2018年6月18日 (月)

■つらいときはつらいって言う。 -更新第1226回-

最近
「ナントカしにくい」を「~しずらい」と書いているのを見かける頻度が上がった気がする。
ものすごく、上がった。
……気がする。

自分としてはこんなもの、言うまでも、考えるまでもなく
「しづらい」が本来正しいことは分かるのだが……
正しく表記しているところを見る機会の方が少ないのではないだろうか?
……と不安になるくらい、「ずらい」が多い。

「しずらい」、「見ずらい」、「聴きずらい」、「言いずらい」、「食べずらい」。

ちょっと前にどっかで「『~ずらい』も正しいことになった」という記事を
読んだか話を聞いたかした……気がするので(勘違いかも知れないが)、
もう自分では指摘してないが。
まあ多い。
いい加減逆転してんじゃねえか?、と思い、google先生検索でカウントしてみた。

▼しづらい vs しずらい
 "しづらい" -"しずらい":約3,600,000 件
 "しずらい" -"しづらい":約  651,000 件

▼見づらい vs 見ずらい
 "見づらい" -"見ずらい":約 1,430,000 件
 "見ずらい" -"見づらい":約   355,000 件

▼聴きづらい vs 聴きずらい
 "聴きづらい" -"聴きずらい":約 56,300 件
 "聴きずらい" -"聴きづらい":約  4,250 件

▼言いづらい vs 言いずらい
 "言いづらい" -"言いずらい":約 519,000 件
 "言いずらい" -"言いづらい":約  53,700 件

▼食べづらい vs 食べずらい
 "食べづらい" -"食べずらい":約 314,000 件
 "食べずらい" -"食べづらい":約  68,900 件
 
 
あー良かった(?)。さすがに、ネットの世界ではまだ逆転はしていなかった。
正義は生きていた。

にしても、そこそこ年輩の人とか、パブリックな位置にいる人とか、
「あなた方がその辺を間違うのか!?」という場面で見かけることもあって
なんだか凹んでしまうこともあるくらいなので、
まあ……「英語なんて伝わりゃいいんだよ!」なんつって、
単語と身振り手振りでどーにかすりゃいい畑の人には細かいことなのかもしれませんけれども。
分かる者、使える者は、侵されることなく細やかに表現していけるよう
日々心がけたいものです。
いやホント。
オイサンなんかはどうも、文字も単語も図形的に記憶・認識する傾向が強いらしくて、
一文字違ったら音が同じでも全然違う意味に見えることがありますんでね……。
「ん、コレどういう意味だっけ?」となることもしばしば。



……。



話はちょっと違うが、NHKのページでは「~づらい」と「~にくい」の違いを掘り下げていた。
なるほど、こっちはこっちで、こういう差があったか。

 ▼NHK放送文化研究所
  https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/uraomote/023.html

勉強になるなあ。たのしい。 ← こういうのが好き
 
 
 

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2018年1月21日 (日)

■サガミレイクの魔獣~蛇と帰省と、相模湖の話~ -更新第1193回-

もう一月も終わってしまいますね。
オイサンです。
 

 
 
前回は、まいど突然の『ヤマノススメ』SSで、いかがでしたでしょうか。面白かったでしょう?
「なんで正月から、巳年でもないのに蛇のはなしだよ!
                                犬のハナシしろよ!」
って言われそうだけど、ホントそうだなって9割がた完成してから思った。
ホントそう。
少しは世間の時宜というものを考えればいいと思う。

どうして、他のことも書かずにこの時期にこんな話になったのかと言うと、
年末年始、実家に帰省したときに実兄としたハナシがモトになっているからに他ならぬ。
デいつも通り、ただ日記のように、
帰省中にこんなことありました、こんなハナシしましたーって書く予定だったんだけど、
っていうか実際そうやって書いていたんだけど、
なんか芸がないなと散歩しながら思っていたところにフッと思いついて、こういう形にしてみた。
お題目は「写真」、そして「蛇」。



■写真と蛇

自分は実家に帰ると、ホントに自分ン家かってくらい写真を大量に、
それこそ普通に旅行に行っているのと変わらないくらい枚数を撮る。
今回も実質4日間で、530枚(選別後)くらい撮ってるので、1日100枚はゆうに撮ってる。
 
Dsc00178
 
Dsc00190
 
Dsc00384
 
Dsc00278
 
 
上のお写真見て頂ければわかると思うのだけれども、概ねこーゆー写真ばっかり撮って回っているものだから、
兄から見れば摩訶不思議アドベンチャーだったのでしょうな。
 
 ▼摩訶不思議アドベンチャー
 
 つかもうぜ!
 
 
「お前のその、撮り倒した大量のワケのワカラン写真はどうするんだ?」
みたいなことを言われたワケです。気持ちはワカル。
面倒だったので説明はしなかったんだけれども、
気持ちとしては、作中でほのかちゃんに演じてもらったような気持ち、「記録と郷愁」でしかない。

それも、「現時点で思い入れはない、美しさも感じない、ロクに視界にも入っていない」
ような暮らしの一部分を、この先その風景が失われてしまったときに見返して
「そういえばここはこんな風になっていたのか」と、その記録を見ることによって
新たに思えるような物になればいい、という思いでの記録、
そして「来たるべき郷愁」として撮っている。

  もちろん、それ以外の意味での本当の郷愁とか、思い入れ、記録、感動、
  そんなもの発端での写真も撮ってるけど。
  あの時、どんな気持ちだったかとか、家のどこがどんなふうになっていてどんな庭木が植わっていて、
  何が置いてあったのか、何を食べたのか……
  時間と空間のディティールを、ただただ焼き留めておくための。

たとえその日が「向こうから」来なくても、焼き付いたそれを目にした瞬間に、
得も言われぬ感慨がわくこともあるだろう、と信じている。
自分がそういう自分であり、そういう自分であり続けるであろうことを信じている。
そういう記憶の砂粒や小石をはめ込むことで、心が安定することがある。

多分「そんな気持ち」になったことのない人には話しても伝わらないだろうなあと思って
兄には説明せず、てきとうに誤魔化した。
それを思い出せることそのものが「役に立つ」バタケの人には役に立つし、
そこからさらに「それでどうするの?」と問う人には役に立たないだろうと思う。
それだけだ。

  マそこで言葉にしないから、自分はあの人に「何も考えてない人」だと
  思われてしまうんだけど。

その感覚は、一定以上のリテラシーがある人相手ならば、ある程度分からないモノでもないだろうケド、
本当にわかる人だったら、尋ねずとも「ああ、『アレ』をやっているんだな」と近いレンジで理解出来るハズで、
説明してもちゃんと分かってもらえないまま「ふーん、そういうこともあるんだね」で終わってしまうなら説くのも虚しい。
マいま話しておけば、先々と
「あの時あなたの言っていたことはこういうことだったんだな」
という時も巡ってくるかもしれないけど。そこまでは期待しなくていいかな、という感じだ。
こちらから語ることによって、
相手が言語化出来ずにいる心象に輪郭を与えるキッカケとなることもあるだろうけど……
正直、そういう活動に関してはあちらの方が格上なので、
マそれはないだろうな、と思って話さなかった。
向こうで推測の立っていることの確認のために問うている、という可能性も、
ないではないけどね。

 
そういう気持ちでSS書いてて面白かったのは、
主な視点をひなたに据えて、自分の感覚をほのかに預けたことで、
自分の感覚がイビツで不健全なものだということが少し見えた、ということだった。
なるほど確かにこれは喪失感の前借だな、と書くための言葉をさがしながら思っていた。
自分は気持ちの悪い、なんなら不吉なヤツだなあと。
 
また、ひなたメインのワリに、色々と具体的に難しく考えている風になってしまったが、
まだ考えや言葉に至る前の、ひなたの体の中に広がる心象風景を読み解いたらああいう言葉になるよ!
というくらいの物とした。
マそれは小説の難しいところで。
「物を考えない人間の内面」をどう表したものか? という。
それこそ蛇の行動知ではないけれど、考えていない人間でもそれは言葉や論理として自覚がないだけで、
知性は働いているはずなので、
その言葉になっていない物を言葉でしか書き表せないところに、文章表現の限界と面白さがある。
だからそこをもう敢えて言葉で書いてしまった。
もう一つやり方を思いついているので、それはまた別な形でやってみようと思う。
 
 ▼もう一つの主題、「蛇」。
 
これは、彼……オイサンの実兄がご趣味で何やら水陸両用の戦闘メカを開発中らしく
(※若干パワフルさ増しでに語っています)、そのアイディアを得るために、
いまエビを飼ったり亀を飼ったりしようとしているんだが、という話をしていた時に出てきた話題。

  ……どうでもいいけど発想がすげえな。な?

そのメカがらみの話題では珍しくそこそこ話をしたり聞いたりしたのだけれども、
動物の行動学みたいのについて話をしていたら、作中で書いた蛇の道のハナシが出てきた。
脳・思考というソフトウェアではない、
肉体というハードウェア由来の「行動の効率化」も広い意味で「知」と呼ぶのだそうな。
少なくともその辺の学の分野では。
まあ、そうだろうな、よく分かる話だ、と思って聴いていた。

尚、その「肉体的な知」の話を聴きながらオイサンは、かつて糸井重里が言っていた、
「プロ野球選手は、これがシーズンの最終試合、
 これが終わったらしばらくは試合はない! と分かったら、全身ぶっ壊れるまでやる、
 故障上等でやる、だからYY年MM月DD日の巨人戦はあんなケガ人続出になったし、
 格闘家も、折れるの分かってても、意識的にリミッターを外して体が壊れるまで勝つためにやる、
 僕はそれを知性と呼ぶし、それをスポーティだというんだ」
という話を思い出し、ちょっと似ているな、と思っていた。
ソレ言ったら「イヤそれはちょっとどうだろか」って言われそうだから黙ってたけど。



……。



マそんな感じで、今年も書き物の方もよろしくお願いいたします。
大体いつも通り、こんな感じでまいりますので。
例年よりは多めに、そして計画的に上げていきたいなと思っています。
ちょっと長めのを、まずは少なくともあと2篇!



■帰省中のデキゴト

いやあ、例年になく、何にも出来ずに終わった感じ。期間も短かったんだけど、それにしてもね。
そば食って、
お雑煮食べて、
お参りして、
友だちとぶらっと謎の国宝寺を冷やかして、
緊急事態が発生(!)して、終わった、
みたいな感じだった。
オシゴトのテンションでまとめられるモンなら、1日か1日半で終わる分量のことを
4日間でやったようだ。
マ普通のお正月なんてそんなモンなのかもしれないけど。

実家では、母が『キングダム』の原作にハマっていたので便乗してそれを読んだりしたが、
テレビを見たり、映画を見たり、みたいなことは全然なかった。
紅白は見ないし、お笑いも格闘もマラソンも何も見なかった。
インプットは『キングダム』くらいだったなあ。
3DSもPSVitaも持って帰ったけど全然触らなかった。
ホントどーしたんだろ? って自分で思うくらい、何もしなかった。びっくりだよこんなの。
写真は撮ったけどさ。



■歳末大ゴハン

年越しそばは毎度の、親父どの発祥の地・出雲の出雲そばで、
お雑煮も例年通り、岡山バージョンと島根バージョンのローテーション。
おせちは、ここ数年はどこぞの料亭だとかレストランのだとかお高そうなのを買っていたようだが、
今年は少し無難に落として百貨店のものにしたらしい。
料理のラインナップとテイストが、なんというか「誰でも分かる味のもの」に寄っていて、
料亭のおせちがどことはなしに醸し出す
「すこし頭のいい舌を持っていないと分からないでしょ?」みたいな気取りがなくて、
あー自分にはこのくらいでちょうどいいな、という感じだった。
それでも安っぽ過ぎはせず、好感度の高いおせちでした。安心できる味。
 
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親父殿が、なぜかエゾシカの肉を大量に取り寄せていて、
その焼肉としゃぶしゃぶが物凄く美味しかった……シカ肉大好き。
次生まれ変わったらシカになりたい(食われたいのか)。



■當麻寺

正月2日は、いつもの友人と當麻寺(たいまでら)に行ってきた。
お庭が美しいというフレコミだけで行ってみたのだがなかなか大きなお寺で、
本堂、講堂、金堂に、他にも2つ3つお堂があり、
そのどれもが国宝或いは重文級のドスの効いたお寺だった。
なんやお前、思ったよりやるやないか。

肝心のお庭は、マ冬の最中だということもあり、しかも見どころである五重塔が修繕中とあって
見どころパワーは半減だったのだけれども、
それでもそのしんしんとした美しさはキチンと伝わってくるものだった。
フルパワーのときに行ったらかなり良いと思われる。
 
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しかし色々不器用と言うか無頓着と言うか、ヘタクソな奈良県民らしく、
「重文! 金堂!」とか「世界最古! 梵鐘!」とか、
どストレートな立て札とか貼り紙ばかりで慎みに欠け、
「オマエな、そういうトコだぞw?」と言いたくなることしきり。
モ少し上手くやって押し出せば、もっとこう、なんていうか、上手く回るぞ?
マそんなの求めてないのかもだけどさ。その気があるならそういうことだ。

「もうちょとクールにキメてもらいたいねえw」と言ったら、ぺ氏も苦笑いであった。

あと、その當麻寺を擁する葛城市には蓮花ちゃん というご当地キャラがいて
グッズ展開なんかもけっこうしっかりやっているっぽいことを後から知って、
くっそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
ってなってた。
 
Dsc00602
 
 
下調べしてたら、その辺も抑えに行ったのに。惜しいことした。
次回も同じトコ行くぞぺ氏よ(私信)。
少なくとも葛城市内の寺とか行くぞ。



■相模湖で最高のエンターテイナーと再会する

帰省中ではないけど、コッチ戻って来てから、相模湖に連れて行ってもらった。
お相手はいつものアラフォー、テラジさん。
 
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Dsc00963
 
 
コレと言ったアテもなくお茶に誘い出して、どこへ行こうか? 青梅、奥多摩方面はどうだ?
飯能は遠いか? いや八王子はどうか? と、気分と道の事情に押し流されて迷走しているうち、
「このまままっすぐ行ったら相模湖に行くっぽいからいってしまおう」、
という流れで相模湖へ。いい加減。

