2017年5月21日 (日)

■甲州の3賢者と、ナインボール・ワンダーランド~2017年のゴールデン・ウィーク・その2~ -更新第1125回-

2017年のゴールデンウィーク、9連休日記の続き。
中盤戦のメインインベント。



■■■ 中盤:05/02(火)~05/03(水・祝) ■■■



3紳士―ズ(※テラジさん(@teraji800)・よつさん(@yotsuaki)・オイサン)で山梨へ1泊旅行。
今回の連休のメインイベントである。

  ※これにおみかん隊長(@NOR_kankitsukei)を加えると、暁の四紳士になる。
   銚子に行ったり、小諸に行ったりする。

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八王子から国道411号線・大菩薩ラインを使い、奥多摩湖、昇仙峡、と回って甲府で一泊。
翌2日目は、忍野八海に立ち寄り、道志みちを使って途中道志村で湯に浸かって帰京、という
山梨づくしの旅。





当初は甲府・昇仙峡だけの予定だったのが、
行きの道があまりにスイスイで時間が余りまくりそうになってしまったため急遽予定を色々変更し、
2日目の予定だった昇仙峡を1日目に、
空いた2日目には、忍野八海と道志村での温泉を追加した、という次第。

これまでの旅でもそこまでガチガチに予定を組むことはなかったとはいえ、
今回ほど大胆に動かしたり足したり引いたりしたのはあまり記憶にない。
偶然やら必然やら、いろいろ組み合わさって出来上がったミラクルトリップであった。
詳しくはまた個別に書くけれども、
今回の旅はさまざまな偶然に彩られた旅であり、なんというか……

  「お前たちは行く先々で、3人の賢者に出会うであろう……」

みたいな旅であった。

行き先が昇仙峡になったのは、
ちょっと前にオイサンが甲府一人旅をした時に「たまたま」入った喫茶店で「たまたま」得た情報が元であるし、
テ氏のとった宿が、
オイサンが甲府一人旅をした時に立ち寄った奇ッ怪なメシ屋のほとんど隣りだったことも「偶然」だし、
予定になかった忍野八海で、ナゾのそば屋……否、おみやげ製麺所に立ち寄ることになったのも、
行きの道路事情が「たまたま」快適すぎて甲府にオソロシく早く着いてしまった「イレギュラー」と、
ヨ氏の幼き頃の記憶の産物であった。

そして行く先々すべてで、賢者に出会うことになるなんて……。
なんかもう、『ドラクエ』みたいだ。
まあ出会ったのは賢者じゃなくて、どっちかというと怪人の類だけど……。

■行程概略
 ▼1日目
 早朝、06:00頃集合。八王子経由での411号で奥多摩へ向かう。
 08:30、奥多摩湖。燕と衝突しそうになる。
  大菩薩ライン(国道411号)を抜け、西へ。
 10:00、セブンイレブン・甲州塩山千野店。甲府へ向かう予定を変更し、直接昇仙峡へ。
 11:00、昇仙峡。謎の仙人&節操と美しさの無いカップル(直球)襲来。思いのほか時間を食う。
 15:00、「ひなた」にて遅い昼ゴハン。空腹が災いして判断を誤り、いいだけやられる。
 16:30、「ホビーショップショップ」いちかわにて2000番のやすりを買う。
 17:00、ホテル菊富士。
     本日の宿。部屋が、マーガレットの咲き乱れる超広い、メルヘンなはなれ(ほんとう)でビビる。
     「ひなた」での食いすぎダメージでしばし死ぬ。
 21:00、居酒屋かっぽうぎで少しだけ飲む。
 22:00、宿に帰って大急ぎで風呂。お部屋がジャパリパークに。

 ▼2日目
 08:30、いいだけもたもたした後、出発。
 11:00、忍野八海。人だらけでゲンナリするが水は掛け値なしに美しい。
 12:00、謎のそば屋……否、おみやげ製麺所名泉そばでお昼。謎ビジネスモデルに戸惑う。
  道志みち(国道413号)で、東へ。
 13:00、道志の湯でひとっ風呂。周辺でキャッキャウフフする。キャッキャウフフ。
 15:30、津久井湖で一休み。
 17:30、解散。


  ■1日目 : 出発~甲府まで


朝6時に3人集合し、そこから八王子を経由して、テ氏お気に入りの国道411号に乗って奥多摩湖へ。
奥多摩湖ではやたらと数の多い燕との衝突を回避しつつ(本当にぶつかりそうになるくらい多かった)
休憩を取って、大菩薩ラインへ突入。なかなかのワインディングである。
GW中とはいえ一応平日だからか、妖怪ペダルや妖怪ばくおん、妖怪ヤマノススメはさほど目につかない。
ただ新種の、路肩で三脚広げてはみ出しながら写真トールジジイがいた。あぶない。


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10時にはもう甲州塩山のセブンイレブンに着き、ドライバーのテ氏が
「道が空いてたら、奥多摩湖から甲府まで1時間でくるんだ……」とびっくりしていた。
「このままでは早く着きすぎる!」と、
旅程が順調に進むことに慣れないなれない我々はうろたえ始め(なさけない)、
慌ててこのまま昇仙峡へ行くことに組み替えた。


  ■1日目 : 昇仙峡、弥三郎岳パノラマ台


オイサンがチョイとガイドを誤り、昇仙峡最奥部の駐車場まで辿り着いてしまった。
テ氏は高いところが苦手なのにもかかわらず男気を見せ、
ロープウェイで弥三郎岳の山頂近く、パノラマ台へ。

  ※この先、「ブサイクなカップル」という表現が何度か出てくるが、
   まあその、あまり人様の容姿を論うのが良くないことも、
   自分が人様の容姿をどうこう言えるほどかということもよく理解しているけれども、
   なにぶんこのカップルは人口密集地においても所かまわずもう、
   ムッチョムッチョムッチョムッチョと、あまりにもエニープレイスベッサメムーチョの
   どこでもムーチョ仕様だったので、
   そっちがその気ならコンニャロウこっちだってテメエ出すもん出すぞっていう、
   そういう気持ちを込めてブサイクなカップルめ! と、このような経緯で表現しており
   決して差別や侮蔑やヘイトを助長する意図があるものではありませんし
   なんならフィクションとして処理してもらっても構わない。
   それでは引き続き、オッサン3人の珍道中をうたとおどりでお楽しみください。

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ロープウェイの車中ではブサイクなカップル(直球)がいちゃつくところを間近に見ることが出来、
山頂では、晴れ渡って富士山と南アルプスを一望できる素晴らしい眺望とともに、
すばらしく雑に配置されたナゾの観光オブジェクトが楽しめる。
無論、一緒に上がってきたブサイクなカップル(直球)が
引き続きあちらこちらで過剰なスキンシップや自撮りを嗜んでいるところを観察できますし、
300円で無限におかわり&シェアが許されているかき氷と、
何故かサービスで繰り出される付け合わせの山菜に舌鼓を打ちつつ
お店の看板娘であるところのご婦人の愉快な話を数十分に渡って聞くことができた。

  まさか、コーヒーとかき氷を頼んだら、お通しにフキとタラの芽が出てくるなんて……
  なんて斬新な茶店でしょう。

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  ヨ氏「生涯で一番早い時期に食ったかき氷かもしんないっす」


オマケに甲府市警の人事内情や、帰り道で引っ掛かる危険性の高い取締ポイントまで
聞きだすことが出来た。
詳しくはお話しすることは出来ないが、

  「帰りの三叉路で、
   4月に赴任してきたばかりのいけ好かない小僧っ子が
   Tシャツ姿で取り締まっているので3つ数えろ」


である。

  ……どうであるか。ますます『ドラクエ』の祠に住んでる賢者とか、
  『ゼルダ』の穴ぐら老人の助言っぽいではないか。
  ミンナニハ ナイショダヨ。

こうして第一の賢者との邂逅を果たした我々(主旨が違っている)は、
ロープウェー乗り場がチョイ渋滞していたので一本見送ることにし、もう少し山頂をうろついた。
素晴らしい眺望! 謎のすずアトラクション! ブサイクなカップル!
素晴らしい眺望! ブサイクなカップル! 斬新な顔出し看板! ブサイクなカップル!
大満足。

  いや、後半には、BC(略すな)は先に降りちゃったらしくていなかったんだけど。

今回はサラッとさわりだけで書き済ませたが、濃密というか、濃厚というか、
濃縮カルピスを4倍希釈のそばつゆの原液で割って飲むような時間であった。
生きて脳髄に届く乳酸菌。

しかしなんだろうか、
ロープウェー乗り場が行列するくらい人がいたというのに、
あのおバアの店で舌鼓を打っていたのは我々だけだ。
「昇仙峡 かき氷」で検索をかけても、
クソオサレなサイクリストや山ガールの記事みたいなのが見つかるばかりで、
山頂に住む仙人に「入間のコストコの冷凍餃子がウマイ」みたいな話を聞かされた、という記事は
ついぞ見当たらない。
世間の人間は、昇仙峡くんだりまで行ってあの話聞かずに何を見て帰るのか不思議でしょうがない。
また行くからな、それまで元気で待ってろおバア。
今度はそばかうどんか食うぞ。


  ■1日目 : 昇仙峡・仙娥滝と覚円峰


地上に降り立ち、いよいよここからが渓谷としての昇仙峡の本領である。
ダテに日本二十五勝や平成の名水100選、平成百景ランキング2位などに選ばれていない。
本来、山のてっぺんで1時間半も費やすのがイレギュラーなのであろう。
多分山頂で出会ったのも、無形文化財的な何かだ。

本来の順路としては、下流からさかのぼって来て、
最後にこの2大スポットにババーンとご対面する構成なのだろうが、
マ今回の様に、まず上流まできてしまって下っていくのもアリなご様子。

この昇仙峡の2大親分、これがまたすごかった。

昇仙峡の全体的な地域範囲としては「こぢんまり」の範疇なのに、
これら一つ一つのスポットのスケール感は大変雄大に感じさせる、不思議な収まり具合。
しかしこの昇仙峡、本当に素晴らしい景観目白押しで、
独りで来ていたら多分、朝入って夕方帰るくらいの一日いられるコースだった。
きっと、朝と夕方で全く違う表情をすると思う。
近々、また一人で来てしまうだろう。

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滝に対面するといつも思うのだが、滝は体感するものである。
目で味わう情報が占める割合が、他の景観に比して微小であることに改めて驚かされる。
音と、肌に感じる水の気配と、その水によって感じる匂い、
そしてその落差を形づくる閉鎖されながら解放的でもある「大きな小部屋」のような空間に、
その空間を支える岩や木々それぞれの、巨大な密度ある質量の存在感……。

大きなものの前に自分がいることよりも、自分が小さくなった錯覚の方を大きく感じる。
まさにその、大きな小部屋に小さくなった自分が降り立った感覚を、
しばしの間、全身でまざまざと味わっていた。

続いて現れる覚円峰。
仙人のありがたいお話で時間をとられ、いい加減腹が減って来ていたお二人を、
「もうちょっとだけ先へ」とだまくらかして、さらに下流へ。

  マ言っとくと、昇仙峡はこっちらへんがホントの見どころなのであって、
  山のテッペンで仙人にとっつかまって1時間も2時間も話を聞くのは邪道であり、
  あまつさえそれで疲弊してしまい、滝だけ見て
  「この辺はもう、そろそろいいでしょう」
  みたいな態度に出るのは言語道断っていうか観光協会に陳謝しなければならない。

これでもし、進んだ先に見どころが何にもなかったらどうしようか、と若干ビビってはいたのだが……
角を一つ曲った時点で、その不安はどこかへ消し飛んだ。
切り立った崖に左右を阻まれ、巨岩と共に間を流れる渓流の壮麗なことといったら。
下流に向かって右手側に、一際高くそびえる岩山が昇仙峡のシンボルでもある覚円峰で、
ほとんど垂直に切り立ち、丸みを帯びた頂きは中国の水墨画の様だ。

  あとから調べたところでは、高さは180mあるのだそうで。
  先日登った飯能の天覧山が190mチョイなので、大体同じくらい。
  マそれでも5、6階建てのビル1個分くらいは違うので結構違うな。

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覚円峰の、堂々としつつも秘密めいたたたずまいもさることながら、
突如視界に展開するこの渓流のバランス、風景全体が持つスピード感に圧倒される。
小さくなった自分が、ググッと下流に向けて巻く渦に飲み込まれるような感覚がある。
いやー、面白い。
この風景の中に踏み込む手前、流れにかかった小さな橋の手前でしばらく足が止まってしまった……。
流れの中に転がっている……というにはあまりに収まりが悪い、
巨岩も遠近感をおかしくするのに一役買っている。
某宇宙戦艦の足みたいだな、と口には出さずに眺めていた。
やっぱり、日本の山深い渓流の風景はファンタスティック。
こういう風景に巡り合うと、つくづく、日本には美しい水がたくさんあって本当に恵まれている、
本当に良かったと思うのことでありますよ。

