョイと場所を移して、オサレなコーヒー専門店へ移動。


……。


オサレなお店も案内できるなら、初めからそっちへいけばいいのに……
なんなんですか、前半のあの、精神が不安定になるお店は。
オイサン一人だったらまだいいけど、J氏はよくアレ我慢できるな?
オイサンの相手をしていて慣れたんだろうか……マいずれにしても、
それなりに素養、耐性のある精神の持ち主だと思おう。
普通の人だったら、
「逃げろオイサン、これはスタンド攻撃だぁーーーーっ!!!」
って叫んでいても不思議はありませんていうか
一般人がしらふでするっと「スタンド攻撃」とかいうワードが出てくるものかバカめ。

この日はそこが最後のお店。
ヨル6時くらいまで……やっぱり2時間くらい、みっちりしゃべった。
この店で得られた結論は、「『ToLoveる』と『刃牙』はベクトルが同じ」。
うむ、やはり彼とは同じ土俵、同じ前提の上で有意義な議論が出来る。

しかしこう……多少話そうと思って負ったはずの、
2016年のシメ的な話題は、全部どこかへすっとんでしまったな。
マいいけど。
来年はもう少し頭のいい話にもっていけるような大人になろう。


マそんな感じでヒトツ。
今年も一年おおきにでした。
オイサンでした。
 
 
 
 

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2016年12月11日 (日)

■葛飾、亀有、あくびをひとつ。 -更新第1099回-


先日、関西から友人Pe氏が遊びに来たので随伴した。


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炊飯ではない。ズイハン。
彼は相変わらずの強行軍で、早朝深夜バスに乗って新宿に着き、昼過ぎから千葉でお芝居を見て、
夜にはまた深夜バスで関西に帰るという。
タフだ。

朝の東京大神宮で待ち合わせをし(彼の巡回コースなのだそうな)、
そこから移動して亀有、柴又で帝釈天を見て、
彼はそこから千葉方面へ、オイサンは分かれて神奈川方面へ帰った。

今回は、演目にイマイチぴんとくるところがなかったので、観劇にまでは付き合わなかった。
2、3時間程度、どこかで映画でも見て時間をつぶし、あとから再合流でも良かったのだが、
マそんなにベタベタしなくても良いかな、と思い今回はあっさり終わらせることにした……
こういう態度が、友だち離れを起こす一因なのかもしれぬ。



◆    ◆    ◆



待ち合わせは9時半、東京大神宮にてだったのだが、
飯田橋近くには8時過ぎには着き、まだ人の少ないルノワールでぼんやりしていた。
市ヶ谷~御茶ノ水は通勤徒歩コースだが、素直に川沿いの道を歩かないため飯田橋はバイパスされる。
そんなわけで、市ヶ谷から飯田橋まで、神田川沿いを歩くのは初めてだったのだが、
休みの朝とあって人も少なく、なかなかの風情だった。

  法政大学は、裏手のアホみたいな高い塔の方歩いたことなかったのでヘンな学校だなーと思っていたが、
  正面から見たらなかなか立派だった。
  モノゴト、裏からだけ見たって楽しいことは何もないな
  (そういう話でもない)。

東京大神宮という名前は以前にもPe氏の口から聞いたことがあったが、
場所が飯田橋だとは知らなかった。
休みの朝9時だというのに、たかが神社くんだりに、ぞろぞろと人がそこそこ多い。
しかも若い女性ばかりと来た。
なんなんだここはと思っていたら、なるほど、縁結びでフェイマスらしい。
そーゆーことか。
オイサンの後ろに歩いていたのはキャリーバッグを引いた関西弁のお嬢さんで、
わざわざ遠方から来たのか、
そうでは無いにしても東京の観光のついでにでも、この辺鄙な場所にあるお社を詣でようというのだから、
女性の色恋に傾ける情熱というのはおよそ男には及びのつかない何かかを孕んでいる……ように思える。

  マ女子一般ではないにしても、少なくとも傾向的には男性よりも女性の方が、
  出会いに、恋に、理屈ではない強い憧れや思いを抱いてガツガツしている。
  オイサンは占いは嫌いではないのでそういうページを拾い見するが、
  特に「女性向け」の断りがなくとも、女性目線で書かれているページは多い。
  これもまた、性欲の内だと思うのだがね。

東京大神宮とやらの由緒はサッパリ知らず、合流したPe氏の知識を借りても、
「伊勢神宮の関係らしい」ということしかわからなかった。
今Webで調べてみたが、遥拝殿、なるものらしい。
よーするに、
「関東からでは有難い伊勢神宮は遠すぎるけど、こっからでもお参り出来ますよ」
という、お祈りゲートウェイである。
思いに空間を越えさせる仕掛けだ。
……マ思いだけなら、もともと勝手に時間も空間も越えはするだろうから、
そのことに気付かせるため、敢えて人が思いを向けるための、
憑代(ヨリシロ)という言い方が正しいだろう。

境内では、伊勢神宮由来らしく赤福とお茶を配っていた。
配っていた、と言ってもただではなく……イヤただなのだが、
自発的に「お志」をお納めする必要がある。実質有料! ンマイ。