相模湖へは、過去に一度、八王子から地獄の陣馬街道を抜けて行ったことがある。
これがまた、最強の都道、「吐く道」と書いて吐道(とどう)と呼ばれるくらいのスパルタン狭隘峠道で、
ゲラゲラ笑いながら走ったのだけど。イヤ運転してる方は笑ってる場合じゃなかったと思うけどね。
それを抜けた先で辿り着いた相模湖では射的場のオババがかなり濃厚な味を出していて、

  オババ 「お、お兄ちゃん! あんた料理人だね!?
                             鉄砲撃つときも手袋外さないもんね!」

  オイサン「いやー、わかります!?」

などという小粋なトーク(ウソじゃねえか)に花を咲かせたのが、もう2年も前のハナシ。
いま調べてみたら、2015年の12月に行っていた。

今回も、ハテサテ、オババは元気かな? と同じ店を覗いてみたところ……
アホみたいに元気でしたw 全然変わってないでやんの。結構なことです。
テラジさん曰く、
前回行った埼玉県小川町で『のんのんびより』の小学校を管理するオババが、
年を経てちょっとお疲れ気味でいらしたので、もしかしたら相模湖射的オババも元気を失っているのではないか……
と心配されていたとのことでしたが。
いやあ、杞憂だった。魔人。魔人ですよ。
まあ2年前に別れるときも、「次来たときはもう死んでるかもだけどね!」とか言ってた様な気がする。
 
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肝心の射的では、今回は二人のポイントを合わせ前回よりも一回り大きな20ポイントのアヒルさんをゲットしました。
やったぜ俺たち! ちなみに内訳は、

 オイサン :16pt  テラジさん:17pt 

……だったかな? で、テラジさんの勝ち。ちくしょう。最後の最後でまくられる展開。
次は四紳士で行ってトーナメント戦でもやりたいものだ。
隊長がひとりだけ自分の銃(いやらしい意味ではない)持って来そうだけど。

尚ここの射的場はポイント制になっていて、
どうやら稼いだポイントはストックしておくことも出来るっぽい
(見た感じ。だが、きっちりしたシステム化がされているとは思えないので、
次行ったときにキチンと残っているとも思えないw)ので、
それでポイントを貯めて200ptの『ラブライブ!』フィギュアをゲットすることも可能だ!
買った方が早いぞ!

ちなみにこの射的場は、『這いよれ!』……じゃねえや、『干物妹!うまるちゃん』の聖地でもあって、
昨年末に放送された、アニメの、UMRさんとシルフィンさんが相模湖を訪れる回で登場している。
しっかり単行本も置いてあった。
原作者のサンカクヘッド先生が取材にやってきて、
その話が単行本になってからまた、御自らお礼持参でやってこられたのだそうな。
ちゃんとした人だ。
お店のじっちゃんはアニメで放映されたことは知らなかったみたいだけど、
その話をしたら「まだDVDにはなってないの?」って訊かれた。買う気だw
 
Dsc_0585 Dsc_0584 Dsc_0583
 
 
湖畔をぶらつきながら写真を撮り、
寒空の下でソフトクムーリ食べ食べ小倉唯のかわいさについて語り(なにしてんの)、
お気に入りだったメシ屋が経営方針を変えた挙げ句とうとう潰れて丸亀製麺になっていたのを嘆いたりした
大変充実した1日でした。

……あとからしみじみ思うのだけど、
コレと言ったプランもなく出かけたオッサン二人をあれだけ笑顔にして帰してくれる
射的場のオババは、かなり手練れのエンターテイナーであることだ。
ワリと真面目にすごいと思う。

あとコレ、戦利品な。アラフォーが回したガチャ。
 
Dsc_0687
 
 
写真で見たときは
「ナンダコレwww出来がひどいwwwあと、ラインナップが間違ってるwww」
って笑ってたんだけど、実物はそこまでひどくもないという微妙さだった。
なんなんだよホントにもうw 2000年のガチャガチャだぞw



■Closing

という具合で、なんだか随分無気力に始まってしまった2018年。
まあ、下らないことばかりやって何かやった気になって満足してしまうよりは、
ああ何もしないで終わってしまった、この先ガンバロウ、と思えた方が良いだろう。

でもまあ、今年は……なんか、楽しくやるよ。
色々と心づもりを持ってね。

オイサンでした。

 
 
 

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2018年1月20日 (土)

■彼岸坂、蛇の通り途~SS・アニメ『ヤマノススメ』より~ -更新第1192回-

 
「わ、蛇!」
 
 ほのかのデジカメを触っていたひなたが急に大きな声を上げたので、カフェ中の注意がいっせいに三人の方へ向いてしまった。これにはさすがのここなちゃんも驚いて、ひ、ひなたさん! とたしなめなければならず、異様な気配を察したひなたがいつもの屈託のなさで「すみませーん、なんでもないですー」と頭を下げ下げ愛想をふりまくと、池袋のはずれの小さなカフェは、また何事もなかったよう。寄せ波の要領で元のさざめきを取り戻していった。三人の話し声もまた、小さな部分としてその隙間へ滑りこんでいく。
「あーびっくりしたー。セーフ」
「完全にアウト……。びっくりしたのはこっち……」
「へへ、ごめん、ごめんー……って、蛇の写真入れてたのそっちじゃん!」
 憎まれ口にも似た、二人……ほのかとひなたのやり取りを耳に入れながら、ここなちゃんはこっそり、ひなたが手放したデジカメを横取りした。そこには、なるほど確かに、山道を悠然とゆく一匹の大蛇が映し出されていた。
 
 
 
 松こそ明けたが学校はまだ始まらない、町もまだ眠たげな年の始めに、ひなた、ほのか、そしてここなちゃんの三人は池袋に集合した。声掛け人はほのかで、親と遊び人の兄からせしめたお年玉を元手にして登山用具を買い足しに出るつもりだ、ついては少し話などしたいとここなちゃんに連絡が入り、群馬からの片道の足代を兄の車で浮かせたいので日取りはこの日限定になるというすこし急な誘いには、冬季ソロの遠征中だった楓さんが不参加なのは分かっていたものの、ひなたの相棒にして基本的にヒマ人のあおいは当然のように参戦の手はずだったのだが、今朝になってインフルエンザへの罹患が発覚、否、兆候だったものが確定となり、欠席を余儀なくされた。
 
 相棒欠席の知らせを受けたとき、自分の立ち位置を一瞬疑ったひなたではあったが、常に二人ワンセットでなければならない理由もなく、深く考えずノコノコここなちゃんと連れ立ちいつもの西武線で池袋くんだりまで出たのだが、いざ現場に揃ってみると、どうあろう、どうやら自分は著しくおジャマ虫であるらしい。いつものリズムでここなちゃんに会話を繋げようとすると、似た時宜で反応するほのかといちいちかち合って、その都度尖った唇と道を譲りあうことになる。あおい相手なら強引に押し切る一通の道でも、話し馴染みのない年少者相手にそれが出来るほど無法者でない自分がいくらかややこしくもある。こちらも悪気があるでなし、タイミングを変えようとしても、勢いノリが持ち味の自分が、にわか仕込みで染みついたテンポをコントロールできるはずもなかった。
 
 あおい本人の話では、調子は昨日から落としていたようで、いよいよ足元がおぼつかなくなった今朝イチで病院に駆け込み、かの有名な流行性感冒罹患者の称号をおしいただいたとのことだった。もう少し早くに医者かかって欠席を決めてくれていれば、自分だって冷静に進退を見極める時間が持てたのに……。そんな恨み言を練ってみたところで相棒の優柔不断は毎度のことだ、いまさら責めるのもいささかみっともない――。
 
 それで、こりゃ今日はイカントモシガタイと、連れて来られた大きな妹の立場を決め込んだ。買い物のしめで席数三十ほどのウッディなカフェに辿り着いたときも、流れの妨げにならぬようにとほのかのデジカメをいじり始めたのだが、その矢先、蛇の一枚に出くわした。言うなれば、出会い頭の不幸な事故だったのだ。
 
 ほのかが愛用するレンズ付け替え型の大きなデジタルカメラは、大人の男の人が提げている分にはそれこそ絵になるが、自分やあおいが構えるとつり合いが取れない、人間よりカメラの方がよっぽどえらいような見栄えになる。しかしほのかは別だった。彼女の体つきは皆とさほど変わらない、なんとなれば誰よりスレンダーな筈なのに、その武骨な黒塊は不思議と、飼い主に付き従う大型犬の佇まいで彼女のみぞおちあたりにすっきりと収まるのだ。
 
 いまここなちゃんが、よいしょ、と猫でも抱くように膝に抱えたその液晶画面では、見事な体つきのシマヘビが一匹、登山道を我が物顔でのたくっている。落ち葉の坂は急に上っているらしく、ほとんど目の前に張り付くようにして登る蛇の、体を幾重にも折り返してうねる姿が、のびやかに描写されていた。しかし、そこからダイアルをひとつ進めると、玄関にたくさん並んだ華やかな履き物、もうひとつ回すと応接のテーブルに整えられたおせちとお雑煮の写真が出てきて、この流れで蛇に出くわせば、ひなたでなくても素っ頓狂な声を上げてしまうだろう……否、この大きさの蛇であったら、山で出会うべくして出会っても悲鳴を上げてしまいそうだとここなちゃんも納得した。 
 それにしても、他の写真はほのかの家の中だろうか?
 
「ほのかさん、これ、見ても大丈夫ですか?」
 被写体があまりにプライベートな色を帯びてきたものだから、ここなちゃんは改めて尋ねずにおられなかった。先にひなたが許しを得ているのを聞いてはいたが、それでもなお気が引けた。うん、いいよ。ほのかは視線こそ熱っぽいが言葉は平らかだ。安心して再びダイヤルをカタカタ送ると、障子の桟、電柱と坂道、窓と、そこからの風景、なんということのない部屋の壁紙、本棚、庭木、柱の木の模様、こわれかけた帽子掛けに、年代物の物入れの引き出しの取っ手……と、暮らしの温かみを匂わせながらもどうしてそれらが被写体足り得たのか、なにが特別だったのか分かりかねる物物が延々、延々と続いた。空気の色や調度のすわりから、どれもここ数日のお正月の風景であることは分かる。ほのかの本格的なカメラと腕前は、そんなものまでも穏やかに伝える表現力を、十分に備えていた。
 
「見ても、よく分からないよね」
 ほのかの声は細かった。常からはきはきしゃべる方ではないが、それより目盛り半分ほど、のどの奥の方で絞られている気がする。視線も、テーブルの上で合わせたゆび先から動いていない。
 そう言われて、ここなちゃんが改めて手元の液晶画面に目を落とすのを、ひなたは見た。ほのかの言う通り、彼女の写真がどういう狙いで写されたかを想像することは難しかった。暇に飽かせた手すさびの産物にも見える。松の内、親類がとっかえひっかえやってくる慌ただしさはそれをもてなす大人たちのもので、子どもは、視線が自分たちから外れるにも拘らずそこにいなければならないという言い知れない倦怠に曝される。そんな大人たちの視線の隙のまた隙の、ものかげに隠れた時間の断片がかたちをとったのがあの写真たちであったと思えば合点は行く。けれどもほのかの口ぶりは、もっと明らかな意思の業の産物であることを伝えていた。
 
 もう少し先を見れば、その正体が分かってくるかも知れない……そんな風に考えるともなく思いながらダイアルを転がしていたここなちゃんは、答えを一旦保留しながら手を止めた。
 
「これ、ほのかさんのお家ですか?」
「うん、大体そう。うちとか、近所とか……。前の方は、去年登った山の写真が残っちゃってるかも」
 お、作戦を少し変えたな? ひなたは、アイスのアップルティーのストローに前髪の影で口を付けた。なるほど確かにあの蛇のポートレイトは、いかな群馬と言えど住宅地の写真にしては山深過ぎる。自分はダイアルをぐるぐる回すうちに一巡して、古いメモリーに行き着いてしまったのだろう……それにしても、外の気温は日中も十度を下回るらしい。買い物を終えてこの店に辿り着いたとき、迷いはしたが、飲み物をアイスにしたのは正解だった。歩き回ったあとの喉と暖房の効いた店の室温に、アップルティーの冷たさと酸味はするりと心地がよかった。
 
 
 
 ここなちゃんによる、ほのかの写真探求は続いていた。悩んでも、うーん、とうめき声がまた可愛らしい。
 
「思い出とか、愛着があるもの、とか?」
「ちょっと違うかな……。憶えてるようで憶えてないとか、この先思い出せなくなりそうなものとか……。普段、見てないところ。ここなちゃんの家はアパートなんだよね。二階建ての……。じゃあ、階段の手すりの端がどんな形か、憶えてる?」
「え、え?」
 どんなだったっけ? 突然のほのかの逆質問に、ここなちゃんはしばしあたふたと俯いたり空中を指でなぞったりしていたが最後には観念して「憶えてないです……」と白状した。
 
「ひなたちゃんは」
「わ、わたし!?」
 突然水を向けられ、ひなたもクイズ番組の回答者になった気分で膝を揃えなければならなかった。第、一問。
 
「家のキッチンの戸棚、引き手は丸い? 四角い?」
「え! 急にそんなこと言われても!」
「電灯のリモコンの、ボタンの並び、とか」
「分かんないってー」
「そうだよね、ごめん」
 ほのかは静かに詫びて、ここなちゃんの方へすいと手のひらを差し伸べると、カメラを自分のところへ呼び戻した。冬の日は早く、いつの間にか……店の中は灯りが追いつかず、うす闇の紗が一枚、降りている。カタリ、カタリとほのかが丁寧にダイアルを回すと、液晶から映える光が変化して、心をおもてに出す方ではない彼女の面差しに落とす影を動かした。
 