こうして三人、しばし圧倒的な景勝を楽しみ、
いいだけやられて昇仙峡をあとにしたのでした。

モチロン帰り道は、おバアにもらったアドバイスの通り、
三叉路に十分注意し、一旦停止で4つ数えてから発進したのである。

 ▼昇仙峡 
 http://www.shosenkyo-kankoukyokai.com/

 ▼昇仙峡ロープウェイ
 http://www.shousenkyo-r.jp/

 ▼仙娥滝
 https://goo.gl/cwBcRz
 日本の滝100選に入っているらしい。へー(いま知った


  ■1日目 : お昼ゴハン、ひなたにて。

昇仙峡から車で30分ほど下り、甲府市街へ戻って来、昼ゴハンは、「ひなた」。
至ってフツーの食堂である。
ひと月ほど前に一人で甲府を訪れたときに見つけた食堂で、
フツーなのだが色々独特なのだった。
その時は、特に二人をここへ導くつもりはなかったのだが、
今回の宿があまりに店の近くだったので面白くなってしまい、
またお二人が「イケるクチ」なのは分かっていたので、これはもう宿命ということでお二人にお教えした。
結果、昼が遅れた空腹に任せて若干「盛った」二人はそこそこやられ、
夜までの3時間ほど使い物にならなくなった。

お店の名誉のために付け加えておくと、ゲテモノ・爆盛りの類では決してない。
昭和にはよく見かけた普通の、色々とおおらかというだけで、
初期設定をいじりさえしなければ何もおかしなことのないお店だ。良心的ですらある。

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前来たときは、OL風の女性が二人でゴハン食べていたほどだ。
ただまあ、壁を見てもらえばわかる通り、
メニューが無用に豊富で、
そのサイズ設定がまた独特で、
それを説明したり運んできたりする人物が若干スペシャルである、ということに尽きる。
よく確かめもせず、空腹に任せて盛ったりするからピンチを招くのであって。
ただ、ピンチを招かせるテンションの高まりを演出する空間であることは否定しない。
また、「面白丼ってのはなんなんです?」という問いに対し
「それねえ、作ってる方は面白くないんだよ」という答えを軽々と返してのけるポテンシャル、
人間力は秘めた者の商う店である。
彼もまた、一般的な経済のくびきから放たれた一人の……否、夫婦で一人の賢者だった。
地元の人たちから愛されているにちがいない、素晴らしきゴハンの店だった。

昇仙峡の山頂で年老いたアルパカちゃんが商うジャパリカフェも、
本人の話を聞く限り50年モノであったが、
この店も44年やっているというから……驚きである。


  「普通は、隣のガストに入っちゃうよな……」


店を出てすぐ、どちらかが言ったことばがやけに印象的だった。
ひなたさんのすぐ隣は、"ザ・無難"、"キングオブ無難"、"無&難"など、
数々の称号を恣にする無難の王、無難なメシ屋の代名詞、ガストさんなのである。
うん。
オイサンも、もう少し心に余裕がなかったら違う店行ってたと思う。
しかしあのとき躊躇なく入って良かったと、今でも思っている。


  ■1日目 : お宿にて


ひなたを出たあとは「ホビーショップいちかわ」で2000番のやすりを買い求め、
道すがら発見した「富士アイス」で「アイスを食う。回転焼きも買う」と言い出したヨ氏に
エースの底力を見せつけられたり、地元のスーパーでいくらか飲み物を買ったりして宿に戻った。

宿の部屋が、なんとマーガレットの咲き乱れるお庭のついたはなれだったのには驚かされた。
そりゃ驚くよ。
宿本館の建屋が、縦に細長いコンクリうちっぱだったのを見たときには
大した期待感を抱かなかったが、通されたときはそりゃあたまげた。
お部屋もオッサン3人にはもったいない広さで、
そしてその広い部屋にもさらにもったいない馬力を持つ巨大なエアコンがついていたからもう
いじり放題である。
最初、ちょっとつけたときに「なんかやたら冷えるな」と気付いたのが始まりだった。

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夜はテ氏お勧めの「かっぽうぎ」なる居酒屋で一献酌み交わす予定だったが、
「ひなた」でやられたのが、この日のとどめとなった格好だ。
結局少しだけ飲みにも出掛けたが小一時間引っかけただけで宿に戻った。
慌てて湯に浸かったあとは、なぜだか部屋で『けものフレンズ』の話題が盛り上がってしまって
まだ見ていないというテ氏をジャパリパークに引きずり込んでフレンズになってもらった。
たーのしーい!


  ■2日目 : 忍野八海


2日目は忍野八海へ向けてスタート。
朝ゴハンはどっか途中で適当な店に寄ろうとしていたが、
結局町なんかすぐ抜けてしまい、途中に町なんかもなく、コンビニゴハンとなった。
コンビニすげえな。
もしこの世界にコンビニが無かったら俺たちはどうなってしまうんだ。
いや、ホントにコンビニすげえよ。

途中、富士山の良く見える広い場所で一旦車を停めてゴハンを食べていたら、
どうやら土地の持ち主と思しき御仁がウロウロと見回りに来たので慌ててその場を離れる不良中年。
クックック…ここがホテルの駐車場だといつから気付いていた……?
最初からですすみませんガラガラだったのでつい出来心で。

忍野八海までは甲府から1時間チョイで到着した。
ち、近い……。
前々から行こう行こうと思っていながらも、家からではどうにもアクセスが悪く
攻めあぐねていたというのに。オクルマは偉大だ。
ジェントル号おまえやるやないか。

そうしてたどり着いた忍野八海はゲキ混みでした。
ゲキ混み
知ってます? ゲキ混みゲキ混んでんすよ(ダイレクト)。
まあこの日から本格GW突入だったし、
出発前に道路状況を確認したら、都市圏は完全に動脈硬化であり超脳溢血であり即死だったので
ワカランでもないけど、ほぼ朝イチからこんなヒトおらんでエエやん、というくらい。

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そしてまあ、ただ人が、普通のヒト、
人生の色々なことをキチンとわきまえた人々が集っておるだけならそれほどでもないのですが、
実にこう、海の向こうの広い大地で自由奔放にお育ちになった
倫理や儀礼を概ねわきまえない方々ですとか、
国内選りすぐりの野生部分を解放したフレンズとかが一山いくらで押し寄せておいででしたんで、
つまりこう、山頂のブサイクカップル的な節操のない者どもがですね、
まあいいや。
まあこう、なんというか。
穢れている。場が穢れている。ねえ。
バブルの頃の日本人も海外でこうだったんだろうなあと思うと、
いわれのない罰を受けているような気になる。俺たちは何もやってない。



しかしそんな人波を抜きにすれば、忍野八海は大変美しい場所でした。



駐車場はどうやら、現地の方々が有志で土地を提供して各々誘導や管理をしてらっしゃるご様子。
ジェントル号も、エリアに入るや否や、腰も曲がって割烹着に頭巾のおばあちゃんが、
非常に緩慢な動きでコッチダヨーコッチダヨーをやってくれたので、流れるように入庫。
あの手の動きはもしかすると、その招き通りに動かずにはおられない、
魔のリズムでも体得したものだったのかもしれない。
とはいえまあ車のサイズやなんかの難しいことは完全無視で、
来るクルマ来るクルマ片っ端から招き入れていくスタイルなので
入庫にはそれなり以上のスキルが求められるご様子。我々のドライバーは天才で良かった。
駐車料金は、協定でもあるのか、どこも一律終日300円で統一されているらしい。

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遠景には、ちょうど良いサイズの富士山がどっしりと控えて
人間が悪さをしないように常に見張っておられます。
アレに見張られていたのでは、そうそう悪いことをしようという人間は育たないのではないでしょうか。
そしてその富士の裾野を染みて伝わりわき出しているらしい水の美しいこと。
中でも、水深8mにいたるという、村の中心部に位置する最大の湧き出し口を眺め下ろすのは圧巻であった。

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これでもっと人が少なく、こころ静かに見られたなら……。
今度はどうにか頑張って、オフシーズンの平日に来よう。
人が少なければ、本当に鄙びた昔話のような風景の中を歩くことになると思う。
飛騨に並ぶ、THE・日本の風景(イメージ)を見ることが出来そうな場所だった。
小川沿いに延びる土の小道の並木など、ほとんど手の加わっていない様子で魅力的だった。

水回りについては思い描いていたよりアトラクション化されていて、
富士からの伏流水が自然にわき出す様や、
とうとうと流れるところをめでることが出来ることを期待してたので、
その辺はちょっと残念ではあった。


  ■2日目 : 忍野八海、名泉そば製麺所


サテ、昼ゴハン。
メインスポット周辺で何か食べられそうなところは、砂糖に群がるアリのごとき人だかりとなっている。

ヨ氏が、子どもの頃の記憶だがと前置きをした上で
「もっとはずれの方にそば屋があったと思う、そんなに立派じゃないプレハブみたいな……」
と、いかにも我々向きの情報を出してきた。
もう20年も前の記憶らしいが、こと食い物に関しては、
なんなら母親の腹の中で食ったもののことだって覚えていそうな男の言うことである、
その言葉を信じ、鄙びた村の中でもさらに外縁へ外縁へと歩いて行くと、
(マそれでも、観光客はいなくはならないんだけど)……あった。
それっぽい、プレハブっぽい建物。

  ……今こうして振り返りながら、今回の旅はしみじみと『ドラクエ』っぽいと思う。
  「なかまに案内されて村の外れまでついていくと、
   秘密のお店が開いていて、そこに話のキーになる怪じn……賢者がいる」


っていう。ドット絵で描かれた自分たちが見えるようだ。

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詳しく説明すると長くなるが、この店も甲府の「ひなた」と同様、
いにしえの時代……30~40年前の怪人g……否、賢者が打ち立てた独自のシステムを守り続ける
けったいn……否、優れたお店であって、またも一人の怪人に出会うことになった。
食欲のお導きである。
順を追って話すと長くなってしまうので、この「名泉そば製麺所」のモヤモヤpointを以下にまとめておく。


 ▼「名泉そば製麺所」 モヤモヤpoint
  ・食堂ではなく、製麺所である。
  ・従って、客は「おしながきを見て注文する」ことは出来ない
  ・この「製麺所」で作られた麺(そば・うどん(太・細))をおみやげとして買うことが出来る。
  ・おみやげの麺を買った客は、「サービスとして提供される、茹でたそばとうどんを食べることが出来る」
  ・茹でて食べさせてくれるのは、お客がおみやげとして買った物ではない。あくまでサービス分。
   買った分はそのまま持ち帰ることが出来る。

この謎のシステム……仮に「お土産を買ったら食べられ~るシステム」と呼ぶが(直球)
味見、試食の様なものとも、また異なる。
あくまでも購入後の「お客さん」にしか、「サービス」は提供されないから、説明が難しくなる。
お母さんも、その辺のシステムと「サービス」という言葉をことさら強調して、
訪れては首を傾げる客に対して絶えず説明していたが、ちょっと難しいと思う。
このシステムを理解するのに随分時間がかかってしまった。
「食堂とどう違うのか」とか、
「買ったお土産の麺をこの場で茹でてくれるのだろう」とか、色々と誤解を経た。
システムを理解したあとでも、
「いったいどういうマネタイズシステムなのだ」と、テ氏は頭を悩ませていた。

この、「540円で7食分買えて、且つそれとは別に1食分その場で食べられる」というのは、
現地のいわゆるフツーのそば屋と比較しても、相当お値打ちであった。
カタカナビジネスタームが大嫌いな我々でさえ、
「キミ、このプロジェクトのKPIはどうなっているんだね?」と聞きたくなるほどだ。

ここでも、お店を切り盛りする賢女との小粋な丁丁発止があったのだが、
細部はまた別記事で書こうと思う。
こちらのお母さんも、さすがこの世間の経済的なやり方に完全に背を向けたシステムを編み出し
30年から維持してきているだけあって、一筋縄ではいかない切れ味のトークの持ち主であった。
おいしいそばとうどんを頂きつつ、むやみにゲラゲラ笑っていた気がする。

  ▼忍野八海 名泉そば製麺所
  http://tokyosanpopo.com/archives/13634


  ■旅の終わり


帰りは、国道413号、通称道志みちを通り、東への帰途を辿った。
目立った混雑はなく、逆に西へ向かう車の数が目立った。
やたらと運転の上手い、速いAQUAとRX7が先導してしてくれて、
テ氏的にも面白い道であったようだ。
チョイチョイ、アグレッシブなカーブ、テ氏言うところの「爆笑コーナー」なんかがあったりして、
軽快な横Gを体に感じながらの家路だった。

途中、以前パパさん&湘南大巨人と訪れた「道志の湯」にて風呂を浴びた。
昨晩は、ひなたストライク(超必)を食らって夜までロクに動けず、
ようやく動けるようになりちょっと出掛けて帰ってきたらあっという間に風呂の時間がオシマイで、
ゆっくりと湯に浸かれる時間もなかったから、
足を延ばしてノンビリ湯に浸かることが出来てなかなか良い塩梅だった。

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ここでは、怪人は特には出てこない。



……マそんな感じで。



昇仙峡、自分で言い出したものの、「こんな普通の観光地で大丈夫かな……」と正直不安だったのだが。

  イヤ普通は普通の観光地に行くのが旅行だと思うけど。

色々予定の変更や、予想外の出会いがいっぱいあって、なんとも大満足な旅になった。
怪人たちは、旅を彩ってくれたということ以外にも感ずるところが多々あって、
……それも、あとで詳しく書こうと思うのだけど……
たった2日間、36時間の旅だったけれども、十分すぎるサイズと濃度の旅だったと思う。
イヤハヤ。
こんな旅はなかなかできないのだろう。つくづく、自分は幸せ者だなと、しみじみ思う。