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しかしまあ……本当に女性が多いな。
皆男こn……否、オトコ……否、ステキな出会いに餓えているのだな。
今の世の中、お相手を見つけるのも大変だろうしね。
男は全然、恋にも結婚にも積極的でないし、メリットもないし。
しかし女性陣は、そうした市場性の上では決して「強者」でもないハズなのに、
なーんでああも強気なのでしょうね……。



◆    ◆    ◆



メトロに乗って、飯田橋 → 大手町 → 亀有 と移動。
今回場所を亀有にしたのは『こち亀』が完結したのでその記念のつもりだ。


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私もPe氏も、特段『こち亀』の深いファンではなかったけれど、
オイサンの生まれが1975年、『こち亀』の連載開始が1976年で、ほぼ同い年。
生まれてからずっと傍らにあったワケで、なんの感慨もない、と言ったらウソになる。
なぜか我が家には単行本の1巻があって(今もまだ残ってるのかしら)、
幼心にも「なんかワカランが面白い」と心にあった作品なので、
マおかしな縁結びのゲートウェイよりは、その聖地に詣でておく方が、何倍も心に価値のあることである。

Pe氏は確か今でもジャンプの読者のはずなので、お嫌いではなかろう、という程度のことだ。

マかと言って、マンガの舞台がそこだっちゅうだけで、特に何を見て回れるわけでもない。
北口の交番は、商店街の意向で昔のままの姿を残してもらっているらしい。
ムウ、確かに古めかしいぞ。
味がある。
……のはいいんだけど、老朽化とか、耐震とか、大丈夫なんだろうかコレ。
内部のレイアウトも殆どそのままっぽかった。
意図しているのか?

大洗では、劇場版『ガルパン』で砲弾喰らって吹っ飛んだホテルが、
しばらくの期間「修繕中」としてブルーシートをかけてたという
なんとも計らいの粋なエピソードがあったけども、
さすがにこちらでは両さんが交番を吹っ飛ばしたあとにブルーシートかけたり出来はしないであろう

腐っても官憲の施設である。腐ってはいない。

  ところでオイサンはもう、両さんが寿司屋になったりする辺りから原作は殆ど読んでいないので、
  ……2000年以降くらいサッパリなのだが、
  それ以降も両さんは、元気に派出所を爆破したりしてたのであろうか。
  両津のバカはどこだ!!

それもさながら、駅前の本屋さんが非常に古めかしくて良い雰囲気だった。
これにはPe氏も感嘆。

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あとは、タイトルにもなっている「亀有公園」。
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』であるからな。
……今にして思えばさほど長いタイトルでもない。
しかし昭和50年当時、よくこのタイトルが通ったものだ。
いまよりも色々と寛容ではあったのだろうが。

亀有公園の前に交番はないけども。ドラマのときには組んだらしい。ドラマ見たことないよ。
亀有公園、なかなか広くて立派であった。ご家族連れ満載。


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舞台として巡ったのはそのくらいで、
あとは観光マップに載っていたいくつかの銅像・記念像をチョイチョイ見て回った程度。
駅前に2体、交番近くに1体、公園に2体。
しかしまあ……

ど れ も デ キ が 悪 い な !!!

これにはPe氏も閉口。
全然だめじゃん。角度によっては多少見られる……というものがあるくらいで、
なんかもう。ひどいと思う。
ケチったのか、お金のかけ方を間違ったのか、
いずれにしたってこれはリテイクしたっていいんじゃないの?というレベルのオンパレードで、
ガッカリ観光名所の見本みたいになってました。

唯一デキがいいと思ったのが、この……


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なんで本田なんだよwww 丸井だっていうよりはいいけどもwww
Web上で一覧を見たときから「ム、こいつが一番デキがマシっぽい」とアタリをつけていたのだが
本当にその通りだった。なんなんだw
一応全部に秋本先生のサインが入っていたからご本人のお墨付きなのではあろうが、
納得しているのか。
先生、ひとこと言ってやった方が良いですよ。



◆    ◆    ◆



とまあイイ感じにしょんぼりしながら、コンビニ寄ったりイオン寄ったりしつつ中川を渡り柴又方面へ。
帝釈天へ、かちにてまうでけり。

途中、交通公園あたりの町並みは、なるほど鄙びて良い雰囲気だった。
駄菓子屋前でなんとなくガチャガチャを回してみる。
ビューンと走るよ!