「普通はそういうの忘れると思うし、憶えてて得もないと思う」 
 言葉は、ダイアルを送る手つき同様、ぽつりぽつりとしている。
 
「けど、そういうの、忘れちゃうのが嫌だから。いまどうこうって言うんじゃないけど、この先、思い出したくなる気がして……。戸棚の上がどうなってたとか、どんな食器があったとか、庭にどんな木が植わってた、とか。手触りとか。そのうち壊れて直したり、取り替えちゃったり、家を離れることもきっとあると思う」
「ただきれいだから、とかじゃあないんだ?」
「あまり関係ない気がする。いまは、だけど……。けど、この先もし二度と見られなくなってしまったら、とてもきれいなものだったって思えて、もう一度見たいとか、触れたいって思うように、きっとなる……」
 
 さっき流し見た中には台所の壁に備えられたただの延長電源タップの写真などもあって、そこに単純な美しさを感じ取るのは確かに難しいように思う。その風景が失われた後のことまでは思いが至らないが、ひなたは納得して「そっかあー」と息を漏らした。
 
 ほのかが口にしたのは、記録であり、未来からの郷愁でもあり、訪れる郷愁を待つのでなく自ら作り出すことでもあった。
 
 ひなたは小さく頷いた。はんぶんまではよくわかる。自分は、物を壊すことも失くすのもしょっちゅうするし、決まっていたことが変わってしまうことだってよく知っている。あおいとの関係もそうだった。どんな物もいつまでもそのままでおらず、いつか振り返って惜しむ日が来るのが殆ど絶対の約束であることは、まだ冗談程度の言葉にしか出来ないながらも肌で感じるようになっていた。だとしても、ほのかのその備え――やがて失う物の姿をいまに留めておこうとすることには、なにやら素直に賛同することが出来ない。それでは、引き換えにするものと齎されるものとが、道のりのどこかですれ違うのではないか。そんな気懸りを覚えた。

 ここなちゃんはほのかの話を素直に受け止めて嬉しそうに笑っている。心当たりがあるのか分からないが、そこにある良さに反応する、ここなちゃんはそういう子だ。
 ひなたは安心して、でもさ、と弄んでいたストローをグラスに戻した。
 
「無くなっちゃってからのことなのにいまから残すのって、なんかアベコベな感じでよく分かんなくなっちゃうね。わたしは、忘れちゃったらもう、よっぽどじゃないと気にすることも無さそう」
「そう……かも。そうなっちゃったら、思い出そうとも思えないだろうけど……でも、何かの拍子にこの写真を見ることがあって、ああそういえばって思えたら、わたしはきっと、嬉しい……」
 ほのかもまた確かな言葉を見つけられずにいたが、浮かべたうっすらとしたはにかみには、何かを掴んでいるが故の照れが滲んでいた。
 
 深く傾いた日が遠く離れた並木に長い影をこしらえて、窓辺に座る足元を寒さで掴んでくる。のどを通るアイスティーが急に冷たさを増した。ひなたは、体を前へ横へ揺らめかせ、肘を抱え、知らず知らずのうちに思案に暮れる。
 
 いつか訪れることもあるかも知れない、消え行くものを懐かしむ日々に備えることは、なにか遠い、日の光の及ばない彼岸に手を伸ばすことのように思えてならない。いつかの山で失くしたお気に入りだった筈のヘアゴムはどんな強さを持っていただろう、そうして失くしてきた物たちのあらゆる輪郭は記憶の中ですっかり滲んでいるけれど、だからこそ、いま心に上手に収まっている実感がある。喪失感を前借りして取り寄せる、手元にまだ届かない不確かな絶対は、いくつかの苦い思い出を反芻して甦る舌の渇きを潤すためのものとは少し異なる……。ひなたのそれは思案と呼べるほど上等なものではなく、子どもの絵日記を少しはっきりさせたくらいだったから、人に話して落ち着きの良い言葉まで辿り着くことはなかった。
 
 
 
「ごめん、よく分からない話して」
 ほのかの手元で、ウィィという短い唸りを伴って、液晶から光が消えた。
 今日は黙る時間が長いせいか、自分でも驚くくらい真顔になってしまっていたらしい……ひなたはおどけ半分、普段働きずくめの頬に感じたこわばりを掌で揉みつぶしながら、カメラを片付けるほのかの目を盗んでここなちゃんに視線で尋ねかけた。
 
「わたしは、いいと思いますよ? なんとなくだけど、分かる気がします」
「へへ、だよネ」
「どっちなの……」
 にっこり応えたここなちゃんにひなたが笑いをかぶせると、ふくれっ面のほのかからは抗議の声が上がる。
 
「ごめんごめん。今度、あおいに聞いておくからさ!」
「あおいちゃんにって……」
 ほのかはとうとうひなたの思いの行き先を追い切れず、頭まで上りそびれた熱をため息にして吐き出した。クスリと笑ったここなちゃんと交換した視線の意味は、「笑い事じゃない」「そうですね」。
 
「すまないねえ」
 ひなたは申し訳なさをスルーして、テーブルに投げ出したままの携帯電話を気にした。
 自分自身には分からない。けど、あいつなら分かる気がする。もしかすると、ほのかがするその備えは、来たるべき郷愁への憧れの様な気持ちなのかもしれない。ひなたは笑った。言葉をとらない当て推量が、自分の心の外側の、いまごろ熱にうなされているに違いない相棒との中間点に芽生えるのを感じる。あおいは時々婆くさいし、うじうじしたところがあるから、こういうのはきっと得意だ。
 
「そうだ! 蛇さんと言えば、ですねっ」
 パッと瞳を明るませて場の色を変えたのは、やはりここなちゃんだった。ここ一番、声の高さにかけてはひなたのことを笑えない。また視線を集めてしまいかねないボリュームで切り出す笑顔は眩しいくらいだが、如何せん、その華やかさに比して自分たちは話の入りからしてどうにも色気がない。ひなたが人知れず苦笑いを浮かべて思うのは、そもそもはモテる女子になりたいと駄々をこねるあおいを言いくるめて引き込んだヤマの世界だったけれど、相棒の希望が叶う日はまだまだ遠そうだということだった。
 
 そうして、なになに、蛇がどうしたの? と話の続きを優しくせがむひなたの密やかな戸惑いをほのかはフレームの縁で捉えていたが、もう何も言うことはしなかった。
 
「蛇さんて、山で見かけるとどんな場所でもすっごく早く歩いて行くじゃないですか? 上りでも、藪でも。どうやって道を見つけるんだろうってずっと不思議だったんですけど、あれは実はですね、あの体をうねうねーうねうねーってやってると、自然と自分の進みやすい方へ流れて行っちゃうんですって! あの体に合う方に! なんだかすごいですよね、目で見て考えたりしなくても、ひとりでに道が見つかっちゃうんですよ? 動物さんの世界では、そういうのも頭の良さの一つだって言うんだそうです、そうだほのかさん、さっきの写真、もう一度見せてもらっていいですか?」
  
 ニコニコとキラキラのミルフィーユに真剣な眼差しをほどよく挿し込んで、ここなちゃんは最近どこかで読んだという「蛇が頭ではなくその体に織り込んだ賢さ」についての話に感激を迸らせている。ほのかもほのかで嬉々として、言われるまま一度はしまい込んだカメラを再び取り出すと、二人椅子を寄せ合ってああでもない、こうでもないと頬を紅潮させた。
 
 お開きまでは、まだ少しありそうだ。ひなたはゆび先でスマホを手元に引き寄せると、
『具合どう?』
と簡素なメッセージを画面になぞって送信を終えた。
 ほのかの奇妙な備えがどんな果実を結ぶのか、ひなたには想像が及ばない。けれど、道すがら拾い上げた写真の数枚が、憎からず想うここなちゃんをこんなにも喜ばせているのは、彼女の歩き方が歩きたい道へといざなったことの行く末に他ならない。
 ……って言っても、ヘビに譬えたりしたらまた叱られそうだから黙っていよう……。
 自分とあおいの成り行きは、もっとうんと小さい頃に思い描いていたのとはそっくり違ってしまったけれど、そろそろこの道を歩いてきて丁度良かったと思える何かを相棒に用意してやるのも自分のつとめだということは、自惚れでなく思う。病が快癒した暁に、また気持ちよく汗を流せればいい。ちょうど良いヤマは見つかるだろうかと、いま独り山に取りつく楓さんにも短いメッセージを投げ、二人の声を聴いて開く地図のアプリには、これまで皆で登った山に星印がつけてあって、理屈をつけて適当に結べば何かの形が現れそうだった。谷川岳には雪も降りている様だ。
 
 いつもならノータイムで返ってくる憎まれ口も今日はまだ、届かない。眠っているならその方がいいとひなたは、スマホの画面の灯りを落とし、
「ヘビ先生、わたしも見せて!」
と、丸テーブルの椅子を二人へ寄せた。
 
 
 

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2017年10月 4日 (水)

■セレンディピティなどという言葉をやたら多用する女が身近にいたら俺はきっとそいつを殴るが亜玖璃ちゃんなら許す。 -更新第1158回-

 
セレンディピティとかいう言葉があることを知った。
serendipity。
「素敵な偶然」という意味らしい。

文化の違いだと思うが、英語にはときどき
なんでこんな使用頻度が高くもなさそうな込み入った意味の言葉のために
一単語を用意しているのか?
 と思うような単語があるが、その一つだと思う。
日本語で言うと……僥倖、があたるだろうか(日本語にもあんじゃねえか)。

  ついでに言うと、英語はそのくせ一語で済めばいいモノの名前に一単語を用意せず、
  二語必要としたりする。
  マ固有の単語を増やして記憶を要するよりは有りものの単語を並べて表現出来た方が取り回しが良い、
  というロジックではあろう。理解はする。

この一見キラキラネームの様な「セレンディピティ」なる単語、
キリスト教的概念・聖書的価値観の産物かと思いきや、1750年辺りに生み出された造語であるらしい。
マ250年も昔からあるなら、オリジナルでこそないとはいえ最早オリジナルも同然か。

成り立ちは、
当時のある小説家が『セレンディップの3人の王子』という童話の中で起こる素敵な偶然にちなんで
「セレンディップの物語っぽい」的な意味で使ったのが始まりという。





尚「セレンディップ」はセイロン島のことで、今のスリランカを指すので、
物語のタイトルの意味は『スリランカの3人の王子』であり、
セレンディピティは「スリランカチック」とでも言えばいいだろうか。
早速意味がわからなくなってきた。
まあ、童話から出てきた故事成語みたいなモノ、と考えるのが妥当であろう。
それこそ塞翁が馬、みたいなもんだ。ピンとこないのも頷ける。
 
 
■1750年代
 
 
その1750年前後がどんな世の中だったかというと、
「1752年に雷が電気であることが証明された」とWikipediaさんが言っているので、
人類がまだまだピュアだったことがうかがい知れる。
ピュアて。
『セレンディップの3人の王子』の中身にも興味がわいてくるな。

タイトルでGoogle先生にお尋ねしてみるといくらかあらすじが出てくるが、
なんかチョイチョイ中身が違うな。

尚、当のセレンディップ、スリランカは、18世紀にはオランダの植民地であったようだ。



マそんな感じでヒトツ。



タイトルにも書いたことだが、
セレンディピティなどという言葉を
   やたら多用する女が身近にいたら
     俺はきっとそいつを殴るが亜玖璃ちゃんなら許す。

ラノベのタイトルみたい。
オイサンでした。
 
 
 

 

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2017年9月27日 (水)

■荒唐弁務官と無稽文化財のポルカ -更新第1153回-


「稽」
という漢字。

「荒唐無稽」とか「滑稽」とか、
一見スットコドッコイでやんちゃな熟語にばかり顔を出してくるモンだから、
単品でも落ち着きのない意味の持ち主だというイメージを、無意識に持っていたのだけど。

よく見てみれば、「無稽=『稽』が『無い』ことでハチャメチャになる」であったり、
「滑稽=『稽』が『滑る』ことでケッタイなことになる」っていう成り立ちだったので
もしかしてと思って調べてみたら、
「考える」「計算する」「頭を垂れて敬意を表す」などという、
かなり真面目な雰囲気の持ち主だった。

 ▼漢字/漢和/語源辞典
  https://goo.gl/fsjRbU
 ▼goo辞書
  https://goo.gl/w6eisP 
 ▼字源.net
  https://goo.gl/p54Sfm

気が付かなかったけど、「おけいこ(稽古)」のケイも同じ字だったんだな。
なるほど。ちなみに、「荒唐」の方にはハッキリした意味は無いご様子。

この漢字が使われてる熟語についても簡単に調べてみたところ50種類弱出てきたけど、
「稽古」関連(出稽古、寒稽古など)と滑稽関連を除いたらやはりそんなにはなかった。
10種類チョイってところだ。めぼしいのはこんなとこ↓。

  ・会稽……仇討、復讐。 
  ・稽査……考え調べること。 
  ・稽首……頭を地に着くまで下げる礼。 
  ・稽留……滞ること。 
  ・不稽……無根拠、デタラメ。 

オイサンでした。
きょうは突然なんの話だ。
 
 
 

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2017年2月26日 (日)

■沢の踏み跡~SS・アニメ『ヤマノススメ』より~ -更新第1112回-


      ※2017年3月5日修正

 お漬け物屋のお婆さんは、桶から出したばかりのたくあん漬けを、いつもの通りに良い塩梅のサイズに切ってくれ、一度ナイロンの袋に入れて口を閉じ、それをさらに、しゃりしゃりと手触りの紙で丁寧にくるんでくれる。その包み紙には、「漬け物舗 さわ乃屋」とお婆さんの名からそのままとったという屋号が、落ち着いて品の良い薄藍の地に白抜きで刷られていた。
 包みをお釣りと一緒に受け取りながら、
「もうじき、お店を閉めるのよ」
と聞かされたとき、ここなちゃんはうまい言葉を返すことが出来なかった。
 この駅から少し外れたスーパーの小売店街にも昔はぎっしりとお店が入っていたが、いまでは空いた床が目立ってきた。家具売り場の売れ残りみたいなソファが置かれただけの休憩所や、フードコートの出張スペースとして無理に埋めている場所もある。スーパー全体の全面改装にともない、テナントの入れ替えをするのだそうだ。
 そうなることがなんとなく分かるような気もしたし、やめないでほしいと言えるわけもないから、そうなんですか、としかここなちゃんには言えなかったのである。