出会った人たちの人生が幸せなものであることを、僭越ながら心から願わずにおられない……
……マ連中は、オイサンたちなんかよりきっとよほどの手練れであろうので、
願わなくても幸せに違いないのだけど。
彼らはハピネス強者だと思う。羨ましくなるほどに。

  ……あ、ブッサイクなアイツらに幸せはまだ早いので、先ずは3週間! お試しいただき、
  その後キッチリ別れたあとで幸せになってもらいたいです。

途中、津久井湖で一旦休憩をしたあと、
コレ言った渋滞や混乱もなく、関東へは無事に帰り着くことが出来た。

三々五々に別れたあと、「ひなた」で聞いた
「面白丼には目玉焼きが3つ乗っている」
という話が忘れられず
(他にも色々乗っていると聞いた筈なのだが、最後に聞いたそれがインパクトすごすぎて忘れてしまった)、
どうしても目玉焼きが食べたくなって、
近所のメシ屋で定食に目玉焼きを追加して、
ワリとしっかり目にゴハンを食べると、帰ったら倒れるように眠ってしまった。



素晴らしき、そして幸せな旅でありました……ぐうぐう。
今回はサワリだけを軽めに書いたけど(それでこんな行数になっちゃったけど)、
違う機会に、エゲツナイ部分もミッチリ書く。



次でラスト、2017年のゴールデン・ウィーク最後の4日間。
まったりしつつも、モノ思う豊かな時間。

オイサンでした。



 

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2017年5月20日 (土)

■甲州の3賢者と、ナインボール・ワンダーランド~2017年のゴールデン・ウィーク・その1~ -更新第1124回-

今年のGWは長かった。
オイサンの勤め先も、よーやく人並みに
"5月1日・2日は有給休暇で埋めることをおススメする"
などとしおらしいオサレなことを言い出したので
なんだオイいよいよ潰れるのか? 明けて出勤したら更地になってるとかないだろうななどと
職場内が騒然となったのだが(大げさな表現)、
もはやそのGWの息の根も止まりかけ、これを書き始めている5月の6日の今となっては
ドキドキとワクワクが詰まったワンダーランドの心持ですが(何言ってんだ)、
皆さんはいかがお過ごしでしたでしょうね?
とりあえず日記メモとして、この世紀の9日間のことを簡単に書き留めておこうという次第。

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 ▼04/29~04/30
   5回目の飯能へ、1泊2日。
   特に目的はなかったが(ないんかい)、
   吾妻峡を歩くのと、龍崖山を登れたら登る、というくらい。
   どちらも「まあその気になれば」くらいのつもりでいたが、結局どちらもやった。
   得た知見は、「水辺でバーベキューやるのは許せるが、音楽をかけるやつは許せん」
   ということです。

 ▼05/01
   特に予定はナシ。
   かばん(リュック)を新調し、ネオかばんちゃんと化す(化さない)

 ▼05/02~05/03
   3紳士ーズで1泊2日の甲府旅行。
   国道411号を使い、八王子~奥多摩~甲府・昇仙峡~忍野八海。道志みちで帰る。
   毎度のごとく、奇跡のようなロクでもない出会いが次から次へと襲い来るミラクルトラベル。
   山梨なのに水辺に親しんだ旅だった。

 ▼05/04~05/05
   特に大きな予定は無い日々。
   1日はネオ百合が丘のオサレ喫茶でスコーンを食べて鶴川まで歩き、
   もう1日はお馴染みの喫茶を梯子して書き物をし、HDDの整理をして日が暮れる。
   いずれも天気が大変良く、無意味にお写真を撮ってしまうが、まあ案の定ロクな結果にならぬ。

 ▼05/06
   後半のイベントデー。19時から新宿で朗読劇を観る予定。
   先日の舞台『ペルソナ3』で風花チャン役をやった田上真里菜さんを目当てに。
   ついでに母の日の贈り物を選んだりする。
   早い時間に都心に着いてボンヤリ時間を過ごすつもりが、
   都心のうるささにすっかり疲弊してしまい、結構なダメージを負う。もうだめだ。
   そんなつもりもなかったのに、都庁の展望台へ登ったり、ラーメンを食べたりしてしまう。
   休日の新宿だというのに、ヒトの少ないことに驚く。

 ▼05/07
   最終日もこれと言って予定はナシ。
   ドトールにこもり、筋トレをしてジョギングをし、また別の茶店にこもる、
   という妖怪喫茶ハシゴじじいとしての責務を果たす。

マ上で「予定がない」としている日は、何もせずボンヤリ暇にしているわけではなく、
「いつも通り書き物をしている」のである。
そして喫茶店にこもっているときも書き物をしているので、
ワリと24時間頭の中で何かがダンスしている人だった9日間、であったと言えよう。

でも、毎度の長い休み様に、予定をきっちり考えて旅をして、
ビキビキとエネルギッシュに過ごす日々ではなかったためか、
ポンヨリとした休みだったように思う。



■■■ 序盤・その1:04/29~05/01 ■■■



当初の心づもりでは、この3日間をかけて群馬は伊勢崎へいくつもりだった。
そう、天下の超人気アニメ『日常』の聖地巡礼である。
だが、なんとなくだるくなった(ヒドイ)のと、
中盤2日間の甲府の旅に向けて1日は温存しよう、という気になったので、近場の飯能で収めることにした。

伊勢崎へは八高線を踏破して向かう気であったので、その途中にある飯能に目が付いたのと、
マあとは……新幹線や特急に乗らなくてすむので、安くつくのである。
飯能。
近いんだよ。あとここなちゃんがいるし(いません ← いるわボケ ← うっさい見たんか)。

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目的らしい目的は特になかったが、
吾妻峡の水と新緑を眺めようということと、
飯能三低山(いま勝手に命名)のうちで唯一未踏で残っている龍崖山へ、
……マ気が向いたら登ろうかな、というくらいのつもりであった。



初日は16時くらいに着いて、ほとんど何もしていない。
目当てのうどん屋が閉まっていたので結局日高屋でゴハンを食べることになって
地味にへこんだくらいである。
いるかその情報?
おかしな日高屋で、ガラス越しに隣のボーリング場の様子を観戦出来てしまう、
やってる側からすれば無料で見世物にされてしまう地獄の動物園仕様であった。
それは言い過ぎだろう。
降るはずではなかった雨に見舞われて空気がしっとりしていた。

2日目は、早朝からいつもの天覧山へ登り、昼からは飯能河原を渡って吾妻峡へ。
すっかり見慣れた景色だが、キレイなモンはキレイだ。

東飯能駅の東側や、秩父へ向かう池袋線沿い辺りは初めて歩いたが、
朝の八幡神社がやけに美しかった。
あと謎のつぶれたての模型屋を見つけたりする。気分しっとり。


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天覧山。変わらぬ眺望

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八幡神社。ゆる狛犬。

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八幡神社。光がきれい。

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つぶれた模型屋3連発。時代であるが、つぶれたのは最近。


しかしGW初日とあって、すっかりウェイなウェイ民が河原でウェイウェイBBQなどを嗜んでおられ、
マそれは別に構わんのだけども、
肉や野菜を焼くのはともかく、大きな音でしょーもない音楽をかけるのは、それは必要かね!?
と言いたかった。
必要以上にうるさくする意味がどこにあるのか。川のせせらぎに耳を傾けたまえよ。

お昼ゴハンは、吾妻峡へ向かう途中の、橋のたもとにある名も知れぬ小さなうどん屋でいただいた。
特別なお店ではなかったけど、ひなびた感じの良いお店だった。
テーブルごとにおいてあるお品書きが、コピーでなく全部手書きだったのに驚かされた。
全部を確かめたわけじゃないけど……周り3つが全部ちがってたので、多分そう。
結構な落としのお婆さんとおじいさんでやっているお店だったので、
きっと「コピーをとる」という発想そのものがないのだと思う。
あるにしても、それは「特別なこと」の部類なのだろう……。
なんていうかね、そんな味がするお店だよ。わかるでしょ? わかれ。

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じいちゃんばあちゃんでやってるうどん屋。最高のロケーション。


吾妻峡を渡り切ってからドレミファ橋を西岸側の道へあがり、
龍崖山への道を探しながら上流方面へ結構歩いたが
見つけることが出来なかった(調べとけや)。
おかしなオブジェクトにはいくつか巡りあったがそういう出会いは求めてねえ!


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今にも「よく来たな!ここを通りたければクイズです!第一問!」って言いそうなオブジェ。


吾妻峡では、久しぶりにオタマジャクシなんか見たな。
そこそこ歩いた先で橋を渡って折り返し、川の東岸を下って、
またドレミファ橋の地点から西側の道へ上がって今度は町の方、
下流方面へ向けて歩いていたら……あったあった、龍崖山への登り口。

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水清き飯能。さいたま侮りがたし。

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オタマジャクシ。何十年ぶりに見たかな。



しかしこの時点で既にそこそこ歩いて体力を消耗しており、時間も……
どうしたものか思案したが、
さっき食べてしまった謎のジェラート屋のジェラートのカロリーが気になってしまい、
とりあえずちょっとだけ登ってみることにした。

 ▼龍崖山 ハイキングコース
 http://www.yamakei-online.com/cl_record/detail.php?id=31678

デ後悔することになるのだが、龍崖山、山頂まではすぐなのだ。
15分も登らないのではなかろうか。
そこから南側の龍崖山公園方面へ降りようとすると、
下っては登り、下っては登りを繰り返すなかなかスパルタンな下山となるのだった。
その道の付きようは、なるほど東洋の胴長龍が寝そべって削れた痕のようで、
龍崖山とはよく言ったもんだと正しい名の由来など知らずに感心したものだった。

山を抜けてからも、すり鉢のような公園の底からグイグイ坂を登らされ、
丘の上にあたる住宅街を抜けて飯能の市街地に出るまでがまた長く、
結局、そこそこの日差しと気温の中を4時間半近くも歩かされて大変疲弊する結果となった。

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龍崖山山頂。まあ大した眺めじゃありません(ヒドイ)
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かつて古代文明において、テトリス的な何かが行われた跡。




ただ、その坂を下る途中で思ったことは今後の課題になることだったので、
こことは別でまとめて考えようと思う。




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今回の飯能でも、またここなちゃんには出会えなかったが、
意外性のある楽しい飯能だった。

そうそう、宿の鍵のお尻のところが何故かパックリと割れて外れる仕様になっていたのが
妙におかしかったな。
フロントで預けるときに「これなんでこうなってんの?」と聞いたら慌てて
次受け取ったときには外れないように直っていたw
別に直さなくてもいいのに。

この日、朝の天覧山への往復も含めると、
踏破距離はどうやらざっくり見積もっても20㎞近くなるようだ……。
山道こみで、トータル6時間チョイ。




帰り着いたときは
「そんなに高い山に登ったわけでもないのに、なぜこんなに疲れているんだ……。
 これが老いというものか……」
って凹んでいたけど、そら疲れるワケだよ。普通疲れるよ。



■■■ 序盤その2:05/01(月・祝) ■■■



5月に入っての1日目は、特に予定はなかった。
日々の些事をこなして、明日からの旅に向けて鋭気を研ぎ澄ます。
前日、山から帰って倒れるように寝てしまったので3時半とかに目を覚ます。

関東近辺の空模様が、昼から突然大雨になる、みたいな予報だったので、
外をうろつくのは午前中に終わらせてしまい、
午後の時間帯にはなじみの喫茶店にしけこんで、
雨の音を聴きながら書き物でもしよう、と雨まで予定に組み込んでみる。

AM、となり駅までカバンを見に出かけた。
あとは、夏山向けのいでたちも整えられたら……と思ったが、
山の衣類なら海老名のモンベルまで行った方がよかったな、と思い直す。
近いうちにそっちも見に出かけよう。

郵便局にお金を引き出しに寄ったとき、
そういえばキャッシュカードが割れかかっていたことを思い出し、
平日で窓口も開いている上アホみたいに空いていたから気まぐれにうかがってみたのだが、
印鑑がいる、と言われて結局処置は出来なかった。マそうですよね。

ハンズが開店直後で、入り口にお出迎えの店員に頭下げられて居心地が悪かった。
こんなオッサンに頭下げんでもエエんやで。そういうことするからアホが勘違いするんやで。

ハンズでは大した収穫がなかったが、
次に行ったスポーツショップでナイスなリュックに出会えた。
今使っている、solo touristの10Lサイズではちょっと容量が足りなくなっており、
それとよく似たデザインの20LがColumbiaから出ていた。
お値段もそこそこだったので、お試し気分で思い切って買ってみる。
取り回しが良ければ良いのだが……この9連休で感じたところでは、もう一歩というところ。
そもそも、リュックという形状が自分には合わんのではないか、という結論にも至りそうである。


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「あらおつかれさま。イッパツ抜いてく?」と言っていることは明らかな、
飯能のナゾ看板。



予定よりも少し早めだが自宅へと引き返して歩く途中で、
ポツリ・ポツリと雨だれに当たり始めた。
イカン、間に合うつもりで布団が干しっぱなしである。
足を速めて帰り着き、ギリギリセーフというタイミングで取り込むことが出来た。
色気を出して、途中のパン屋に寄ったりしなければ完全にセーフだったのだが。