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10時前に飯田橋を出、10時半頃に亀有に着き、ブラブラしつつ、柴又あたりについたのは12時前だった。
そうなるとぼちぼち、腹具合が気になってくる。
そば屋か、天ぷらか、はたまたウナギか……そのような店が何軒かあったハズ、
とてきとうに考えていはしたものの、日曜の、都下の観光地(ですよね一応)なので
どーせ人も多かろうと踏んでいたのでちょっと早めに済ませてしまいたい。

「どーしよう? 何食べたい?」と尋ねながら歩いていたところに……
目に飛び込んできたのが、踏切近くの居酒屋さん。
ランチのメニューがなんだかおいしそう。

  よし、ここにしてしまおう(てきとう)。

最初に彼が東京へやって来た時は、浅草で柳川とかものすごいベタなものを食べたりしたけど、
今ではもう適当w
しかしこの店、美味しかった。
Pe氏はカマトロ定食。オイサンは牛スジ煮込み定食。それにお刺身の4種盛り合わせと、豚モツ煮込みを追加。
こんだけで3000円弱。ぼちぼち。
とても美味しかったです。
特にカマトロは溶けてなくなるほど柔らかい……のかと思ったら、
サクサクとした食感でちょっとした驚きが。

  いまさら言うまでもないことですが、カマトロというのは、
  シボレー・カマロのトロの部分です。
  ▼クルマで行こう シボレーカマロ
  


4人掛けのテーブルが3つに3、4人がけのカウンターがあるだけの」こぢんまりとしたお店に、
ひっきりなしに人が入れ替わりしていった。なかなかの人気店ではあるご様子。
うむ、満足であった。店主! ほめてつかわすぞ!

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踏切を渡ったすぐのところに柴又の駅が見えた。



◆    ◆    ◆



柴又の駅から帝釈天に至るまでの参道は大層な賑わいで、
二間半ほどの広さの通りの左右に、つくだ煮屋、せんべい屋、団子・まんじゅう屋の類が軒を並べる。
あとは変なお土産物とか、ちょっとした彫り物・布モノの類。
両さんの実家もつくだ煮屋だったはずだが、あちらは浅草。

ムウ。想像以上の人出だ。

だが鎌倉の小町に比べればまだマシであるし、年齢層が高めな分、粗野な感じは控えめだ。
マ「年寄りだから品が良い」とは言わないが、少なくとも「余分な元気はない」という感じか。
道幅も広くなく、通りも長くない。サイズ感は丁度いい。
"こぢんまり"という表現がしっくりくる可愛らしさである。

あまり多用するのは好きではない表現だけれども、
「人情味」というものがスッキリと表現される距離感であるように思う。
面白い。
なるほど、こういうサイズ感が、そういう雰囲気を感じさせるのに一役買うこともあるのか……。
一つ勉強になった。

山門も、こぢんまり。
建長寺や円覚寺のような、どーんと威厳ある風貌ではなく、どことなく愛嬌がある。
好ましい。

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手水舎があったのでふつーに手を洗い口をゆすごうとしたところ、
となりにいたオジサンの謎マニューバに驚いた。
手水舎の奥にあった、お酒やローソクがお供えされている岩にパッと水を放ったのだ。
ぬ、びっくりした。そういう方式なのか?
ワケのわからぬまま真似をしてみたが合っているのか。

他に特にすることもなく、
帰り道、参道のつくだ煮屋で、自分の土産にせんべいとちりめん山椒を買い、
写真を撮った。

柴又に来たのも『こち亀』でしばしば見かける地名だから……なのだが、
よく考えれば、どちらかといえばここは寅さんのお膝元であった。
駅前には寅さんの像があったが、……ムウ。こちらはさすがにクオリティが高いな。
ちゃんとしている。
亀有の方も、もう少し頑張った方が良いのではないか。数で勝負していないで。
そこから京成線で京成高砂駅まで戻って、Pe氏とはそこで分かれた。



◆    ◆    ◆



ものの4時間強のお散歩だったけど、マこんなもんでいいのかもね。
都心は人が多くて普段歩く気には殆どならないが、
たまにこういう機会に、人の住んでるあたりを歩いてみると多少の愛着もわいてくる。
面白い地形や、フッと田舎びたところも見え隠れする。

ことさら人情味やカントリー風味であることを喜ぶわけではなくて、
そういうものに「根付いた落着き」を感じるから尊び喜ぶのであって。
うさんくさかったり薄っぺらかったりするのであれば、べつにそんなんどーでもいい。
逆に言えば、高層マンション住まいだって、今の都心じゃどっちかといえばそっちの方が
ズドンと根を張った割り切りや土性骨を感じるから、その方が面白いと思える。

都心の、フツーサイズの一戸建てを見ると、
その人たちはきっと昔からその土地に住まっていたりするのだろうけど、
なんというか、風土の方から掘り返されてしまった感のある今にあっては、
ちょっと落ち着きが悪そうだな、と感じたりもする。

  マその辺は所詮外見えの感想でしかないけども。
  「大丈夫なのかな」なんて思ったりしてしまう。

『こち亀』の始まった40年前とは、この辺りのそうした空気も随分ちがっているのだろう。
せんべいやつくだ煮や団子、それらそのものは何も変わっていないはずだけど、
そうしたものが人の心に形作る何か、そうしたものが人の心に占める割合は、
なんだかわからないけどきっともう随分ちがってるのだろう。
当たり前だが、不思議な気もする。

そういう不思議さをもって、人は「タイムマシンの様なまち」などと、
こういう場所のことを評するのだろう。



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……マそんな感じでヒトツ。
オイサンでした。


 

 

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