 残念だとか、寂しくなるとか、もっと気持ちはあったはずなのにと家で夕飯の支度に手を動かしながら考えて、ご飯のとき母にその話をしたら、
「そうなの? 残念ねえ」
とすんなり言われてしまった。自分には、まだそんな部分も足りないのだなあとおかしな感心をしつつかじった地味な色のたくあんは、少し水けを多く含んで、しんなりしているように感じた。


    *      *      *


 三日が経って、またお漬け物の残りが少なくなってきた。ここなちゃんは、先に家を出た母に
「お買い物、私が行こうか?」
と学校へ出る前に自分からメールをし、学校が終わればそそくさと、よく回る足を、スーパーへ向けた。

 お店はまだあった。改装がまだ先なのは知っていたから当たり前だったのだが、そのことにほっとして、いつもと同じたくあんと蕪を少し多めに、そして安心ついでに白菜の浅漬けと、なすときゅうりの糠漬けも足した。
「そんなに慌てなくても、お店を閉めるのはまだ先よ?」
 ころころ笑うお婆さんに言われ、ここなちゃんは初めて、自分が切羽詰まった顔をしていたらしいと気が付いた。と同時に、お婆さんのその言い方が、店の未来の確かさを物語っていることも、十分に理解できた。

「続けることも、まだ出来るんだけどねえ」
 夕刻のスーパーは買い物客で賑わっていたが、小売店街へ足を延ばす客の数は限られている。その客数に合わせたように、お婆さんはのんびりした手足の運びで、クリーム色の大きな糠桶から野菜を取り出しながら話した。
 スーパー側からテナントの入れ替えを考えていると聞かされて、いくらか考えたあとに自分から手を挙げた。体やこころにまだはっきりとした不安は感じてはいないから、何か明らかな理由とか、いま困ったことがあるのかと問われたらなんとも返しようがないと言う。

「ただねえ、色々と、色々なことを思うと、ここらが潮時かなと思ったの」
「色々」

 おうむ返しに呟いて、ここなちゃんはまた「そうなんですか」と、お婆さんの言葉の奥にしまい込まれたほぐし切れない出来事を、そのままの形で胸に収めた。
 桶から体を起こして一度からだを反らす、その腰は確かに少し曲がって見えるし、振る舞いも緩慢ではあるが、山でだって、それよりもっとゆったりしたお年よりを見かけることは珍しくない。だからここなちゃんには、お婆さんが店をたたむことが余計不思議な気がしたし、心配でもあった。

「そうだ。ここなちゃんはお得意様だし、糠床を持って帰る?」
「え? いいの?」
「もちろん。よかったらだけど。じゃあ、ちょっと待っていてね」
 自分でお漬け物を漬ける。試みも考えもしなかったことだが、山での遊びや保存食作りと通ずるものを感じて、深く考える前に返事が口を突いてしまっていた。
 やはり緩やかな足取りで店の奥へ戻っていくお婆さんを見送ると一人になった。小売店街の客足の少なさがしんと小さな肩にしみる。こうして話すうちにも、この店へはおろか、隣の花屋や和菓子屋へもひとりの客の影もない。「だから」なのだろうかと思ったとき、ここなちゃんの脳裏に一つ、よみがえることがあった。

 小学校の授業で、町の歴史を調べたことがある。スーパーができる以前のこの辺りは商店街とも呼べないような小さな店が軒を連ねる区域になっていた。そこに大型の店舗が建てられることになり、元あった商店のいくつかは店をたたんで、残る店は条件を優遇されてこの小売店街に入れることになったのだ。先生に連れられてお店の人の話を聞いたり、班に分かれて図書館で調べものをしたりしたのを、ここなちゃんは憶えていた。テナントとか、優遇とか、当時の自分たちにはわからない言葉ばかりでその意味するところまでは理解出来ずに終わってしまったが、いま改めて見渡すと、花屋も和菓子屋も、客がなくとも慌てる風でもない理由が少しはわかる……。

 奥から戻ったお婆さんの手には、みっちりと、いかにも重さの詰まった風合いの糠の袋が抱えられていた。
「お待たせさま。はい、重たいから気を付けてね」
「ありがとう」
 それを実際受け取ってみると凝縮の程は見た目よりもはるかにまさっていて、力の加減を誤り、前のめりにふらついてしまった。
「わわ」
「あらあら、気を付けてねえ。あのときに比べたら随分大きくなったけど、やっぱり女の子ね」
 お婆さんは笑い、ここなちゃんもばつの悪い笑みで応えながら、あのとき、と言われ――校外学習で、この店を訪れたときのことを心に呼び覚ましていた。


    *      *      *


「どうしてお漬け物屋さんになったの、ですか?」
という幼いここなちゃんの質問は、思い返せば、町の歴史を紐解くという目的から少し外れていたかもしれない。お婆さんもうまい答え方を見つけるまで時間をかけていたように思う。出てきた答えも要領を得ない、なんだか難しいものだった。
 お漬け物を拵えるのが、お婆さんの家の役割だった。周りの家からの評判も良くて、となりや、そのまたとなりの家の集まりからも請われることが多くなった。さらにその評判を聞きつけて、また……と繰り返していくうち、遠方からも求める人たちがやってくるようになったのである。

「それで、いつの間にかお漬け物屋さんになったのよ」

 ここなちゃんを含めた子どもたちは、ええと、とどう捉えて良いやら心で傾げた首を無理やり縦に振り、担任の先生だけが、困ったような顔をしてうんうん浅く頷いていたのをここなちゃんはなんとなく覚えている。漬け物屋という職能者への確かな成り方や心構えは話の中では脇役で、一つかみほどの選択と、当たり前のような責任感がぼんやりとあり、いわば時代の空気に押し出されるように、糠との暮らしが選ばれて残ったという話だった。お婆さんにしてもまだ口にしたくないいいきさつや、言い表し難い事情もあったに違いない。
 それよりも、お婆さんが話し終えた後のやり取りの方を、ここなちゃんはより鮮明に覚えていた。

「ごめんなさいね、あまり参考になることが言って上げられなくて。あなたは、お漬け物屋さんになりたいの?」
「ううん、ちがいます!」

 クラスの友だちが大笑いをし、お婆さんも笑い、先生がここなちゃんをたしなめて頭を下げていた光景、あのときはなぜ笑われてしまったのか分からなかったけれど、いま思い出すと、ここなちゃんは顔から火の出る思いがした。自分が何を言ったのか、手の中でぐっと重みを増した糠床が、肩と背中を引っ張って、まるで自分に手をついて謝れと要求しているようにさえ錯覚する。
 そうして頭が真っ白になってしまった幼いここなちゃんは、逃げ出すように次の質問をしてしまった。

「お、お婆さんは、ずっとお漬け物屋さんなのですか?」

 改めて考えるまでもなく、何を聞きたい問いだったのか、いま思い返すと尚のこと分からない。それまで漬け物屋だけを続けてきたかを問うたのか、或いは、この先もずっとなのかと?
 不可解な質問をどう受け止めたのか、それでもお婆さんは丁寧に、
「そうね、私が元気なうちはそうかしら。子どもも孫もいるけれど……。これは、私のお仕事だもの」
と、そっと、先のことをさりげなく括った。


    *      *      *


「あ、あのときは、本当に……」
 まったく、なんということだろう。あんな幼い日の、過ちとも呼べない素直さの招いた勇み足が、まさかこんなタイミングで再び火を噴くなんて思ってもみなかった。ここなちゃんは自分の無邪気さを呪って頭も下げられずもじもじしていたが、お婆さんはころころと愉快そうに笑って、いいのよ、あれは勿論冗談だもの、とやさしかった。
「だからあのとき、ふたつ目に答えたことも本当。誰かにあとをお願いしても、きっと困ってしまうでしょう?」
 これ以上ないくらいに似合う、袖口がゴムになっている割烹着の腰を一度ぐっと逸らせ、気持ちよさそうにいくつか息を吐いて、やがてまた背中を丸めた。
「残念って言ってくれるひとには申し訳ないけれど、あたしはもう十分」
 最後の言葉の本当の意味は、ここなちゃんにはやっぱりまだ難しい。けれどもそれも無理をして、ハイ、と飲み込み、伏し目がちに頷いた。
 お婆さんはその賢さも見透かして、最後にもう一つ、
「まだしばらくはお店にいるから、上手に漬からなかったら聞きにいらっしゃいね」
と、付け加えることを忘れなかった。


    *      *      *


 そのひと月後、ここなちゃんは山で道を間違えた。
 山が近場で、さほど高くもなかったのが逆に災いした。珍しく母が「職場の人から聞いてきた」と言った湧水を汲むついでのハイキングがてらで行程を組み、遅めの時間に出たものだから、中盤からあとに向かうことになる水場への道で時間を食ってしまうと、もうリカバリーが効かなくなってしまったのだった。そのおかげで、水汲みという目的を果たすのが時間的に精いっぱいになってしまい、山頂を踏むことが出来ずに終わってしまったのである。
 メインの登頂路から一度離れ、水場へ向けて沢の流れに行き当たったとき、踏み跡が残っていたからそちらだと思い込み、安易に沢に沿って登る道を選んだのが間違いだった。それは、以前は確かに水源へと続く旧道だったのだが、いまは落石によって封鎖されており、本当は沢を一旦渡った先から進むのが正解の道筋だったのである。

「印を立てておかないと、また誰か間違っちゃいますよね」

 ようやく沢の分岐まで帰ってきたここなちゃんは、丁寧に、今しがた自分が付けてしまった誤った踏み跡の旧道に横木の通せんぼをかけて呟くと時計に目をやった。往復で二時間近くを失って、ここからまた水を汲みに向かったのちに本来の登山道へ戻っていたのでは、山頂を臨むころには日が傾き始めるだろう。

「今日はもう、仕方ないかな」

 山では、どうしても一人ごちることが多くなる。意を決して、などと大げさな話でもない。今回は水汲みを優先して、山頂はまた来週にでも再挑戦すれば良い。なにせ、塩分を補給するためのお漬け物には事欠かない身分になったのだ。
 あの翌日から、早速、漬物舗・さわ乃屋謹製の糠床でトライし始めたここなちゃん最初のお漬け物の玉砕の仕方は、実に地味なものだった。とりあえずのお試しで、たくあんをひと月かけて漬けたのだが、お茶漬けの種にしてもまだしょっぱ過ぎる有り様の漬かり具合だったのである。その塩気は保存食としては優秀だが食卓での活躍の機会に乏しく、冷蔵庫の中でのんびり寝かされているうちに、今回の登山の機会が訪れたのだった。
 湧水の広場へ向かう道を、道誤りでくたびれた膝を持ち上げてざくざく進む。道は先ほどの旧道より格段に険しかった。ごつごつと岩だらけの沢を左手に見下ろすくらいの角度で登っていく。果たしてこれで本当に水源に辿り着くのか、このまま山頂へ行ってしまうのではないかと不安になるほどだったが、山の道は面白く、沢は小さな滝を何段か経て道の高さに追いついて来、やがて合流した。
 道の最後は、垂直の岩壁が頑として立ちふさがる行き止まりになっていた。手がかり、足がかりはあるから登れないこともないだろうが、普通の登山客があえて進むような代物ではない。その壁の、地面から二メートルほどの高さより上のところどころから水が湧き出し、なぜ形作られたのか分からない、受け皿のように突き出した岩に一旦溜まってからちょろちょろと細く落ちている。
 ここが沢の水源だ。きっとどこか、この山の上か、或いは離れた高山に注いだ雨や雪が押し積もり、逃げ場を失ってここから染み出ているのだろう。ここなちゃんは早速荷物を下ろして五百ミリの小さなボトル二本に水を受け、それが終わると自分もその傍らに腰を下ろした。拭ってもまた汗がこぼれてくるのでまた拭い、汲んだばかりのボトルの水に口を付けて、崖と木々に囲われた空を見ながら時間を計算した。そして膝の上に、山頂で広げるはずだった弁当を広げた。
 旧道では、徐々に心もとなくなる踏み跡に疑念を抱き始めた頃まんまと巨きな石に道を阻まれ、明らかにおかしいと気付いて引き返してきた。それでもまだ、道が道らしい形を残していたから辿ることが出来たのだ。きっと自分のように、定期的に迷い込む者があるのだろう。はじまりにあの道を踏んだ誰かは、やはり先にあるであろう、沢の水源を目指して足跡をつけたのかしら? 分からなかった。それとは違う、彼だけの、彼女だけの目指す場所があったかも知れない。ああして通せんぼをしておけば、さすがにもう迷い込む者も減るだろう。人の通じなくなった道はやがてかたちを失い、最初の目的も、その目的が失われたいきさつも覆われて、余分な憂いからも解放される。

「これは、私のお仕事だもの」

 タッパーに入れたたくあんをポリポリかじると、時代に押しこまれてつけた踏み跡は行くところまで行き着いて、わけもわからないまま誰かに譲ることは出来ない――そう清々と笑った、皺がちな顔が浮かんでくる。どれだけ時間をかけた暮らしだったのだとしても、その道筋の値打ちは自分だけのものなのだと、まさか幼い自身の拒絶が彼女に気付かせたなどとは思いもしなかった。
 ボトルの水は、あっという間に飲み干してしまった。いちいち汲み直すのも面倒で、受け皿の岩から落ちる水を手ですくって直接飲んだ。ひたすらに染み出し、流れ続ける沢の清水は、掌の中でたくさんの光を閉じ込めて柔らかく揺れ、無味という名の味がする。その揺るぎの無さの中では、失敗作だった筈のたくあんもポリポリと十分に美味しい。自分が漬けたものだと思うと、自然と笑顔がこぼれた。
 目を閉じても光の滲んでくる瞼の奥の薄暗闇の中で、ここなちゃんは沢の流れる音を聞き、このあと辿ることになる、下山ルートのことを思い描いていた。




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2017年1月 7日 (土)

■ミライガ マルゴト ヤッテクル。~PRay Back 2016~ -更新第1102回-

2017年、あけましておめでとうございます。
オイサンです。

  ……もう七日やないか何を言うてまんねん、と突っ込まれそうだが、
  いいんですぅー、まだセーフですぅー(根拠なし)。

旧年中も皆さんにたんまり笑って頂きました。
本年もガッツリ笑って頂く所存なので、マその才覚のある御仁だけ読めばいいと思います。
ついて……こられるか?