その雨は前兆に過ぎずすぐ止んで、本番の大雨はまだやってこないようだったので
その隙に駅前のひなびた喫茶へ滑りこみ、ドンガドンガ言う雷を聴いて過ごした。
客足も少なく、まあ良い時間であった。
ただ、店でかかってたCDが、つるのナニガシのカバーアルバムでなんとなく気が散る。



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うどん屋さん、窓辺のいちりん挿し。ほっとする、はっとなる。



まだまだ長くなるので一旦ここらで切るか。
次は中盤戦、連休もクライマックス(早いな)3紳士ーズでの甲府・昇仙峡一泊旅行です。
ボルテージは早くも最高潮!(無理やり)


オイサンでした


 

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2017年5月 2日 (火)

■最後の仮面の向こう側~舞台『ペルソナ3 the Weird Masquerade 第4章 藍の誓約』感想 -更新第1123回-

アスミンが主演を務める舞台版『ペルソナ3 the Weird Masquerade』の最終公演を見てきた。

「最終」と言いつつも、今回は第4話「藍の誓約」と第5話「碧空の彼方へ」が同時公開で、
両話とも男主人公版・女主人公版があり、1週間のうちに各版4公演ずつあるという超変則公演だった。
まとめると、

 ・第4話 男版:4回 女版:4回
 ・第5話 男版:4回 女版:4回

の16公演ということになる。すげえな。
主役のアスミンや蒼井翔太くん、他のダブルキャスト陣は8回だけだけど、
共通キャストの人は……混乱しないのかね。

最終話についてはチケットが取られず、当日券が出れば……くらいのスタンスでの観劇となったのだけど、
この舞台は毎回期待以上に楽しませてくていたので、
2014年に初回が演じられて以降3年半、毎回見続けてきた者としては
最後だけが見られないのは惜しいと言えば惜しい気持ちではある……が、
マしゃーない。

という都合で、感想を書けるのは第4話のみということになった。


■舞台『ペルソナ3 the Weird Masquerade 第4章 藍の誓約』感想

 ▼全体的なお話の構成と、ちょっと無理を感じた脚本

全体的にザックリいってしまえば、
これまで通りのパワー溢れるお芝居で存分に楽しめた。
CG演出への依存度が若干高まっていたようには思う。
CGを使う頻度という意味ではなく、CGで舞台に投影されるものの具体性が上がっていた。

今回のお話で、みどころを大きく背負っていたのは、

 1)順平とチドリ、恋の悲しい行方
 2)風花、自分の居場所と他者を信じるということ
 3)アイギスとリョウジとヒロイン、デスの覚醒

の3本です! サザエさんか。

3)のデス覚醒は、
今回のメインというか次の最終章(つって同時に上演してるんだけど)へ導くためのエピソードであったので、
メインは1)と2)、ということになるのだが。
2)の風花のエピソードに関しても……正直、「ソレ今やること?」という気持ちがないではない。

課外活動部のデータセキュリティを甘くしてしまってストレガにデータを盗まれ、
自分のことを役立たずと責めて居場所の心配を始めてしまう風花と、
彼女と深い付き合いを始めた女子友だちとの別れのエピソードであったのだけど、
そもそも、風花自身も既にそれしきの失敗であのメンバー内での居場所を失ってしまうかも!
……と心配するほど、自分の基盤を弱いものだと思っている節もなかった
(様に見えていた)ので、「私、また居場所をなくしちゃう!」と言い出した時は、
何のことを言っているのか分からず、唐突に感じた。

あそこに説得力を持たせるには、もう少し、
彼らの中になじみ切れていない風花の姿であるとか、
張り詰めてミッションに当たる彼女の姿を印象付けておく必要があった……と思う。
全体を通して見ても、今ここでこのエピソードってどうしても要ったかしら?

確かに、オハナシ的には1)の内容との絡みも若干あって、
「ストレガの再始動するきっかけ(ハッキングによる情報獲得)を見せて、
 チドリが離れていき、順平のエピソードが盛り上がる」
っていう流れが欲しかったのかも知れぬ。
「ペルソナの覚醒」も、必要な事情としてあったかも知れぬが、
ゲームではないので敢えてそこまでこだわる必要もなかったようにも思う。
ラストエピソード手前で、こうまで時間を割いてやる必要があったのか。
脚本家は全開までの段階で大きな決断をしても良かったのではないかと、
他人事ながら思ったりもした。
物語もコトここに至っては、この問題のスケールは随分小さいと思うし、
終盤のここに配置するには、ちょっとアンバランスだった。

  マ、田上さん演ずるところの風花チャーンをたくさん見られたんで、
  個人的にはいいんだけど。

ストレガの2人はもう、前回までの内容で死なせておいて
(=退場してもらって。実際自分はもうアレで終わりだと思ってた……)、
シナリオ全体をシェイプアップさせても良かったんじゃないのかなーと思う。
最終章で彼ら2人がどれだけ必要とされていたか、
見られなかったオイサンにはわからぬけど。
チドリを手にかけるのがストレガでなければならないということもないと思うし、
どうにか前回までに収めてしまって、
今回はラストエピソードに集中してしまった方が良かったんじゃないだろうかな、
と、見ていて思った次第。

というのも、順平・チドリのくだりと、デス覚醒のくだりをいっぺんにやらすのはキツそうに見えたし、
実際見ていてキツかった。
「キツい」というのは……
「感情の上限を、短時間にあのレベルで2回振り切ることは、自然には出来ない」
と思うんですよね。
順平がそれに対応しきれないし、
そうなると(今回)順平に心を預けている観客も対応出来ず、
ある意味、ニュクスの件に関しては観客は置き去りを食らわされたと思う。
チドリの件で感情を振り切り切った順平に、あの短い時間もうちにもう一度
ニュクスの絶望で振り切れと要求するのは、さすがに無理がある。
ワンクッション、違うエピソードを挟む必要があった。
そのせいで、せっかく大人になりかけた順平がまた早速アスミンにぶち切れるのは、
「お前どないやねん……」と、ちょっと呆れてしまった。
脚本、ちょっと無茶したな。
なんとなく、
「本来はやる筈じゃなかったところまで、
 ここまできたんだから欲張ってやってしまおう!」
っていうことで後から付け足した、
みたいに見えてしまった。

  演劇として、要らないところは切ったらいいのに。
  ゲームや原作のまま全部やる必要はないと思うんだけど。


 ▼あり得難い感情と、歌えない歌、その向かう先について

今回、風花のエピソードを主として、
「友だちだから信じる! 仲間だから助け合う!」「当たり前じゃない、友だちなんだから!」
押しがなかなか激しく、そういう感覚を持ち合わせない自分はキツかった……。
ああいう歌を歌える役者さんは、やはりああいう感覚を身体的に持ち合わせているんだろうか?
オイサンは社会通念以上の意味合いでは「友だちだから・仲間だから」的な感覚は持ち合わせないし、
社会通念である以上、ああいう形で言葉や振る舞いに表すのもなんだかチガウ、と感じるので、
あれを堂々とやられるとウワッとなる。

自分には歌えない歌だなあとつくづく思うが、
役者さんたちは、確かな手ごたえのもとにあの歌を歌っているのだろうか……。

  面倒な話になるけど、
  オイサンは「他者を信じる」ことが出来なくて「他者を諦める」ことで対処しているのだが、
  つまり、
  「自分じゃなく、他人のすること・考えることなんだから、自分の感覚に引き寄せることは出来ないので、
   諦めて任せて好きにやってもらって、自分にとっても良い結果が出たらメッケモンである」
  くらいにしか思っていないのだが、
  それは彼らの言う「他者を信じる」こととはやはり違うだろう。

またそれとは別に、今回劇中を支配した大きな心・感情として、
「自分の命を捧げて順平の命を救った(蘇生させた)チドリと、救われた順平」と、
「デス(ニュクス)の降臨による、絶対普遍的な死の訪れとそのことへの絶望」とがあった。
劇中の彼らは存外あっさりと、それらの超自然現実的な出来事や未来を「事実」として受け止め、
感情に転化していき、
観客の大半も(恐らくは)その劇中の事実を受け入れて、人物たちと共に涙し、
恐れ、絶望していたと思うのだけども……
そのような「現実上起こり得ない感情」を「模倣すること」と、共有し、処理していくことの表現というのは……
この先、どこへ向かっていくのだろうか?

  まあ単純に言えば、「自己犠牲が出来るくらいの愛への畏れ」と、
  「誰にも等しく必ず訪れる、死への恐怖」を象徴したものでしかないので
  そんなに特別な感情でもないはずなのですが、
  オハナシの都合上、キャラクターたちはそれ以上の出力で感情を爆発させることを求められ、
  そこに説得力を見いだされなければならなくなってる。

まあ、伝統芸能であるところの能や歌舞伎にしても、
モノノケ・アヤカシの類に対して人が抱く感情を取り扱ったものが大量にあるので
今に始まったことではないのだが、
ここで形作られた、過剰に水増しされた感のある極端な感情のつかいみちってなんなんだろう? と、
フッと考えてしまった。
娯楽である以上、何かの役に立たなくてはならないということは別にないのだけれども、
表現者、芸術家である役者の方々の目指すところに対して、
その技量、あり得ないかも知れない人間の感情を再現する能力、技術というのは、
やはり価値のある物なんだろうか。

とまあそんなことで、
作品としてのパワーは相変わらずあったのだけれども、
緻密さ、繊細さという意味では、前回の第3話には若干譲る感じになってしまったな、
と感じた。
前回が良すぎたな。

  関係ないけど、ニュクスに対する絶望っぷりについては、
  オイサンはゲームプレイ時、ニュクスとのバトルまでにレベルがMAXの99まで上がってしまっており
  (どんなプレイをしたらそんなになるんだ)、
  ハルマゲドン連発が出来て(確か出来てたと思う……もう10年も前のことだから忘れてしまったが)
  ほぼ無傷で瞬殺上等だったので全然怖い思いをしなかった、
  作業の様に屠った覚えがありまったく恐怖を感じなかったため、
  主人公たちの絶望を共有できんかった。

 ▼役者さんたち

相変わらず順平役の大河元気くんがお気に入りなのだが、
今回はアクション薄目だったのでアクションのキレが見られず残念。
そして前回も書いたけど、やはり風花as田上マリナチャーンがいいですね。かわいいですね。
まあ前回も書いた通り、田上さんが、というよりは田上さん演じるところの風花がいい、と、
自分は感じているのだと思います。多分。

  ▼前回の感想
  BE YOUR TRUE MIND. ~舞台『ペルソナ3 第三部・蒼鉛の結晶』に酔いしれる -更新第989回-
  

最後のあいさつで、アスミスが風花チャーンを引っ張り出してくれたのが良かったですね。
あとラストの歌でキャスト陣が客席まで出てきたとき、
真田先輩とアイギスZAQちゃんがワリと近くまで来てくれて見応えあったです。

  ついでに、本当に風花as田上さんがいいのか、田上さん単体がいいのか、
  検証するために田上さんのお舞台を一発予約しました。


  ▼声の優れた俳優によるドラマリーディング日本文学名作選vol.4「三四郎/門」「それから」
  http://anime.eiga.com/event/117312/



そんな感情爆発が起こる中で、地味に存在感を示していたのは真田先輩だった。
今回脚本上は、事実上見せ場ナシだったにもかかわらず、だ。
真田先輩、すごい良かったなー。

感情を爆発させるシーンがなかったというだけかも知れないけども、
淡々と、ことが起こっても抑えた芝居をしているのが伝わってきたし、
文字通り、あのメンバーの精神的な支柱になっているのが見ていて分かった。
脚本的な出番は同じ位置にあったはずの美鶴先輩にはそのような感じはなかった
(若干、真田先輩の方が優遇されていたが)ので、
演技プランの問題なのか、
或いは単純に舞台上での見栄えの問題なのか、分からないけれども。
アクションも、大きな見せ場もなかったことを考えると、やはり地の部分の芝居が良かったんだと思う。
大変存在感がありました。
これで真田先輩まで、「出番はないけど俺が俺が」の芝居をし始めたらしんどかったろう。
お見事でした。
しかし、今回、真田さんは以前にも輪をかけて細くなってたように思うが気のせいだろうか?
相方の天田君がめっちゃデカく+若干太く(? 多分)なってたような気がしたので、
そのせいもあるかも知れない。子役はキツイだろうね。
そりゃ、第1回から3年も経ってればね。成長くらいするさ。


■その他、お芝居以外の部分で

開場を待つ間、ロビーで物販を眺めつつ、なんでこんなにブツがクソ高いんだ! と思っていた。
缶バッヂが2個500円(ガチャでランダム)。
パンフレットが2000円。中身は実質、イケメンの写真集。
小さ目の布タペストリーが9000円……と、

布地が少なくて値段がハネ上がるのは
         
女子の水着だけの特権のはずだろう!!