Aatrdsc06946
鎌倉、鶴岡八幡宮。超解像ズームの練習で撮った。


マそんなんで、年も明けたというのに早速新年らしくないお話、
2016年の総まとめをやるます。
それをやったからといって何か発展的になるワケでもないけれど、
振り返らないと忘れちゃうから……老人なので。


  ※チョイチョイ入るお写真は本文とは概ね無関係な、
    2016年の個人的に気に入ってるお写真です。


■ある阿呆の一年 '16年版


  ▼反省~人生をたいせつに扱うこと、心と体の衰えと使い方を知れ。

とにかく2016年は……時間が全然、上手に使えなかった。
足りなかったんじゃなく、使えなかった。何もカタチに出来なかった。
楽しむことだけは出来て色々楽しかったが、けど、生み出したり作り出したり、
全然出来なかったのが……やはり、不甲斐ない。それをするのに体がついてこなかった。
ベースでやろうとしていることの分量は変わらないのだけど、体力的にそれが出来なくなった。
仕事して、インプットして、体動かして、書き物して……が出来ない。

体と心が、完全に緩んだ。
2017年は、いくらなんでももう少し引き締め直す方向で行くことにする。


Atrdsc06798
旭川空港。8月の朱鞠内の帰り。ワリとてきとうに撮ったのに。


ただし、自分がもう老人であることはしっかり意識に捉え、
摂取するのも、消費するのも、熱量を抑えて行こうと思う。
「たくさん動くからたくさん食べていい」のではなく、
「少しだけ食べて、それなりに動く」の方向性だ。
内臓がたくさん取り込む馬力を失いつつある実感がある。
すぐにヘタるので、たくさん取り込むことにエネルギーを使い、ダメージを負う。
弱虫ヘタる。
内臓を動かすのに体力を使う、そういう段階にきている気がする。
こればかりはどうしようもあるまい。

とはいえ今のオイサンは41歳、数え年では42歳で
(この数え年って勘定のしかたもなんなんだよって思うけど)、
世間的にはいわゆる本厄のトシだったワケです。
本厄コンニャク。うるさいわ。
その本厄を、ひとまずは目に見えた大禍なくやり過ごせたことについては、
この程度で済んでまあ良かったのかな? と思いもする。感謝である。

2017年こそは悪いカオで、
「クックック……この体にもだいぶ慣れてきたぞ」
と自信満々で言えるよう、削ったり足したりをバランス良くやって、精進していきたいと思います。
……人間、いくつになっても精進なんだなー。
メンドクセエ ← あっ

計画的に……というのは性にもスタイルにも雰囲気にも合わないので言わないが、
なんというか……うまいことやる。

Atrdsc06263
これも8月の朱鞠内。早朝、釣りに漕ぎ出す見知らぬフィッシャーマン。



 ▼2016年のスローガン「知性と教養」について、そして未来志向の世相について
   ~AIと宇宙的神秘の出会い、VR・ARと日常の出会い~


2016年は、年の初めに「知性と教養を!」なんてことを嘯いていたわけだけれども、
そのお陰なのか、大したレベルでは全くないにせよ多少「お勉強」のようなことも、
日常レベルで手を付けることが出来た。
それこそ本当に大した話ではない、娯楽目的でなく、何かを知るために本を読む、みたいなことでしかないけども。
「知ることにキチンと時間を割こう」というのは、億劫がりの自分としてはなかなか上等な発想であった。
それと関連して、2016年は「明るいニュースが多かった」と、個人的は言ってしまおう。

  ほかで起こったおかしな悪いニュースが帳消しにされるわけじゃなく、
  一年全体の印象として「よろしくない年だった」ことが打ち消されるわけでなく。
  「悪いことはあったが、良いニュースもそれはそれで多かった」というだけだが、
  喜ぶべきことではあると思う。

具体的にニュースとして報じられないまでも、
世間に流布した様々な出来事の中に、心躍らせる要素がたくさん……オイサンには感じられたので、
「良かった」と思った。


Dsc00849
掛川、2月。千反田さんに呼ばれて行った加茂荘菖蒲園。


それらは主に、テクノロジーの進歩、と言ったら最前線の人には鼻で笑われそうだが、
テクノロジーのちょっとした前進が実用・日常のレベルまで落とし込まれてきたなという実感で、
AIだったり、VRだったりARだったり、使い方のこなれてきたセンシング技術だったりなのだけど、
それらによって、なんかこう……

  「ああ生活が変わってきたな、これからまた変わるな、
   そして人間の『ものごとを把握し理解する能力』が少し拡張されたな」

ということを実感する。
人間(少なくとも日本くらいの文化レベルで暮らす若い世代)は、「新しく」なってきているなー、と、
見ていて思う。
その分切り捨てられる箇所もたくさんあるけど、それは多分、
視点が全般的に「上がって」しまったのだろう。
管理職が実務者の細かい作業まで把握しないのと似ている。

  その細部こそ大切な場合も多々あるので、一概に手放しで喜ぶことは出来ないが、
  ここで取りこぼした部分については、あとの世で(時間はかかるかもしれないが)うまいこと回収されることだろう。

VR機器が本格的にご家庭に入り込み始める傍らで、ARが『ポケモンGO』で世間に旋風を巻き起こした。
AIの分野では「こっちはしばらくは人間に追いつくのは無理だろう」と予測されていた囲碁の世界で
予測をあっさり覆し、人間に勝ってしまったり、
医療の分野でも人間の医師には見出すことのできなかった治療法だか病原だかを特定してしまったり、
し始めている。
自動翻訳の世界でもガンガン成果が上がっているというし、なんなら自分で作品を書き出すAIもいるという。
それを見て、世界最高峰の頭脳(人間の方な)が、
「ぼちぼちAIはやべえ。人間は警戒した方がいい」と言い出したりし始めてる当たり、
ガチでキテると思っていいのだろう。
意図的にアホな日本語を用いるのはやめろ。


Dsc00626
3月?スカイツリー。Pe氏と。


それと並行して、宇宙開発的な面での成果にもよく目がいった。
重力波の観測に始まって、新しいブラックホールがどうしたとか、
今まで見えなかった何かが見えたとか、見つかったとか。
まあ正直、オイサンにはそれらが具体的にどうすごく、将来的に生活にかかわってくるのかどうかもわからないけれども、
ここ100年くらいは何かを確かめることが主だった分野で、確かめが終わり、
過程で抽出できた物事を使った新しいことが始められたり、拡張されたり、
という段階に入っている……ように、まあ、素人目に見えている。
実際はわからん。

特に、宇宙規模的な
「なんか仕組みはハッキリとは分からんけど、
 観測結果から推測しまとめるにこういうことのようだ、
 リクツの根底まではハッキリせんが、それはもう確実で決まり事だ」
みたいな扱いに留まっていた事々について、この先発達したAIが、その仕組みの解明を手助けしたり、
「実は今までの理解はちょっと違っていて、実はこうなんだ、
 ここんとこで間違ってたからよくわからなかったんだ」
みたいな指摘に上手に手を貸してくれるようにこの先なるのではないか、
という不思議な期待を感じている。
なぜなら、彼ら(=AI)は既に人間の予想を覆す結果を出している。
即ち、人間には観測しきれない物事の関連性を膨大な事象の中から導き出すことをやってのけ始めているのだから。
ヒトには出来ない観察と推論と思考を彼らはやってくれる。

そこの「人間には気付けない辺り」に、
今まで辿り着くことの出来なかった宇宙の深淵への希望が見いだせるのではないか、
新しい扉が、また一歩開かれるのは案外すごく近い将来なんじゃないかと、
昨年一年、ひしひしと感じていた。

  この辺の変化については、確認したわけじゃないけれども、
  多分宮沢賢治あたりが大昔に詩に詠んで予見しているんじゃないかと思う。


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城端2連発。上は富山へ向かう途中のPA、グロッキーのアラフォーをしり目に。下は城端のローソン。


それはとても楽観的で、来年即花開くかと言ったらそんな甘いこともないと思うけど、
なんだろか、
2020年あたりには、もうオリンピックどころの騒ぎじゃないことに世界がなっているんじゃないなかなあ、
などと思うわけです。
エエ。
その辺、ワリと真面目にね。

  且つ、そういう予感を感じつつも、
  「マどうなるかは分からないけど、とりあえず次回もオリンピックの準備はしとこうぜ」
  という態度を守ることのできる人間という生き物に、オイサンは深く敬意を抱くものである。

まあオイサンなんかはどこまでいってもいんちきメルヘン物書きですから、
「面白そうな方向に」しかモノゴト考えませんけれども。エエ。
いいじゃありませんか。

VRやARは、
AIと違って新しく何かを切り拓く助けになるかはちょっとわからないけど、
自動運転とかドローンとかそういうものとも繋がって生活をちょっと良くする、
「足場を固める・歩きやすくする」助けになっていくんじゃないかと思っている次第。

そういう、「足場を固め、新しくする技術」と「頭の上をどんどん突き進んでいく技術」の2面が、
合わせていっぺんに突き抜け始めた、そんなトキメキを感じた1年でした。
なんていうかね、これから先5年くらいで、地球上とそのちょっと上の宇宙のあたりは、
今よりいくらか楽しいことになり始めるんじゃないだろうか。

多分、インターネットが一般的に流布する前からネットワークに明るかった人たちは、
90年代後半頃には、これと似たようなトキメキを抱いておったのではなかろうかと思う。

そんな風潮と予感から刺激を受けたこともあって、話は知性と教養の話に戻り……
いままで漠然としか捉えていなかった、
「宇宙でわかってることやわかってないこと」がどこまでなのか? とか、
そもそもの基礎の理屈、すなわち相対性理論などに対するジブンの認識はどのくらい正しいのか? とか、
それを確認したうえで、重力とは、ブラックホールとは、光とは、時間とは……
そんなことを知ろうと思って新しく本を読んだり、
人から借りた本に触発されて、改めて日本語を勉強し直してみたり。
そんな一年でした。
その辺りの、「遊びとしての勉強」の楽しさを、新たに思い出せた年ではあったかもしれない。
楽しかった。

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ダブル小諸。上は1月、下は4月。小諸の八重桜は美しいと思う。


■様々の遊び~2016年・大体のイベントごと

 ▼1月
  ・ 9日 小諸、10回目。オマケで上田。日帰り。
  ・24日 流山。だんけつ君と巡る『ろこどる』の舞台。謎の味りん屋大活躍。ちょう楽しかった。

 ▼2月
  ・ 6日 流山2回目。ひとりで。前回巡り切れなかった川の合流地点などを見に。寒かった。
  ・11日 鎌倉へ一人で。大仏が工事中で石棺の中。バインミー、もっふるを食う。ンまい。

 ▼3月
  ・12日~13日 関西よりPe氏来訪。朗読劇を聴き、スカイツリー、東京タワー、国会議事堂とはしごする。
  ・20日 掛川、『氷菓』の聖地・加茂荘菖蒲園へ。ひとりで。突発の思い付きで日帰りする。
     素晴らしき静けさに包まれた良き旅。たこ焼きがうまい。
     ここへはまた行きたいなあ。天浜線をとろとろと旅がしたい。
 ▼4月
  ・ 3日 鎌倉へ、一人で行ったっぽいが特に記憶がない。ボンヤリした。
  ・10日 厚木から南へ海まで歩く。静けさを求めたロング散歩だったが、やかましかった。
  ・16日 小諸・11回目。桜を見に、というなんとも旅行らしい試み。
     ひとりで。ひまわりちゃんと一緒に。どっちだ。
  ・30日 山登り。明神ヶ岳~金時山に登る。縦走の真似事が出来、眺めがよく、充実感のある山だった。
  ・この頃、なんとなく腕時計を買う。必要と心境の変化に駆られて。

 ▼5月
  ・ 3日~ 5日 城端! 素晴らしい天気に穏やかな町並み。
  ・22日 ひとり鎌倉アゲイン。

 ▼6月
  ・04日~05日 上野村~酷道299号踏破の旅。峠の上でエゾハルゼミ。諏訪のシェモアなど見どころ満載。
  ・18日~19日 小諸、12回目。アラフォーと二人、前日に突発的に決め、行った先で宿泊も決めるアドリブ旅。
 ・多分この辺りで『ガルムウォーズ』を見て、あまりのつまらなさに
  『押井言論』を読み、『TNGパトレイバー』など過去押井映像作品を家で見始める。


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7月、秩父巡礼。部屋と、宿の前のガラス細工のような清流。


 ▼7月
  ・11日 小銭入れを新調。
  ・17~18日 秩父『あの花』巡礼。藤岡温泉ホテルリゾートにて共産党の偉い人(偽)に会う。秩父パリー。

 ▼08月
  ・14日 実家に帰省。石上神宮・三輪明神をお詣でる。これは城端帰りに諏訪大社に参った余波。
  ・26日~29日 北海道、21回目。名寄~朱鞠内湖~旭川・美瑛。台風におびえつつも最高の旅。