と憤慨していたのだが(そこでか)、
舞台を見て、確かにこの芝居はカネかかるな、とも思う。

歌や曲は作らないといけないし、CGも、多分新しく作っているのだろうし……。
そもそも、小屋のシアターGロッソのキャパがそんなにないから
座席代だけでは回収し切れないのかも知れない。

しかも、
録画用のカメラが設置してあるかなり良いセンター周りの席が20ほどツブされていて……
「あそこ座らせればいいのに……」とずっと思っていたのだが、
客を入れるよりも、しっかり録画をしてDVDにして売った方が良い稼ぎにはなるのだろう。
……しかし、それって……お芝居として、演劇としてどうなのよ、という憤りはある。
お芝居本来の醍醐味である生の観劇をしたい客層を犠牲にして、DVDに回すのか。
……などという、旧態依然としたことを言う人間がいるから、
いつまでたっても演劇人が演劇で食えない、という現実もあったりするのかも知れぬな、
ということは、こうして書いていて感じたりもするが。
でも、オイサンは……演劇は生で見たいし、見て欲しいなあ。
役者さんが目の前で声を張ってるのって、やっぱりいいものだよ。

音声にマイクを使うのも4回見て来てようやく慣れてきたけど、
やっぱり声も、生声でやって欲しい、耳に届いて欲しいという気持ちは今尚ある。

しかしイマドキは、お芝居もCGやらプロジェクションマッピングやら
駆使しなきゃいけなくて大変だなあ……。
大学の演劇部とか、小劇場系はどうなってるんだろう?
小劇場でもああいう装置は普通に使うようになっているんだろうか。

しかし、演劇。
オイサンがかかわっていた頃は、
人間の生身の表現力を鍛えるための場であった舞台演劇の世界が、
そういう「装置」への依存度を高めていくことへは、やはり若干の不安と違和感を覚えざるを得ない。
それはたとえるなら、文芸の世界で、挿絵や図が大量に使われるような、
ハイパーテキスト化して音楽まで流れてしまうような……そういう不安と違和感に似ているわけだが。
演劇批評界隈ではその辺の危惧は今現在どういう扱われ方をしてるのだろうか。
きっともう決して新しくない「いまさら何言い始めてんの」くらいの題材なのだろうけど。
そういう意味で、2.5次元というのは難しいな、と思う。
人間以上、非人間未満の、肉体と感情のあり方を、リアリティを持って演じなければならないというのは。
思いのほか、線引きの難しい世界であるように思う。

 ▼腐女子たちのラプソディ

あと面白かったのが、
このお芝居のメインの客層であるところのお若い女性陣の、
しかも俳優好きで見に来られている方々の文化だった。

このお芝居の客層、ざっと見渡したカンジ、7、8割が若い女性の様にお見受けします。
まあ彼女らもオイサンらの様な二次元オタクと同様、
2.5次元の物品を買いあさっておられるワケですが、
山の様な缶バッヂをですね、あの、プラスチックのドキュメントケース、
あれにぎっしり敷き詰めて持ち歩いておられるんですな。
皆さんそうして持ち歩いておられるところを見ると、ああいうトレンドなんでしょうね。
誰かが思いついて始めたのが、きっと広まったんでしょう。
面白い。

あと、かばんに大量にその缶バッヂを付けて歩いてる御夫人もおられたのですが、
そのためのカバンなのでしょう、
缶バッヂを保護するナイロンカバーの層が標準装備されていて、
すげえモンがあるな! 見たことないカルチャーだ!
と、ちょっと見てて面白かった。

そんでまあそれをロビーのあちこちでトレーディングされていて、
なんかこの、たくさんの人が集まってプラスチックケースを開けたり閉めたりしてる光景、
どっかで見たことあるなあと思ったら、
ミニ四駆のパーツをとっかえひっかえする男子小学生でした。
なるほど。
あとは、釣り人とかね。


■Closing


とまあそんなことで。
足掛け4年、ずっと見続けてきた舞台『ペルソナ3』もこれでおしまいでございます。
いやー、……長いシリーズだったな。思えばすごいことだ。
初めて見たときはこんなに長く続くものになるとは思わなかった。
やり続けたスタッフ・役者陣もすごいが、見続けたファンもすごいな。
オイサンは……友人ぺ氏がチェックし続けてお誘い下さったから続けられたけど、
ひとりだったら最後まできていたかどうか……
2回目くらいまでで終わっていたんじゃないかと思う。
決してお安いものでもないですし、場所が都心という最も苦手とするアウェイですし。

初回を見たときは、
まだ2.5次元的なものを見慣れていなかったせいもあり
マイクによる発生・CG、プロジェクションマッピングによる演出に違和感があり、
また実際お芝居自体にもそういうものを使った演出のこなれていなかった部分が残っていて
完成度が高いとは言い難いものでもあって、「ちょっとどうかな」と思っていた。
しかし2回目ではキッチリとその辺の違和感を覆す熟練が見え始め、
3回目では見終わったときに「気持ち良かった」と思わせるほど円熟の度を増したものを見せてくれた。
ガッツリ楽しませてくれて、「次が楽しみ」と言わせるくらいで、
脚本も演出も、良い形に収まる進化を遂げていた。
役者さんもすごかったけど、スタッフ陣の頭の使い方たるやものすごいものだったろうなあと
ご苦労がしのばれる。
4年かけて大変良いものを見せてもらったと思う。


スタッフ陣のことをあまりよく調べられていないけど、
ちょっと調べてみて、次に何かやられることがあればそちらも追いかけてみたいと思います。

マそんなことで。
これだけ長いと、やってた方は終わった後の喪失感が酷いと思うけど
(期間あくからそうでもないかもだけど)、
見てた方も「あー、もうないのか」「次どうしようか」という思いがちょっとある。

まあまたぺ氏が何か見つけてくれるだろう。
期待してます(人任せ&ごういん


オイサンでした。



 

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2017年4月23日 (日)

■怪奇! ヤマザキ春のホロスコープ地獄!!~同時上映「ビーバー女子大生・げっ歯類白昼の戦慄き」 -更新第1121回-

先日、電車に乗っていた時の話。

まあ、春になると電車の中もニギヤカになりますな。
さすがに皆さん、新年度を迎えてしばらくは真面目に通勤・通学なさるとみえ、
定常的に移動をする人が増える。

それに、環境が変わると話すことも増えるのか、
大きな声で、新しいオシゴトのことや、オトモダチのことを話しておられるご様子。
まオイサンにはあまり縁のないことでございますが。

そんな中でも、こないだのはスゴかった。

女性二人です。
お顔は拝見しませんでしたけど、話の内容とトーンから……まあ、お若いんじゃないでしょうかね。
どういう業種なのかはわかりません。
オシゴトの話では……なかった……と思うんですけど、
イヤ、ちょいオシゴト混じりだったとも思うんだけど、オイサンには判別つかなかった。
ファッション系の方だと思うんですけどね。
バカっぽかったからとかそういうことではなく
オシャレについての言及が詳らかであったものですから、エエ。

  ものすごい馬鹿っぽかったからとかじゃないです。
  もうね、ものッスごい馬鹿っぽかったから!とかいうオタクの偏見では、決してない。
  そんな風にはファッションの方を見てません、オイサンは。
  他のオタクは知りませんけど。

デどんな会話をなさっていたかというと……まあ、これが、意外でしょうけれども、
ここまでの文脈からはちょっと想像し難いとは思いますが、
これがなんともまた、耳を疑うレベルでバカっぽかったワケです。
もうね、すごかった。バカのオイサンが言うんだから間違いない

人のことをですね、完全に星座で判断しているんです。
完全にです。

 「私、うお座の人ってすっごい好きでー。
  うお座の人って、性格が○○で、見た目もなんか△△な感じでー、
  ××(なんかファッションアイテム)とかつけてる人多くないですかー」


……すげえな!! 星座占い、万能だな!!
イヤイヤイヤイヤイヤwww、さすがにwwwwそんなワケねえだろwwww
と思いながら、遠巻きにご高説タマワってたわけですが、
それを聞いてた相方がすかさずこうおっしゃった。

 「あ、わかるぅ~」

分かっちゃうのか!! どういうコンセンサス文化圏だお前ら!



……え~……。



ビックリしちゃうなあ、もう……。

これまでオイサンの育んできた価値観の危機ですよ。
これを野放しにしておいたらアイデンティティまでも崩壊しかねず、
「ナンデヤネーン!!」と突っ込みたかったのですが。
さすがにそれは叶わず、今こうして、この世界の片隅に書きなぐっておるのです。

  あのー、なんていうか、
  個人的にはどうでも良いような、些細なコトに目くじらを立てて
  「お前キミ、それは間違っている!!」
  って、三軒隣からでも怒鳴り込んでくる人っているじゃありませんか。
  いわゆるナニナニ警察の方々ですけれども、ああいう人の気分が分かった気がする。
  「この価値観を野放しにしておいたら、これまで築き上げてきたオレの価値観の世界が!!
   自分の存在基盤が浸食されて瓦解する!!」
  という危機感、精神の生命の危機を覚えるんですな。
  そんなもん、アカの他人(共産主義的他者ではナイ)の言うことですから、
  人の好き好きほっときゃいーじゃんってなモンですが、
  「コイツだけはここで殺しておかないと、巡り巡って俺が死ぬ!!」
  という、得体のしれない恐怖というものがあるのだということを、
  今回改めて知りました。
  ありがとう、ものっすごいアホみたいではない二人のおねえちゃん。
  勉強になった。

いやあー……びっくりしました。
血液型でー、ってのは聞いたことあったけど、
イヤそれだってファッションの傾向や持ち物まで言い当てるのは聞いたことなかったけど。
たまげたたまげた。

オイサンだってね、星占いくらいは見ますよ。
信じませんけどね?
信じないまでも、そこでときどき発せられる戒めのようなものを、
なんというか、「日々の振り返り事項」として頭の片隅に入れるようにしておいたりは、する。
「落し物に注意!」とか「目上の人へのクチの聞き方に注意!」とか。
「無理は禁物、体調に注意」とかね。
バッチリ信じてんじゃん、とか突っ込まれそうだが、これなんかはアレよ、
家のオカンの、
「ちょっとアンタ、ハンカチ持ったんか!?
 クルマに気ィつけなアカンよ、忘れモンしなや!!」
っていうのと同じで。
このトシになると叱ってくれる人もおりませんでね。
日々の「なんてことのない注意」を改めて拾い上げる道具に使っている感じでしかない。

それをまあ……性格から着てるものから、持ち物の傾向にまで言及しているから驚いた。
自信満々に話してましたからね。
しかもそれを分かっちゃう。
エエ。
すげえな。
日本中のファッションの傾向が12種類に分類されるわけです。

まあ、別に……良いのかもしれませんけれども。
……なんでしょうな!
スゲエな!

世の女性の多くが、日本式ファンタスティック星座占いが大好きだというのは、
マ噂には聞いておりましたし、そうした占いのページをいくつか渡り歩いて見てみても、
かなりの割合で女性をターゲッツにした書き方がされているのは分かるので、
読みながら、オイサンも
「……どうしてこう女性メインのページが多いのであろう??」
と思っておったが。
イヤー。
どうかね、ああいう信じ込み方をしている男性も、世の中にはおられるのだろうか?
女性独特なんだろうか?
あのブッコミ方が女性独特のモノ、女性に多いモノなのだとしたら、
そりゃアンタ、女性向けに書くわ。
書き甲斐があるよ、あんだけヤられてくれるんだったら。


……と、ものすごいゾディアックモンスターに出会いましたよ、
というお話でした。
そこから学ぶものも、気付くこともあるのさ。

マそれら全部に取り合っていたら、短い人生、
何も為されず、得られず終わってしまうとは思うけどね。


しかし、星占い……というか、ちゃんとした占星学、占星術というのは面白いもので、
幾つか占いページをハシゴしていると
たまに真面目に勉強しているらしき方々のページに行き当たり、
そういう方々の言うことを並べてみてみると、
キチンと似たような傾向のお話をされていたりします。

「この時期からこの時期の間、獅子座はコレコレこういう傾向にある」
という言い方が、若干のブレを含みながら、大筋で一致しておられる。
そういうのを見ると、
……マ畢竟、その指し示す結果に根拠のある話なのかどうかは別にして、
やはりキチンと体系化はなされているのだな、と思えるワケです。
一つのインプットから、アウトプットが一つの傾向に集約される。

主軸となる要素によって大筋が決まり、
その他枝葉の要素をどう拾い上げて解釈するかによって占い師ごと細部に差が出てくる、という、
なんとも面白い、ロマンティックな仕様になっている様で、
イヤハヤ、
なかなか素晴らしい、興味深い。
読み方をちゃんと勉強して取り込めば、お話を書くのにも十分土台として活用出来そうです。

マそんなんだモンですから、
オイサンは信じろとも信じるなともよう言いませんけれども、
日々の暮らしを豊かにする手助けに出来るよう
ウレシ恥ずかしロマンティックに活用していけばいいんじゃないでしょうかね。
エエ。



……。



マそれにしたって、人さまの持ち物までは特定出来ねえとは、
やっぱり思うけどな!!

まあ、なんていうか、そういうものすごい数の人と会いながら、
そういう観点で、そういう感性を磨き続けて人を見続ける人間にしか得られない、
機微や知見があるのかも知れません。
もしかすると、モノスゴイ馬鹿っぽいのは自分の方なのかも知れない。

……正直、それも分からないでもない。気もする。
価値観が多様化している、際限のない情報の波にさらされているということに、
世の中では表向き、なっているけれども、
これだけ情報や判断や感情にバイアスのかかりまくっている世界では、
あるバイアスの強くかかった情報コロニーの範疇においては、
星座で人格や持ち物や住む場所まで、特定可能であるのかもしれない。

そんなのこそ、AIさんやらディープなラーニングやら、
ビッグデータさんの得意技だと思いますけどね。



……この人、モノ凄い馬鹿みたいな入り口から、
案外面白そうな着地点にハナシ持っていくなあ。
やるじゃん。



■第2話 悪夢! ビーバー女子大生の呪い!!



ついでにもう一つ、
春だからといって浮かれてデカい声でしゃべってると
アラフォーブログ書きに絶好の餌食にされてしまいますよ、

という教訓話をしておきましょう。



  そんな話だったのか……。



朝のドトールでコーシーなどをたしなんでおったらですね、
コレマタ、
どうやら何かの都合で珍しく早起きをして待ち合わせなければならなかったらしい、
新米女子大生と思しきお嬢さんの3人組ととなりになった。

  言っとくけど、あとからその3人が座ったんだからな。
  面白そうだからっつって、オイサンが勝手に密着24時したんじゃないぞ。

するとそのうちの一人がまあブリリアントな舌ッ足らずでして。
となりから聞こえてきて頭がグラグラするレベルだったのですが、
その子がですね、一人に向って言うわけです。

  「じゃあさー、もう●●ちゃんがビーバーやってよー」

ビビビ、ビーバーをやる!!?
ワア、それって一体どんな遊びの計画なんだろう?♪ オイサン気になるゥ!
ってワクワクしながら、
もしかしたら「『けものフレンズ』勝手に舞台化計画・ようこそジャパリステージへ!」とかなのかしら、
と、否が応にも聞こえてこざるを得ない話の続きをですね、
聞かないように聞かないように注意していたのですけれども、
結論から言うと
●●ちゃんにリーダーをやって欲しい話だったようです。

普通じゃねえかよ。
俺のときめきを返せ。



マそんなこんなで皆さん、
電車の中やカフェでは、もっとうんと小さな声でしゃべって下さい。
オジサンには刺激が強すぎます。

あとうるせえ。

以上、なにかと不可抗力オジサンでした。

 追伸
  あと●●ちゃん、キミもうね、取り敢えずビーバーやんなさい。
  おじさんは君のビーバーが見たい。
  どんなカオしてるか知らねえけど(見てない



 

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2017年4月22日 (土)

■春を奉る、花の惑い。~中村博文先生の個展を鑑賞する -更新第1120回-

何度目かの春を抱きしめる。

寒いの暖かいのを乗り越えて、ようやく本当に暖かくなってきた。
っていうか今度はあったかすぎてイヤなんだが。
春が短い。
オイサンなんかは寒いままの方がありがたいので暖かくならない方がいいし、
何なら春独特の浮かれた感じも苦手なので短くてもいいのだが、
世間的にはそういうわけにもいかないだろう。

関東近辺はすっかり桜も見ごろを超え、
夜にはシゴトバで夜桜見物なんていうイベントもあったのだが勿論参加しなかった。
桜もお酒も得意じゃないのだもの。
しかしその桜も風が吹いたり雨が降ったりでどのくらい無事だったやら。

まあそんなことで、
桜があまり得意でないオイサンのこの時期の花と言ったら、
梅、桃、あたりであるが、最近になってそこにハクモクレンが加わった。

そのことを書いたひと月ほど前の日記がそのままになっていたので、
せっかくだから載っけておこう。



■3月25日 花を撮る



なんやら、暖かくなってきてしまったと冬との別れを嘆いてみせた甲斐があったのか、
今日はもう真冬のごとき寒さで、おまけに雨まで重なり、
心構えがないせいもあって正月に行った釧路よりも寒く感じるくらいであった。

寒い寒い。

寒いのはともかく、この雨や風で大きく開いたモクレンも散ってしまうのではないかと
それがちょっと心配である。
今年のモクレンは、まだあまり上手に撮れていないので
まだ散ってもらっては困るのだが。そんな自分勝手な困り方があるか。

花はまあ、撮るのはどれだって難しいが、
……それを言ったら花以外だってなんでも難しいのだが、
とにかくモクレンもご多分に漏れず難しく、
あの独特の浮遊感、みたいなものを写真でしっかり表現するのがなかなかに難しいな、
と感じる。


Dsc01534


あの細い枝のところどころに大きく開くモクレンの花は、
クリスマスツリーの飾り、ぽつぽつともる大きな電気の灯りの様でいて、
木の背いが高いせいもあって、下から見上げると空に浮いているように見える。
しかもみっちりと花をつけるのではなく、疎らな時期は特に、
花と花の合間から空が広く覗いていると、本当に宙を舞うように、
降りてくるのか、舞い上がるところなのかはわからないが、
青い空に象牙色の不思議な乗り物がフワフワと浮いているのではないかと思えてくる。

思い返してみればモクレンの花を気にするようになったのは、
アニメの『ディーふらぐ』のおかげだ。
マおかげって言うほど恩恵があるわけじゃないけども。
『ディーふらぐ』の聖地巡礼で千歳烏山に降り立った時、初めてモクレンの木を撮った。

  厳密には聖地でもなく、キャラの名前の元になってる京王線の駅めぐりであった。
  モクレンを知ると同時に、謎の白いギターを持った見知らむオジサンに、
  「コンビニでラーメン買ってくる間みていてくれ」
  と、その白いギターを預けられたりもしたので、恩恵はプラマイゼロだが。

その時はその木がモクレンだということも知らず、
青空に、象牙色に近いクリーム色が、高く良く映えるものだなあと、
ただ感心しながら撮った覚えがある。
それ以来春先にモクレンが花をつけ始めると、
その浮遊感をどうにか表現しようとしてカメラを構えるのだけど、
なかなかうまくいかないものだ。

そんなに花の名前を知っているわけではないが、
それぞれの花の良いところが最大限に生きるように撮ろうとすると、
これはこれで、きっとやりがいのあるテーマなのだろう。



■花を奉る



花と言えば……と言えるほど繋がりは強くないかも知れないが、
イラストレーター・中村博文先生の個展を見に、秋葉原まで行ってきた。

Atrdsc_0372


中村博文先生と言えば、
個人的には『ソード・ワールド リプレイ』のバブリーズの章がやはり一番親しみ深いが、
他にも『ガンバード』のキャラデザが思い出深い。
一般には『蓬莱学園』なども有名であろう。
最近ではムフフな成人向けマンガ誌の表紙やらをよくお描きになっているらしい。





過去の画集、『姫栗毛』も持っているのだが(どんなタイトルだ)、
先生はオリジナルの絵を描かれるとき花をフィーチャーされる場合が多い。
額縁のように、特定の花で主題を囲ったり、登場人物と花を絡めたり。
その花が美しくまた多彩でなのである。
折々に調べてお描きになるのか、そもそも花に詳しいのか知らないが、
先生独特のあの、金・赤・紫の極彩色の画面に、
至極自然に柔らかな花をちりばめてくるからすさまじい。

あの滑らかなグラデーションに大量の色の洪水は
てっきりデジタルで描かれているものだとばかり思っていたが、
今でもガッツリアナログでお描きになっているようだ。
いやはや、モノスゴイ。

しかし自分は、こういう展覧会に行くと毎回思うのだが、絵を見るのが苦手だ。
難しい。
その世界をキチンと見るのに……鑑賞出来るモードに入るまでにえらく時間がかかる。
今回も、何を考えながら見ればいいのかなんとなくつかめるまで
40分近くかかってしまった。
そしてその頃には疲れ始めているのだから始末に負えない。

音楽はその性質上、全体像に触れようと思ったら時系列を追ってしか聞き切ることが出来ないし、
物語や文章、動画も大体そうだ。

  話の本筋とは少し外れるが、なかでは、文章は特異だと思う。
  前から順に追ってでないと理解できない人もある一方で、
  全体をパッと、文字列を図形的に読み取って理解できてしまう人もある。

しかし絵となると、作品の全体に触れる、すなわち「見る」のは、ある意味、一瞬で終われる。
一目見れば、それで完了だ。
絵描きの目を以て細部や技法にこだわって見るのでなければ、
世界を体に取り込むのに、時間は必要がない。光さえ届く環境であれば、本当に一瞬だ。

キチンと見る、鑑賞のためには何らかの動機や着眼点が必要で、
それを探り出すのに時間がかかってしまうのだった。
パッと見て、好き嫌いを言うだけならホント一瞬で終わる。

  マ音楽だって時間かかるはずなんだけどね。
  ただ、鑑賞と時間が1対1に規定されているから、その時間のうちにどこかで理解が追い付き始める
  (必然的に設定された時間のうちに、着眼点が自然に発生してくる)だけだ。

別に、パッと見て「ハイ好きー」「ハイ嫌いー」でだっていいのであろうが、
どういう要素がどのように好きなのかを語れないと、……つまんないじゃんw?
そこまで取り込んで落とし込んでおけば自分の引き出しにもなるワケで、
それが真に自分が好きな理由なのかどうかは、まあ定かではないけれども、
何かを作るときの手掛かりには出来る。
どうせ見るならそこまでしておきたい。

会場では、画集やら、複製原画やら、即売会で実際使われたPOPの販売などもやっておられたのだが、
あまり高い物は買わなかった。
画集と、
先生お気に入りのブレンダーがブレンドした紅茶のティーバッグセット(なんなんだ)などがあったので
その辺を買って還元してきた。

Dsc_0373

Dsc01684

Dsc01689


『フリクリ』の、カンチとマミ美とキツルバミ、ニナモの描かれた版権絵があって、
もしその複製版画が売られていたら買っちゃいたいくらいそれは良かったのだけど、
残念ながらそれは売ってもいないし写真も撮れない、
画集にも載っていないというシロモノであった……。
くっそう、一番いい絵が手元に残らないのか。
しかしまあ、だからこそその場に行った価値がある、という言い方も出来るもんだが。




  ──その帰り道に、不思議な体験をした。




と言っても、オカルトな体験ではない。稀有な感覚を味わった、という方が正しかろう。

市ヶ谷と九段下を結ぶ靖国通りの裏手、
市ヶ谷の駅から神田川沿いに7、8分歩くと、ポンポコ大学の高い塔を見上げる三叉路にぶつかる。
正しくは変則の十字路であって三叉路とはいいがたいかも知れないが。
そこで川から外れて細い登りに身を預けると靖国神社のちょうど裏を通る格好になる。

いくつかの、淑やかゲな学校や有名な消費者金融の社屋を見上げるその道は、
東西と概ね平行に走っており、日が昇り、また沈むときには、
その道の走り方と太陽の軌道のずれ具合によって石垣の細かな凹凸が絶妙な角度で浅い影を映し出し、
なんとも些細な美しさを醸し出す。

私は、朝に通勤で通る際にその影の細やかなことを見つけては喜び、
いつか写真に収めたいと思うくらいではあったのだが、
日暮れの影お目にかかったことがなかった。
そんな丁度よい時間に職場を出ることなどないものだから。

だからこの日は夕暮れ時のその影を見ようと思いたち、
シクシク痛む膝をおして、帰りも秋葉原から四谷まで歩くことに決めたのだった。

結果的にはその通りに差し掛かる頃には日が既に傾き過ぎてしまっており
思い描いたような美しい影には出会えなかったのだが、
それとは違う、もっと大きくて、貴重な感覚に見舞われたのだった。

大学の、あれは何十階建てなのだろうか、塔のようなともかく高いキャンパスの向こうへと日が下っていく。
道は駅へ、神田川の流れる方へ下っていく。

朝には、東から上ってくる日を正面から受けて西から東へ歩き、
いまは丁度沈んでいく日を追いかけるように坂を東から西へと下っていく格好なのだが、
そのふたつの様を頭の中で思い描いていると……
太陽ではなく地球が……自分の方が動いている感覚が明らかに意識された。

太陽が逃げるのではなく、回転する球体の上に立った自分の方から、明らかに遠ざかっている。

Dsc01691


いま沈んでいくように見えている太陽は空に静止しており、
自分の立つ地面が、地球が、球体が、西から東へすごい速度で回転し、
足を止めていても、自分が太陽からぐんぐん遠ざかっていく様子が
ハッキリと見えたような気がしたのだった。

その回転による移動の速度によって風を感じないのが不思議なくらいまざまざとした、
客観的な移動の感覚と、太陽が遠のいていく……取り残されて行く、寂しさがあった。
なんとも不可思議な体験であった。

別段マボロシや白昼夢を見たワケでも何でもなく、
カメラを構えて構図を取りながら、
逆に坂を上ってくる人とすれ違い、後ろから下ってくる人をやり過ごし、
ごくごく当たり前なことをしていたのだけれども。

以前酒に酔った夜の帰り道に、
いま自分の立っている場所がただ大気の層に隔てられたそのどん底にいるだけで
確かに宇宙の片隅であり、
その日夜空に瞬いてた星と同じ立場なのであると、
妙にはっきりと迫って見えた見慣れたはずのオリオン座に飲み込まれそうに感じたことがあったが、
それと似ていた。
今日はしらふだったが……。


中村先生の描く花の妖精たちに惑わされ、
知らず知らずのうちにおかしな門でもくぐったのかもしれない。
いっそのこと、もうそちら側から出られないくらいに引きずり込んでくれればよかったのに。


久々に、昼間の秋葉原なんかいったからくたびれちゃったよ。
ブラブラ歩いていたら偶然PLUMショップに行き当たったので入ってみたりしたけども
特に何も買わない、そんな休日であった。

ポテチン。

 
 

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2017年3月19日 (日)

■花よりも花の如く、光陰よりも矢の如く。そして…… -更新第1117回-

オシゴト帰りに新宿エキナカの本屋さんに寄ったら、
『花よりも花の如く』の最新刊が出ていた。
16巻。


  

  こっちで試し読みもできるっぽい。
  http://www.s-book.net/plsql/slib_detail?isbn=9784592210061


『花よりも花の如く』は、現代に生きる若き能楽師・榊原憲人が、
能の世界を通じて、人の世の悲喜こもごもを味わいながら、
能楽師として、人間の男として、なんとなくいい塩梅になっていく物語です。

  「成長」とか言わないぞ。そんな安っぽいモンじゃないんだ。

デまあ話の中身はいいんですが(いいのか)、
その新刊の帯に「成田美名子先生、画業40周年!」とアオられている。
1977年デビューというから……
なんと、オイサンの生まれる前から原稿用紙と格闘していらっしゃる計算になります!