 ▼09月
  ・ 4日 J氏とJR平井駅で喫茶しゃべり。東京の片隅でラブライバーをこきおろす。
  ・17日 ひとり鎌倉日帰りぶらり旅。

 ▼10月
  ・ 9日~10日 新潟県、湯沢・美人林へ4人旅行。雨に降られるも大変楽しい旅。
  ・16日 映画『レッドタートル』鑑賞。概ね想像の範疇だが、鮮やかな衝撃も受ける。
  ・23日 映画『君の名は。』鑑賞。当たり前を積み重なて斬新を作り上げた、傑作。名作ではないが。
  ・30日 川崎ブンキョウにて、FCB・ファミコンバンド13th。『オホーツクに消ゆ』が聞きたくて。パパさん、J氏と。

 ▼11月
  ・12日~13日 長野県、伊那・辰野。紅葉を見る。ものすごいパワーのチョッチュネホテルに完全にやられる。
  ・26日~27日 なんとなく3回目の飯能。なんでだろ? ムーミン谷、多峯主山、天覧山をハシゴ。

 ▼12月
  ・ 4日 Pe氏来訪。亀有、柴又散歩。なかなか楽しかった。
  ・10日~11日 勢いづいて、飯能、4回目。『ステラのまほう』巡礼を兼ね、西吾野、顔振峠、吾野。
        同11日、テラジさん、パパさんと秘密のお茶会。
  ・24日 歳末大紳士会。新宿にて。店が大ハズしでスマヌ。でも楽しかった。
  ・25日 ケータイ変更。さらばブラックベリーさん。
  ・26日 J氏と二人、駒込あたりでぶらぶらと。六義園でラッセンをこきおろす。

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8月、帰省した実家近くで。一番下は、脱皮中に絶命したと思われるセミ。無情。



 ▼お出掛けのこと

お出掛けはたくさんした。
多すぎて、振り返ると「うお、あそこ行ったのも今年だったか!」と驚くところもある。
掛川とか。遊び過ぎだ。

最初に書いたように、アウトプットがインプットに全く追い付かず、
6月に、アラフォー&エースと行った酷道299号線走破の旅とか、
7月の秩父巡礼や8月の朱鞠内など、
どれも素晴らしい旅だったけど書き残せていないのが不甲斐ない。
朱鞠内は手元ではまとまっているが。
大体、どの旅も高密度ラッシュ過ぎるんだよ。なんで毎回毎回、ああいろいろなことが起こるんだ。
11月の、伊那・辰野の紅葉も素晴らしかった……色んな意味で。

鎌倉は、気候の良い時期なら大仏様のおひざ元や、
円覚寺山門そばのベンチで日がな一日ぼーっとしたり書き物したりできるので、
行く頻度が上がってしまった。近いし、お金もかからない。

これまたごくごく最近の話になるが、飯能へも2回行った。
気軽に登れる山が集中しているから、また何度か訪れるかもしれない。
飯能が結構好きになってきた。

その分、小諸が減った。お金かかるからね……。それでも年3回行ってれば十分だと思うけど。

見て分かる通り、お出掛けの頻度は、
もはやこれ以上増やすのは不可能なくらいの域に達している……と思う。
Twitterのフォロワーさんには、もっと信じられないような頻度で
たくさんの山にアタックしてる人もおられるけど、オイサンにはそこまではとても。
デたくさん出かけるのは構わないのだけど、やはりこう、
出掛けたら出掛けたなりに何らかの糧にしたいというのはあるし、
アウトプットには変えていきたいと思う。
そういうこと考え始めるとまた、ただのお出掛けにも面倒な枷を設けてしまいそうだから
考えないようにしてはいるが、
大事なのは、カタチにするそのやり方だと思う。

  ……ということを考えて、北海道・朱鞠内の旅日記は形式を変えて書き進めていたんだけど
  それでも結構な重量になってまだ形になっていない。
  残念だ。

一人では、山に登る機会をもう少し増やしたいとは思う。

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8月、上から早朝の朱鞠内、昼の湖畔、美瑛の電波塔。電波塔にはまた会いに行きたい。




■取り入れたモノ

 ▼本
  ・『押井言論 2012~2015』
  ・『追想五断章』
  ・『ざるそば(かわいい)』
  ・『数式なしでわかる相対性理論』
  ・『[図解]相対性理論とブラックホール』

      


ドキュメンタリー系で文句なく面白かったのは『押井言論 2012~2015』。
『ガルムウォーズ』を見た後、あまりに面白くなかったので逆に興味が湧いてしまい、
5000円もする核廃棄物みたいなこの本をついつい買ってしまったのだけど、
これがまあ面白かった。
『ガルムウォーズ』の、軽く8000倍は面白かった。
しかもクソみたいに分厚いもんだから読んでも読んでも終わらず、何度風呂でのぼせそうになったことか。
何というか、モノ、特に映像、物語を作って売るというにはどのようなスタンスで向き合うかという、
そのやり方のうちの面白い一手について楽しく知ることが出来たし、
色々と取り入れることが出来そうな考え方や、見てみると面白そうな作品のことが書かれていて、
次はその辺を確かめる作業につなげていきたい感じである。
というワケで今2周目を読んでいる。
尚、この本をきっかけに、これからしばらく押井監督作品を見続ける流れになった。

フィクション系で面白かったのは上で上げた2冊で、他にも10冊くらいは買ったはずだがどれも楽しめなかった。
やはりラノベは苦手だし、純文系もすこしそれるとキツくなる。
ただ、最近やってる英語の速読訓練のおかげで、
「興味の持ち辛い本でも大筋を掴む程度に少ない時間で(それでも人より遅いと思う)読み終える」
ことが出来るように、ちょっとずつなってきたので、面白いと思えない本でも
流し読み・拾い読みしていくくらいは出来るようになるのではないだろうか。
序盤はダメでも、ある程度内容を拾った中盤以降は楽しめるものもあるだろうし。

また、昨年手に入れたスキルの一つに、
「一時的に物語から感情の距離をおく」というのがあって、
これはなかなか、物語を楽しんでみるためには役に立つと思う。
物語の人物がヘマしたり危機に陥ったりしたとき、いままでついついグイグイとのめり込んで
心が負荷に耐え切れなくなったりしてたのだが、
それを、「マお話なのですし」と一時的に解放して冷静に見つめる技を身に着けた。
これでこの先、見るのが辛い作品とか、入口でちょっと興味もてないとかツマンナイとか思う作品も
いくらかラクに見続けることが出来るようになるであろう。


 ▼映画・映像
  ・押井作品;『ガルムウォーズ』『TNGパトレイバー』『東京無国籍少女』『28 1/2 妄想の巨人』
  ・『レッドタートル』
  ・『君の名は。』
  ・『シン・ゴジラ』
  ・登山映画:『エヴェレスト』『ヒマラヤ~運命の山』『アイガー北壁』
  ・『インターステラー』
  ・『漫勉』(藤田和日郎先生回)
  ・『百日紅』
  ・『きんいろモザイク pretty days』


いろいろ齧り見したが、どれが面白かっただろうか……。
作品としてがっつり心に残っているのは案外『レッドタートル』かも知れない。
『君の名は。』も面白かったが、サービスにサービスを重ねて、
かつしつこくないように削って削って削り取る、というやり方はとてもではないが真似の出来るレベルではなく、
一人でハイレベルにもっていけるものでもない。
サービス精神と、集団でのモノづくりについて見習うところを持っておこう、というくらいか。
その点では『シン・ゴジラ』は使えそうな発想はいくつかあって面白かった。
『インターステラー』は、ブラックホールや相対性理論のお勉強の延長。
面白かったけど、ワリと予想の範囲内。序盤が素晴らしかった。
この他にも高倉健さんの映画とかも見てみたが、あまり響くところはなかった。
健さんは萌えキャラだったんだ、ということが分かったくらいか。
しかしいろいろな作品を多めにインプット出来たことは、やはり収穫があったと言えると思う。

  あ、『きんいろモザイク pretty days』は、自分には合わないのを分かって行ってみたけど、
  本当にその通りで、いま思い出してもpretty過ぎてクラクラします。
  初めて左手で同人誌を書くのに挑戦する中学生は、コレを参考にすればいいと思います。

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秋、伊那。宿はどこまでもファンキーに、紅葉はしっとりと。


 ▼テレビアニメ
  ・『田中くんはいつもけだるげ』
  ・『ステラのまほう』
  ・『ばくおん!』
  ・『アクティヴレイド』
  ・『このすば!』
  ・『クロムクロ』

歳末大紳士会でも話題に挙がったが、昨年オタク界隈で通念的に大ヒットだったのは多分
『Re:ゼロ』あたりであったのだろう。
しかし自分的にヒットになったものと言ったら上に挙げた分で、
『ステラ』は7話の、たまちゃんのユミネへのかかわり方にシンパシーを感じ、
『ばくおん!』は6話、10話で、「バカの情熱」の潔さに心を撃ち抜かれ、
『アクティヴレイド』は作品の成り立ち自体がすばらしく、
『このすば!』には、「世界は如何にして優しくなるべきか」が的確に描かれており、
それぞれが心にぶっ刺さった。

『クロムクロ』が地味に優秀で、中盤まではほぼ光るところを感じられなかったのが、
後半からジワジワと、語りの成分といい盛り上げ方といい非常に丁寧で面白く、引きつけてくれた。
特に好きだったのは、学校の先生が剣之助の将来について真面目に進路指導する辺り。
ああいう一手を打つだけで、世界観がぐっと引き締まる。
中盤までも、ダレ気味で爆発力がないというだけで、目も当てられないというほどではないので
そう悪いものじゃない。

『田中くん』は……『のんのんびより』枠。
尚、『田中くん』『ステラ』は『のんのん』の川面監督、
『ばくおん!』は『true tears』の西村純二カントク、
『このすば!』は『これゾン』と同じ金崎監督+上江洲さんタッグと、
作り手に心を掴まれているところがある。
『ばくおん!』は何よりも、川崎マッハ・来夢センパイという
最高のキャラクターの存在抜きには語れないけれども。

  今年一年、『アクティヴレイド』のあさみちゃんやら、
  『大家さんは思春期!』のチエちゃんやら、『田中くんは~』の太田やら
  『ろんぐらいだぁす!』の葵ちゃんやら、
  結構な強力萌えキャラ勢に恵まれたにも関わらず、
  来夢パイセンの魅力はぶっちぎりでした。凄まじい。


いずれにせよ、毎クール楽しめる作品があり、
年が終わってみて心に残る作品があったことは幸せなことだ。
なにより、『ばくおん!!』『ろんぐらいだぁす!』『大家さんは思春期!』のそれぞれのOPで、
ステキな歌詞に出会えたことは心の活力になった。



 ▼ゲーム
  ・『ミラクルガールズフェスティバル』
  ・『マクロスΔスクランブル』
  ・『レコラヴ』

ゲームは……例によってあんまりやれていない。
けれども、『MGF』をトロフィーコンプリートして、今はわりと楽しく『マクロス』をやれている。あまりスマートなプレイではないけど、昨年から考えると大きな進歩だ。
少なくとも、ゲームを楽しんでいこうというマインドが心に再び萌し始めていることが
個人的には嬉しい。良き哉。
今年は恐らく最後の『ドラクエ』になるであろう(という勝手な予測)、
『ドラクエ11』が出るし、ニンテンドーSWITCHも出るしで、
しっかりと、ゲームを楽しめる心と体と環境を作っていきたい。

 ▼『ドラゴンクエストXI』オープニング映像
  
  なぜでしょう、このOPを見るとすごくドキドキします。『ドラクエⅣ』の時と似ている。


……しかし、こんなことを考えながら年を重ねていくのかね。
マいいんだけどさ。そういう人生だから。


 ▼お金ほしい。

あとね、お金がない。お金が欲しい。
イヤないワケではなくて食うに困る貧窮の仕方はしてないけど、ちょっとこう……心がキュウキュウとしてきた。
だから昔を思い出して、びんぼう根性丸出しで行こうと思う。
マ自分がお金のことで汲汲とするのは、金銭感覚がおかしいせいなので
仕方ないといえば仕方ないのだが。
あーお金ほしい。
2017年も引き続き、お金を欲しがっていく気持ちだけは強く持ち続けていこうと思う。

あとはまあ……親が、何かのはずみにどうにかなってしまっても、
……イヤ実際はまだ早いとは思うけど、しかしそれでも「不思議ではない」境に達しているので、
そういう気持ちづくりはしておかないといけないかも知れない。
その上で、変わりなく、穏やかに接していきたい。

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鎌倉。下は、早く来すぎて大仏の開店待ちのガイジンさん。かわいい。




■Closing~それらを踏まえて、2017年のこと



そんな感じでして、2016年は、
「色々ため込めるだけため込んだ(ため込んでしまった)」年だったな、と思う。

アウトプットが追い付かない病については、体を動かすことを制限して対処する。
そして時間も体力もセーブして、アウトプットにしっかり回す
(時間と体力をセーブすれば、おのずとMPにも余裕が出来るので)。
そうなると当然、インプットも減らしていく必要がある。
カロリーという意味でも、情報という意味でも。

今年も色んなところへお出かけてしまうのだとは思う。一人で、紳士で、家族で。
must事項として「秋に親を金沢へつれてく」があるので、
そこを軸にバランスよく配置していくしかないだろう。

信州・北陸方面は、紳士会議の高潔な魂によって決定されるので、
私ごときにコントロール出来る物ではない。決定に従うまでだ。

一人では、西の方へ行きたいと考えている。中国地方方面へ。
大学時代の友人がいて、松来さんの生産地で、
『ゆるゆり』……じゃないや、『げるぐぐ』……でもなくて、『たまゆら』の聖地であって、
『田中くんはいつもけだるげ』の聖地であるところの広島に行きたいなあ、と。
宮島も、小学校の修学旅行以来、見たい。
小・中・高と修学旅行は行っているけど、小学校のが一番印象に残ってるってのはどういうこっちゃ。
みんなそんなもん?

近場では、忍野八海へも行こうと思う。
今年も水がきれいなところへ行って、水のお写真をパキパキと撮りたい所存のオイサンです。
新造人間ショゾーン。
小諸へは、とりあえず3回行く。春、秋、冬。
北海道は1回だけになると思う……イヤ、普通そんな年に何回も行かないと思うケド
(小諸かてフツー年に3回も4回も行かんわ)。

 ▼1月~3月
  ・北海道
 ▼4月~6月
  ・小諸1
 ▼7月~9月
  ・帰省+西方面?
 ▼10月~12月
  ・金沢
  ・小諸2

……という軸の合間に、紳士遠征が挟まる感じになっていくだろう。
……っていう話をだな、いま北海道で書いているのだが、どうしたものかね?(しらんわ)

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2017年は、とにかくゲームだ。
ニンテンドーSWITCHが出る。『ドラクエ11』が出る。
VRも本格化するだろうから、PS4は導入が必要になる。
きっと『セイレン』もゲームで出るだろう……まあシステムに魅力がなければやらないけど。
瑞々しい感性を保って、素直な態度で、「面白い」ものをまっすぐに受け止められる人間になっていきたいと思う。

アウトプットの仕方については悩んでいる。
結局のところ、自分の手の遅さ、段取りの悪さ、作ろうとする物の性質、時間配分の下手さに踏ん切りの悪さなど、
あらゆる要素が悪い方へかみ合っているので、
何かを諦めるか、どこかを変えるかするよりほかない。
自分のためにもならないので……早いトコどうにかせんとなあ。


  ▼2017年という「歳」

今年2017年は、21世紀に入って17年目。
言い方を変えると、21世紀さんがセブンティーンにおなりになる。
青春真っ盛り、高校2年生です。
かつては誕生を嘱望され、お生まれになった時は周りから盛大にチヤホヤされたおしたというのに、
今となっては口先ばっかり立派でなかなか見向きもしてもらえない「新しい時代」さんが、
ようやく自分らしさを発揮できる自我を手に入れ、視野も広がり始める……なんなら、
サカリの付き方もよーやく板についてきた、そんな時期に入る。
ここらでいっちょ、21世紀ここにアリ、
部活に勉強、恋にオシャレに大忙し! なトキメキをほとばしらせてくれるんじゃないかと、
オリンピックもワールドカップもないイベント不在の年ではあるけれども、
その分、時代さん自身がなにやらこう……熱い情念を爆発させてくれそうな、
そんな予感をオイサンは感じるワケです。

そのワリには自分の方針は、
「衰えつつある肉体にペースを合わせていく」
なんて、随分夢もイキオイもないアレなんだけど。

来年の今頃には、この世界にどこからどんな横やりが入って来ててもおかしくない、
そのくらいのひずみの存在を、このところ、時代の空気に感じているオイサンです。
果たして、鬼が出るか、蛇が出るか。
ヌージャデル・ガー。




……このネタ、随分前にもやった気がするな。
マいいか。誰も覚えてないだろう。
オイサンでした。
今年もヨロシク。


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上から、スカイツリーvs偽スカイツリー、飯能の妖精、小諸。一番下のが'16年ベストかなー。



……あと、若者に煽られたので今年は「マリモ食べ力(りょく)」を鍛えようと思います。
どうやったら鍛わるのかしらねえけど。
だからとりあえず道東に来た。



オイサンでした。


 
 
 

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2016年11月20日 (日)

■おんじが絵筆を握ったら。~宮崎駿とCG、押井守と実写の関係~ -更新第1095回-


ちょっと前……番組改編期の頃だったろうから、多分10月のアタマだと思う。

それまで朝ゴハンを食べるのに使っていた松屋がつぶれてしまい、
以来同じ通りにある吉野家で朝を食べるようにしているのだが、
その店舗にはテレビがあって、その日はNHKがかかっていた。

  かかっているチャンネルは日によってまちまちだ。
  その日のバイト氏の趣味によるのであろうか。

朝のNHKと言えば、オイサンが子どもの時分から連続テレビ小説と相場が決まっている。
8時を回って画面が変わるのを見て、
また唐沢寿明が死んだのなんだのの続きかと思っていたらどうもその番組は終わったらしく、
思っていたのとちがう雰囲気のドラマが始まった。

まハナシの中身は殆ど把握してないのでどうでも良い。
ドラマの初回らしく、初々しい出会いのシーンが描かれる回だったのだが、
桜吹雪の中、若い男性が美しい女性に見惚れるシーンがあった。ベタな画である。

ただ、その画作りが……コントラスト高めで肌理のない、
清潔感はあれど、なんとも生命感のない……雑味や汚れといったものを意識的に排除した、
もうハッキリ言ってしまえばCGみたいな画だったのが気になったのである。

生身の俳優さんを使っているのに、
肌の凹凸やクスミは徹底して排されツヤッツヤのペッタペタで、
背景もすっかり暈してトバしてしまい、奥行きもない、平面的な画だった。

  恐らくそれは意図的で、
  どうも最近見ていると、そのドラマの舞台は戦後間もない頃らしく
  煤けてうす汚れた場面ばかりだから、
  そこからヒロインの美しさ・特殊さを一際浮き立たせるために、
  その場面は光と清潔感だけで構成させたのだろう。
  多分。

デまあ、意図を理解しながらも、それを見て、
オイサンは「こりゃもうCGでも良かったな」と思ったのだが、
そこでハタと、10年以上前に押井守監督の本で読んだ、
「デジタルの地平で、すべての映画はアニメになる」
という言葉を思い出した。

 


オイサンはワリカシその言葉を見た瞬間に言わんとするところがピンときて納得したものだが、
表紙を見たシゴトバの後輩(その言葉は本のタイトルにもなっておった)は小首をかしげて半笑いであった。
まあ、12、3年も前の話である、
アニメ
――その言葉本来が指そうとする「アニメ」の意味とは若干ずれるが――も、
昔ほどの差別対象でなくなりつつあったとはいえ今現在ほどの地位を獲得していなかった頃だし、
CG映画にしても、『ジュラシック・パーク』からまだ10年、
『アバター』もまだ公開されていないというくらいだからピンとこないのも無理はない。

もう一度繰り返すが、
「デジタルの地平で、すべての映画はアニメになる」、
この言葉の意味するところは、
「実写で撮ろうが、デジタルで撮って加工すれば色も変えられるし映りこんだ余計な物も消せる、
 なんなら天気だって変えられてしまう、
 作家の都合ですべてを作り、コントロール出来てしまう、
 それはもう実写を素材にしたアニメーション制作でしかない」
というくらいのことだ(、と、オイサンは浅いところで理解している)。
デジタル技法が発展していけばその様になってしまう、ということだ。

  良し悪しはあるにせよ、である。

でオイサンは、NHKの朝の連ドラのワンシーンを見て、まさしくそうなってしまった例だなーと、
押井カントクの10年前のことばを反芻したワケである。



■ハヤオ~絵描きの矜持

そして、時は流れて、先日のNHKスペシャルを見た。
ドワンゴ・川上会長が、宮崎駿にえらい怒られたシーンばかりが有名になってしまった、あの番組である。
宮崎駿・現役復帰スペシャルである。
そもそもの主旨は違ったが、結果的にそうなったと思う。
ナイジェル・マンセルかお前は!

  ……「また古いたとえを」、と突っ込まれそうだが(突っ込む方も絶対オッサンだから何の問題もないが)、
  安永航一郎クラスタにとって「引退 → 復活」といえばナイジェル・マンセルであることは
  異論のないところであろう。

    

  しかしまあ、ハナシの本筋とは外れますけども、川上会長も災難ですなw
  場の主旨と違うところから感情的なパンチで殴られるわけですから、
  マご老人の相手をする際には致し方なく発生する問題ではありますけれども。
  閑話休題。

あの手描きアニメの大鉄人・宮崎駿が、短編とはいえフルCG映画制作に乗り出し、
あまつさえ長編制作を再開しようと言い出す、というのが、番組の追った一連のドキュメントだった。

その中でハヤオは、主に二人の優秀なCGアニメ制作者とやり取りをし、
自分の思い描く毛虫(毛虫が主人公の短編なのである)の動きを伝えて試作を進めていく。
その出だしのところで、ケムシの前足の動きにダメ出しをしつつも、
CG作家の
「ここに、風が吹くパラメータを追加してやれば、
 毛の一本一本が風に吹かれてなびく動きも作り出せます」
というプレゼンを聞き、ハヤオは
「まいったなこりゃ」と言わんばかりの笑みを浮かべる……。

おおおおおおおおおおおおおおお。
なんだなんだ。
それでいいのか。
それでよかったのか、宮崎駿???

オイサンはそこで、驚いて声を上げてしまった。驚いて、本当に声が出た。

「物理」? 「物理シミュレーション」。
なんだ、そんなんで良かったのか、ハヤオ?

イヤ、物理シミュレーションCGがダメだっていうんじゃない。
味気ないとか情緒がないとか、そういうことを言いたいんじゃない。
なんつーか。
その物理というか、世界で実際に起こっている理の動きから、
何かを差っ引いたり、ときには付け足したり、
人間に都合のいいウソを、劇として、個人のエゴと表現のために作り替えて観客を驚かせるのが、
アニメーションの画作り、「画描き」の、「職人」の腕の見せ所であって、
秘伝のレシピ、
人としての本領の発揮なんじゃないのか、ハヤオ?

それはそう、ハヤオという絵描きの矜持のような話として、
「それでいいのか」と思ったのである。

そしてそれはある意味、
この国の手描きアニメの最終防衛ラインの陥落を意味するものだと、
まあ、外野にいるオイサンなんかには見えるのである。

トバしたり、埋めたり、延ばしたり縮めたり、
世界で起こっていることを人間の生理に合わせ劇を演出するのが、
アニメーション……少なくとも、ハヤオという「絵描き」が追ってきたアニメーション、
あるいはアニメーションに求めた(あくまでも彼の個人的な)快楽と感動じゃなかったのか?



……と。



まあ、これは半分以上、「ハヤオはストーリーテラーではなく画描きである」と、
彼や彼の周囲の人間の語りから知って以来、
オイサンがハヤオに対して抱いてきたイメージが見せた幻のようなものなのだが。
まあ、そういうイメージがあってしまったから、ビックリしてしまったのだ。

ピクサーの映画に出てくるCGの怪物は、
200何万本という体毛を全部シミュレーションで動かしているという説明を聞いて、
ほー、と思ってしまった。
ほー。
ハヤオも、それをやりたかったのか……?
じゃあ、じゃあ、なんだろう?
アニメって(無論アニメ=ハヤオではないけど)、究極は、実写を指向するんだろうか………………?
そうじゃない……と、思うんだけどね。

ちょっと、まあ、番組だけからでは読み切れないところもあって、
物理シミュレーション出来るCG装置のパラメータを、
ハヤオがハヤオスペシャルにしてすっかり「自分の絵を描くための道具」にしてしまう、
というセンだって考え得る。
そこんとこの詳細はちょっと番組からでは分からなかったのだけど……
その後、ままならないCGアニメ制作に苦闘することになるハヤオではあるが、
番組冒頭に物理な画を見て笑うハヤオの笑顔に、オイサンは大層、驚きと、
ちょっとした拍子抜けを隠しきれなかったのだった。



■そして、話は押井監督にかえる。

そこで、もう一人の巨匠、押井監督の話に返る。
彼はいま、アニメの仕事のオファーがなく、実写を主戦場にしている(らしい)。
自分で企画を立てることはせず、世の中の要求に応える形で暮らすことにしている(らしい)。
オイサンはちょっと前に『ガルム・ウォーズ』を見てつまんなかった(直球)という感想を書いたが
あれも彼のその成果の一部で、
オイサンはあの作品を見た後、何年かに一度来る「押井守カントク作品見たい熱」にやられ、
『押井言論2012~2015』を読み、
立て続けにDVDを借りてきて
『The Next Generation パトレイバー(TNGパト)』全話、
『宮本武蔵 -双剣に馳せる夢-』、
『東京無国籍少女』、
『28 1/2 妄想の巨人』、

と立て続けに見た。





  これだけのモチベーションを生み出すのだから、
  『ガルム・ウォーズ』も、頭では非常につまんないと思いつつも、
  心にはなんとなく引っかかるものがあったのだろうと思っている。

率直に言えば『TNGパト』以外はあまり面白くなかったワケだが
(その『TNGパト』も、最終話の劇場版長編は面白くなかった)、
……『TNGパト』だって作品そのものが期待した面白さであったかと言えばそうではなく、
監督のスタンスとフィールドを意識して見て初めて
「なるほどこれは」と思えるタイプの代物であった。
マこの際面白い/面白くないはおいといて(ホントは置いといちゃダメだけど)、



……どうだろう、不思議に思わないだろうか?



「実写はアニメに浸食される」と10数年前に看破していながら、
且つ、自分はアニメも出来る立場にありながら
(オファーがなく、また最早モチベーションもないと『押井言論』では再三唱えていたが)、
なぜアニメにしてしまわないで、実写を撮っているのだろうか?

「気を抜けばアニメになってしまう実写」を、
アニメにせずに撮り続けるために、どんな手を使っているのだろうか。
果たして、実写を実写として生かし続けるために、何を手掛かりにして、
どんな撮り方をしてるんだろうか?