  ……すみません、いまシレッとウソを書きました。
  オイサン生誕の2年後からですね。オイサン暦2年からですね。
  O.C(オイサン・センチュリー)2年。
  なんでウソついたんだ!(ドン!!

しかし40周年とはなかなかスゴイいキャリアですが、
お生まれは1960年と言いますから、17歳からマンガ描いてんのか……。スゴイな。
花とゆめコミックスの単行本なんで、ガッチガチの少女マンガでありまして、
作風も、昨今の、少年・少女の垣根がかなり取っ払われた感じになる以前からのものでありますが、
まオイサンは小学校低学年の頃から『パタリロ!』なんていう
当時の少女マンガの中でもかなりアグレッシブなものを読んでおりましたし、
それ以降もナンヤカンヤ触れて負ったのでそこらへんに抵抗感はない。

  『ぼくの地球を守って』とか『動物のお医者さん』とか『ここはグリーン・ウッド』とか、
  まメジャーどころばかりですが、ガッツリと読んできました。

    


成田作品に触れたのは、大学1年か2年の頃、当時活動してた演劇部の女子のお友だちから、
「これ面白いよ!」と借りた『CIPHER(サイファ)』が最初だった。

  『CIPHER(サイファ)』は、N.Yに暮らす双子のアクター、
  ジェイク・ラングとロイ・ラング(=サイファ)がある確執から袂を分かって暮らすようになり、
  それまで一心同体のように生きてきた二人がそれぞれの道を歩むようになっていく、
  というお話。今読んでも最高に面白いです。


  

オイサンも当時はクソみたいな男子大学生らしく、
そのマンガを貸してくれたコを憎からず想っておったりしたものですから喜んで読んだのですが、
コレがまあなんというか、非常に不思議な面白さでした。
先が気になって仕方がない!!
……という類の、面白さではない。
引き込まれるとか、そういうんではないけれども、
……なんかこう、人物が常に自分のそばに寄り添っているような、
向こうの世界にいるままこちらにもいる、みたいな面白さでした。
フィクションならではの刺激的な面白さよりも、
「ちょっと上質な現実」とでも呼ぶべき、
あらゆる感情を丁寧に丁寧にブラッシングしてあるような肌触りの良さが際立つ感覚がある。

その後も、『ALEXANDRITE』(アレクサンドライト・『CIPHER』のスピンオフ的な続編)や、
完全新作の『NATURAL』も成田先生の作品として読み続けてきたのだけれども、
やはりどれも強い引きや動機を生む作品ではなかったので、
なぜ連綿と読み続けてきたのか、途中でやめなかったのか? は、
今にして思えば少し不思議ではある。

しっとりとじんわりと、とても面白いのにストレスがなく、
読めば確実に、何か一つの真実に触れることが出来るという確信が、
どこかにあったのだろう。
思えばそれは、ゆうきまさみ先生の作品と似た感触である。

オイサンが成田先生作品に触れたのが恐らく大学1年か2年、18、9歳の頃で、
1995年前後のはずだから、約22年。
こんなオイサンでも、先生の画業のうち半分にはお付き合いしていることになる。


■ずっと俺のターン

にしても40年、22年か。
オイサンも今年は42になり、両親はともに70を超える。
マそうして考えると……あまり口にしたくはないコトだが、
両親もあと、10年? 一緒にいられるかどうか。
おられれば御の字、
生きているのに特に具体的な不安はないけれども、
たとえ明日突然そうでなくなったとしても、神様に向かって正面切って文句がつけられるような年齢ではなくなってきた。
神様にも「イヤお前そりゃそろそろ年齢だよ」って言われても……グウの音も出ぬ。
そのくらいの年齢かなあ、とボンヤリ考えてはいる。
何もしてはいないけど。

そーなってくると不思議なモンで、
次に自分の番が回ってくるのも案外あっという間だな、なんかをやり切るほどの時間はないな、
……と、思ってしまう。

ここ最近を振り返ってみると、10年なんてあっという間だったなあと思うワケで、
……マその「10年のはやさ」が本当かどうかはあとで考えるとして、
真実だとするならば、
自分に過ぎる10年も、両親に過ぎる10年と同じようにふりかかってくる。
つまり。
オイサンもあっという間に50になる。
50になってしまえば、60もきっとすぐだろう。
そしたらもう、アレですよ。
いま自分が両親に見ているように、いつこの世を退場してもおかしくない年齢までもすぐだ。
そうか、自分もすぐに死んじゃうんだな、と、春の日の、うららかな陽気の散歩の中で思ってしまった。

しかしここでさっきの問題、
「10年は、本当にそんなに早く過ぎ去ったのか?」について考え直してみると、
丁寧に振り返れば……案外、そうでもない。

振り返り方の違いで、随分と印象が違うことが分かってきた。
ある特定の点のことだけを振り返れば確かに昨日のことのようだから、
すっごくあっという間だったように感じる。

『アマガミ』が8年前! と思えば、うそっ! と思うほど早いけど、
『アマガミ』以前には知らなかった人たちとのことや、
『アマガミ』から今まで、どれだけたくさんの場所へ行き、どれだけ自分が変化してきたかを思うと、
そこにはやはり、長い時間、細やかな刻みが存在していたことが感じて取れる。
たくさんのことがあった。
たくさんのことをしてきた。
ブログを始めてからも、まだ11年しか経っていないことを思えば、
10年というのは、やはり案外長かった。
これから先の10年も、きっと色んなことが出来るだろうし、いろんな場所へ行けるだろう。
色んなものも、書けるに違いない。
まあ、自分が頑張らないといけないけど。

  そーいや、忘れてたけど、『アマガミ』も3月19日が発売日だから
  ちょうど8年なのね。



■人の時間、内臓の時間。そして、光の時間

あとそれに、これから先の10年が、これまでの10年と同じ速度で流れるのか?
と言われたら、きっと違うのだろう。
正しくは、時間が均等に流れる……らしいけれども、
自分がその流れを拾う速度と精度が下がっていくから。


物理的に……というか、生理的・病理的に、感覚器の性能がガクンガクンと落ち始め、
同じようにインプットが出来るとは思えない。
そういう兆候は既に出始めている。
それはつまり、主観的には時間のクオリティが下がるのと大体同じだ。
鈍った時間が流れていく、と考えた方がいい。
衰える体の感覚器が、一つのことを拾うにも時間がかかるし、
拾ったものの精度も決して高くない。事実から遠く離れていることも起こりうる。
その隙間を、記憶や経験で埋めようとするから、主観とバイアスに染まった風でしか、
捉えたり考えたりできなくなるのだろう。

  はなから目や耳で物事を考えないで、
  数値で頭にしまい込んであればそんなこともないのだろうけど、
  なかなかそうはいかない……
  そう考えれば案外、目や耳が不自由な人の方が、
  若い時と年を取ったときの衰え方の差が小さかったりするのかもしれない。
  どーなんだろ? イヤ、いま適当に思いついただけだけど。

マその分、年を取るとコレまではまともに見えなかったものも見え始めるから、
これからの時間がただのレッサーバージョンかと言われればそんなこともないけど。
若い頃に見えていたものが見えなくもなるので
±ゼロだとは思うけどね。難しいものだね。

イヤハヤ、
若いうちは正しい・事実に近いインプットが行われるのにインプットされたものを正しく処理することとが出来なくて、
年をとれば今度はようやく正しく処理が出来るようになるのにインプットも回転も悪くなる。
人の言う「全盛期」とは、その両方のバランスが取れている本当に短い時期のことをいうのだろうな……
なんていうことも、ようやくわかるようになってきたワイよ。

自分としては、インプット装置が多少トンチキこいて、
アウトプットするものが公平・公正・均等でないイビツなものでも、
自分にとって、そしてそれを喜んでくれるごく少数の人たちにとって輝かしいものでさえあってくれたらば
十分満足なので、あんまり困らないけども。

ただ、やはり勢いはなくなるね。
エンジンが弱くなる。
人間、大部分はかなり下っ腹で動いてるな、と思わされる。
内臓は随分モノを考えているなあと実感するし、内臓の衰えは実感する。。

アインシュタインさんの考えた相対性理論によれば、
時間の流れの速さは絶対の一定ではなく、
唯一絶対に一定であるのは、光の速度だけ、ということのようである。
すべての基準はそこにある。
時間が流れていることを前提に生きてる私たちからすると分かりにくいと思うが、
つまりその考えに則るなら、

 「光は1秒間に地球を7.5周できる」

のではなく、

 「光が地球を7.5周するのに(停止した状態からみて)かかる時間を1秒とする」

と表現するのが正しい、ということのようだ。
時間の流れているのが前提の世界に光が走っているのではなく、
光が走っていて、かつそれよりも移動が遅い、あるいは静止している連中がいるから、
相対的に時間というものは発生する、という考え方……というか、世界を正しく理解すると、
どうやらそうなるらしい。
だから、光そのものが感じている時間経過はゼロになり、
それから遅れるほどに時間というのは流れていく、ということのようだ。
つまり、じっとしているモノより、
走ったり飛んだり、早く動いているモノの方に時間の経過はより緩やかにもたらされる。

なのでもしかすると、全身の細胞を光速で振動させることが出来れば超長生きできる……
のかなあ? と、バカなオイサンは思っている。

  イヤ、ちょっとコレ、考え方が正しいかは分からんよw?
  文系にも分かるように書かれた本を読んだ限りそんな感じっぽい、と思っただけだ。

勿論、基準が光速だけに、多少早く動いたところで計上される時差なんモンは
所詮誤差にしか過ぎないんだけれど、
それでも、
それでもだ、
誤差にしたって差は差であって、
それによって1秒の何千何万、何百万何千万、何億分の一でも、
自分が時間のくびきから自由になれる。
そう思うと……。
別に長生きをしたいワケではないのだけれど、
「いま流れる時間を少しでも緩やかにしたい」
と、思わないではない。
いまを緩やかに生きたいと願うことと、長生きをしたいと思うことは、決してイコールではないと、
オイサンは思う。

花よりも花の如く、光陰よりも矢の如く、
そして、ゆび先よ。願わくば、心臓よりも心臓の如くあって欲しいと切に願う。
文字を書くにせよ、シャッターを落とすにせよだ。



■Closing

話が、冒頭から随分違ってきたので引き戻そう。

成田先生の作品は、昔から、老人でも若者でも親しめるテーマを扱っていたように思う。
『アレクサンドライト』が若干テーマが若くてリキリキした生命感・躍動感にあふれ、
『NATURAL』も、テーマは普遍的だけど表現の仕方・舞台と人々がヤングで若い人向けの傾向はあるけれど、
どれも、内臓の力が多少落ちても無理なく楽しめる作品群であるように思う。

いまの自分には、過去を基準にした時間の尺度しかないなあと感じるのだ。
昔に比べてどうだこうだ、
昔に比べて何が得られて何が失われる……と。
それはきっと、結婚して子どもがいたりしないので、
未来に対して前向きに何かを測れないから、なのだろう。
「未来、如何様にあれかし」と願う、抽象的な目測が出来ないでいる。
過去に比べて何かが失われた時間に希望を見いだせない。
「(何かが失われはするけれども)こんな輝かしさが得られているであろう、
 得られているに違いない未来の時間のために、アレをしよう、コレをしよう」
と考えられていない。

ひとりでいるということには、どうもそういう効果があるらしい。

そんな目線でいるから、自分の時間の残りの少なさ・流れる速さばかりが目に付くが、
丁寧に測り直してみれば実際はどうやらそれほど少ないわけでも無いようだし、
インプットも、その処理の仕方も、まだまだ色々やりようがあるのだなということが、
なんだか確認できたように思う。
成田作品には、やはり普遍的な何かがある。

大学時代、自分は結局演劇部をやめてしまって、
『CIPHER』を貸してくれた女の子ともすっかり疎遠になってしまうわけだけれども、
そうした大切な時間がブツ切れにちぎれた後にも、
成田美名子作品というなかなかに深い足跡だけはしっかりと残ってしまった。

  演劇部は、なんでやめちゃったんだっけ……? あまり覚えてないな。
  キッカケになったような出来事は確かにあるんだけど、
  それも最後には大きな影響になるようなモノではなかったし、
  どうしてあそこまで凹んでやめるに至ったのか、当時の心境や経緯はよく思い出せない。

……。

どーなんだろ、あれから20年が過ぎた今、
あの子はまだ、成田作品を――『花よりも花の如く』とか――
読んでいるだろうかなあ?