……答えは至極シンプルで、
「撮影前に下準備をしない」のだそうな。
撮影プランを、過剰に持たない。

撮影現場へ趣き、その日の現場の状態や役者さんのコンディションを見て、
その日そこにあるもので、企画の当初に思い描いた芯を持った完成形を実現することに努めるのだそうな。
ただし、その「状態」を底上げするためのさらに下層の土台作り
(つまりは映画のコンセプトとそれを支える座組みのようなもの)には、
がっちりと頭も時間もお金もかける、
……というようなことが『押井言論』からは読み取れた。

それは「下準備をしない」と矛盾するようではあるが、たとえるなら、
人間を司る神様が、人間が何をするかは地球の上に放り出して様子を見、
状況を与えるくらいだけど、地球のルールは最初にガッチリ作る、
みたいなことだと思ってもらえれば良いと思う。
そして、撮れたと思ったらさっと切り上げ、編集で成形する。

……ナルホド。
アニメが「コントロールで全部を作り出せてしまう」のなら、
実写が実写であるためには、有りものに強く関わる、
コントロールしえない部分を上手く引き出し、拾い上げることが、
実写の醍醐味だというわけだ。



■Closing

まあ今更改めて、実写がアニメから、アニメが実写から、
それぞれ浸食を受けてるなんてことは考えるまでもないのだけど、
ザ・絵描きのおじいさんが道具を持ち替える場面を目の当たりにして
すっかり驚かされてしまった。

自分でも、ハヤオがCGを使うことの何がそんなに引っかかっているのか
いま一つ分からない。
ただ、
「火が揺らめくところ、水が流れるところを、
 一つ上手く描けると、その日半日くらいは気分よく過ごせるんだよ」
とまで言っていたあのジイサマが、
「物理パラメーターぶち込めば、上手く動きますよ」
という、その一言に納得したことが、ちょっとショックだったのだ。

……なんていうのかなあ。
そこには、「絵描きが道具を持ち替えた」以上の異なりがあるように思えてならない。
たとえば、字書きが、ある一つの風景を、言葉を尽くして延々描写をした挙句に、
その文章の中に重要な一つだけを見つけて他を全部消し、
一文だけを残して完成とすることと、
「この写真載せて『この景色』って言えばいいじゃん」ていうのくらい、違う気がしたのだ。

わかんないよ? わかんないんだけどさ。
ハヤオが、道具その先のどこまでを思い描いて、理解して、どんな絵が描ける、
と思って笑ったのかは分からないんだけど。

ある意味で、押井監督がアニメを離れ(望んでではないようだけれども)、
新しい絵の描き方に手ごたえを感じていることは(もともと昔から実写もやる人ではあったから)、
話に面白味があるし、安定感もあった。

……どうなんだろうなあ。

まあ、あの百戦錬磨の妖怪ジジイの心配を、
オイサンなんかがするまでもないのは分かっているんだけど。
CGに詳しいわけでもないから、彼の欲する絵を出せるのか、出せないのかも分からないけど。

要は、道具である。
ハヤオのイマジネーションが、現存の最高技術の想像をどこまで超えて使い込まれるか……
その姿が2021年に見られるのだとしたら、
それはちょっと楽しみであるな。



いまヒトツよくまとまらないけど。
オイサンでした。


 

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2016年9月19日 (月)

■改めて、移転のご挨拶~『ゆび先はもう一つの心臓』ReStart~ -更新第1089回-

 
 
 
 一人の男が大仏の前にやってきた。

 日々の暮らしにくたびれ果てた男は、もはやなにごとにも希望を持てず、
疑問に駆られてばかりいた。さりとて、男は救いを求めに来たのでもなかっ
た。この国には神も仏もないことを身に沁みて知り、それを確かめにやって
きたのだった。

 大仏は……遠くない潮風に曝され続けて汚れていた。それを詰る眦できつ
く見上げ、お前は何のためにこんな所に座りこけているのか、作った連中も
一体何をさせたかったのだと問いかけ続け、どうあろうと目の前のそれがた
だの鋳物の塊であったと見届けると、そんな物に悪態を吐くのもみじめだと
小さな納得をして、男は踵を返した。

 と、目の前に一人の婆様が立っていた。男に声をかけるところだったのだ
ろう、手を肩の高さにまで上げ、驚いた顔をしていた。

「すみません。写真を撮ってもらえないかしら」

 ゆるりと笑いかけられて、男は上手い断り方を思いつく前にカメラを受け
取ってしまっていた。まただ。押しつけられたカメラは銀色に光るデジタル
式で、およそ年寄りには似つかわしくない、この日のための重厚な最新式だ
った。
 ため息混じり、男は、婆様が家族の所へ戻ったのを見届けて、ろくな合図
も出さずにとりあえず大仏と一緒にフレームに収めてみた。
 すると、その眺めは、男の目にも妙に馴染んで映った。幼子を腰にとまら
せた婆様の顔は見れば見るほど皺くちゃで、壮年の出口にある夫婦はこなれ
た笑みを浮かべていた。年頃の娘は気もそぞろ、両親たちに気付かれぬよう、
陰で握った携帯電話をひたすら気にしている。
 見るまでもなく、周りには同じ光景がそこかしこにある。男のすぐ隣では、
青い目の男が嬉しそうに何度もシャッターを切った。お前はよその宗教だろ
う? 呆れにつられ、男の鼻から息が漏れた。
 長い時間の終端に、どこかまとまりを欠きながら、この膝元に集ってしま
った我らがいる。花曇りの空から陽がこぼれ、頭に鳶をとまらせた仏の頬に、
七百年の錆が一つ増えた。
 それじゃあ撮りますよ。
 男はデジタルな画面を通して婆様から目を離さず、ゆび先に静かな力を伝
えた。
 
 
 

 
……。
 
 
 
はいどうも。オイサンです。



私の名は、ブログを引っ越してきたもののコレと言った更新もせずロクに挨拶しないマン!
さあ君たち、ここは私に任せて逃げるんだ!

……えー、この連休の初日に、また鎌倉へ行ってきた(唐突)。

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そんなに何べんも、何を見る物がそんなにあるんだと言われそうだが、マ少しい遠い散歩のようなもので。

目的は2つ。

一つは、
使い始めてぼちぼち2年半になるカメラのRX1さんに、一つ新しい機能を発見したので、
それを試し使いするため。
別に隠し機能でも何でもない、ただオイサン見落としていたというか、
当初気付きながらも「マあんまり使うモノでもないだろ」とタカをくくって放っておいたものに、
改めて興味と使い出が出てきたので、勉強のために。
初めてRX1の練習らしい練習をしに行ったのも鎌倉だったしね。

もう一つは、
ベトナム式サンドイッチ、バインミーを食べに。
前回行った時も食べて、そこそこ美味しかった記憶があるけどそれを確かめにもう一度。
おやっさん、パクチー大盛りで(そんなこと出来たかどうか憶えてない)!

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バインミー、美味しかったです。パクチー大盛りも出来た。
しかし大盛りにしたはいいようなものの、本当に大盛りっていうか、
バランスが全く無視されて、ただの手入れをサボったプランターみたいなのが出てくるのはいただけませんな。
もう少しこう……食べ易さに考慮した挟み込み方をご検討願いたい。
ただただ、パクチーだけをむさぼるための時間が出来ちゃうんだもの。
ホント牛かヤギの気分ですよ。モッシャモッシャ。


カメラ機能お試しの方も……マ上々。
機能というのは「超解像ズーム」という奴で、
単焦点レンズのRX1さんでも、ズームっぽいことを疑似的にやれますよ、というモノ。
言ってしまえば、フォーカスしたい領域をカメラの方でクリッピング(切り抜き)して、
劣化を最小限に抑えた拡大をする、という仕組みのご様子。
デジタルズームのすごい版です。
そもそも単焦点であることを覚悟して買ったので、当初は封印してたのだけど、
マぼちぼち、バリエーションとしてはあってもいいか、ということで今回解禁。

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使ってみたけど、使える場面では役に立つ、という感じ。
歩み寄らずに近付きたい、角度を変えずに画角を変えたい、とか、そういう感じか。

メデタシメデタシ。



……デ、冒頭の掌編。



これは、2005年にオイサンが書いたモノで、
ケータイで読む短編のコンテストか何かに応募するための作品だった。
制限800字だったかしら、なんかそんな感じ。
今回ちょっとずつ手を加えちゃったから、800字には収まってないと思うけど。
中に出てくる「大仏」は、勿論長谷の大仏様ね。
奈良じゃない方。
十年以上前に書いたものなんで中身は多少アレではあるものの、
当時感じた感触は、今もあまり変わっていない。

オイサンが鎌倉に頻繁に通うようになって十年近くなることを示す作品なワケだけど……
そもそもオイサンの初めての二次元聖地巡礼が鎌倉で、それが2000年くらいだと思う。
もう何べんも書いてるけど。『NOeL~la neige~』で。


▼NOeL~La neige~ 店頭PV


▼NOeL~La neige~ OP


ここ数年、鎌倉に行くと、大仏様の間で小一時間、場合によってはそれ以上、
ボーっと座っているようにしている。

  別に地べたじゃなくてね。ここがオイサンの特等席。

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  大体朝早いモンだから、人もそんなにいない。

そうすると色んな人、色んなタイプの人の集まりがやって来ては去っていく。
オイサンの様なベテランはそう多くはないので、
皆さん新鮮そうに、楽しそうに眺めていきなさる。

  かく言うオイサンも、大仏様の中は今回初めて見たんだけど。
  あんなただの空洞になってるとは思わなかった。

そんな中に時々、本格派の祈り人がやってくる。
どの辺の国の人なんだろう。仏教の本場なんだろうか。
アジアの方には出掛けたことがないので、アジア系、とか東南アジア系とか、
そんなおおざっぱすぎる括り方しかできないが、
タイ、ミャンマー、ベトナム……そんなところなのかしら。
彼らはやってくるや、先ず真っ先に靴を脱ぎ、素足になって大仏様の真正面に正座をなさいます。
長谷の大仏様は屋外にある。屋根もなければ床も敷物もない。
そこでイキナリ裸足になって座ります。
次に、地面に頭をこすりつけて本格的に祈りを捧げ始めます。
これは、初めて見るとちょっとびっくりする。なかなか迫力があります。

勿論全然ダメじゃなくて(お寺側のルールは知らないけど、個人的には)、
おお、本格派はすげえな、と感心することしきり……
彼らは、なんなんでしょう、
あの仏様の素性をご存知でああされるのか、
それとも「仏様」に対しては素性がどうであろうと分け隔てなく、
あのように敬意を表して、何かを求め、あるいは何かを捧げるために、あの姿勢をとるのでしょうか。
それとも、もっと具体的な何かをあの像の上に見、それが何かを知ったうえで
あのような畏敬を露わにするのか。

オイサンには、ちょっとわからない。

日本人だって、プロフェッショナルは当然、様々理解したうえでまさに念を唱えて送るし、
我々素人でも、型を心得て祈りを捧げます。
けれども、プロはともかく、素人の捧げる祈りの対象は、
あの像や、仏様という総称的な概念そのものではなく……あくまでも、
その先にいる自分たちのご先祖の霊(に代表される具体的な存在)なのではないだろうか、
という気がする。

心底、「仏様」という総体的な存在が救い、与えてくれることがあるとはコレッポッチも思っていなくて、
ただ「過去に生きた先人たちへの敬い」を、かの像に象徴される仏という概念を通じて、
露わにしている……ように、オイサンは感じている。

海の向こうからやってくる本格派の祈りを持った彼らは、
果たしてどうなんだろうか……そんなフシギが、胸を占めます。

けれどもまあ、いずれにしたって、その祈りの行いが……信仰が、
彼らの生きていく中で、より良い生に繋がるための物事にこたえるためのものであるならば……
(それを「豊かにする」と表すけれど)、
充分に価値のあることなのだと思うし、
それに代わるものを己が持っているだろうかということを、
今一度己に問い直してみるのも、充分に意義のあることだなあと思うオイサンなのでした。


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マそんな感じでヒトツ。

……えー、だいたいね。
お分かりいただけましたでしょうかね。こんなことを書くブログですよ。
宗教とか、説教臭いこと限定ではないけども。

小さな旅と、写真と、食べ物と。ときどきアニメにゲームと、
ちょっとした書き物で綴る、黄昏人生爆笑絵巻、『ゆび先はもう一つの心臓(A)』。
コンゴトモ、アラフォーのうたとおどり(右往左往)でお楽しみください。


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  大仏「以上、オイサン(41・独身・男)がお送りしましt……
      このハス型マイク、ちゃんと拾えてる?」



……「独身」って情報、いる?
 
 
 

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2016年8月19日 (金)

■DEEPNESS beyond EVERYDAY -更新第1986回-

若い人、ゲームをプレイする人、面白いアニメや映画を見たい人は、
いったい本質的には、何に興味があるんだろう。

いっときの面白さがそこにあれば良いのだろうか。
それとも、その面白さによってその先や奥にある何かに手を触れたいのだろうか。

ただ面白いだけではなくて、そこに手を突っ込んで、
何が、どう、なぜ面白かったのかを、考え、分析・細分化して
より具体的に語る人たちはいるが、
(それを日々の糧を得るための材料にしている人は別として)
彼らはそれを、なんのために行っているのだろか。

「面白さを突き詰めるため」という答えは、まあ返ってくるだろうが、
その先があるのかどうか、ということだ。
「面白さを突き詰めてどうするか」、
自分が生み出そうとする面白さに反映させるためであるのか、
「面白さ」のライブラリを完成させるため
(それは作品の価値の理解を広めて深め、人の知性を高めたり、
心のありようを解きほぐしたりすることに役立つであろう)であるのか、
より深く心に刻むため、というのもあるだろう。

直接的に面白さを生み出さずに彼らのハートを掴むには、何か出来ることがあるだろうか、
と考えている。
面白さをほじり返そうとする、その動機の奥にある欲求か衝動か……、
そこをじかに刺激するテを知ることが出来れば、
何か一つ、私個人にとっても、世の中広くにとっても、
広がりが生まれる気がするのだ。

ただ「そこにある面白さに触れたいがため」であるなら、
その奥を発掘することは望めない。
ただただ、面白いものを生み出さなければ答えられない。

だが、そうではない、面白さ、面白かった充実感、それらが彼らの心の中で
何か違うものに変化して(厳密には面白さの皮がむかれ中身が取り出されて)、
しまいこまれたり、知られざる心の器官を刺激しているのであれば……
私は、その面白さという手順を踏まず、そこに直に、熱い光を当てる手立てを思い描きたいのだ。

面白さによって、刺激され、開発されるモノというのは(若い時分にはより顕著に)あるから、
面白さを手に入れてそこを叩きたい、という気持ちも、彼らにはあるのかもしれない。
それはまず面白さでなければならないのかもしれない。

だが今は私は、面白さのカタチを介さずに、何かを彼らの心の髄に届かせられるのならば、
それをしたいのだ。

そして『日常系』は、そのヒントの大きな一つだと思っているのだ。
I found that the "Nichijo" system must be one of the hugest hints.

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