どう思います?(しるかそんなもん)

 
 

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2017年3月14日 (火)

■とりきめメモリアル~forever ゆず湯~ -更新第1115回-

某コーヒーショップにて(特定の系列に限らない話だとは思うけど)
「アイスコーヒー、氷なしでください」と頼むと、
おみせのフレンズ(店員て言え)によって、大体3通りの対応がある。


 1. 氷が入った状態と同じ「量」のコーヒーを注いでくれる。

   2. 氷が入った状態と同じラインまでコーヒーを注いでくれる。

     3. 何も考えずに入るだけ入れてくれる……。


1.のフレンズにあたると、当然氷の対積分見た目が減るので、見かけ上は量が少なく見える。
2.だと、見かけ上は同じ量だが、氷の対積分、コーヒーの量は多い。量的にオトク。
3.のフレンズは……差分とか、目安とか、細かいことを考えるの、もうメンドクサイんだろうな。

マ多けりゃいいってもんでもないので誰もが同じ感想を持つとは思わないが、
オイサンは、3.がうれしく、1.だと、やっぱりちょっとションボリする。
結構目減りした感あるのでね。
が、本来は1.の姿が正解だと分かるし、
2.だと当たり、
3.だと大当たり!
……くらいに考えている。

オイサンはだいたい持参のボトル
……っていうのか、マグっていうのかタンブラーっていうのか。
  誰か、アレの呼び名をちゃんと統一してくれないかね……
に入れてもらうけど、それがまたそこそこ大ぶりで結構量が入ってしまうので、
3.の人に当たると、1.の2倍3倍の量にあたると思われる。
いいのかね。
お店にはたぶん取り決めがあるのだろうけど。

とりきめメモリアル(どさくさに紛れて何を言っているんだ)。

マグとかタンブラーとか、最初に言い出したのは誰なのかしら?
オイサンです。

「水筒」だろ。水筒。
あと「魔法びん」は、たかが保温機能に「魔法」は盛り過ぎだと思う。
魔法びんだって、言われて困ってると思いますよ?

  魔法びん「イヤイヤイヤ! 魔法て! 大げさですて! 科学! 科学ですねんジブン!」

って言ってると思うよ。
言うかそんなもん。



 

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2017年3月11日 (土)

■ヘヴン化☆こみゅにけぃしょん~此方と彼方のドキドキ・シュヴァルツシルト~ -更新第1114回-

オイサンはまあオタクでオタクで、もう

「いやーおじさん、オタクで困っちゃうよ、はっはっは」

と親戚の子にウッカリ言ってしまうくらいオタクなのですが、
イヤすみません、
実は同世代の親類に子どものいる従弟とかが全然いない、という
遺伝子を残すことに対して絶望的に才能のない世代の血族なので、
「親戚の子に言ってしまう」は全く持ってウソですが、
とにかくまあオタクです。

デ、オタクはホラ、よく、言われるじゃないですか。

  「アニメやゲームと現実の区別がついてない」

って。
アレ、ウソだと思うんですよ。
いや、断言しますけど、あれはウソなんですよ。間違っている。
根っからのオタクほどアニメやゲームと現実の区別がついてる人種などおらぬ。
モノゴトをよく分かっていないか、事実を捻じ曲げようというナニモノかのプロパガンダです。
彼ら……私たちは、痛感しておるですよ、
現実とアニメ、マンガ、ゲームとか、そういうフィクションは違う、違いすぎるということを。
ただ、アニメや漫画やゲームのような出来事が現実にもある、
起こる、
起こりうる、
起こりうるかもしれない、という夢を捨てきれないから、その境目をさぐり、
少しでも触れるために、あちら側の世界に立ってこちら側の現象に触れようと試み続けるから、
区別がついていないように見えるだけなんです。

  ……マ結果的に、「区別がついていないように見え」て、
  それが現実の世界だけで生きている人たちには迷惑千万なことには変わりないんで、
  現実的な厄介加減は変わんないんですけどね。テヘ♪
  でもその迷惑をしっかり知らしめることは、
  「そのラインに現実⇔虚構の境界は存在してない」ことがこ知れるので大事なことです。

それはサテオキ、オタクなオイサンは……
そうは言っても最近、

   「しまったな、どうやら俺は、
         ちょっと現実と虚構の区別をし過ぎたぞ?」


と、反省していたりする。

例えばホラ、巷でもっぱら噂ですけども、
どうやら、女子の皆さんも、えっちなこととか、お好きらしいじゃないですか?
下馬評によると。
マ聞いた話なんでよくしりませんけど。
エエ。
らしいんですよ、どうやら。
奥さん。
知ってました?
高校生は下校のときに、男の子と女の子で一緒に帰ったりするらしいし、
遊園地でデートしたり映画館でデートしたり。
なさるらしいんですよ、どうやら。現実でも。

そこをこう、オイサンなんかは、区別をし過ぎて、
「2次元で起こるっているコトは、……ハッハァーン読めましたよ、
                        サテはそれ、現実ではキホン起こらないな?」

と考えたモノですから。
まさかそんなと。
女の子もえっちなことを考えて、
なんなら好きな人相手にはそれを期待したり仕掛けたりサインを送ったり、
するだなんて、そんなのは、バカヤロウ!
フラワーコミックスの中でだけの出来事だ、夢見てんじゃねえ!!
分かったらさっさとボイラーに火ィいれて、裏から薪と鉈を持ってこい!
……って、親方に怒られて育ったモンですから(俺なんの仕事してんの?)
そうした認識を現実に持ち込むチャンスを、すっかり逸してしまった。

  そう、オイサンは現実と二次元の境目を手探りするタイプのオタクではなかったもんで。
  考えて満足するタイプでしたのでね。
  そういう人たちは一杯見てきたんで、そういう人たちのコトも分かりますけれども。
  あと、賢明な皆さんはお気付きだと思いますが、
  オイサンの場合、二次元オリエンテッドで認識がスタートしているのもおかしなところです。
  二次元で起こったこと、見たことが、先に来ている。
  しかしこれは、いま振り返ってみるとかなり幼い頃からそうだったような気がします。
  虚構の世界が自分の土台、基礎にあり、
  「現実に立って、虚構に憧れていく」のではなく、
  「虚構に立って、現実にないものは『諦めていく』」というスタイルでありました。
  自分のことしか知らんので、どっちがフツーなのかはわかりませんけれども。

クリスマスもバレンタインもハロウィンも、
確かに目の前で皆さんやってらっしゃるんですが、
自分とその目の前の風景の間にはもう、現実⇔二次元 の境にあるのと同じくらいの高さと厚さの、
否、高さも厚さも存在しないけれども決して交われない時空の特異面があるのです。
隔てられている。

……オイサンなんかは、そんな風に世界が見えている。
……ということに、最近、気付き始めました。

というのも、先日のこと。
バレンタインのときに、まコンビニやらでもキャンペーンをやってますし、
ああやってんなー、くらいに思いながらシゴトバに着いて
死んだサーバルちゃんみたいな目をしながらオシゴトにいそしんでいたんですよ。

  わーい、たのしーい! すごいすごーい!
  社長ちゃん、この
無茶な日程のおしごとどうしたの? とってきた!? すっごーい!!


そうすると、女子社員の方が席までやってこられて、
ハイどうぞ、とチョコレートを下さったワケなんですが、
勿論義理というか、フロアみんなにお配りになるものですよ、
それを置いてってくださったんですけれども、もらった瞬間このオッサン、

  (これ何?)

と思ったというから、どうかしてますよね。
どっか旅行でも行ったのかな? って。
思った。
勿論、一瞬あとには、ああああ、そうかそうか、そうだった、コンビニでやってたやつだ、
と理解は出来たのですが、
同時に理解出来なかったことにはあとあと我ながら驚いていて、
自分にとってはそこまで無関係の他人事として認識できていたのか、やるなオレ! と、
いたく感心したのです。

まあだからどうだって話でもないんだけど、
お若い皆さんはですね、さすがにもうちょっと、
現実と、アニメやマンガやゲームを区別し過ぎないで、
たまにはそっち側でやってることも、現実でもやっていいんだということを知っておくと
大人になるのに役に立つかもしれません……。

  ……そーいえば、たばことかお酒とか旅行とかクルマとかも、
    そういう認識でいたから、手を出さずに来たのかもしれない。
    そんな気がしてきた。

そもそも、虚構を基準で考えない方がいいのかも知れません。
やっぱそこが根本的におかしかったな。
そっか。
そこだったか。


どうでもいいけど、今また小諸にいます。

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マそんな感じでヒトツ。
オイサンでした。


 

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2017年3月 5日 (日)

■啓蟄IGNITION~前略、春の底から -更新第1113回-


春めいてまいりました。


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私は春が、春のあの、体のどこにどう作用しているのか、
皮膚の一層下に余分な熱が挟み込まれて、ふわふわと心がボンヤリするような感覚が得意でないので、
春があまり好きではナイ。

あれは全体、どういう仕組みでああなるんでしょうな、
エロ漫画じゃありませんが、人間の体というのは本当に正直に出来ている。
ヒトがまだフレンズだった頃の名残なのだろう。
あれは……コントロール出来る代物ではない。

  皆さんあの感覚に自覚的なんでしょうかね?

だいたいアレだ、春になるとあったかくなるし、
あったかくなると虫が増えるじゃないか。
春が好きな人というのはアレだ、虫なんじゃないか?
そうだろ? どうだ?(言いがかり
今日はそこまでハッキリしたフワフワ気分ではなかったが、
ぷらぷらと散歩をしていると、ウッカリ山本正之先生の『桃の花』なんかを口ずさんでしまったりして、
我ながら、嗚呼、春だなあと実感してしまった。


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『桃の花』かと思えば、『泳ぎ続けてビリジアン』だったりして、
まあこの辺はわかる人じゃないと分からない曲ばかりなんだけども。


  ♪オリオンにしますか? それとも、ベガまで行きますか……


なんつって、
思えば山本先生のお歌には、宇宙にまで意識を馳せたものが少なくない。
意識と言葉は地球から始まって、地面、海、空へと広がっていき、
星々、宇宙へと旅立っていく。
山本先生は、宇宙へ行きたいのだろうか?
行けると思っているかどうかは分からないけど、
ずっと宇宙へも向けた歌を歌ってきた人としては、
こうしていま、手が届きそうなまでに近付いてきた宇宙に辿り着けないまま世を去るのは
もしかしたら悔しいのかもしれないなあ、などと……
木瓜の花や梅の花を写真に収めながら、考えていた。

時刻は夕方にならないくらいで、暖かいし、日も長くなってきたこともあって、
晩メシの前に運動しておこうという御仁が多いのか
ジョギングの人の姿が多かった。
この人たちはこんなに一生懸命走ってどこへいくつもりなのだろうか、
何のために体を強くしているのだろうか、
もしかすると、彼らも宇宙まで行こうと走っているのかもしれない、
なんかそれしかないような気がしてきた。


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イヤ意味は分かりませんけどね。
春だから。
春なんてそんなもんですよ。



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2017年2月25日 (土)

■記念日に平気でいんちきをする男の11年 -更新第1111.11回-

本日で、当ブログ『ゆび先はもう一つの心臓』も丸11年目を迎えました。

デ、
11年目の記念日に、1111回目の更新をぶつけられたら
 『11年目の1111回の1並び』でキレイだったのにナー」
ということに気付いたのが、先日、何も考えずに1111回目の記事を上げてしまったあとだったもんだから、
あーあ、と思っていたのですが。

このたび無事に、「11年目・更新1111.11回目」という
「1の8(末広がり)並び」で迎えることが出来、非常にこう……
縁起が良いな! と。
ねえ。
偶然とはいえ。ラッキー。



……。



いんちきやないか!!

なにがラッキーなものか!



うるさいな! いいだろ別に!
運っていうのは、アレだ、自分の力で引き寄せて勝ち取るものなんだよ!

普段絶対そんなこと言わないけど!!

運は運だろ!
運なんだから運ぐらい努力なしに掴ませてくれよ!
めんどくさいなもう!
努力で運をどうにかできたらそんなの努力だろ! 運じゃないだろ!

……どっちなんだ。四十になったんだから少し落ち着けよ。
すみません。

まあどっちにしたってアレだよ、
よくまあそんなに続けてきたもんだよ。
飽きもせず。
大して読まれてもいないのに。
立派立派。十分だよ。
だいたいカウントしてない記事もあるし、ときどき更新番号間違ってたりもしたから
実際は1111回目なんかずっと前に過ぎてるんだし。 ← あっ
いいよいいよ。別にそんな、細かいコト。
言いっこナシ。

記念というか、ゴホウビに、
こないだ見かけてちょっといいなと思ったマグカップを、
そのときはやめといたんだけど、買ってきました。

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2222回目までにコレが割れてしまったら、そこでブログをやめようと思います。
ウソですけど。
ウソをつくな。
そもそもコレ、ステンレスだから割れない。
むちゃくちゃか。

ずっとこんな調子でやってきたので、この調子で参りますけれども。
いまこれを読んでいるあなた方の大半は多分オイサンよりかお若いと思うけれども、
またさらに十何年か経って、あなた方の年齢がいまのオイサンに追いついたとしても、
オイサンはきっとずっと、いまと変わらないいい加減なテンションでものを書いていると思うよ。
約束する。
約束はできないけれど。
だからどっちなの。自信がないなら言いなさんなよ。


 

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